大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

January 2020

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後編上からのつづき。


確かケアーンズは数日間の滞在だったと記憶する。

私たちは、街にいたいのではない。

街のごちゃごちゃは違う街で充分だ。

彼も人のいないところを好んだ。

私たちは人のいない海へ向かった。

でも今調べるとケアーンズから車で1時間のところだ。

きっとレンタカーを借りたときに発見したのかもしれない。

それか本屋の立ち読みでチェックしたのかもしれない。

それかそれか、インフォメーションオフィスかな。

当時は、便利なネットもなければ、グーグルなんてものはなかった。

歩くか紙か人の声しか情報はない。

ついこの間までそれでも私たちはやってきたのだから

本当は、このままでもやっていけたとは思うが

一度便利さの味をしめると

ついこの間までのあの頃のインスピレーションを奮い起こしても

なかなかに鈍くなったのか、もしくはそれが正常なのに

便利のスピードに我々のもつ勘が鈍く感じるのか。



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しばらくの拠点を置いた先はFour Mile Beachという

果てしなく続いているようなビーチがある

徒歩数分のところにアパートを借りた。

リゾート地でもなければ観光地でもない

ただただリラックスしにくるようなところだった。

水平線の手前にはグレートバリアリーフが海底にある。

遠浅で静かに波が立ち静かに生命を感じるところだった。

ビーチ入り口には少し人はいるがイタリアに比べたらちっともいない。

こんなきれいなところに人がいないなんて・・。

彼は、毎朝裸足でジョギングをした。

私は、ひたすら歩いた。

そのビーチ入り口辺りに岩場があって

大金持ちの素敵なモダーンな別荘があった。

一般市民も近くまで登れた。

そこから眺めるFourMileBeachの景色は素晴らしかった。

ある日、いつものようにビーチをかなり行った先の

ヤシの実を割ってみようということになった。

そうだ、そうだ、割ってみよう!

意外と硬い。そう簡単には割れないじゃないか。

サルの方が頭が良さそうに思えた。

肉厚の割れた大きな実の中に、よく見かける大きな種があった。

また割らなければ・・。

割ってこぼれてちょっとしか飲めなかったココナッツ。

甘い()思い出は幸せと同じでほんの一瞬なんだ!



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村には、若者向けに洒落たパブやバーが立ち並ぶ通りがある。

そこがメイン通りになるが

まぁ歩くだけで小洒落た気分にさせてくれる。

ここには大きなコウモリがフツーに飛び回っていた。

イメージ通り逆さにぶら下がってるw

黒いマントをキュッと閉じて。

こっちみてるー!



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7月のオーストラリアでいう冬場だからシーズンオフだったようだ。

しかしここは一年中夏。

シーズンオフの短期アパートは観光客用で

リッチにもアパートの中庭にはプールがついていた。

シーズンオフにはプールはいらない。

誰もいない海に行けばいい。

誰もいないビーチでゴロゴロすればいい。

スリリングな旅というより

もうこの先海沿い暮らしはなかなかできないだろうと

敢えて時間を青い海と波の音とサラサラの砂に引き換えた。

そう、あれからこんな暮らしはしたことないし

むしろ夢のような時間を体験したその妄想となった過去に留めたい。



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毎日歩く・走るビーチで、毎日水平線に浮かぶ島を眺めた。

あそこの無人島に行ってみたいね。

私たちは行くことにした。

ツアーのように船が用意され

シュノーケリングキットも貸し出してくれた。

一応毎日観光客はいるようだ。

広大なビーチのせいで人は少なく見えたのに。

彼は泳げないけど

息ができるシュノーケリングはじっと浮いてれば海の中は見れる。

私はピンさえあれば海を漕ぐ(足だけで泳ぐ)ことができる。

彼をひっぱりシュノーケリングツアーをしてあげた。

感動的だった。

海中にはカラフルな魚がいっぱいいた。

熱帯魚屋さんの大きな水槽を見ているようだ。

魚たちは平然と泳いでいて私たちには眼中にない!

