大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

カテゴリ: 暮らし

321933627_719677636186801_5996944768358193444_n

新しく出会ったイタリア人みんなが口を揃えて各々に
「日本てNatale(クリスマス)を祝うの?」と訊く。

「意味はわからずにハロウィンみたいなイベントとなって
パーティーして
子どもたちの一つの楽しみにプレゼントして...
イルミネーションもヨーロッパとおんなじ。
私たち仏教が基本だけどカトリックの人もいるし
なんちゃって仏教の人ばかりだから、なんでもOK!
私は無宗教だけど、周りを尊重してなんちゃってクリスマスして
同じ気持ちになるように過ごしている。」
と、答えているけど、みんなはどうだろう。

日本語だとクリスマスという言葉はクリスマスだけに使う用語だとおもうけど
イタリア語のクリスマスは、Nataleナターレと呼び
Nascita Nato Nascere などの誕生の意からきていて
Nataleは、イエス(gesù)の誕生 と
起源となる土地や街の誕生もNataleを使うことがある。

ミサに行くイタリア人こそ少なくなっちゃったそうだし
イタリア人さえも日本っぽく意味不明なイベント化していることが多い。
それでもイタリアのクリスマスの習慣は
日本の正月のように家族で過ごすことが多い。
ましては、親戚一同であつまることもままならない。

誕生のクリスマスを機に、家族が集まって
乾杯して、たらふく食べて、元気に笑って、満足して
一日が過ぎていくのがイタリアのクリスマスだろう。

私は典型的なイタリアンクリスマスをしないので
こんなにクリスマスについて語る身でもないのだが
私もクリスマスを機に家族でご馳走を食べて
息子にプレゼントをこっそり渡す
イタリアンクリスマス風を過ごし、思春期青少年にも
普通のクリスマスを過ごしている感が染みついているはずだ。

321968195_402751088681376_2239723333330931964_n

「マキんとこは、クリスマスなに食べんの?」
とまぁそんな話になる。

みんなが一通り、何を作るのか、何を食べるのか
どこに行くのか、誰が来るのか、何人集まるのか
プレゼントはなんなのか話した後に
アンタの番よ! みたいに振られる。

「24日のクリスマスイブ(Vigilia di Natale)は通常お魚食べるんでしょ?」
「そうだねぇ。」
「だから、お寿司を握ろうとおもう!」
というと、今度はSUSHIの話題だ。

この辺の人は中国系日本食レストランしか知らないので
話がズレることもあるし
「あぁ、私は生の魚はキライッ!」と耳もかさない人もいるw
お醤油がダメな人もいれば、海苔がダメな人もいる。。。

大好きな人は熱狂的にSUSHI好きで
話を聞いていると、SUSHI好きはどうやら酢飯が好きみたいだ。

321785653_1609601912811522_4971024681750679767_n

イタリアではそういうわけで、クリスマスイブには魚料理を食べる。
本番のクリスマスにお祝いとしてお肉を食べるので
前日は軽く食べる程度かもしくは断食でもいいぐらいなのだそうだ。
それは、クリスマスを尊重してのことらしい。
魚料理を食べる習慣になったのは
食べないっていうわけにもいかないしねぇ。。ということらしい。
お肉よりお魚の方が軽いでしょ!ということだw

というわけで、我が家のクリスマスイブはランチからお寿司だ。
SUSHIではない!お寿司だ。

一週間前に購入し冷凍しておいた生のサーモン
ほどよく柔らかくなった食べごろのアボカド
卵焼きと、白いのはある野菜で
薄くスライスして湯通してほんの少し柔らかくした。

