大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:散歩


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Fiabaフィアーバ : ファンタジーの世界でヒーローと敵が存在し

困難に立ち向かい、最後には幸福を得る。

グリム童話が代表的

Favolaファーヴォラ : 背景を描き、擬人化した動物などが愉快に語る

魔法を使わず諷刺的に道徳的に表現。古代から存在する。

イソップ寓話が代表的


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フィアーバとファーヴォラの違いを明確にし

フィアーバとされる本を読み(DVDでも可w)

本の内容をまとめ感想を添える

中一少年の冬休みの宿題の一つであった。

少年は、グリム童話の白雪姫を選択し

読み聞かせCDのついている絵本を

久々に引っ張り出して聞いていた。

そして、ごちゃごちゃと紙に書いていた。


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「じゃぁ、不思議の国のアリスはどっちなの?」

「あれは、フィアーバでもファーヴォラでもなく小説なんだって。」

児童文学、幻想小説。

Romanzoロマンゾ(小説)か・・・

このクリスマス、≪不思議の国のアリス≫の本をプレゼントした。

私も高校時代にインスピレーションを受けた本だ。

「内容忘れちゃったから、本読んだら教えてね」

ゆっくり過ぎるほどの読書だが、一章ずつ教えてくれる。

時々挿絵があるから想像しやすいようだしおもしろいと言う。

世界で爆発的に話題になった本は、図書館で借りるより保持したい。

そして世の中の思想に影響を与えた本は尚更代々読むべきだと思う。

なかなか読書好きになれない子には、おもしろい選択かもしれない。

「不思議の国のアリスて、シュルレアリスムだよね。」


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シュルレアリスムとは超現実主義といわれる芸術運動だそうだ。

超現実、非現実、無意識、偶然性、幻想、夢遊、神話、疎外・・

私と少年はPisaPalazzoBLUで開催されていた

da MAGRITTE a DUCHAMP “

dal Centre POMPIDOU

il Grande Surrealismo1929展に出向いた。

(往復の電車のチケットを見せるだけで大人ちょっと割引。11歳は子供料金。合計16ユーロ)

どちらにしろ現実に暮らす人間が描写したことで

どの絵からもスピリトのような感覚が伝わってきた。

ゾクゾクするほどに。マジマジと見るほどに。



現実を超えた新しい真実

超現実を無私無欲に表現

夢の全能、理性の無規制

イヴタンギー、アンドレブルトン、デュシャン、エルンスト、デキリコ

マグリット、マンレイ、ピカソ、ダリ、ミロ、クレー、アレクサンダーカルダー

などなど、このコレクションを一通り見れば

少年でもなんとなく理解し始めるシュルレアリスム。


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しかし、衝撃的だったと思う。

いろんな見方や考え方で表現していること

発想が重なり合っていること

日常の中でもさまざまにありえること

体を使って表現すること、ひとコマに表現を収めること

ボクの体がシュルレアリスム体だったら・・・

顔がおしりにあって、足が腕にあって、ほっぺはおしりで

鼻が☆☆ポコにあって、口はおへそにあるwww

そんな自由な発想や見方のフィロゾフィーは

実は11歳の少年に教えやすかったように思う。

シュルレアリスムをもう一つ言い換えれば

遊び心≫ともいえるのではないだろうか。

マンネリ化した生活の中で、便利という刺激に頼るだけでなく

遊び心があれば、ただ見るだけ考えるだけだって

もっともっと楽しく生きられるのではないかと思う。


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展覧会後、ピサの斜塔がある広場まで散歩した。

途中、空気の冷たい青い空の下で

前日から楽しみにしていたパニーニを頬張った。

ハトが容赦なく寄って来る。

人間の食べかすを糧にしている都会のハトたちは

私たちが食べ終わるまで待っていられない。

今にも食べてる傍から突かれそうな恐怖は

少年とある夏に野外シネマで見たヒッチコックの「鳥」を思い出す。

少年もあの映画以来、ちょっとしたトラウマを覚えたようだ。

頭の中はシュルレアリスム。もう描き始めていた。

「ハトってオレンジ色の目をしているね。」


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ピサの斜塔には、少年の8歳の誕生日お父さんと上ったから

今日は、Camposantoカンポサント(納骨堂ww)というお墓へ。

(11歳は無料!大人一箇所のみ入館は5ユーロでした。)