自然の結晶ウネウネ珊瑚は見事だし

地上では見ることのできない姿がここにはある。

グレートバリアリーフでシュノーケリング体験は価値があった。

帰りの時間になるまで私たちはずーっと空を背に海に浮いていた。



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島ってどうしてこんなに魅了するのだろう。

神秘的で原始的で。

船でしか行けないからとても遠くに感じ

手が簡単に届かないこの困難さがさらに惹きつけるのかもしれない。

だから、また別の無人島に行った。

今度はインスタントの水中カメラを持参した。

バシャバシャ撮ったけどきちんと撮れているのかな。

デジタル化した現代、フィルム時代の不便さが嘘のよう。

いちいちプリントするから写真と言えるものはフイルム時代さ。

しかし、出来上がってくる写真をウズウズ待って

半分以上今一ってことは常であった。

なんだかボヤボヤな色で写ってて、ハキハキしないピントで

あの感動的な海中は、結局のところ脳裏だけに留まることとなった。



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私たちは、ときどきやっている野外マーケットを楽しみに出向いた。

ローカル食品はもちろん、工芸品も並んでいて

見てるだけでも楽しかった。

そこに・・オーストラリアのどこにでも物産として売られているが

原住民アボリジニ伝統の楽器Didgeridooが売られていた。

ストリートでモダーンなアボリジニが演奏していたり

いろんなところで目にして耳にしていて

その原始的な作り方と魅惑的な音と

想像力を駆り立てるリズムに私たちは引き込まれていった。

彼はJambèを叩くのが趣味だったし

私も小さな楽器を集めるのが好きだったこともあって

悩んだ挙げ句、一本思い出にイタリアへ持って帰ることにした。

カラーはシンプルに絵柄がジリジリと焦がされた黒色で。

屋台の主に音の出し方を教えてもらった。

ブーっていう音だけは私にも今だってできる!

リズムにならないけどw

あの頃、イタリアの地でブレーメンの音楽隊ならぬ

ヴィンチの音楽隊でも想像していたのであろうか。

ある年の民族的な楽器好き仲間が集った大晦日

ヴィンチの宴は、ドンドコブーブーピーヒョロ賑やかに

年を越したことをよく覚えている。



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そして、牧場の多いウエスタンスタイルのオーストラリアでは

