大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

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家人が腕に傷をつくった。

薪をこしらえていた。

駐車場の方から声がする。
私は、冗談かと思って
とりあえず、はいはい、と
サンダルを履いて外に出た。

傷口をおさえながら
「救急車を呼べ!」という。
私もポタポタ落ちてる血を見ながら
動揺して、まず何をするべきか
あたふたしながらにも考えた。
いや、あたふた考えながら
動いていたとおもう。

まずは清潔そうな薄い布だ!
タオルじゃない
手拭いとかガーゼなみの薄い布だ。
前に、野菜を洗った時にふく用の布を
用意していたのを思い出した。
長さ的にちょうどいいのはアレしかない。

そのいらない布で繕ったいわゆる布巾で
傷口をおさえ、心臓に近い腕の当りを
ぎゅっと縛った。

そして、118番をよんだ。
(イタリアの救急車を呼ぶ番号)
意外とすぐに繋がらなかった。
スマフォも暗証コードを外してからの
操作だった。

3回ぐらい試してから
ようやく繋がった。
しかし、こっちは慌てているが
向こうは落ち着いている。
あえてなのか。

住所を告げ、道端で待機していることを告げた。
対応してくれた女性は
SMSで応急措置のメッセージを
送るから、それに従えという。
え、え、え。

通話中にメッセージが送られてくるが
通話中にスマフォのメッセージを読んで
応急措置をしている時間と余裕と気分はない。

あたふたしている様子がわかったのであろう。
電話の女性は、説明しはじめた。

「どの辺を怪我しましたか」
腕でも、手の方。
「手はくっついていますか?」
へ? くっついてるよー!
「意識はありますか?」
あるある、でも、めちゃ絶望してる!
「腕を心臓から遠い位地に上げて
横にしてあげてください」

女性がアドバイスするたびに
私は声を張り上げて
そこにいる人たちにも聞こえるように繰り返した。

通りがかりの隣人も一緒にあたふたして
気持ち的に助けてくれたし
たまたまシャワーを浴びていた
我が思春期青少年も
あたふた父のために
椅子を持ってきてくれたりと
半べその母に寄り添ってくれた。

118番とそんなやりとりをしている間に
隣町の救急車が来た。
5分ぐらいだったのではないだろうか。
山奥に暮らさない理由は
バス停もそうだけど
こんな理由もあったからだ。

救急隊員の女性が応急処置をしている間
怪我した本人は
翌日の仕事のキャンセルの連絡をしとけ
と言った。

みんなが
そんなこともうちょっと後で考えよ
という顔をしあって私をみた。

後から別の車で現れたお医者さんが
様態を診て、いろいろ書きながら
最寄りの救急病院の空きを確認している。

救急のお医者さんもやたら落ち着いて、本人を慰めていた。
怪我しちまったことはもう仕方がない
少しだけ生活が変わるだけだ
と、言いながら書き終えた後、私をみた。

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あれから、一ヶ月以上時は過ぎ...
やっとリハビリがはじまった。

お医者さんが言ってた生活が変わる
という言葉が
何度も私の中でぐるぐるした。

怪我の本人は
もらったりひろったりして集めていた
丸太を、自分で長さを
調節したり割ったりして
今年の、ガスも薪も暖房の高騰に
節約をしようとしていた。

薪支度がどちらかというと
彼の趣味だった。
木を切って火を起こす
暖にすることも食にすることも
彼なりのこだわりまで生まれたほどだ。

でもここ最近仕事で忙しく
なかなか薪支度ができず
ゆっくり日曜日はゴロゴロということもなかった。
田舎生活のゴロゴロ日は
雨の日ぐらいだ。
雨の日は自由が奪われた感じで
逆にイライラする。

そんな雨の日のような生活が
怪我してからはじまったのだった。

お医者さんが言ってたように
生活が変わるをわりきればいいんじゃない?
生活を変えればいいんだ。

そう気がつくのは本人ではなく私だから
そう簡単にいろんなことが開き直れない。

私は、家族のサポーターは
ポジティブでいようとおもった。

薪がないのなら、GPLガスだけど
全室完備の床暖房をつけよう。
数日は暖炉も点けられるけど
掃除が大変だ
これから一人で動かなくてはいけない私には
これ以上やることを増やしてはいけない。
こういう時にお金を使って楽を買うのだ。
そう決めると、床暖房の快適感が異常に増した。
あったかーい!最高!

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私は、家族のドライバー化した。
普段は、息子の様々なことの送り迎えを
私がご飯作っている間に夫が行くというのが常だった。

ポンコツ車だけど
私が運転できる車があってよかった
と、そんなことだけでも嬉しくおもう。

鬱気味の家人を外に連れて行こう。
二人で水汲みに行く。
片っぽの手が使えることはなんでもやってもらいましょ。
水汲みも普段は夫ひとりの仕事だった。
たまには夫婦でいいじゃない。

それにしても、ドライバーしたり買い物に行ったりと
外出することが増え、家のこともほぼ全部私がやって
仕事に行って、畑仕事して
今まで役割を分け合っていたことが
どんなに助かっていたか...
二人三脚ってこういうことかな
と見つめ直した。

私の二回に渡った卵巣嚢腫の手術で
入院してる時や療養してる時
家人たちへの負担は大きかっただろうな
と振り返ってみたり思い出してみたり。

事故は起こしちゃいけないことだけれども
人生の中の運命のメッセージだ
と言い聞かせてみたり。

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私は、オリーブの剪定をはじめた。
今年は、管理している畑をひとつ
やめることにした。
私の生活が変わってきたこともあるし
そういうわけで、夫が枝の片づけをしてくれていた。

このタイミングで
オリーブの森とよんでいた畑とはさよならだ。

森のような畑は、大きなオリーブの木がひしめきあっていて
地面に近い方は日当たりが悪い。

良い草が生えやすいから、木の栄養や
草によっては病気の予防にもなる。

しかし、日が当たらないので
下の方に枝が生えてこない
上の方にばかり実のなる枝がなりやすい。
しかも、私の前に剪定していた方が
上ばかり残していたので、上の方の剪定がやたら多かった。

などなど、私もはしごを使って
はしごからチェンソーをつかうこともしばしあった。
枝に足をかけたり、均等を保つのが難しい。

チェンソーは、小枝だったら簡単だけど
小枝にチェンソーを使うことはあまりない。
ノコギリでゴキゴキやりたくないから
チェンソーを使う。

太い枝は下の部分に切れ目をつけてから上から切る。
チェンソーが切れ目に挟まれてしまうこともあるし
切り終えてからチェンソーや枝や体を
安全に維持する力も必要だ。

チェンソーは
農業士養成講座では習わなかった。
夫から学んだ。
夫は、庭師や植木師、材木関係者から学んだ。

マキタの電動チェンソーを使っているが
その説明書にも、作業は胴から顔の位置ぐらいまでとある。
その他いろいろ安全な方法が書いてあるが
チェンソーについてで
木の切り方、テクニックは書いていない。

長い枝は、短くしてから剪定したい部分を切る
などと書いていない。

あるとき、10㎝ぐらいの太さで1m以上の長さの枝を
剪定したかった。

本当だったら、枝を少しずつ切っていって軽くしてから
切りたい部分を切るのが正解であろう。
しかし、短くするにははしごを寄せなければいけなかった。
でもはしごをかけるちょうどいい枝がない。
そんなシチュエーションなんていくらでもある。

無理して、根元から切ってしまったら...
切れたけど危なかった。

重い枝は、私の足に落ちてきたのだ。
チェンソーを持っている
はしごの上で逃げ場がない。
重い枝が落ちたのを確認して
止まったチェンソーもわざと落として
手を自由にして
ゆっくりはしごから降りた。

