大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:想い

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ゴミって、ついさっきまで商品だった。

中身を守ったりデコったりと清潔だった。

壊れるまでお気に入りだった。

いらなくなっちゃったけど、また使えるかな。

壊れちゃったけど、この部分使えるかな。


ゴミになる前

商品名もあってデザインもされて丹念に作られてビジネスがあった。

使命を果たしたらゴミとなり、燃やされたり埋められたり

置いてけぼりとなって海に浮かんだり自然の異物となるの。


ゴミが生まれない生活はできないのか。

そのモノの価値は薄れても、生まれ変わることはできないのか。

あなたが必要としなくても私が必要とするかもしれない。

自然に還ることのできるモノがうまれればいいな。

燃料を最小限に抑えられる生産や再生ができたらもっといいな。


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日本に帰国した時に思ったこと。

過剰な包装が一番目についた。

こんなにきれいな箱にこれっぽっちの中身に驚いた。

一つ一つのお菓子の包装にも呆れた。

ゴミとなりやすい包装過多なのに、街にはゴミ箱がないことに困った。

それでも街はきれいなように思う。

それは秩序のある国民性だと思った。


イタリアにいて思うこと。

老人が使用済みティッシュを道に捨てたことに

カルチャーショックを受けた。

タバコを開けるときのビニールを捨てるシーンは当たり前。

山道や田舎道に不思議なゴミが

わざわざ捨ててあることに悲しみを覚える。

街中のゴミ箱はパンパンで溢れ道端は汚い。

だけど、早朝清掃車や清掃人が片付けにくる。

学校で掃除をするのは掃除のおばちゃん。

それでもスーパーでは量り売りがメインである。

ゴミを燃やす習慣がない。

ヴィンテージのファッション服に限らずガラクタの

Used系のマーケットやお店がいっぱいある。

無料で交換っこする施設もある。

田舎の住人にはコンポストを無料で配布され

ゴミの税金の割引制度がある。

それでもまだまだゴミのことを考えてる人は少ない。


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これからゴミのシーズン、プレゼント交換の多い時期である。

人はどう思うかわからないが

私は家にとってある使用済みの包装紙やリボンを使う。

少年に小さい頃から、セロハンテープをきれいに剥がせば

この紙はずっと生きてるんだよ、と教えてきた。

イタリアの友からプレゼントを頂いた時

少年は丁寧にセロハンテープを剥がしててじれったかった。

そのイタリアの友(大人)は「破け!」と言った。

少年は私の顔を見た。

「できなければ破いてもいいよ。」

少年は、お母さんもそう言うし友に従って破いたけど

ゆっくり破いていた。

破く速度が少年の気持ちに変換されたようで私に伝わってきた。

みんなが帰った後、破けた紙を持ってきて

ゴミになっちゃったことを残念がっていた。

「大丈夫。まだ半分以上使えるよ。」

四角に切ってあげると少年は笑顔に戻った。


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そこでブログ⇛『風に揺らぐ田lerisaie』の続きである。

徳島県に秘境の棚田がある上勝町は

国内で最も先にゼロ・ウェイスト宣言⇛こちら

を発表した土地であることを知った。

なぜ上勝町だったのか。⇛こちら

そして過疎で廃屋化していった廃材を活かしながら建設された

現代的なジェネラルストアやクラフトビール工房の建築に

魅了されたこともあり是非とも訪れたくなった。

民泊のおばちゃんが拵えてくれた地鶏の唐揚げに

上勝クラフトビールが最高に美味しかった。

翌日、民泊のおばちゃんが棚田を案内してくれ

民泊のおじちゃんが上勝クラフトビール工房に連れて行ってくれた。

Kamikatz Stone wall Hill Craft & Science ⇛こちら

製材所をリノベしたそこでも廃材を利用し町の再生に活用する

という画期的なクラフトビール工房であった。

本当は、サイトでチェックしたら所内見学はできない日であった。

しかし、民泊のおじちゃんの顔で見学することができたw

こんな秘境にこんなかっこいいビール工房が!

