大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:思い出

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八月前半の灼熱期間が過ぎ、ちょっと一息ついたころ
あまりにも思春期青少年の夏休み引きこもりをみるにみかねて
鬱憤晴らしに、海へ行くことにした。
いつもの無計画家族、前日の夜に決定。。。

私は灼熱期間に海に行くより
少し落ち着いた気温の日がいい。
すぐ焼けちゃうし、日差しが痛いし
暑くてゆっくりゴロゴロできないからだ。

私たちは、毎年同じビーチに行くので
去年と変わらない海に、もう何日も通っている気分だった。
思春期青少年もそう感じてくれればいいのになぁ。

全く稼働しないお盆を挟んだ2週間でも
きっと人も少ないんじゃないかと
ロングビーチのいっちばん町から離れた端っこへ向かった。
ここだ、ここだ、去年もここの入り口から入った。
半壊した古民家の周りにFicoフィーコ(植・イチジク)が生えてて
田舎者の私たちはパクパク食べた思い出から
フィーコの入り口と呼んでいる。

端っこでも、道路沿いの駐車は青線の有料だ。
ときどき白線のところは無料駐車できるけど
なかなかにタイミングとか運を要する。
有料にしたせいか(数年前は全部無料)一日中いるというより
動きがあるようにおもう。
なんせ1時間1ユーロ。
長期バカンスには痛い金額だ。

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左側は、旗がなびいててとってもシステマチックで
なんだか人が結構いる。
有料ビーチなのかなぁ。

右側は、私たちがよく知っている
まばらに人がいるけれど許せる程度だ。
家族連れがいたり、ワンコがいたり
若くも老いてもカップルがいちゃついている
いたってフツーのイタリアのビーチだ。

夫は人混みのビーチに全く興味ナシ。
わたし用のパラソルを設置して、海をしばらく眺めると
ハーバーの町へランチ調達しに行ってしまった。
それはそれで楽しそうだなぁ。

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ひとまずひと泳ぎすっか。
ちょっと波があった。
イタリアの天気予報用語で mare poco mosso といい
波がないと mare calmo という。

初めてイタリアの海沿いを旅していた時('90年代)
あれはナポリのイスキア島のビーチだった。
私と友、ギャル(当時)二人で手ぶらでゴロゴロしていた。

すると、地元クンっぽい青年が身軽にひと泳ぎしにきた。
しかし、彼はまずビーチに座り
カバンの中からエアービート板を取り出し
膨らましはじめた。

そして、水際で足にピンをつけエアービート板をもって
けっこうな速さで遠くの方まで泳ぎ
ちゃぷちゃぷ浮いてる様子で
またけっこうな速さで移動したり浮いたりして
戻ってきて、帰っていったのである。

私たちは、ずーっとそれを眺めてて
えっ、アレ、いいね!ということで意見が一致し
その日に、イスキア島だったかナポリだったかで
速攻、エアービート板とピンと
ついでにシュノーケルキットも購入した。

それからというもの、ビーチでゴロゴロしてるヒマはない!
エアービート板とピンで人魚のように速く泳ぎちゃぷついたり
ピンさえあれば怖くない!エアービート板ナシで
シュノーケリングしまくり、しまいには潜ってウニ獲りだw
お寿司にのっかてるような巨大なウニではない。
野生のウニだから、中身は小さい。
だから何個も何個も獲っては食べ
潜り獲っては食べるの繰り返しw

体中真っ黒に焼けたギャルたちは
もう愛おしい日本人には見えない。
あれからというもの、ブラジルギャルとよばれていた。

ギャル二人は、ティッレーニア海を南下しシチリアを周り
アドリア海沿いにちょい北上しプーリア州を回って
ブリンディシからギリシャのザキントス島へ渡ったのである。

で、ザキントス島から本島へ渡り、ギリシャの田舎も満喫して
アテネへ到着し、そこから島々へバックパーカーしたのである。

当時、携帯電話もなければSNSもブログもない
カメラだってフィルム時代さ。
その時リアルに興奮と共に書き綴るのもおもしろいだろうが
振り返って、今と重ねて時代を比べるのもまたおもしろい。
この忘れてはいけない貴重な旅ブログも、いつか書き残したい。

ギリシャではついにブラジル風ギャルは
海釣り(港沿い)まで挑戦し
それでも釣れて大はしゃぎした魚を
原始人のように火を起こして焼いて食べたのでありましたw

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そういうわけで、在住することとなり車でビーチに行ける生活
エアービート板から固いビート版にバージョンアップ。

私は浮くこともできるし、多少は平泳ぎで前に進めるけど
泳ぎに自信はない。だから海をなめてはいけない。

そのビート板はライフジャケットのように命の綱だ。
スイスイ泳げない私はあれを持ってるだけで安心する。

そして、波の怖さもなめてはいけない。
夫が波にのまれて溺れかけた記憶はトラウマ化して
思春期青少年にことごとく忠告している。

というわけで、わたし用とボク用、一つずつ持てるよう
キオスクみたいな新聞を売ることがメインの
海沿いのGiornaraioは海遊具がいっぱい売ってるので
車からでも一目で発見できるようにわざとごちゃごちゃ置かれてて
あ!あのビート板ウチのとおんなじだ!
ということで、青少年に行かせると
二色あった内、色まで同じのを選んで買ってきたw

