大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:思い出

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もう10月になるっていうのに、まだブドウの収穫をしている。

一度雨が降ると、その分の水分を蒸発させなくてはいけない。

でも日曜日は日曜日、休日だ。

来週の雨予報を心配されるが

季節労働者にもオーナーにも家族がいる。

休日は休日、家族で過ごすことにした。


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9月の最終日、我が結婚記念日である。

19年前に結婚式を挙げた。

私たちは当時も賃貸でヴィンチ村の自治体地区に住んでいた。

無宗教の私たちは、自治体に申請することで

自治体が誓約の場を提供してくれる。

4択あった。

ヴィンチ村にあるレオナルド・ダ・ヴォンチのメインミュージアムか

ミュージアムから数歩離れた古い図書館か

村から1km程離れたオリーブに囲まれたダ・ヴィンチの生家か

村長さんの部屋と呼んでいたが、役所の客間(?)から一つ選べた。

私たちは迷うことなくダ・ヴィンチの生家を選択。


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ダ・ヴィンチの生家の誓約の場は、入り口の暖炉のある部屋だ。

村長さんとアシスタント(?秘書か?)は暖炉の前に立ち

婿と花嫁と両方の仲人、4人は村長さんに向かって立つ。

人は並んだが、肝心な指輪が届かない。

フィレンツェ在住のジュエリー作家Yuko Inagawaさんが

到着していない。どうする、どうすると待ち時間

しとしとと霧雨が降る中、タバコをくわえたw

ジュエリー作家は、近所のヴィラで行われていた挙式パーティに

間違えて参加していたw

「あれ?マキがいない。」

当時の村長さん、現在少年の同級生のおじいちゃんは優しく

「待ちましょう。」と言ってくれた。

やっと到着したジュエリー作家と指輪は

花嫁登場よりも拍手喝采だったなぁ。

「わーい、来た来た!」

早速始まった婚姻誓約の儀式。

サポートするだぁ責任だぁなんだの読んでる内に涙が溢れ出た。

こんな私でも一人前に誓うことなんてできるんだ

シンプルなことだった。

それと、亡き母に知らせたい一心だったのも覚えている。


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式に私の親族は誰もいない。

シングルの友や友カップル、仲人そして仲人のパートナー

夫の大家族がそれでも一人欠けて

総勢15人いるかいないかの小さな輪の中で

しかも今やダ・ヴィンチ死後500年の生家で

Cà del Boscoの発泡酒をシュッポーン、シュワシュワシュワワー

と、私の溢れる涙のように、床へこぼれ落ちた!

「うわぁ、管理人さんモップモップ!」

当時の管理人のおっさんがまたへんてこりんなおっさんだったが

そのあと、一緒に乾杯した。

おっさん耳元で何やら囁いていったが、覚えていない。

ひぃーとゾクゾクした記憶は脳裏に焼きついている。


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そんな小雨の中の溢れ出た花嫁だった私は今

月日の流れと人生のパートナーと馴合い

ぎゃぁぎゃぁと少年とじゃれ合い

厳しい暮らしの中、割と好きなことをして

開き直りの早い年齢に突入し

一人で旅立つことも試みたりして

それでも家族を愛し、まだまだ一番に家族を想い

家の中でバラバラなことをしていても家族といることに安堵し

反抗されても()健康食品とエコな暮らしを提案し続け

家族分のお弁当をつくり(夕飯の残りw)

労働後皿洗いもご飯作りも積極的にこなし(アペリ後生き返る)

安価にゲットして喜んだ布でチクチクと

夫婦お揃い(2着分できたから!)の作業ズボンをつくり

申し分ない小雨の中の元花嫁ではないかっ!

しかし、小雨の中の元婿は、年々男更年期なのだろうか

鬱のような表情を見せ、私と少年を困らせる。

鬱になることが一番体を壊しそうなのになぁ。

そんなときは、お肉を食べる!