ビール職人が案内してくれた。

「日本のビールってお決まりじゃないですか。選びようがない。

ビールだってワインみたいに選択ができてもいいと思う。」

ビールと発泡酒の違い、クラフト化させる材料

彼のクラフトビールに対するパッションは隠すところがない。

レシピを公開しちゃったりするそうだ。すごいw

もっともっとオープンにしてクラフトビールを一般化させたい

と願っているそうなのだ。わかる!

私のブログやヴィンチの写真だって

もっともっと無農薬野菜やリサイクル生活を

多くの人の生活に取り入れてくれることを願っている。

地球と体に優しいオリーブオイルが美味しくなる方法を

ヒミツにしたってしょうがない。

みんなに美味しくて安心なオリーブオイルを拡げたい。おんなじ!

とりわけシンボルともなっているインディゴタワーには呆気。

「あそこで打ち合わせをするんです。」こんなところで?!

イギリスの最も権威のある現代美術の賞«ターナー賞»を受賞した

建築家集団Assemble⇛こちら

が設計したというクラフトビール工房。⇛こちら

どれもこれもがサステナビリティ盛々で

上勝町の理念にかなっている。

ゴミってゴミじゃない。

出さないモノで、再生するコト、資源になるのだ。


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彼らのクラフトビールが買えるジェネラルストア

Rice& Win Breawing co. BBQ & General Store ⇛こちら

でランチをすることにした。

こちらも廃材が素敵に活用された建築で

こんなところで時間を過ごせるだけでもワクワクする。

廃材をオシャレに利用しただけでこんなに生き返るのである。

アイデアって素晴らしい。

ストアにある商品やお皿も

ゴミと捨てられたモノを変身させただけである。

私は車だったので、ビールは今晩の自分のお土産に。


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上勝町に行ってよかった。

かっこよさをしれてよかった。

デザインされた商品がゴミとなってまたデザインされる。

廃材でデザインされたスペースで未来をデザインする。

そのかっこいいデザインとはサステナビリティ力であった。

過疎化がすすむ秘境でいかに自然を守り、若者を引きつけるか。

しかし、ゴミの意識は一人ひとり持たないと解決しない。

自然は守れない。世界は変わらない。

老若男女サステナビリティ力を要する現代である。


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ヴィンチ村にもゴミステーションがあり分別ゴミは持っていく。

そこからお好きにどうぞというわけにはいかないし

町のコミュニケーションの場となる上勝町とはまた違うが

地域では動き出しているイタリアである。

一人ひとりの意識が高くなれば

もっともっとかっこよく未来までデザインされた

自然と伝統を守れる村になるはずだ。

それはヴィンチ村や上勝町だけではない。

世界中・・地球ぜーんぶ守れると信じている。



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原始作造 Passato ed Oggi

大気の音、次世の声 Friday For Future

再生した壷たち la mia arte povera



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少年が通う中学校でも携帯電話使用の禁止令が発足された。

イタリアの中学生は1114歳に当たる。

日本の中学生より若干小さい。

それは小学校が5年制ということもある。

中学校は3年制で、高校が5年制なんだそうだ。

今では、小学生も携帯電話(・・スマフォか)を持っている。

少年が小学5年生の遠足では

お友だちがスマフォで写真を撮ったり

親と連絡を取り合っている姿を少年は黙って見ていた。

彼は、すぐに電池が切れてしまう4歳の頃のクリスマスプレゼントの

カメラを小学低学年時代持ち歩いていたが

それも早々に時代が終わってしまった。

彼は時代を追いだがり、自分の貯金でSIMフリータブレットを

ネットで購入。激安だった為、何日もかかって

はるばる中国からイタリアへ運ばれてきた。

届けばいい。何よりも嬉しそうだった。

あの表情はなんだか忘れられない。

今までぐっと堪えていたものが弾けた様子だった。

これでみんなとチャットができる!

