「4枚あるよ!いいことあるんでしょっ??!」
「お~~スゴイ!いいことあるよ!」
「お母さんの手術が上手くいきますように。」
「そうだねー。ありがとう。」
私は白い箱の部屋で、白い天井と白い壁を見つめながら、白いシーツに包まれてゴロゴロ過ごした五月。
ちょうどその頃、季節は初夏へと入ったようだ。訪問者の服装でわかる。
白い箱の部屋では、テレビやITによる世の中の情報を断捨離し、精神統一に努めた。
後半、気力が戻ってきた頃、読書がゴロゴロ時間を助けた。
手術の要因は、八年前の卵管にできた大きな塊=腫瘍の除去手術の時、管の癒着が確実ではなかったことが原因だろうといわれ、そこから炎症という名で、新たなる腫瘍が管から外に飛び出し、私の体を探索していたようだ。
開腹することによって、探索の度合いが明確になった。探索するアメーバは、私の臓器に掴みながら進んでいた。
その探索中のアメーバを取り除くのに、時間を要し出血も伴ったそうだ。
医師たちは「痛みはなかったのか?」と驚いていた。
八年前のような緊急ではなく、今回は希望手術で予約して行われた。
手術は堅実に行われたようで、医師の様子から伺える。
白い箱の部屋で、ゴロゴロしながら思い出す。
少年がまだ二歳にもならない頃、急にママがいなくなり慌てたチビ。
翌日昼寝をしに、白い箱の部屋の白いシーツの細いベットで、母子二人で寝たっけ。
様子がわかったチビは、安心したようだ。
それから・・・
「マンマ、マンマ(ママ、ママ)」とパタパタ、向うからチビの声と足音が聞こえてくる。私を見るや否や抱きつき、安心すると、「ボッコッティ(ビスコッティ)」と、私の残りの朝食のビスケットを探し食べるチビ。
そして今、十歳の少年は、クールに対応する。
それでも私がベットから立ち上がって、彼らの訪問を迎えると、私に抱きつき少年の目から涙がこぼれた。
これを≪うれし泣き≫っていうんだよ、少年。
初めて体験したのではないかと思う。
私はその時堪え、彼らを見送った後、涙が溢れ出た。
もうあの頃には戻らない。
私は同じシーンを体験しているのに、マンマ・マンマ・・とパタパタ歩くチビは、あの扉からは絶対に現れない。
日々の生活だとそう気付かないことだが、その同じシーンに、二人の人物を見ているようでフシギだった。
五月の二週目の日曜日、イタリアでも母の日という日がある。
少年は冊子になった手紙を私にくれた。
「今までたくさんのことを教えてくれてありがとう。
ボクのことを守ってくれてありがとう。」・・・と。
私は、ついに白い箱の部屋を去った。
Vinciの空は眩しく、すっかり季節は変わっていた。
甘酸っぱいオリーブの花の香りがする。
花びらが地面にたくさん落ちている。
ちょうど結実の頃のようだ。
たくさん実ることを祈る。
そして私たちも、気持ちの実、思い出の実、健康の実がもっともっと実ることを祈った。
その夜、新月だった。
真っ暗な空には、星たちが各々に輝く。
真っ暗な大地では、夜空を反射しているかのように、ホタルたちが各々に輝いていた。
「まだホタルいたんだね。」
「ボク、一人でも見てたよ。」
少年の見つけた四つ葉のクローバーQuadrifoglioクワドリフォリオは、私たちに≪いいこと≫を教えてくれた。
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最後までご拝読して頂きありがとうございました。
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