記念日イヴにはイノシシの煮込み。

当日は、オリーブの炭火焼き超レアTボーンステーキ。

農主のボトルでも一本開けて乾杯しようじゃないか。

気分まで酔わせてくれるサンジョベーゼで。

宣誓した19年前の結婚した今日に

何を祝うと言えば、やはり健康と平和と幸せだ。



夫が好きな
Bob Marley

夫が好きなDjBobの曲をよく使う。

この曲を聴くと、ちょっとタイムスリップした気分にさせる。



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幸せの種 ilmare d'autunno

家の中の族 iCerchi nella Casa

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「暑い。喉が渇いた。お水ちょうだい。」
梅雨明けの広島は暑かった。
お水、お水としつこいほどせがんだ少年。
この場に及んで・・・と腹が立つほどだった。
しかし、熱中症対策には水分補給が一番だ。
私にもある母心と大切な命と恵みの健康を維持するよう
二人で各々に水を飲んだ。

広島が見渡せる高台の神社に行った。
その向こうには、瀬戸内海とその浮かぶ島々が見渡せた。
様々な産物を生み経済が発展した瀬戸内海
島々のグラデーションが歴史を語っているようであった。

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トラムから降りて原爆ドームを目の前にするまで胸騒ぎがした。
しかし、廃墟を目にすると空虚な自分になっていた。
あんなにバクバクと胸騒ぎがしてたのに。
周りは都会と変わらないビルなんかが建ってて
写真を撮っても原爆ドームと現代が同時に写り
イタリアで暮らす少年への説明は目の前の記録だけであった。
イタリアの何百年前の廃墟と似ていたりもする。
少年は、何を思っただろう。
もう頭で理解するしかない。

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資料館の中は、暗がりに展示され涼しかった。
しかし、写真と語りを見れば見るほど、体の中は熱く込み上げ
私の小さな水分が粒となって溢れ出た。

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醜い戦争。
どうして戦争なんてすることになってしまったのか
どうして戦わなければいけなかったのか
どうして争う暮らしをさせられたのか
いつになってもまったくわからない。
どんなに説明されても、理解不能のままであろう。

この資料館は、原爆の恐ろしさについて語られている。
原爆の成功を収めるために
試験原爆があちらこちらで行われていたこと
原爆投下後、数年後そして次世に
私たち人間の命だけでなく、地球上全ての命に
この頃から私たちを含む生態系は崩れてきたのではないだろうか
と、感慨深く考えさせられた。

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この年にもなって知らないことばかりで恥ずかしくなるが
いろんなことを資料館で知った。
戦争の前も最中もちょっと後も
10巻のマンガ«はだしのゲン»を
フィレンツェの日本語補習授業校の図書館で借りて涙し
これは絶対に広島に行かなくては!と駆り立てられた。
そして、少年が中学生となり
じわじわと戦いと争いの歴史を学び始めた。

世の中でまだまだ国内戦争をやっている国がある。
そこから逃げ出す若者や家族がイタリアに渡ってくる。
こちらの大陸を夢見て泳げない彼らは航海する。
テロって何だろう、誰でも標的にされる。
小さな彼らの、理想を目指す社会への想いは
少しでも崩壊することが達成なのであろうか。
いつになっても私はわからない。

あっという間に命を奪われ、あっという間に生活を崩され
それは、自分の意志ではなく
勝利とか獲得とか満足とか
誰がなんのメリットがあるのか全く検討のつかない発想に
世の中の人々が巻き込まれることが
私は許せない。

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あっという間に失う命もあれば
はたまた温かく見守られる命もある。
日本の終戦記念日8月15日は
イタリアではFerragostoフェッラァゴーストという祝日で
聖母マリアが現世での生を終え、天に召されたことを記念する。
日本のお盆休みのように実家へ帰り大家族とワイワイ過ごすか
とにかくワイワイピクニックをしたりのんびり平和に過ごす日である。
私たち核家族は、マリアという名の義母のお見舞いに
グループホームを訪問した。
マリアの命には温もりがあるが、記憶の旅に出てってしまった。
今日はマリアの日だもんねと
御馳走を拵えてくれたマリアを見守る介護士さんは
マリアは食欲が旺盛なんだよという。
息子のことも忘れちゃったけど、おちゃめで幸せそうだった。
ピストイアのこんな山奥のグループホームなんだけど
マリアは山奥育ちだから嬉しいかな。
ランチの後はお昼寝の時間だそうで
私たちはマリアに挨拶をし、山を流れる川沿いでピクニックをした。
パニーニを頬張ると喉が乾く。
持ってきた水筒も飲み干してしまった。
川沿いのBarで水を買おうとすると
君たち喉が相当乾いているようだからお金はいらない。あげるよ。
・・・・・ 頭の中がグルグルした。
消え光る命、温かい命、成長する命 ・・・
冷たい川の水に足を浸すと
灼熱の光が心地よく感じたのであった。