しかしそれはなかなか叶わなかった。

自分で購入した物だから、自分の保有物で

自分の名前で登録すること。

彼は未成年どころか小学校卒業したてである。

正直に生年月日を登録させた。

するとGoogleから、未成年はそれなりの規制の中で

ネットを使うようアドバイスが届いた。

ファミリーリンクというGoogleのアプリでは

保護者にもお知らせがきて

保護者が管理できるように設定されている。

そして、チャットは16歳まで登録できない

もしくは学校や学校のメールアドレスかなんかも

登録することになっていて容易ではない。

この16歳まで厳しく規則をつくっているということは

それまでの年齢の子どもたちにチャットいじめ問題が

著しく起きているからであると私は思った。

ニュースでもよく目にとまる話題であった。

いじめているシーンを野次馬が動画を撮り

SNSやグループチャットに流すというような事件を。

いくら他人事のニュースとはいえ

涙が出るほど悲しいニュースである。

私はそんな辛いニュースでも小さな少年と一緒に見てきた。

こういう事件に母は何を想うか伝えておきたい。

暗いニュースが日々流れる中、一つ一つの話題に取り組みたい。

世の中の知らないところで苦しんでいる人々がいることを

私たちは気に留めて気を付けることに

ニュースの意味があるのではないかと思う。


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どうやって開設したのかわからないけど

チャットアプリがある時開通した。

こんな小さな子どもにチャットの必要性は無いのではないかと

私は思うが、クラスの中にいる安心感は

私が思う以上にあるようだ。


しかし、この初夏、タブレットを自分のおしりで壊してしまった。

絶望したに違いないが、これで大切にしなくてはいけないことが

わかってくれたのではないかと私は冷静であった。

あんなに雑に扱うからだ。

私が何故PCスペースでタブレットもやっているか

これでわかっただろう。メリハリをつけるためである。


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だが、夏の日本の旅でスマフォをゲット。

また親子のスマフォ戦争が始まった・・。

ネットの便利さとネットの面白さを知ると限がない。

どんどん興味が広がってそれは繋がっている。

少年たちは、チャットの他にゲームがドラッグのようにハマってしまう。

もう一回、もう一回、と終わりはあるのに限が無いのである。

よくニュースで話題になっている

スロットマシーン中毒になるのではないかとハラハラする。


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言葉は、人を躍動させる力もあれば救う力もある。

それとは反対に人との距離をつくる力もあれば

人を追い詰める力もある。

言葉で気持ち以上に表現してしまうこともあれば

説明が足りないとこもあったりする。

正直でストレートな言い方もあれば

謙虚で遠回しな言い方もある。

言葉は、個人を対象にしているときもあれば

複数を相手に、一般的に読む人側に立って書いたりする。

一方的になることが多い相手への手紙は

テーマと説明と解決とポジティブな未来を語ることが

好感的な手紙やメッセージだと私は想う。

これが、テーマと説明と責任と課題とネガティブな未来だと

避けて通りたく距離をつくってしまう。

一言で発信できるSNSなんかは、長い説明はない。

コメントも一言で済ませることが多い。

だから余計に言葉選びが重要になってくる。

それに写真を加えると

たちまち言わんとすることが伝わってくるときがある。

写真だけで語るならば、私はステキな被写体を通して

良いことも悪いことも伝えたい。

もしくはドキュメンタリーチックに。

例えば農薬やゴミを訴える場合も、私は農薬の写真は撮らない。

ゴミもゴミの散乱よりもゴミの人生を写し出したいぐらいだ。

そして、言葉をストレートに言ったほうが良いときは

褒める時だと思う。