どうして引きつけられるように入館したか。

広場からちらっと見えるカンポサントの花形アーチと

どうやらアーケードに囲まれた中の吹き抜ける光が見えたからである。


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あらー、なんと素敵なお墓ww

ちょうど日の溜まった花形アーチを映し出したシルエットのスクリーンは

回廊のフレスコ画の壁で、なんともいえない趣のあるお墓だった。

私たちの思考はまだ新鮮なシュルレアリスム。

影を見て、マンレイの影遊び風に、墓へフィオーレ()を送った。

夏も冬も涼しげな南側のフレスコ画は壁で日が溜まることはない

こちらの≪死の凱旋≫は、影遊びなく見れるであろう。

回廊を静かに歩き、中庭を覗く。

まるで僧侶の服装でも纏って歩いているかのようであった。

中庭を向こう側から眺めると

奥行きの深い3Dのまま吸い込まれそうになる。

シュルレアリスム余韻たっぷりの私の頭は

向こう側に私が小さく立っているようにも思えた。

そして、真ん中にも。


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帰り道、駅近くの広場に、ミカンの木が広場に沿って植えてあった。

もしや、あのフレスコ画≪死の凱旋≫の舞台のオレンジ畑からか?

一つ頂戴と眺めてみると、おもしろい

下の方はどの木ももぎ取られている。

これは正しくも欲の現実。

上の方だけ、旬のミカンが鈴なりだ。

仕方ない、持ってきたミカンを食べようww




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白黒のピサ ESCHER

クーポラを目指して Firenzedel mondo

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 CasaNatale di Leonardo



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年が明けてしまった。

緊張感のなかった年越し。

それでも友と友たちと、友の友たちと集まって

同じ料理をつつき合い、頬張り、ほころんだ顔が印象的な

グラスが弾けそうなくらい念のこもった乾杯をし合った。

何はともあれ、おめでとうございます。


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世の中の一年と、私の一年を持つ一年。

冬の節目と夏の節目。

半年ほど離れていて調度良く刺激される。

今年の私の一大イベントは祖国に帰国する年であることである。

頻繁に帰国する人からからすれば

私の動揺は理解できないであろう。

ただ祖国に帰るだけじゃないか。

しかしそれが、ほぼ4年ごとの帰国では

帰るというより、いざ出陣!という気持ちなのである。

やりたいことはいっぱいある。

まずは、距離と時間を縮めてまでも私を応援して

オリーブ栽培を支えてくれる友たちに会う。

そして、日本のオリーブ畑を歩きたい。

生産者と栽培の苦労を分かち合いたい。

無農薬を意識している農業人や消費者とも話合いたい。

団結して、レポートして、紹介したい。

祖国の今を見たい、知りたい。


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少年が、タブレットで写真を撮るようになった。

インスタを始めたからである。

サッカー選手のインスタが見たいという動機で始まったが

クラスのお友達がいろいろとアップしている影響で

少年も刺激されたようだ。

私の写真だって、一番に褒めてくれる。

ある冬晴れの年の瀬、少年とヴィンチ村まで散歩をした。

図書館に本を返却&予約し、郵便局で日本行きの切手を購入し

インフォメーションオフィスにL'ARNOと名刺を置きに行った日である。

少年は、時間制限(!)付タブレットを持参し

田舎道で立ち止まったり振り返ったり

アレコレ角度や光を気にしながら写真を撮っている。

あそこの黄色い花畑撮ってくる、と少年。

「うわー、お母さん、ちょっと来て!」

グニャグニャの泥道、渋々少年の方に向かった。

黄色い花畑を撮った私たちの背後には

な、なんとこんなザ・トスカーナの丘が出現した!