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夫が食糧を抱えて戻ってきた!
パニーニとフルーツを食べて
ようやく夫がビーチでゴロゴロしている間
私は、ビーチを散歩することにした。
これもイタリアではフツーな光景。
思春期青少年はカリカリに日焼けしたいそうだし
こんなとこで母にはもうくっついてこない。ちっ。

ちょっと人混みっぽかった左側は
有料ビーチなのか確認しに行った。
旗は、イタリアの旗、EUの青い旗
そして黄色地にANIMAと書かれた旗。
(anima = soul 肉体的魂と訳すのかしら?この場合)
なんだろう。

わざわざ近くまで行っちゃって、っもう赤裸々に赤面よ!
そこの一角は、公認のヌードビーチだったw
真っ裸の男女がいっぱい。
(ちなみにところはLivorno県のSan Vincenzoを南下した
Parco di Rimiglianoも終わりの辺り。ワオ

イタリアは、全裸を公衆の目に晒すことは禁止されている。
だから、公認の場を設けて密集し露出するのだ。

あぁ、ビックリした。
思春期青少年もばつ悪気に驚いたそうだ。そりゃそうだw

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私たちは、何度もいうけど無計画な家族だ。
悪く言えば、もっとオーガナイズしろよ、ともおもうし
良く言えば、臨機応変とかフレキシブルとかフリーダム
Che sarà sarà!(なるようになれ)

ビーチ沿いのキャンプ場でテント張ってBBQして
静かな朝のビーチを散歩した後、BARでColazioneして...
コロナ禍の前は何度もしたけど
早々にデルタ株の蔓延で今年は控えることに。
思春期青少年ガクーン。

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それならば!
海にちっとも興味のない夫が昼寝の後
再びハーバーの町へ繰り出し
AperiCena(夕飯兼アペリ)の調達を!

PizzaピッツァとFritto Mistoフリット ミスト(魚系フライミックス)を
夫のとびっきり社交性のある性格を発揮して
オススメ店を地元民に聞きまくってw 買ってきてくれた。

思春期青少年には大判振る舞いだ!コカコーラをw
大人は、海辺にはビール。
少しでも野菜を持っていこうと主婦の愛
茹でてある冷凍枝豆と塩を持ってきていた。
暑さでほどよく自然解凍され、よいつまみに。

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タイミングよく夫も調達から戻ってきて
親子三人は、静かで素敵な日暮れの中
ビーチで乾杯することができたのであった。

めでたし、めでたしw

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幸せの種 il mare d'autunno
浴びる 日と水と土と風 sulla Spiaggia
この日はアドリア海で verso le Marche vol.3



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7月(2019年)の半ばだって過ぎていたのに
ムシムシしたグレーの空で覆われていた。

たった一泊二日だけだったのに
なんだか何泊もしているぐらい
この小さな島を知り尽くしたような気分になった。

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私は、直島を、イタリアの友やイタリアの雑誌や
とにかく日本人からの情報ではない、世界の人たちから知った。
日本にアートな島があると。

母国ニッポンのことを聞かれることがあるけれど
ニュースだって観光地だって
イタリアの田舎に住んでいると
フィレンツェの街だって遠く感じることがあるんだから
母国も遠い国に感じることが多々あり
答えられないことなんてしょっちゅうだ。

それでもここだけは次回絶対に訪れてみたいと
この世界の人がいうアートな島に近づく旅を計画した。

岡山の友を訪ねてワイン&オリーブオイル会をしたり
小豆島でオリーブ関係のアルバイトしたいと妄想したり
結局、旅行と2社オリーブ農園の視察ができたけど
海岸沿いだけではなく奥地も素晴らしそうだということがわかって
また訪れたい場所となり、移住者さんと知り合えたり
そして、直島の次は四国に渡り
フィレンツェシスターズの実家周辺の発見をして
ここでもワイン&オリーブオイル会を開いてもらって
最後に、広島へ渡り、イタリアの中学校で学ぶ戦争について
語り続けていかなくてはいけないその大惨劇を
現地にいって親子で学びたかった。

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直島へ渡ったのは、小豆島から高速船で渡った。
国民宿舎で、直島行き船の情報をキャッチしてもらって
出航する港まで送ってもらった。

シチリアのカラフルな馬車の荷台みたいなのがあったバール付き待合所が
バックパーカーが集まってきそうなユースホステルみたいなところで
均一感のないソファーや家具、散らかった感じが
やたらアットホームで、親近感が湧く待合所だったけれども
誰もいなかった。

待てども待てども乗船客とか船さえの動きもない。
しかし、国民宿舎の方と連絡が取れあっていたみたいで
出航する船は、別の港から出るということで
ぷっくりした小さなオジさんが、言葉数少なく
私たちを迎えに来てくれた。
なんだかイタリアを旅してるっぽくて
体が思い出した感じだった。