靴は、安全靴ではなかったが
先が固めのトレッキングシューズだった。
その固さが守ってくれて
そのときは物凄く痛かったけど
異常なく済んだのだった。

今年も、別の畑の剪定で
チェンソーは使っている。
家人は、今はトラウマみたいで
私に使うなと言うが
やっぱりチェンソーで切った方が
速くて疲れないのである。

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家人2の思春期青少年は
家族あたふた中、誕生日だった。
16歳になった。

学校でもスポーツでもプライベートでも
いろいろあって毎日毎日忙しそうだ。
ひきこもりたいけどひきこもれない。
私はそのドライバーなのである。

現在スクーターの免許の勉強中。
車の免許は自分で取ってくれ。
ヴィンチの墓地の駐車場で母と実習中転んで
ナイキのズボンに穴があく。
やれやれ。

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今日の一曲






日本のみなさまへ特別に obatamakiが監修した
エクストラヴァージンオリーブオイルのお問い合わせは
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私は、トルコに二回も行ったことがある。

イスラムとヨーロッパ、大昔と現代
オスマントルコなどの歴史と、民族やシリア難民
様々な国境に挟まれた中、独特な文化
なんかごっちゃまぜな国のイメージが
今、ある。

当時は、イスラム教一色のイメージ
イスタンブール全部興味津々
カッパドッキアなどの自然
いろんな工芸に興味があって
友(フィレンツェシスターズ)と
第一回目のトルコの旅に出たのだ。

日本やヨーロッパとはまたひと味違う
でもイスラム教100%でもないゆるさ
貧しいのか中堅なのかよくわからない風習
なんかとってもオープンでWelcomeなところ
そんなあいまいなところが
なんとなく先進国と似ている風で親近感があるのだった。

二回目のアドベンチャーな一人旅は
その親近感文化をもつ出会った人に再会したい想いと
もっともっとトルコを旅したい想いが強くなったから
また行ったのである。

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今回のこの大地震情報を聞いたとき
やっぱり私の中でいろいろよぎった。
お昼を終えた同僚が教えてくれた。
「震源地はどこ?」
「シリアの近くらしい。」

シリアの近く...
当時フィルムで写真を撮っていたアルバムを引っ張りだした。
アルバムに記してある土地名を細目にしながら(老眼)
写真をながめてみると
なんとなくの記憶がよみがえってきたのだった。
その時のある土地のエピゾードを紹介しようとおもう。

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私は、ただ単にこの円錐形の屋根
トゥルッリ型の建築物に興味があったはずだ。

イタリアでは、プーリア州にある
石が重なっている(だけ!
それをイタリア語でpietra a seccoと呼ぶ)
Trulliトゥルッリ型の屋根の家が並ぶ
Alberobelloアルベロベッロなんかが有名だ。

私は、もちろんそこも歩いているし
屋根に座って笑っている写真もある。
なんで屋根に上れたかは記憶にない。
1996年の話だ。

それだけの好奇心だけで
シリアの内戦がその頃からあった
シリア難民の多い危険地域に知ってても行ったのだった。

トルコの都会に住む親近感系トルコ人たちは
私がなんでそんなとこに行くのか不思議そうだった。

地震前までは、そしてコロナ前までは
ハッラーンという村は観光客がいっぱい来ていただろう。

今やネットで調べると、いっぱい出てくる。
当時はネットなんぞないから
地球の歩き方やミシェランガイド
あとは現地でインフォメーションオフィスで知るかなんかだ。

私はここで土地の歴史などを語ろうなどとは思わない。
歴史や土地の特徴や詳しいことは、できるものなら
本職でやられている方のネットを参考にしてほしい。

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私がHarranハッラーンという村を訪れたのは
1997年の12月だった。

ハッラーン村へはSanliurfaシャンリウルファという街から
48km(google map調べ)離れたところにある。
トルコはほとんどバス移動だから
そこへも当然バス移動のはずだ。
それしか考えられない。

ハッラーン村はガランとしていた。
写真でもわかるように
広大な土地にポツンとあるような感じだ。

もともとはシリアの土地だったそうなので
シリア人が住んでいたそうだ。

話によると昔も今もトルコとシリアは
仲が悪いそうなので
トルコに住むシリア人が孤立してしまう様子は
被災地情報でもニュースになっていた。

私は、人は人、同じ人間だと思っているので
人に対しての国境はないと信じているけれど
それぞれの想いや文化や歴史があるのだろうから
仕方がない、特に深入りすることはない。

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ハッラーンは、今ネット(wikipedia)で調べてみると
とても歴史のある土地で
古代メソポタミア文明の頃盛んだったそうだ。

その私に興味を持たせたトゥルッリ型(ドーム型とも)を
ビーハイブ ハウス (蜂の巣箱状住居) と呼ぶそうだ。

この土壁でドーム型とは
灼熱の土地の住居には最適なんだそうだ。

しかし、その、ここに住んでいたシリア人たちは
シャンリウルファの街に移住し
現在ハッラーンは観光地として残っているそうだ。

私が訪れた時のこのハッラーン在住シリア人家族の出会いは
とーっても貴重な出会いだったのだと
思い返したり今調べていく中でわかってきたのだ。

トルコとシリアが仲が悪くたって
どちらも日本人の私には優しかった。

言葉が通じなくたって
興味をもったこと
一生懸命コミュニケーションをしようとする姿勢
表情
オーラでいろいろわかる。

どうやら私を歓迎している理由は
家族の写真を撮ってほしい!ということだった。

土壁の家に住んでて、一見貧しいんだけど
心は本当に豊かな家族だった。

子どもたちが嬉しそうだった。
だって、お父さんが嬉しそうにしてるんだもん。

私は、貧しそうなところに住んでいる人の生き方を知りたかった。
豊かな国の幸せと土壁の家に住む家族の幸せは違う。

物が無くたって生きていける強さ
当時私の旅のテーマはそういうところにもあった。

その土地で生まれるその土地に合った住居もそうだけど
生活するための道具とか工芸なんかに興味があった。

当時私は二十代真っ最中だったけど
リセットしたくて仕方がなくって
日本を出てイタリアに住みながら
先進国とは違うような国を旅していた。

言葉が通じないけど、意思が疏通できる
言語もそうだけど、耳が聞こえない人
赤ちゃんや子ども、単に大人同士だって
意思を伝える方法をずっと研究しているかもしれない。

土壁家族の主は私に
手紙が受け取れるP.O.Boxみたいな住所を
渡してくれたので、家族の写真を送ったのだった。
ちゃんと着いたのかな。

今はみんな、子どもたちは大人になって
お父さんお母さんは
おじいちゃんおばあちゃんになっているのかな。


地震で被害がなかったことを祈るばかりですが
全地域お見舞申し上げます。

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1月の冬休み明け、ある申請に
諸々の書類や身分証明書プラス滞在許可書を
持っていく用事があった。

担当した太っちょの中年男性は
いちいち嫌みっぽい言い方で質問する。
性格なんでしょうけど外国人対応に感じてしまう。

この人に限ったことではない
しばし、やなヤツに当たることがあると
その日が壊された感じだ。
そのくらい対応とか印象って
相手に影響するものだと、いつも学ぶ。

次々に書類を広げていって
今度は身分証明書の番だ。
コピーしたりしている。

次、滞在許可書。
「え、紙なの?ぼくは一応受けとるけど無効かもよ、コレ。」
マジ?! ちょっとドキドキしはじめた。

写真をみて
「全然今と違うじゃん。」
っるせーな、大きなお世話だよ!
嫌みを言われたので、大きな手術をしまして、、、
と人生まで語ることになってしまった。
でも太っちょは、ふーんという顔をした。

それもコピーしてるけど、太っちょだから動きが鈍い。
落としやがった。
しかも机の後ろの埃の溜まってそうなところに
舞ってしまった。
太っちょだからなかなかとれない。
私がとりましょうか、と言っておけばよかった。
とれたはいいが、角が折れていた。。
15年、どこに行くのもクリアファイルに入れて
大切に持ち歩いていたのに
太っちょの鈍さで、あっという間に折れるなんて!