この野菜は、日本語ではセルリアックというそうだ。
イタリアではあまり話題にならない野菜だが
スーパーにこっそりごろっと棚に並んでいる
見つけやすい食材だ。

イタリア語では Sedano Rapa 直訳するとセロリカブ
二つの野菜をくっつけた名前になっている。

ピリッとした辛味とセロリの味とカブの食感。。
この野菜でいろんな料理ができそうだ。
日本食にも合う。

夜は、タコを茹でて残りものを加えて寿司丼だ。

夜のデザートに日本のシフォンケーキのようなPandoroパンドーロを。

DSC08344

クリスマス当日は、御呼ばれされている人は行くだけだし
招待しているところは大忙しなクリスマスの朝。

我が家は、オーガニックファームのアントネッラのところの
ニワトリ(Polloポッロ)を一羽譲ってもらった。
アントネッラも自分ではエイッとできないので、ひとに頼む。

そんな有難いニワトリちゃんの首頭と足は別で出汁をつくる。

本体は、オーブンの丸焼きだ。
前日、塩を擦りこみたっぷりのオリーブオイルでマッサージ。
朝も、オリーブオイルでマッサージ。

200℃で20分後に白ワインコップ一杯
その後180℃に下げ、20分後に出汁をコップ一杯
それを3回ぐらい繰り返してできあがり。

その間に、ニワトリのレパー一式を玉ねぎとニンニクで炒め
首頭と足の出汁でゆるめてペーストを拵えて
パンにぬって食べるCrostiniをつくった。

その鳥出汁はまだまだ活躍。

生パスタは100gのSemola粉とタマゴ1個でこね
薄く伸ばして四角く切り
はたまた近所の農家で譲っていただいた
Salsicciaサルシッチャ(ブタの生肉腸詰めソーセージ)を詰めた
Tortelliniトルテッリーニを拵えた。

その生パスタTortelliniを5分ぐらい茹でて
その鳥出汁(Brodo di pollo)で
シンプルにいただいた。

エニマル夫は、乾杯するたびに嬉しそうだった。
プレゼントのときだけ飛び跳ねている思春期青少年も
アントネッラのニワトリを頬張っていた。

全部平らげた後は、伝統のPanettoneパネットネーネ
(ドライフルーツが入った発酵パンケーキ)。
菓子職人さんがつくったパネットーネは
何日もかけて発酵させて空気を入れてと手が込んでいるので
本場イタリアだって高級菓子である。
今年はホンモノに近づいたパネットーネを食べることができ
私たちは幸せだ。

DSC08347

DSC08350

クリスマスの翌日は
Giorno di Santo Stefano(聖ステファノの日)でイタリアは祭日だ。

今まではよく家族ぐるみのお友だち家族とヴィンチに集まって
食事会をしていたものだ。
コロナから、ぷつっとその習慣が途切れ
そうこうしている内に、少年は思春期青少年と日々成長している。

まぁいいさ。
今日も美味しいものを食べて満足しようじゃないか。
私が家にいる時は料理をしてあげようと
なんとなく心に誓った。なんとなくだ。

サントステーファノは
お肉屋さんでぶつ切りにしてもらったウサちゃんのフライだ。
ウサちゃんも先にオリーブオイルでマッサージ。
そして塩をまぶしておいた。

小麦粉と片栗粉を水に溶かしたつなぎにべちゃべちゃくぐらせて
余ったパンのパン粉につけて低温で揚げる。

オリーブオイルで揚げるのでもっと揚げたい。

よく遊びにきてきれた元イタリア在住の日本の友が
最後につくってくれた美味しいコロッケを真似て
野菜コロッケも拵えた。

彼女から教わったヴィーガンコロッケ。
つなぎのタマゴの代わりに溶いた片栗粉でやることを。

低温でじっくり揚げるとカラッと揚がるものだ。

322579739_1186306135345829_8335144641044042542_n

つまみは、オリーブの塩漬けだ。

11月終わりに摘んだオリーブの塩漬けが出来上がっている。
10日間、粗塩とニンニク2片を突っ込んで毎日シェイクシェイク。
10日過ぎたら、洗ってまた干す。
完全に乾かして、冷凍庫かオリーブオイルに漬けて保存。
 ニンニク入れるとオリーブの苦味が緩和されむしろ甘味が出る。

