大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

February 2020

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ブドウの枝からポタポタと涙が溢れていた。

こみあげるように、ふるいおこすように。

向こうではミモザが色を変えている。

菜の花は場所によっては種になりかけていた。

半袖になりたくなるほど体がほてる日もあった。



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春が近づくと、ブドウの木の樹液が流動しはじめ

剪定した切り口から樹液がこぼれる。

その現象をイタリア語でPiantoピアントという。

このピアントがはじまる頃、Legaturaレガトウーラという

一番下の架線や柱棒に縛り付ける作業をする。

これをきちっとすることで、芽が出て成長するときに

まっすぐ上へ上へと伸びることができる。

ピアントがまだ全部にはじまる間、新しいブドウ畑の

小さなブドウたちのレガトゥーラをすることにした。

彼女たちはまだまだ体を曲げることはない。

姿勢正しく生きるよう道標を私たちがつくってあげるのである。

その後、まっすぐ生きる者もいれば、クネクネとすねる者もいる。

まったく人間と同じだ。



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小さなブドウの木を相手にすると、しゃがみこまなくてはいけない。

張り切って一日目はなんてこともなかったが

二日目は、筋肉痛がはじまった・・。うぅ、辛い。

しかもマウンテンバイク風シティバイクの、ギアがきかない

自転車をこいでみるとわかる若干坂道を

体が熱くなるほどにこぎきった後のうさぎ跳びは厳しい。

「私、坂道に動悸を覚えるよ。」

「マキ、日々の筋トレが必要だ!」 まぁね。

「毎日走ったり歩いたりさ、自転車乗りまくったりして

体を鍛えるんだ!」 そうは言うけど・・。

農主と、年を取れば取るほど体を鍛えなくてはいけない

そう納得させるエピソードを話し合った。不吉だねぇ。

「農業なんてちっとも運動のうちに入ってない!」 あら。

確かに動かすところが違うし、持久力を鍛えるにはまたちょっと違う。

デスクワークの人よりは無意識にでも動かなくてはいけないが

あくまでも作業であって運動ではない。

井戸端会議にならぬよう、自転車通勤にかけてみようと思う。

少年がサッカーの練習に日々掛けているように

農民も農作業期のために、日々体を鍛えなくてはならない!



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あーだこーだ体調を心配している割には水を飲まない農主。

私は、水を飲むことは大切だと病気になるたびに思うから

IKEAでテルモスの水筒を買って

日本からのお土産、殺菌効果のある緑茶をぬるめに

ブドウの木の柱にぶら下げておく。

しかし、列を往復しないと口にすることができないので

ウエストポーチにも小さな水を持ち歩く。

この水は、飲む用と緊急時用。

腰にはベルトに2種類の紐と縛り付ける道具と剪定用はさみ

プラス、携帯電話や身分証明書、小型カメラにそのミニ水筒

ティッシュや絆創膏などがごちゃごちゃ詰まったウエストポーチを巻く。

重いけど、どれも必要な道具なのである。



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「今日のお昼のニュース見た?」

「まだ見てないけど。」 畑にいたし・・。 

農主はミラノのワイン見本市イベントに参加するそうだ。

参加するか悩んでる、という。

はじめて娘をミラノのイベントに連れて行く予定だったそうで

嬉しさと残念さがまだ半々だった頃。

こういったイベントは、口にするものもあれば

はじめましてやありがとうの握手は必須だ。

イタリア文化はスキンシップが現在天敵となってしまう。

少年のヴィンチの国立中学校も指令が出た。

3月15日まで遠足等の遠出を禁止されてしまったのだ。

まさしくも遠足シーズン、交換学習シーズン、コンテストシーズンで

子どもたちは踏んだり蹴ったりである。

少年に 「遠足だった日は何するの?」

悔しそうに 「いっぱいテスト・・・。」 あぁ、可哀想に。

カーニバル最終日は友たち恒例の村集合には参加して

時間を思春期らしく無駄に過ごしていた。無駄が思い出なんだ!

