大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:散歩

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今年の六月に日本のパスポートが切れる。

五年前は、日本の小さな市役所でつくったっけ。
こんな田舎でも窓口には
外国人の並ぶ姿が増えていて
見慣れない光景だった。
スラスラ日本語が話せなくたって
日本に滞在していることが嬉しそうだ。

それと、バックが青い写真の息子は
まだ11歳でにんまり微笑んでいる。
かわいかったなぁ。。。

...そんなことを、パスポートを眺めながら
思い出していた。

私は、五年に一度日本に帰国する
...と今年は日本に帰国する年だ。
パスポート番号を登録する航空券を手配する前に
有効期限内パスポートを更新することにした。

パスポートさえ取得しておけば
行くか行かないかは後で決めればいい。
なにしろ飛行機代がやたら高いので検討中。

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そういうわけで以前は、息子のは
日本の小さな市役所で取得した。
私は、ローマの日本大使館の
フィレンツェ出張サービスで
受け取ったことがある。

あやふやに記憶をたどっていくと
確か当時は...
大使館に切手を貼りつけた返信封筒を送って
オリジナルの申請用紙に記入して
提出しなければいけなかった。

旅券の期限が切れての新規更新だったからかな、何も変更がなくても戸籍謄本も日本から取り寄せて提出しなければいけなかったし、写真の顔の位置やサイズも決まってて、なんなら写真屋さんの指定までもあった。
フィレンツェは、ミラノとローマの真ん中辺だけれども、ローマの日本大使館の管轄で、出張サービスがない頃は、朝一でローマに向かい、確か午前11時ぐらいまでに提出して、午後4時ごろ受け取ることができる、という方法だった。そういった経験もある。

そんな不便な時代も過ぎ...昨年度あたりから、オンライン申請システムを導入したようで、スマフォに専用アプリをダウンロードして、申請ができるようになった。
しかしネットで、パスポートをイタリアで更新と検索しても、アナログ風申請用紙をダウンロードする紹介ページがメインで、そのメインページにオンラインシステムの紹介ページがリンクされているので、正直よくわからなかった。
ので、申請書を指示通りに印刷して、ローマの日本大使館にアポメールをしてみると、紙の申請書の提出だと二度出向かなくてはならないので、フィレンツェ在住(ヴィンチ村はフィレンツェ県内)であれば、オンラインをおすすめします、とのことでオンラインシステム一本でじっくり研究することになったのだ。

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申請アプリをダウンロードしても
ダイレクトには作動しない。
OPRnetとかいう在留届に
Emailとパスワードをつくって登録
IDができあがって
(既に登録済みであればIDを持っているところへ)
旅券の申請・発行から
パスポート申請アプリに飛ぶのだ。

やり直しや見直し、確認、パスポートが出来上がってQRコードを見せなくてはいけないときも、とにかく最後の最後まで、この流れでアプリをあけるので、在留届にとべるページをスマフォの中に保存しておくと便利だろう。
息子のパスポート申請だが、本人はメールアドレスもあるので、本人が申請者として登録。親が、家族の分を申請することもできる欄があったので、申請者ごとに登録することはないようだ。

旅券=パスポートの
期限内更新は1年前からできるそうで
切替更新とよぶそうだ。

その切替更新のメリットは、申請時
前回のパスポート取得と同じ内容で
本籍を一字一句間違えずに書ける人は
戸籍謄本の提出が必要ないのだ。

戸籍謄本はたいてい発行されてから6か月以内のものが有効とされるので、私みたいに5年前に日本に行って取ったものなんかダメだし、コピーもダメ、オリジナル(原本)しかダメとなると、日本から取り寄せるしか方法はない。
今回、取り寄せずに済んだので、取り寄せる場合、依頼人がいればいいけれど、いない人や頼りたくない場合、カード決済で市役所が直接海外まで輸送してくれるのかは、わからない。さらには、いつ届くかわからないし、本当に届くかわからない。
私にとって、ここの部分(戸籍謄本提出)がいっちばん困ったところであったので、戸籍謄本の提出が免除されたことは、すごくスムーズにパスポート取得ができたことのひとつである。

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そして、オンライン申請のメリットは
何ミリまで要求される顔写真撮影が
自分でできることである!

