大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:散歩

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私と少年は、瀬戸内海に浮かぶ小豆島をめがけた。
私たちは荷物が多い。
ワイン&オリーブオイル会用の荷物が減っても
その隙間を縫うようにお土産が増えていく。
だから最小限の移動手段をいつも考えていた。
岡山駅から一本で行けるバスが出てる新岡山港から
小豆島行のフェリーに乗ることにした。
あれほどフェリーに乗る楽しさを覚えたことはないだろう。
少年も私もはしゃぎまくった。座っていられない。
いつか訪れてみたかった念願の瀬戸内海だ。
まさしくもイメージ通り、海も島々もブルーのグラデーションが
私の視界に広がる。
何度もシャッターを切ったがどれも同じだろう。
ブルーのグラデーションが美しくて
それをカメラに仕舞い込もうとしていたかもしれない。
しかし我に戻って、海の風に身を任せることにした。
あぁ、この景色が毎日見渡せるところに住んでみたいなぁ。

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私は、瀬戸内芸術祭の混雑を避けて小豆島入りしたはずだった。
のんびりだろう島の本当の顔を見てみたかったからである。
しかしそれでも観光客はすでにいた。梅雨の平日でも。
観光客は、どうやら中国人のようである。
フェリーで見かけた日本人らしき人は、小豆島に帰る住人のようで
ポツンと一人で座り、居眠りをしている。
島といっても交通手段がないと移動が難しそうな大きさだ。
トスカーナのエルバ島を想像しながら計画することにした。

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島では大浴場がある国民宿舎に宿泊することにした。
芸術祭の混雑は避けられても、サービスは芸術祭期間のみという
国民宿舎の送迎サービスでは
途中まで地元バスに早速乗らなくてはいけない。
イタリアだったら停留所のアナウンスは無い。
ん十年前、イタリアに一人で初めて到着した日
若き時代の怖いもの知らず精神 «できる!やる!»
言葉もわからないのにバスに乗っちゃって
ぜーんぜん違うところに行っちゃった痛い思い出がある。
だからバスに乗るのは慎重にそして緊張する。
しかしここは我が国ニッポン。言語が通じる。
っもうこれだけで旅はかなり余裕が出る。
時間と場所を確認しまくり、コレだろうバスに乗り込んだ。
観光客慣れしたオリーブバスは
やっぱり停留所ごとにアナウンスしてくれた。ほっ。
こういった島でネットだけで乗り切ることは不可能である。
指定された停留所で降りたら
宿舎に電話で一報しなくてはならない。
旅をするのに、通話ができる携帯電話を持ってて本当に良かった。
電話が可能なだけで客としての信頼度もぐんと増すのである。

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どんなに想像してもブルーのグラデーションイメージしか出てこない。
不便度や便利度、本当の観光ポイントなどの詳細は
やっぱり現地に出向かないとわからないのが旅である。
ハプニングだってつきもので、そこに行けてない可能性だってある。
だから宿舎の予約は素泊まりにしてあった。
食事は、現地の様子で決めたかった。
少年の口の好みに合わなかったら食事が勿体無い
プラス、2度食事のことを考えなくてはいけない。
あぁ、私一人だったらどんなに楽だったことか・・・。(!)
しかし、島と言えども海鮮ばかりではない。
小豆島は、オリーブ牛、オリーブ豚、オリーブ麺とか・・
いろいろ工夫された特産がある。
そして、交通が不便で、夜な夜な歩き回れる所に宿舎はないし
一日の旅の疲れを癒やす大浴場の後とお食事タイムまでの間
地元ビールと地元つまみでのアペリの後、もう動けないw
結局のところ、国民宿舎の食事を毎日予約することになった。
少年もほんのちょっと我が家スタイルの時間が過ごせ
そしてお食事もご飯お代わりジュース飲み放題に大満足していた。
それと男湯一人で泳ぎ放題の大浴場からは少年の鼻歌まで聞こえたw
私が風呂上がり食事の前のビール選びに花を咲かせていることに
宿舎の受付の男性も気がついたようだ。
私に寄ってきて、自分好みのビールを説明してくれた。
翌日、ビールの感想を伝えると次のアドバイスをしてくれる!
小豆島の特産を使って小豆島で造られているまめまめビール。
とっても独特な味がした醤油のもろみを使った黒ビール
受付人オススメの柑橘系の赤いビール
こんなところにも?!米麹とお米を使った金ビール
次はこれが飲みやすいよとアドバイス付の柑橘系すっきりビール
クラフトビールの楽しいところは、バリエーションではないだろうか。
日々の楽しみが増えた。