カーボウイハットを必ず一人一個は

持っているんじゃないかというくらいみんな被っている。

仕事人も通行人も。

だから、彼は紳士風のを。

私はビーチ用に前が編み編みになてて風通しが良いものを。

オーストラリアにいればなんてことない帽子だが

イタリアでカーボウイハットを被ると

なんかおかしい・・ということに気がついた。

着物をイタリアで着る感覚である。

ヴィンチの我が菜園で鍬くわを振り回しながら土を耕している時

農民は、私の帽子をじーっと見つめてぷっと微笑んでいくw

うぅ、やっぱり場違いなのかっ。



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こうしてオーストラリアの旅は幕を閉じていくのだが

この冬向こうは夏、森林火事の大惨事で

私は・・きっと彼も静かに、彼が夢みた地の足跡を追っていた

・・に違いない。

あのファームは大丈夫なのか。あのコアラは大丈夫なのか。

レインフォーレストまで燃え尽きてしまうのか。

アボリジニたちの大地生活は大丈夫なのか。

火災の裏には、野焼きや放火、火遊びなど

結局人為で始まり、温暖化も煽って旱魃と重なったこの大惨事。

SNSで流れてくる逃げ場のなくなった動物たちは

幼い子どもの悲鳴のようで、目頭が熱くなり画面がぼやけた。



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私は、原住民がいる土地には暮らさないであろう。

そこで暮らすのであれば彼らの様式に従うべきだとも思うし

それは、イタリアに暮らすことだってイタリア様式に文句は言えない。

移住者が、各々がもつ文化や伝統を上手に表現していくべきだ

と思うし、住人がグローバル的思考で自由な発想タイプだと

意気投合できるが、頑固な伝統スタイルタイプだと

なかなかイタリアだって親交を深められない。

原住民の生活スタイルは、個では生きられない。社会なんだ。

田舎に暮らして少しでもエコに節約しながら生きていこうとすると

想像以上に大変で、街の住人ほど娯楽はもてない。

そんな暮らしを体験すると、原住民のいるオーストラリアで

分けて過ごすことはできないと私は考える。

世の中が、自然へそして人種、伝統

様々なことに倫理的に尊重しながら共存していけたらと想った。


オーストラリア旅行記、完。


・ あとがき ・


伊着25周年ということもあって、今までを振り返った中で

私の意志で行ったわけではないこの長かった国を超えての旅は

イタリアに暮らす決心ともなった旅でもある。

あの頃未来だった今の自分は

過去となった未来を想像していた自分を想いながら書いている。

今までのたくさんの自分と出会えて新鮮だった。

書くという行為をしないと

きっとそのまま心に残っただけで、時は流れていくであろう。

また思い起こしてみたい。



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彼が夢みた地へ【前編】上 Western Australia - Perth