自分の感情を声に発する、シンプルに言葉で表現する仕草は

イタリアに来て覚えた。

感情に素直な人種といると、嬉しいときには嬉しそうだし

怒っているときは言いたいことは言わなきゃダメだ!の世界に

ついついたじろぐが、書いて送る方法より

本人がいる前で解決した方が、断然良いに決まっている。


チャットが16歳まで簡単にアカウントが作れないのは

言葉や人間関係のコントロール力が不足しているからだ。

大人だってコントロール力が欠けちゃったりする場合があるんだから

子どもは仕方ないのである。

人生経験が浅く親と友だちと先生の三角の中でしか生きていない。

丸に近づいてきたら、言葉の世界にようこそ、なんだろう。

私は少年に、いつの間にかチャット設立に成功しちゃってるから

もう仕方がない、グループ内の会話は控えるように

個人のお友だちとも悪口をいわない、汚い言葉を使わない

問題が発生したときには、必ず警察はお見通しだし

親だってチェックに入る。それからでは遅い。

チャットの内容を見れば、性格だってわかる。

「誰でも見れるスマフォ作りをしなさい。」


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私だって嫌な思い出がある。

気が合わないなぁと思いながら役員をやっていた頃・・・

やっぱり気が合わないメールが届いた。

他人から見れば私は抜けた人間かもしれない。

その他人は私の人生の課題を提案してきたのである。

私は驚いた。

他人が私の人生を左右させようと命令するなんて。

私がどこまで抜けているのか友たちに相談したが

ただ単に人は違うんだよという結果に辿り着いた。

そうなのである。

人はみんな違うのである。

私は絶対に正しいと思ってやっていることでも

ある人からみれば、おかしいと思うことがほとんどだったりする。

私もおかしな人だが、あなたも相当おかしな人だね

なんて思うことが多々ある。いや、いつもである。

自分の考えを押し付けることはできないし

人のせいにすることを言葉で表現することではないと思う。

人生を命令した人は

会うと平然としていたが私の目を見なかった。

私は、同レベルにもなりたくないし、子どもじみたこともしたくない。

私が良いだろうと思うこと。

挨拶は決して忘れない。私の一日を台無しにしたくはないから。

話たければ話を聞いて目を見て一緒に解決したい。

それでも私の中では、言葉で表現したあなたの本音は刻まれ

あなたの表現した言葉は時間をかけて忘れても

あなたとの心の距離はもう縮まらないのである。

言葉というのは関係を決定づけさせる力ももっている。


こんなエピソードも人生の内に必ず体験するであろう。

我が少年だってこれからエピソードだらけの人生を歩いていくはずだ。

テクノロジーは先走るがこの言葉だらけの現代に。


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ヴィンチの丘では、木々が黄色に染まった頃

タイミングよく強い風が吹いてきた。

風に任せた葉たちは、空に舞い上がって落ちていった。

あぁ、飛ぶんだ、ふわぁと。

下を見ると、同じようなんだけど一枚一枚どこか違う落ち葉たちが

重なり合っていた。

そして次々に・・同時に、土へ換わるんだ。

みんなそれぞれの形で生まれ、みんなそれぞれの勢いで成長し

みんなそれぞれに身を任せながら眠っていくんだ。

彼らには言葉はない。

しかし、彼らは同様に我々にメッセージを送っている。

無言でも共感を求めている。

記憶を思い起こし未来を待つ冬が来たようだ。



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一日の終わりの姿 FineGiornata

イタリアからの手紙FrancobolliFilatelici 2017

落ち葉の上で



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二年前の五月、オリーブの莟の頃

私は三週間手術入院した。

イタリアで三週間の入院は長い。