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それにしても私たちはツイていない。
晴れが多いと言われる瀬戸内に来ているのに雨の毎日。
梅雨だから仕方がない。
雨に濡れてもへっちゃらな格好をして
ジャブジャブ雨の中を歩いた。
そんな雨の小豆島では、蔵めぐりがよいかもしれない。
国民宿舎の無料送迎で最寄り停留所まで連れて行ってもらい
その停留所からバスに乗って行きたいゾーンの入り口で降り
私たちの探索が始まるのである。
オリーブオイルソムリエの友が小豆島へ行くなら是非ココへ!
と薦めてくれた蔵が二つある。
いっぱい軒並ぶ中、そこへどうしても行きたい。

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ひしおの郷さとと呼ばれる塩を加えて発酵させた塩蔵品
醤油や佃煮工場が軒を連ねた一帯があり
建築も明治時代スタイルを残し現役に活躍している。
その一角の裏道に森國酒造がある。
小豆島の米と湧き水を使った島唯一の地酒だそうだ。
これは話を聞いてみたい。
メールでアポをとり、伺うことにした。
酒造の主は、女性であった。
今思うと、私と同じくらいかそうたいして歳の差はないように思う。
森國酒造の歴史、米と湧き水と酒造りの誇り
杜氏とうじや蔵人くらびとなど酒造職人の確保
同じ県でも島民出身ではない地元との交錯
などなど話は尽きずなんだか前から知っている人のようにも思えた。
女将は「どうそ試飲をしていってください」とバーに案内して下さった。
築80年の元佃煮工場を、そこにあった古資材を残しながら
現代風にリノベーションした島とは思えない素敵なバーで
次から次へいろんな種類のお酒を試飲させて頂いた。
どうせならどれもこれもゆっくり試飲したい。
カフェのメニューを注文し超豪華なアペリティフとなった。
このお酒に合う料理を・・と瞑想が広がる。
試飲をしていると、どうしても買いたくなる。
イタリアへ重いのに二本、小豆島の米と水で造られた純米酒と
アルコール度数8度米のモストのような生酒風吟醸酒をチョイス。
雨さえ降ってなかったら、地酒森國酒造さんの後
小豆島の百選級の棚田を見に行きたかった。
そして湧き水も掬って飲んでみたかった。

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近くの山から湯気が立ってるような近い空の大粒の雨の中
バスを待った。小学校が終わった時間のようだ。
黄色い帽子を被った子どもたちがバス停にやってきた。
子どもたちは、観光客に警戒していた。
「お母さん、写真撮るのやめなよ。」と少年も言う。
きっと今までに何かあったのかもしれない。
バスの中は、半分は観光客であった。
子どもたちや地元民の座るところがない。
とても申し訳ない気持ちになった。
芸術祭が始まる頃は、もう夏休みだ。
それまで島の観光とは縁のない子どもたちは辛抱を強いられる。
バスを降りて、そこから歩いた。
二本あった傘の内、百均の二百円傘は壊れ
コンビニで買った超軽量の小さな折りたたみ傘で歩いていると
後ろからクラクションがなった。
あぁこんな細い道を横並びで歩いているからだ・・と
申し訳なく振り向くと、車の中から透明傘を差し出すおばちゃんと
後部座席から覗き込んでいる子どもがいる。
「ホラ、この傘使って!」
「えっ、ど、どうしてですかっ!!」
後ろから車が来ている。
「ありがとうございます!!!」
傘を受け取って、行ってしまった・・・。
私と少年は呆気にとられた。
その透明傘は次に困った人へ渡そうと旅の間大事に使うことにした。
大人の私だって急な親切に驚いたのだから
大人に近づく少年はもっと驚いたようだ。
「なんで傘くれたの?」
親切、知らない人から知らない人へ、旅の話をしながら
次へ歩いた。
つづく。


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Drawn by Y. I.