顔写真は、日陰でいいから日中の外の白い壁をバックに、きもち白い壁を多めに、自撮りレンズを使わずに撮る。なぜなら、室内だと照明がちゃんとないと顔の中に影ができやすい。白い壁を多めにすることは、若干の縮小・拡大は申請アプリの中でできるから。自撮りレンズはダメなようなことが書いてあった。
写真を撮影した後の補正で、トリミングはしなかった。青系グレーっぽい白壁はハイライトを強くして見た目上白にした。そうすると、顔の色味が減るので、血行よくさせた。

自筆サインも
白い紙に黒ペンでサインをして
写真を撮る。

補正するとき、あまりトリミングしない。サインも申請アプリ内で多少の縮小・拡大ができる。白い紙は、写真を撮るとグレーっぽくなるのでハイライトを多めにいれたりホワイトを強くしたりする。
黒い字も影はダメとあるので、ハイライトで影は消えるだろうし、コントラストを強くしてみるといいかもしれない。

イタリアの Carta d'identità の前と後ろの
写真ファイルを一枚ずつ用意。
こちらは添付ファイルとなる。

息子はイタリアのパスポートを
取得したことがあるので
期限が切れていてもパスポートの写真を撮って
写真ファイルを用意しておく。
有効なイタリアのパスポートを...とあるが
期限が切れたイタリアのパスポート
と素直に添付ファイルのタイトルにした。

申請者が未成年の場合は
リンクされている親権者同意書という用紙を
旅券申請時に必要なものとあるページから
ダウンロードしてプリントアウトして
自筆で書いてサインして
(共同親権者がイタリアの方は
戸籍謄本に記載の通りに書くとよいかも。
我が家の場合はカタカナで。)
それを、写真に撮って添付ファイルに。

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さて、在留届のOPRnetから
申請アプリにとんで
申請時に用意するもののところで
下にスクロールして
顔写真ファイル
自筆サインファイル
をアプリ内にダウンロードしておくと
その場に本人がいなくても
素敵な証明書写真を提出することができる。

現在有効な
電子チップ付きパスポートを読み込むときだ。

私はiPhoneなのだが、申請アプリの指示通り画面を上にして、見えないけど電子チップがある固いページにある太線に合わせて、iPhoneのカメラレンズの横辺りにそういうのを読み込む機能があるらしく、近づけてみたり置いてみたり。申請アプリでは8秒以上かかると言うけれど、けっこうな時間を要した感覚だった。なかなか読み込み完了しないから、本当に読み込んでいるのか疑問がわいてくるが、ただ無言にゆっくり読み取っているだけなようなので待ってみよう。最後には、読み取り完了!と出てくる。

読み込まれると
ある程度自動的に入力されている。

二重国籍の場合も素直に入力していこう。
いつからイタリアの国籍を取得したか
誕生日でいいようだ。
イタリア共和国で生まれ
片親が同国籍であるような項目など
二つぐらいチェックした。

で、最後に、前述した添付ファイルを
添付して完了だ。

機械処理で足りないことをピックアップしてメールにて報告されるのか、ひとつひとつ職員が目を通してメールを送ってくださっているのかはわからない。
しかし、申請完了の翌日、選択した受け取りはミラノ領事館ということで、領事館の方から確認の電話があった。正直に、ついでにミラノの友人に会うためと伝えると、すぐ了承してくれた。

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二度も不足内容メールがきて、そのたびに前述した在留届ページから申請アプリを開く手順で、不足項目をうめていったという感じであった。
その不足内容は、顔写真やサイン写真を枠内(顔やサインの赤線枠内ではなく、バックの白地部分の全体のこと。だから顔やサインギリギリのトリミングは必要ないのである。)に埋めること、つまり写真自体ははみ出ててもいいのだ。国籍を取得した年月日、Carta d'identitàの後ろの写真とイタリアの期限切れパスポートの写真の提出...いろいろあったw

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全て準備が整うと
旅券発行手数料の支払いはどうするかだ。
カードで日本円(¥11000)で支払うか
現地でユーロ(€79)払いか。

その日のレートではなく
もう値段が決まっているのだ。
まるでPlay Stationをこっちで買うように。

この頃、見たことのないほどの円安で
1ユーロ160円!
どんなに手数料とられても
円で払った方が得だ。

カード決済を選択して
カード内容を打ち込み
決済自体は、旅券を受け取った時に実施。

旅券の受け取りは6ヶ月以内。
日にちに束縛される生活でなければ
格安チケットが出てるような日に
特急電車で向かえば
プチ旅行がさらに満喫できるというわけだ。

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ミラノ領事館、初めて来た。
素敵な建物の中にある。

領事館のガードマンはイタリア人だ。
わざとそうしているのか
早速怒ってる風で感じ悪っ。

イタリア語でごちゃっと言われ、いつも丁寧で優しい日本人がいるところに来たと私と息子はイメージしていたので、は?と驚いている内に、お前らイタリア語わかんのか?まで言われ、むしろイタリア語しかわからない思春期青少年はカチンとした口調でトスカーナ訛りで返答w まぁまぁまぁまぁ。

窓口の方は
そのまんま親切な日本人の
外務省の職員の方で、ほっ。
丁寧に私の質問にも答えてくださって
ありがとうございました。

突然の申し出にお付き合いしてくださった
ミラノ在住のMさん
半日でスピーディミラノプチ観光
めっちゃ楽しめた!
全部私たち好みのスポット巡り
最高でした。ありがとう!

今度は、私のパスポートの番。
またミラノでプチりたいとおもう。
Saloneの時期に!