ヴィンチの丘もやっぱりトスカーナの丘なんだ。

少年に写真のアングルを教えた。

見せないところと見せたいところの選択。

空と大地の比率。

マニュアル撮影のISOの使い方。


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SNS利用者のフィレンツェ在住者が競ってアップしていた

フィレンツェのイルミネーションを、少年と見に行くことにした。

ついでに、近代美術館Museo Novecentoにも行って

またまたデート風な半日を過ごした。

私も、一人より二人のほうがいい。温かみが増す。

少年はアート映像に興味を引かれたようだ。

企画展の中に、青い線で社会の人の群れだけを描く作品

常設展の中に、フィレンツェの労働者を描いた作品

映像も展示も「線と人」がテーマだったように思う。

人は線のように行列し革命を起こす。

一団となって、一心な想いで。

私も一心な気持ちで、地球を守りたい。


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外は予定通りに暗かった。

ミュージアム目の前のイルミネーションが目に飛び込んできた。

サンタマリアノヴェッラ広場にあるツリーである。

少年がセルフィーをしていたが思うようにいかないようだ。

人間が立つ位置を教えてあげた。

背景と被写体の距離である。


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街中は、本当にSNS力で、老若男女

イルミネーション撮影に挙っていた。

私も。

少年も。

今年は、私の思い通りの一眼レフが入手できるといいな。

少年は、もっといろんなとこに行って写真撮りたい!と。

そうだね、いろんなとこ歩こう!

こんなきっかけから、生まれた新しい発見。

自分で構成する楽しさ、パーツを発見する楽しさ

湧き出す好奇心の楽しさ、日常の楽しさ

写真を撮ることは絶対楽しいはずだよ、少年。

楽しい瞬間がわかるさ

大切にしたいコトがわかるよ、きっと。


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一年、またまたいろいろとよろしくお願いいたします。

引き続き、大地の住人とお付き合いくださいませ。



夏の帰国へ向け、企画や試飲会、訪問や対談など

素敵な提案がございましたら是非ご相談ください。

多くの方たちとお会いできることを楽しみにしております。





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1ページのあとがき sonoin un giornalino

晴れ、歩め!SetteErbe

祖母とマキちゃん



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どのくらいいただろう・・・


下にある街を見ると


暗がりになって赤い屋根だけ日に当たっている。


向こうの雲と雲の間から差す弱々しい日は


何年も何年も同じだろう風景が逆光でシルエットに描かれていた。


地平線は、ヴィンチの丘と同じ、フィレンツェの丘は


大地とは違う街の、それは創られ残された美しさに


親子は、うっとりと見惚れた。


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風のないこの日

100メートル以上あるフィレンツェの大聖堂クーポラの上から

フィレンツェの町並みを眺めたのであった。


十一月から二月までは、オフシーズンで観光客が少ない。


世界のウフィツィ美術館さえもオフ料金になる。


とにかく並ばなくて済むから

予約なしで天気や気分次第でフィレンツェの観光ができる。


私と少年はこの日、
Duomoドゥオーモ(大聖堂)を選んだ。


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ヴィンチ村はその日

村の守護聖人が見守ってくれる日

(Patronoパトローノ)で祝日であった。


どこに行こっか。


子どもたちが勉強している街に行こう!


子どもは、少年一人だけのはずだよww


街の住人が休みになると田舎を歩きたくなるのと同じで

田舎の住人は、街を歩いてみたくなるものだ。


有名所のウフィツィ美術館やアカデミア美術館は

18歳まで融通が利くみたいなことが書いてある。


体験や勉強になりそうなガリレオ博物館は学校で行きそうだな。


ストロッツィ宮殿での
Marina Abramović

話題を呼んで私が行ってみたいけど過激なアートだ。


ドゥーモは、共通券になったということで

クーポラと鐘楼(カンパニーレ)、洗礼堂と博物館に入れる。


そして、私がドゥオーモを選んだ決定的な理由は

11歳までが子供料金であったこと。


なんだかちょうどいい。そんな理由で上ってみようじゃないか。




チケットは、ドゥオーモの裏手にある博物館で入手。


カウンター横にある機械でクーポラの予約をした。


博物館は、後回しにして。


午前中は、鐘楼に上ることにした。


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曇り空からうっすらと顔を出す日の光


鐘楼の長窓のシルエットは最高にロマンチックであった。


花の都フィレンツェを象徴したようなデザイン


その細いシルエットから見えるフィレンツェの街は


ここからしか見えないなんだか秘密の景色を見ているようで


私は胸が躍ってしまった。


上ること
414段、秘密の景色を見ながらの上り道は快調。


鐘楼から見えるドゥオーモは、迫力がありすぎて

感動が止まらない。


あんな小さなカメラでは収めきれない。


一眼レフの広角レンズで一気に撮りたくなる。


どのアングルからも見納めたい。


鐘楼の中も下から上を見上げ、上から下を覘いてほしい。


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ランチは友がいるメルカートチェントラーレで。

Mercato centrale


パニーノからお皿料理までいろいろある。

ドルチェもあるしBarだってある。


がちゃがちゃした空間は、子どもは大好き。


少年は、大好きなフィレンツェ名物牛モツサンド

Panino al lampredottoパニーノ アル ランプレドットを。


私は、2
Fのお寿司屋さんで牛モツ丼ww


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午後14時半に予約をいれたクーポラには

待ち遠しく早く着いてしまい

14時入りの観覧客が入場していた。


いよいよ私たちの番!