ジェット系の高速船だから、船内はバスのように狭く密室だった。
波しぶきが窓にあたって、のんびり感は一切なかった。

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直島の港は、さっそくアート化されており、近代的で
島民しか行き来しないような港とは大違いであった。
私は、伝統的な地元感があるほうが好きなんだけど
建築的にも近代化されていることで
都会っぽいシステマチックな雰囲気は信頼感がある。

イベント付きの長旅なので荷物が結構あった。
本当は、島の真ん中あたりの素敵な宿を
紹介してもらっていたのだが、満室だった。
サイトでみる素敵そうな宿を何軒か連絡したけれども
どれも満室であった。焦った。
素敵とか島中心いう条件を外して、港から1分の宿をとった。

島の宿は、ほぼどこも民泊で
おウチを観光客に貸している感じである。
木造(?)3階建ての最上階のお部屋を与えられたはいいが
昔ながらの階段は急傾斜で、歩幅が狭く危なっかしい。
重たい荷物を、宿を営む若カップルのお兄ちゃんが運んでくれた。

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最上階のお部屋の窓から、直島の屋根が見渡せる。
ほとんどが瓦屋根だ。

共同トイレに行ったり、出かける支度をしていると
イタリア語が聞こえてきた。
少年がいち早く「イタリア人がいる」と耳を欹てている。

交代で少年がトイレに行ったとき
廊下でそのイタリア人と出くわして
少年は「CIAO」と挨拶したらしいw
すると想像通り「アレ?!キミ、イタリア語しゃべれんの?!」となる。

イタリアのどこよー?と大人も興奮している。
ボクはフィレンツェから来てます、とヴィンチの田舎を省いた少年。
わざとトスカーナ風な発音を強調する少年。
そういうところがイタリア魂をもったイタリア生まれの子どもである。

で、その後、私もご挨拶したら
ミラノ在住日本人とミラノ出身イタリア人の建築家たちであった。
ミラノ在住日本人も、すっかりミラノ調アクセントである。
きっとこういう建築関係やデザイン、アート関係者が
世界から集まってくるのだろう。

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宿から1分もしないところに、島唯一のセブンイレブンがあった。
そこで飲料水や簡単なものが買えたのは便利である。

島内散策にレンタル自転車という手段もあったが
とりあえずバスに乗ってみることにした。
あの黄色いパンプキンバスに乗ってみよう!

日本は夏休みにちょうど入ったぐらいだったけど
日本人ではなく、ほぼ全員、中国の若者たちであった。

バスの中は、私たちと同じ顔をした中国の方たちで埋まって
バスの運転手は、シナリオ通りの英語をカタカナで指示していた。
私の日本語に嬉しかったのか
一番前の特等席w運転席の隣に陣とらせていただいた!

バスのオジちゃんに、島は小さいから全然歩けるよ、といわれ
乗り換えとなる地中美術館で降り
その先は、のんびり歩いていくことにした。

地中美術館だけは、オンライン予約のみ入館でき
無計画なアナログ旅人は、せっかくここまできたのに
地中美術館に入ることができなかった...

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親子はジメジメした曇り空の中
点々と存在するアートや美術館に向かって歩いた。

島は起伏があるので上ったり下ったりだ。
自転車では私は無理だったと思う。歩きで十分だ。
ビーチにも立ち寄れるし、自然をじっくり眺めることができる。

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直島は、建築家安藤忠雄氏の作品が立ち並び
ファンにはたまらない。
今こそオリーブを栽培したりしてるけど
そのもっと前は、こんな私も建築系を学んだ身である。
是非とも見学してみたい!

こんな小さな島に、コンクリート打ちっ放しの建物
緑の芝生、その向こうは海。
超ミニマリズムで永遠に続きそうな平面や直線
コンセプト通り、モノにあふれた社会で原点を見つめ
静かに思索する時間と空間と場所は
一瞬、直島にいることを忘れ、すべてがそうであったところ
そうとも思わせるし、直島伝統感のジャングルのような緑が
人工化されたことは、廃墟にならないよう観光を守るべき
そう見守りたくなる気持ちも同時に生まれたりもした。

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誰もいない透き通った海はイタリアの7月では考えられないことだ。
曇りだろうとゴロゴロしている人はいっぱいいるし
泳いでる人だっていっぱいいる。
どちらかというと一年中誰かがビーチにいるイタリア。
ヨーロッパの人だったら、2週間は同じ宿で
同じビーチと同じ道を歩いて、まるで地元民の休暇のように
滞在するだろう。
この島は誰一人そういう目的の旅行者はいないようにみえた。

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その家プロジェクトというアートプロジェクトは
空き家の古民家を改修して作品化させた家々で
ご案内してくれるのは島民たちであった。
誘導している若者もいたし、大人もいたしもっと大人もいた。

上手にリフォームされているので清潔感があった。
しかし、プロジェクト地区以外の住居区には
古民家を飲食店にしたりオシャレに活用されていたりもするが
やはり廃屋もみられ、現実っぽさも垣間見られ
ジャングル化した緑は、放置された時間が計れたものだった。

