大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:観光

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Go To バカンスシリーズVol.4のつづきです


ボルゴB&Bのシニョーラの一番のオススメの地がある。

この眩しいカリカリの夏、人々が向かう海ではなく

あえて湖に行くのはどうかという。

へぇ、湖。湖といったら溺れそうだなぁ。海水じゃないし。

でも川も同じか!水に浸かれればいっか。


シニョーラはとにかくゆっくりしてきてね、と毎日いう。

バカンスなんだから羽根を伸ばして、日常のことなんか考えないで

骨を休ませて(精神的な)、のんびり過ごしてね、という。

とはいえ、我が家いえの族のにぎやかさは

意見の不一致もそうだけど、じっとしていられないところも

ひとがいう、のんびりとか骨を休ませる類のリラックスカテゴリに

属さない。不可能とはいわないが、困難である。

シニョーラにいわれるたびに、「あぁ、そうですよね。」と

私の視線は頑固男子x2に向けられる。

愚痴をシニョーラに言っても無駄だ。

シニョーラは私の愚痴を聞く前から、もう返事をしているわけである。

それは、もしかすると全て私次第だよといっているのかもしれない。

考え方接し方見方次第で、にぎやか一家でもリラックスできる

ということを言っているのだと、受け取った。

「あ、はい、ゆっくりしてきます.....。」

と、彼らを超えた遠くを見つめながら答えることになるのである。


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運転手はいつも夫に任せて

助手席は誰が座るかで、少年と私はケンカになる。

後ろの席って、寝ない限り、なんかつまんない。

前の席だと、ラジオもエアコンも勝手に操作できるし

視野も広がるから、写真だって撮りやすいし

車を停めるタイミングも言いやすい。

ジャンケンはリスク高すぎるので

交代制か親の指示に従わせるのである!

そこでぎゃぁぎゃぁひと揉めするわけw そんなことで!


途中まで峡谷への道と同じである。

山的丘をいくつか超えると

国立公園シビッリーニ山脈がみえてくる。

山一つ一つ名前があるのだが、どれがどれだか覚えていられない。

山々が見えてくると、わーわー興奮がはじまる。

だから前の席に座っていると得した気分になるのである。

少年が前の席に座る価値はない!無反応なんですもの。


グーグルマップ様のおかげで

1時間もかからないで順調に到着しようとしている。

ちょうど山に入る前にドライブイン的な山小屋風に改装した

ミニミニスーパーがあった。

果物は持参してるけど.....今日何する?

本当はパスタとか日常っぽいものが食べたかった。

着いちゃってから何もないってこともあるしねぇ。

その点日本なんかさくっと食べれそうなうどんとかラーメンとか

軽いものからどっしりもあって安価にあるからいいなといつも思う。

今日もまたマルケ州特産を詰め込んだのパニーニに決定。

ここでしか食べられないローカルなもの食べておこう。

今日は、ナイフを持参した。


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うわー湖ってこんなにキレイなんだ!

エメラルドグリーンな色してる!

シニョーラが海じゃなくって湖を選ぶ理由がわかった。

人がいっぱいいるところじゃなくって

もうちょっと先に行けば人いないから、と言っていた。

なんでみんな人がいっぱいいるところにかたまるんだろう・・・と

シニョーレは不思議がっていた。ホントよね。


このLago di Fiastraラーゴディフィアストラ(フィアストラ湖)

発電のために人工的につくられたそうだ。

山々から流れてくる川の水を貯めてるから透き通ってる。

あとで、絶対に入ろうね!と約束しながら

写真だけは興奮とともに連写した。


私たちはその湖からはじまるトレッキングコースを歩いて

Lame Rosseというマルケのキャニオン(!)を是非見ておこう

と歩きだした。私の調べだと、すごく近いっぽいけど

一応聞いてみようよ。「すみませーん、どのくらいかかりました?」

トレッキング慣れている人だったら片道1時間往復2時間かな。

でもね、結構速く歩いた場合ね!と若者グループがいう。

1時間のとこ1時間半はみておくか。

重いけど水と食料をもっていこう。


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トスカーナとマルケのトレッキングコースの道標の書き方が

ちょいと違う。赤白印は同じだが。

トスカーナは、どこにでも目安時間が書いてある。

マルケは書いてない。たまに書いてあるけどさ。

あの目安時間て重要だなぁ。進むか諦めるか時間で決める。

帰ってこれるかわからないし、食料の分量も決められない。


片道1時間だって、ちょろいものさ!

