大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:フィレンツェ

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イタリアは、学校が6月10日で終業だ。

例年だと、不思議と終業後
うまいこと夏らしい陽気になるのだが
今年はもうバカンスがはじまったかのような5月6月。

暑い x 暑い。
週末海に繰り出す老若男女。

イタリア北部の方でも近くの湖に涼みに行くようだ。
ニュースで思春期たちがわーわーケンカになったという報道で
北イタリア住人の週末の過ごし方がわかった(たぶん)。

我が思春期青少年は、ヴィンチの田舎グループと
一般ビーチが僅かしかないほぼ有料ビーチの
セレブ海岸へ向かった。

また何故そのビーチなんだ?
と当然大人は親でなくても思うだろうが
田舎者は「人がいっぱいいるところがイイ」のだそうだ。
狭い無料ビーチに若者が集まるセレブ海岸。。。

祝日が平日にあったこともあって連休する人や会社が多く
観光地はたいそう盛り上がったそうな。

イベントや野外フェスも各地で開催され
もう以前に戻った風で、ヒトは嬉しそうだ。

汗を光らせながらも満面の笑みで
インタビューに答えている。
宿のオーナーさんも観光が戻ってきたと
笑いを隠しきれない。

しかし、飲食経営は夜働いてくれる人がいない
と嘆いている。かなり前から訴えていることだ。

雇用条件に問題があるのではないかと
あるときTrattoria-Pizzeria(ピッツァ屋さん)
の話を聞いて思った。
場合によっては週7も!などと言っている。
きちっとした規則をつくらないと
大人は働いてくれないだろうし
夜遊びをしたい若者たちには過酷過ぎる。

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私は野暮用があってフィレンツェに一人で行った。

もう思春期青少年とフィレンツェに行くことはないだろう
と、寂しい気持ちにもなるが
また以前のように一人で歩く生活がしたいと
強く想いはじめていたので
少しずつこの時がきたかのようにドキドキした。

この日、フィレンツェ在住のママ友と会う約束をした。
それぞれに自立したママたちのうえに男子のママなので
話があうしとても刺激になるし影響される。

駆け足のママ友とも駆け足で乾杯した。
日本に2年ぶりに帰国するんだそうだ。
そういう日本人がいっぱいいる。

この2年間を取り戻したい人たちがいっぱいだ。
日本人だけではない。
フィレンツェを歩いていて活気でわかる。
アジアン観光客はあまりみかけなかったけど
欧米の観光客は取り戻しにきた。

私は正直、取り戻したいとは思わない。
新しい生活に挑みたい気持ちでいっぱいなのだけれど
なかなか自分の思い通りにいかずにモヤモヤしている。

だから取り戻しに生き生きしている人たちの
生き生き度が羨ましくもなるけれど敢えて励みにもなる。
私も生き生きしたい!って。
目的が違うけれど、生き生きしてればそれでいいのだ。
時期というだけで中身の薄い若者のエネルギッシュを
みているだけでオジオバは胸が踊るような感じさ。

ここからの写真は、サンタマリアノヴェッラ薬局にて。

Officina profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella

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私が一番に住んだフィレンツェのアパートは
Santa Croce教会地区なんだけれど、そこから
陶芸のアトリエで出会ったアメリカ人のお友だちの紹介で
引っ越した先がSanto Spirito教会地区(冒頭写真)
このアパートは大家さんがいなかった分
溜まり場になるは、部屋をシェアするという初体験で
家族のように心配しあえる姉妹ができたアパート。

そんな歩き回った地区を
当時別でやはり同じ地区に在住していたそのママ友と
今日散策することができて嬉しかった。
小路が懐かしかったけれど新鮮だった。

この地区は地元民が住みアトリエが多い。
だからこそ外国人が気になるエリアだったりもする。

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住宅街に教会があるのか
教会があるから住宅街となるのか
私は無宗教だけれども
神聖な心の拠り所・守護的な所なのであることはわかる。