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親子は、セブンイレブンでビールとジュースと
この辺限定ぽいスナックを買って、漁船が停泊してるハーバーで
アペリティフをした。

私はギリシャでもそうやってビールとつまみをもって
アぺりをしていたことを思い出す。
あ、アペリだけじゃない、バックパーカーは
レストランなんかでご飯食べることは少なかったから
お惣菜を広げて、夕日を眺めながら呑んで伸びてたんだw

少年はいう。
漁船ハーバーでのアペリは思い出深いそうだ。
またあのパターンで旅行したいと何度懇願されたことか。

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直島に、銭湯があった。
そこもアートプロジェクトされているそうなので
男女分かれてひとっ風呂浴びに行った。
愉快な外装とインテリアは、銭湯の主まで愉快にさせるようだ。
弾んだご夫婦にお会いすることができ
一日が楽しく終えることができたとおもう。

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翌日、昨日バスで来たところを歩いて
見きれなかったところをみたけれど
歩いているところは昨日も今日も同じところであった。

これから私も世界の人のように
アートな島に行ったよ!
と建築家たちに伝言していこうとおもう。

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オリーブオイルとオリーブ栽培の専門家たちが立ち上げた
Olive Wellness社のウェビナー≪Olive Wellness社大学≫が毎月
オリーブを通して私たちの生活がウェルネスになるよう
役立つ知識・知恵・情報・価値観をシェアしよう...
なんともありがたやすばらしき趣旨で始まりました。


私は第一回目の「オリーブの剪定」に登壇させていただきました。
なぜかトップバッターがヴィンチより生中継でしたので
オリーブ文化のヴィンチの風景や生活などを
盛りだくさんにお話しさせていただきました。

オリーブの剪定では、トスカーナのオリーブの主な品種
トスカーナの主な収穫方法、トスカーナの樹形の歴史と理由
そしてズバリ枝の数や剪定の目的と順番などを
シンプルに伝えさせていただきました。


第二回の「オリーブの道①」では爽やか若社長様自ら登壇し
コロナ禍前のイスラエル訪問での資料をお見せしながら
まさしくも世界史(もちろんオリーブにまつわる)の授業のように
年表や地図を使ってご説明されており
メソポタミア文明だのローマ帝国だの忘れちゃってた私なんかでも
覚えてられるかは別としてw
とても分かりやすく進行されていたと思います。


次回のテーマは、オリーブのルーツを探る第二弾!
オリーブの道②」
~オリーブは"地中海"から"いよいよ日本"へ~
再び爽やか若社長が登壇されます!
どうぞ、お楽しみに。

Webinar開催日は、8月21日(土)日本時間16時~
詳細とお申し込みは下のリンクをクリック↓





☆こちらの記事もどうぞ☆
ブルーな島、清い島 Setouchi Region - Shòdoshima vol.1
親切な島、甘辛い島 Setouchi Region - Shòdoshima vol.2
風に揺らぐ田 le risaie




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旅行&アートviaggio & arte.....@realmakiciより
Naoshima特集多めにアップしてます!

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Sorriso Amaro...
2点とって浮かれているそばで1点ゴールされちゃった。
監督、苦笑い...

 Sorriso Dolce...微笑み、とは
イタリアだとよく聞くし使うし見るけれど
苦笑い、てあまり聞かないな。
表情や表現が共通することに
とーってもイタリアに親近感をさらに覚えた。

去年コロナで中止となった欧州サッカーUEFA Euro 2020の
準々決勝イタリア vs ベルギー戦を
思春期青少年は、友宅で観戦した。

私たち大人は、そのまままったり夕食後夫婦でおウチ観戦で
メリハリもなく、一人ソファー、一人椅子に座って吞み続け
みーんなバラバラですよ。

でも観ているものは同じで、応援しているものはひとつなのだ。
それは家庭の一コマだけではない、イタリア全国ひとつだった。

イタリアが団結しているとき...ロックダウンもそうだったけど
スーパーナショナリズムなイタリアンは
老若男女、国で出場しているサッカーを応援するのだ。
ニュースでインタビューに答えていた方も
イタリアのいいところって団結できるところだって。
北から南、子どもも大人もお年寄りも。

私たち大人はメリハリもない空間だったがために
コックリコックリとうたた寝までしちゃって
Insigne選手が、キャプテン翼風にゴールを決めた
(とニュースでは報道されていたw)ところを見逃したけれど
Spinazzola選手がアキレス腱負傷して、涙の退場は
どうにかこうにか見納めることはできた。
その後のインタビューを見て、Voto(成績)まで見れて
ダイジェストまで見れて、試合を完結した気になれた。

そんなんだから、思春期青少年が友たちとワイワイ観戦するのは
私は、二倍嬉しい。
帰宅してからすぐにではない、一日か二日おいたぐらいの
気が向いたときに話してくれた報告によると
イタリアが勝ったとき
友んチの庭のプールにパンツのまま飛び込んだそうだ。
その日はご両親はわざとか留守だったそうだ。