少年が4歳の頃、ピストイア県のアペニン山脈の

簡単コースを次々と体験したっけ。

そのときも私はビリで歩いてたけど、そんなに疲労は感じなかった。

しかし、今回はちょっときつく感じた。

夫も無言で耐えているようであった。

毎日肉体労働で疲れてんのによぉと愚痴をこぼされると

楽しみがガクーンと半減しちゃうのをわかってるから黙っている。


歩き始めちゃったからには目的地に着きたい。

「こちらに戻ってくる人たちなんだかゼーゼーしてるね。」

と夫は不安になる。まぁね。下り上りあるでしょ。

歩けど歩けどいつのまにか時間が経っているほど

風景はたいして変わらない。

途中、また若者カップルに(懲りずに)

「目的地にはどのくらいかかります?」と尋ねることにした。

「あと20分ぐらいよ!でも絶対行って!価値あるから!」

20分で家族3人ドキッとしたに違いない。まだそんなにあるのか。

「お昼の場所探してるんですよ。」

「あるある!もうちょっと行けばひらけたたところでみんな食べてた!

「あともう一つ。ずーっとこんな感じに、森ですかね?」

こういう質問をすると、他人にはイイ顔する我が家の男子は

キッと私を睨みつけるw 

いいじゃん、日陰の方が君たちおとなしいんだから!

「幸いこんな感じが続くわよー。」よかった。


時間も時間だし、その突き進んだ先はどんな状況かわからない。

のんびり食べれず、男子たちはイライラしはじめ

到着前に、もしくは到着しても空腹で

キャニオンの興奮を思う存分表現できなかったら

ここまで来た意味がない!

だから、到着前のそのひらけたっぽいところで

お弁当を広げることにした。

なんだかそこは、目的地の出発点と帰路点でもあるかのように

人は、どっちに進むか相談し合ったり

満足そうに下り坂を走ってきたりしている。

それを眺めながら黙々とパニーニを食べた。


確かに、あと10分てココには書いてある!

前を見る限り、ものすごい急坂で登れるのか不安になる。

しかも、砂利。

登るのは意外と簡単で、帰りの下りが難しいことは

トレッキングツーであればご存知であろう。


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うわーマルケのグランドキャニオン!

2回も行ったトルコのカッパドッキアをも思い出した。

無言で興奮している少年は、一人で急坂を突き進み

一人で自撮りなんてことをし

一人で突き進んだ大人たちの真似をして、もっともっと前進し

て、戻ってきて、もう一回お母さんと行くと言い

また出発し、だけど私を待っていられず結局一人で突き進み

もう一度自撮って、こっちに来いと沈黙にジェスチャーし

「いや、お母さん無理でしょ!」と大声で伝えると

っもうと空気を読まない自分の母にに落胆し

そして私の代わりに興奮写真を連写してきてくれるのである。

そして、少年のスマフォで自撮り風家族写真を

奥行きつけて撮って、マルケのグランドキャニオンの動画まで撮った。

それを自身のインスタのプローフィール写真にしてるぐらいだから

興奮しまくったに違いない!


トレッキングて途中で諦めてはいけない。

目的地まで行かないと意味がない。

そして、途中、変化も無さそうな小道でも

静かに歩いていれば、シカなんかの動物の呼吸まで

聞こえてきそうである。遭遇したことないけれど。

絶対いるんだろうな、どこかでこちらをみているだろうけど

私たちにぎやか一家にはそんな奇跡は起こらないのである。


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行きは長かったけど、帰りは割と速くに戻ってきた。

それこそ1時間で。

想定外のトレッキングコースで時間は押せ押せである。


湖に、ちょっとだけ足漬けていこ。

シニョーレが、最近水不足で水嵩が低いからすぐ深くなるよ

と忠告していた。確かにすぐそこは

深そうな濃厚なエメラルドグリーンである。


少年は、何発か石投げを試みた。

幼少時代、川に行って、夫に教えてもらった遊びだ。

夫がやらなくたって、自分でやりだす。

こうやって何気ない行動が記憶に残っていくのである。

今日の何気さを伝えたいが、今日は咄嗟にひらめかない。

そういうときは、シニョーラのいうように

ただただゆっくり時を過ごそうと思う。

同じ空間にいて、同じものを違う視線と想いでみながら。


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「今日はどこ予約してくれるんですか?」

シニョーレはニヤっとした。

「初日に勧めてくれたレストランに行きたいです。」

意向を朝伝えておくと、電話してくれていた。

「すぐそこだから。」

えー、大丈夫かな、すぐそこだって。


ほんとうにすぐそこにあった。

ここは、Agriturismoアグリトゥリーズモ(農園の民泊)