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今日の一曲




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《 こちらのブログは2023年6月の情報です 》



今年の晩春と初夏は雨降りが多く
たくさんの地域で洪水や土砂崩れなどの
被害が出るほどであった。

私は、ブドウの芽掻き作業Scacchiaturaを
手伝いに行っているはずだったのに
気がついたら一人で黙々と4ヘクタールを
長々とやっていた。

反対に、時々農主の娘さんが
私を手伝いにきてくれる
という形になっていた。

一人でやってると時間がかかるだけではなく
気が滅入ることもあったりする。
何度も何度もそんなとき
工場とか窓のない室内で毎日
働いている人のことを考えた。

農主は、草刈りも緑肥刈りもする時間がないほど
展示会に出店し、セラーの仕事をし
転んでしまった94歳のお母様の
ヘルパーさんがいないときの世話をしながら
あっぷあっぷしていた。

でも、気候と成長のタイミングで作業をしないと
特に草刈りなんかは
せっかくブドウの空間をつくっている
芽掻き作業の効果がすぐ出ず
その空間に空気が回らなく
湿気が貯まりすぎて
カビなどの病気が発症しやすくなる。
例えばPeronosporaは厄介だ。

草が多くていいのは、干ばつのときだ。
草がほどよい保湿を与えたりする。
前にそんな例があったから
急がなかったのかもしれない。

ブドウの開花・結実時期の降雨はよくない。
反対にオリーブは、いい。でも今年は不作。
去年のオリーブオイル大切に使え
と、農業関係者にあちこちで言われた。

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夫は腕をチェンソーで怪我をしてから
だいぶよくなったはものの
いまだリハビリに通っている。

きっと人にもよるのだろう。
夫は「痛い」のトラウマとなり
怪我した辺りの筋トレを
なかなかしない。
だから治りが遅いような気がする。

エニマルな夫は、力仕事ができなくなって
悔しい想いで相当イライラした。
雨が降るともっとイライラした。

そんなイライラと本人は葛藤し続け
私が落ち込むと必ず自分の例をだした。
そんな気持ちだったのか
と、私も理解に努める。

晴れると、やっぱり気分は盛り上がり
やりたいことがいっぱい出てくる。
私もそうだ。
思春期青少年なんかもっとだ。

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ある日、温泉地のイベントのお手伝いの話が
思春期青少年に舞い込んできて
そのイベント先のサイトをみていると...

Montecatini Termeモンテカティーニテルメという温泉地が
ヴィンチから20kmちょい、車で40分ぐらいの所に
温泉と温泉で使われていた17世紀建造物の恩恵で
とっても裕福な町で、5つ星4つ星ホテルが並ぶ
富豪が訪れる観光地がある。

ゴージャスなホテルはゴージャスなスパ付きであろうが
一般市民は、国のユネスコ文化財を見学したり
18世紀建造物とは別に建てられたスパ総合施設で
泥テラピー、マッサージ、オゾンジャグジー
リハビリテーション、室内プールなどなど
利用が可能だ。

イタリアは、温泉国でもあることから
国の医療費控除や免除で
温泉療法という治療も控除枠内なのである。

本当に困っている症状や病気は
ホームドクターにチケットを発行してもらって
施設にアポをとって
超格安で、例えば12回50ユーロで
受けることが可能なのである。
失業者は無料。

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以前...20年ぐらい昔
モンテカティーニテルメの隣町
Monsunmano Termeモンスンマーノテルメという
これまた温泉が沸き出る...というか
洞窟内の気流や吹き出すものが
温泉効果並みに体にいいそうで
そういうわけでそこにもスパ施設があり
私もふくらはぎの血行が悪いという理由で
オゾンジャグジーを12回、その医療費控除で
利用させてもらったことがある。

夫の持病は痛みにまで発症する皮膚病なので
昔も今も理由は同じだ。

夫はそのモンスンマーノテルメでは
メインの洞窟の中のサマーベットの上で
寝っ転がっているだけ。
リラックスもしくはサウナ感覚。

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今回、私も便乗したかったが
そういうわけでブドウのお手伝いがハードで断念。

昔は、12回いつでも行けたけど
今は、チケットが発行されてから18日以内に
12回分を消費することと厳しい条件がある。

モンテカティーニテルメのスパでは
夫は、泥んこテラピー(fango)と温泉に浸かる(vasca)
泥んこテラピーは、ダイレクトに皮膚に塗るのではなく
ラップされた必要な部位だけ塗られ
泥んこのところは40度以上に温められ血行を促すことで
痛みが緩和されるという効果があるんだそうだ。

効くか効かないかは、人次第であろう。
とにかく、根本からリラックスすることが
温泉療法の基本なようだ。

温泉療法をCure Termaliクーレテルマーリとよぶ。

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私もついでにどうしても行きたいので
休みの日や畑にいられないほど暑い午後なんかに
夫は一人の方がリラックスできると言いやがった
けど、数回温泉プール(piscina)の方に浸かってきた。