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七、八歳離れた従弟が幼少の頃、よく私の家に遊びに来た。

当時従弟は幼稚園児だったと記憶する。

日曜日の朝、私も母もまったりと休日にどっぷり浸かり

床の中で長編らしき夢を永遠と見ていた。

私と母は、日の当たる私の部屋で、一緒に寝ていた。

私がベットで、母が床に布団を敷いていた記憶がある。

すると、従弟が我が家にやってくる。

二階にある私の部屋まで階段を上ってやってくる。音でわかる。

お母さん、Aちゃんが来たよ。

この日曜日も起こされたー。

もう少し遅くにおいでって言っといてよぉ。

階段の音が聞こえると、余計に布団の中にもぐって

気付かない振りをする私。昔から音には敏感だったようだ。

母は私には黙って、Aちゃんにおはようと言う。

きっと、そろそろ起きなきゃいけない時間だから

いい目覚ましだったんだと思う。今、よくわかる。

Aちゃんは、幼稚園児なのによく一人で歩いて来たもんだ。

Aちゃんの母も、よく一人で行かせたもんだ。

イタリアだったらありえないことだよなぁ、と大人になって考える。

Aちゃんは、叔母ちゃんのところに行く!と言い張るらしい。

Aちゃんは、我が家に来ると嬉しそうだった。

買い物にもついて来た。どこにでもついて来た。

私も母のことが大好きだったし、普段仕事でいないから

独り占めできる日曜日に、独り占めできなかったことに嫉妬した。

それは大人になってから気がついたことだけど。

母はもちろん小さいAちゃんを一番に持て成すから。

こういった気持ちはきっと兄弟や姉妹の中ではよくあることであろう。

私は一人っ子の空間暮らしだから

急に小さなお客さんの対応ができなかったのであろう。まだ青い。

Aちゃんは、私の母のことが大好きだったそうだ。

そりゃそうだ。そのまんま表現できたし

そうさせてくれ一人でも送ったAちゃんの母に

Aちゃんは幸せなひとときと幼少時代を送れたと私は想う。

それと裏腹に難しい時期突入の私は

人から好かれる母には誇りだが、あの嫉妬感は忘れられない。

今では、そういった嫉妬感を体験できて良かったと思っている。

Aちゃんは、いつもニコニコして小さい目が線になるほど楽しそうだ。

それからも小学低学年のAちゃんは

相変わらず我が家に嬉しそうに遊びに来た。

ある時、Aちゃんが小学五年生の頃

急に変わったのをよく覚えている。

目が線になるようにニコニコはするが

下向きな表情で無口になった。

Aちゃんも難しい時期に突入していったのであろう。

Aちゃんが中学生になって超難しい思春期に

大好きな叔母ちゃんは他界した。

下向きに泣いていたAちゃん。無口に泣いていたAちゃん。

その後、Aちゃんもだんだん大きくなってきた頃

母親を亡くしてしまった私の支えをよくしてくれた。

Aちゃんだけだった、従弟で力になってくれたのは。

Aちゃんは、私の母の代わりに私によく相談した。

母のような寛大なアドバイスはできなかったけど

母が私の青春時代までに残してくれた彼女の想いなんかを

記憶を振り絞って、私はお姉ちゃん振りながら言葉を代行した。


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少年が、その、今、難しい時期に突入し始めた。

まだ思春期まではいってないその手前だと思う。

私も動揺が隠せないほど、梃子摺ることがしばしばではなく

いっぱいある。ほぼ毎日もしくは悉く。

どうして今の子はスマフォを持つのであろう?

