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最近SNSで「毒親」という言葉をみかけることがある。

自分が現在親だけにはっとさせられる言葉である。

wikipedia参考より“ 毒になる親の略。

子どもに悪影響を及ぼす親、子どもが厄介と感じる親。

親の「自己愛」問題が主な共通点

過干渉、ネグレクト、ケダモノ、病んでいるの4タイプ ”


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虐待系のケダモノと精神的に病んでいる以外

過干渉と無関心は普通の親からも

知らない内に顕となってしまっているのではないだろうか。

社会的なことも関係してくるだろうし

身の回りの生活なことも大いに関係してくるであろう。

過か無でケダモノ化し病んでいくような気がする。


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私も過度になりすぎず放ってはおかないよう気をつけているが・・・

子どもの成長と親の対応は個々に異なり答えがない。

だからどの時代も双方悩むのだと思う。

私の母は、無関心そうに見えた。

母からのアドバイスは何一つ覚えていない。

怒られて家を裸足で飛び出した記憶があるけれど

でも母の怒っている声や顔をを覚えていない。

しかし、父がいなくて叔父さんたちが私を怒ることがすごく嫌だった。

母にしがみついて大泣きしたことはよく覚えている。

祖母もよく怒鳴っていた。

怒られるということは、素直に言うことを聞かなかったのであろう。

からかっているような態度を見せたはずである。

私も今、少年のバカにするような態度には腹が立ち

ぎゃんぎゃん怒る。

人が怒るときって、自分の理想の世界を崩されたときなんだと思う。

人がいなければ怒ることもしない。

ただ自分が理想の世界にいられないとイライラしてあたることも

怒る原因であると私は思う。

だから、なるべく幸せなゆっくりした時間を過ごすと

からかうこともないだろうし、怒ることもないのではないかと

また理想の世界を描く。


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少年の生活態度とこれからの進路に向かって

話さなくてはいけないことがいっぱいある。

しかし、日常の些細な問題と躾、少年も私も活動に励んでいると

時間の狭さに追いつかない。

削って埋めて削って埋めて。

そして、助言や知恵を与えるより

自らの発見の場を与えたいとまた理想を描くと

さらに時間のなさに絶望する。

やはり我に返って日々の生活を豊かにしようと

田舎暮らしでできることを提案すると

「お母さんのスタイルは'80年代。もうそんなこと誰もやってない。」

などというのであるw

服の嗜好もプレゼントの嗜好も、「お母さん古すぎ」。なぬっ。


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時代が急速に変わっていることは

地球温暖化のスピードと同じくらい感じる。

自分が見てきた世間体を

次世代に教えるのはまた違うかもしれない。

かといって私たちがもつ人生経験というのは

個々にあって貴重なもので、でもそれは教えるのではなく

表現することであると私は思う。これを無関心側に設定すると

無関心と捉えてしまった考え方も実は幼いかもしれない。


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先日、職業をテーマにした授業を中学二年生の

日本語補習授業校の子たちが勉強していた。

私は、農業についてインタビューをされたのだが

子どもたちが用意した質問事項がおもしろかった。

職業の説明、一日の仕事の流れ

この職業で困難なことは何か、反対に楽しいことは何か

そして、子どもたちにこの職業は薦めるか、という質問である。

私は、転職していること、大人になってから学んだこと

体力的に辛いけど好きだからできること

もっと将来は多方面に展開させたいこと、などを説明した。

あの勉強もこの勉強も、あのアルバイトもあの仕事も

たくさん歩いた国々も旅行も

どれも人生の中で役に立っていると私は思っている。

あえて細かくいえば、英語をもっと活用させた生活を

しておくべきだった・・とそこだけが一番後悔している

そんなことも未来を想像する小人ことなたちに伝えた。


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子どもの人生は子どもが歩んでいくものだし

失敗しながら学んでいくことも必要だと

そんなこと私たちはわかっている。

しかし、失敗の中でもこれは失敗しちゃいけないことを

人生経験のある大人から学んでいかなくてはいけない。

そこで私たちの教えが毒と感じるのか、毒となるのか

それはもう家族の幸せ度から

生まれてくるのではないかと思ったりもする。

やはり生活の質が根本にあるような気がする。

ぎゃんぎゃん少年に怒った後は

いつでもフォローするよお母さん、の姿に切り替える。

私も母にしか相談できないことがいっぱいあった。

今でも相談したいことがいっぱいある。

しかし今はもう、感情の記憶を掘り出して

現実と向き合わなければならない。

親子で話し合える環境をつくるのが一番なんじゃないかと

やはり原点に戻る。


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ヴィンチの丘が黃葉で輝いている。

色が抜け黄ばんだ葉は

最後の微塵なエネルギーを振り絞っているように見える。

風が吹いているのであろう、カタカタカタと首を振るように動く。

今にもポキンと折れそうに動く。

それも彼らの本能のように動く。

そして大地に舞い落ちていく。

ただただ本能で動ければいいけれど

コミュニケーションをとって動いていく。

それはタイミングもあって、そしてフォローし合って

今というチャンスに向かって動いていく。



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