私は、一般なので1回1時間15ユーロ。
平日は予約なし、土曜日や祭日は要予約。

プールはけっして大きくない。
子ども連れのファミリーがいると
また違うほっこり感はあるけれど
断然ほぼ誰もいない平日がオススメ。

プールには、肩こり解し用の滝があったり
足腰用ジャグジーもあったりする。

温泉水は、飲む温泉水と同じみたいで
ミネラル豊富そうな塩っぱい水。
一瞬、自分の汗かと思ったけど
温泉水が塩っぱいことを後で知った。

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何度も来ているなら観光しよーよ!ということで
私の温泉プール最終日
1700年代建造のTerme Tettuccioテルメテットゥッチョという
ユネスコ文化財の温泉水が飲める建造物を
見学しに行ってきたのである。

プールとほぼ同じ温泉水を飲む体験&見学は15ユーロ
見学のみは6ユーロ。

さすがユネスコ文化財だけあって圧巻。
18世紀なんて近代ヨーロッパなのに
ローマ帝国風でやたらわくわくする。

飲む温泉水の壁にあるタイル画
まさしくもテルマエロマエ風画で
今も昔も絵は同じかい!とニヤニヤ日本人。

30分から1時間ぐらいで回れる
決して大きな場所ではないけれど
昔はたくさんの庶民がここに集まって
塩っぱい温泉水を飲んだり汲んだり
わいわい賑わってたんだろうなぁ
とタイル画を見ながら想像する。

とにかくゴージャスで気分は賑やかな時代に
なんだかタイムスリップするわけだ。

そんな時代の建築物を大切に保存され
見学したり体験できることは
大袈裟だけどやっぱり生きてる価値みたいな
エネルギーをもらってしまうのである。
昔と今を共有できるってのが
今いることの特権だとおもう。

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そのテルメテットゥッチョがある界隈は
静かな優雅な公園となっていて
ちょっと進むと
Terme tamericiテルメタメーリチという
元温泉水が沸き出てたところは
現在素敵なカフェとなっており
ここでイベントや展覧会とか良さげ!
と勝手に盛り上がる。

変に手入れされてない
屋根からの草の茂みが神秘的で
ジブリのポロンポロンしたサントラが
頭の中で勝手にBGMってくれた。

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私は久々の観光と温泉は
束の間の最高の温泉療法だったとおもう。

でもまた現実の日常に帰ってくるのである。。。


⭐︎

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オリーブ&ブドウ インスタはこちら↓
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今日のトレーラー。




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私は、トルコに二回も行ったことがある。

イスラムとヨーロッパ、大昔と現代
オスマントルコなどの歴史と、民族やシリア難民
様々な国境に挟まれた中、独特な文化
なんかごっちゃまぜな国のイメージが
今、ある。

当時は、イスラム教一色のイメージ
イスタンブール全部興味津々
カッパドッキアなどの自然
いろんな工芸に興味があって
友(フィレンツェシスターズ)と
第一回目のトルコの旅に出たのだ。

日本やヨーロッパとはまたひと味違う
でもイスラム教100%でもないゆるさ
貧しいのか中堅なのかよくわからない風習
なんかとってもオープンでWelcomeなところ
そんなあいまいなところが
なんとなく先進国と似ている風で親近感があるのだった。

二回目のアドベンチャーな一人旅は
その親近感文化をもつ出会った人に再会したい想いと
もっともっとトルコを旅したい想いが強くなったから
また行ったのである。

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今回のこの大地震情報を聞いたとき
やっぱり私の中でいろいろよぎった。
お昼を終えた同僚が教えてくれた。
「震源地はどこ?」
「シリアの近くらしい。」

シリアの近く...
当時フィルムで写真を撮っていたアルバムを引っ張りだした。
アルバムに記してある土地名を細目にしながら(老眼)
写真をながめてみると
なんとなくの記憶がよみがえってきたのだった。
その時のある土地のエピゾードを紹介しようとおもう。

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私は、ただ単にこの円錐形の屋根
トゥルッリ型の建築物に興味があったはずだ。

イタリアでは、プーリア州にある
石が重なっている(だけ!
それをイタリア語でpietra a seccoと呼ぶ)
Trulliトゥルッリ型の屋根の家が並ぶ
Alberobelloアルベロベッロなんかが有名だ。

私は、もちろんそこも歩いているし
屋根に座って笑っている写真もある。
なんで屋根に上れたかは記憶にない。
1996年の話だ。

それだけの好奇心だけで
シリアの内戦がその頃からあった
シリア難民の多い危険地域に知ってても行ったのだった。

トルコの都会に住む親近感系トルコ人たちは
私がなんでそんなとこに行くのか不思議そうだった。

地震前までは、そしてコロナ前までは
ハッラーンという村は観光客がいっぱい来ていただろう。

今やネットで調べると、いっぱい出てくる。
当時はネットなんぞないから
地球の歩き方やミシェランガイド
あとは現地でインフォメーションオフィスで知るかなんかだ。

私はここで土地の歴史などを語ろうなどとは思わない。
歴史や土地の特徴や詳しいことは、できるものなら
本職でやられている方のネットを参考にしてほしい。

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私がHarranハッラーンという村を訪れたのは
1997年の12月だった。

