大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

カテゴリ:PROFILE > 足跡

DSC04706

どうやらこの日を待っていたようだ。

どこを探してもこの手の記事が一つも見つからない。

ブログを始めて4年が経つ。投稿した記憶はあるのだが。

そうだ、フェイスブックに投稿したんだ5年前に。

あれから5年経って、25周年となろうではないか。

フェイスブックをスクロールしまくって5年前に遡った。

5年前も10年前も15年前も

そしてあれから25年経った今も

あの日はあの日なんだ。

過去は変わらない。

しかし、私が暮らす土地をイタリアにしたことは人生の転機であって

その記念する日をどうも忘れることができない。

むしろ祝いたいぐらいである。


1995115日、私はイタリアの地に足を踏み入れた。

何かが始まったわけでもなければ変わったわけでもない。

胸が騒いだ日だ。

人生という旅の中で胸が騒いだ日は記憶に残る。 ”


DSC04713

なぜ旅立ったのか、海外へ移住してしまう人に向けて

必ず質問したい項目である。それは、移住者同士でも。

私は、頭を切り替えたかった。

唯一大人として頼りにしていた母が亡くなって

私は涙の海となるほどショックだった。

今も相談したいことがいっぱいある。

自分一人で考えて考えて苦しくなるくらい考える。

母が亡くなって一週間もしない内に、相続や供養の話など

とにかくお金の話を親戚たちは

毎日泣いてばかりで誰にも会いたくない私に

課題を押し付けてきた。

私はこの課題のせいで正気を取り戻し始めたような記憶がある。

好き勝手にはさせない。

若くたって弱いワタシをみせるのは危険だと察した。

専門家にも相談しに行った。

一番よいだろうと思う結果をだしたと思う。

だから今でもその時の大きな課題に関しては悔いがない。

しかし、お金に目が眩む大人たちに

ワタシのカラダの中で骨を溶かしていくような寂しさを覚えた。

私は距離をつくりたくなった。

独り身となった弱みを握られたまま、私は遠くに行きたくなった。

それが私の旅立つ理由である。


DSC04707

ロンドンでもニューヨークでもどこでもよかった。

しかし大きな都市でたじろぐワタシを想像してしまった。

そこで高校の世界史の先生がフォロ・ロマーノのことを

一人演劇風に語っていて、夢中に聞いたことを思い出し

イタリアを調べ始め

工房のたくさんあるフィレンツェに決めたのである。


DSC04710

一年目の留学時代、同じ留学してきた仲間と

四六時中時間を過ごし、何もかもを語りあった。

どうしても胸が騒いだ旅立ちの年は、思い出深い。

浅い過去と深い未来を持った私たちは

フィレンツェの教会のクーポラが見える小さな部屋で

何度も乾杯し、みんながあのアパートに集まった。

なんだかみんなみんな弾けていた。

そしてみんなみんなバラバラに道を歩んだ。


DSC04712

頭はそう簡単には切り替わらなかった。

世の中はそう甘くない。

問題にぶつかると、骨を溶かすような寂しさがまた襲ってくる。

きっと母に相談したい時なのかもしれない。

だからわけもなく泣いて泣いて考えて考えて

私は人里離れた田舎に住むようになったのである。

丘の上から眺める景色は最高だった。

高すぎもせず低すぎもせず。

私の出身地で出会わなかった景色だ。

その丘はオリーブがいっぱいに埋め尽くされていた。

そのオリーブの丘で、フィレンツェで習った

Carta Pestaの技法をアレンジした方法で作品を作り出した。

作品で気持ちを表現したりした。

だんだん寂しさが小指一本の気持ちになっていった。


Non finisce mai la bellezza - parte

私は、私のことを誰も知らないところだったら

どこでもよかったのかもしれない。

こうやって私が気が向いたときに寂しさを語れればいい。

襲ってくる寂しさはもう懲り懲りだ。

ある年、日本の実家を売却した。

寂しさに変えた大人たちがだんだん小さく見えるようになってきた。

清々しくイタリアに戻った感情は忘れない。

しかしその日にちは覚えてないのだ。

清々しい日より胸が騒いだ日の方が記念日となるようだ。


DSC04719

今、オリーブの丘でオリーブを栽培して

オリーブの成長を観察しながら、私の人生史と重ねてしまう。

常につきまとう孤独感を植物たちと過ごすと

仲間のように感じてしまう。

きっと日本にいても、日本のどこかに逃げていたかもしれなくて

きっと植物に近いところで生きていただろうと思う。

だから何が変わったわけでもなく始まったわけでもないのだ。

距離をおくって必要だなと確信したことだけは

唯一自信を持って言えることである。

そこがイタリアだったのだ。

その到着日が1995115日なのである。

その頃はこの日が成人の日で祝日であった。

今や時代も変わり祝日がなくなっちゃって第二日曜日のようだが

成人を迎えられたみなさま、一先ず、おめでとうございます。



*私がセレクトした過去の関連記事Best 3 Archivi Selezionati

時の同居人 Camera Doppia

フィレンツェシスターズ Amica come Sorella vol.2

家の中の族 i Cerchi nella Casa



Grazie di aver visitato!

最後まで拝読していただきまして、ありがとうございました。




にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ


Instagram