南房総市の園芸の住み込みアルバイトには寮があった。

作業場と同じ敷地内にある個室プレハブは男子

最近リフォームしたという少し離れた古民家シェアハウスは

女子寮ということで、私はこちらの仲間入りとなった。

食器も布団もタオルも用意してくださり

私は、作業服と長靴と雨合羽を用意すればいいぐらいであった。

カバン一つで行けるのは、大変便利である。

寮があると、住まいのいろんな手続きも省けるし

生活用品が揃っていれば、余分なお金もかからない。

そんなこともここを選んだ一つの理由であった。

自由に働き歩ける、土地を知る、産物に触れ合う

長期では続けにくいことでも

双方にメリットがあるのではないかと思った。

イタリアにも寮付き農業があると季節労働の

移民も私も少数の若者も働きやすくなるのにな。


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そこには仲間との出会いがあった。

どこにいても、私次第かもしれないが、相手次第ということもある。

出会う仲間がウエルカムだと、滞在はやたらと楽しくなる。

私は、絶対に彼らのおかげで、楽しく過ごせたと思っている。

一人でも十分サバイバルに旅気分はできるのだが

笑えることは一人ではできない。

人との触れ合いがあるからこそ

時が満ちていくのではないかと思う。


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私が配属したチームはみんな若かった。

若者たちから仕事を習うのも悪くない。

それは年上を謙遜する社会だからか。

心の中は何を思っているかわからないが

シンプルなテクニックをシンプルな理由をつけて教えてくれる。

きっとこれが私みたいのだったら、ウンチク付きかもしれないw


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シェアハウスの女子はみんな同じチームの子たちだった。

私と同じ短期の子もいた。

早寝早起きの若者もいたし、料理好きもいた。

仕事が終わって、夜な夜なおしゃべりをし続けることもあったし

若者たちはゲームで盛り上がっていることもあった。

同じ短期の子は、高校卒業したてであった。

「えっ、お母さんいくつ?!」

私と歳が同じであった・・。

娘でもおかしくない子と一緒に仕事をしているのか。

娘のような彼女は、これから国家試験を要する職を学びたいから

違う仕事ができるのは今しかないと

夏休みや春休みの長期の休みになると

寮付きアルバイトに出掛けるのだそうだ。

素晴らしい。

しっかりしている。

彼女の食事は、レトルトを使うことなく

見て覚えたというお母さんの手料理を真似して作っていた。

私が18歳の頃なんて・・・

恥ずかしくなった。


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お花屋さんでフラワーアレンジメントをしていたフロリストの彼女は

お花が育つ生産も体験しておきたいと

何から何まで黙々と一生懸命だ。

若いのに人生のスケジュールがあって素晴らしい。


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お酒が飲めないのに晩酌をしている私に付き合ってくれった彼女は

東京で四六時中働き、人間味が薄れかけた頃

空が見えるところで働きたいと節目をつくって転職したそうだ。

これをきっかけに、やりたいことが溢れ出てきたみたい。

今までの生活を変えることはなかなか決心つかない。えらいぞ。

彼女も次なるステップへ走行中。


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時にシェアハウスに遊びに来る大人のような二十歳の女子だって

