大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

カテゴリ:散歩 Passeggiata > ヴィンチプラン

世界中が夏休みかもしれない8月半ば。

カンカン日和が続くVinciヴィンチ

空気は澄み、雲さえもない。
Siamo partiti
陽に当たると熱いが、帽子をかぶってお弁当を持って水を持って(飲むだけではない。洗う水。緊急時の水。常に外出時は多めに持参。)涼みを求め森の中まで歩いていこう。


我が家からヴィンチ村まで、赤白の道標を辿るコースがある。
un'Indicazione verso Vinci

少年は≪ウサギの道≫と呼んでいる。このコースで23回野ウサギと遭遇。

ちょっとドキドキの廃屋を通ると、バタバタバタ~~~と鳥たちが飛び立つ。毎度ヒヤヒヤする地点である。
una casolare abbandonato

ブドウ畑やオリーブ畑を通って行く。
Nella Vigna

道中、Moreモーレ(クワイチゴ)をつまむ。
More in Agostoun pochino di More

Stuzzichino di More
目の前はヴィンチ村なのにこんな木の葉が揺れる道がある。

Vicinissimo a Vinci

少年ったら快調に歩き出したせいか突然モヨオしてきた。

野外トイレは、汚い公衆トイレより気持ちがイイ。

が!

止むを得ない野外トイレの使用済みティッシュは絶対に置いてこない!(鉄則!)

ブツは葉で隠す。

ゴミを平気で落とす・捨てるこちらの民は、こんなことのマナーに驚くほど欠ける。

Bianco e Rosso verso Vinci

さてスッキリ身軽となった少年、お昼も近くなりお腹が空いてきた。早いとこ、涼みの目的地へ着こうじゃないか。


ヴィンチ村へ出てみると、アレ~~こんなところにインフォメーションオフィス!
Ufficio Informazione di Vinci Nuovo!

ミュージアムの側から引越ししていた。


私と少年が目指すところは、春、Associazione Montalbano Domaniアッソチャツィオーネ モンタルバーノ ドマーニというモンタルバーノ山を守ろう会が企画するハイキングツアーに参加した時に行ったところである。(ブログ『Vinciヴィンチの山、Montalbanoモンタルバーノ)


ヴィンチ村からレオナルド・ダ・ヴィンチの生家へオリーブ畑の中を通って歩いていけるコースがある。
 Starada Verde

赤白の道標14番を追っていこう。
Vista Vinci dalla Strada Verde

傾斜の激しいアスファルトを上り、≪Starada Verdeストラーダ ヴェルデ≫と名付けられた砂利道コースに入った最初の分岐点に、Madonninaマドンニーナ(聖母マリアの小像)がある。
Madonnina dove c'è vivio 

左の赤白に進めば、レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 La Casa Natale di Leonardoラ カーザ ナターレ ディ レオナルド30分程で辿り着く。
Indicazione verso・・・

右の赤白の手書きの≪Pescaia del Mulino della Docciaペスカイア デル ムリーノ デッラ ドッチャ≫に進めば、10分もしないところに、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計した≪堰せき≫に辿り着く。
Pescaia del Mulino della Doccia

このPescaia()1418年頃、ヴィンチ村の送水路であった小川Rio Castellanoリオ カステッラーノの途中、階段を設けることで水の腐食を抑える工夫があったそうだ。

Disegno di Leonardo da Vinci

ちなみにこのコースは、まだインフォメーションでオープンされてない秘密の泉。

世界中が夏休みなのに誰もいないヴィンチの森の中でピクニックをしながら自然と歴史の観察をする。

森が暑さから守り、キラキラ入る日差しが心地良いヴィンチの涼み。

Bel tempoChe c'è sopra
Bosco protetto dal CaloreIdorometre sull'Acqua e sull'Cielo
ハイキング後はヴィンチ村でGelatoジェラート!涼みのシメ。

おっ、広場にタッチスクリーンインフォメーションが登場している!!