一週間で退院といわれていた手術入院であったが

三週間と長引いてしまった。

あの時私は一人で白い箱の部屋で苦痛と退屈な日々を過ごした。

それでも毎日夫が顔を出してくれた。

あったら嬉しい物を運んでくれたり、家の様子を報告したり

顔を見るだけでも、気分転換になった。

我が少年は、学校行事が忙しかったり、宿題に追われたり

スポーツに行ったり、TVに夢中で、時々しか訪れなかったけど

寝たっきりの母は体力不足で声を出す力も失っていたので

案外気を使ってくれていたのかもしれない。

初期にリセットされたのかな、赤ちゃんに戻ったように

起き上がるリハビリから始まって、歩くリハビリ。

ベットでゴロゴロしていると動けなくなると焦り

できる限り立っていたし歩いていた記憶がある。

休憩に入院後半本を読みまくって、内容に涙していたこともあった。

ある日、少年が訪れた時、リハビリ中で起立していた母を見て

泣きついてきた十歳の少年の姿も覚えている。

・ 記憶を記録の記事 ・


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そして今、またほんの少しの間、家族と離れる。

今度は、私の意志で。

友人たちもみんなやってるから、私もできるんじゃないかと

挑戦的な気持ちで出発する。

家の中私一人で殺気立っている。

友人たちはそれでも向こうから仕事やなんやで呼びよせられて

家族を置いて一人出発しているのだが

私の場合は、私の希望で一人で出発する。

そういうわけで、入院以外、私は一人で過ごすことがない。

常に家族と一緒で、常に家族のことを考え

常に家族をサポートしてきた。

家族を一番に考え、仕事の選択も家族を優先してきた。

友人と外出することもなければ、夫婦で外出することもほぼない。

義父母がいたら・・とフリーを想像してみるがあまり浮かんでこない。

少年がイタリアの中学生となって、学校への送迎義務が終了し

私は、万歳をしたほど嬉しかった。

この送迎義務が、フリーになりきれない難点だったように振り返る。

今は、自分で朝登校し、昼に一人で帰宅する。

ヴィンチ村でイベントがあれば一人で行けるし

図書館も一人で行けるようになった。

日本では当たり前の話で驚くであろうが

イタリアでは、それでもまだ14歳未満の未成年は

一人で行動すると、民衆の目を引く。

お昼ご飯は、用意してあるお皿を温めてペロリと食べているし

おやつも勝手に多めに食べているw

サッカークラブへは有料でお迎えが来て、帰りだけ迎えにいく。

少年はタブレット、夫もスマフォデビューを果たし

三人でグループチャットができれば、距離はさほど感じないであろう。

家の人は、母国で羽を伸ばすだけである。

人生の中のちょっとの期間ではないか。

できる、できる、と言い聞かせ、家族で初体験に挑むのである。


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ブドウの目掻き作業が一段落し、ホッとしている。

ワインのボトル詰めが出発前に控えているが、もう慣れたものだ。

農主の新規のお客様は大量発注して下さった。

ボトル詰めトラックを呼んで、はりきってのご対応。嬉しそうだ。

私も、お手伝いができて光栄である。

しかし、この五月、雨模様の寒い天気が続く。

芽が出る頃、花が咲く頃、結実する頃、熟す頃

実りの天気というのはとっても肝心で

その時期の天気で実の状態が決まる。

オリーブの芽は出て莟もあるが、この寒さで莟は小さいままだ。

実の芽も出てこなかった木がある。葉の芽は元気がいい。

オリーブの花は、5月の24日前後頃開花する。

開花までに膨らみ始めるところが膨らんでいない。

開花を見届けずに離れるのは寂しい。心配が募る。

そして、雨が続くと大地が乾かない。

大地の表面ではなく、地下である。

それでもトマトを大地に独り立ちさせた。

トマトを簡易ハウスで育てても、成長が遅い。

小さいのもあるが、自然農法の耕さない畝に植えた。

刈り込んだ草の嵩に埋もれて、まだ支え棒は必要ない。

大地に植えるときは、なるべく土が乾いた状態がいいが