ハッラーン村へはSanliurfaシャンリウルファという街から
48km(google map調べ)離れたところにある。
トルコはほとんどバス移動だから
そこへも当然バス移動のはずだ。
それしか考えられない。

ハッラーン村はガランとしていた。
写真でもわかるように
広大な土地にポツンとあるような感じだ。

もともとはシリアの土地だったそうなので
シリア人が住んでいたそうだ。

話によると昔も今もトルコとシリアは
仲が悪いそうなので
トルコに住むシリア人が孤立してしまう様子は
被災地情報でもニュースになっていた。

私は、人は人、同じ人間だと思っているので
人に対しての国境はないと信じているけれど
それぞれの想いや文化や歴史があるのだろうから
仕方がない、特に深入りすることはない。

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ハッラーンは、今ネット(wikipedia)で調べてみると
とても歴史のある土地で
古代メソポタミア文明の頃盛んだったそうだ。

その私に興味を持たせたトゥルッリ型(ドーム型とも)を
ビーハイブ ハウス (蜂の巣箱状住居) と呼ぶそうだ。

この土壁でドーム型とは
灼熱の土地の住居には最適なんだそうだ。

しかし、その、ここに住んでいたシリア人たちは
シャンリウルファの街に移住し
現在ハッラーンは観光地として残っているそうだ。

私が訪れた時のこのハッラーン在住シリア人家族の出会いは
とーっても貴重な出会いだったのだと
思い返したり今調べていく中でわかってきたのだ。

トルコとシリアが仲が悪くたって
どちらも日本人の私には優しかった。

言葉が通じなくたって
興味をもったこと
一生懸命コミュニケーションをしようとする姿勢
表情
オーラでいろいろわかる。

どうやら私を歓迎している理由は
家族の写真を撮ってほしい!ということだった。

土壁の家に住んでて、一見貧しいんだけど
心は本当に豊かな家族だった。

子どもたちが嬉しそうだった。
だって、お父さんが嬉しそうにしてるんだもん。

私は、貧しそうなところに住んでいる人の生き方を知りたかった。
豊かな国の幸せと土壁の家に住む家族の幸せは違う。

物が無くたって生きていける強さ
当時私の旅のテーマはそういうところにもあった。

その土地で生まれるその土地に合った住居もそうだけど
生活するための道具とか工芸なんかに興味があった。

当時私は二十代真っ最中だったけど
リセットしたくて仕方がなくって
日本を出てイタリアに住みながら
先進国とは違うような国を旅していた。

言葉が通じないけど、意思が疏通できる
言語もそうだけど、耳が聞こえない人
赤ちゃんや子ども、単に大人同士だって
意思を伝える方法をずっと研究しているかもしれない。

土壁家族の主は私に
手紙が受け取れるP.O.Boxみたいな住所を
渡してくれたので、家族の写真を送ったのだった。
ちゃんと着いたのかな。

今はみんな、子どもたちは大人になって
お父さんお母さんは
おじいちゃんおばあちゃんになっているのかな。


地震で被害がなかったことを祈るばかりですが
全地域お見舞申し上げます。

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私はなまけものだ。
新生活にかまけて、歩くことを忘れていた。
つくることを後回しにしていた。

でもカラダはワタシを忘れない。

新生活の中でも、外の光の変化が視界に飛び込んできて
カラダがうずうずしていたのだ。

外の光の変化は、希望にも感じるし
はたまた落ち込みにも感じる。

その光を浴びるために
ほぼ空しかみえないこのヴィンチの丘で生きているのではないか。

新生活の朝だけは、ときどき私を驚かせることが多い。
けれど、そうだ、行きも帰りももう光は沈んでいるから
なんだか忘れちゃっていたのかもしれない。

その暗闇の丘で、毎朝ジョギングをしている男性がいる。
登り下りがある丘だから、突然現れる感じだ。

きっと彼も光のある時間はじっと仕事をしているのであろう。

暗闇の男性の姿を見ると
孤独感ではなくって、個人感をみせつけさせられる。
私もがんばらなくっちゃと背中を押される感じだ。

さぁ仕事に就くと
何十年もただただ仕事 - 家を繰り返す日々のベテランたちが
あーでもないこーでもないと
小さな世界の話に花を咲かせている。

私はそんな話だって新鮮だ。
私はにやにやラジオのように聴いている。

小さな世界のにやにやラジオは
案外、私に個人感を生ませ
もっともっと個人を工夫して
仕事も生活も個人に楽しみたい!とおもうようになった。

そんなことが私に生まれているなんて
微塵にも察しないベテランたちは
私をラジオのリスナーからパーソナリティーへ導くが
危ない危ない、私はそこでも個人を保たなくてはいけないw