私は無宗教でも逃げるところがなかったら
彼らはそれでも受け入れてくれるだろう。
教会の前を通る度に入る度に
そんな彼らの包容さが伝わってくる。

ウクライナの歴史的木造聖堂が砲撃されたニュースで
私も落胆したひとりだった。
私が言うまでもない、避難所だったそうだ。

毎週日曜日や祝日にはPapa Francesco(現ローマ法王)
のお話を、ほんの少しニュースで伝えてくれる。

イタリアに避難してきたウクライナの子どもたちが
Papaに質問をしている。
「ローマ法王さま、戦争を止めることはできませんか」

Papaは鋭く真剣そうな眼差しで「時期というものがある。
時期がきたら私はプーチンに会ってくる」と言った。

ジャーナリストは
Papaがプーチンと対面する意向を表しました、と伝えた。
大人も子どもも同じ想いだ。

その子どもは、Papaに抱きついた。
大人も子ども抱きつきたい。

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暑い初夏、バカンス気分のイタリアは
ジリジリした日差しと午後に吹く風と
頭の中はエメラルドグリーン
結実中のオリーブは干ばつと高温で今一かもしれない不安
グリーンパス提示やマスク装着義務がとれたり
もう夏だけど夏に向かってます。



今日の一曲。





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私は今まで生きてきて学んだことがある。

それは、話すタイミングがあるということだ。

それと、記憶って都合よく忘れたり覚えていたりするということ。

話すタイミングって、今話した方がいいときもあれば
時間を置いて気持ちが落ち着いた時に話した方がいいときもある。

今話さなければいけないときは、全部言ってやろうと緊張し興奮する。

時間を置いて話したいときは、あのピリっとした生の感情が消えている。
フシギだ。
あんなに感情が高ぶっていたのに、ない、ないない。
むしろあの感情を繰り返さないように
話の流れを高ぶらない温和ムードへリードしている。
フシギだ。
時間が解決してくれるとは、こんなことにも使われるのか。

もう二度とこの場はないだろうときは、今言った方がいいだろう。
でも、また会うのなら
できたら平和に過ごせたらいいに決まっているのである。

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ある日、友と話している内に、空気が濁ってきた。

空気を読むのは、日本人だけの得意技ではない。
イタリア人だってナニ人だって誰でも空気は読める。

その空気の中、今言っておこうと決めるか
また今度落ち着いたらでもいいよねと感情を抑えて
フレキシブルに平和を保つか、性格なんだとおもう。

やっぱり空気が濁っているときの口調は荒立たしい。
感情のまま、あれもこれも言ったけれど
どんなに言葉を選んでも、感情が声や口調に出てしまう。

その荒立つ自分は、やっぱり好きではない。

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弁護するようにその友の側近からの電話だったので
濁った空気の中の当の本人ではなかった。

だから、みんなで話し合いをしようと提案した。

チャットやメールや電話でもなく、顔を向き合わせて話すのだ。

そして、クリスマス休暇の後にしよう、と。

わだかまりで休暇を過ごすことになるのかと思いきや
1日2日で日々の暮らしで手一杯となり
あの時の荒立った興奮した自分なんてあっという間に消えていった。

こうやってすぐに時間が助けてくれるけど
忘れられちゃう自分の記憶の許容範囲が少ないことにも救われた。

その間に、気持ちも落ちつけられたし、別で相談もできたし
話し合うことを考えられたし、未来の提案も用意ができた。

私は、こうやって書いて表現することが好きだけれど
文章だけで伝わることって100%ではないことは
これまた自分の人生の一つの学びである。

表情とか口調とか声とか感情とか、しぐさとか視線とか。

会話のスピードや空気とか尊重とか。

日常のじつは他愛もないことなのだけれど
対面とはとても大切なんだということ

書くときのメリットもあればデメリットもあって
対面のメリットはデメリットを超えるようでもあるとおもう。

それを教えてくれたのが、イタリア人夫である。
「会って分かり合え」

野性的に本能で動く彼をみていると
もちろん現代についていけてないデメリットもあるけれど
じつは、本来ヒトの本質なのではないかと
いつもケンカばかりしていても彼のいいところは認める。