泊まることもできるし、寄ることもできるし、食べることもできる。

シニョーレとは職友で、混み合っているときは助け合っているそうだ。

この主も移住者で、Venetoヴェネト(ベネト州)の方であった。

話し方やアクセントですぐわかる。

彼はベネトでクリニックを経営していたビジネスマンだったそう。

しかし、趣味に登山や旅行があり

それが今、職業になったそうだ。

主がサービスをして、婦人が厨房でふつふつ料理をこしらえている。

こういう職業って、好きもあるけど

人の出会いや同じことのおしゃべりができる人じゃないと

できないなぁと思った。

ボルゴB&Bのシニョーレラジオのように

主もずーっと私たちの相手をしてくれた。


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申し訳ないが、数日食べまくったサラミ類等の

Antipastiアンティパスティ(前菜)は割愛する。

Primiプリミ(複;パスタや米類)では

Pappardella al Paperoパッパルデッラアルパーペロ

(アヒルの煮込み太麺パスタ)

Boscaiola con Tartufoボスカイオーラコンタルトゥーフォ

(贅沢にトリュフかけ森の野菜パスタ)

のあと、主オススメの本日のメニュー、これしかなかったのでは?

自分チで飼っているCinta seneseチンタセネーゼ(シエナ豚。

通常よりも小さいというのは、大きくなる前に食べちゃうから)

をオーブンで何時間も焼いたという焼豚を注文した。

日本の角煮を想像するようなトロけ方。

「一回茹でたんですか?」

ホラ、脂分を取るために茹でてから煮込むじゃない?

そこで、業務用オーブンで低温で10時間焼いたことを

説明してくれたのである。

お肉はトロトロで、Cotennaコテンナと呼ばれる

カリカリにできあがった皮はスナックのようで

日持ちしそうだったので持ち帰ることに。


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主がずっと接待してくれたので、とても親近感が生まれ

そうするとなんだかリスペクトみたいなのも生まれてくる。

それでなくても美味しい美味しいと連発して食べる夫婦と

残さず平らげる家族は、どこに行っても料理人に満足される。

近頃アレルギーだベジタリアンだヴィーガンだ宗教だと

分かれる一方、変わりものまで食べれる夫婦は

友人宅でも喜ばれる。

そして、ずーっと料理の話をしてられるし

他人の人生を聞いてられるし

そして、社会の話にも首を突っ込むことができるのである。


このシエナ豚を家畜する経緯だって聞いた。

国から支援金がでるタイミングではじめたそう。

でも、育てている内に屠畜とちくできなくなっちゃうんだって。

ヴィンチの農園を営むアントネッラも

毎日可愛がってると屠畜できないって言ってた。

屠畜する時、こっちをみるんだって。

ブタちゃんの目、ニワトリの目、羊の目、こちらを見る目.....

だから頼むんだって。

そっか。

全部残さないで食べた。

命をありがたく大切に食べた。

その命は、こうやって人と人を繋いでくれた。

話してくれてよかった。

出会えてよかった。

主のレストランは、今日のお客さんは2組だけ。

ボーナスバカンスのおかげで、2組の内の1組になれた。

来てよかった、本当によかった。

主が見送ってくれた。

アグリトゥリーズモの横には川が流れているそうだ。

みんなで一瞬静かにして川のせせらぎをきいた。

そして上を見上げた。

空は澄んで星が満天だった。

ウィズコロナだけど、動いてなければ知らないところだった。

歩いてなければ発見できなかったところだった。

バカンスは海ばかりじゃない。

主と夜空を眺める出会いも素敵じゃないか。

シニョーラオススメの湖に浸かるのも乙ではないか。



次回は最終回です。



*私がセレクトした過去の関連記事Best 3 Archivi Selezionati

GoTo バカンスイタリア事情 versole Marche vol.1

ヒマワリの中のボルゴBアンドBverso le Marche vol.2

この日はアドリア海でversole Marche vol.3



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あそこ、あそこ!白い家の次、黄色い建物のある白い部分!

イタリアの大統領Mattarella氏を招いて

オープニングセレモニーが数日前に行われてから

さらに訪問者が増えたように思う。

お散歩が伝統のPasquettaパスクエッタ(イースターの翌日)には

行列ができたほどだったそう。

私たち村民は無料なだけに(村民だから)是非閲覧しようと

少年といつもの田舎道を通ってヴィンチ村へ向かった。

村の入り口、ヴィンチ村が丘の上にあるだけに上り坂だ。

少年が後ろから押してくれる。

手を離すと、水の中から出るように体がずっしり重い。

少年の手は、プカプカと浮くように、ヴィンチ村へ導く。スバラシイ。


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何度となく訪れたレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館

Museo Leonardianoムゼオ レオナルディアーノは特別展のため

二階がリニューアルされていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたオリジナルのドローイングはどこ?

二階にありますよ。あとVia Romaの期間展示の方もね。

レオネルド・ダ・ヴィンチ博物館 ① Palazzina Uzinelli

チケットを購入する。

村の奥に入った建物の中にあるのでちょいとわかり難い。


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入ってすぐ、レオナルドが発明した戦闘機のコーナー。

ブロンズは溶け難いことから、ピストルに使ったそうだ。

銅を溶かすための溶解釜戸。うーむ。


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大きなガラス窓からはウィトルスウィウス的人体モニュメントのある

広場と目の前に広がるオリーブ畑が見渡せる。

ここから花火とか舞台とか見れたらなー。特等席である。

大窓ガラス後ろに振り向くと、ボクも鳥になりたいと夢見た

コウモリの羽を研究したコーナーがある。

展示品は模型だがDon't touch

しかしビデオでよく解説してくれているので、じっくり研究して欲しい。

これで科学が好きになること間違いない!


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さてさて、一度訪れた方は覚えているであろう

二階の自転車が発明されたコーナーだったろころにたどり着いた。

しかし、現在20194月より特別展が繰り広がっている。

レオナルドが研究していた水路についてを中心に

ヴィンチ村を囲む土地土地のスケッチ/ドローイング

フィレンツェのウフィッツィ美術館から2点お借りしてまでの

内容の濃い説明となっている。

先に進むと、レオナルド・ダ・ヴィンチがお隣の教会で洗礼を受けた

ここで生まれた記録が残された分厚い記録書が展示されている。

当時の500年以上前のものだと思うと感慨深い。

特別展は、特別な保存品なだけに、慎重に展示されている。

特に空調や遮光。そしてセキュリティー。いたるところに係員がいる。

この締め切った空間の大切なもの展示してます空気は

警備員が開けてくれる扉を出て吸い込む

外の空気のギャップでわかる。ふぅーと一息。


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前に上ったのはいつのことであろう。

少年が4歳ぐらいの頃であろうか

夫が少年を抱っこして撮った写真がある。

あの時は、家族揃って来た。家族で上った。

四月から十月まで上れる塔には、是非是非上ってみよう。

ヴィンチ村に来て、生家までの道と城の塔に上らない手はない。

こう村民らしくなってきた私にとって、ヴィンチの塔から眺める

ヴィンチ村とヴィンチを囲む景色は、とても新鮮であった。

ヴィンチの話題になると耳がそばだつようになって

ヴィンチが注目されていると、自分までもがワクワクする。

生まれも育ちもヴィンチではなくても、長いこと住人となり

子を育て、子を歩かせている村はもう私の村であり

家族の村なのである。

あっちにはMクンの家で、こっちにはBクンが住んでいる。

あそこにはGチャンの家で、向こうにはTチャンが住んでいる。

ガイドでもないのに少しずつ土地がわかってきた。

でもまだまだ歴史には疎いが。

いつも下から眺めていた教会と塔。

今日は、天辺からヴィンチを眺められたことに大満足。


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Via Roma(ローマ通り)の5
5日までといわれた特別展Hollarでは

新しくリフォームされた建物で開催されている。

こちらは最終日が延長されたそうだ。

きっと5月いっぱいまではやっているはずなので

こちらもオリジナルデッサンなど

ヴィンチでは見れない企画展なので是非お試しあれ。



それと!428()にはヴィンチ村は

レオナルド・ダ・ヴィンチイベントで盛り上がるそうだ!

詳しくは IL GIORNO DI LEONARDO 2019 をどうぞ。



*私がセレクトした過去の関連記事Best 3 Archivi Selezionati

ヴィンチの村民となった式典 Buongiorno Presidente

レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館 ① Palazzina Uzielli

みどりストリート Strada Verde da Vinci


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ヴィンチ村へ向かう道のりはヴィンチ村を眺めながら向かう。

今日もいつも通りのどかに佇む城と教会。

静かに朝日に包まれ、昨日の憂鬱な天気の面影は消えていた。

しかし、空にはヘリコプターが飛んでいた。

村に近づくにつれて、今日はいつもと違う空気が漂ってきた。



ミーハーといわれればそうかもしれないし

真面目だねと思えばそうかもしれないし

行くべきだよ!と賛同してくれる人だっているかもしれない。


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415日は、レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日である。