彼が夢みた地へ【前編】下 Western Australia - Camping

彼が夢みた地へ【後編】上 Queensland - Rainforest



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前編下からのつづき。


私たちは、エアーズロックを下にパースからケアーンズまで

飛行機で移動した。

あそこにも行きたかった・・ここにも行きたかった。

雲のない宙に浮かぶ飛行機からの眺めは最高であった。

オーストラリアのドローン的ランドスケープはただものではない。

描く地面は、斬新的でかつ原始的で、スピリチュアルでミステリアス。

オーストラリアのランドスケープ特集のすんごい分厚い写真集を

買いたかった・・。でも重くなるから我慢した。

原住民アボリジニが描くデザインは、大地の柄であろう。

それにしてもどうして上からの図を描けたのであろう。

彼らのスピリチュアル透視や生存の知恵は

絶対に絶対に絶対に伝授していくべきだ。

生活を保証してくれるのは有り難いが

彼らが求めることは便利とか発展ではないような気がする。

きっと彼らの本心は

「そっとしておいてくれ」

なんじゃないかと静かに思った。



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彼は、ときどきイタリアにいるお母さんに電話をした。

当時はまだまだWhatsApp(日本でいうLINE)なんぞない。

10ドルとか定額の国際電話カードを挿入して電話をした。

しかも公衆の電話ボックスからである。

私もいちいちそばにいて気だけは遠い家族へ寄り添っていた。

電話の向こうにいるお母さんはきっと

「わざわざありがとね」といった感じであろう。

内容はいたって安否の確認みたいなものである。

ただただ声を聞くという行為は、ただただ安心するものなのである。

ケアーンズ入りした頃は

オーストラリア滞在4ヶ月目に突入していた。

そろそろノスタルジーに駆られる頃である。

彼のお父さんは年金生活に入りのんびりと羊を飼いならしていた。

一番下の弟とときどきお姉ちゃんが出戻ってくる感じで

まだまだ賑やかにお母さんはお母さん業を熟していた。

気ままに生活している夫と息子たちの帰りを待って

食事の支度をする生活である。

お母さんの役割は帰りを待つことだけのように

至って放任主義で、しかし気ままな家族にイライラしていた。

彼は、移住への意志や旅の目的、人生スタイルなど

時間が経つごとに、見極めていったような気がする。

と、何年も経った今そう確信する。

夢みた国で考える時間を持てたことは本当に良かったことだと思う。

まず後悔しない。

動いてみないとやってみないとわからないことはいっぱいある。

それは海外へ行くことだけではない。

身近なことでもなんでもそうだ。

彼は、滞在すると決めた残り2ヶ月を満喫することにした。

そして、オーストラリア移住は諦め母国イタリアへ戻り

近所でお母さんのフォローをすることに決心したのである。

それでいい。

私だって、母が生きていたら

イタリアに来ることなんて考えもしなかったんだから。

彼と出会ってオーストラリアに移住なんてましてや。



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ケアーンズにはそんなにいなかったように記憶する。

なにしろあまり写真がないから

ボワァっとはっきりしない断片と微かな記憶を

薄っすらと浮かぶイメージを辿るように繋いでいる。

それでも結構アパートの中とか構図を覚えていたり、通りのバーや

木にぶら下がっていた大きいコウモリなんかはよく覚えている。



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パースでのキャンピングカーの楽しいひとときから抜けず

ケアーンズでもレンタカーを借りて少し遠出をした。

クイーンズランドは、ウエスタンオーストラリアと違って

熱帯雨林気候であった。

だから、緑が鬱蒼としていて

全ての呼吸が空気となった生きた湿りと温もりが特徴的であった。

国立公園デインツリーレインフォーレストでは

見たことのない植物をはじめて見た。

まるで生き物のように動き出しそうである。

地面から生まれてくる奇妙な植物は、昔っからの生命で

堂々と意味ありげに生まれ、私は恐れ入った!という感じであった。

とにかく大きくみずみずしく水分で硬直したように聳え立っている。

よそ者である私たちは

共存しあっているそこにいる生き物たちを羨ましく思った。

彼らは植物も動物も虫も微生物も仲間のようにみえた。

一種の自然社会・・コミュニティーを感じるような雰囲気で

彼らの世界があり、人間の立ち入りを拒んでいるようだった。

そのくらい恐縮したレインフォーレストである。

そんな風に体感しても、レインフォーレストに来てよかった。

太古のシダは感動的であった。



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ワニがたくさんいるところに行った。

そして、ワニを食べた。

オーストラリアで、ヘビを食べた。

カンガルーも食べた。

食べれるものは何でも食べた。

食べ続けることはしないけど

原住民が食べるものは食べたいと思った。

オーストラリアだけではない、今まで様々な肉を試食したと思う。

ウマだって、ロバだって、カエルだって、カタツムリだって

イノシシ、シカ、ノウサギ、ヤマアラシ大、キジ、ホロホロチョウ

こうやってあげてみると、私が原住民のようで私が狩人のようだ。

野生のようで野獣のようだw

今では、野草を摘み果実をかじりそして保存する。

原始人とは・・と考えたことがあるけれど

私の人生それに似た生活スタイルもあってそうであるw

あぁ、だから田舎を選ぶのか。

衣食住の真髄を永遠に追求しているのかもしれない。


後編下につづく



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幸せの種 il mare d'autunno



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前編上からのつづき。


98歳のおばあちゃんは、元気だった。しっかりしていた。

朝、早く起きて、魔法の薬のようにニンニクを一片えいっと潰して

水と一緒に飲み込むのである!wow

散歩だってするし、洗濯だってするし、料理だってするし

生ゴミは、外の小さな庭の小さな菜園のあちこちに

鍬で軽く穴を掘り捨てる。いい方法だ。

一週間に一度お掃除をしてくれるシルバーアルバイトがやってくる。

だから私たちは日常の些細な助っ人ぐらいで自由な生活ができた。

そのおばあちゃんチから、クリスチャン無料英語講座に通った。

一世の元レンガ大工は、私たちになんとか仕事をと考えてくれるが

私たちの欠点は、労働ビザがないことであった。

イタリアのようにビザなし移民が会社に応募して雇ってくれたら

労働契約を持って届けに行くパターンではなくその反対で

労働ビザを既に取得している人を雇うというパターンが