Touch Screen Information

Vista Vinci dalla Strada Verde modificato

オリーブの木に囲まれた見晴らしの良い丘の上

Montalbanoモンタルバーノという山の中の丘にある。

関連記事はこちら

偉大なるレオナルド・ダ・ヴィンチは、この土地をふるさととする。

眺めの良いここから、幼少期の想いは

彼が残した数々の研究・作品の出発点となる。

Casa Natale di Leonardo


Casa Natale di Leonardo
カーザ ナターレ ディ レオナルド

この生家といわれるここは

元はLavoratorioラヴォラトーリオ(作業場)だったそうな。

1950年代に修復され、天井を高くしたそうだ。

オリジナルに残されているところは

当初、出入口でもあり動物小屋であったStallaスタッラの床

現在の出入口があるサロン的居間のCaminoカミーノ(暖炉)

そして、下へ降りて

Frantoioフラントイオ(搾油場)として使われていた部屋が

オリジナルなんだそうだ。

Camino Originale


私が
20年前に訪れた時よりも更に整備されている。

チケットオフィスやトイレ、映像説明、タッチスクリーン説明

外のライトアップ、駐車場、駐車場からの小道・・・

Stradina dal parcheggio


私生児として生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチは

腹違いの兄弟がたくさんいた。

たくさんの継母がいた。

幼少期のレオナルドは実母への想いを強く抱く。

母への想いを心に残し、彼は若くしてヴィンチを発つ。

Ingresso di Frantoio


レオナルドの実母が、この生家といわれるここで暮らしていた。

そこで、実母の住居兼作業場が生家と決められたそうなのだ。

私生児のレオナルドは、この家で生まれていない。

Video Leonardo


レオナルド・ダ・ヴィンチの歴史や伝記は

専門家からの説明に任せたい。

もしくは

ヴィンチへ訪れてミュージアムをじっくり堪能して欲しい。

 Starada Verde


このミュージアム化された生家は

Anchianoアンキアーノという地にある。

ヴィンチ村からオリーブ畑を通って辿り着く

徒歩30分程度のハイキングコースもある。

その途中、

レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰にも
寄り道することができる。

関連記事はこちら


このハイキングコースは、徒歩のみ可能。

当時レオナルドが歩いていたところかと思うと

感慨深いハイキングである。

行きに振り返ってもいい、帰り際でもいい

ヴィンチ村からさらに上る彼の生家への道から

眺めるヴィンチ村とその背景にあるパノラマは

このハイキングコースでしか見れないと言っても過言ではない。

DSCN9046


パニーノと水を持ってハイキングして生家を訪問

ヴィンチ村の二つのミュージアムをじっくり観覧

私だったら、丸一日かかってしまう。

DSCN9047


もし、女性一人旅など

山道を歩くお供をお探しなど

ヴィンチ在住大地の住人が

お供プランを考えますのでお声をかけてみてくださいね。

Bianci e Rosso verso Vinci cornice


2000
9月の終わり、ヴィンチ在住の私と夫は

現在ヴィンチ村自治体が所有する

このレオナルド・ダ・ヴィンチの生家で

村長さんに宣誓する結婚式を挙げました。

レオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとは

私たちにとっても思入れのある場所なんです。

 2000

*関連記事はこちら↓*

カテゴリー散歩】【思い出

オリーブの木の下で il mio ombrellone

レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰 Psecaia del Mulino della Doccia