ボクはパンツが恥ずかしかったからズボンで...
と、また疑問がわくようなことを言う。ま、いいや。

あぁ、楽しかっただろうな。
ニュースでも街中は若者たちで大騒ぎシーンが取り上げられていた。
コンサートのときの興奮と似たようなもんだろうな。
生で観れたとか興奮をリアルタイムに共有できたとか。

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集まっていたのはいつもの友たちで
ヴィンチの幼馴染だ。
幼稚園で出会い、小学校で別れ、といっても隣クラス
中学校でまたごちゃまぜとなり
だからグループは、ヴィンチグループで
二クラスしかないAとBの気の合う仲間が揃った。
といっても、ほぼ二クラスの男子全員で
全員ではないとしたら、グループが苦手な子たちで
単独行動をしている子以外であった。
かといって学校ではみんな仲良しなんだって。

もともと小さいグループだったんだけど
リーダーがいいやつで少しづつ輪が広がっていった。
我が思春期青少年も中二の夏休みからつるむようになった。
それまでは、なんとなく当たり障りなくみんなと仲良かった。
声をかけてもらうようになって
このコロナ禍でも、友だち感は絶えず
鬱になることなく、引きこもっててもなんか楽しそうであった。

隙さえあれば、仲間で草サッカーをしている。
空き地でするのではなく、地域のサッカー場を借りる。
有料だからそうしょっちゅうはできないけれども
自分が頼られていることに自惚れているw

DSC06936

それでも、全員全部同じという友はいない。

ボクが、30㎞先のショッピングモールにチャリで行きたくても
誰も来ないし来れない。
ボクが、50㎞先の海にチャリとか電車で行きたくても
誰も来ないし来れない。

冒険心が自身より強く挑戦しちゃったけど
どうだろう...友と行ってたかな?

育っている国は違うとはいえ
似たような境遇はあると我を振り返ってみる。
国とか時代の問題のほかに性格なんだとおもう。

そういうところから
自分ができることとかできないことを自覚してきて
ボクとキミで、ワタシとアナタなんだとおもうし
ボクはボクで、キミはキミなんだとおもう。

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7月といえばGO TOバカンスでしょ、ということで
ジワジワと妄想を繰り広げても、なかなか実現の余地がない。

そこで、Pugliaに行ってみたいね、Siciliaに行ってみたいねと
妄想しかない無邪気な思春期青少年と
妄想だけで幸せいっぱいになれる私は盛り上がるわけだ。
「友だちいるから、この機会に会えたらいいなぁ。」とボヤくと
夫は「失礼じゃないか!今までろくに連絡もしてないのに。
ヴィンチで会ってから会いに行け。」などという。

私は涙が出そうになった。
なぜ。
なぜ、そういう考えなんだ。
だから閉ざされていくのではないか。
それでなくても田舎暮らしで友との接触は少ないのに。

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私は、連絡不精だ。
どちらかというと電話より手紙好きで
クリスマスカードを送るタイプだ。
イタリアの友でもなかなか会えない人にはカードを送る。

かといって会おうよとか誘わない。
自分の安否というか日常を報告しているだけである。

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私が想う友というのは
そんな簡単に壊れるものだとはおもっていない。
友情はじつはあの頃に仕上がっているものだと想っている。
いつ連絡しようが会おうが想おうが
ずっとあの頃の友だちだと想っている。

ただヒマだったあの頃より
私たちは、優先しなければいけないことが増えてきちゃって
忙しくなっちゃったんだ。
時間的にも精神的にも。

あの頃近くにいて時間を共にして一緒にはしゃいだ友たちは
私の人生の一部に深く深く刻まれて、一緒に歩いてるんだ。

彼らがいなければ気づかないことだってあったし
彼らがいなければ知らないままだったかもしれない。

常に言葉にしたり表現したりしなくても
友のことを何分ごと、何時間ごと、何日ごとに思い出してるんだ。
...と、だいぶ前に
フィレンツェにいた当時すごくよくしてくれた
シチリアのアニキみたいな友から、そんなメッセージが届いた。

異性でさ、恋みたいな好きと人間的に好きってあるじゃない。
私は、今まで二人の人間的に好きって想える人に出会った。

そんな図星を突かれたような素直で正直なメッセージを受け取って
友たちを思い出すことをむしろ大切にしているし
思い出す時間をつくっているし、気がつくようにしている。


連絡を常にとったりヴィンチに誘ってから会いに行く
なんていう礼儀みたいのはいらない。
友たちだってしてないじゃない。
みんな忙しいの。

そんな想いを、夫にも青少年にも話した。
「そうでしょ?そう思わない?」
夫は、この時ばかりは、素直に頷いて納得していた。
青少年は、この時ばかりは、黙って耳を傾けていた。

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ずいぶん前に日本に一時帰国したとき
いつ会えるかわからないと、ちょっと不便な土地に職場があっても
仕事帰りにちょっとの時間でも吞めるかなと
私は、友の時間の節約になるよう不便な土地へ出向いた。

もうとっくに20年以上は過ぎている。
インスタで見つけてくれて
メッセージ上で再会を果たした。

メッセージで思い出話は難しいけれど
彼女が覚えている記憶は
私が彼女のために足を運んたひとときだった。
学生時代の友だちさえも覚えてないのに
じつはそんな束の間のシーンをより濃く覚えているものなのだ。