 ≫≫≫ obatamakivincirealmakici


私は思った・・・。


今、問題になっていること。


「ごみ」


なぜ、見直してみないのだろう?


もちろん、すでに始まっているさ。


私は、私なりに楽しみながらリサイクルをしている。


Non finisce mai la bellezza - parte

紙。


誰もが知っているように、自然からできている。


最終的には、糊や染色剤を使うことで

ナチュラルとはいえなくなるが

あのデリケートさは、自然からのモノ。



時々、私は散歩をする。


自然を感じながら、木々や草花を見たり・・・


自ら枯れた自然たちは、正に種が出来上がったところ。


色が満ちていたとき、初々しく美しい。


私は、枯れた自然たちも美しいと想う。


なんだか語りのある人生は美しいように。


montare sulla corrente - parte

私は、自然からできているはずの紙と

枯れた・・語りのある人生のような自然を

飾る・・創る・・ことにした。


この・・忘れがちな、見捨てられがちなことに注目したい。


Camminare nella divisione - parte

Io ho pensato.....


come sta diventando un problema,


è RIFIUTI......



Perchè non possiamo ripensare?


Certo che è già cominciato a pensarlo.


Io sto provando personalmente a riciclare divertendo.



La carta


La prima è fatta dalla natura come sappiamo.


Alla fine, usando la collatura e la tinta ecc.,

diventa meno naturale.


Ma delicatezza è quella della natura.


la sinuosità della natura - parte

Ogni tanto faccio una passeggiata.

Io guardo la natura, gli alberi l'erbe e i fiori...


Anche quelli che sono seccati da se.

Appena sono fatti i semi.


Quando erano colorati erano belli.


Ma io dico che anche quelli seccati sono belli

come una vita raccantata è sempre bella.



Io ho cercato di far stare insieme

la carta che era una natura e la natura come matura.


Io volevo prestare attenzione a queste cose dimenticabili.



**********


Ci sono i pensieri - parte

原始作造


まさに、これらを語っている。


「忘れがちなこと」


今日、私たちのまわりには、何でもある。


さらに快適なモノが生まれている。


たくさんの素晴らしいコトが発見されている。


私は、想う・・・

こんな快適さが無かった頃

どうやって生きていたのだろう?



原始作造の由来


過去や今日の見直し


純粋を感じる


自然と生きる


五感とそして第六感を使う


満足な人生を自身が創る


自分自身を高め成長させる


私たちは、自然と共に生まれたのです。



そんな私の想いを視覚的に創り上げてみました。


Pelle di Natura parte.jpg

GENSHISAKUZOU


E' proprio questo che racconta,

le cose dimenticabili.....


Oggi c'è tutto.

Sta nascendo ancora, è ancora più comodo.

Sicuramente hanno scoperto tante cose belle.


Io penso.....

ma...quando non c'erano tutte queste comodità

come vivevamo?????



GENSHISAKUZOU


è


guardare il passato ed oggi


sentire il puro


vivere con la natura


usare i 5 sensi e il sesto senso


creare la vita soddisfatta ognuno


crescere e migliorare in se stesso.


Noi siamo nati insieme con la natura.



Io creo i miei pensieri alla vista.



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


Catalogo fatto da me

2001

向こう側のヴィンチの丘に在住していた。


私が最後にフィレンツェで開催した個展のプロローグである。



Nel 2001

Makici viveva sull'altra collina di Vinci.


