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新聞に、ある16歳のティーンエイジャーの投稿があった
と、ママグループのチャットに飛び込んできた。
«親愛なるスクールよ、ボクにキミの何が足りないって»
と、いうタイトルであるw
これは、スクールという名のキミへ送ったラブレターであった。
特に中学卒業の頃を今と置き換えて書いているようだ。

「スクール、元気かい?」から始まる!
そんな問いはみんな忘れちゃってるかもしれない。
まるでボクらが平常の生活を引き離したかのように
スクールとも引き離れちゃった。
前よりももっともっとスクールが恋しい。
気付くの遅いかな。そんなことないよね。
次、会えるのはいつだろう?4月中?5月?9月?
知ってる?親愛なるスクールは、ボクたちを発狂させてるんだ。
それはね、エドゥケイション ディスタンスって呼ばれるやつだよ。
教師がモニターの中にいてね、声は一人。
仲間が喋って、そしてボクが喋る。一人ずつなんだ。
オンラインの間、ボクらはずっと聞いている。
Giga数が捲られるようにボクの頭の中も知らずに捲られていく。
黒板は無くなっちゃって、隣の席の子もいないんだ。
どれもこれもボクの周りにはいない。
集中しようとモニターを見ながら、Webcamに向かって微笑む。
習得は基礎知識の集計で
予習と復習が繰り返されているだけだ
と、みんな口を揃えて簡単に言うけれど
どうすればいいの?もしわからなかったら?
手を上げることはできないの?
先生や仲間の視線はどこ?
チャイムは鳴らないの?
ボクがヒイキしてる事務員はどこ?
ボクの反応はどう表現したらいいの?
親愛なるスクールよ、以前はさ、建物に向かって
時間が長いとか文句ばっかり言ってたけど
今になったら、それが夢になっちゃった。
価値がわかったよ!
それをシニョールコロナ氏は教えたかったのかな?
OK、それでもいいさ。でももう懲り懲り。
学年プログラムの成績をつけなきゃだから
仕方ないのはわかってるよ。
でも、プログラムってなくなったんじゃないの?
授業時間数が重要だったんじゃなかったっけ?
いくつも疑問が出てくるよ。
ボクの落胆や不安をこばもうとする人もいるだろうよね。
成績は必要だけど
親愛なるスクールよ、もっとキミが必要なんだ!
みんなが集る場で、ニキビだらけのボクらの感情が交錯する場で
みんなそれぞれに小さなところでいっぱい発見をしてるんだ。
キミは、成長するボクらの脳ミソの運動場なんだ。
困難に向き合ったり、恋をしたり、夢をもったり、膨らんだり。
キミは、閉鎖された建物じゃなく、そう、チャンスを盗んだ海のようだ。
ボクら、それともキミ、スクールが
この状況に馴染まなければいけないの?
幸いボクの言うことをわかってくれる人が出てきたよ
この食い止められず引き続いている最悪な出来事に
戸惑うティーンエイジャーや少年少女たちが賛同してきた。
ボクらは、仲間や親戚を亡くしてしまった。
ボクらは、今ちっとも幸せなんかじゃない。
なんだかぜんぶおんなじにみえる。
でもボクらは、ヴァカンス休暇じゃない。それだったらよかった。
親愛なるスクールよ、寂しい、寂し過ぎる!
最後の別れもしてないじゃないか。
今年は涙は一滴もない、最後のチャイムの音で卒業できない
ボクは架空の3Dに陥ったよ。
ボクの中で空虚が残り、最後のチャイムで自由の叫びができず
好きだった先生に抱きつけず、仲間と抱き合えず
さようならを言えず、辛かった学校期間の後の夏のワクワク感
そうボクらは想いを目に浮かばせていた。
それなのになんだよこの様は・・・。
親愛なるスクールよ、ボクらを忘れないでね
ずっとボクらの中にいてね。