この日にあわせて・・と、死後500年を記念して・・にあわせて

レオナルド・ダ・ヴィンチミュージアムに

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたオリジナルのドローイングが2

フィレンツェのウフィッツィ美術館から5週間程お借りして

展示されるお披露目記念も兼ね

Presidente della Repubblica Italiana

プレジデンテ デッラ レプッブリカ イタリアーナ(イタリア共和国大統領)

Sergio Mattarella氏がヴィンチ村を訪問されたのである。

(Canale50で生中継、Rai3Toscana等で報道

firenze.repubblica.it その他新聞報道多数)

(おもしろい、私が撮った写真と違う角度の写真が載っている!)



息子が地元の学校に通うことから

ヴィンチの役所、観光案内所、それに伴う協会や団体などの

SNSを私はフォローしている。

特にフェイスブック。(イタリア人FB好き)

そのフォローしている団体は近日、その話題で持ち切りだった。

その後も持ち切り!時間読みで投稿されていた。



我が少年が通うヴィンチ村の小・中学校の生徒は別の広場で

中学生の各クラス代表4人ずつは

舞台最前列優待着席や役割があったり

やはりイタリアの大統領を招いての式典

死後500年とはいえども、500年に一度

生後500年は1952年と67年前(白黒写真を見た!)

大統領がヴィンチ村に来ることはそう滅多にない

夫もヴィンチ村を間近に見渡せる別荘の庭園の仕事で近くにいる

私だけ一人ぼっちで家にいるのもなんだから

日本人の私、ヴィンチ村の式典に出向いたのである。

私だってヴィンチの住人よ!



式典は、現ミュージアムの城があるウィトルウィルス人体モニュメント

のある広場で行われた。入場チェックがある。

空港より厳しかったのではないか、全身触ってチェック

帽子をとって帽子の中を丁寧にチェック

当然、カバンの中もチェック。

私は、もしかして唯一の外国人であったかもしれない。

特にアジア人。相当怪しかっただろうが

チェック時、チェックしてくれてありがとう体制で応じると

女性の警官も、ご親切にありがとねと挨拶してしてくれた。

カメラマンがたくさんいる。

TV局らしきカメラマンも何台か居座っている。

警備員がいっぱいいる。

オーガナイザーらしき人もウロウロしている。

座れるのかと思いきや、立ち見。

招待客のみ椅子が向こうの方へ用意されていた。

一時間近く待ったのではないだろうか。

ここを通るだろうランウェイに近く舞台にもまぁ近いところを陣取った。

私の後ろ2列ほどで人はバラけているが

私の周りは割と詰め詰めで

昨日の大雨の名残の冷たい風は人の壁で通り難かった。

しかし、風がおさまった時の日はダイレクトに差していた。

人のおしゃべりを聞いたり

人のスマートフォンで写すモニターを眺めたり

割と時間は早く過ぎていったように思う。


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あ、村長が来た!

あの村長は、我が少年のサッカーチームの仲間の父ちゃんなんだ。

以前ヴィンチ地方自治体の合同サマースクールのとき

仲良くなった双子は、後で村長の息子たちと知る。

我が少年が仲良くなるぐらいだから一般市民の子供かと思いきや

村長の息子たちとは。

いたずら好きのわんぱく双子で、今日も父ちゃんの隣で

ふてぶてしい顔をしながら付き合っていた。苦笑

一応VIP扱いなのだが、分かろうとしてない様子。


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村長がまるでマネージャーのように付き添って現れた大統領!

綺麗な白髪はテレビで拝見するお姿と同じであった。

時間のある老人が多かったこの月曜日

Buongiorno, Presidennte!

ブオンジョールノ、 プレジデンテ(こんにちは、大統領)

と声をかけながら、握手を求めていた。

レンズの向こうにいる大統領が近づいてくる。

私は、一瞬後ずさりするように、一歩下がってしまった。

そうか、握手をするのか。

ある若者は、人混みの中、大統領に握手を求め掻き分けてきた。


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式典が始まった。

当然、国家から始まる。

スポーツの試合のときしかあまり聴いたことがなかったから

なんだかこれから試合でも始まるノリノリな感じだったが

しかも民衆は、スマートフォンを舞台へ向けるもんだから

まるでコンサート会場にでもいるような感覚で聞き入っていた。

村長Torchia氏から始まり

トスカーナ州長、美術や歴史に関わるドクター

ヴィンチ村の中学生代表たち

そして、大統領が最後にご挨拶をして下さった。

少し離れたところから見ていると

テレビで見たほうが近い距離を感じたりするが

テレビでは映しきれない広場の空間は味わえない。

とにかく「間」とか「熱気」とか騒音とか。

あぁ覚えてる。皇太子ご夫妻がフィレンツェへを訪問されたとき

日本語補習授業校の子供たちがコーラスを披露し終わったら

子供たち一人一人にお声をかけて下さった光景と同じで

大統領も少年少女たちに声をかけられていた。

終わりに自衛隊のパラシュート部隊のメンバーが

空から降りてきた。イタリアの国旗を羽ばたかせながら。


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大統領は、レオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルドローイング

閲覧オープンの開幕のためミュージアムに移動し

その後、生家を訪れたそうだ。



新市街の広場の方には

レオナルド・ダ・ヴィンチが発明した武器に似た

現在の(?)武器を展示していた。

武器は、やはり人を殺したり街を崩壊したりする道具だから

なんだか私は気が進まなかったが、一回りだけした。


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近々、少年と金庫のような入れ物で運ばれた

オリジナルのドローイングを是非とも見てこようと思う。



我が家族がヴィンチの違うところで式典を眺めていて

話は違う視線なのだけれど同じタイムの話でおもしろかった。




*私がセレクトした過去の関連記事Best 3 Archivi Selezionati

レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館① Palazzina Uzinelli

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 Casa Natale di Leonardo
みどりストリート Strada Verde da Vinci



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ヴィンチ村から約5kmの隣村Cerreto Guidiチェッレート グイディ

には、メディチ家の別荘Villa Mediceaヴィッラ メディーチェアがある。

メディチ族のコジモⅠ世が1555

狩猟で訪れる・・或いは

ピサやリヴォルノ方面の旅中のお休み処として

グイディ伯のお城を住居風に仕上げたそうだ。

しかし、このお屋敷で悲劇も起こる。1575715

コジモⅠ世の娘イザベッラは嫉妬深い夫の手により暗殺される。

1738年、メディチ族消滅後プライベートのお屋敷となり

1969年、国に返還され、ミュージアムとして一般公開開始。

2002Il Museo Storico della Caccia e del Territorio

イル ムゼーオ ストーリコ デッラ カッチャ エ デル テッリトーリオ

狩猟と領地の歴史博物館とされ

狩猟器具やアンティーク家具などのコレクションを展示する。

壁には、コジモ系列のメディチの肖像画も

お貴族の別荘らしく実物大以上に飾られている。

庭園は、1800年代の様式に仕上げてあるそうだ。

2013年にはユネスコに登録され重要度高いミュージアムだが

館内見学無料で、質素にチェッレートグイディの丘に佇んでいる。

そこから眺める景色は、キラキラ光る湿地帯

Padule di Fucecchioパドゥーレ ディ フチェッキオへ鳥が飛んでいく。

傾いた日が沈むルッカ方面のアプアーネ山が見渡せる。

山のシルエットはうっすらとして雄大な山とは裏腹な姿を醸し出す。

きっと当時は、屋敷を囲む一帯はもっともっと緑に囲まれた

狩猟の場にはもってこいであったのだろう。

遠くまでも動くものが見渡せる、それほど静寂で静止した景色は

今もなお見渡すことができる。


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現在もこの辺では、イノシシや野ウサギ、ノロジカなどの野生動物

そして、キジやウズラなどの野鳥が生息する。

狩猟家はこの地域では自分らの畑の中で構えていたりする。

昔は、家畜よりジビエで宴を持て成した。

今こそ注目されるジビエの肉は

肥やされていない彼らの生きるための脂肪の旨みでできている。

七月のイザベッラの命日頃に開催されるイノシシ料理祭では

コテコテのジビエ伝統料理の祭りである。

イノシシこそ、この辺では多く、被害さえも出る。

狩猟たちは宴と糧のために、期間限定の狩猟に出かける。

事故にあった野生動物たちも食卓に並ぶこともある。

ブドウの収穫では、ジビエで収穫を祝うのが伝統だ。

私もそのジビエは、このヴィンチの丘で暮らすようになってから

美味さがわかるようになった。

狩猟とは野蛮なことのようで、実は家畜よりナチュラルだと私は思う。

家畜がなければ私たちは日々ジビエを追っていなくてはいけない。

もう少し住居から離れてやってくれるといいが

意外と近くでバンバン狩猟期には脅かされる。


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プロの服飾パタンナーのシスターズがコジモのマントをじっと見ている。