Questo è un prologo

della mia ultima mostra personale a Firenze.




*過去の関連記事はこちら↓*

出会いを祝ったSanValentinoの日

自然の皮 Pelledi Natura

流れにのる montaresulla corrente


Instagram ≫≫≫ obatamakivincirealmakici



Grazie di aver visitato!

最後まで拝読していただきまして、ありがとうございました。



あの先は、どうなっているのだろう。

Olivo sul'Orizzonte

ヴィンチの地平線は近い。

Salici


うわー。


また丘。

Canna


そして、そのまた丘の向こう。

una pianta da bosco


わー。


また丘。

Luce di Tramonto verao ovest


こうして

ヴィンチの地平線は

山と谷の丘が連なっている。

verso Empoli


まるで人生を見ているようだ。

Vigneto Biodinamico


息を切らせて天辺へ行き

下る時

横を見たり、後ろを振り返りながら

大地を歩き、足跡を残していく。

impronta di cinghiale


谷に着いたら

前を見て上っていく。

Vigneto dopo tramonto


お日様に当たりやすいところもあれば

当たりにくいところもある。

朝と夕とでも違う。

Tramonto verso sud


そんな丘を歩くのが好き。

丘の上で生活することが好き。

Vigneto


まさにヴィンチの地平線が

私の人生だから。


*関連記事はこちら↓*

カテゴリー暮らし】【Vinciの空

夏休みのある朝 DuePassi di Mattina

食後のサマータイム DopoCena

白の時間 Oradi Bianco

一日の終わりの姿 FineGirnata

 Grazie di aver visitato!

最後まで拝読していただきまして

ありがとうございました。


家族て在るのではなく つくるもの”

La famiglia non è che esiste, è da costruire.


la famiglia non è che esiste, è da costruire


Art from recycled paper

90 x 90 cm

natural color and tint with caffè 


***************


私は、この世に生まれて、家族の一員となった。


世の中の子と同じく

喜ばれ、期待され、教育され、独り立ちする。

la famiglia non è che esiste, è da costruire 2


家族て在るものだと思っていた。


ある時、父と母は離婚した。


在るはずの家族は、二つに別れた。


ある時

離れていても私を愛してくれた父と

私を静かに見守ってくれていた母は

各々に早々と他界した。


小さくなった家族は、とうとう消えた。


独りでは、族とはいえない。

la famiglia non è che esiste, è da costruire 1


ある時、私は恋をした。


その恋人と暮らし始めた。


ある時、思い出した。


小さな家族のようだ。


家族とは、二人から始まるみたいだ。


ある時、そんな想いをつくった。

la famiglia non è che esiste, è da costruire 3


ある時、この世に生まれてきて

家族の一員となった子がいる、今。


子は、家族が当たり前のように存在し

いつか独り立ちし、新たな家族をつくるだろう。


九月の終わり

私の族の共と十七年目の結婚記念日を迎えた。

Olive attaccate la simmetria

*オススメ関連記事*

カテゴリー【作品

流れにのる montaresulla corrente

『自然の皮 Pelledi Natura

出会いを祝ったSanValentino

誕生のクリスマスBuonNatale

ありがとうGrazie↓

Materia

プカプカと流れる

返ることなく流れる

時は流れる


知らず知らす時が過ぎ去ることもあれば

早く過ぎて欲しいこともある

反対に、時が止まって欲しい時だってある。


時を刻みながらワタシは進む

刻んで刻んで

振り向いてる時も流れている

同じ時を歩くことは決してない


緑の同じような風景を眺めているけれど

彼らも一年のサイクルの時を過ごしている

成長し老いていく


ワタシは時の流れの中にいる

返らず、ただただ前に進む

ちょっぴり老うのは怖いけど

刻んできた時が、ワタシを助ける

もっともっと刻んで、時を実らせよう

ワタシの横にいるのは、何よりも刻まれた時だから


90 x 90


Art from recycled paper

90 x 90 cm

natural color and tint with caffè 

Dry Nut (Big Carrubba) / Mexico


*関連記事*

カテゴリー【作品】【思い出

白い箱の部屋 Quadrifoglio

出会いを祝ったSanValentinoの日

自然の皮 Pelledi Natura

誕生のクリスマスBuonNatale

時の同居人 CameraDoppia


 ↓ありがとう↓


 人気ブログランキング

↑このページのトップヘ