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話し合いの日、ドキドキしたけれど
みんながドキドキしてくれていたのか
尊重し合って和解できた。

友や友の側近の性格にもよるであろう。

空気が濁っても、言い合える仲になるとは
むしろ嬉しいじゃないか。

新たに友としての関係が生まれた感じで新鮮だ。
なぜなら、もう私たちは
空気が濁ったときの対応を知っているからである。

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思春期青少年は気分の変化が激しい。ようにおもう。

腹立だしいときもあれば、大きな犬のように愛おしいときもある。
がり勉クンっぽい姿を一瞬みせることもあれば
その他はずっと引きこもりという言葉にピッタリの生活をしている。
不良っぽく振る舞うことがほとんどだけど
自惚れスポーツマンでやる気満々のときもある。。

思春期男子との空気はどう読めばいいのか
大人の友との場合とはまた一味違う。

でも共通していることは
やっぱり時間を設けることにあるようなのである。

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ときどき今までも、ボソッと告白してくれるときはたいてい
そんな会話をしていないとき、突然言ってくる。

こっちには聞く気もなければヒマもないその突然の間
隙とかでも空気とかでもなんでもない無頓着な間
そういうときに何故か試してくるのである。

そこで「あぁ、時間無いから後で!」というと
もう話してこない。次、開口する日はいつであろう。

その試された間「ヨシ、聞いたろうじゃないか!」と耳を傾けた。
「黙って聞いてね」とか「意見しないでね」とか
条件をつけてモジモジしているけど、約束通り黙って聞いて
自分が話したかったことが言えた瞬間
「え、怒らないの?」とか「え、お母さんも?」と安心して
「あぁぁ、言えてスッキリしたー。」と喜んでいる。

言うだけでスッキリするなんて!

そうなのだ、話すタイミングに話せられれば
私たちはヒトは、ストレスが一つ減るのである。

そのタイミングは、今すぐかもしれない
もしかするとすんごい時間がかかるかもしれない。

私はどんなに時間がかかっても
もしかしたらそれで距離を縮められるのならば
待つことは苦ではないとおもった。

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☆こちらの記事もどうぞ☆
人生の一瞬を一枚に scattocon figlio
頭の中はシュルレアリスム Surrealismo a Pisa
少年に寄り添った日のこと il compoprtamento degli uccelli



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イエローゾーンが主になり国が華やかになったかんじだった。

レッドソーンはたった1州だったような気がする。

オレンジゾーンに戻ったトスカーナだけれど

まだまだ自由な行動ができなかった。

そんな中、商店に向け、一斉イエローゾーンが4日間あった。

もうどこにもいかない生活に慣れてきて外出欲はあまりなかった。

しかし、毎日のようにニュースで

冬休みのカラースケジュールが流れ

ふと思えば、この4日間に動かなくては村からまた出れなくなる

と、私たちは用意をしはじめた。


私たちは、ちょっと離れた一番のPanettoneパネットーネ

(クリスマスに食べるでっかいパンケーキ)を買いに行きたかった。

しかし、動く前に電話をしたほうがいい。

イエローゾーンとはいえ、たった4日間開けるかどうかわからない。

開いてるけど、予約制で売り切れた、ということだった。

イエローゾーンがわかっていれば予約できたのに。

近所のPasticceriaパスティッチェリーア(ケーキ屋さん)により

最後の一個を手にした。

明日にはもう移動が制限される。

売り切れてよかった。ヴィンチのケーキ屋さん。


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そして私はフィレンツェへソワソワしながら電車で向かった。

昨日まで自粛してて突然許可が出て行動するんだもの。

この機会を利用して、私の写真を採用してくださった

トスカーナ日本人会が発行しているアルノ今月号を受け取りに

そのついでに友ともあった。いっぱい話した。

いっぱい相談したいことがあったし

いっぱい私の現在の妄想を聞いてもらった。


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ソフトロックダウンでもいつも家族とだけ過ごし

友たちとも会うこともなく、連絡する気にもならず

ネットでは憂鬱に過ごしている世界を目にすることもあれば

ひとがオンラインで活躍する世界をながめたりもする。

影響されたり、過去を振り返っちゃったり

オンラインやsnsだけに頼らなくてはいけないのか

なんだかんだ妄想が広がっていくのである。

よくいえば、夢がわーっと膨らみ

わるくいえば、妄想し過ぎだよっ!ということになる...