仕方がない、濡れた土に植えることにした。

シソとペペロンチーノは鉢替えしたいが、全然大きくないので

必要がない。困ったな。

夫は草刈に追われている。私が土いじり係りであった。

やはり、二人で手分けして育てていかないと一人では無理だな。

強行シングル里帰りの無理がだんだん見えてきた。


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しかし一度決めたことだ、決行しようじゃないか。

動いてみないとわからないことはたくさんある。

動いてみて問題に気が付くことだってある。

じっとしていたら知らないまま過ぎていくのは勿体無い。

一人という時間を家族が必要なときに味わってみたいのだ。

私にも少年にも夫にもリセットされるような気がしてならない。

なんとかなる。

どこまでなんとかなるのか見当付かないが

心配ばかりしていたら行動ができなくなる。

開き直って、家の人が国の人になるだけのことを

それぞれに体験したいと思う。


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母国では、地球と体に優しい暮らしを伝えられればと願う。

イタリアより断然化学の国ニッポン。

イタリアは色んなことに機能しないけど、正直だと思う。

ニッポンは便利だけど、知らなければいけないことが見えないと思う。

私の小さな頭脳でも、イタリア田舎暮らしと

私のニッポンを同時進行させながら生きる今を

語れたらな、なんて想像しながら

ワイン&オリーブオイル会で披露するオリーブオイルの試飲をした。

そうこうしている内に、私のオリーブの木が

プレート用にスライスされてきた。いい香りだ。木目も最高。

私の生きる今のホンモノの香りを届けられそうだ。




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白い箱の部屋 Quadrifoglio

幸せの種 ilmare d'autunno

祖母とマキちゃん


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日本語補習授業校では日本と同じく我が少年は中一クン。

授業でことわざを勉強しているみたいだ。

けっこう難しい・・というか、私もなかなか使わないことわざなんかも

ノートに書いてある。漢字と同じで、一度勉強しておけば

聞いたことがある、見たことがある、という期待だそうだ。

ことわざを使って文をつくりましょう・・・おうちでやってきてください。

これは私の宿題みたいなものじゃないか!


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近頃、ボランティア活動に時間を費やしている。

ボランティアとは、自ら進んで社会事業に無償で参加する人

とある。まさしくもそうである。

519日の異常気象現象対策のデモイベント

ヴィンチ村の隣村である。と前回の記事にもアップした。

そのイベント用に展示する作品を制作しているのだが

ボランティアである。

本来働いていないお金のない子どもたちの

その子どもたちの未来のためのデモなんだから

メッセージと私の時間を、私のできることとして参加したいと想う。

先日、そのイベントのチラシが刷り上ってきた。

それをイベントオーガナイザーが取りに行って

承諾をしてくれた自治体や学校、スポンサーに届けている。

私とも待ち合わせをして、ブドウ畑の中で受け取った。

こんなにいつも動いてて、これボランティアなんでしょ?

そうよ。金曜日も一日ボランティア活動。

ラウラは、SNSの配信もイベントのオーガナイズもG.A.S.の参加も

いろんなところでボランティア活動をしている。

どうしても地球と体を守りたい人間で、それは一人で想っていても

考えていても守れないと考える人だ。

私も同じ。活動しているメンバーはみんなそうだと思う。


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私のこのブログも地球と体を守りたいボランティア活動の一つ。