Vinciヴィンチの山、Montalbanoモンタルバーノ

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DSCN0288


今日は、ヴィンチ村にある二つのミュージアムの内

チケット売り場のある方Palazzina Uzielliを紹介しようと思う。

そこで、ミュージアムのことをネットで日本語検索をしていたら

おもしろい、どのガイドさんも訪問者も

ヴィンチ村の紹介がたった1ページで

村は小さすぎて何も見るところがない

と書かれていることであったww

しかし、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが育んだ才能は

この大自然の中で複雑な家庭環境にも関わらず

彼の周囲への観察眼や洞察力を養わせたのだろう

と訪れた誰もが気付くこの自然環境は

レオナルドの足跡をなぞるように

一度歩いて同じ風景を見ることに満足しているようだ。

私も少年も、ヴィンチの村民ながら

何度歩いても発見のある四季折々の山道は

私たち村民の自慢の故郷なのである。

毎日眺めていたからこそ、彼の作品の背景には

故郷の一部を表現しているのではないだろうか。

私も少年も、想像をしながら風景を描くとしたら

この毎日歩いている山道と景色であろう。

ヴィンチ村へは半日トリップで紹介されていることが多いが

時間に余裕のある方は、是非とも

子どもにもわかるよう展示されている博物館の見学をじっくりと

そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの生家までは歩いて欲しい。


DSCN0612


さて本題のPalazzina Uzielliパラッツィーナ ウツィエッリでは

歯車を画期的に利用した建築現場用クレーン

主にフィレンツェの大聖堂クーポラでは大活躍したそうだ。よかった。

イメージビデオなどでわかりやすく原理を紹介している。

このクレーンのおかげで

時間の節約になったことは計り知れないであろう。

そして、建築材料の他、クーポラで作業する職人の

食料も運んでいたそうだ。これは、楽しいランチデリバリーである。

クレーンに似たような原理から、布織機や糸紡機の紹介

どれにも共通する歯車は、時計の発明にも活用される。


DSCN0626


二階へ進むと、解剖学のコーナーがある。

それまで、死体を解剖することは宗教上禁じられていたそうだ。

そこでレオナルド、世界初の解剖を試みるわけである。

仕組みがわからなければ病気も治せない。

解剖は医学に大いなる貢献であっただろう。

彼の追求心というのは

誰でも持っているものでもなければできることでもない。

そしてこれらの手稿とドローイングこそ、次なる発展だったのである。

かの有名なウィトルウィウス的人体図

(Uomo Vitruvianoウオーモ ヴィトゥルヴィアーノ)

プロポーションの法則とか人体の調和と呼ばれているそうだ。

さらに自然との融合という試みの基礎となる作品なんだそうだ。

そして、医学の人体の比率以外に建築論からきていることもあり

この人体図は空間や機械を構成する上で

大いなるものさしになったに違いない。


DSCN0643


本物こそ何もないヴィンチ村のミュージアムだが

レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡と風景そして作品の誕生の解説

それだけでも十分に訪問する価値はあるであろう。



2019年レオナルド・ダ・ヴィンチの死後500年が経とうとする今

彼のふるさとヴィンチは何が変わったであろう。

想像しただけでも、ふるさとは大した変化はないように思う。

しかし、彼の残した発見は世界を大きく変えた。

そのふるさとをなぞりに多くの訪問者は

素朴なふるさとにほっとしているであろう。

私もほっとする。

何年も同じ山から同じ丘から、同じ夕日を今日も眺めたいと思う。


DSCN0728


レオナルド・ダ・ヴィンチ死後500周年を記念するイベント情報(イタリア語)
トスカーナ内
イタリア国内



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レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 Casa Natale di Leonardo

レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰 Pescaia del Mulino della Doccia

レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡 Vinci- Bacchereto



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DSCN0818


ある晴れた一月のこと

フィレンツェシスターズは、ヴィンチの我が家に二人ぽっちとなり

車も無く、村まで出るのも歩くしかなかった。

それじゃぁ、ハイキングしよう。そう決めればいいのだ。

少年と歩く我が家からの赤白マークのハイキングコースを通って

ヴィンチ村まで行き、村の外れからまた赤白のハイキングコースで

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家まで歩いて行った。

シスターズ、歩くの速い!