321652930_5846328445402961_7637522241602385819_n

こうやって丁寧に料理をしていると
時間なんてあっという間に過ぎていく。
一日中キッチンでなんかやっている状態だ。

他にもやりたいことやらなくてはいけないこといっぱいあるのに
丁寧な料理をするときは
無の状態で他のやりたいことを諦める覚悟が必要だ。

だからやっぱりお母さんたちってすごいとおもう。
だからやっぱり手抜きの日とご馳走の日があるのだ。

321710362_2085878854956343_7119357649935299243_n



2022年のブログはこれで最後となります。
いつも読んでくださってありがとうございました。
来年も引き続きゆるりと続けたいとおもいます。
どうぞよろしくお願いします。

みなさまにとって穏やかに年が越せますよう
お祈り申し上げます。



日本のみなさまに愛を込めて特別につくった
obatamaki監修EVオリーブオイルが販売されております。
ご注文はこちらのサイトよりどうぞ。






今日の一曲。




Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

DSCN2003

日曜日の朝
早く目が覚めたのでそのまま起きることにした。

日が煌々と東の丘から顔を出した様子だ。
トイレの窓から向こう側をのぞきこんだ。

空気がキンと冷たく日中の暑さが嘘のようだ。
半袖半ズボンではいられない。

昨日の台所のきれいな排水がたまっていたので
少ないけれど畑のトマトに水分補給しに行った。
トマトが少しずつ赤くなってきている。
今日食べてみよう。

しかし、毎年この調子で干ばつのような夏ならば
トマト栽培をやめようとおもいはじめた。
野菜たちは農園に任せればいい。
我が家の土地には、水やりを必要としない
自生できるような果実の樹を植えたいとおもった。
薬草でもいいな。

庭のコンポストにVespa(スズメバチ)が
巣をいくつも作った様子だ。
私は虫刺されアレルギー
(人より皮膚の炎症度が高く痕に残りやすい)だし
刺されるとそいいうわけで面倒なので
刺されても気づかないほどの虫鈍感の夫にいかせた。
が夫は、コンポストの蓋を開けっ放しにして
Vespaに嫌がらせをしていた。

そのVespaの巣をよく見ると
Vespaたちが巣にへばりついて眠っていた。
いつものように動いてなかったので
あれは眠っているのだろう。

ということは、ラベンダーを寝床にしている
Bomboという太っちょのハチも
まだ眠っている時間だろうと見に行くと
やっぱりラベンダーにしがみついて眠っていた。
いとおしい。

虫たちは、気温で目が覚めるのか
日の傾きで目が覚めるのか、よくわからないけど
虫だって眠ることだけはわかった。

生き物には休眠は必要なんだね。
当たり前だけど。
私たちもぐっすり眠らないと翌日がんばれない。

DSC07820

DSCN2022

DSCN1993

DSCN2004

雨が降らなくたって
勝手にフェロモンだして勝手におもてなしをしている
ラベンダーの収穫を、虫たちには申し訳ないが
今日、収穫しようと思う。

ラベンダーは、成育も香りも効能もいいので
収穫したら、2週間ぐらい陰干しして
肌用にオイルに漬けたり
石鹸をつくるときにラベンダーを煮出して混ぜたり
それでも余ったら、ポプリにしてタンスの虫除けにする。

恒例になったラベンダーの収穫は
花が半分咲き終わった頃
六月の終わりから七月頃に収穫する。

気候変動していても
ラベンダーは通常通りだ。
呆れるほど強いハーブ。

今や私一人で収穫し、束ね、干し
写真を撮ったり。。。
家人たちは各々に好きなことをしている。

ラベンダーに集まる優しいハチにたかられても気にならない。
ラベンダーは、勝手に成長してて、勝手に放出して
そして私のすべての癒しだ。
だから自分の誕生日の今日収穫しようとそれまで待った。