夢をもっていた。

話を聞いているだけで、応援したくなる。


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気が付くと周りはみな平成生まれの子たちであった。

「私、平成元年です~」

なぬっ、私だけか昭和時代から歩んできた者は。

初めて直撃した話題である。

まず元号で歳の話はしたことがない。

つまり私は昭和の人としか話すことがなかったことになる。

そしてイタリアに移住してからというもの物事は西暦で流れていた。

私には新鮮だった。

急に平成と昭和の違いを考えてしまった。

そういえば、私の息子も平成生まれだ。

しかし、西暦でしか言ったことも見たこともなかったので

息子が平成何年生まれか知らなかったのであるww


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来日していることもあって私には選挙の投票権があった。

しかし、日本の政治情報や関心はイタリアにいるとなかなかない。

まず現在の日本の世論の動向がよくわかっていない。

私は平成の若者たちと日本の政治や社会について話したかった。

何時間でも話している討論好きイタリア国民と暮らしていると

そんな話題は当たり前だと思っていた。

しかし平成の若者たちは

政治の話や投票に関して話したがらなかった。

むしろ驚かれてしまったぐらいだ。

「投票の話はタブーです。」


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時に向こうの寮の男子も遊びに来た。

チームが同じだから日中パーティ企画の話で盛り上がる。

同じような格好をした兄弟のような彼らは

ベトナムからの交換留学生であった。

労働しながら日本語を学ぶ組織から派遣されてきたようである。

片言も日本が話せない状態で、日本に来たそうだ。

日本語でコミュニケーションができないだけで

仕事はできる。スピーディでパーフェクト。

体の中で一つできない操作があると

同じ体のできることが発揮する仕組みになっていると私は信じているが

まさしくもそれで、彼らの感はコミュニケーション以上だったように思う。

さらに、彼らの国は、早くから親を手伝ったり働いたりするようで

それもてつだって機敏さと機転の利き方が

イタリアにも日本にもなく、新鮮で彼らが輝いて見えた。


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娘のような仲間たちに、現地の住人から頂いた畑のトマトで

トマトソースのパスタをつくってあげたことがある。

トマトからソースをつくったことがない!と喜んで食べていた娘たち。

田舎の特権、近所の牛屋さんで生牛乳をゲットし

リコッタチーズ(生チーズ)をつくって

私が持っていった自慢のオリーブオイルでつまんだ。

きゃ~東京のレストランみたい!と喜んだ。

そんなチームの若者たちと餃子パーティをしたり

ベトナム兄弟(と呼んだ)が奮ったベトナム料理をご馳走になったり

トランプしたり、ゲームしたり、イラスト描いたり。

まるで時代がスリップしたかのように楽しかった。

あの若かれし頃の無意味っぽい時間の過ごし方。

いいじゃないか、ほんの少しだったら

無意味な時間っぽくったって。

その無意味な時間の中で笑えばいい。

そんな風に私は彼らと平成の若者風にすましていた。


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別れ際、彼らは私にずっと手を振りながら見送ってくれた。

いつも私が手を振って見送る側だったのに

今回は私が去るのか。

出会いと別れのある職場できっと学ぶことはいっぱいあるであろう。

彼らの未来に心から乾杯だ。

人生の楽しい一瞬をありがとう。

ワタシの似顔絵笑ってる!