携帯電話を持ち始めたことが私からすると最近なような気がする。

その前は、公衆電話の時代で、電話の列をつくった。

待ち合わせには、自宅の留守番電話機能にメッセージを残し

外から留守電を聞いて、待ち人の遅れる理由をキャッチしていた。

イタリアでは、そんな機能ないから、人伝という方法を使う。

シスターズとギリシャに行くのに私はブリンディシの駅で

待ち合わせをした。何時にここの駅で。

昨日私たちはそういって別れたのではない。

私たちは別々にバラバラに一ヶ月旅行をしていたのだ。

シスターズがいた!電車の中から確認できたあの喜び。

シスターズはギリシャ後、別の友とエジプトにアテネから飛ぶ予定で

その友とアテネのインフォメーションオフィスで待ち合わせをしたそうだ。

その日のその時間、友は来なかったそうだ。

シスターズは、インフォメーションオフィスの人に

言付けを残して行ったそうだ。また何時ごろ来るからね、と。

そうしたら、友も同じことを考えたのであろう

インフォメーションの人からきちんとシスターズの言付けを受け取って

無事会ってエジプトに飛び立てたのである。すごい。


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少年は、小型タブレットでスマフォは持っていないし

通話ができるわけではない。Wifi機能でネット通話ができるぐらい。

だが、そうではない。問題は、ゲームをしたがるのである。

大人からすれば、もっとタブレットの使い方を学べば

いろんな世界が広がると期待していたのだが。


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少年の誕生日間近、やはり少年はいつもと違う日にしたいと言う。

掃除をして、新たな年を迎えよう。それには賛成のようだ。

私も、この機会をいいことに(!)掃除をした。

三日間に渡り、大好物の夕飯で持て成し

カウントダウン気分を味合わせた。


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当日、私はオリーブの剪定を休んで、ケーキ作りに専念した。

少年が帰宅した。

おめでとう!

今日は何したいの?

ゲーム2時間。

・・・・・・・・・。

いつもと違う日にしたいんでしょ?

今日は、お母さんの時間あげるよ。

お母さんと遊ぼっか。

何して遊ぶ?

バトミントン久しぶりにする?

だんだん顔がニヤけてきた少年。

少年は見て欲しかったことがあったようで、二人は早速外に出た。

自転車の手ぶら運転。何回拍手ができるか!

スケートボードの上達振り。

バトミントンはラケットが壊れてたから

本格的に力む紐付きテニスで対戦!

ビデオで録画して12歳を祝った。

日常的なようで実は非日常的な独り占めの時間。

他愛も無いことだけど、自分を見て欲しい

好きな人から自分だけを見つめて欲しい感は、大人だって同じだ。

どうだった?今日は楽しかった?

うん。ボク、幸せだった。お母さんと一緒に遊べて。

それは良かった。

独り占めできて甘えられて笑ってるお母さんとの時間は

何よりのプレゼントである。

この時間プレゼントだって、いつか変化していくだろう。

親から離れていく頃だからこそ

非日常的に見つめて欲しい一瞬かもしれないと私は想う。

私もそれを同じ頃に望んだ経験者ですもの。




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時間 ilmio compleanno

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バックパッカーの私たちは、節約しながら

イタリア滞在中でも近隣国を旅していた。

女子二人はトルコに着いた。

ターキッシュエアーのトルコブルーのブランケットが可愛かった。

そういうところが気になる二人。

うる覚えだが、たしかあれは・・・

空港を出てから、安ホテルを紹介してくれるというタクシーに乗り

イスタンブールの街へ向かったのだった。

紹介してくれたタクシーはホテルに着いたところ

とても高い金額を請求しているような気がして、とにかく抗議した。

私たちは負けない。

私は、つたない英語と日本語でやいのやいの油断だけは許さない。

もう一人は、語学のセンスがとても良く

英語留学したことないのに、割りと上手に会話が成り立っていた。

二人いるから、一人はタクシードラーバーとやいのやいの

もう一人は、そのホテルに情報を仕入れに行く。

そんなすったもんだの最中、日本人の青年が通りかかった。

ど、どうしたんですか?

彼も男子一人旅真っ最中のバックパッカーであった。

タクシードライバーがぼったくろうとしている!とすぐさま言いふらした。

値段を聞いて彼は、「ま、フツーっすよ、その値段。」

あ、そうなの?