そう、この滞在許可書は妊娠中に取ったんだ。
妊娠してるからって
警察署にそのために並んでるみんなをスルーして
先に窓口に通してくれたんだ。
そんな思い出がある。

滞在許可書は、イタリア人夫の扶養ということで
永住とされ無期限だ。
どこにも期限が記載されていない。
だから、私も警察も役所も空港のイミグレーションもみんな
その無期限永住滞在許可書で何もいうことなく
通用していたものだった。

ところが、昨年あたりから
イタリア在住の日本人の方が何かのきっかけで
在住者が家族目的で持っている紙の無期限永住滞在許可書は
2023年8月に無効になるという情報入手し
SNSに投稿したことからわーっと広がったようにおもう。

無効になる理由は
紙からデジタルチップ入りのカードにしたいそうなのだ。
イタリアの身分証明書も更新時に
紙からカードへどんどん切り替わっている。

今年に入って大使館からも要請をだしているようだ。

というわけで、折れた紙の永住滞在許可書を
太っちょのおっさんの一言で
重い腰をあげることにしたのだった。

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たくさんの日本人の方がSNSに
必要書類や手順を説明してくれてたのでとても参考になった。
地域によっても違うようだし
結果、警察の受付窓口の人にもよるようだ。

まずは、Questuraの予約サイト prenotafacile.poliziadistato.itで
carta di soggiorno permanente per i familiari del cittadino comunitario を選択し
滞在許可書の期限を入れるのだが
私は死んでるだろう年を入力w

予約が完了すると
持参する必要書類リストと予約番号があるPDFファイルを
ダウンロードする。
印刷すれば、当日ひょいと見せるだけだし
印刷してないと、スマフォを警察の方に手渡して確認する
ということになる。(結果話)

サイトで受付予約をした翌日
市役所で、certificato di residenza e stato di familia contestuale という家族証明書みたいなものを取りに行った。
Contestuale(前歴から現在状況)は在住者さん情報で
警察は申請者の certificato di residenza と stato di familia とある。

そこで、このcontestuale付き証明書を取得するには
16ユーロの収入印紙が必要なのである。
もともと16ユーロの収入印紙は持参リストにあったので
これなのかなぁとほいほいTabacchiに現金払い
(カード受け付けてくれずしぶしぶATMに行って引き出す)
で買いに行って、出してもらった。

結果、このストーリー付き家族証明書は
私はとても信用を与えた一枚だったとおもう。

「その証明書には結婚してることはわかりますか?」
わからないそうなので、無料の婚姻証明書を出してもらった。
というのは、INPSでお世話になったとき
配偶者(coniuge)と本当に結婚してるかどうか
問われたことが最近あったので
もし聞かれたら提出しようと思って
無料だし出してもらったものである。
結果、必要なかった。

そして結果、その16ユーロの家族証明書も
オンラインのSPID経由で
無料で発行してもらえるんだそうだ。
友から後で知る。。。

その足で郵便局に行き
警察の支払い先が記載されている支払い用紙(bollettino)に、
支払い者=自分の名前や住所を書いたりして
30,46ユーロ(+2ユーロの郵便局手数料)を払う。
もうこの頃は郵便局で滞在許可書用のキットはなく
そのbollettinoだけでよし。
警察に支払い済みを持参し、確認させる形。

次、4枚の写真を撮りに行く。
で、私は家で自分でカッターでカッティング。
だって、ハサミで曲がって切られて
貼り付けられる(しかもホチキス)のがどうしても許せないからw
これ、イタリアあるあるである。

あとは、紙の無期限の永住滞在許可書と
日本のパスポートのコピー。

いろんな在住者の情報で
夫の身分証明書のコピーや730などの収入証明
子どもの身分証明書のコピーなんかも一応用意したが
全然必要なかった。

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当日、仕事先には丸一日休暇申請したのだが
できるものなら仕事に来てということだったので
しぶしぶ朝働いて
大急ぎでスクーター(駅近くに簡単に駐車できるから)をとばし
電車に乗り込んで
はるばるフィレンツェの警察署に向かったのであった。

友が早くに着いても整理券もらえると言っていたので
私も40分ぐらい早くに着いたけど
並んでる人を追い抜かしとりあえず質問をした。
んで、そこで予約番号を聞かれるのである。

ドアのところで整理券を配ってる若い警察官が
握りしめていたくしゃくしゃになった整理券をもらって
中に入った。

40分プラス予約時間、、、だいたいの目安みたいで
結果、3時間、眠りこけたり人間観察をしながら
一つの受付窓口の番を待ったのであった。

みんな、情報をよく知らずに来ていたり用意不足で
一人の人に20分かかったりしていたなか
さすがニッポンジン、準備万端・用意周到ですよ
私はほいほい5分もかからずに受付が済んだ。

そこでも指紋をとったのに
また別の部屋に移動して指紋をとる。
ほんの数分待つんだけど
待ってる人たちがインド人かパキスタン人だった。

「マキ!」ともう一人そのインド人かパキスタン人が呼ばれる。
まず発音がすこぶる良いマキと
苗字で呼ばれると思いこんでいたので
インド人の名前かとも思ってきょとんとしていると
「マキ、アンタだよ、日本人の」(イタリア語)といわれ
中に入っていくと、そこでもマキと呼ばれ
ずいぶん日本人慣れしてるなぁと思ったのであった。
奥さんが日本人でマキっていうのかな?!

そこで今日は終了。

半券をもらって
後日、poliziadistato.it で受付番号(nr. di pratica)を入力して
用意ができているのか確認するのか
また目安な予約時間を予約するのか
本人が現場で受け取りということで
再度フィレンツェの警察署に出向かなくてはいけないのである。
はぁ、道のりは長い。

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私は、せっかくだからフィレンツェで panino al lampredotto を
警察署の近くの mercato centrale で大急ぎで食べ
駅近くの日本食材屋さんで納豆とお味噌と胡麻油を買って
大急ぎで電車に乗り込み、仕事に戻ったのであった。

同僚たちは「マキー、本当に戻ってきたのー??」と呆れていた。
確かに、部長に仕事に戻ってきてと言われてなかったら
フィレンツェの友とゆっくりランチしてきたのになっ!
でも、自分を必要としてくれるのはありがたいことなので
私は仕事に戻ることにしたのである。
結果、半日休んだことになった。


今日の一曲は、2023年サンレモ音楽祭優勝曲。




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同僚が「マキってこんなことができるらしいよ!」と
私より自慢げに向こうの方で話している。

その話を興味津々に耳を傾けているそのまた同僚たちは
私の方をチラチラみて、私にもよろしく!とジェスチャーをしている。

私のマネージャーを勝手にしている同僚は
「マキ、もっとアピールしなきゃ!」などという。

いやいや、場が違うだろ!とつっこんだが
イタリア人にしてみれば職場の他愛もないおしゃべりは
手を動かしていれば別にいいようだ。
私は何をしてても集中型なので二つのことを同時にするなんて
いつまでたっても身につかない。

そうこうしている内に話は広がって
おもってもいなかった注文が入ってきた。

初回ぐらいはシンプルだけど素敵に包装して
日本語が入っている袋に入れて手渡した。
そういうことをして、わーっと喜ぶ人とノーコメントな人がいる。
そんなリアクションをみるのも私は楽しんだ。

なんで日本人の私が
イタリアの古来のレシピをイタリア人につくるんだ?
自分でつくればいいのに。。。レシピ教えるよ。と言っても
そうだ、冒険を得意としない彼女たちは買う方が早い。
手作りな生活なんて仕事にかまけてして面倒くさぁ~い!