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輝く花 i fiori

上、下、右、左、すれ違い Metropoli

友たちよ un tocco di giappone



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私は外出中歩くのが好きだ。

ただただ好奇心旺盛だからである。

歩けば上から下、右、左

よく見れて立ち止まることもできれば写真も撮れる。

自転車だとそれがなかなかできないから

他と同じ移動手段用の乗り物にしかすぎない。

少年も小さい頃からずっと歩いてきたから

車でピャッと行っちゃうより、歩いていこうよと提案してくれる。

節約もそうだけど、エコだから、できるときは大いに歩けばいい。


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だから歩いた。


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東京に泊まるにはどこがいいか。

いろいろ探した。ホテルもカプセルもシェアハウスも。

ワイン&オリーブオイル会用のグッズはたまた旅行帰りのお土産で

重い中型スーツケースを引っ張って歩く私は

主要駅から徒歩5分以内がいいに決まってる。

しかし、安くて安全で便利な都合のいいホテルはなかなかない。

最も行くであろう街から遠いところに宿泊先があっても

交通費がかかってしまうのは賢くない。

乗り継ぎが多くなるようなところに泊まるのも

駅構内の徒歩でエネルギーを消耗してしまう。

コインロッカーを使わずに荷物を預かってくれて

高速バスを利用することが多いならば

新宿バスタ(新宿駅南口)付近に

ホテルを探すのが私にはベストであった。


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あった。


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一本奥にある30年来のクラシックスタイルの旅館から

少年の目的地、渋谷まで明治神宮・原宿を通って歩いて行った。

懐かしいな。青春時代よくショッピングしに来た街だ。

少年もそのうちそうなるのかな。

何しろ若者の街だから、若者が多かった。

世代交代を感じた。

写真を撮ることが恥ずかしくなった。

今より昔を撮りたくなった。

ん十年も経った今、新鮮さがちょっと似ていた。

今写真を撮ると、昔の私が飛び出してきそうだった。

表参道の脇道を通うホンモノの青春クンからいうと

私なんかまだ若い方なんだそう。

もっともっと年上のイケオバとかイケオジってのがいて

歩いてるとめちゃカッコイイんだそう。

そうか。もうしばらく通えそうだな、大地の住人。


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私は表参道の脇道にある青春クンが通うヘアサロンでカットをした。

ファッションの街原宿だぜ!