タクシードライバーは値引きをして去っていった。

きっとニッポンジン女子対応の教訓になったであろう。

青年は近くの安宿に泊まっていたので夕飯を一緒にとることにした。

旅っておもしろい。いや、滞在もおもしろいけど。

とにかくいろんな人に会う。

日本にいたらなかなか会えないだろうなぁというような人まで。

頭のイイ人も私みたいに悪い人も

やってること同じで出会うところがおもしろい。

私たち二人はフィレンツェに滞在中という話になり

青年は、私たちに≪フィレンツェシスターズ≫と命名した。

旅行中は、とにかく旅情報を交換し合う。

とても話が弾んだ宵となった。

翌日、私たちの移動の出発に駆けつけてくれた青年。

なんだか別れが惜しくてたまらなかった。

バスの窓から、手を振るシスターズを見上げて手を振り返す青年。

忘れられない光景と青年の顔。

このシーンは、人生の中で誰でも何度も体験する

閉めと再出発ともなる複雑で大切なシーン。

フィレンツェシスターズはしばらく無口に想い耽っていたと思う。


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あれから二十ん年が過ぎ・・・



ここ数年、毎年のようにフィレンツェシスターズは再会する。

ここヴィンチの丘の我が家で。

秋来るときもあれば、春来たときもあった。

あ、夏も来たね。で、今度は冬。

四季折々に訪問し、季節の空と季節の食べ物で迎える。

シスターズ(そう呼ぼう)は、歴史あるアイルランドで暮らしている。

そう、やっぱり彼女は英語圏なのである。

話を聞いていると、あまり惹かれない天候と食物の国だけれど。

フィレンツェの次は英語を学びに行くと

イギリスより安いと言いアイルランドの首都ダブリンに渡ったのだ。

英語能力はもっと磨かれたわけである。

英語だけではない、語学のセンスがあるから

どんなに月日が経っても、イタリア語だって忘れない。

語学ってセンスだよなぁ・・とシスターズをみてそう思う。


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シスターズと一緒に、エンポリのマーケットに出向いた。

地方で走る青いバスに乗って。

ヴィンチの丘の我が家の通りも一日4本ぐらいエンポリ行きがある。

また旅をしている気分である。

フィレンツェシスターズはマーケット好きである。

二十ん年前も、マーケット巡りしたっけ。

ローマまで午前中のマーケットに行って

激安マックス30000リラの古着の皮ジャケットを数枚買って

日帰りでフィレンツェに戻ってくるのである。

節約してるのに、節約になっていない一石二鳥派である。

フィレンツェシスターズは、無精製のハチミツを買う。

パツンパツンのパンツも柄がイイねとおそろいを

二枚買うからまけろ!と値切って買った。

シスターズは、このマーケットに来ると、靴を買う。

布製のゴージャスな青紫色のブーツは、セールもあって6ユーロ。

ダブリンにはない!と言って嬉しそうだった。

喜んでいるのを見ると、私も欲しくなる。

サイズがあれば買いたいくらいだ。作業靴より安いじゃないか!

ダブリンでは有名デザイナーも手掛けたパタンナーのシスターズと

裁縫グッズ屋台で、あれこれと屋台主としゃべり込みながら

私のお裁縫レッスンをしてくれた。


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マーケットを一回りし、牛モツサンドPanino al lampredotto

二人で頬張った。

あぁ、なんだか思い出すなぁ。

イスタンブールの新市街と旧市街を結ぶ橋の近くに

イワシサンドを二人で頬張ったのを。

イワシがぎゅうぎゅうに詰まってて超コスパだったのを覚えている。

またイスタンブールに行くことがあったら

絶対に行きたいサンド屋台である。



早速、マーケットで買ったリンデンハチミツで

コールドクリームを一緒につくった。

シスターズのダブリンの友まで、このクリームを気に入ったという。

なんだか嬉しい話だ。

肌に敏感な人は、自分に合うクリームやオイルが

実はなかなか見つからないようなのだ。


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シスターズがいる間にG.A.S.からの商品がいっぱい届いた。

よし、生牛乳でリコッタ風チーズも一緒につくろう。

シスターズも私と同じで豆腐を自分でつくる。

だから要領はわかっている。

2リットルの生牛乳とレモン汁1個分で

私が持っているリサイクルしたリコッタ用の型にピッタリサイズができる。

1時間ぐらい濾過させて、生温かい常温のチーズを

オリーブオイルで試食した。う~ん、成功!