この一株のラベンダーは、息子が4歳の時
私の誕生日のとき、夫と選んで贈ってくれたものだ。

ラベンダーは8年ぐらいで植え替えと聞いていたが
なんのその、もう十年以上経っていいる。

必要に応じた春の剪定と、毎年の花の収穫は
案外ラベンダーの長生きの秘訣なのかもしれない。
それと、ヒトのスピリトがわかるのかもしれない。

Raccolta

DSC07038

そう、今日は私の誕生日なのだけれど
この特別でない「ふつう」に過ごしたかった。
毎年何をするわけでもないけれど
今年に限っては「ふつう」意識が高い。

過去を振り返らないなんて言う人もいるけれど
私は何度も何度も振り返って
何にぶちあたって何を学んできたのか考える。

自分の選んできた道というかコトを考える。

考え出して見つめ直してると
これが人生なんだな。。。と感慨深くなる。

波乱万丈な20代前半を機に
とりあえず生きてきたし生きてこれた。
これも頑張り屋の夫の支えが大きい。
どんなにケンカしたって夫がいなかったら
私は自由っぽいような生き方はできなかっただろう。

それでも選択の中に諦めもいっぱいあった。

子を一人で歩かせられないイタリアの生活は
実親だけで管理するのは大変だった。
何度もおじいちゃんおばあちゃんがいるところはいいな
とおもった。

ようやく我が子も成長し
私もフルタイムで働けるようになった。

でもいざフルタイム労働がはじまると
嬉しさのあまり緊張して生活リズムが狂った。

可笑しい。
これも人生なんだ。
狂うから..体が反応するから..調整していくのだ。

今までと同じように
今の生活と今の現状と今の社会にあわせて。

私がイタリアにきた頃
そしてアレコレ四苦八苦してる頃
はたまた夢を描いたり自由っぽく生きてる頃
別の人生では、ずっと同じところで
ずっと同じ職場で生きている人がいる。

フルタイム先であと3年で退職という人がいた。
17歳からずっとこの会社にいるって人がいた。
38年間ずっと同じことをしてきた人がいた。
すげーな。

これがいわゆるふつうなんでしょうけど
自分に起こったこと自分で選んできたコトを振り返って
ずっと同じところでずっと同じことをする生活は
私にはできたであろうか、考えさせられた。

でもこの人にはできた。
私もこの人のように
同じところで同じことをしなければいけない
と思うようになった。
今さらだが。

私はきっとイタリアで老後を送るかもしれないと想像した。
だからイタリアの生活に本気にならねばいけないとおもった。
日本人である特別を排除して
イタリア人と同様に生きていかねばならないとおもった。

だからいわゆるふつうな生活を
実はそれが覚悟がいるほどのコトで
また選択のときにぶちあたった。

これが人生なんだな。
アナタとワタシ、全く違うけど
これが人生なんだな。

必要に応じた選択と、毎度学びの収穫は
長生きするための秘訣なのかもしれない。
ヒトのスピリトがあるまで人生は続くのである。

291889785_3174884389506791_9134049745605595178_n



今日の一曲。





Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

DSC07648

私は今まで生きてきて学んだことがある。

それは、話すタイミングがあるということだ。

それと、記憶って都合よく忘れたり覚えていたりするということ。

話すタイミングって、今話した方がいいときもあれば
時間を置いて気持ちが落ち着いた時に話した方がいいときもある。

今話さなければいけないときは、全部言ってやろうと緊張し興奮する。

時間を置いて話したいときは、あのピリっとした生の感情が消えている。
フシギだ。
あんなに感情が高ぶっていたのに、ない、ないない。
むしろあの感情を繰り返さないように
話の流れを高ぶらない温和ムードへリードしている。
フシギだ。
時間が解決してくれるとは、こんなことにも使われるのか。