すごく期待していったのだが、私の要望に合う髪型は

この機能的ないつものスタイルということに留まってしまった。

私のナチュラル剥き出しのハクハツカラーは

ファッションの街に違和感がないのかもしれない。

そうよ、ナチュラルカラーが私流ファッションなんだから。

サロンで見習う青年たちは

コミュニケーション力も見習い中のようだった。

オリーブオイルのことを積極的に聞いていた。

古着のリメイクジャージファッションが流行っていることを話してくれた。

私も若い頃はこうだったのかな。


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少年は、渋谷のスクランブル交差点に行きたがった。

これだ。

外国人がつくるニッポンプレゼンムービーに登場する交差点。

少年みたいにムービーで撮ってる人がいっぱいいた。

交差点を見渡せるSTARBUCKSは列をつくり

Fの特等席には順番待ちもしくは

座席中の他人の頭上で撮影が行われている状態だった。

確かに眺めていると小さな人間の粒が集まって突進して交差して

ミニチュアフィギュアのようでおもしろい。

人生のすれ違いを学んでいるかのようだった。

私は、この交差点の目に飛び込む大型ビジョンで

昭和天皇の訃報を知った。

黙祷しながら信号を何回か見送ったことを覚えている。



渋谷も原宿も新宿も六本木も銀座も

入るどの飲食店には満席なくらい人がいっぱいいた。


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六本木にあるコレクションを持たない国立新美術館

The National Art of Center, Tokyoに行った。

黒川紀章氏設計のカーブしたたガラスの積み重ねのエントランス

そしてロビーの吹き抜けはリッチな気分にさせる。

この開放感は、少年からすると手の届かない遊び場のようだ。

飛び跳ねても何も届かない。

エレベーターを往復し、空間を満喫していた。

ロビー脇にある北欧スタイルの椅子が並んでいる。

シンプルデザイン北欧家具好きにはたまらない。

サイズが贅沢なデザインは、リラックスからあえて遊び心が生まれる。

ウェグナーのシェルチェアーに座れるだけでもう満足。

私たちは9月2日までやっているフランス人アーティスト

クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展Lifetimeに訪れた。

集団、個、死、宗教、社会、想像、思考、遊び心、空間、表現

少年にも何か伝わったのではないだろうか

空間アートはおもしろい。


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私たちは、国立新美術館を見下ろすように

六本木ヒルズの展望台に上った。

あ、新宿都庁だ。前回あそこに上ったんだよ。

次回は東京タワー。その次はスカイツリーに上ろう。

大きい青山霊園をはじめ

ポツポツお墓付きの寺が街にあるのが妙な光景に感じた。

イタリアの教会みたいなものなんだろうけど

無機質な人工の街に祖先様の居所が不自然に思えた。

見渡す限り大小のビル。

こんなところにも住んでいるのか、真下には六本木高等学校。

ナポリのスパッカナポリのように道で街が真っ二つに別れている。

高速が街の上をくねくね通っている。

まるで未来都市みたいで

車が宙に浮いて移動しているように見えた。


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ヴィンチの丘から見渡す景色は

人工の街ではなく人工の畑だ。

ビルが木々一本一本のようだ。

東京はどんよりスモッグらしき層で街は覆われていた。

田舎は、覆われることなく天気に左右される。

ヴィンチは雨が2ヶ月降ってないそうで、カラカラしている。

どこかで雨が降っているだろう空気は流れているのに。

今日の夕日はまるで日の丸のようだった。




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クーポラを目指して Firenzedel mondo

白黒のピサ ESCHER

頭の中はシュルレアリスム Surrealismoa Pisa



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家族をおいて一人で旅立ち、三週目ぐらいであろうか
ちょっと家族とイタリアの生活が恋しくなった。
チャットで繋がってたって、全てがわかるわけではない。
ある日、夢をみた。
少年が私の背を超え、私が見上げて驚いてる夢を。
少年が青年となり、私に笑いかけているのだ。
なんだか自分が老いてしまったのか
ずいぶん遠くにいっちゃうような距離を感じた。
私はこんなにも離れているのか!
はっと目が覚めたけど、現実っぽい気がして会うまで疑っていた。
一ヶ月後、少年はちょっとだけ成長していたが
夢のような青年ではなく、ちょっとほっとした。
旅の間は、早く成長しろよと思うことばかりだったが。
少年は、友の親子と日本に到着した。
イタリアの14歳未満の未成年の少年は
一人では出国できない。付添人が必要である。
航空会社に依頼するか、信頼する人に委ねるか。
学校なんかで今の子は出国する程の
空の旅や海の旅の修学旅行なんかあるんだから
割と頻繁にあるようだ。
警察に出国許可を申請しに行ったとき
私が並んでいる列にはそんな親子が複数いた。
それにしても乗り継ぎを含む国を超えての空の旅である。
快く引き受けてくれたママ友親子に感謝である。
ただ連れてきてくれたことだけではなく
私の要望でこういう環境になっていることを理解してくれたことに。
いってらっしゃい、と。

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私には両親もいなければ兄弟もいない。
しかし、友がいる。
大切な友たちは、いつでも親身になってくれる。
長期滞在の拠点とさせてくれた友。
そう、私の要望で、あっちこっちを歩き回っても
ただいまーと言えば、おかえりーと迎えてくれた。
その高校時代の友は、娘のアトピーを治そうと食育を学んだ。
私が学んだ農薬の危険性や
なぜ無農薬や無添加を食べなくてはいけないのか
エコな暮らしの方法、情報やアイデアを交換する。
日々の幸せな暮らしを送る彼女たちの生活に
邪魔するように出入りする私は失礼極まりない。
生きている間に最良の恩返しができるであろうか。
私流でいいのであろうか。

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小学生の頃からずっと仲良くする友たちもいる。
お互いの進路を応援し、お互いの人生を励まし合ってきた友だ。
家庭を築き、子が成長し、子育てしながらちょっとずつ働いて
みんなが様々の人生を送っていても、どっか似てて
今回久々に女だけで会うと、話は遡ったり地元の話だったり
勿論子どものことだったり家族のことだったり。
本当の悩みは打ち明けないんだけど
ひっくるめた話をすることで私たちはちょっと一安心して
また自分たちの生活に戻る。
マキちゃん、マキちゃんと私の帰りと少年の来日を喜んでくれた。
ちょっとずつ変わる私たちの風貌でも
何十年も見てきた私たちの中身は変わらない。

