南房総市の園芸の住み込みアルバイトには寮があった。
作業場と同じ敷地内にある個室プレハブは男子
最近リフォームしたという少し離れた古民家シェアハウスは
女子寮ということで、私はこちらの仲間入りとなった。
食器も布団もタオルも用意してくださり
私は、作業服と長靴と雨合羽を用意すればいいぐらいであった。
カバン一つで行けるのは、大変便利である。
寮があると、住まいのいろんな手続きも省けるし
生活用品が揃っていれば、余分なお金もかからない。
そんなこともここを選んだ一つの理由であった。
自由に働き歩ける、土地を知る、産物に触れ合う
長期では続けにくいことでも
双方にメリットがあるのではないかと思った。
イタリアにも寮付き農業があると季節労働の
移民も私も少数の若者も働きやすくなるのにな。
そこには仲間との出会いがあった。
どこにいても、私次第かもしれないが、相手次第ということもある。
出会う仲間がウエルカムだと、滞在はやたらと楽しくなる。
私は、絶対に彼らのおかげで、楽しく過ごせたと思っている。
一人でも十分サバイバルに旅気分はできるのだが
笑えることは一人ではできない。
人との触れ合いがあるからこそ
時が満ちていくのではないかと思う。
私が配属したチームはみんな若かった。
若者たちから仕事を習うのも悪くない。
それは年上を謙遜する社会だからか。
心の中は何を思っているかわからないが
シンプルなテクニックをシンプルな理由をつけて教えてくれる。
きっとこれが私みたいのだったら、ウンチク付きかもしれないw
シェアハウスの女子はみんな同じチームの子たちだった。
私と同じ短期の子もいた。
早寝早起きの若者もいたし、料理好きもいた。
仕事が終わって、夜な夜なおしゃべりをし続けることもあったし
若者たちはゲームで盛り上がっていることもあった。
同じ短期の子は、高校卒業したてであった。
「えっ、お母さんいくつ?!」
私と歳が同じであった・・。
娘でもおかしくない子と一緒に仕事をしているのか。
娘のような彼女は、これから国家試験を要する職を学びたいから
違う仕事ができるのは今しかないと
夏休みや春休みの長期の休みになると
寮付きアルバイトに出掛けるのだそうだ。
素晴らしい。
しっかりしている。
彼女の食事は、レトルトを使うことなく
見て覚えたというお母さんの手料理を真似して作っていた。
私が18歳の頃なんて・・・
恥ずかしくなった。
お花屋さんでフラワーアレンジメントをしていたフロリストの彼女は
お花が育つ生産も体験しておきたいと
何から何まで黙々と一生懸命だ。
若いのに人生のスケジュールがあって素晴らしい。
お酒が飲めないのに晩酌をしている私に付き合ってくれった彼女は
東京で四六時中働き、人間味が薄れかけた頃
空が見えるところで働きたいと節目をつくって転職したそうだ。
これをきっかけに、やりたいことが溢れ出てきたみたい。
今までの生活を変えることはなかなか決心つかない。えらいぞ。
彼女も次なるステップへ走行中。
時にシェアハウスに遊びに来る大人のような二十歳の女子だって
夢をもっていた。
話を聞いているだけで、応援したくなる。
気が付くと周りはみな平成生まれの子たちであった。
「私、平成元年です~」
なぬっ、私だけか昭和時代から歩んできた者は。
初めて直撃した話題である。
まず元号で歳の話はしたことがない。
つまり私は昭和の人としか話すことがなかったことになる。
そしてイタリアに移住してからというもの物事は西暦で流れていた。
私には新鮮だった。
急に平成と昭和の違いを考えてしまった。
そういえば、私の息子も平成生まれだ。
しかし、西暦でしか言ったことも見たこともなかったので
息子が平成何年生まれか知らなかったのであるww
来日していることもあって私には選挙の投票権があった。
しかし、日本の政治情報や関心はイタリアにいるとなかなかない。
まず現在の日本の世論の動向がよくわかっていない。
私は平成の若者たちと日本の政治や社会について話したかった。
何時間でも話している討論好きイタリア国民と暮らしていると
そんな話題は当たり前だと思っていた。
しかし平成の若者たちは
政治の話や投票に関して話したがらなかった。
むしろ驚かれてしまったぐらいだ。
「投票の話はタブーです。」
時に向こうの寮の男子も遊びに来た。
チームが同じだから日中パーティ企画の話で盛り上がる。
同じような格好をした兄弟のような彼らは
ベトナムからの交換留学生であった。
労働しながら日本語を学ぶ組織から派遣されてきたようである。
片言も日本語が話せない状態で、日本に来たそうだ。
日本語でコミュニケーションができないだけで
仕事はできる。スピーディでパーフェクト。
体の中で一つできない操作があると
同じ体のできることが発揮する仕組みになっていると私は信じているが
まさしくもそれで、彼らの感はコミュニケーション以上だったように思う。
さらに、彼らの国は、早くから親を手伝ったり働いたりするようで
それもてつだって機敏さと機転の利き方が
イタリアにも日本にもなく、新鮮で彼らが輝いて見えた。
娘のような仲間たちに、現地の住人から頂いた畑のトマトで
トマトソースのパスタをつくってあげたことがある。
トマトからソースをつくったことがない!と喜んで食べていた娘たち。
田舎の特権、近所の牛屋さんで生牛乳をゲットし
リコッタチーズ(生チーズ)をつくって
私が持っていった自慢のオリーブオイルでつまんだ。
きゃ~東京のレストランみたい!と喜んだ。
そんなチームの若者たちと餃子パーティをしたり
ベトナム兄弟(と呼んだ)が奮ったベトナム料理をご馳走になったり
トランプしたり、ゲームしたり、イラスト描いたり。
まるで時代がスリップしたかのように楽しかった。
あの若かれし頃の無意味っぽい時間の過ごし方。
いいじゃないか、ほんの少しだったら
無意味な時間っぽくったって。
その無意味な時間の中で笑えばいい。
そんな風に私は彼らと平成の若者風にすましていた。
別れ際、彼らは私にずっと手を振りながら見送ってくれた。
いつも私が手を振って見送る側だったのに
今回は私が去るのか。
出会いと別れのある職場できっと学ぶことはいっぱいあるであろう。
彼らの未来に心から乾杯だ。
人生の楽しい一瞬をありがとう。
ワタシの似顔絵笑ってる!
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