主流であった。というわけで本も子もない。

オーストラリアにはワーキングホリデーという制度がある。

とてもいい制度だが、年齢に制限があることがネックであった。

ワーホリの取得は確か出発前に用意することだったように記憶する。

私たちが仕事や生活に安定していれば

おばあちゃんのところで家賃の節約ができたが

私たちのオーストラリア滞在の目的を

変えていかなければならない状況が、こう住み始めて

移民局なんかにも何度か足を運ぶごとにわかってきた。

コネクションもなくどうしても働けないなら、旅をすることにした。


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おばあちゃんはさすがイタリア人

トマト料理が大好きだったし上手だった。

ポルペッタ(肉団子のトマトソース煮)は週一ペースだったように思う

私たちが今ピッツァを週一で食べるように。

そして、切らすとすぐに作っていたフレッシュペペロンチーニの

保存可能激辛ソースをよくつくっていた。

私たちも真似してつくった。激ウマだった。

この保存ソースを、どの料理にもちょっと加えて食す。

それを加えるだけで、食欲が増すのである。

おばあちゃんの長生きの秘訣は、朝のニンニクと

この激辛ペペロンチーニソースだということを

私たちは人生のノートにメモった。


おばあちゃん一族と家族のように心配し合うようになった。

生活をしているカップルではなく、旅人であった私たちは

おばあちゃんのところを基点に、小旅行を始めた。

その近い将来には私たちは去ることを前提に。


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私たちは、キャンピングカーを5日間レンタルした。

オーストラリアでは、中古のキャンピングカーや改造バンの

プライベート広告がいっぱい出回っていた。

家賃を節約して、キャンピングカーで大きいオーストラリアを

車泊して旅していくのである。

そんな滞在スタイルをあとで知ったからもうお金も時間もなく

ミニ旅行で我慢することにした。

きっと私たちには合っていた滞在&旅スタイルかもしれない。

いつの日かまた大地を旅するときは

キャンピングカーをすぐにでもレンタルしたい。


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パース近郊はイタリアみたいだった。

ブドウ畑が広がりイタリアのような農作物が多かったような気がする。

気候が似ていたのであろう。

移民したイタリア人が自分たちの知識を

ここオーストラリアに植え付けていったはずだ。

こうやってオーストラリアが産出もできて発展もして

彼ら移民たちの力はオーストラリアにとって

なくてはならないかけがえのない人手だったのだ。

ただイタリアとどこが違うって、丘のない平野なイタリアが

オーストラリア南西部のパース近郊なのである。

誰もいない道、ときどき動物注意の標識だけが

大自然への道標だった。

あっ、あそこにカンガルーの群れがのんびりしてるーっ!

わー、走った。

(いや、歩いた感じ?遅いけど跳ねていたw)


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私たちは、ひとまずキャラバンパークに向かった。

オーストラリアにいる広大な自然の中にいる動物たちを

大集合させたファームでもあった。

私たちのところに怖くなるほど人に慣れた動物たちがやってきた。

そこで私たちはオーストラリアにしかいない

コアラちゃんを抱っこすることができた。

爪が太く鋭くちょっと怖かった。

温かかった。

眠そうだったw

このコアラちゃんを抱っこするだけで、もうオーストラリア万歳だった。


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モコモコの羊ちゃんもいっぱいいた。

毛糸に使われちゃうみたいでスキンヘッドならぬスキンボディで

きょとんとこちらを向いているつぶらな瞳が愛おしかった。

お肉にもされちゃうようで、そこのファームでBBQができた。

そこでラム肉を焼くことにした。

この広大な土地に二人だけのBBQはなんだか寂しい。

友たちとワイワイシーンのノスタルジーに駆られた。

ワインは、オーストラリアの特徴に感じたどれも似た味のワインを

大自然の中で広大な土地を歩くジビエのような家畜と共に嗜めた。


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夜、大きな木の下にキャンピングカーを駐車して、寝る準備をした。

ソファーとダイニングテーブルがベッドに変身する。

床につくと急に静寂となるのが不思議だ。

静寂になって自分が無になった途端

小さな音がよく聞こえだすのも不思議である。

きっと暗闇になってからずっと続いている音なんだろう。

小動物が走り回る音がする。

外に出ると、リスのようなサルのようなイタチのような

速いタッチの動物が、止まっては走り走っては止まり

彼らの一日が始まったようであった。やれやれ。


見渡す限り草原の平野は、私たちがちっぽけに感じるどころか

動物たちが大集合しているでっかいファームだって小さく見えた。

こんな広大な大自然に立つと

地球ににポツンとのっかているような居させてもらっているような

自然との共存どころか自然に従わなくてはいけない

自由な奴隷のようであった。

そんなことを想いながら朝のカップチーノは最高だった。


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パースは、イタリアコミュニティーとイタリア気候風大平原

地方移民が築き上げたゆるいアーバンな街は

便利で住みやすい土地だった。

パースを離れ、私たちはクイーンズランド方面へ向かった。

残念そうに見送ってくれたシチリア人一家。

ごめんなさい

生まれ変わったときにまた出直してお会いしたいです。


後編上へつづく。



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彼が夢みた地へ前編 上 Western Australia - Perth

母のクリスマス les chansons de ma mère

この日に Anniversario



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「どうしても行ってみたいところがある。」

行きたいんだったら行けばいい。

私だって移住している身だから、試しに行ってみるのは賛成だ。

しかし、単なる旅行ではない。

「気に入っちゃったら移住も考えたい。」という。

自分がやってみたいことなら、自分で調べて計画してみればいい。


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私が高校生の頃

アルバイトはしていたがファッションや外出にほとんど費やしていた

と記憶する。しかし親に小遣いをせがむことはなかった。

高3の夏休み

みんなで伊豆諸島に卒業旅行的思い出ヴァカンスをしに行こう!