もう二度とこの場はないだろうときは、今言った方がいいだろう。
でも、また会うのなら
できたら平和に過ごせたらいいに決まっているのである。

DSC07658

ある日、友と話している内に、空気が濁ってきた。

空気を読むのは、日本人だけの得意技ではない。
イタリア人だってナニ人だって誰でも空気は読める。

その空気の中、今言っておこうと決めるか
また今度落ち着いたらでもいいよねと感情を抑えて
フレキシブルに平和を保つか、性格なんだとおもう。

やっぱり空気が濁っているときの口調は荒立たしい。
感情のまま、あれもこれも言ったけれど
どんなに言葉を選んでも、感情が声や口調に出てしまう。

その荒立つ自分は、やっぱり好きではない。

DSC07662

弁護するようにその友の側近からの電話だったので
濁った空気の中の当の本人ではなかった。

だから、みんなで話し合いをしようと提案した。

チャットやメールや電話でもなく、顔を向き合わせて話すのだ。

そして、クリスマス休暇の後にしよう、と。

わだかまりで休暇を過ごすことになるのかと思いきや
1日2日で日々の暮らしで手一杯となり
あの時の荒立った興奮した自分なんてあっという間に消えていった。

こうやってすぐに時間が助けてくれるけど
忘れられちゃう自分の記憶の許容範囲が少ないことにも救われた。

その間に、気持ちも落ちつけられたし、別で相談もできたし
話し合うことを考えられたし、未来の提案も用意ができた。

私は、こうやって書いて表現することが好きだけれど
文章だけで伝わることって100%ではないことは
これまた自分の人生の一つの学びである。

表情とか口調とか声とか感情とか、しぐさとか視線とか。

会話のスピードや空気とか尊重とか。

日常のじつは他愛もないことなのだけれど
対面とはとても大切なんだということ

書くときのメリットもあればデメリットもあって
対面のメリットはデメリットを超えるようでもあるとおもう。

それを教えてくれたのが、イタリア人夫である。
「会って分かり合え」

野性的に本能で動く彼をみていると
もちろん現代についていけてないデメリットもあるけれど
じつは、本来ヒトの本質なのではないかと
いつもケンカばかりしていても彼のいいところは認める。

DSC07656

話し合いの日、ドキドキしたけれど
みんながドキドキしてくれていたのか
尊重し合って和解できた。

友や友の側近の性格にもよるであろう。

空気が濁っても、言い合える仲になるとは
むしろ嬉しいじゃないか。

新たに友としての関係が生まれた感じで新鮮だ。
なぜなら、もう私たちは
空気が濁ったときの対応を知っているからである。

DSC07659

DSC07685

思春期青少年は気分の変化が激しい。ようにおもう。

腹立だしいときもあれば、大きな犬のように愛おしいときもある。
がり勉クンっぽい姿を一瞬みせることもあれば
その他はずっと引きこもりという言葉にピッタリの生活をしている。
不良っぽく振る舞うことがほとんどだけど
自惚れスポーツマンでやる気満々のときもある。。

思春期男子との空気はどう読めばいいのか
大人の友との場合とはまた一味違う。

でも共通していることは
やっぱり時間を設けることにあるようなのである。

DSC07673

DSC07675

DSC07676

ときどき今までも、ボソッと告白してくれるときはたいてい
そんな会話をしていないとき、突然言ってくる。

こっちには聞く気もなければヒマもないその突然の間
隙とかでも空気とかでもなんでもない無頓着な間
そういうときに何故か試してくるのである。

そこで「あぁ、時間無いから後で!」というと
もう話してこない。次、開口する日はいつであろう。

その試された間「ヨシ、聞いたろうじゃないか!」と耳を傾けた。
「黙って聞いてね」とか「意見しないでね」とか
条件をつけてモジモジしているけど、約束通り黙って聞いて
自分が話したかったことが言えた瞬間
「え、怒らないの?」とか「え、お母さんも?」と安心して
「あぁぁ、言えてスッキリしたー。」と喜んでいる。

言うだけでスッキリするなんて!