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青少年は「ボクには日本に友だちがいる。」という。
お、誰のことだ?
いまだに4回ぐらいしか行ったことない。
「次、日本に行ったらKとディズニーランド行くから
日本語の会話教えて。」という。ほー。

そしてある日Kのママが
「Kがはやくディズニーランド連れてってあげたいなぁ。」
て言ってるよとおしえてくれた。

どこで絆が芽生えたんだ。
あの数回しか会っていない時間と会話で
また会いたいと思える友だちができたなんて
それだけで、すべての価値が生まれて私は嬉しい。

そう、遠距離にいても気持ちは近距離なのだ。

そう、コツコツ友情をつくることもあれば
タイミングやフィーリングで友だちができることもある。


私もそろそろ友たちに会いたいな。



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時の同居人 Camera Doppia
フィレンツェシスターズ Amica come Sorella vol.2
イタリアからの手紙 Francobolli Filatelici 2017



第2回Olive Wellness大学ウェビナー
「オリーブの道①」
~オリーブ発祥の地 紀元前 "中東"から"地中海"へ~
【 2021年7月17日(土) 日本時間16時より 】





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Ho imparato a sognare
Che non ero bambino
Che non ero neanche un'età
Quando un giorno di scuola
Mi durava una vita
E il mio mondo finiva un po là
Tra quel prete palloso
Che ci dava da fare
E il pallone che andava
Come fosse a motore
C'era chi era incapace a sognare
E chi sognava già

Ho imparato a sognare
E ho iniziato a sperare
Che chi c'ha avere avrà
Ho imparato a sognare
Quando un sogno è un cannone
Che se sogni
Ne ammazzi metà
Quando inizi a capire
Che sei solo e in mutande
Quando inizi a capire
Che tutto è più grande
C' era chi era incapace a sognare
E chi sognava già

Tra una botta che prendo
E una botta che dò
Tra un amico che perdo
E un amico che avrò
Che se cado una volta
Una volta cadrò
E da terra, da lì m'alzerò
C'è che ormai che ho imparato a sognare non smetterò

Ho imparato a sognare
Quando inizi a scoprire
Che ogni sogno
Ti porta piu' in la'
Cavalcavando aquiloni
Oltre muri e confini
Ho imparato a sognare da la'
Quando tutte le scuse
Per giocare son buone
Quando tutta la vita
E' una bella canzone
C' era chi era incapace a sognare
E chi sognava già

Tra una botta che prendo
E una botta che dò
Tra un amico che perdo
E un amico che avrò
Che se cado una volta
Una volta cadrò
E da terra, da lì m'alzerò
C'è che ormai che ho imparato a sognare non smetterò
C'è che ormai che ho imparato a sognare non smetterò

Testi : Negrita(1997)

ボクは夢をみることを覚えた
それは子どもの頃ではなく
歳を追ってからでもない
学校があった日
終わりがないほど長く感じた
ボクの世界はこのへんで終わりのようだった
神父の退屈な教壇
ボクらは言われるがままに動いていた
ボールが転がっている
まるでロボットのようにボクは見えた
それでも夢をみることができる人はいる
いや、もう夢をみている人はいる

ボクは夢をみることを覚えた
ボクは希望を持ちはじめたんだ
持つ、持てる、持つだろう、と
ボクは夢をみることを覚えた
ボクの夢が大砲で
夢の中で、半分ぐらい命中するんだ

ボクはわかりはじめた
キミは独りで、パンツ一枚の無防備だ
ボクはわかりはじめた
はじめはどれも大きく見えるんだ
それでも夢をみることができる人はいる
いや、もう夢をみている人はいる

夢という大砲をボクは抱え
夢という大砲を放つ
失う友もいる
見つかる友もいるだろう
もし一度転んだら
その一度は転ぶんだ
そしてボクはまた地から立ち上がる
ボクはそう夢をみることを覚えた
そう夢をみ続けるだろう

ボクは夢をみることを覚えた
ボクは知りはじめたんだ
一つ一つの夢はボクを夢の世界へ引き込む
ボクをのせた風になびくカイトは
壁も境界も超えていく
その世界でボクは夢をみることを覚えた
ボクが試すいい訳は、どれも夢のためなんだ
そんな人生が歌になったら最高じゃないか
それでも夢をみることができる人はいる
いや、もう夢をみている人はいる






この歌を聴いて私の頭の中は日本語に変換されていた。
やっぱりグーグル翻訳では気持ちは表現されない。
勝手にボクだけど
勝手に語ってるけど
歳なんか関係ないんじゃないかと私はおもう。
だから歌われ続け、メッセージを送り続けているのだろう。





思春期青少年が歌やダンスの番組をみていた。
私もみることにした。
内容は、エンターテイメント養成学校を
宿舎から舞台までドキュメンタリーして
何か月何週にもかけてグランプリをだすものだった。