という案が上がった。

友だちとそんな旅行に行くなんて胸が踊りまくり絶対に行きたい!

と思ったことは当たり前だと当時も今も思う。

母子家庭の母にそのことを相談した。

「きちんと計画をして見積もりを立てなさい。」

見積もり・・・

高校生の私は驚いた。

しかし、当然だ。私はいろいろ調べ始めた。

交通費、宿泊費、食事代、雑費など。

この時に、計画を立てる、調べる、見積もりの仕組みを覚えた

と確信している。母に感謝したい。

そして、母が五万円をくれたことをはっきり覚えている。

そのことばっかり記憶があって、肝心な伊豆諸島旅行の方は

写真にあるシーンと同じ記憶しかない。よく覚えてないのである。


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2002年の冬、私と夫は、夫が夢みたオーストラリアへ飛んだ。

タイ航空でタイ経由だった記憶があるが

なにしろスチュアーデスさんたちが

ものすごく感じが良かったことは絶対に絶対に忘れられない。

日本人のビジネススマイルとも違う

欧米の無愛想な接し方とも違う

生活の中の優しさがそのまんま職業に活かされている表情。

あれから私と夫の中では、タイ人の好感度100点満点である。

空港でも賑やかなマーケットが繰り広がっているようで

街に出なくてもタイの空気だけは身に触れることができた。

大急ぎで乗り換えだけのトランジットは残念すぎた。


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私たちは、マイナーに西オーストラリアのパースに到着した。