そうやって小さな世界のベテランたちと打ち解けて
時間のありがたさや大切さも学ぶ。

それでも私はニッポンジンなのだ。
何を考えてようが、どう動こうが
私は、MAKI個人よりもこの小さな世界ではニッポン代表なのだ。

その荷はかなりの重さだ。
そう、イタリアに来てからずっとだ。
だから人が少ない丘の上で
私の想いのような光に浴びると落ち着くのかもしれない。
そこでふぅっと個人をだせるのかもしれない。

広大な世界のどこかでたくさんの日本人が
各々の小さな世界で、その荷を背負って表現しているだろう。

ワールドカップの日本代表選手たちが
きれいに使って気持ちを残した更衣室エピソード
はるばる観戦にきた日本人観戦者たちのゴミ拾いエピソード
監督の深々な敬礼エピソード
それはそれは話題になったものだ。

この、誠実さや尊重と感謝の気持ち
私たちが産まれたときから素に持っているような
この人種的なような社会的性格
やっぱり気持ちがよくなることだし平和がうまれる行動は
こんな小さな世界のニッポン代表のそんな荷を持つ私にも
繋がっている感と忘れちゃいけない気持ちを再確認した感じだった。

私の小さな世界のにやにやラジオでは
イタリアではありえない、で処理されたw
ま、いいさ。自分を持って生きていこうとおもう!

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雨降りの多い師走に突入して
光のある日に、希望のような光を浴びに散歩をした。
ずっとなまけていたことだ。

ここ数ヵ月を振り返ったりしながら歩いた。
もっと前を思い出したりもした。

前は少年と...いや、少年のために散歩をしていたんだ。
今日は一人で歩いている。

いつもの砂利道を通って
いつもの景色の中を歩いて
いつもの教会に辿り着いて

でも何かしら発見があって
でも何かしら違ってて
でも何かしら持ち帰ってくる。

その持ち帰ってきた私のおみやげで
クリスマスリースをつくった。
ただ枝と枝を結んだだけだけど。
気持ちだけでも味わえる。

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栗の粉を買ってきて
小さな世界のにやにやラジオで聴いた
Castagnaccioカスタァニャッチョと呼ばれる栗のタルトを焼いた。

すっごく簡単で
栗の粉(250g)と水(270g)を塩ひとつまみ混ぜて
松の実と干しブドウを生地に混ぜて
上にはクルミやローズマリーを散りばめて
オリーブオイルをかけて
180℃のオーブンで35~40分ぐらい焼く。

私は、松の実のところをピーナッツやクルミだけだったり
干しブドウのところを、夏に天日干しした洋ナシスライスを
干しブドウのように水にもどして
若干ふやふやになった洋ナシスライスを撹拌して混ぜた。

それと私は、キビ砂糖をスプーン2杯ぐらい混ぜた。
オリジナルレシピには砂糖は混ぜない。
栗の甘味を味わうので、お菓子というより
赤ワインやモスカートなどの甘いお酒にも合いそうなタルトだ。
さらに塩系レシピによく使われるローズマリーが
大人の味へ引き出している。
我が家は甘いものは朝食でとることが多いので
お砂糖を加えることにした。

私は、プヨプヨしたCastagnaccioより
さっくりしたケーキっぽい方がよかったので
粉と水の割合がちょうどよかったレシピを見つけられてよかった。

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今日は夫の誕生日だ。
仕事ばかりの夫には
大好きな肉週間にして一日だけではない
数日たっぷりご馳走をつくってあげようとおもう。
物でもない旅でもない彼の癒しは、食べれること。
エニマル感たっぷりである。

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今日の一曲。






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最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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vol.2のつづき。

我ら親子が向かった友の実家は
Marsalaマルサーラの街からちょい南下した海沿いにあった。

海は見えないけど、歩いて3分のところに位置していた。
どうりで毎年毎年青少年が生まれる前から
誘ってくれていた意味がわかった。
まるでバカンスのための別荘のようなのだ。

友は、普段はヴィンチから30分程のところに住んでいて
夏の休暇とクリスマス休暇に帰省しているようだった。
ここにはご両親と兄弟家族が暮らす3世帯ならぬ
友家族分もあったから4世帯住めちゃう大きな家だった。
さすがシチリアだなぁ。

この大ファミリーは以前
マルサーラの街寄りに住んでいたそうだ。
友が幼少期、この海の家に引っ越してきたそうだ。

ここの欠点はひとつ
車がないと何もないことだそうだ。
それを聞くとヴィンチの丘の家の周りも何もない。。
同じくバスはあれど、一日に数本しかない。

友は、そのマルサーラの街にあるお母様の病院通いに
午前中まるまる付き添わなければいけなかった。

私はご両親の体調の悪いときにお邪魔したくなかったのだが
逆に、体調不良で落ち込んだ時に
わいわいとお客さんがやって来たことに
刺激を与えた様子で、歓迎のおもてなしで迎えてくださった。
パッとしない思うように動けない生活に
新しい話題で食卓に華を咲かせて
一風を与えたような感じだった。

