田舎とは、都会から離れた土地とか故郷とかいう意味の他に
人気が少なく田畑の多い所なんていう意味もある。ワオ
都会は人工の街だが、田舎は人工の自然だったりもする。
どちらも人の手は必要だと思う。
田舎は人気が少ないのではなく
人工の畑を人口密度の低い土地を利用しているだけだと思う。
都会は人だけで足りるビジネスが成り立ち
田舎は自然を活用した私たちの根本的な糧をつくる。
都会が窮屈だなぁと引き上げてくる人だっていれば
田舎は何も無いじゃないかと都会に繰り出す人もいる。
私は両方体験し、田舎暮らしを選んだ。
私と少年は、東京から夜行バスで瀬戸内へ向かうことにした。
夜行バスを使うのは久々である。
昔、フィレンツェからバルセロナへ向かう夜行バスに乗ったことがある。
夜行用でもなければ長距離用でもなさそうな
市内を走るフツーのバスぐらい窮屈だったことを覚えている。
それでも昔も現在も
夜行バスが一番節約できる移動手段のようだ。
新幹線は、何泊もできそうなほどの料金であった。
格安飛行機案も薦められたが、空港からの移動が悩ましかった。
夜行電車は、東欧を周ったときのよい思い出がある。
しかし、日本での夜行電車は、利用者がいないのか
無いか高いかの情報で止まってしまった。
日本の長距離移動手段に夜行バスを選んだ理由は
一泊分の宿泊費が節約できるからと
近頃の夜行バスは快適なつくりになっていると聞いたからである。
値段も格安飛行機よりちょい安か同じぐらいだけど
行きたい主要駅の近くに到着することも決め手となった。
行きは残念ながら、決断が遅く4列シートの車内トイレ無し
と割とフツーの長距離バスであった。
が、リクライニングはかなり可能で、ゆったりシートと呼べたと思う。
しかし、アニマル少年が横にピッタリいることが欠点であった。
だから少年と4列シートは不向きという結果が出た。
夜行バスのデメリットは
車窓がカーテンでずっと閉められていて、開けてはいけない。
だから、ニッポン列島を横断しているのに
暗くても風景が見れず、どこに来たのか
地図と頭で理解しないとわからないのである。
11時間も13時間も乗っていたら
ヨーロッパから日本行きの飛行機と同じである。
車内にトイレが無いから、2時間毎にサービスエリアで休憩した。
そこで、トイレに行きつつ、ドリンクを調達しに店に入って
そこにある物産やお土産でなんとなく土地がわかったりする程度。
運転手は二人いて、ドライバーともカーテンで仕切られる。
2回目からのサービスエリア到着時のアナウンスはない。
睡眠しているお客様を尊重しているようだ。
乗客は気がついたら降りる、という設定である。
帰りの夜行バスは、3列シートで車内トイレ付を早めにチョイス。
列ごとに独立しており、通路は一本広く一本狭くなっていて
独立していても二人組と一人で分けられる。
そしてカーテンで仕切りをし個室空間を味わえる。
さらにアイマスクや車内スリッパまでもプレゼントしてくれる。
トイレは、階段降りて地下風に設置。
だから荷物置き場を占領する形になるので
荷物の大きさに制限がある。バスを待っている時
どこにオフィスがあってどこから現れたかわからない
バスを案内しに来たおばちゃんから
「アナタの荷物入れさせてくれないかもよ」なんて言われ焦った。
「案内に書いてあったでしょ、送らなきゃいけないかもよ」マジ?!