まぁいいさ、こんなことで私はひとのためになるのだったら
嬉しいじゃないか。
学んだこともためになったんだし
手作り生活を心がけてきた甲斐があったじゃないか。
むしろ存在感とか生きてる感が味わえて
こっちがありがとう!だ。
些細なことでも一生懸命やることは
無言で私をアピールすることだ。

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クリームを詰めるガラス瓶も調達しに行った。

一番小さい瓶は、30g強詰められる。
その次に大きい瓶は、100g詰められる。

初めのお試し用や携帯用は、30g瓶がいい。
これをいっぱい買うことにした。

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私はせっせとガレノスコールドクリームをつくった。

日本語名ガレノスコールドクリームとは
イタリアでは、Cold Cream di Galeno とか
Ceratum Galeni と呼ばれている。
はたまたミツロウクリームというのも日本語で聞いたことがある。

今からおよそ2千年前の古代ローマで活躍したGalenoガレーノ博士
アルケミーを基本に薬剤なども熱心だった医学者が発明した
極まってシンプルなクリームだ。

そんな時代からオリーブオイルとは
体にも肌にも良いと知られていたなんて。

そんな時代からブンブン飛んでる可愛いハチたちの
ハチミツやミツロウが体にも肌にも良いと知られていたなんて。

私が参加した地域のG.A.S.(Gruppo Acquisto Solidale)主催
ガレノスコールドクリームつくりのワークショップで
説明してくれた自家製自然派化粧品愛好家の方は
私たちがいちいち「へー!」「マジ?!」と驚くもんだから
得意げにクリームの効能を教えてくれた。

2千年前、そのクリームが発明されたとき
傷口に塗るだけではなく
骨折の骨と骨の繋ぎにもクリームを塗りこんでいたそうな。

ミツバチの凄さをそんな時代から見抜いて
そんなに大胆に使っていたなんて。
今や気候変動や空気も水も汚染され、ハチがいなくなっちゃうかも。。
と危機を騒がれているっていうのに。

ミツバチたちがこの世からいなくなったら
わたしたち人類も生きていけなくなるともいわれ
ミツバチを守ろうとする団体があちこちで活動している。

その小さな体のミツバチが全身で創り出すミツロウにも
たくさんの成分が含まれている。

私は、成分たっぷりの無精製のミツロウを使う。

オリーブオイルは、どのオイルよりも一番ヒトの肌にあうそうだ。

このコールドクリームの特徴は
ミツロウとオリーブオイルと、水分を加えてゆるくする
油分と水分の結合にある。

ガレーノ博士のオリジナルレシピでは
水分のところはバラの水を使っていたそうだ。
が、私はワークショップで教えてもらったように
アイロンなんかで使う無成分の蒸留水
(Acqua distillata)を使う。

どのサイトをみても、オリーブオイル石鹸より適当で
クリームのゆるい感覚はお好みのようだ。

例えば、そのワークショップでは
オリーブオイル(去年のでもOK) 60g
ミツロウ 20g
蒸留水 20g
と分かりやすく教えてくれた。

あとは、自分でミツロウを12gにしたり
蒸留水を減らして、ハチミツを加えたり。

ワークショップでは
オリーブオイルにミツロウをいれて、湯煎で溶かす。
別で蒸留水を湯煎で温めて、少しずつ加えていく。
けど、私は全部入れちゃう。

油分と水分で分離するので
ひたすら泡立て器でかき混ぜる。

蒸留水を入れきったら
湯煎から外して、ひたすらかき混ぜる。

冷えてくると、ミツロウがミツロウに戻ってくる。
で、出来上がり。だが、固まると容器に入れにくいので
また湯煎につけて、溶けたら瓶に詰める。
この時点では、油分と水分は混ざりあっているので
かき混ぜなくても大丈夫。

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このガレノスコールドクリームは
そういうわけで、とっても効果があって
唇、顔、手、足などの肌の荒れ
小さな傷口、乾燥肌
乾燥した日の目元のしわなんかにも効果がある。

で、肌荒れ中、毎日つけてれば
しだいに、2~3日で治ってることが多いので
私は、少しずつつくっている。

だんだん要領がわかってくれば
つくったクリームをほんのちょっとさらに小さな容器に移して
すぅすぅするユーカリのエッセンシャルオイルを垂らして
ぐるぐる混ぜれば、鼻詰まりの時なんかにも使えちゃう。

私は、突然首の回りやお腹の回りが痒くなる。
そんな時、自家製カレンデュラオイルを加えて
ぐるぐる混ぜて、炎症のあるところに使っている。
効く、効く。

。。と用途が広がり、万能なのだ。

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同僚は、車椅子のお父様にプレゼントしたそうだ。
お父様は足の乾燥肌で痛かったり痒かったりで
苦しんでいたそうだ。

同僚は、その100gの大きい瓶をあれからすぐに注文してきた。
なぜなら、お母様が旦那様の足にクリームを塗ってあげるんだそうだが
あのクリームを塗り出したら、苦情を言わなくなった!と
喜んでくださったそうだ。

そのまた同僚のお子さんは鼻のかみすぎで
鼻の回りが赤くなってて
クリームをつけて寝たら翌日赤いのがひいていた!と
喜んでいたそうだ。

そういえば、思春期青少年もニキビに塗って文句は言わないw

嬉しいな。
みんな綺麗な健康なプリンプリンの肌でいたいよね。

遠くの友たち
私はすぐにつくってあげられないけど
機会があったらつくってみてください。
みなさんの参考となりますように。



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この大晦日は、はじめて親子バラバラだった。

思春期青少年は、地元の友が広がって
地元グループで新ヴィンチ友宅で集合することになった。

その新友宅は、きっと何百年佇んでいるだろう建物らしく
住居部分は手入れしてるけど
他は空き家状態に放置していたらしい部屋の一部を
ガキたちに使用許可を出した様子だった。

しかし、条件がある。オマエらで掃除しろ!とのことだった。
おもしろいじゃないか。
思春期青少年たちは、数日集まって
その空き部屋を掃除しに通った。

食事はバーベキューを企画したみたいだ。
友たちはおこづかいを出しあって
自分たちでお肉やらを調達しに行ったそうな。

「今までお父さんが火を起こしてくれてたのに自分たちでできるの?」
「ボクたちもう小さな子どもじゃない、火ぐらい点けられるよ。」
私は黙って聞いて、心の中でニンマリした。

数日掃除に通い、まだ50㏄免許のない我が思春期青少年は
父が送り迎えをしたところ
佇んだその古い建物の中から、新友の親が現れたそうだ。

フリーダムなヒッピーを想像していたが
いたって普通の大人で「私たちが見張ってますから」と
私たちの気になるところを言ってくださった。

こちらからすれば、ありがたいことだ。
っるせーな!と尖りまくっている思春期青少年たちを
見張っててくださるなんて!