イタリアから日本にいるおばあちゃんに
会いに行っていた感覚と同じだった。
友の大ファミリーとは家族同然のように付き合いも長いし深い。

私たちもなるべく
迷惑をかけないよう気を遣わせないよう
できるだけ家族っぽく振る舞った。

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親子は滞在期間、マルサーラの海ライフを満喫するのだ!
そう、朝眠くたって早めに起きて
海の風が心地よくあたるテラスで
Caffèとパンにお母様の手作りオレンジジャムを食べて
友とお母様の出掛ける時間まで
女だけでおしゃべりをたっぷりして
そして我ら親子は、その3分で行ける海に
水着とバスタオルだけで繰り出すのだ。

朝の海は穏やかだ。
朝の海に行けるのは青少年の念願だった。
彼はこのために来たようなものだ。

そして、パラソルなど持っていかないので
午前中と夕方しか行かない。

友の実家から国道を渡って砂浜に向かう。
昔は、この国道を渡った向こうは
風避けのダンチクがいっぱいあったそうな。
現在は、もっと欲張った海の家々が
不法で建っている。
さすがシチリアだなぁ。

友の幼少期時代は
田舎の海のがらんとした交通量さえも少ないビーチだったそうだ。
それが今や、Salineサリーネ(塩田)の辺りのように観光地化し
別荘やレストランがぼこぼこできたそうだ。
国道もなかなか渡れないじゃないかっ!

ビーチは、誰もが落ち着いてくつろげる細かい砂のビーチだった。
かなりの距離まで浅く、水は透き通っていた。
遠浅だから浅い部分が水色で深くなったところから青色だ。
このコントラストが素敵なビーチ感をだしている。

友の実家からビーチへの最寄りの入り口は幸い
BARや有料パラソルのあるようなところではない。
どちらかというと、友たちのように帰省組が
朝と夕、ひと泳ぎするようなビーチだった。

朝の弱い日差しでも私はできるものなら日焼けはしたくない。
日陰を探した。
ちょうど不法で建てられた住居の囲いの壁と大きな木の陰をみつけた。
私は太陽が移動してもいいように
少しでも長く日陰にいられるだろう位置にバスタオルを敷いて陣とった。
思春期青少年は、少し離れたところの日向で
ゴロゴロ態勢でもかっこつけている。やれやれ。

すると、母親らしい大人一人と小学生低学年ぐらいの男の子と
中高生ぐらいの女の子たちを引き連れて
もうちょい先の日陰に、そのグループは陣取って
歌いだしたり踊りだしたり、ボールで遊んだり
海に入るのもグループで、明るく賑やかに過ごしていた。
どこからみても、毎日通ってる海慣れした一行であった。
 
一日目は、私たちの想像していた朝の穏やかな海であった。
海水はそんなに冷たくなく、ずっと浸かっていられそうな温度。

初日の夕方も私たちは海へ行った。
マルサーラライフを満喫しなきゃですもの。
午後にはもう海は荒れ始めていた。

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ヴィンチ親子が到着した途端、我々の三日間の滞在期間
Sciroccoシロッコというサハラ砂漠から吹いてくる熱風・強風の
気流の渦に巻き込まれてしまった。
地元民の話によると、ときには
サハラ砂漠の砂まで見える時もあれば
砂まで降ってくることもあるんだそうだ。

いつだか日本で、千葉の京葉線から見えた
黄色い砂埃が舞っているのを思い出した。
あとで、その現象は黄砂であることをいとこが教えてくれた。

本当だったら、友の兄は自作ボートを持っているので
プカプカとボートで海を遊覧する案も出してくれていた。
もしくは、カヌーとかペダルボートなんかの案もあった。
がしかし、この強風と海の荒れでは
海の乗り物はやめておいた方がよいと海に詳しい地元民がいう。

風の向きによっては波がないところが
塩田だったり遠浅の海を歩く体験をした辺りだったのだ。

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翌日の朝、マルサーラライフをしにひと泳ぎしにいった。
あの毎日来てそうな海慣れした賑やか一行は昨日
いっちばん長くまで日陰が続いたところに陣取っていたのを思い出した。
今日は、アタイがあそこを陣とるわよ!