なぜパースだったのか。

それはイタリア人の移民が多いという情報を得たからである。

なぜイタリア人の移民を期待したのか。

それは言語の不敏さとコネとか協力を求めようとしたからである。

オーストラリアに移住するには

英語を話せる人、お金を持ってる人、技術を持っている人

確か・・家族がいる人、だったように記憶する。

夫は、どれも当てはまらない。

貯めに貯めた全財産をはたいても

お金を持っている枠に入らない。

その貴重なお金は、滞在費に消えていく。

ユーロになった頃の何枚もの500ユーロ札を

私も手伝って腹に巻きつけていった。


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節約のために、ユースホステルみたなところに数泊した。

安い金額はやっぱり安い落とし穴があり、不潔だった。

マットレスの裏にはノミがいっぱいいたようで

ノミが出やすい側の私の身はいっぱい刺された。

日本人が滞在費と交換に清掃のアルバイトをしていたが

やっぱり素人なのである。履いたり拭くだけではダメなのである。

そこで交渉するにも語学力不足であった。

病院に行くにも旅行保険に入っていなかった。

ここで旅行保険の重要性を思い知る。

変なところで節約しようとすると、どこかで痛い思いと出費をする。


数泊している間に、しばらくの滞在先を見つけた。

土地勘がないのでとりあえず街まで歩いていけるアパートにした。

思い出すと、可笑しい。

トイレが離れにあったことを思い出した。

そしてサンルームみたいにとってつけたようなところが私たちの部屋で

ゴキブリがいっぱい出たことも思い出す。

中庭にグルグル回る大きな洗濯物の干し竿があった。

土地がある国らしい物干し竿である。

もう一軒建ててもおかしくないほどの庭はあまり手入されていない。

それが虫や鳥には好都合なようだ。

薄暗くなると、白い鳥がきて、妙な声で鳴いていった。

イギリス人でもヒッピー的ナチュラル系か

モッズ系都会人に分かれると思うけど

元祖イギリスのせいか、オーストラリア人も2タイプあるようだ。

ここのアパートは、ヒッピー系なるようになれタイプの

母子家庭の一室だった。

でも、人見知り親子で話した記憶はちっともない。


夫だけ語学学校に通った。

私は午後夫のノートを一緒に復習した。

日本人が多かったようだ。

一度だけ、ホームパーティに参加したことがある。

若い子ばかりで、若いと思っていた私たちよりももっともっと若かった。

同時進行に日々今後の情報収集をしていた。

どうやって出会ったか覚えていないが

クリスチャンイギリス人の無料英語講座があることを知り

高額な語学学校を一ヶ月で退散し

クリスチャンイギリス人に託すことにした。

無料だから私も通った。

そこにはアジアンやアラビアンがいっぱいいた。

ケタケタと母国語で独り言を言うフィリピン人のお母ちゃんが

優しくって、お互い言葉が今一なんだけど

それでも共通語は英語で、お母ちゃんはマーケットのことや

料理のこといろんなことを教えてくれた。

お母ちゃんの言う通りパースのマーケットで野菜を買った。

安くていろいろあって楽しくってよく通った。

マーケットは商品が剥き出しで、素材や人間味を感じた。

スーパーはその反対で、全てが包まれていて無機質だった。


原住民アボリジニがその辺にたむろいまるでホームレスのようだった。

むしろ怖いぐらいだった。

イタリアでよく見かけるRom(住居を持たない遊牧民族)のような

根拠のある生活スタイルなのに

動物と同じで都会にくると糧が簡単に手に入る空気がするのか

いろんな手で日々生き凌いでいく。

私たちが普通に認知している政治があって法律があってという

生活のルールを知らない彼ら独特の理念で生きていくのである。

話を聞くと、後から押しかけて我が物の顔で国を乗っ取った

イギリス人から原住民アボリジニ民族へ対する賠償は

生活を100%保証することのようなのである。

今でもそうなのかわからないが、うだうだグループがたむろっていて

彼らの原住民風貌で生まれてしまった人生は

ちっとも活かされてなく、残念に思う風景であった。

アボリジニだろうが元イギリス人であろうが

街にいるなら一緒に公平に生きれたらいいのになぁと

私たちは寂しく眺めていたものだった。


図書館、公民館、語学学校、いろんなところに私たちは出向いた。

人に出会いたいけど出会えない。

アルバイトをしたいけどなかなかみつからない。

私たちは、イタリアンクラブみたいなイタリアンコミュニティーのある

イタリアでいうチルコロみたいなところにも通った。

そこの掲示板にイタリア人を探す求人があった。それは・・

‹ イタリア語しかできない98歳のおばあちゃんの

話し相手と交換に部屋を無料で貸します ›

というものだった。部屋が無料とは今の私たちには願った話だ。

これもご縁かもしれない、私たちは即決した。

そのおばあちゃん一族は、シチリア人であった。

子ども等があの頃逃げるようにヨーロッパ恐慌期を去った'50年代

タイタニック号のように船で渡ってきたイタリア系移民一世である。

パースに漂流して住み着き

その後シドニーやメルボーンに移住していったそうだ。

元イタリア人が県長をやっていたりするほど

とにかく当時のイタリア人がいっぱいて活躍して裕福に暮らしている。

港にはヨーロッパ恐慌期移民時代のミュージアムがあるほどだ。

未知の国オーストラリアに何を望んで決心したのだろう。

辛いこともあっただろうが、オーストラリアに移住して

みんな幸せそうだ。

一世たちのお宅にお邪魔させていただいたが

すごーーくでーっかい豪邸だった!

一世ご夫婦も娘たちもみんなイタリア語で話していた。

一世のご主人はMuratore(レンガ大工)で

生活を繋いできたそうだ。

'90年代の東欧からのヨーロッパへの移民みたいだ。

残念ながら東欧系移民はヨーロッパでの生活はそう甘くなかった。

私たちは、このシチリア人一族の呼び寄せた長老

おばあちゃんとの生活が始まったのである。


つづく



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おかあさんのオリーブオイル un ricordo di Ungheria

出会いを祝ったSan Valentinoの日

ヴィンチの地平線 Orizzonte


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どうやらこの日を待っていたようだ。

どこを探してもこの手の記事が一つも見つからない。

ブログを始めて4年が経つ。投稿した記憶はあるのだが。

そうだ、フェイスブックに投稿したんだ5年前に。

あれから5年経って、25周年となろうではないか。

フェイスブックをスクロールしまくって5年前に遡った。

5年前も10年前も15年前も

そしてあれから25年経った今も

あの日はあの日なんだ。

過去は変わらない。

しかし、私が暮らす土地をイタリアにしたことは人生の転機であって

その記念する日をどうも忘れることができない。

むしろ祝いたいぐらいである。


1995115日、私はイタリアの地に足を踏み入れた。

何かが始まったわけでもなければ変わったわけでもない。

胸が騒いだ日だ。

人生という旅の中で胸が騒いだ日は記憶に残る。 ”