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絶対に会ってありがとうと言わなきゃ。
でもグループが全員集合することはなかった。
なんでこんなに忙しいんだろうね。
年を取れば取るほど忙しく感じるのは私だけであろうか。
やることとやりたいことが相重なって、自由時間なんてちっともない。
きっとみんなそんな生活をしているのであろう。
私のオリーブ栽培なんかを応援してくれる友たちだ。
青春時代の友たち。
デザインを学ぶ傍らあっちこっちに興味を抱き共に行動し
あーでもないこーでもないと刺激を求めた友たち。
東京に暮らす友たちは、賑やかな新宿に集まる。
そういうわけで誰かしら用事があって欠けるのだが。
デザインを学んだ友たちは、どこか思考回路が似ている。
会い足りないと再び新宿で集合する友たちに
くぅぅぅ懐かしい・・学生時代のように
誕生日を祝ってもらい乾杯することができた。

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フィレンツェシスターズはアネキたちである。
東京に暮らすアネキは、旅する土鍋の作者である。
展覧会と制作とリサーチやレポートで多忙な作家活動の中
田舎暮らしのイモウトの私にキリリ東京を案内してくれた。
おしゃべりはヴィンチ訪問にとっておいて、東京を歩こう。
二人で東京を歩くのは初めてかもね!
そしてもう一人のフィレンツェシスターズは旅好きシスターズ。
香川県の実家では
私までふるさとに帰った気分のように迎えてくれた。
ノープランスタイルの旅は、その場のアイデアとハプニングが
まるでプランされた旅のようにおもしろくなってくる。
そんな旅をフィレンツェでも実家でも私たちは繰り広げた。
行き当りばったりのことに、私たちはびくともしない。
なんとかなるさシスターズ。

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ワイン&オリーブオイル会を主催してくれた友たち。
私が伝えたいことに興味を持ってくれ
友の友たちにも伝えなきゃと思ってくれた。
良いことだと思ってくれ、活動を共にしてくれた。
少しでも多くの方と共感できたことは光栄である。

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亡き母の友は、亡き母と私と少年が喜ぶよう世話をしてくれた。
些細なことでも手を差し伸べてくれ
不自由な短期の田舎暮らしでも不自由さを感じなかった。
先輩なのに年齢を感じさせない。
気持ちよくしてくれる姿は見習うところだらけであった。

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新しい友たち、出会った友たち
心配してくれた社長や平成の若者たち

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少年の成長と共に、日本語がイマイチでシャイな性格の少年
のお相手をしてくれた友の子たち。

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世代交代した叔父さん叔母さん
その側にいる同世代の従兄弟たち。

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みんなみんな迎えてくれてありがとう。
日本に家族がいなくたって
ただいまと帰れるふるさとがあって嬉しい。
ずーっとずーっとぐるぐると輪が回りますように
途切れることなく。

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夏もそろそろ終わりかな、日がだいぶ短くなってきた。
キュンとなった家族とまたワイワイケンカしたり笑ったり
静かな大地に我らの声が響いているではないか。
ヴィンチの丘は広大な空に沈む日が見渡せる。
これを家族と眺めることが私の日課なのである。


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ヴィンチ村から約5kmの隣村Cerreto Guidiチェッレート グイディ