もう少しゆっくり歩いてくれぇ。

シスターズのご主人もハイキング好きで

二人はいつも歩いているそうだ。慣れってスゴイw

しかし歩くのが速くても、私たちはアレ見たりコレ見たり

立ち止まって観察したり、写真撮ったり、時間は同様にかかる。


DSCN0810


このハイキングコースは、車では通れない。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家まで、車で行けるが

なんてことないヴィンチを観光するなら

歩かなくては面白味が嗜めない。

そして、このStrada Verdeストラーダ ヴェルデ

(みどりストリートとでも訳そう)の途中には

環境保護団体がボランティアで道を舗装した

レオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けた堰まで行ける。

森の道を舗装するとは、危険な枝を通りに沿って切り落としたり

崩れた段々になっているオリーブ畑の石の壁を修復することである。

その修復技術を無料でレッスンも行われていた。

この石の壁は、Muratura a seccoムラトゥーラ ア セッコと呼び

セメントなどの接着術を使わず
石だけで積み重ねていく土留め技法である。

だから、再び崩れやすいが、これこそ古風なやり方で

ある意味環境保護なのである。

私は、ヴィンチの環境保護グループに参加しているので

フェイスブックなんかで、彼らの様子を伺っていた。

私も紙の作品をつくるとき、接着剤を使わない方法をよく使うから

簡単なようで難しいことが伝わってくる。

まるで立体パズルのようだ。私はこういうの好きかもしれない。


DSCN0806


堰がある小川の方は、やはりヒンヤリしている。

夏にはもってこいである。少年とある夏に来た

Pescaia del Mulino della Doccia

ペスカイア デル ムリーノ デッラ ドッチャ

ヒンヤリらしくヒンヤリした森の植物が

細い木漏れ日に向かって空気を吸っているように見える。

木々で覆われ、彼らの吐息が充満しているようだった。

すると、妙な鳴き声がする。

フィレンツェシスターズは足を止め、鳴き声がする方へ目を向けた。

木々と木漏れ日しか見えない。

そのまた奥にいるようだ。でもすごく近くにいるように聞こえる。

見えなくていい。ミステリアスぐらいな方がおもしろい。

どんな動物なんだろう?と想像を掻き立てる。

動物なのか鳥なのか。

森を歩くと、全てが共存していることを、足から頭まで感じる。


DSCN0803


また戻ってみどりストリートの緩い傾斜を上って行く。

その道は、オリーブ畑を横切っていくような道になっている。

辺りは、そういうわけで、オリーブだらけ。

私は何度歩いてもそこにある同じオリーブを観察してしまう。

散歩のときもドライブのときも

オリーブの樹形いわゆる剪定術、病気などを観察するのである。

あれ、いつものオリーブ畑が何か違う。

もっとオリーブが広がっていたような。

そこのオリーブはバッサリ根元近くから剪定されており

根元から生えてきた若く細い将来の幹を二本ずつ残してある。

おぉ、これでいい、これでいい。

ここは確かRognaニャ(カサカサ病)がたくさんあった畑だ。

ほとんどの木が病気で汚染されていたから

このくらいの勢いで剪定しなくては、ウイルス菌は蔓延してしまう。

蔓延してしまえば、私は味にも障害がかなり出てくると思うし

まずは木が枯れてしまう。

生産可能になるまでかなりの時間がかかるが、仕方ない。

農園であれば、多少補助金が出るようなことも聞いたことがある。

この勢いの良さに、私は嬉しかった。

私もきっと同じ方法をとっていたからである。

私は本来生まれたオリジナルの枝や幹を残して、生存させたい。

それが一番自然に近い形なような気がするからである。

ブドウもそうだが、台木となる根っこの気と接木された木は

品種が違っても育つ。

仮母?義母?育て親?

接木は、私生児か?

レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才私生児もいるから

接木の中には、才能のあるオリーブが生まれるかもしれない?!