SNSやブログで時々共感してくださる方々が世界中にいる。

日本語でもイタリア語でも英語でもコメントを受け取り

日本語の文章だけではなく、写真でも表現できているようで

この世界の少数の方たちに、時間を費やして

メッセージを送っていることは、やはり意味があるようで

嬉しいし続けようと想う。

田舎暮らしはそうできることではないし

トスカーナの丘に住むこともそうできることではない。

大変なこともあれば素敵なこともある。

その生活の一部をバーチャル的に思考の一部に入れたらと想う。


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数年前、日本語補習授業校の役員をやったことがあった。

彼らの活動は、日本とイタリアのアイデンティティーを持つ子たち

を中心に、文化交流的な活動が繰り広げられているのだが

100人以上の生徒を守りスムーズにオーガナイズしていくのに

それは大変な作業があった。

常に補習校のことがグルグルと頭の中をめぐり

一人では決められないから、役員たちと相談し合い

私の時間と頭は、子どもたちにつきっきりという状況であった。

当初のメンバーが上手に運営していったおかげで

補習校はどんどん急成長し絶好調に達した頃であった。

毎度試行錯誤で、なかなかオーガナイズマニュアルが仕上がらない。

それは、子どもたちが楽しく補習校生活を送れるよう

保護者からのアイデアが出るからである。

フィレンツェ補習授業校はトスカーナ日本人会という非営利団体

の管轄となり、日本人会のイベントでも子どもたちや家族を

メインにイベントが企画され、彼らを誘導していかなくてはならない。

毎日毎日イベントのオーガナイズに加わり

役員とだけではなく、イベントに参加してくださる家族との交信も

ある。指示して、問い合わせに対応して、成功を祈って。


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きっとラウラたちは、こんな感じなんだろうな。

イベントを通して伝えたいこと

共感して集まってきた人たちに発信していくこと

持続すること、動きがあること

ボランティア活動とは常に想いを維持していなくてはならない。

時は金なり

ということわざが少年のノートに書いてある。

お金以上に時間は貴重である。

時間の過ごし方はお金には代えられないことがある。

自分の想いは自分の時間かもしれない。

ボランティア活動は、時間と想いで動くことである。

それには強い意志が必要でもある。

時には、出費していることもあれば本業を感けていたりする。

でも決めたことはやり遂げたい。

時は金なりを座右の銘とし、ボランティア活動をする

とでも少年に教えようかな。


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畑も、時は金なり。

大地は金なり。

お金に代えられない我がトマト。

そろそろ大地に独り立ちさせたいが、雨続きのヴィンチの空。

あの言い伝えは当たっちゃったかも。

Terzo aprilante quaranta di durante

四月三日に雨が降ったら40日間雨が降るって。

雨どころか山では雪まで。

ブドウもオリーブも全体的に成長がもぞもぞ。

オリーブの莟がまばらで不安が募る。

冬は冬らしく、春は春らしく・・・

異常気象警報。

五月にやっとCarciofo(アーティチョーク)

緑肥のグリーンピースでグリーンピースご飯。



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子どもデモプロジェクトil mio progettino