生牛乳チーズの甘みとオリーブオイルのほどよい苦味がマッチする。

生地だけピッツァの上にそのリコッタ風チーズと

G.A.S.の甘くて味のあるBioほうれん草を茹でて絞ってのっけて

二人ランチをしたのであった。

二十ん年前にタイムスリップしたように、フィレンツェシスターズは

今までの時間を埋めるでもなく、毎日の生活の一部のように

なんだろう・・素でいられる

やっぱりその名の通り、フィレンツェシスターズなのである。

フィレンツェ時代では一年ほどの付き合いなのに。



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やっぱりトスカーナ! Amicacome Sorella 1

ピンクとフジPucci Glicinee Grazie

夏の訪問者 LoYukata


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私の母は、享年52歳だった。


母があの世に立った頃私は、青春まっしぐらだったので

母のその頃の活動を気にすることなく

自分中心の生活をしていたことは、はっきり覚えている。


私が小学生の頃、母は週一ぐらい
(・・だったと思う)

市の合唱団に入団していて、コーラスの練習に通っていた。


仕事から帰ってくると、そそくさに夕飯の支度をし

家のことよりこっち!みたいにコーラスを優先し

バタバタと出かけていった。


仕事場とコーラスの練習をする会場は近いのに

そこは母心、私のために一旦帰宅して

その日の三分の一ほどの愛情を夕飯に注いでいたのであろう。


今だったら、その頃の母の気持ちと状態がよーくわかる。


年が縮めば、仲良くなりたい大人はいっぱいいたが

母もその一人である。


ちなみに、そそくさ夕飯のメニューは親子丼ww

具のほうを鍋に作りっ放しで

食べるときに温めて食べてね!

(ご飯が炊き上がったらのことだ)

と鍋の中を見せてくれてるシーンを記憶している。


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コーラスで出会った友だったり、女子高時代の友だったり

その繋がり(・・だと思う)で、母は、いつのまにか

バンドグループみたいなグループの中で

ヴォーカルのように歌い始めた。


そんなことをし出したのは、私が一人暮らしを始める前辺り

高校時代辺りから、曲風が変わったのがきっかけで気がついた。


今思うと、子が外を向き始めた時代である。




私が七歳の頃バツイチで出戻りした母が建てた家は

きちんと自分()の部屋ってのもあって

6畳ほどの書斎が北側にあった。


母の窓からは、東京湾が見え

寒々しい部屋から涼しい景色が眺められた。


そこから、歌を練習する母の声がする。


歌っている曲は、越路吹雪の歌が多かった。




何故、日本語バージョンにしたシャンソンに興味を持ったのだろう。


今となって、ネットで検索すれば

有名なことや有名な人物のことは

簡単にイメージ画像までもが出てくる。


あぁ、絶対にこれだ。


シャンソンにも惹かれただろうけど

母を知る私としては、こっちの方が確率高いな。


越路吹雪の
'60年代が

母の '60年代に、顔が似ているのである。


動機はともあれ、当時曲選択も一苦労であったと思う。


'90
年代に入った頃だから、レンタルはできたものの

まだまだCD化された昔の曲ってのは少なかったかもしれない。


顔が似ていたっていうだけで、声の太さは全然違うのだが

越路吹雪が魅せるシャンソンだったように

母も誘うシャンソンだったようだ。


バンドグループに、ジャズとクラシックピアノを弾くプロがいた。

そのバンドは、結成からクリスマスコンサートをやるようになった。


食事と歌と。


まるで私がポルトガルを旅したときの

ファドと食事のように。


スペインを旅したときの

フラメンコと食後酒のように。


彼女たちのシャンソンバンドは、とても評判が良かったようだ。


小さな街の片隅で、住人を楽しませることができ

本人たちも、人生の中で団結したひとときと

観客までも歌いだすコンサートができて

さぞかし大満足であっただろう。




母の告別式で、バンドの仲間が

クリスマスコンサートで盛り上がった曲を流したいという。


その頃の母は、娘の私より仲間と共にした時代である。


彼女から歌をとってしまったら人生終わり

というほど、母は音楽を愛した。


仕事でもリトミックという障害者向けへの

リズム教育案を拡めている最中であった。


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母の誘うシャンソンは、残念ながらデジタル化してないが


二階の母の書斎から聞こえてきた

越路吹雪の「ラストダンスは私に」


母の書斎にあった
CD越路吹雪が崇拝していた

Édith Piafエディット ピアフのバラ色の人生「La Vie en rose


そして、コピーする誰もが若さに戻って歌うだろう

1971年に日本で大ヒットしたDaniele Vidalダニエル ビダル

オー シャンゼリゼ「Les Champs Élysées


この三曲をクリスマスに少年と聴いてみようと想う。



季語のように使われるご挨拶です。

世界の平和を祈って

メリークリスマス

Buon Natale a tutti





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この日に Anniversario

かたみ imiei tesori

家の中の族iCerchi nella Casa



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