農主もワイン見本市イベントは中止されたそうだ。

なんてこった。

しかし、警戒は必要だし、こうなったら全員で警戒するべきだ。

だって全アジア人だけ差別にあうのはどうかと

思っていた矢先であった。

少年の隣のクラスの中国人のウーちゃんは

中国のお正月に里帰りした様子で、そういうわけであれから

中国で足止めをくらってヴィンチに戻ってきていないという。

そっか、いつ帰ってこれるんだろうね。

なんだか、こんな田舎の村にも話題のウィルスは近いのだ。

しかし、イタリアの厳重な即決判断は、正しいかもしれない。

このキリスト教特有のSolidarietàソリダリエタ(団結)は

他国との関係を薄くしてもイタリアにはある。

国がキリスト教を本にあるから、弱いものを放っておかない。

お年寄りだってこれ以上被害者はだせないと首相は伝えていた。



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風がヒューヒューと唸っている。

まるで、コロナー、コロナーといっているようで空が怖い。

今イタリアはコロナウィルスで機能がストップしている。

10km離れた大きなスーパーの棚には買い占めが出現し

小麦粉とパスタ(特にペンネ)とトマトソースが消えているという。

私も小麦粉が欲しいと思っていたところだったのに

トスカーナの住人は考えることが同じようだ。

キュッキュとブドウの枝は曲がる。

しっとりとした気流はブドウの肌を潤わせているようだ。

足元にはビーツがわんさか生えている。

人工の畑なんかより生き生きしている。

テントウムシは、コロナウィルスを他所に交尾をせっせとしている。

コロナウィルスで隔離されたイタリア北部の村では

日々の習慣スキンシップができずに

遠くを眺めるように家族を見つめている。

早春の涙は、なにを伝えたいのであろう。



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女のブドウの涙 Pianto

ブドウの枝を縛る Legare le viti

大気の音、次世の声 Friday For Future



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この日キミの誕生日だ。

日本語とかイタリア語ではなくって英語読みをしよう。

サーティーンになった。ティーンエイジャーの仲間入りだ。

イタリア語風に読み書きするとティネイジャーだ。

ティーンエイジャーとは思春期を指すようだ。

思春期ってだんだん社会の中の自分を比べだすみたいだ。

春夏秋冬の一番目の春だ。

春は芽生える意味がある。

自我が出てくることかもしれない。

そうやってはじめて自分を思う時期だから

思春期って言われるんだと母は思う。

体だって変わってくるそうだ。

もう声だって急に変わってきて

歯だって全部生え変わったのではないか?

そうやって少しずつ大人になっていくのだ。

大人枝に芽が出てきたと思えばいい。

その芽は、葉っぱかもしれない

花かもしれない、実かもしれない。

それは、お楽しみだ。

このお楽しみの成長を人生というのだが

楽しく感じるまでは、風に当たったり雨に打たれたりするはずだ。

それを乗り越えて楽しく感じたら、それを幸せというのだよ。

楽しいことはすぐ終わってしまうけど

楽しいことを楽しみにしてれば、楽しく生きていける。

一人でも楽しくいられる方法を考え出すのだ。



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今、学校から帰ってきてお昼を食べてグーグー昼寝してるけど

母は放っておくよ、静かだから。

過眠もよくないらしいけど、睡眠不足もよくないらしい。

よくないことを羅列しても何も聞いてくれないから、放っておく。

お願い事を言っても聞いてくれないから、放っておく。

放っておくけど一応言っておく。だからうるさい。

でもキミは優しいから心のどこかに母の声をダビングしている。

静かにそれを守って、でも邪魔をするように意地悪をする。

うるさい母が静かにならないように意地悪するのだ。

この接触が親子なんだよね!