元旦の朝、早朝でもないゆっくりでもない変な時間に電話があり
父が迎えに行った。
二人は黙って帰宅し、黙って布団に戻っている。
思春期青少年は時差のある長旅から帰ってきたかのように
あれから眠り続けた。

どんなシチュエーションだったかは何も語らないけれど
かっこつけて白地のナイキのトレーナーは煤だらけに汚れている。
本当に自分たちでバーベキューした様子だ。
前も後ろも汚れている。
これまた白いナイキの靴は泥まみれで
私はニヤニヤ想像を掻き立てた。

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私はこの数か月、いたって普通の生活をしているイタリア人の
集団の中で過ごしていた。
彼らは、冒険を得意としないひとたちだった。

私はイタリアに降り立った時から、いやもっと前から
もしかすると幼少期から、ずっと冒険だらけの人生で
困難だらけの生活だ。

生活を自ら変えるかえることも
災難が降りかかってくることも
立ち向かったり乗り切ることが冒険だ。

そういったことをたいていの人は恐れるようだ。

冒険した先には、いろんな出会いと発見がある。
ヒトだけではない、様々なカタチで。
信じられない困難もあれば、分かち合えないほどの感動や喜びがある。

私は、まだまだそんな冒険を終わらせたりはじめたりを繰り返している。

冒険拒否のイタリア人たちとの会話は難しかった。
イタリア語が難しいのではなく、会話の内容が単調過ぎて難しかった。

彼らは、いつも不満を抱えていた。
私はいつも彼らの不満を黙ってきいていた。

彼らの不満をワタシ流に解釈してみると
冒険不足につきた。

私は言葉で彼らに寄り添うことはできなかったけれど
笑顔と生真面目さは印象に残せたとおもう。

私は冒険自慢はしたくないし
アドバイスする気もさらさらない。

話せば話すほど人の性格は見えてくる。
話題もそうだし、言葉の選び方もそうだ。
正直、彼らの話には興味がなかった。
私はなるべく自分を保った。

彼らが不満合戦をしていると
ふと私をみて羨ましそうに
「マキは絶対悪口を言わないし汚い言葉もつかわない」
彼らは、頭で考える前に言葉が出ちゃうんだそうだ。
きっと冒険不足の習性だとおもう。

私は新たな冒険に出ることを伝えると
「キミは絶対戻ってくる」と言った。

口数を少なくしても表情と態度で
私を表現できたことに私は嬉しかったし
これが私の冒険だった。

私は言った。
人を知るのに私は急がない。
怒りもしない。
時間が私をいつも助けてくれる。
嫌な気持ちを忘れることも
好きな人の距離を縮めることも。
私は、時が来たら私の気持ちを話す。

「アナタはまるでフィロゾファーだね」
そんなこと考えたこともないけれど
半世紀の人生の学びだろうと心の中で答えた。

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2023年、世界も私も何が起こるかわかりません。
冒険だらけの毎日で、たくさんのことを学んでいます。
落ち込んだり誰もいないところでニマニマしちゃうほど嬉しいこともあります。
気持ちを整理しながらゆるりとブログに記録できたらとおもいます。
どうぞ引き続きよろしくお願いします。



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新しく出会ったイタリア人みんなが口を揃えて各々に
「日本てNatale(クリスマス)を祝うの?」と訊く。

「意味はわからずにハロウィンみたいなイベントとなって
パーティーして
子どもたちの一つの楽しみにプレゼントして...
イルミネーションもヨーロッパとおんなじ。
私たち仏教が基本だけどカトリックの人もいるし
なんちゃって仏教の人ばかりだから、なんでもOK!
私は無宗教だけど、周りを尊重してなんちゃってクリスマスして
同じ気持ちになるように過ごしている。」
と、答えているけど、みんなはどうだろう。

日本語だとクリスマスという言葉はクリスマスだけに使う用語だとおもうけど
イタリア語のクリスマスは、Nataleナターレと呼び
Nascita Nato Nascere などの誕生の意からきていて
Nataleは、イエス(gesù)の誕生 と
起源となる土地や街の誕生もNataleを使うことがある。

ミサに行くイタリア人こそ少なくなっちゃったそうだし
イタリア人さえも日本っぽく意味不明なイベント化していることが多い。
それでもイタリアのクリスマスの習慣は
日本の正月のように家族で過ごすことが多い。
ましては、親戚一同であつまることもままならない。

誕生のクリスマスを機に、家族が集まって
乾杯して、たらふく食べて、元気に笑って、満足して
一日が過ぎていくのがイタリアのクリスマスだろう。

私は典型的なイタリアンクリスマスをしないので
こんなにクリスマスについて語る身でもないのだが
私もクリスマスを機に家族でご馳走を食べて
息子にプレゼントをこっそり渡す
イタリアンクリスマス風を過ごし、思春期青少年にも
普通のクリスマスを過ごしている感が染みついているはずだ。

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「マキんとこは、クリスマスなに食べんの?」
とまぁそんな話になる。

みんなが一通り、何を作るのか、何を食べるのか
どこに行くのか、誰が来るのか、何人集まるのか
プレゼントはなんなのか話した後に
アンタの番よ! みたいに振られる。

「24日のクリスマスイブ(Vigilia di Natale)は通常お魚食べるんでしょ?」
「そうだねぇ。」
「だから、お寿司を握ろうとおもう!」
というと、今度はSUSHIの話題だ。

この辺の人は中国系日本食レストランしか知らないので
話がズレることもあるし
「あぁ、私は生の魚はキライッ!」と耳もかさない人もいるw
お醤油がダメな人もいれば、海苔がダメな人もいる。。。

大好きな人は熱狂的にSUSHI好きで
話を聞いていると、SUSHI好きはどうやら酢飯が好きみたいだ。

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イタリアではそういうわけで、クリスマスイブには魚料理を食べる。
本番のクリスマスにお祝いとしてお肉を食べるので
前日は軽く食べる程度かもしくは断食でもいいぐらいなのだそうだ。
それは、クリスマスを尊重してのことらしい。
魚料理を食べる習慣になったのは
食べないっていうわけにもいかないしねぇ。。ということらしい。
お肉よりお魚の方が軽いでしょ!ということだw

というわけで、我が家のクリスマスイブはランチからお寿司だ。
SUSHIではない!お寿司だ。

一週間前に購入し冷凍しておいた生のサーモン
ほどよく柔らかくなった食べごろのアボカド
卵焼きと、白いのはある野菜で
薄くスライスして湯通してほんの少し柔らかくした。

この野菜は、日本語ではセルリアックというそうだ。
イタリアではあまり話題にならない野菜だが
スーパーにこっそりごろっと棚に並んでいる
見つけやすい食材だ。

イタリア語では Sedano Rapa 直訳するとセロリカブ
二つの野菜をくっつけた名前になっている。

ピリッとした辛味とセロリの味とカブの食感。。
この野菜でいろんな料理ができそうだ。
日本食にも合う。

夜は、タコを茹でて残りものを加えて寿司丼だ。

夜のデザートに日本のシフォンケーキのようなPandoroパンドーロを。

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クリスマス当日は、御呼ばれされている人は行くだけだし
招待しているところは大忙しなクリスマスの朝。

我が家は、オーガニックファームのアントネッラのところの
ニワトリ(Polloポッロ)を一羽譲ってもらった。
アントネッラも自分ではエイッとできないので、ひとに頼む。

そんな有難いニワトリちゃんの首頭と足は別で出汁をつくる。

本体は、オーブンの丸焼きだ。
前日、塩を擦りこみたっぷりのオリーブオイルでマッサージ。
朝も、オリーブオイルでマッサージ。

200℃で20分後に白ワインコップ一杯
その後180℃に下げ、20分後に出汁をコップ一杯
それを3回ぐらい繰り返してできあがり。

その間に、ニワトリのレパー一式を玉ねぎとニンニクで炒め
首頭と足の出汁でゆるめてペーストを拵えて
パンにぬって食べるCrostiniをつくった。

その鳥出汁はまだまだ活躍。

生パスタは100gのSemola粉とタマゴ1個でこね
薄く伸ばして四角く切り
はたまた近所の農家で譲っていただいた
Salsicciaサルシッチャ(ブタの生肉腸詰めソーセージ)を詰めた
Tortelliniトルテッリーニを拵えた。