みんな18~20歳ぐらいの青年たちだった。
華やかな芸能を夢みた子たちは
誰でもできるTikTokにいそうな
いたってフツウの子たちであった。

しかし、何万というもしかするともっとかもしれない
そのスマフォの中のたった一つのアプリに向かって
歌ったり踊ったりしている子たちが
どんどん落とされ現実を知らされていく。

決勝戦まで辿り着ける子は
きっとプロや大人はもう見抜いているだろう。
しかし、ただタレントを養成しているわけでもなければ
探しているわけでもない。

今生きる夢みた青年たちに
経験やチャンスを与えているだけだ。
同じことを目指す仲間たちと
気持ちをシェアしてまた独りで歩んでいく。
その場は、番組としてスポットされているけれども
どの分野にも通用する。文化系だけじゃない。

与えられたチャンスの中で突き進んでいる夢みた子のママが
自分の子に会って、私の分まで夢をみさせてくれという。
「なんでママの分も?」
「私は夢をみないで生きてきたから。
夢を信じることをあなたから学んだのよ。」


DSCN1019

私の母が、離婚して離れ離れに息子と暮らし
息子の父(私の父)・元夫が早々に他界したために
青年となった息子と再会して、母業が再開するのだが
その頃の母業とはもう
家庭での生活を共にすることではない。
気持ちが寄り添える存在を与えるだけだ。

母は兄に手紙を送っていた。
私はその手紙を、母も兄も亡くなってから
見つけ読んでしまった。
でも今もずっと私はその手紙を握りしめている。
兄へだけの言葉ではない、私への言葉でもある、と。

「今、これがやりたいということを追ってごらんなさい。
なんでもいいから。失敗してもいいから。」
そんな言葉を母は兄に送っていた。

私は何度も何度も読み直し
何度も何度も想像して
何度も何度も信じて
何度も何度も夢をみた。

いまだにやりたいことがいっぱいあって
ありすぎて追っているのに
どこが頂点でなにが成功なのかいまだにわからない。

私が今までに気づいたことは
自分の世界をつくること
自分らしく生きること
頂点なんてひとつもないこと
幸福と苦難は交互にやってくること
そして堂々と誠実にいきること

夢とはいったい、前に進むための目標で
ゴールなんてない。
夢とはいったい、みんながもっているもので
それを夢と気がついていないだけなんだ。
夢とはいったい、生きるための原動力だと想う!

夢なんてかっこいい言葉だけど
夢なんて大きそうな感じだけど
私は、自分から湧き出てきた
ただただやりたいことのひとつが
夢なんだと想う。



・・・・・・・・・・


【お知らせ】

Webinar企画が完成いたしました!

世界から参加可能ですので海外在住の方も是非この機会に
オリーブ文化の豆知識をどうぞ!

人数に制限がありますのでお早めに。

Apro la prenotazione del mio webinar(in giapponese) in diretta
per la potatura degli olivi stile Toscana,
il turismo a Vinci e vivere in campagna

お申し込みはこちら




【ご報告】

オリーブオイル関西2021が

Covid-19緊急事態宣言延長のため中止となりました。
セミナーに登壇する予定でした。
プロフィールを残しておきます。
お申し込み下さいましたみなさま
ありがとうございました。

「ヴィンチの丘で オリーブ剪定」

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DSCN0985

2021年の幕が開けた。

SNSでは豪華なおせちや年越しそばで賑わっているのを横目に

ヴィンチの丘では、丑年にちなんで

せっせと牛のしっぽを煮込んでいた。

私の少女期青春期、年に一回ぐらいの割合で

「テールが手に入ったわよ~。」と、おばちゃんは

自慢の圧力鍋でしっぽをクタクタにし

デミグラスソース風に仕上げたしっぽの煮込みは激ウマだった。

帰国の度にリクエストした。

忘れられない、どーしても再現したいじゃないかっ!