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SNSで見つけたんだけど

スマフォで自分が一番撮ったり見たりしていることが

いっちばん興味のあることなんだって。

母はすごく納得した。

キミは今、サッカーのことしか興味がない。

次年度続けられるかわからない選抜システムらしいけど

違うところでもずっと続けていい。

許可をしようじゃないか。

がんばれとは言わない。

学校とは別の世界の友だちができたみたいで

そのチームワークはキミの思い出に一生残るはずだ。

この思い出の積み重ねがたくさんあればあるほど

人生は色濃くなっていくものだ。

学校でもスポーツでも、出会って息のあった友を大切にするのだ。



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イタリアのサーテイーンは高校選びがある。

将来のことを考えるのは難しいことだけど

学んでみたいことを学べばいい。

好きなことだってわからなし、興味があることだって不安になる。

大人だって自分のことがわからないことだらけなんだから

不安でも大丈夫。学んでいる間に見つかることもある。

母から一つだけ。

学べる時は学びなさい。

その学びは将来とずれることもあるけれど

仕事で活用できなくても生活で活かせることもある。

本当は母は心配で仕方ないんだけど

我慢して放っておく。静かにする!



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誕生日は何が食べたいの?

唐揚げ、プリン、ビステッカ、いちごのケーキ

それからツナおにぎりとプロシュットのパニーニ。えっwww

よし、つくってあげよう。

去年もその前もその前の前の年も同じメニューだけど

好きな食べ物なんだからしかたがない。

きっと来年も再来年も同じなんだろう。

もうこれから聞かない。



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少年よ、お誕生日おめでとう。

母より背が超えちゃって、すべてが越されたように焦ったよ。

13年前のこの日、痛かったなぁ。



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悩んだ挙げ句、チェンソーを買った。

日本製マキタの充電式の電動チェンソーである。

イタリアでもマキタは高品質で割とメジャーなブランドである。

まず、なぜチェンソーを買うことにしたかというと

オリーブの剪定でのこぎり作業に息切れを覚えたからである。

太い新枝ぐらいだったらよいのだが

数年経った5cm以上の古い枝は、硬い。

腕力で全然切れるが、何本もあるとしんどい。

その上100Mをダッシュで走っているような息切れがするのである。

その息切れはゴキゴキと2回引くだけでゼーゼー。

それを何回も続けていると

はしごの上で心臓発作にでもなるのではないかと

マジ焦ったからである!


なぜ、そのマキタの充電式電動チェンソーにしたのか。

本当は去年から高枝切りの電動ロングチェンソーを買おう

と心に決めて息を切らせて剪定をしていた。

今年に入り、剪定も間近、お店に行って品物を実際触ってみると

かなり重いのである。

電動だからエンジン式より軽いのだが

長いだけに重く操作が難しい・・と持った瞬間わかった。

これではダメだ・・・他の枝に傷がついてしまう。

お店の人にそれでも充電式の

充電池のアンペアだとかいろいろ説明してもらった。

本当は電動ハサミだって欲しいけど

いやいやまずは息切れを解消しなくては。

息切れトラウマとなってはどうしてもチェンソーを諦めきれず

本来の手にしっかり持つタイプで小さくて軽いもので探していくと

マキタに到達したのである。

そして、エンジン式はブィンと紐を引っ張ってオンにするのを

夫の勢いを見てて、どうしても私には見てるだけでも無理と判断。

それに、ガソリンだオイルだ排気ガスだで空気の汚染だけではなく

自分の呼吸さえも苦しくなりそう・・

と、エンジン式を2台もつ夫も賛成していた。



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お店に相談に行ったのに、結局のところ

オンラインショップで買うことにしてしまった。ひどい。

チェンソー本体、5アンペアのリチウム充電池2個

2個同時高速充電器、バラバラで注文することになってしまい

時間差でバラバラに同じ日に全部三社の運送会社から届いた。

このご時世、人はなんてこともないであろう。

しかしこのオンラインショッピングをテーマにRai(国営放送)で

« A・・・・nは世界を滅ぼした » という特集をしていて

ここでも私は涙した。涙もろい・・

わかっていても安さに負けてしまううわべマーケット。

私は年に一回利用するかどうかという具合だが

これを機にもっともっと吟味して気をつけて買い物をしようと思った。



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世界には、たーくさんのオンラインショッピングはあるのだが