それが目的の、接木技法なのである。


DSCN0816


レオナルド・ダ・ヴィンチの生家で、私は結婚式をしたのだが

夫の家族ぐらいしかいなかった式の中に、シスターズもいた。

彼女も懐かしそうだった。

当時、搾油所であった生家の下の階は、行けなかったはず。

当時、現在チケット売り場になってる生家の横は

人が住んでいたように記憶する。

現在は、完璧に修復され、公衆トイレもある立派な観光の場

となり、レオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとというより

昔の家を修復した新居みたいな新築覚まで思わせる。

新築された生家では、ビデオなどの解説がある他

展示室もあるが、残念ながら日本語はない。


DSCN0819


同じみどりストリートを通って帰る。

行きと帰りのパノラマが違うことに気がつくであろう。

行きは、モンタルバーノの山へ向かって

帰りは、ヴィンチ村へ向かうのである。

まさにオリーブに挟まれているように見えるヴィンチ村の景色は

このみどりストリートでしか見ることはできない。

行き30分、帰り30分程度の難易度★の簡単コース

是非是非絶対歩いてほしい!

のんびり歩くなら、パニーニ持参でね。


DSCN0826




2019年は、レオナルド・ダ・ヴィンチの死後500

レオナルドが歩いた各地で様々なイベントが催される。

私はなるべくヴィンチ村とその付近のイベントを紹介できたらと思う。



イタリアでは、道路を自転車で何キロも走りまくるスポーツが盛んで

Giro d'Italiaジーロ ディターリアというサイクリングレースが行われる。

511日にボローニャからスタートし

512日にボローニャからFucecchioフチェッキオ入り

そして、513日ヴィンチから出発しOrbetelloオルベテッロに入る。

この1213日の二日間は

まさしくもレオナルドの死後500年を祝うコースで

我が近所をグルグルレースするそうだ。

我が家のパノラマコースもレースコースだ!これはスゴイww

その記念すべき小さな村ヴィンチでは

Uomo Vitruvianoウォーモ ヴィトゥルヴィアーノ

(ウィトルウィウス人体モニュメント)の広場は

Giro d'Italiaのシンボルカラー

ピンクのライトで照らされるのだそうだw

Raiというイタリア国営放送もやってきて

それはそれは大騒ぎの二日間となる。

レース好きにはたまらない期間となるであろう。

どうりでここ数年、自転車のグループがスズメバチのように

ブーンとグループで走っていると思ったら、練習していたのであるw

最後21日目は、Veronaヴェローナがゴールだそう。

関連サイト≫≫≫ヴィンチの市役所La Gazzetta dello Sport
サイクルスポーツ.jp




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レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰 Pescaia del Mulino della Doccia