しばらくすると、賑やか一行が現れた。
私が彼らの日陰地帯を陣とっちゃったから
私が昨日いたあたりに広げはじめた。ゴメン。
 子どもたちは日向だろうへっちゃらなんだけど
やっぱり大人は、少しでも長く日陰がいい。

私が泳いでいる間に、母親らしき大人が
私のバスタオルの隣に移動していたw

え。。近すぎじゃね?
ってフツー日本人だったら思うじゃん。
その母親大人は、マルサーラに帰省しているシチリア人さ。
「ごめんね、近くに寄っちゃって。日陰にいたくって。」
と、素直で社交的だ。

それからあれよあれよとおしゃべりがはじまり
ついには、近くでかっこつけている我が思春期青少年に
同じくらいの歳の女子たち3~4人と男子2人を紹介しはじめたw

若者たちは遠浅の海でなんか楽しそうだ。
初対面の青少年もあとにくっついていって帰ってきやしない。
おばちゃんたち二人は、シロッコの強風の中
自己紹介したりおしゃべりをして時は過ぎていった。
「シロッコにね、やられちまうことを
io sono sciroccataっていうんだよ。」ふむふむ。

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Pranzoプランゾ(ランチ)は家族を待ってみんなで一緒に食べる。
今、ナスが旬だ。滞在中ナス料理が何品か登場した。
ナスのカポナータ、ナスのトマトソースパスタ、ナスのグリル。
私はもっぱら料理下手のうえに伝授してくれる人がいなかったので
基本を知らずに自己流に今までつくってきたのだが
ナスは他の材料と一色たんにすることがほとんどだった。
しかしここのレシピは、とにかくナスは別で炒めたり焼いたりして
食べる直前にお皿の上に混ぜていくレシピであった。
なんか食材の味が単品ずつ引き出されててイイ!

彼らのおもてなしは寛大で、どう返してよいかわからない。
彼らは見返りなんか気にしない素のままの姿が
これぞシチリア流で、友を超えたみんなが家族という絆を
彼らから比べたらちっぽけな私は痛いほど受け取った。
私は一人ぽっちの世界観がなかなか抜けない狭い許容範囲で
彼らのような寛大さが乏しくて悔しくなるほどだった。

この旅で我が青少年に教えたかったことは
同じイタリアなのにいろんな意味で遠いシチリアと
シチリア人の寛大さと温かさと社交性
シチリアの太陽と海と大地とそしてシロッコ

青少年はまた来年もマルサーラに行きたいと
着いた初日から言っていた。
歩いて3分のビーチで突如知り合った若者たちに会いたいとも。
旅の何もかもの出会いが新鮮だったようだ。
これから親抜きでたっくさん旅していくさ。
Piano, pianoピアーノ、ピアーノ(焦るな)

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私たちは、出発日の午前中も海へ行った。
シロッコが吹いてても気にならないさ。
あの賑やか一行に挨拶したいじゃないか。
「本当にもう帰っちゃうの?」はい。

友と友のお母様がリハビリの病院から帰ってきた。
それでは長距離バスが出発するMazara del Valloへ向かおう。
駆け足で観光して、人気のPasticceriaパスティッチェリーア(お菓子屋さん)で
AranciniアランチーニとCannoloカンノーロを頬張ったのであった。
長旅のお弁当もアランチーニシリーズ。
日本のお惣菜パンを思い出させたパンも美味しかった!

マルサーラの中心街はどちらかというと
メイン通りが2本ぐらいあるどちらかというと
発見の少ない街だった。
しかし私たちには、トスカーナの色と違うだけでワクワクする。

マルサーラから南下していく
こちらのMazara del valloマザーラデルヴァッロ
昔、チューニジアとの交流が深く
移民たちが住み着いて文化を残していったそうだ。
だからとってもアラブカラーや砂漠カラーが強く
さらには陶芸やタイルがオチデンタルで
アーティスティックな街つくりは発見がいっぱいあった。

友の兄夫婦はアフリカ系の女の子を養女に迎えた。
日本に興味津々で、イタリア古典を学んだ彼女は
日本をイタリアと比較してどう表すかと
難しい質問をしてきた。

私は、良くも悪くも尊重から生まれていることが多いんじゃんないか
私たちの習慣や性格も、小さいときから
祖先や目上の人、経験者そして弱い人を敬うこと
原点はそこから、日本の整然としたアクションがあるのではないか

そういう意味なのかはわからないけど
日本のミニマリズムなんかは
私の人生で感じた自己流な考えは
無の空間に、尊重しながら自分流に
発見や発想を自由にデザインしていくんじゃないかと想う。

だから、この発見がある街は大好きだし
発見のある旅は大好きだし
発見のある人生を常に歩んでいるよ。

アナタたちが日本に興味を持ったように
私は日本にはない文化や歴史、性格をもつ
ヨーロッパに興味を持ったのだ。
毎日が発見だらけだ。
今、日本に帰国したら、今だから母国だって発見だらけだろう。
歳を重ねるおもしろさってここにあるのだとおもう。

若者になんかメッセージを短時間で残すなら
自由な発想でたくさんの体験と発見をいっぱいしてね
まわりを尊重しながら、だろうか。

私はイタリアに染まりたいのに
いつまでたってもどこにいっても
永遠に日本人なのである。

おわり。



下より写真は、長距離バスで西シチリアから内陸部の車窓より。
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