この特集でインタビューの許可を唯一出したのはここ

世界でトップの、社長は世界でいっちばんおっ金持ちの

たまに容疑者っぽくもしくはスキャンダル風な写真で紹介されている

A・・・・nである。

そのオンラインショッピングの経路や形式を教えてくれた。

A(略)には大きな倉庫を点々と構え

品物を即発送できる仕組みになっている。

倉庫が颯爽としていて従業員はロボットっぽく無機質にさえみえた。

一品一品を頑丈に梱包し、そして発送される。

オーダーから発送まで唯一注文者と対面するのが

運送業者の配達人である。

その配達人はノルマがあるそうだし

不在だとまた来なくてはいけなかったりするそうで

ノルマ達成にはならないそうだ。

ノルマだからのんびりランチの時間なんてない。

覚えている。手渡した瞬間駆け足でトラックに乗り込み

猛烈な排気ガスで次へ向かうトラック。



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何が問題かというと

店としてのサービスが消えたこと。

大型スーパー誕生でも痛い目にあっている街の小さな個人店は

オンラインショッピングがメジャー化しつつ

人の足は途絶え気味であるそうだ。

確かにニュースでも本屋が街から消えていくニュースをやっていた。

街に人が必要なものを買いに来るという光景がないという。

それでも店の主たちは、人が集まる街に灯りを・・

という想いで厳しい状況の中でも

店でしかできないサービスを提供し続けたいという。涙

街の住人が集まる店で、コミュニケーションをする。

店とは、街の灯りと住人の明かりの場なんだと思う。

お店で買うとちょっと高いのは

この毎日の灯火とサービスと知識料なのである。

有機栽培がちょっと高めなのは、日々の手入れや自然への労り

それは栽培主の気持ちと全く同じようにみえてきて仕方がなかった。



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そして、頑丈な梱包は想像通りゴミとなる。

そんな目につくことだけが問題なんじゃない。

驚いたのは、Aの倉庫に保留してある売れない商品や

契約切れ商品の処理である。

引取の値段と処分の値段というのがあるそうで

処分の値段のほうが安い。

だから個商品の企業たちは、後者を選ぶに決まっているのである。

一日に計何千万円といったたっくさんの商品が

ゴミとなって処分されているのである。

どれも新品で、ただ契約期間が切れたという理由だけで・・・・・

ゴミになるとは思いもよらなかった。


そして運送での排気ガスである。

飛行機、トラック・・・

近頃、街の中では自転車で配送するシステムがあるそうだが

そのシステムもイタリアではノルマ制で

従業員は雇用されない外国人だったりするそうだ。

イタリアの問題は、雇用体制が常に問題である。

オフィスワーカーよりフィジカルワーカーに

すごく厳しい対応であるのは運送業とは限らない。

頭脳vs肉体

両方備わっていれば一番だが、そんな人間なかなかいない。

さすが北欧では、そのエコ配達の組織がとても充実していることを

イタリアのインタビュアーらしく皮肉っぽく伝えていたw いいぞ。

要は、働きやすい環境つくりが北欧ではどの業種もいい。


この特集では、私たちの生活スタイルを見直すべきだということを

最終的には伝えたかったはずだ。

世の中どんどん便利になって

しかし、裏を返せば、人間味がどんどん薄れていき

自然までも崩壊させていることに気づかなくてはいけない。

そして、誰もが働きやすく生活しやすいお給料で

安全と安定が確保されているといいな。

私はフィジカルワーク系に属するけど

そういう仲間の声はどこか満足をしていない。



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三社のオンラインショッピングで買ってしまった

その一応環境に優しいだろう電動チェンソーが

私の剪定道具に加わった。

それでも細かい部分は手動のこぎりでやる。

太く硬い枝の剪定もブルンとあっという間に切れてしまうパワーで

おもしろくなっちゃうほど。

高い枝は、はしごをきっちり縛って安定した位置で行う。

お転婆な私は幸い(?)高所恐怖症なので(!)