その生パスタTortelliniを5分ぐらい茹でて
その鳥出汁(Brodo di pollo)で
シンプルにいただいた。

エニマル夫は、乾杯するたびに嬉しそうだった。
プレゼントのときだけ飛び跳ねている思春期青少年も
アントネッラのニワトリを頬張っていた。

全部平らげた後は、伝統のPanettoneパネットネーネ
(ドライフルーツが入った発酵パンケーキ)。
菓子職人さんがつくったパネットーネは
何日もかけて発酵させて空気を入れてと手が込んでいるので
本場イタリアだって高級菓子である。
今年はホンモノに近づいたパネットーネを食べることができ
私たちは幸せだ。

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クリスマスの翌日は
Giorno di Santo Stefano(聖ステファノの日)でイタリアは祭日だ。

今まではよく家族ぐるみのお友だち家族とヴィンチに集まって
食事会をしていたものだ。
コロナから、ぷつっとその習慣が途切れ
そうこうしている内に、少年は思春期青少年と日々成長している。

まぁいいさ。
今日も美味しいものを食べて満足しようじゃないか。
私が家にいる時は料理をしてあげようと
なんとなく心に誓った。なんとなくだ。

サントステーファノは
お肉屋さんでぶつ切りにしてもらったウサちゃんのフライだ。
ウサちゃんも先にオリーブオイルでマッサージ。
そして塩をまぶしておいた。

小麦粉と片栗粉を水に溶かしたつなぎにべちゃべちゃくぐらせて
余ったパンのパン粉につけて低温で揚げる。

オリーブオイルで揚げるのでもっと揚げたい。

よく遊びにきてきれた元イタリア在住の日本の友が
最後につくってくれた美味しいコロッケを真似て
野菜コロッケも拵えた。

彼女から教わったヴィーガンコロッケ。
つなぎのタマゴの代わりに溶いた片栗粉でやることを。

低温でじっくり揚げるとカラッと揚がるものだ。

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つまみは、オリーブの塩漬けだ。

11月終わりに摘んだオリーブの塩漬けが出来上がっている。
10日間、粗塩とニンニク2片を突っ込んで毎日シェイクシェイク。
10日過ぎたら、洗ってまた干す。
完全に乾かして、冷凍庫かオリーブオイルに漬けて保存。
 ニンニク入れるとオリーブの苦味が緩和されむしろ甘味が出る。

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こうやって丁寧に料理をしていると
時間なんてあっという間に過ぎていく。
一日中キッチンでなんかやっている状態だ。

他にもやりたいことやらなくてはいけないこといっぱいあるのに
丁寧な料理をするときは
無の状態で他のやりたいことを諦める覚悟が必要だ。

だからやっぱりお母さんたちってすごいとおもう。
だからやっぱり手抜きの日とご馳走の日があるのだ。

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2022年のブログはこれで最後となります。
いつも読んでくださってありがとうございました。
来年も引き続きゆるりと続けたいとおもいます。
どうぞよろしくお願いします。

みなさまにとって穏やかに年が越せますよう
お祈り申し上げます。



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私はなまけものだ。
新生活にかまけて、歩くことを忘れていた。
つくることを後回しにしていた。

でもカラダはワタシを忘れない。

新生活の中でも、外の光の変化が視界に飛び込んできて
カラダがうずうずしていたのだ。

外の光の変化は、希望にも感じるし
はたまた落ち込みにも感じる。

その光を浴びるために
ほぼ空しかみえないこのヴィンチの丘で生きているのではないか。

新生活の朝だけは、ときどき私を驚かせることが多い。
けれど、そうだ、行きも帰りももう光は沈んでいるから
なんだか忘れちゃっていたのかもしれない。

その暗闇の丘で、毎朝ジョギングをしている男性がいる。
登り下りがある丘だから、突然現れる感じだ。

きっと彼も光のある時間はじっと仕事をしているのであろう。

暗闇の男性の姿を見ると
孤独感ではなくって、個人感をみせつけさせられる。
私もがんばらなくっちゃと背中を押される感じだ。

さぁ仕事に就くと
何十年もただただ仕事 - 家を繰り返す日々のベテランたちが
あーでもないこーでもないと
小さな世界の話に花を咲かせている。

私はそんな話だって新鮮だ。
私はにやにやラジオのように聴いている。

小さな世界のにやにやラジオは
案外、私に個人感を生ませ
もっともっと個人を工夫して
仕事も生活も個人に楽しみたい!とおもうようになった。

そんなことが私に生まれているなんて
微塵にも察しないベテランたちは
私をラジオのリスナーからパーソナリティーへ導くが
危ない危ない、私はそこでも個人を保たなくてはいけないw

そうやって小さな世界のベテランたちと打ち解けて
時間のありがたさや大切さも学ぶ。

それでも私はニッポンジンなのだ。
何を考えてようが、どう動こうが
私は、MAKI個人よりもこの小さな世界ではニッポン代表なのだ。

その荷はかなりの重さだ。
そう、イタリアに来てからずっとだ。
だから人が少ない丘の上で
私の想いのような光に浴びると落ち着くのかもしれない。
そこでふぅっと個人をだせるのかもしれない。

広大な世界のどこかでたくさんの日本人が
各々の小さな世界で、その荷を背負って表現しているだろう。

ワールドカップの日本代表選手たちが
きれいに使って気持ちを残した更衣室エピソード
はるばる観戦にきた日本人観戦者たちのゴミ拾いエピソード
監督の深々な敬礼エピソード
それはそれは話題になったものだ。

この、誠実さや尊重と感謝の気持ち
私たちが産まれたときから素に持っているような
この人種的なような社会的性格
やっぱり気持ちがよくなることだし平和がうまれる行動は
こんな小さな世界のニッポン代表のそんな荷を持つ私にも
繋がっている感と忘れちゃいけない気持ちを再確認した感じだった。

私の小さな世界のにやにやラジオでは
イタリアではありえない、で処理されたw
ま、いいさ。自分を持って生きていこうとおもう!

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雨降りの多い師走に突入して
光のある日に、希望のような光を浴びに散歩をした。
ずっとなまけていたことだ。

ここ数ヵ月を振り返ったりしながら歩いた。
もっと前を思い出したりもした。

前は少年と...いや、少年のために散歩をしていたんだ。
今日は一人で歩いている。

いつもの砂利道を通って
いつもの景色の中を歩いて
いつもの教会に辿り着いて

でも何かしら発見があって
でも何かしら違ってて
でも何かしら持ち帰ってくる。

その持ち帰ってきた私のおみやげで
クリスマスリースをつくった。
ただ枝と枝を結んだだけだけど。
気持ちだけでも味わえる。

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栗の粉を買ってきて
小さな世界のにやにやラジオで聴いた
Castagnaccioカスタァニャッチョと呼ばれる栗のタルトを焼いた。

すっごく簡単で
栗の粉(250g)と水(270g)を塩ひとつまみ混ぜて
松の実と干しブドウを生地に混ぜて
上にはクルミやローズマリーを散りばめて
オリーブオイルをかけて
180℃のオーブンで35~40分ぐらい焼く。

私は、松の実のところをピーナッツやクルミだけだったり
干しブドウのところを、夏に天日干しした洋ナシスライスを
干しブドウのように水にもどして
若干ふやふやになった洋ナシスライスを撹拌して混ぜた。