大地と住人の井戸端会議 Fiori di Equiseto

もぞもぞ成長、BIOでいること Scacchiatura


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SNSで、都会の人間が田舎暮らしを夢見て

移住した記事をいくつか読む機会があった。

どれもマイナスに終わった記事で

田舎に移住する時の注意事項のように見受けられた。

地元民と移住者との関係が問題となっている。

最近読んだものが

シニアとなって東京から田舎へ移住し

畑をやったり庭でコーヒーを飲んだりのんびりと過ごしたい

という気持ちで移住したが、なかなか地元民たちに溶け込めない

初めてお友達となった方はやっぱり移住者

そして移住者グループで小さな社会ができ

さらに地元民からの反感をかっている

ざっくりいうとそんなような内容であった。

これは日本での話で、ここイタリア-ヴィンチ村の話ではない。


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確かに、私も田舎へ移住してきたとき

まさしくも私たちの家は孤立したような立地なので

ご近所と言えば、敷地内の離れにあるアパートに

賃貸で住んでいる一人暮らしのシニョールシニア氏は

地元民ではなく、エンポリ(10kmぐらい離れた中心地の町)の人。

建物内には我が家だけで、当時空き家であった。

そのまたご近所は200mぐらい離れたところ

そのまたまたご近所は500mぐらい離れたところ。

田舎だから、ご近所とは密集していない距離がご近所である。

イタリアでは、新しく引越ししてきた人が

ご近所さんへのご挨拶回りという習慣はない。

フィレンツェでも一度もしたことないし

知識的に、田舎でも挨拶回りをしなかった。

静かに我が家は超核家族スタイルで暮らしていた。

近所の人と挨拶をするような距離ではない。

田舎の住人たちは、車で移動するから

そう滅多に歩かないのである。


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息子が幼稚園に行き始め

時間を拘束された送迎義務のスクールバス生活が始まった。

朝、息子と遊びながら外で待ち

午後、一人でウロウロしながらスクールバスを待つ。

朝と午後、もしくはどちらか、犬を散歩する

200m先のご近所のご婦人と挨拶を交わすようになった。

一年過ぎ、二年過ぎ、ようやく立ち話ができるほどになった。

思い起こしてみると

ご婦人と仲良くなるのにも3年はかかったのである。

現在ご婦人は

未亡人になってしまったことと病になってしまったことで

エンポリに住む息子の家の近くに引っ越してしまった。

せっかく信用のできる地元民との関係を築いたのに。



息子が成長していくこととしかしスクールバスの送迎義務や

万が一のことも想定して

お祖父ちゃんお祖母ちゃんがいない頼れない我が家は

家から遠くに働きにいけない、車も一台しかない。

私の農業プロフィールでも紹介したように

目の前のブドウ畑で働けばいいんだ、そんな理由で

近所の農園のブドウの収穫アルバイトを聞きに回ったっけ。

白髪頭の日本人がスクールバスを待っている姿は印象的なようで

私は、聞き回っていると、地元民の目に留まっていた。

200mの近所の農園がブドウの収穫時雇ってくれた。

念願の採用に嬉しかった。

我が家の目の前のブドウ畑で働き始めた。

仲間たちとつるんでいれば歩いて通えるが

息子の送迎をしなくてはいけない。

仕事中に抜け出して息子を迎えに行くのである。

時間を短縮させるためにマウンテンバイクを購入した。

息子は、ブドウの収穫の間、ずーっとブドウがおやつであった。

夫も、会社が不況の自宅待機の間は

近所の農業の作業を手伝った。

すっかり農業にはまってしまった私たち夫婦は

ほとんど農園である地元民のご近所たちと仲良くなり信用を得た。


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私が農業の勉強をし始めて

実習先ではバイオダイナミック農法に影響を受け

大切なことを学んでいるんだと

多くの人に知らせようと私もSNSを始め

だんだんヴィンチとヴィンチを囲む村々の地元民に知られ始め

積極的に村のイベントや活動に参加し

私はご近所との関係をつくる以上に

私たちが暮らす大地を守っていかなければいけないと

想うようになってきたのである。

たとえ移住者でも、たとえ異国の者であろうと。

それは、実は、ヴィンチだけの話ではなく

世の中の現代の問題に繋がっていることで

それを少しでも多くの人たちに語っていこうとも

想い始めたわけである。

今は、ブドウとオリーブで四苦八苦している最中でも

イベントオーガナイザーから提案や依頼がくる。


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花が咲き乱れる

(夫はウチだけだよな、草がぼーぼーなのって言うけれど)

我が家の庭で、BBQをしたりパーティーをしたりお茶したり

のんびりとした休日を過ごすことができる。

毎日同じ景色の違う姿を見ながら、日々を幸せに思うし

きっと息子は、育ちが田舎生活だから

一瞬街に憧れるだろうことは予想できるが

ある時自分が生まれ育ったところに帰りたくなったときは

ここに近い環境を求めるだろうな、とも予想する。

(少年は、夏の日本帰国で行きたいところに

渋谷の交差点!と言う 苦笑)


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イタリアと日本での田舎暮らしは、そう違わないと思う

が、本当に地元民の生活に加わっていかないと

ずーっと移住者のレッテルで田舎ライフは

寂しいものに終わるのではないかと想像する。

なんか海外生活での話しと似ている。

日本人だけでつるむだけではなく、現地の地元民と行動する。

だから私は二度目なのである。海外と田舎。

私は、田舎の職業-農業に興味があったことは大きかったと思う。

女で農業の仕事は、イタリアでは応募困難だが

日本には、様々な農業の仕事がいくらだって募集してるし

シニア活躍してます!っていう募集もあるし(イタリアありえない)

寮付もしくは斡旋してくれる農園もたくさんある。

ただ田舎の空気を吸うだけであれば、ペンションや旅館でいい。

生活して満喫するには、地元民の暮らしと苦労と問題を

一緒に分かち合うことではないかと思う。

というわけで、日本の一時帰国では田舎ライフを体験しようと思う。



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