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我が少年が語っていることを想いながら訳していると
このように聞こえてきて、私が代わりに涙を目に浮かべた。
表現してみるとこういうことだよね。
上手だと思う。正直だと思う。
この日、自粛・自宅待機・検疫・隔離の意をもつ
Quarantenaウアランテーナ、40日間が過ぎた。
今まで起こった感染病で
人類が学んできた隔離の期間が40日ということから
そうQuarantenaとイタリアでは呼んでいる。
この日を過ぎた頃から、イタリアは感染率もかなり低いし
国も人々もフェーズ2の話で持ちきりだ。
最初は、命が最優先であった。
今度は、経済が優先だ。
そして最後が学校なのである・・。

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我が少年は、このレターの子のような正直な気持ちを
ストレートに表現できないが
素っ気ないオンライン授業に気づき、みんなに会いたい、という。
私には授業風景を見られたくないようで
自分の部屋に行っちゃうが、はじめの頃居間でやっていたとき
声は聞ける、みんなも見れる、よかったね、とは思ったけど
先生は、誰がいるか常にチェックし
少年はボーっとしてたり、答えのページを探してたり
暗闇の中をもがきながら、声を頼りに授業をしているようで
私もすぐに寂しいなと気づいたものだった。
そして、このレターのティーンエイジャーがいうように
質問は、親だったり個人的に友だちだったりするのである。
それは時間が限られているからである。
授業中に解決することはなかったりする。
いつでもできる子はいいけれど
わからない子はわからないままなのである。
人生の内の40日間ではないか、数ヶ月ではないか
それでも、成長にスピードのある彼らには
置き換えることのできない貴重なかけがえのない時間なのである。
大人は、あまり感じないことだけど、彼らの世界は
あの三密のスクールが絶好の思春&青春の場なのである。
そして、少年に
「コロナが終息したら、一番に何がしたい?」
「サッカーしに行きたい。」
集まる場、触れ合う場、体を動かして表現する場は
彼らにとって必要不可欠で
こういう生身の場で成長し、社会にでていくんだよなぁ
と、ロックダウンボーイズを眺めながらいち大人は考えるのであった。

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地理の授業でアイルランドを勉強しているそうだ。
どうせヒマだろうからとアイルランドの郷土菓子でもつくってみなさい
という課題が出た。もちろん親がいることが前提の課題だ。
アイルランドの首都ダブリン在住のシスターズに聞くことにした。
いろいろお菓子やレシピを聞いて、キャロットケーキに決定した。
そういえば、アイルランドはじゃがいもと人参と鶏肉ばかり
食べていると言っていた。その内のニンジンだ。
たくさんあるレシピを拾い上げると
トスカーナのスキアッチャータフィオレンティーナという
カーニバル期の旬のオレンジを使った
スポンジケーキのレシピにとても似ていて
オレンジの部分をニンジンに置き換えればできそうであった。
これだったらいつも作っているケーキだから失敗が少ないだろう。
私は怒りを抑えながら、少年に全部やらせて
キャロットケーキを作った。ふぅーーーっ。ビシッバシッ。
これっ、これなんだ!親が教えるのと学校で習うことの違いはっ!
お互いの性格にもよるのだろうが
表現の仕方が親子と仲間や先生とは違うのだ。
だから日本語学校に通わせている訳で。

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アイリッシュ風のキャロットケーキは
スポンジケーキの中にさらに干しぶどうを入れること
焼き上がったケーキの上に、サワークリーム、私たちは
レモンとキビ砂糖を入れたリコッタチーズをクリーム状にして
トッピングに細かくしたピスタチオやナッツを散りばめた。
まるで甘い生活を望むかのように、甘く仕上がって
私には甘過ぎたけど
甘いもの好き少年は喜んでペロリとたいらげた。

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ヴィンチの丘は、旱魃となり始めた大地に
恵みのように雨が降った。
そう、ブドウの成長がいつもより遅いなと思った頃だった。


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