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なぜ旅立ったのか、海外へ移住してしまう人に向けて

必ず質問したい項目である。それは、移住者同士でも。

私は、頭を切り替えたかった。

唯一大人として頼りにしていた母が亡くなって

私は涙の海となるほどショックだった。

今も相談したいことがいっぱいある。

自分一人で考えて考えて苦しくなるくらい考える。

母が亡くなって一週間もしない内に、相続や供養の話など

とにかくお金の話を親戚たちは

毎日泣いてばかりで誰にも会いたくない私に

課題を押し付けてきた。

私はこの課題のせいで正気を取り戻し始めたような記憶がある。

好き勝手にはさせない。

若くたって弱いワタシをみせるのは危険だと察した。

専門家にも相談しに行った。

一番よいだろうと思う結果をだしたと思う。

だから今でもその時の大きな課題に関しては悔いがない。

しかし、お金に目が眩む大人たちに

ワタシのカラダの中で骨を溶かしていくような寂しさを覚えた。

私は距離をつくりたくなった。

独り身となった弱みを握られたまま、私は遠くに行きたくなった。

それが私の旅立つ理由である。


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ロンドンでもニューヨークでもどこでもよかった。

しかし大きな都市でたじろぐワタシを想像してしまった。

そこで高校の世界史の先生がフォロ・ロマーノのことを

一人演劇風に語っていて、夢中に聞いたことを思い出し

イタリアを調べ始め

工房のたくさんあるフィレンツェに決めたのである。


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一年目の留学時代、同じ留学してきた仲間と

四六時中時間を過ごし、何もかもを語りあった。

どうしても胸が騒いだ旅立ちの年は、思い出深い。

浅い過去と深い未来を持った私たちは

フィレンツェの教会のクーポラが見える小さな部屋で

何度も乾杯し、みんながあのアパートに集まった。

なんだかみんなみんな弾けていた。

そしてみんなみんなバラバラに道を歩んだ。


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頭はそう簡単には切り替わらなかった。

世の中はそう甘くない。

問題にぶつかると、骨を溶かすような寂しさがまた襲ってくる。

きっと母に相談したい時なのかもしれない。

だからわけもなく泣いて泣いて考えて考えて

私は人里離れた田舎に住むようになったのである。

丘の上から眺める景色は最高だった。

高すぎもせず低すぎもせず。

私の出身地で出会わなかった景色だ。

その丘はオリーブがいっぱいに埋め尽くされていた。

そのオリーブの丘で、フィレンツェで習った

Carta Pestaの技法をアレンジした方法で作品を作り出した。

作品で気持ちを表現したりした。

だんだん寂しさが小指一本の気持ちになっていった。


Non finisce mai la bellezza - parte

私は、私のことを誰も知らないところだったら

どこでもよかったのかもしれない。

こうやって私が気が向いたときに寂しさを語れればいい。

襲ってくる寂しさはもう懲り懲りだ。

ある年、日本の実家を売却した。

寂しさに変えた大人たちがだんだん小さく見えるようになってきた。

清々しくイタリアに戻った感情は忘れない。

しかしその日にちは覚えてないのだ。

清々しい日より胸が騒いだ日の方が記念日となるようだ。


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今、オリーブの丘でオリーブを栽培して

オリーブの成長を観察しながら、私の人生史と重ねてしまう。

常につきまとう孤独感を植物たちと過ごすと

仲間のように感じてしまう。

きっと日本にいても、日本のどこかに逃げていたかもしれなくて

きっと植物に近いところで生きていただろうと思う。

だから何が変わったわけでもなく始まったわけでもないのだ。

距離をおくって必要だなと確信したことだけは

唯一自信を持って言えることである。

そこがイタリアだったのだ。

その到着日が1995115日なのである。

その頃はこの日が成人の日で祝日であった。

今や時代も変わり祝日がなくなっちゃって第二日曜日のようだが

成人を迎えられたみなさま、一先ず、おめでとうございます。



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