絶対に無理はしないしできない。

チェンソーを使うたびに

お店の人の顔を思い出しながら作業をしている。

壊れちゃったら受け付けてくれるのだろうか、と。



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エシカルに生きる Consumo Etico

サステナビリティ力 Rifiuti Zero in Kamiktz

女剪定士の弱音 Potatura degli Olivi④



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ふとカレンダーを見ると、もう2月14日ではないか。

この日も私には記憶の中の日となったことがある。

バレンタインのチョコの話でもしたいところだが

人が浮きだった頃私は、病院で一人肩をすくめ途方に暮れていた。



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私には兄がいた。

しかし、両親は年子の私たちが幼少の頃離婚してしまった。

兄は父方へ、私は母方へ、男女まっぷたつに別れた。

私も兄も両親もどんな想いであったのだろう・・・。

それを探ることは今までしたことはない。

そして、父が早々にあの世にいくまで、私と兄は会うこともなかった。


兄と再会した頃はもう私たちは高校生であった。

母だって私と同じく兄と会っていなかった。

大阪で別れているのに

父と兄は東京の外れの一軒家に住んでいた。

とりあえず会おうということで、若者が好む渋谷で落ち合った。

こんなゴチャゴチャしたところで、十数年も会ってない

育ち盛りの青年がわかるのであろうか。

ところがわかるものなのである。

兄も母も二人はすぐに見つめ合っていた。

二人はお互いに手を小さく振りあっている。

すごくよく覚えている。

私だけ、キョロキョロしていた。


私はあまり話さなかった。

兄もあまり話さなかった。

母もあまり話さなかった。

それからよく覚えてないけれど

その日か別の日か、私と母は兄の家に行って

ハンバーグをつくった記憶がある。


今思うと、いやその頃だって思ったけど

18歳の青春は一軒家に一人で住んでいたのである。

ご飯はどうしていたのだろう。

生計はどうしていたのだろう。


兄は、学業を諦めて働いていた。

ちょっと水商売系の仕事のようだった。

後で写真を見て、楽しかったんだろうシーンに涙した。

人と変わらない青春を送っていたようだ。

兄は、ハンサムでどちらかというとジャニーズ系らしい。

仕事先ではとても人気があったようである。


兄が青春をしている頃、母は難病と仕事に追われていた。

正月や四季折々にある親戚一同で集まる会には

兄も我が家に来ていた。

いとこたちとすぐに溶け込んだがやはり違和感があった。

母に似て気品のある顔立ちだった。


楽しそうに青春をしている様子だったので

私は、あまり母のことで相談をすることもなく

いつまでたっても兄妹の関係はつくれなかった。

そして、母は病に負けた。

母の死の知らせに、兄は飛んできて、わんわん泣いた。

こんなに泣きじゃくる男子をはじめてみた。

狂っているのかと思った。

これからこの人はどうしていくのだろう。

きっと何も変わらないはずだ。

父が亡くなったときが一番変化があったに違いない。

私が今(あの頃)変化を受けているのと同じで。



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私と兄の関係はぎこちなく進んでいく。

私は、兄との関係の変化は何もなく、イタリアへ出発した。

すると、約一年後ぐらいに、日本から電話があった。

「すぐに帰ってこれるだろうか?」

父方の叔母からであった。

兄が白血病になったから、家族の輸血がほしいという。

私は、飛んで帰った。

兄との関係はなんだかよくわからないまま

兄と私は兄妹なんだっていうことだけの細い紐のような繋がりは

藁をも掴むようであった。

今までだっていなかったようなものだけど

兄まで私を置いていくのか。

どうしても助けたかった。

私の血で助かるぐらいだったら

どんどん吸い取ってくれという想いであった。

しかし、私の血では相性が悪く、力になることはできなかった。

たった一人の血肉なのに。


今まで輸血した副作用の話を聞いた。

とても辛い体験をしていた。

・・やはりここには書けない。

結局のところ、兄は闘病生活を引き続き送り