はじめて牛のしっぽを一本丸ごと買った。

付け根は肉付きがよく太く、先っぽは先っぽらしかった。

関節ごとに切断してもらうと、11個あった。

骨髄みたいなところからゼラチン質のコラーゲンがたっぷり出る。

骨にくっついているどちらかというと少なめの肉は

ずっと煮込めば柔らかくなる。

ただ脂のようで脂ではないねっとりしたゼラチン質は焦げやすいので

ずっと土鍋の横で見守った。


DSC06526

年が明けてから3カ国の友たちとビデオ通話をした。

昔では考えられない。

Gettoneという公衆電話のコインを握って並んだっけ。

そんな在住経験のあるコイン時代の友たちであった。


ものつくりの友は自身の個展をこのコロナ禍中開催するにあたって

招待と同時に動画やネットでもリアルタイムに発信していくことで

遠方の方や体の不自由な方が訪問できる世界が広がったという。

もちろん生でリアルの方がいいけれど

行けない人忙しい人には、便利な手段であった

と勉強になったそうだ。開き直ると、あえて活発に取り組めるそうだ。


コイン時代、ネットなんか当然なくって個展をするのに

招待状をつくって送って配って配って配りまくって

ただひたすらお客さんを待った自分を思い出した。

体の不自由な方だって忙しい人だって遠い人だってもちろん待った。


今は情報や共感のシェアが身近になって

こんなど田舎のヴィンチにいたって

向こうのど田舎の発信が受け取れることに

コロナ禍の学びで改めて気付かされたことだった。

これを先取ってやってた人はコロナ禍の苦味はないということだ。


Bellissimo Canaiolo che colore!-

我が家は三が日牛のしっぽを食べ続けた。

ワインとトマトで煮込んだ俗in umidoというレシピで。

伴に、農主のCanaiolo Nero(品種)100%のワインで乾杯した。

ねっとりのしっぽにも負けないフルーティさと

カナイオーロ独特な爽快感があった。

情熱的に造ったワインは、いちいち作業とか風景が思い浮かんだ。


DSCN0439

そのワインを買っいに行ったとき、長老は外でうなだれていた。

こんな寒いのに、大丈夫なのかなぁ。

いつも会う度に、家族の一人一人を心配してくれる。

そして、気候変動に失望し、昔のことを語った。

その日、瓶詰めの間もうなだれっぱなしで心配になった。


DSCN0442

あの時のうなだれは、とうとう永遠の眠りとなってしまった。

長老の訃報はあとになって知った。

きっとこんな時だけに家族はひっそりとさせたのだろう。

訃報が速攻伝えられてもこんな時だから向かうことはできなかった。


長老は、老衰だったそうだ。

奥様がアルツハイマーになったあと 長老は腸を壊した。

ブドウ畑にきても、11時頃と16時頃は奥様のもとへ

しっかり戻っていった。それまで私と長老でぶどう畑の作業をした。

長老はだんだん痩せてきた。

腸を壊してから、食べられないと言っていた。

それでもブドウ畑にやってきて

自分ができることをできる分だけこなしていった。

それがとても役に立っていた。


冬の剪定に関しては欲張り剪定で、甥である農主と反対だった。

春の剪定も欲張りだった。しかし、昔の人は

果実は大地の恵みであって捨てられない、それだけのことであった。

農主と農法が違っても、有機栽培には変わりなかった。

ブドウの木の支えにしている笹の枝も長老は

自分で刈り取って、古くなった枝と交換していた。

ブドウの枝を架線から取り外す作業だって

取り外したら、一本一本細かくして暖炉用に仕分けしたり

トラクターで撹拌しやすいようにサイズにあわせて横に並べた。

私と時間をかけるところが違った。


天気のこととか葉っぱの色とか今年の芽の出具合とか

農主より早くに察知しているところがあった。

あれは長年の経験としか言いようがないだろう。


ブドウの収穫Vendemmiaの時、甥がセラー作業のときは

長老が指揮をとった。あっちにサンジョベーゼがある

こっちにトレッビアーノがある、というように。

お昼のテーブルでは長老の席は決まっていた。

私も夫も少年も招待してくれた。

お昼休み、少年とサッカーボールで遊んでくれたこともあった。

私は、手加減してよ、少年! と おじいちゃん転ばないでよ! と

ソワソワして見てられなかったけど

あれも一つの思い出になっちゃった。


DSCN2675

オリーブの剪定も長老がしていた。

農主はオリーブの剪定はしない。大地派剪定を習っていたが

やっぱり時間がないということを理由に長老に任せていた。

長老は、樹形に性格が出てたほど

均等のとれたデザインされたような樹形を決めていた。

オリーブの剪定士としてご近所さんのオリーブも手掛けていた。


でも腸を壊してから、体の機能が衰えていき

はしごが使えなくなった。周りが止めたのである。

オリーブの栽培でいっちばん事故率死亡率が多いのが、このはしご。

はしごの危険性と体力を要する作業だから

私がオリーブの剪定をしていることを

すごく褒めてくれたし応援してくれた。そして、ライバルだった。


DSCN1215

長老と同じ畑で過ごすことが多かったこの残りの数年

私が畑の中にいた距離は、長老の亡お兄さんにみえていたようだ。

タイムスリップさせていたみたいで、それはそれで嬉しかった。

あの頃と似てる...とか、あの頃を思い出す...という

記憶の中のなんでもない平常の温かい空間

その夢心地感を味わえてよかったと想う。


DSCN8874

夢心地の姿や年輪のような手で作業する姿

子ども心に少年と遊ぶ姿、ワインを水で割って飲む姿

きっと私は、家族よりも写真に収めているとおもう。

だからもっともっとより深く思い出に刻まれたし

些細なことも思い出せる自信がある。

家族とは別に私との世界はブドウ畑の仲間だった。


DSCN2622

長老は、ネットの世界なんかコロナの世界なんか

なーんにも知らないで逝っちゃった。

知らないのに、もっともっと昔が良かったって。

進化しては思い出し、進化しては思い出して

私たちの昔って、個々のやっぱり少年期青春期なんじゃないかな

なんておもう。

コロナ禍だって進化の中の少年や青年は

昔は良かったなんていうかもしれない。

私も昭和時代とリラ時代をよかったっていう。


毎日毎日長老がいたブドウ畑の姿をシェアしたいと想う。

ぜったいに忘れないよ、おじいちゃん。



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