なんだか研究している様子だ。私もじっと見てみよう。

彼女は、コジモのマントのパターンを頭の中で描いていたようだ。

確かに、袖の辺りがフワッとしていてかわいらしいパターンだ。

いつか私も真似して作ってみようと思った。

当時の王室や貴族の服飾は

どうしてあんなにも複雑にできているのであろう。

首元にヨレヨレ、ヒラヒラがくっついていたり

男性がスカートみたいなキュロットをはいていたり。

ギャザーがいたるところにあり

布をふんだんに使っていた様子が伺える。

生地の柄も素敵だし、とにかくやっぱり全てにおいてゴージャス。

ボタン一つにしても。

私は、特に中世の靴が好きだ。どれも柔らかそうで履きやすそう。

シスターズがマントの次に、マントの毛皮の動物のことも言い出した。

あの毛皮はいったいどんな動物だろうね。


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入り口の扉から、傾いた日差しが入ってきた。

正面は南西向きのようだ。

その光にそそられ外に出た。

あ、もう帰らなくてはならない。

私たちは、約4kmの道を歩いてきたのだ。

日が沈まない内に帰らないと、道が真っ暗となり歩行者は危ない。

私たちはヴィンチ方面へ向かった。

途中、素晴らしい夕焼け空で

丘の上のコジモの館がシルエットになっていた。

私たちはまるで野生の動物のように暗がりになってきた道を急ぐ。


DSCN0846

シスターズはマントの毛皮が気になっていたようだ。

あの毛皮のマントは、当時の流行だったようで

位置付け的にもあの柄のマントが使われていたようだ。

あの毛皮は、イタチを使っていたようで

黒い点々は、尻尾の先の部分らしい。

ということは、いったい一着のマントを作るのに

何匹のイタチがつかわれたか。

メディチ族は、労力も動物も全て我が物だったようである。




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ヴィンチの七月 Eventa Vinci

暗闇のトラクターショー Trattored'epoca

みどりストリート StradaVerde da Vinci


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ある晴れた一月のこと

フィレンツェシスターズは、ヴィンチの我が家に二人ぽっちとなり

車も無く、村まで出るのも歩くしかなかった。

それじゃぁ、ハイキングしよう。そう決めればいいのだ。

少年と歩く我が家からの赤白マークのハイキングコースを通って

ヴィンチ村まで行き、村の外れからまた赤白のハイキングコースで

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家まで歩いて行った。

シスターズ、歩くの速い!

もう少しゆっくり歩いてくれぇ。

シスターズのご主人もハイキング好きで

二人はいつも歩いているそうだ。慣れってスゴイw

しかし歩くのが速くても、私たちはアレ見たりコレ見たり

立ち止まって観察したり、写真撮ったり、時間は同様にかかる。


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このハイキングコースは、車では通れない。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家まで、車で行けるが