私は、今日明日に生活を変えられる環境ではなかったので

そのまま引き続き叔母に兄を任せた。

父はこの叔母を頼りに上京してきたようだ。

父と兄は、ずっとこの叔母と家族のように過ごしてきた様子である。

叔母は上品で親切な人で、兄を息子のように可愛がっていた。

私は、すごく安心した。

私にも親切にしてくれた。

この叔母でよかった。

私は羨ましいぐらいであった。


私が日本に再び戻ってきて間もなく兄は入院した。

何度か見舞いに行くが

ただそばにいるだけで無念な気持ちになるだけであった。

病を交代してあげたいぐらいだった。

私は黙ってそばにいた。

何を話せばいいっていうんだ。

私には無力すぎて、そこにいるだけでも辛かった。

そして兄は私に「ありがとう。」といった。

ありがとうという兄は、髪の毛がなくったって顔が腫れてたって

すごくすごく気品があった。

母似で、叔母に愛され、それでいて「ありがとう」は私の兄だった。


「ありがとう」を言ったその夜

兄までもが私をおいてあの世にいってしまった。

その日が、バレンタイデーの日だったのである。


私は息を引き取った兄とその晩同じ部屋で寝た。

私の帰る場所を失ってしまったかのように。

叔母が父の墓のあるところに連れて行ってくれた。

私は墓に執着心はないのだが

父の仏壇の中の写真を見てわんわん子どものように泣いた。

叔父叔母は困った様子だったがとまらなかった。

母が亡くなったとき兄がわんわん泣いていたことを思い出した。

私も同じだった。

父の隣に兄が並んでしまった。


兄は享年26歳だった。

きっと今だったら白血病は治せるんじゃないかと思うけど

あの頃は、試験人間のように辛い体験をし

一人あの家でインスリンのような注射を打っていたと思うと

寂し過ぎる人生だったと胸が痛い。

もっと近くにいればよかったと後悔するけれど

近くにいても心の距離がありすぎて

何もできなかったはずである。



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両親が離婚するケースで

イタリアだったら親権が半々となり

子どもが行ったり来たりの生活を強いられる。

日本の私たちのような片親のみという場合

自分の居場所はできるが、片親に会うことはない。

どちらがよいのか、それは子どもにしかわからない。

そして、離れ離れになった兄妹は

結局他人ぽく生きていくのである。

私は、イタリアのあっちいったりこっちいったりする生活よりも

性格上、ずっと同じところで自分の居場所がある方が好ましい。

だから、両親の決断に異議はない。

もともと家族はないものとして生きてきたから。



la famiglia non è che esiste, è da costruire

そしてこの作品が生まれたのである。

『家の中の族』

« 家族て在るものではなく つくるもの »

La famiglia non è che esiste, è da costruire.



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胸が騒いだあの日 un quarto di secolo fa

この日に Anniversario

かたみ i miei tesori


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バイオダイナミック農法カレンダーでは

2月入って間もなくして剪定に適した

Luna discendenteルーナディシェンデンテ

(約28日間のサイクルをする回帰運動中

天の赤道から23.4度傾斜した太陽の見かけ上の通り道である

黄道の秋分点(黄経冬至方面90~270度)側の約14日間)

エネルギーが地下へ集中するので地上での例えば剪定などは

この期間にすることで傷口への負担が少ないもしくは治癒が早い

という見えないエネルギーが天地を交信させている。

私は、完全バイオダイナミック農法を採用していないが

直接的な日や間接的な月、生命を宿う土や呼吸する風

この世になくてはならない水に関する観念だけでも

是非とも栽培に取り入れたい。

人間が鈍感なだけで、私たち以外の生物は

天地と共に生きている、と私はそう思っている。



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マリアトゥーンのバイオダイナミック農法のカレンダーを入手すると