それと私は、キビ砂糖をスプーン2杯ぐらい混ぜた。
オリジナルレシピには砂糖は混ぜない。
栗の甘味を味わうので、お菓子というより
赤ワインやモスカートなどの甘いお酒にも合いそうなタルトだ。
さらに塩系レシピによく使われるローズマリーが
大人の味へ引き出している。
我が家は甘いものは朝食でとることが多いので
お砂糖を加えることにした。

私は、プヨプヨしたCastagnaccioより
さっくりしたケーキっぽい方がよかったので
粉と水の割合がちょうどよかったレシピを見つけられてよかった。

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今日は夫の誕生日だ。
仕事ばかりの夫には
大好きな肉週間にして一日だけではない
数日たっぷりご馳走をつくってあげようとおもう。
物でもない旅でもない彼の癒しは、食べれること。
エニマル感たっぷりである。

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先日、日本へ空輸便で、私が監修させていただいた
エキストラヴェージンオリーブオイルが出荷された。

ひとつひとつの工程を写真で送ってもらったり
時間があるときは私も出向く。

私が作成したマニュアルやプログラムに従ってもらう。

農園にとっては面倒なニッポンジンが現れたと
何度も正直に愚痴られた。

農園の主とは農業士養成講座で出会ったもう長い友だけれども
しばし、厳しく意見交換することもあった。

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最も頻繁に連絡を取り合って気が張るのは、収穫期。
いっちばんきっちりやって欲しい期間である。
みんながピリピリしている。

収獲の方法や収穫時間には問題がない。
私たち同じ講師に教わっているんですもの。

農園と私の依頼の違いは、収獲の時期と搾油所だ。

農園は、10月の半ばから早々にはじめていたが
私は、今年は成長のばらつきをみて
熟すのに時間がかかったオリーブがいっぱいあったこと
トスカーナ産オリーブオイルは、とにかく苦味辛味のパンチがあるので
日本人が一般的に好むまろやかさへ近づけるには
少しでも収穫を遅くして、濃厚さを抑えることにあった。

しかし農園は、農園のプログラムがある。当然だ。
だから、お互いに歩み寄りが必要だった。

でも収穫を遅くすることで、農園にもメリットがある。
2週間遅くしてもらったら、オイルの量がぐんと増えた。

私たち(私と日本の販売主)は
日本へ輸出する分の数量を限定しているので
余る分には申し分ないが、ギリギリだとヒヤヒヤする。

11月8日の搾油で15%との搾油率だ。いいじゃないか。

私が個人的に搾油した11月2日で12%だったのだから
油分が増した収獲日としては、最適だったとおもう。

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搾油所は、私が最も信用しているところだ。
このヴィンチの山の搾油所の搾油機がとても性能がよく
酸化をより抑えられるという縦式グラモラ機
搾油全工程20度という低温設定
水分と油分をきっぱり分ける遠心分離機で
この遠心分離機は今年、大きく新調したそうで
エネルギッシュに稼働させていたところを
より分離しやすくなったという
毎年どこかしらより良くなっていると所長は自慢気だった。

この搾油所で搾油してもらったら、そのままフィルタリングしてもらう。
こうしてすぐフィルターにかけることによって
オイルの中にある澱やかすをいち早く取り除いて
劣化の速度を早急に抑える
この工程も意外や重要な部分で
時間差で早くやることによって
美味な賞味期間が少しでも長くなるのだ。

オリーブの澱やかすがあってのオリーブオイルを楽しみたい
ノンフィルターを好む人がたまにいるけれども
オリーブの生産地在住で年内ぐらいに食べきれるのであれば
ノンフィルターでもアリかもしれないが
長期に渡って保存するには、フィルター済みはお約束。

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日本へ輸出するためのいわゆる特注オリーブオイルなので
保存タンクにしまわないで、瓶詰をどんどんしていき
出荷を待つのである。

ヨーロッパ製のキャップなので傷・凹アリも混ざっている。
なるべくいい状態のものを選んでもらった。
うるさいニッポンジンだったことだろうw

ラベル張りも半機械だけれども
位置を決定するのは人間だ。
ラベル張り作業をしてくれたおねえさん
息を止めながら張り付けていたそうw ありがとう。

出荷時の梱包の箱だって、農園にとってみれば特注だ。
なぜなら、日本へしか250mlは用意しない。
オリーブ生産国は、たいてい500mlが最小だ。
瓶も特注だけれども、その瓶を入れる箱も特注なのだ。

日本分のみどれもこれも特注で少量なので
農園にとってみればちっともコスパなビジネスとはならない。

しかし、監修されることによって
絶対にズルできない正真正銘なオリーブオイルができ
オリーブオイルの日本への流通ノウハウが学べる
素晴らしい体験であることに喜んでくださっている。

そして私も、ほぼ自分のオリーブオイルとして
母国のみなさまの食卓にならび味わってもらえることに
心から光栄におもっています。

どうぞこの機会にご賞味いただけると大変嬉しく思います。




すでにご注文してくださったみなさまへ
12月末頃お手元に届く予定だそうです。
楽しみにしていてくださいね。
ありがとうございました。

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私が搾油してもらう搾油所は
ヴィンチの山の上のへんぴなところにある。
山だけど、木々は世紀を越えたオリーブの木だらけだ。

そんなところを、スイス人のオリーブ好きが買い取って
オリーブ栽培を手掛け始め
ヴィンチに住むオリーブ友と、何年も何年も研究を重ね
そしてそのオリーブ愛は
ただの愛好家ではおさまらなくなった。

搾油するスペースを設け
これまたマニアックに最新で最高級な搾油機を導入し
自分の農園で搾油をし始めた。
さすがスイス人だなぁ。

しかし彼の農園は、たった5000本しかオリーブは所有していない。
高額な搾油機は、一年に数回使うだけでは勿体無い
ヴィンチ地元民の搾油も承るビジネスを始めた。

彼のオリーブ愛は、有機栽培だ。
除草剤や殺虫剤を毒と呼んでいる。
自分のこだわりで営む搾油所を毒で汚染したくない。
彼は、農薬の注意書きだけではなく
彼が追究したオリーブの収穫におけるマニュアル書をつくった。

私が学んだオリーブ栽培や収穫方法とほぼ同じだが
もっと詳しく書いてあったりする。
さらには、搾油ビジネスに関わる持参する容器の洗い方まである。

その自作マニュアル書を渡され
これが守れなければ、搾油を承らないという。
そんなところも彼のこだわりでオリーブ愛なのである。

ここの搾油所は、ヴィンチのどこの搾油所よりも高い。
でも、この最新の最高級な搾油機と
主のオリーブ愛とこだわりと
主が選んだ搾油所の所長の対応が
私は大好きで、信用しまくっているのだ。

私だけではない。
声が広まって、オリーブ愛とこだわりをもつ人が集まってくる。
値段は、技術とこだわりと信用なのだ。

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搾油機はMORI社の機械を使っている。
このMORI社もこだわり派で
自身の研究を技術者に毎年更新報告する。
こだわり派はこだわり派の信用をかう。

今年は、今までの問題であったオイルと水分を分ける
遠心分離機の部分を大きくして
今までエネルギッシュに脱水していたところを
脱水しやすくして、もっともっとオイルだけを抽出するという
スペシャルな機械が導入されたそうだ。

今年は、300kgまでと指定があった。
予約は300kgで予約され
それ以上は前もっていうことになっている。

なるべく機械にあったオリーブの量で動かせば
意図した理想なオイルが搾れるからである。

私たちは、オリーブの実の量にあわせて
収穫する順番や場所を決めたりしていった。

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日陰のオリーブ畑は10月3週目
早熟品種なのに成熟が遅く緑が多く実も小さかった。
搾油率も最低で、8,9%と油分はなかった。