ドライバーらしき二人の内、一人が予約リストチェック
一人が荷物を入れてくれたのだが
きっと私みたいによく読まないお客様がいるのであろう
「大丈夫ですよ」とホイホイ積んでくれた。・・よかった・・
我が母子は、岡山に到着した。初めて訪れる。
岡山には、フィレンツェの日本語補習授業校で
出会ったママ友がいる。
そのママ友が日本人会の冊子アルノで
岡山を紹介していたことから、訪ねてみようと思った。
子どもの年齢やクラスが違うのに、役員を機に親しくなって
その後もお互いの活動に応援し合えるほど気の合う仲となった。
そして彼女は、農主のビオディナミワインファンでもある。
だから私の観光以外にも
素敵なワイン&オリーブオイル会を催して下さった。
顔の広いママ友のお人柄はきっと今も昔も変わらないのであろう。
たくさんのご友人さまたちが足を運んで下さった。
次から次へと参加希望が名乗り出、会場を借りたほどであった。
地元の仲良しの同級生と娘さん、少年の先輩である息子さんも
総出で支度をし、会を盛り上げようと努めてくれた。
ママ友の実家をお借りして
会用の例のリコッタチーズをつくることになった。
岡山駅からローカル線に乗り、30分ぐらいのところで降りた。
岡山駅から数駅ですでに景色は、田んぼが広がる田舎であった。
ママ友が育ったところはのどか~なところで
駅も無人のような映画にでも出てきそうなところであった。
もうしばらくぼーっと瞑想にふけっててもいいぐらいであった。
ママ友が自転車で迎えに来てくれた。
田舎だから駅から遠いことを想像していたが
おしゃべりしている時間もないくらいとても駅に近く
便利で静かなところに家があった。
ママ友がいつか制服を着てこの駅を使ってたんだろうな
なんてことを想像したりした。
私も田舎の住宅地に住んでいたから、その似たような風景から
私の思春期時代なんかも思い出していた。
なんだか外国に旅しているぐらい遠くに来ている感じがしたが
ママ友の実家にお邪魔すると
やはりどの家庭にもある生活空間は
生活に溢れていて温かみがある。
お母様もお父様もママ友もイケ青年も
その生活空間の中の自分の場所に立って、私たちを迎えてくれた。
お母様がランチをご用意して下さった。
いつもブログを読んで下さってるということで
私の嗜好をご存知で、話が弾んだ。
岡山では、後楽園と倉敷を観光した。
後楽園は、ママ友とお母様が声を揃えて薦めてくれた場所である。
路面電車で旭川を渡った先に後楽園がある。
ママ友と体験入学中の学校帰りのイケ青年(息子)と待ち合わせ
午後たっぷりと日本名園の後楽園に時を任せた。
贅沢なほどの広大な敷地は
どこを歩いても、ビューポイントに立ち止まっても
癒やしの設計が施されていることが素晴らしい。
まず走ることを忘れる。邪念が消える。
昔だって癒やしが必要だから設けられた訳で
現代の今日、この癒やしは必要不可欠なのではないであろうか。
イタリアにも美しい庭園が数ある。
庭を日々美しく保つには、実は容易ではない。
それは人の手と腕で造られ、守られていく。
暮らしの中の人々のストレスは
ここでも人の造り出す業となって癒やされるのである。
園芸のアルバイトの時そんなことに気がついた。
我が母子は、倉敷の美観地区を散策した。
ここはCinecittàチネチッタ(映画撮影所)か。
まるでタイムスリップしたかのように
柳が揺れ水面に街を映し出す堀割りの静かな川が流れていた。
白壁やなまこ壁、瓦屋根や蔵そして見事な植木
ジャパニーズスタイルの建築様式が立ち並ぶ中
擬洋風建築的に大原美術館や
アイビースクエア(倉敷紡績所跡)などスポットにある。
この地区一の実業家大原一族抜きには倉敷は語れない。
国指定重要文化財の大原家の本邸を訪れた。
大原家の社会貢献思想では
ゲニウス・ロキという土地の魂と表現し
「その地の気候風土の中で住む人の精神性・価値観が
堆積したもの、つまり、それぞれの土地に魂があり
それが産業や文化を形作っていく」という。
私たちは、高いところに行って倉敷の町並みを眺めてみようと
阿智神社を訪れた。
山頂にある神社は、倉敷を見守るように鎮座していた。
そこでは黄色いだるまちゃんが金運アンド幸運ということで
私の好きな色、黄色いだるまに祈りを込めた。
神社から降りて、小腹と喉を潤わせるために
高価なおやつ、冷えた岡山特産白桃を味わった。
1個七百円。宝のような白桃・・次は白桃の収穫に出向くぞよ。
田舎と街とレトロが交錯する岡山。
観光というより住んでみたくなった温かみのあるところだった。
いつかまたその空気を吸いに訪れたいと思う。
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