には、メディチ家の別荘Villa Mediceaヴィッラ メディーチェアがある。

メディチ族のコジモⅠ世が1555

狩猟で訪れる・・或いは

ピサやリヴォルノ方面の旅中のお休み処として

グイディ伯のお城を住居風に仕上げたそうだ。

しかし、このお屋敷で悲劇も起こる。1575715

コジモⅠ世の娘イザベッラは嫉妬深い夫の手により暗殺される。

1738年、メディチ族消滅後プライベートのお屋敷となり

1969年、国に返還され、ミュージアムとして一般公開開始。

2002Il Museo Storico della Caccia e del Territorio

イル ムゼーオ ストーリコ デッラ カッチャ エ デル テッリトーリオ

狩猟と領地の歴史博物館とされ

狩猟器具やアンティーク家具などのコレクションを展示する。

壁には、コジモ系列のメディチの肖像画も

お貴族の別荘らしく実物大以上に飾られている。

庭園は、1800年代の様式に仕上げてあるそうだ。

2013年にはユネスコに登録され重要度高いミュージアムだが

館内見学無料で、質素にチェッレートグイディの丘に佇んでいる。

そこから眺める景色は、キラキラ光る湿地帯

Padule di Fucecchioパドゥーレ ディ フチェッキオへ鳥が飛んでいく。

傾いた日が沈むルッカ方面のアプアーネ山が見渡せる。

山のシルエットはうっすらとして雄大な山とは裏腹な姿を醸し出す。

きっと当時は、屋敷を囲む一帯はもっともっと緑に囲まれた

狩猟の場にはもってこいであったのだろう。

遠くまでも動くものが見渡せる、それほど静寂で静止した景色は

今もなお見渡すことができる。


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現在もこの辺では、イノシシや野ウサギ、ノロジカなどの野生動物

そして、キジやウズラなどの野鳥が生息する。

狩猟家はこの地域では自分らの畑の中で構えていたりする。

昔は、家畜よりジビエで宴を持て成した。

今こそ注目されるジビエの肉は

肥やされていない彼らの生きるための脂肪の旨みでできている。

七月のイザベッラの命日頃に開催されるイノシシ料理祭では

コテコテのジビエ伝統料理の祭りである。

イノシシこそ、この辺では多く、被害さえも出る。

狩猟たちは宴と糧のために、期間限定の狩猟に出かける。

事故にあった野生動物たちも食卓に並ぶこともある。

ブドウの収穫では、ジビエで収穫を祝うのが伝統だ。

私もそのジビエは、このヴィンチの丘で暮らすようになってから

美味さがわかるようになった。

狩猟とは野蛮なことのようで、実は家畜よりナチュラルだと私は思う。

家畜がなければ私たちは日々ジビエを追っていなくてはいけない。

もう少し住居から離れてやってくれるといいが

意外と近くでバンバン狩猟期には脅かされる。


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プロの服飾パタンナーのシスターズがコジモのマントをじっと見ている。

なんだか研究している様子だ。私もじっと見てみよう。

彼女は、コジモのマントのパターンを頭の中で描いていたようだ。

確かに、袖の辺りがフワッとしていてかわいらしいパターンだ。

いつか私も真似して作ってみようと思った。

当時の王室や貴族の服飾は

どうしてあんなにも複雑にできているのであろう。

首元にヨレヨレ、ヒラヒラがくっついていたり

男性がスカートみたいなキュロットをはいていたり。

ギャザーがいたるところにあり

布をふんだんに使っていた様子が伺える。

生地の柄も素敵だし、とにかくやっぱり全てにおいてゴージャス。

ボタン一つにしても。

私は、特に中世の靴が好きだ。どれも柔らかそうで履きやすそう。

シスターズがマントの次に、マントの毛皮の動物のことも言い出した。

あの毛皮はいったいどんな動物だろうね。


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入り口の扉から、傾いた日差しが入ってきた。

正面は南西向きのようだ。

その光にそそられ外に出た。

あ、もう帰らなくてはならない。

私たちは、約4kmの道を歩いてきたのだ。

日が沈まない内に帰らないと、道が真っ暗となり歩行者は危ない。

私たちはヴィンチ方面へ向かった。

途中、素晴らしい夕焼け空で

丘の上のコジモの館がシルエットになっていた。

私たちはまるで野生の動物のように暗がりになってきた道を急ぐ。


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シスターズはマントの毛皮が気になっていたようだ。

あの毛皮のマントは、当時の流行だったようで

位置付け的にもあの柄のマントが使われていたようだ。

あの毛皮は、イタチを使っていたようで

黒い点々は、尻尾の先の部分らしい。

ということは、いったい一着のマントを作るのに

何匹のイタチがつかわれたか。

メディチ族は、労力も動物も全て我が物だったようである。




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