鐘楼でもクーポラでもカバンチェック。

面倒だが、セキュリティーがしっかりされていると安心する。

なぜって、あんな狭い階段を上り下りすれ違い

あんなところで何かあっては洒落にならない。


少年は、午後もはりきって階段を上っていく。


上を見ると、もういない。


下ってくる人が上ってくる人を待ってくれていて

どうぞ、なんて手招きまでする。


後ろからコツコツ追ってくるような人もいるから

こっちは気が気でしょうがない。


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鐘楼より道中楽しみが少なく暗く細い階段を上り続けた先は


クーポラの天井のフレスコ画「最後の審判」が目の前に広がる。


あぁぁ、なんと素晴らしい。


しかしよーく見ると、かなり過激。


最後の審判の後は
Marina Abramović展にも行けそうだ。


少年は、この世の地獄に怖がっていたww




割とひたすら上ること463


晴れてフィレンツェいち高いクーポラの天辺にやってきた!


日の傾いた弱い日差しがまた趣があるじゃないか。


夕日頃が一番ロマンチックに

フィレンツェを醸し出すのではなかろうか。


夕日という光の演出が


花の聖母から見渡すフィレンツェの町並みの中に


メディチ時代の一人として溶け込みそうである。


街を歩いただけでも、知らずとその時代の人となりそうだが


大聖堂から見渡す町並みとフィレンツェの丘は


狭い空の町からは見ることはできない。


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素晴らしい景色に酔った親子は


少年は、有名チョコレート店でホットチョコレートをフィレンツェの締めに


私は、フィレンツェで働く友とスピードアペリ。


やっぱり時々街に出るのはいい。


また少年とデートをしよう。


イタリア人みたいにさ、腕を組んで。


今度は何を見に行こうか。




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フィレンツェへデート FirenzeDECO

目指せ!フィオレンティーナ流 Lampredotto

フィレンツェの「時」 RichardGinori



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前の景色が、黄色く・・もっと黄色く・・私に魅せる。


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日がない日は


白く冷たく、寄り添うように彼らは上を見ている。


白と黄と黒と。


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日がある日

少年と黄色い樹を見に行こうと、落ち葉の上を歩いた。


一日目、失敗。

日は、雲に隠されてしまった。


二日目、よし、今だ!


すると、大地と同じ色の服を着た農夫が現れ

喋り込んでしまった。


老いたブドウ畑を新しくするのだそうだ。

どうりで。
まだブドウの剪定にはまだ早い。

あそこも向こうも、新しくするよ。

そっか。景色が変わっちゃうなぁ。

と、心の中でつぶやいた。


少年がこちらを見つめている。


私の誘いに付き合ってくれた少年との約束を守らなきゃ。


ボク、黄色い樹の下に着いたら帰るよ、宿題あるから。


二人で黄色の中を歩こうと、毎日見計らっていた。


少年は、この輝くような黄を見て何を感じただろう。


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私は、昔から何故か黄色が好きだった。


でも今は、何故黄色が好きなのか


わかったような気がする。


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生まれる黄色


生きる黄色


漲る黄色


輝く黄色


熟れる黄色


老いる黄色


褪せる黄色


透ける黄色


還る黄色


蘇る黄色


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黄色とは、人生まるごとだったのである。


人生まるごとに登場するホルモン色って


黄色だけではないだろうか。


変化をして黄色くなるのも、私には人生まるごとであり


生まれたときだけ黄色も、人生まるごとである。


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晩秋、ヴィンチの丘は黄に溢れ、包まれ

弱くなった日の光でも、十分に輝き


それは大地の一生を眺めているようで

私もいろいろと考えてしまう時期なのである。


一年を振り返ってみたり

生活を見直してみたり

今後にときめいてみたり。


私にとって黄は

感じる色であり

呼び起こす色であり

そして、静寂を与える色なのである。


この世から黄をなくして何を語るだろう。



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白と黄と黒と Bianco,Giallo e Nero

黄になるホルモン Autunno

お裁縫・秋服2016



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La vita è bella. E' che siamo felici.

