Fiabaフィアーバ : ファンタジーの世界でヒーローと敵が存在し
困難に立ち向かい、最後には幸福を得る。
グリム童話が代表的
Favolaファーヴォラ : 背景を描き、擬人化した動物などが愉快に語る
魔法を使わず諷刺的に道徳的に表現。古代から存在する。
イソップ寓話が代表的
フィアーバとファーヴォラの違いを明確にし
フィアーバとされる本を読み(DVDでも可w)
本の内容をまとめ感想を添える
中一少年の冬休みの宿題の一つであった。
少年は、グリム童話の白雪姫を選択し
読み聞かせCDのついている絵本を
久々に引っ張り出して聞いていた。
そして、ごちゃごちゃと紙に書いていた。
「じゃぁ、不思議の国のアリスはどっちなの?」
「あれは、フィアーバでもファーヴォラでもなく小説なんだって。」
児童文学、幻想小説。
Romanzoロマンゾ(小説)か・・・
このクリスマス、≪不思議の国のアリス≫の本をプレゼントした。
私も高校時代にインスピレーションを受けた本だ。
「内容忘れちゃったから、本読んだら教えてね」
ゆっくり過ぎるほどの読書だが、一章ずつ教えてくれる。
時々挿絵があるから想像しやすいようだしおもしろいと言う。
世界で爆発的に話題になった本は、図書館で借りるより保持したい。
そして世の中の思想に影響を与えた本は尚更代々読むべきだと思う。
なかなか読書好きになれない子には、おもしろい選択かもしれない。
「不思議の国のアリスて、シュルレアリスムだよね。」
シュルレアリスムとは超現実主義といわれる芸術運動だそうだ。
超現実、非現実、無意識、偶然性、幻想、夢遊、神話、疎外・・
私と少年はPisaのPalazzoBLUで開催されていた
“ da MAGRITTE a DUCHAMP “
dal Centre POMPIDOU
il Grande Surrealismo1929展に出向いた。
(往復の電車のチケットを見せるだけで大人ちょっと割引。11歳は子供料金。合計16ユーロ)
どちらにしろ現実に暮らす人間が描写したことで
どの絵からもスピリトのような感覚が伝わってきた。
ゾクゾクするほどに。マジマジと見るほどに。
現実を超えた新しい真実
超現実を無私無欲に表現
夢の全能、理性の無規制
イヴタンギー、アンドレブルトン、デュシャン、エルンスト、デキリコ
マグリット、マンレイ、ピカソ、ダリ、ミロ、クレー、アレクサンダーカルダー
などなど、このコレクションを一通り見れば
少年でもなんとなく理解し始めるシュルレアリスム。
しかし、衝撃的だったと思う。
いろんな見方や考え方で表現していること
発想が重なり合っていること
日常の中でもさまざまにありえること
体を使って表現すること、ひとコマに表現を収めること
ボクの体がシュルレアリスム体だったら・・・
顔がおしりにあって、足が腕にあって、ほっぺはおしりで
鼻が☆☆ポコにあって、口はおへそにあるwww
そんな自由な発想や見方のフィロゾフィーは
実は11歳の少年に教えやすかったように思う。
シュルレアリスムをもう一つ言い換えれば
≪遊び心≫ともいえるのではないだろうか。
マンネリ化した生活の中で、便利という刺激に頼るだけでなく
遊び心があれば、ただ見るだけ考えるだけだって
もっともっと楽しく生きられるのではないかと思う。
展覧会後、ピサの斜塔がある広場まで散歩した。
途中、空気の冷たい青い空の下で
前日から楽しみにしていたパニーニを頬張った。
ハトが容赦なく寄って来る。
人間の食べかすを糧にしている都会のハトたちは
私たちが食べ終わるまで待っていられない。
今にも食べてる傍から突かれそうな恐怖は
少年とある夏に野外シネマで見たヒッチコックの「鳥」を思い出す。
少年もあの映画以来、ちょっとしたトラウマを覚えたようだ。
頭の中はシュルレアリスム。もう描き始めていた。
「ハトってオレンジ色の目をしているね。」
ピサの斜塔には、少年の8歳の誕生日お父さんと上ったから
今日は、Camposantoカンポサント(納骨堂ww)というお墓へ。
(11歳は無料!大人一箇所のみ入館は5ユーロでした。)
どうして引きつけられるように入館したか。
広場からちらっと見えるカンポサントの花形アーチと
どうやらアーケードに囲まれた中の吹き抜ける光が見えたからである。
あらー、なんと素敵なお墓ww
ちょうど日の溜まった花形アーチを映し出したシルエットのスクリーンは
回廊のフレスコ画の壁で、なんともいえない趣のあるお墓だった。
私たちの思考はまだ新鮮なシュルレアリスム。
影を見て、マンレイの影遊び風に、墓へフィオーレ(花)を送った。
夏も冬も涼しげな南側のフレスコ画は壁で日が溜まることはない
こちらの≪死の凱旋≫は、影遊びなく見れるであろう。
回廊を静かに歩き、中庭を覗く。
まるで僧侶の服装でも纏って歩いているかのようであった。
中庭を向こう側から眺めると
奥行きの深い3Dのまま吸い込まれそうになる。
シュルレアリスム余韻たっぷりの私の頭は
向こう側に私が小さく立っているようにも思えた。
そして、真ん中にも。
帰り道、駅近くの広場に、ミカンの木が広場に沿って植えてあった。
もしや、あのフレスコ画≪死の凱旋≫の舞台のオレンジ畑からか?
一つ頂戴と眺めてみると、おもしろい
下の方はどの木ももぎ取られている。
これは正しくも欲の現実。
上の方だけ、旬のミカンが鈴なりだ。
仕方ない、持ってきたミカンを食べようww
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『レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 CasaNatale di Leonardo』
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