春のロックダウンでは家族と一緒にいられることを幸せに~

なんてロマンティックに思ってたけど、時間が経つほど

人というものは独りになりたくなるものだということがわかった。

家族のそれぞれが誰もいない時間が少しでも欲しいと

思うようになったのである。

なんか好きなことができない空気。


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近頃、思春期少年は鬱っぽい。

すごく母の私にあたるのである。

私が使うな!違う言葉で言えと教えてきたのにも関わらず

汚い言葉をずーっと連発し続けるし、嫌なことを言うし

ちーっともこっちのいうことを聞かない

そんでもって、眠り続けるのだ。

どうしちゃったんだろう...

腹が立つというより、きっと理由があるんだろうなと思ってあげた。


ある日、白状した。

サッカーがしたいのにできない...

宿題がいっぱいある、勉強しなきゃいけない、数学がわかんない

クリスマスのプレゼントが無さそうだ   ww

どっか行きたい...


私も気づいたことがある。

もうこれからは親からの刺激より友や社会から刺激を受けるものだ。

家にいてはいけない時期なのだ。

だからお友だちと自転車で集合できるときはいつでも行ってこい。

外で我慢して母の私に八つ当たりしているのであろう。

自分のイライラを分けたいんだろう。

こんな時期だけに、怒らないようにして

汚い言葉の効力は無いと伝え、右から左にしてあげている。

私はマイペースに生活をすることにした。


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クリスマスイブの夜ミサがあった。

ニュースの時間にミサを生中継していた。

クリスマスはキリストが誕生した日で我らの兄弟になった日です

全部詳しく覚えてないのだが、フムフムと聞いていて

世の全子どもたちの誕生への祝福

キリストが兄弟となるように、生まれることはみな平等であること

人はみな自由と平和をもっていること

そして暗闇の中で生まれたのは、世に光をもたらすこと

なのだそうだ。キリスト信者ではないが、うん、とうなずいた。

それと、このコロナ時世の困難をみんなで支え合っていきましょうと。

このような信仰の国に在住して、人々の行動を振り返ってみた。

この三行ぐらいしかキリスト教のことがわかんないけど

人の原本的行動、モラルの表現

など宗教関係なく通じるところが、居心地がいいのかもしれない。


世界の子どもたちに具体的じゃなくていいから夢や希望をもって

明日という近い未来にすすんでほしい。

大の大人たちも、新しい生活と新しい時世に

突然難題を突きつけられ、妄想後の案が実現するのか

そりゃぁ心配だ。

一つづつ見つめて勇気をもって立ち向かっていきたい。

それは自由と平和と平等だから。

誕生を祝うクリスマス

新しい輝く世の中が生まれますように。メリークリスマス。

BUON NATALE a tutti





こんな素敵な絵本が無料公開で
SNSに飛び込んできた。

プレゼントになるかな、シェアしたいと思う。




*私がセレクトした過去の関連記事Best 3 Archivi Selezionati

生命の誕生BuonNatale

母のクリスマスleschansons de ma mère

幸せを求めFixYou / Christmas is here



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今年もちょうど半分過ぎた。

この半年を思い起こすと

コアラの悲鳴に胸が苦しくなったオーストラリアの火事とか

中国でコロナが充満した医療風景は、イタリアに渡り涙したこと

浸透したコロナ生活で自由が抑制されたこと

そんなことでいっぱいだ。

しかし、この夏の日が差し込むようになって

私の中でこれらの痛みがまた薄れていってしまっている。






長期に渡ってさらに厳しかったロックダウンは

まるでこの夏の日差しにあわせて計画されたかのようだ。

そして、イタリア人の国民性と風習にあわせて

イタリアはコロナ対策を独自に展開しているような気がしてならない。

他国を真似ているようにもみえないし

無茶苦茶なことをやっているようにもみえない。

経済の厳しさには慣れているし

人情深さは右に出る者はいない。

でも、経済が苦しい人が増え、そんな話をする人が増え

職を探す人が増え、でも職はなくって、経済が回らなくって。

でも日に日に日が差すごとに陽気さを取り戻していく!