人生ってステキです。それは、幸せでいること。




20年前、向こう側のヴィンチの丘のアパートの壁に飾ったフレーズ。


18
年前、結婚を報告するレターにも綴ったフレーズ。


現在、そう気がついたフレーズの作者は、同じことを感じている。




人それぞれ、幸せを感じる瞬間て違うかもしれない。

でも共通して人生を送っていることって

困難があったり、喜びがあったり。




人それぞれ困難の度合いは違う。

生死にかかわることかもしれない。

不自由になることが困難かもしれない。

お金に纏わることが、困惑の決め手かもしれない。




必ずしも持ち合えている私たちの欲に、自由を持たせれば

減らしたり増やしたりすることができるだろう。


欲張らないを基準にプラスマイナスすると

減らした我慢した欲にきっと見返りが来るかもしれない。

増やした欲を達成するために努力が必要かもしれない。


それが、価値観の違いで、全くそれは人それぞれなもんだ。


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隣の芝生が青く見えたとき、自分を見直すいいチャンスだろう。

人生っていう広いスパンじゃなくって。

もっとパーツパーツに。




人生って、振り返ったときに人生を眺められるもので

前進中は、自分や運命を信じて、今はコレ!を全うする。




私は、不自由で不安だらけの毎日を送っていても

なんでこんなに陽気でいられるんだろうと自分でも感心する。


一生懸命やるところと

手を抜くところがわかってきたんだと思う。


見えないところは、キチンとやる必要はないんだよ。

家具つくりをしていた頃の家具職人の一言は忘れられない。


だんだん見えなくなってきたり、覚えられないことが多くても

できる人とのチームワークに頼ることも増えてきた。


それが家族だったりもする。


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そのレターを作成したとき、種を貼り付けた。


はじめまして。私たち種です。


種たちは、時間をかけて居座るところを決めて

成長が始まった。


雨に打たれたり、のどかに背伸びしたり。


種から種ができ、また新生活。


種は、鎮静作用があるリラックス効果のカモミール。


痛みを抑えて、落ち着く我が家であることを望んでね。


この種を蒔いて、幸せの花を増やしたかった。


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少年が、グーグルマップで現在位置をもっともっと縮小して

宇宙の中の地球の中にいる現在位置を見ていた。


画面の中の地球と私たちがいる現在地。


ちっぽけがさらに小さくなった。




ちっぽけな現在地を見て思い出した。


ちっぽけな人間がいっぱいいて

あっちにもこっちにも人生という名の明かりが各々の窓から見える。


そんなことをフィレンツェの街中を歩いてるとき想ったことがある。


砂埃が舞う現在とは思えないようなところを歩いた旅でも

人生という明かりは灯していた。


そして、その人生たちは、旅する私を笑みで受け入れてくれた。


種は成長中。


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あの時もこの時も振り返った人生をステキだなと想えて


人それぞれ違う満足が小さな幸せで


怒ったって仕方がないことは飲み込んで時間をかけて忘れて


笑ったり喜んだりすることに一生懸命になって


完璧を求めなければ手を抜くことはいっぱい!


 欲を減らして今に納得したらもう幸せなの。


そんな感覚の積み重ねが人生のステキになると想うんだ。




種から種へ、幸せの種。

根付いて成長して花が咲く。

その繰り返しが、幸せを生んで、ステキは保つはず。


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夫が、愚痴ばっかりこぼす仕事先でも

たまに楽しい瞬間があったりするようだ。

愚痴も楽しい話も、私は聞くよ。

当の本人より、彼の人生を文章で語れそうだ!


困難さや満足感は、同じ屋根の下で生活していても違う。


家族も人それぞれの人間。


同じは求めない。


同じを求めるとぶつかるの。


種から芽が出た植物だって、同じではない。側にいるのに。




それでも種家族で思い出を創ろうか。

できるときに、できるだけたくさん。

でも、見ているところは違うかもね。




秋晴れの秋の結婚記念日、家族三人で海を眺めに行った。


広大な海、地平線が水平線。

平面な線の向こうは、ちっぽけな私たちには見えない。


見えなくてもいい。

種から生まれたら、今があって、それからだ。



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家の中の族 iCerchi nella Casa

ヴィンチの地平線 Orizzonte

浴びる日と水と土と風と sullaSpiaggia



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