なんてことないヴィンチを観光するなら

歩かなくては面白味が嗜めない。

そして、このStrada Verdeストラーダ ヴェルデ

(みどりストリートとでも訳そう)の途中には

環境保護団体がボランティアで道を舗装した

レオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けた堰まで行ける。

森の道を舗装するとは、危険な枝を通りに沿って切り落としたり

崩れた段々になっているオリーブ畑の石の壁を修復することである。

その修復技術を無料でレッスンも行われていた。

この石の壁は、Muratura a seccoムラトゥーラ ア セッコと呼び

セメントなどの接着術を使わず
石だけで積み重ねていく土留め技法である。

だから、再び崩れやすいが、これこそ古風なやり方で

ある意味環境保護なのである。

私は、ヴィンチの環境保護グループに参加しているので

フェイスブックなんかで、彼らの様子を伺っていた。

私も紙の作品をつくるとき、接着剤を使わない方法をよく使うから

簡単なようで難しいことが伝わってくる。

まるで立体パズルのようだ。私はこういうの好きかもしれない。


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堰がある小川の方は、やはりヒンヤリしている。

夏にはもってこいである。少年とある夏に来た

Pescaia del Mulino della Doccia

ペスカイア デル ムリーノ デッラ ドッチャ

ヒンヤリらしくヒンヤリした森の植物が

細い木漏れ日に向かって空気を吸っているように見える。

木々で覆われ、彼らの吐息が充満しているようだった。

すると、妙な鳴き声がする。

フィレンツェシスターズは足を止め、鳴き声がする方へ目を向けた。

木々と木漏れ日しか見えない。

そのまた奥にいるようだ。でもすごく近くにいるように聞こえる。

見えなくていい。ミステリアスぐらいな方がおもしろい。

どんな動物なんだろう?と想像を掻き立てる。

動物なのか鳥なのか。

森を歩くと、全てが共存していることを、足から頭まで感じる。


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また戻ってみどりストリートの緩い傾斜を上って行く。

その道は、オリーブ畑を横切っていくような道になっている。

辺りは、そういうわけで、オリーブだらけ。

私は何度歩いてもそこにある同じオリーブを観察してしまう。

散歩のときもドライブのときも

オリーブの樹形いわゆる剪定術、病気などを観察するのである。

あれ、いつものオリーブ畑が何か違う。

もっとオリーブが広がっていたような。

そこのオリーブはバッサリ根元近くから剪定されており

根元から生えてきた若く細い将来の幹を二本ずつ残してある。

おぉ、これでいい、これでいい。

ここは確かRognaニャ(カサカサ病)がたくさんあった畑だ。

ほとんどの木が病気で汚染されていたから

このくらいの勢いで剪定しなくては、ウイルス菌は蔓延してしまう。

蔓延してしまえば、私は味にも障害がかなり出てくると思うし

まずは木が枯れてしまう。

生産可能になるまでかなりの時間がかかるが、仕方ない。

農園であれば、多少補助金が出るようなことも聞いたことがある。

この勢いの良さに、私は嬉しかった。

私もきっと同じ方法をとっていたからである。

私は本来生まれたオリジナルの枝や幹を残して、生存させたい。

それが一番自然に近い形なような気がするからである。

ブドウもそうだが、台木となる根っこの気と接木された木は

品種が違っても育つ。

仮母?義母?育て親?

接木は、私生児か?

レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才私生児もいるから

接木の中には、才能のあるオリーブが生まれるかもしれない?!

それが目的の、接木技法なのである。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの生家で、私は結婚式をしたのだが

夫の家族ぐらいしかいなかった式の中に、シスターズもいた。

彼女も懐かしそうだった。

当時、搾油所であった生家の下の階は、行けなかったはず。

当時、現在チケット売り場になってる生家の横は

人が住んでいたように記憶する。

現在は、完璧に修復され、公衆トイレもある立派な観光の場

となり、レオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとというより

昔の家を修復した新居みたいな新築覚まで思わせる。

新築された生家では、ビデオなどの解説がある他

展示室もあるが、残念ながら日本語はない。


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同じみどりストリートを通って帰る。

行きと帰りのパノラマが違うことに気がつくであろう。

行きは、モンタルバーノの山へ向かって

帰りは、ヴィンチ村へ向かうのである。

まさにオリーブに挟まれているように見えるヴィンチ村の景色は

このみどりストリートでしか見ることはできない。

行き30分、帰り30分程度の難易度★の簡単コース

是非是非絶対歩いてほしい!

のんびり歩くなら、パニーニ持参でね。


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2019年は、レオナルド・ダ・ヴィンチの死後500

レオナルドが歩いた各地で様々なイベントが催される。

私はなるべくヴィンチ村とその付近のイベントを紹介できたらと思う。



イタリアでは、道路を自転車で何キロも走りまくるスポーツが盛んで

Giro d'Italiaジーロ ディターリアというサイクリングレースが行われる。

511日にボローニャからスタートし

512日にボローニャからFucecchioフチェッキオ入り

そして、513日ヴィンチから出発しOrbetelloオルベテッロに入る。

この1213日の二日間は

まさしくもレオナルドの死後500年を祝うコースで

我が近所をグルグルレースするそうだ。

我が家のパノラマコースもレースコースだ!これはスゴイww

その記念すべき小さな村ヴィンチでは

Uomo Vitruvianoウォーモ ヴィトゥルヴィアーノ

(ウィトルウィウス人体モニュメント)の広場は

Giro d'Italiaのシンボルカラー

ピンクのライトで照らされるのだそうだw

Raiというイタリア国営放送もやってきて

それはそれは大騒ぎの二日間となる。

レース好きにはたまらない期間となるであろう。

どうりでここ数年、自転車のグループがスズメバチのように

ブーンとグループで走っていると思ったら、練習していたのであるw

最後21日目は、Veronaヴェローナがゴールだそう。

関連サイト≫≫≫ヴィンチの市役所La Gazzetta dello Sport
サイクルスポーツ.jp




*私がセレクトした過去の関連記事Best 3 Archivi Selezionati

レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰 Pescaia del Mulino della Doccia

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 Casa Natale di Leonardo

オリーブのウイルス菌対処 Potatura degli Olivi ③


Grazie di aver visitato!


最後まで拝読していただきまして、ありがとうございました。




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