そうなのだ、話すタイミングに話せられれば
私たちはヒトは、ストレスが一つ減るのである。

そのタイミングは、今すぐかもしれない
もしかするとすんごい時間がかかるかもしれない。

私はどんなに時間がかかっても
もしかしたらそれで距離を縮められるのならば
待つことは苦ではないとおもった。

DSC07669

DSC07678



☆こちらの記事もどうぞ☆
人生の一瞬を一枚に scattocon figlio
頭の中はシュルレアリスム Surrealismo a Pisa
少年に寄り添った日のこと il compoprtamento degli uccelli



Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

DSC07551

DSC07547

DSC07560

夫と水を汲みに行った。

ヴィンチの山、Montalbanoモンタルバーノの麓
山からの湧き水だから清い無の味だ。

その辺に暮らす人々は、この水と繋がっている。
そして通りがかりやこうやってわざわざ足を運んで
汲みに来る人でにぎわうこともある。

たまに久しぶりの人に出会って話し込んだりもする。
たまに行列をつくって知らない人と話したりもする。

たまに蛇口が突然便利に改造してあったりもする。
たまに煉瓦の一部を椅子代わりに置いてあったりもする。

たまに汚しちゃった人がいてそのまま行っちゃった人もいる。
たまに壁にメッセージが書いてあることもある。
怒ったメッセージがあると次行くと消えていて
感謝とお願いメッセージがあるとずっと残っていたりする。

そんなヴィンチの山の水汲み場は
小さな小さな社交場なのだ。

いつもは孤独に夫が逆に息抜きで独りで来る。

ちょっと前までは少年が一緒にくっついていったり
家族総出の時は私と少年は散歩をした。
もうあの頃の少年は青少年となりついてこない。

今日は夫婦で出かけ、夫がいつものように水を汲み
私は、独りで散歩をした。

DSC07586

DSC07587

慈愛なる友と火をくべりながら話し込んだ。
一晩では全然足りなかった。

友は新生活をするために段取りをしていた。
独りで決断をしながら進めていた。

きっと怖いこともあるだろう。
でもそんなことを見せないしそんな話もしない。
私が勝手に想像しているだけだ。

慈愛なる友の表面に見せないところが好きだった。
そういうところを一番真似したかったところだ。

慈愛なる友の知ってる限りの人生を振り返っても
未来を想像しても、計画してできることではない。
次から次から舞い起こる状況にあわせて
大きな決心を何度もしている。
一番は自分のため、二番は子のため。

彼女の生きざまと彼女が見守る子どもの生きざまは
彼女のことが大好きで真似をしたくても
いろいろ教えてくれていろいろ話したけれど
私や息子や夫に同じことをやらせても
結果は違うことが意図も簡単に想像ができる。

これを改めて人生というのではないだろうかとおもった。

DSC07579

私の人生を振り返っても夫の人生を振り返っても
波瀾万丈な人生には代わりがない。

その波瀾万丈な人生に、もがく私たちが滑稽にみえると
私は落ち込んでしまう。

人が真似できない人生を歩んでいるのだ!とおもうと
笑みが溢れ落ちるぐらいやる気になる。

そうだ、真似のできない人生を歩むのだ。
答えは自分にしか出せない人生を歩むのだ。

気がついてみれば状況ってあとから生まれてきて
それを普通といわれる社会に近づけるよう努力する
が、判断とか決心なんだと気がついた。

そこに人の気持ちと人の人生があって
自分だけではないから複雑になるのだ。

DSC07555

DSC07553

水を汲みに行った小さな社交場は
私の家にもおもえてきた。



新年明けましておめでとうございます。

みなさまの一年が
健やかで穏やかに過ごせますよう
ヴィンチの丘よりお祈り申し上げます。

2022年もどうぞよろしくお願いいたします!
引き続きお付き合いくださいね。


☆こちらの記事もどうぞ☆
雲の上に la gradazione dell'aria
ヴィンチの地平線 Orizzonte
水汲み Fontana



Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

DSC07549

クリスマスの日、ニュースでは
教会に貧しい人たちが無料でクリスマスランチに
肩を寄せているシーンを、報道していた。

そしてローマ法王が貧しいひとたちへの想いの寄せ方を
遠くの窓から教えている。

ニュースだから窓からのシーンしかみせてくれない。
事前に用意された文を読まれるローマ法王の姿と
それを飲み込むように聞き入っている聴衆がいる。

あぁやって私も傍聴することができるのであろうか。

自分流に祈ることはできるけど
いま自分にしか必死になれないけど
世の中の苦しんでいる人たちに
私はいったい手をさしのべることはできるのだろうか。

ひとに優しくなるためには
自分にもよいコンディションを維持することで
じつはそこが一番厳しいような気がする。
今そこに葛藤している自分がいる。

私は、お金がないことだけを貧しいとはおもわない。
経験が貧しいとも言葉にあるし
満たされていないことも心が貧しいという。
想像力が貧しいともあるし
弱いとか足りないときにもつかったりする。