味は、油分が豊富なようなまろやかさには欠けるが
ポリフェノールの苦味や辛味が効いて濃厚なパンチがある。

家の周りは陽当たりが良く日陰のオリーブ畑より
実も膨らんでいたし、成熟度が良いように見えたが
畑全体に対し、成熟しているオリーブと未熟なオリーブ
半々ぐらいだったように思う。
10月4週目、2回搾油してもらって
12,5% と 12% という結果が出た。

味は、日陰のオリーブ畑よりだいぶまろやかさが増している。
トスカーナらしい、苦味と辛味が
ほどよく調和しているのではないかとおもう。

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さて、私が監修させていただいている
トッレセレーナという名の農園のオリーブは
日本人の舌や繊細な日本食にも合うようにと依頼され
11月の2週目に、私のマニュアルで収穫してもらい
即、私の信用するオリーブ愛のヴィンチの山の搾油所で
搾油とフィルタリングをしてもらった次第である。

搾油率はフィルタリング前で15%と出ている。
それでも15%しかないの?とイタリアでオリーブオイルを
自分たちでつくっている人は思うかもしれない。

こちらの最高級な搾油機は
エキストラヴァージンの規制、搾油時27度以下とあるが
ここは、20度と低温で搾る。
低温で搾ることによって
オイルに出てくる成分が壊されないというメリットがある。

その分、温度で油化させて抽出するところを
低温なので、油化されにくく
オイル量は少な目なところがデメリットかもしれないが
オリーブ愛好家は、高成分と美味を求めるのである。

搾油費用はどこよりも高いし、搾油率は低い。
ちっともコスパではないが、こだわる理由は
断然美味に仕上がる裏切らない搾油機なのである。

そして、収穫を遅くしたことで
どんどん熟れていき油分は増え、それによって
苦味辛味が抑えられよりまろやかになるのである。

是非、興味のある方は
下のサイトより予約販売がはじまりましたので
どうぞお試しくださいませ。



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よく読まれています ↓ ↓ ↓ 参考になれば嬉しいです。
EVOオイルとは Olio Extra Vergine di Oliva
オリーブオイルの搾油率 essere olio extravergine
オリーブオイルでスキンケア Oleolito a Freddo

または、親カテゴリー『オリーブ OLIVI』からお楽しみください。
さらに、子カテゴリー内にて様々なヴィンチのオリーブオイル
オリーブ栽培の話が詰まっていますので
お時間があるときにどうぞごゆっくりご覧ください。



Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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例年だったら10月中の最終週末までには終わらせてしまう。
サマータイムが終わって1時間早く暗くなるし
11月に入るとたいてい霧だの雨だの
オリーブの収穫を気持ちよくするには向いていないからだ。

しかし、オリーブの森の収穫が早過ぎたほど未熟なオリーブで
ポリフェノールは濃厚に詰まっているだろうが
実は小さく油分は少なかったので
こちらの畑は、少しでも成長に合わせた収穫をしたかった。

家の周りにあるオリーブ畑なので毎日のように観察している
このブログでもよく登場するオリーブたちだ。

日当たりがすこぶるよいオリーブたちは
収穫するには面倒なところに位置している。

やっぱり日陰になりがちなところは、熟れがあまい。

ここの畑は、2014年の9月トルネードに襲われた畑だ。
傷からウイルス菌が入って対処をしながら
丁寧に丁寧にゆっくり、剪定と樹形を整えてきた。
もう大胆に主枝をバッサリ剪定してしまおうとおもった木もある。
あまりにもウイルス菌が酷かった2本はバッサリ剪定した。

バッサリ剪定した木はようやく、らしい形になって
実をいっぱいつけるようになった。

バッサリを悩んでいた木には
それでも実のなる残してもいい枝が生まれていたので
枯れた枝を排除し、将来つかえそうな新枝を残していた。
でも思うような位置に生えてくるわけではないので
樹形的には不格好だった。

数年もの間あんなに失望的な木だったのに
今年はなんと、いっぱい最高な状態で実がついてくれた。

やっぱり諦めるものではない。
植物と向き合うことは、とにかく時間がかかるのだ。
私の体力が植物の時の流れに追いつかない。

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今年は、豊作だ。
去年不作だっただけに、わかっていたことだ。
だから、来年は不作であろう。

それでも、オリーブミバエの被害もなく
収獲の時期を少し遅らせたこともあって
オリーブの実が膨らんで形がいい。

トスカーナ料理にはぴったりだろう
苦味辛味のパンチの効いたオリーブオイルが出来上がってきそうな
オリーブの実だってすぐわかる。

オリーブの実を見て味が想像できるのだ。
それはなんてったって、息子のように育てている
愛おしいオリーブだからである。

収獲の前に、写真や動画なんかじゃなくって
生で見て欲しかったぐらい最高な状態で
すんごい豊作だった!

家から一番近いボスと呼んでいるオリーブの木は
私たちが一番に撫でて愛情を注いでいるからなのだろうか
メンタリティなオリーブなのである。

普段はスマフォで写真を撮ることのない夫でも
誰かに見せたいと撮っていた。
でも伝わんないよなぁ。。。

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私は、今年も手で持つタイプの収穫機をひとりで持ち続けた。
これで去年は腕をやられたっていうのに。
夫は、少し太めの枝に隠れているオリーブや
上の方のオリーブを手で収穫していた。

それと、夫の仕事はきれいに葉っぱ取り。
それと、それと、カゴを持ったりの力仕事。
それと、それと、それと、網をきっちり敷く係。

もちろん私も手伝うけど
私は首が痛かろう腕が痛かろう疲れていようが
ひたすら収穫をしなくてはいけない。
48時間以内に、予約済みの搾油所に持って行って搾油するのだ。

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やはり実がたくさんついていると
当然だけど収穫に時間がかかる。
嬉しい嘆きではないか。

春先、可愛い薄い緑色の芽が粒々ついて
初夏、花が可憐に...でも豪快に花粉を巻き散らして
葉っぱが花粉まみれになっていた。
いつの間にか結実していて、そのときは実の多さなんてわかんないんだ。
真夏、プツプツと実の存在が明確になってきて
晩夏あたりから膨らみ始めて
初秋、オリーブの木はカラフルに色づき
そこでやっと、わーっと胸が躍るんだ。
お互い笑っている感じ。

そんな彼らの成長を毎日のようにながめ見守っていると
まるで親子関係みたいになるのだ。

上の方の実を手持ち振動機でブルブルやっていると
上からオリーブの滝が落ちてくる。
頭にあたったり、顔にあたったり
メガネしててよかった、目にぶつかってきたり。
下の方もオリーブの滝はボトボト落ちていく。

滝から落ちてきたオリーブを集めると
オリーブの川ができるのだ。
その川は、黒光していて、時に色んな色が混ざって
緑から黒紫のグラデーションみたいなのができていて
またそこで、お互いわーっとなるのだ。

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時間がないし、人手は足りないし、体力使うし、大変なんだけど
でもやっぱりこの子たちの変化していく姿をこの目で見届けて
完璧に絞ってくれる搾油所でオリーブオイルにしてあげて
私の体の中に浸透して、栄養にまでなっていく
オリーブとの暮らしは、家族のように居て当たり前のようなのだ。

オリーブの森は手放すけれど
我が家のボスオリーブと家の周りのオリーブの管理はもう
私たちのルーティーンなのである。

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私が監修させていただいたオリーブオイルが
日本限定で購入することができます!
コチラより予約注文が本日開始されました。
いつも読んでくださっているブログ読者さんから
発表させていただいた次第です。
おってエピソードやレポートなど
じっくり綴りたいとおもいますのでお楽しみに。



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