それがイタリアの太陽でイタリアの国民性なのだ。

Che sarà sarà


経済を回すには、消費することに限る。

観光大国、輸出大国イタリアがどこまで国民だけで回せるか

チョロチョロせっせこ消費するしかないのである。


コロナ期に限らず、欲張らない欲張れない生活が習慣化している

チョロチョロ一家は、小銭でせっせこ吟味しながら生活を賄う。


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フェーズ3に入って早々フィレンツェの重要美術館が再開しはじめ

ロックダウン続行のような少年の夏休み入りもあって

今年の6月はずいぶん涼しく、夏も?と期待した頃

親子で、ヴィンチからバスに乗って電車に乗って

ウィズコロナのフィレンツェの街へ向かった。


バスは人数制限があるようで乗れない人もいた。

バスの車内は間隔をあけて座るよう

座席禁止の札が点々と置かれていた。

ガチャンとチケットを差し込む機械があるところから

運転手がいるところまで、進入禁止の紐があったから

ガチャンができなかった!

電車の中でもバスと同じくソーシャルディスタンス。

手袋の義務は無いが、マスクは絶対。


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人々は、コロナ恐れよりロックダウンが定着してしまって

まだ外出することに遠慮していた頃

誰もいない・・・とか、美術館ガラガラとか・・・

SNSではアップされニュースでもとりあげられていた。


そんなガラガラ期なんかあっという間に過ぎ去り

私たち田舎者が出向いた頃には

アレ?とっても平常!と活気があったw

SNS効果で殺到したのか?!