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 Casa Natale di Leonardo

オリーブのウイルス菌対処 Potatura degli Olivi ③


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DSCN0854

ヴィンチ村から約5kmの隣村Cerreto Guidiチェッレート グイディ

には、メディチ家の別荘Villa Mediceaヴィッラ メディーチェアがある。

メディチ族のコジモⅠ世が1555

狩猟で訪れる・・或いは

ピサやリヴォルノ方面の旅中のお休み処として

グイディ伯のお城を住居風に仕上げたそうだ。

しかし、このお屋敷で悲劇も起こる。1575715

コジモⅠ世の娘イザベッラは嫉妬深い夫の手により暗殺される。

1738年、メディチ族消滅後プライベートのお屋敷となり

1969年、国に返還され、ミュージアムとして一般公開開始。

2002Il Museo Storico della Caccia e del Territorio

イル ムゼーオ ストーリコ デッラ カッチャ エ デル テッリトーリオ

狩猟と領地の歴史博物館とされ

狩猟器具やアンティーク家具などのコレクションを展示する。

壁には、コジモ系列のメディチの肖像画も

お貴族の別荘らしく実物大以上に飾られている。

庭園は、1800年代の様式に仕上げてあるそうだ。

2013年にはユネスコに登録され重要度高いミュージアムだが

館内見学無料で、質素にチェッレートグイディの丘に佇んでいる。

そこから眺める景色は、キラキラ光る湿地帯

Padule di Fucecchioパドゥーレ ディ フチェッキオへ鳥が飛んでいく。

傾いた日が沈むルッカ方面のアプアーネ山が見渡せる。

山のシルエットはうっすらとして雄大な山とは裏腹な姿を醸し出す。

きっと当時は、屋敷を囲む一帯はもっともっと緑に囲まれた

狩猟の場にはもってこいであったのだろう。

遠くまでも動くものが見渡せる、それほど静寂で静止した景色は

今もなお見渡すことができる。


DSCN0836

現在もこの辺では、イノシシや野ウサギ、ノロジカなどの野生動物

そして、キジやウズラなどの野鳥が生息する。

狩猟家はこの地域では自分らの畑の中で構えていたりする。

昔は、家畜よりジビエで宴を持て成した。

今こそ注目されるジビエの肉は

肥やされていない彼らの生きるための脂肪の旨みでできている。

七月のイザベッラの命日頃に開催されるイノシシ料理祭では

コテコテのジビエ伝統料理の祭りである。

イノシシこそ、この辺では多く、被害さえも出る。

狩猟たちは宴と糧のために、期間限定の狩猟に出かける。

事故にあった野生動物たちも食卓に並ぶこともある。

ブドウの収穫では、ジビエで収穫を祝うのが伝統だ。

私もそのジビエは、このヴィンチの丘で暮らすようになってから

美味さがわかるようになった。

狩猟とは野蛮なことのようで、実は家畜よりナチュラルだと私は思う。

家畜がなければ私たちは日々ジビエを追っていなくてはいけない。

もう少し住居から離れてやってくれるといいが

意外と近くでバンバン狩猟期には脅かされる。


DSCN0835

DSCN0833

プロの服飾パタンナーのシスターズがコジモのマントをじっと見ている。

なんだか研究している様子だ。私もじっと見てみよう。

彼女は、コジモのマントのパターンを頭の中で描いていたようだ。

確かに、袖の辺りがフワッとしていてかわいらしいパターンだ。

いつか私も真似して作ってみようと思った。

当時の王室や貴族の服飾は

どうしてあんなにも複雑にできているのであろう。

首元にヨレヨレ、ヒラヒラがくっついていたり

男性がスカートみたいなキュロットをはいていたり。

ギャザーがいたるところにあり

布をふんだんに使っていた様子が伺える。

生地の柄も素敵だし、とにかくやっぱり全てにおいてゴージャス。

ボタン一つにしても。

私は、特に中世の靴が好きだ。どれも柔らかそうで履きやすそう。

シスターズがマントの次に、マントの毛皮の動物のことも言い出した。

あの毛皮はいったいどんな動物だろうね。


DSCN0830

入り口の扉から、傾いた日差しが入ってきた。

正面は南西向きのようだ。

その光にそそられ外に出た。

あ、もう帰らなくてはならない。

私たちは、約4kmの道を歩いてきたのだ。

日が沈まない内に帰らないと、道が真っ暗となり歩行者は危ない。

私たちはヴィンチ方面へ向かった。

途中、素晴らしい夕焼け空で

丘の上のコジモの館がシルエットになっていた。

私たちはまるで野生の動物のように暗がりになってきた道を急ぐ。


DSCN0846

シスターズはマントの毛皮が気になっていたようだ。

あの毛皮のマントは、当時の流行だったようで

位置付け的にもあの柄のマントが使われていたようだ。

あの毛皮は、イタチを使っていたようで

黒い点々は、尻尾の先の部分らしい。

ということは、いったい一着のマントを作るのに

何匹のイタチがつかわれたか。

メディチ族は、労力も動物も全て我が物だったようである。




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ヴィンチの七月 Eventa Vinci

暗闇のトラクターショー Trattored'epoca

みどりストリート StradaVerde da Vinci


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