たちまち意識しながら行動できて、様々な一致に気付かされる。

例えば日常の中で気付きやすいことは

パン生地(私の場合はピッツァ用に)を捏ねているときによく分かる。

空気に関する花の日(Giorno di fiore/水瓶・双子・天秤座)や

火に関する実の日(Giorno di frutto/牡羊・獅子・射手座)は

しっとり捏ねやすく醗酵が早くよく膨らむ。

それ以外の日だと、同じ容量で捏ねているのに硬いし醗酵が悪い。

海水の満潮や干潮なども天との交信だし

生物の産卵なども月の満ち欠けに関係している。

樹の傷口の回復力は、自力の治癒力をみればよくわかる。



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バイオダイナミック農法に完全に従っていくと

誰でもできるオリーブ栽培やトマト栽培ではなくなるようで

もう少し手間や信仰を軽減したいと私は考えている。

それは、自然栽培家木村秋則作«土の学校» という

「農薬を使わない栽培、その秘密は土にある」

という本を読んで、行き当たるところは自然農法の考えだった

というところに私は、自然農法とバイオダイナミック農法の

合体を描きながら進めているのである。

地下の大切な役割は微生物たちだということを忘れてはいけない。

最近では耕作も疑問をもつ人がSNS発信をしている。

それは微生物を殺してしまうからであるという。

そこが自然農法の考えなのだが

バイオダイナミック農法は、耕作して緑肥をして

牛の角に糞を詰め発酵させて生まれた微生物を

撒き散らすやり方だ。この作業に牛が必要なのである。

ここにまず難点を覚える。

だからこの牛糞の醗酵肥料をとばす人が多い。わかる。

緑肥はいい方法だと思う。

小さな畑であれば緑肥にもなるマメ科類やアブラナ科類を

時期を変えて植えれば、野菜が

前期のマメ科の根っこのバクテリアが肥料となってグングン育つ。

しかし、あくまでも私の考えだが

オリーブ栽培にマメ科やアブラナ科類などの背丈のある緑肥は

向いていないと私は思っている。

それは、オリーブの樹形が

地面から50cmほどに垂れ下がっているからである。

新芽が出る前に1mの高さで剪定しても

緑肥を刈り込みたい時期にはもう成長していることがほとんどで

緑肥で混み合い風通しが悪い環境でカビになりやすい

と私は信じて疑わないのである。

バイオダイナミック農法でワインを造る農主にも緑肥を勧められるが

そこだけは弟子でも納得いかないところなのである。



Prima di Potare


それではどんな方法がいいか。

一軒プライベートの大きな庭のオリーブの管理をしているのだが

そこは日当たりが物凄く悪い。

しかし、元気で豊作で丈夫なのである。

その土地の特徴は、日当たりが悪い分

微生物が好むようで土がふさふさであること。

草が生えて日を求め背丈が伸びてしまうので

まめに草刈りをしている。

その草は、私たち人間にも栄養効果のある野草、イラクサが

一面中に、ときどきタンポポやビーツなんかと競争している。

どれも薬草並のハーブで、むしろイラクサで植物の病を治す

バイオダイナミック農法の方法の一つである。

だから、私は、役に立つ野草が一面にあることが

私たちの生活にもオリーブにも適しているのではないかと

近頃とても強く思うのである。

とにかく背丈が低く役に立つ野草で踏まれても動じない

できたら花が咲くタイプ。

ハチがいっぱい来て受粉も手伝う天国のようなオリーブ畑が

いっちばん理想なんじゃないかと思い描く。



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2019年の秋、ちっとも収穫ができなかったこの畑で

今年もオリーブの剪定を始めた。

昨年の開花時の低気温で、実ではなく枝を増やしてしまった

オリーブたちは賑やかに鬱蒼としていて、見るだけで疲れてしまう。

樹形は今まで整えてきたから

今年はこの元気よく生えてきたエネルギーを吸ってしまう新枝を

取り除く作業がメインとなる。



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オリーブ剪定士 Potina

天は白の隙間な剪定 Potatura degli Olivi①

頭も木もグルグル剪定 Potatura degli Olivi vol.1


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