親子は、午前中のみ開館のアカデミア美術館へ。

ビフォーコロナの館内状況をよく知らないからなんとも言えないけど

予約時間の数分早く行ってマスクして並びながら待って

誘導されたら、手を消毒してピッと熱測って荷物検査して

うぉーと感嘆しながら念願のアカデミア美術館に入館。

ネットで下調べした見学時間30分から1時間を越して

1時間半のんびり鑑賞できたんじゃないかと思う。


ここは美術館だけど、付属しているこのアカデミアで学ぶって

素晴らしいことだよなぁと大学部門の入口を通って思った。

今でもあるのかわからないけど

二十年以上前フィレンツェ在住中、このアカデミアで

無料デッサンコースを受けていたことを思い出した。


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ビフォーコロナの無料美術館の日には

ここまで長蛇の列ができるんだよ!という

アカデミア美術館からほど近いファーストフードを営む友のところへ

ささやか消費応援しに行った。


ロックダウン中のフェーズ2ではデリバリーのため開けてたそうだ。

その頃、警察の見回りがすごかったそう。


そして、フェーズ3開幕

お店でテイクアウトが直接できるようになったけど、お客さんは・・・

飲食店も開けていいよとなったけど、お客さんは・・・


フィレンツェの住人は、デリバリースタイルが抜けないようだ。

今後、こちらのニュースタイルに力を入れたいという。

私たちが食べている間も、デリバリーの注文が入り

若者ライダーは自転車でやってきて、店の外で待っていた。


道でライダーをいっぱいみかけた。

ニュースではよくミラノをスポットにしてたので

北イタリアだけのことかと思ったら。

交通規制の多い街中は、自転車ライダー(配達)システム誕生は

画期的だし需要があるだろうし必要だったと思う。

若者学生のアルバイトにもなるしエコだし健全だしすごくイイ。


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ランチ後、午後のみ開館のウフィツィ美術館へ。

本当は、ピッティ宮殿やボーボリ庭園とのセットで

割安チケットを購入したかったけど、二日間来なくちゃいけないし

夏季と冬季の値段が違うってことも知って

ウィズコロナ中のガラガラ鑑賞を優先して

ウフィツィ美術館を限定した。


私は並ぶ(時間が勿体無い)とか人混みが苦手だから

予約して予約時間にはスルスル入ったけど

入場無料の子供料金にもかかる予約料一人€4が別料金で

その予約無しで並んでる人たちの入場状況ってよくわからないから

これまたなんとも言えないけれど

中は人がいっぱいいたw


フィレンツェの住人曰く、ちっともいない方だよ、という。

なぜなら、団体客がいるといないじゃ全然違うという。


ウフィツィ美術館再開のニュースで、美術館としての対策は

マスク義務付けはもちろん、ソーシャルディスタンスを設けるために

距離を表す鑑賞立ち位置のシール張ったって言ってたのに!

アレ?みんな無視w

ま、いいや、みんなマスクしてるから!


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あぁ、でも行ってよかった。

いつでも行けると思って

ずーっと行かないまま何十年も過ぎてたから。

ホンモノを見るってやっぱり違う。って当たり前だけど。


ホンモノのオーラがメキメキ発してた。

時代の経過といい、色といい、背景を想像させる力といい。

私にはキリスト教やイタリア史の知識が薄すぎるけれど

でもこれらの作品の魅力を青春期に魅せられて

イタリアに来てフィレンツェに留まったのだから

鑑賞だけでもそれはそれはとても価値があった。


少年は、わかってんのかわかってないんだかよくわからないけれど

私も母に少女期、上野美術館などの企画展に

連れられた記憶は忘れない。

彼の親子の思い出のどこかで引っかかっていたら

それだけでもいいんじゃないかとささやかに想う。


あの時、誰の作品だか覚えてないけど

初めてでっかい西洋の絵画を観て

目の色が何色もあることに感動したことだけは鮮明に覚えている。

あの日から、私はいろんな色を混ぜるようになったのだ。

そして西洋に惹かれたのだと、今おもう。


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下調べしたウフィツィ美術館所要見学時間2時間は

実に足が痛みはじめた2時間半強は優に超えていた。


このあとフィレンツェの友とアフターロックダウンの再会乾杯アペリで

小道に熟女たちの笑い声が響き渡った。


早アペリタイムのフィレンツェは

ティーンたちが、それでもオシャレマスクをアゴにしながら(!)

小洒落てグループ交際みたいにただただブラブラと

男女で連るんでいた。


この時少年もフィレンツェの友たちとブラブラ

またファーストフードで(!)親抜きガッツリアペリをして幸せそうであった。


閉じこもりが定着しちゃったみたいにみえた街の住人は

この頃ようやくジワジワ外出するようになったようだ。

人のいる街、街にいる人々をみれて、田舎者の私は胸が弾んだ。

先のことはよくみえないけど、前進するのだ。

ウィズコロナ、気をつけながら、チョロチョロせっせこ消費しよう!



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人生の一瞬を一枚に scatto con figlio

クーポラを目指して Firenze del mondo

ミュージアム:古生物学 Paleontologia



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どうやらこの日を待っていたようだ。


どこを探してもこの手の記事が一つも見つからない。

ブログを始めて4年が経つ。投稿した記憶はあるのだが。


そうだ、フェイスブックに投稿したんだ
5年前に。


あれから
5年経って、25周年となろうではないか。


フェイスブックをスクロールしまくって
5年前に遡った。


5
年前も10年前も15年前も

そしてあれから25年経った今も

あの日はあの日なんだ。

過去は変わらない。


しかし、私が暮らす土地をイタリアにしたことは人生の転機であって

その記念する日をどうも忘れることができない。

むしろ祝いたいぐらいである。



1995115日、私はイタリアの地に足を踏み入れた。

何かが始まったわけでもなければ変わったわけでもない。

胸が騒いだ日だ。

人生という旅の中で胸が騒いだ日は記憶に残る。 ”