ニュースで、貧しいと言われる人が映されていたけど
なんか映画のワンシーンのようで創られた映像のようであった。

オーガナイズしていたボランティアのようなスタッフは
創られた優しさのようにもみえて果たされた感もみえた。

貧しいとクローズアップされた人たちは
その後また路上に帰っていく。
その後また現実に戻っていく。
はずだ。

私はなんか納得いかなかった。
貧しいという苦しみってそう簡単に消えるもんだっけ。
どんな方たちがそこへご招待されているのさ。
何を基準に貧しいと決めているのだ。

世の中には、ひとの前に出れないほど苦しんでいる人がいる。
ひとに会えないほど会いたくないほど苦しんでいる人がいる。

貧しいってお金も心も想像力もそうだけど
貧しいとおもう基準は普通に劣るとおもうからである
と私はおもう。

私の普通とアナタの普通が違う場合がある。

私が普通に劣っていると落ち込んでいても
ひとからすると何言ってんの?!と怒られる。

その典型的なのが、子どもたちである。

その子どもの頃から
自分のベストコンディションを
みせるおしえるが必要なんじゃないかとおもった。

そのコンディションとは
満たすレベルを下げればいつも満腹感とか
ひとと比べないとか
怖がらずにどんどん体験するとか
ひたすらポジティブに考えるとか。

そう自分に言い聞かせながら生きている。
でもどうしてもうまくいかないこともある。

自分のおもうようにいかなくって苦しい。
想像力まで乏しくなってきた。
経験まで活かせないのか!

私だったら
オーガナイスしてくれた無料クリスマスランチには
行かないだろう。
どう自分に置き換えても、行かないだろう。

よくない企画だ!と言っているのではない。
そのクローズアップするニュースにきっと
なんか納得がいかないのだ。
なぜ貧しいをそれに限定するのか。
世の中の貧しいはそれだけではないはずだ。

PSX_20210713_035145

そう私は、もやもやした気持ちで年を越そうとしている。
思春期男子の母親だからか。
コロナ禍だからか。
体が痛いからか。
いい歳だからか。

それでも2021年に満足したことがあった。

プロデュースオリーブオイルという初体験ができたことだ。

見直さなければいけない点がいくつかあるが
それだって、やってみないと反省点など生まれない。
良かった点など生まれない。
知ることもできなければ学ぶこともできない。

そんな大切な経験をひとつ積ませてくださった
olivewellness.jp社のみなさん
torreserena社のみなさん
オリーブオイルを購入してくださったみなさん
そしてセミナーに参加してくださったみなさん
本当に本当にありがとうございました。

悩んだりしているとき寄り添ってくれた友たち
会えなくても思い出と想いで支えてくれている友たち

ぎゃんぎゃんうるさい家族でも
存在感たっぷりで守りたくなる家族たち

2021年もホントにホントにありがとう。

DSC07492

なんかはやく過ぎ去ってほしいけど
2021年がなかったら2022年ははじまらない。

昨日があって今日がある。
明日へ生きるために今日がある。

日々学びながら生きていこうじゃないか。


みなさまの一年いかがでしたか。
健やかで穏やかな年をお迎えください。

2021年も読んでくださってありがとうございました。



☆こちらの記事もどうぞ☆
夢とはなんだ Ho imparato a sognare
世界で一つのオリーブオイル amo l'olio di oliva
いまをありがとう l'arrivo al mezzo secolo



Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

↑このページのトップヘ