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なぜ旅立ったのか、海外へ移住してしまう人に向けて

必ず質問したい項目である。それは、移住者同士でも。


私は、頭を切り替えたかった。


唯一大人として頼りにしていた母が亡くなって

私は涙の海となるほどショックだった。


今も相談したいことがいっぱいある。

自分一人で考えて考えて苦しくなるくらい考える。


母が亡くなって一週間もしない内に、相続や供養の話など

とにかくお金の話を親戚たちは

毎日泣いてばかりで誰にも会いたくない私に

課題を押し付けてきた。


私はこの課題のせいで正気を取り戻し始めたような記憶がある。

好き勝手にはさせない。

若くたって弱いワタシをみせるのは危険だと察した。

専門家にも相談しに行った。


一番よいだろうと思う結果をだしたと思う。

だから今でもその時の大きな課題に関しては悔いがない。


しかし、お金に目が眩む大人たちに

ワタシのカラダの中で骨を溶かしていくような寂しさを覚えた。


私は距離をつくりたくなった。

独り身となった弱みを握られたまま、私は遠くに行きたくなった。

それが私の旅立つ理由である。


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ロンドンでもニューヨークでもどこでもよかった。

しかし大きな都市でたじろぐワタシを想像してしまった。


そこで高校の世界史の先生がフォロ・ロマーノのことを

一人演劇風に語っていて、夢中に聞いたことを思い出し

イタリアを調べ始め

工房のたくさんあるフィレンツェに決めたのである。


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一年目の留学時代、同じ留学してきた仲間と

四六時中時間を過ごし、何もかもを語りあった。


どうしても胸が騒いだ旅立ちの年は、思い出深い。


浅い過去と深い未来を持った私たちは

フィレンツェの教会のクーポラが見える小さな部屋で

何度も乾杯し、みんながあのアパートに集まった。


なんだかみんなみんな弾けていた。


そしてみんなみんなバラバラに道を歩んだ。


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頭はそう簡単には切り替わらなかった。


世の中はそう甘くない。


問題にぶつかると、骨を溶かすような寂しさがまた襲ってくる。

きっと母に相談したい時なのかもしれない。

だからわけもなく泣いて泣いて考えて考えて

私は人里離れた田舎に住むようになったのである。


丘の上から眺める景色は最高だった。

高すぎもせず低すぎもせず。

私の出身地で出会わなかった景色だ。

その丘はオリーブがいっぱいに埋め尽くされていた。


そのオリーブの丘で、フィレンツェで習った

Carta Pestaの技法をアレンジした方法で作品を作り出した。

作品で気持ちを表現したりした。

だんだん寂しさが小指一本の気持ちになっていった。


Non finisce mai la bellezza - parte

私は、私のことを誰も知らないところだったら

どこでもよかったのかもしれない。


こうやって私が気が向いたときに寂しさを語れればいい。

襲ってくる寂しさはもう懲り懲りだ。


ある年、日本の実家を売却した。

寂しさに変えた大人たちがだんだん小さく見えるようになってきた。

清々しくイタリアに戻った感情は忘れない。


しかしその日にちは覚えてないのだ。

清々しい日より胸が騒いだ日の方が記念日となるようだ。


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今、オリーブの丘でオリーブを栽培して

オリーブの成長を観察しながら、私の人生史と重ねてしまう。


常につきまとう孤独感を植物たちと過ごすと

仲間のように感じてしまう。


きっと日本にいても、日本のどこかに逃げていたかもしれなくて

きっと植物に近いところで生きていただろうと思う。

だから何が変わったわけでもなく始まったわけでもないのだ。

距離をおくって必要だなと確信したことだけは

唯一自信を持って言えることである。


そこがイタリアだったのだ。

その到着日が1995115日なのである。


その頃はこの日が成人の日で祝日であった。

今や時代も変わり祝日がなくなっちゃって第二日曜日のようだが

成人を迎えられたみなさま、一先ず、おめでとうございます。



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時の同居人 Camera Doppia

フィレンツェシスターズ Amica come Sorella vol.2

家の中の族 i Cerchi nella Casa



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