☆ チキッチン さま 新宿歌舞伎町 ☆
マルバジーアビアンカ100%、キアンティバーゼ
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地球と体に優しいコト ~イタリアから~
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私が小豆島に行きたかった一番の理由は
日本のオリーブ畑を歩きたかったからである。
小豆島にフェリーで着いた途端、オリーブの木があちらこちらにある。
バスまでもオリーブバスなどという名称になっている。
島は、オリーブで有名になり島の経済を回しているようだ。
オリーブ牛、オリーブ豚、オリーブ素麺、オリーブソルト・・・
勿論オリーブオイル、オリーブオイルドレッシング、オリーブ塩漬け
オリーブ茶、オリーブソープ、オリーブローション
オリーブオイルクリーム、オリーブオイル化粧品・・・
日本人の開発力やビジネス力に驚く。
オリーブを使ったことでオリーブの効果がどこまで発揮できるか
私は疑問だが、土地興し的なマーケティングは日本に向いている。
しかし、小豆島に着いてすぐに気がついたことがある。
私は、トスカーナに住みオリーブ栽培をトスカーナで学び
トスカーナで独自栽培をしていることもあって
小豆島のオリーブの樹形や剪定の仕方が
私が学んだ剪定と全く違うことに一目瞭然だった。
私たちがざっくり二つに区別しているフルーツ樹形と
正真正銘オリーブ樹形(それでもいくつもあるが)に例えたら
フルーツ樹形っぽく、なんかモサモサしているのである。
枝もヒョロっと上へ伸び、中心部も枝だらけ。
目にするオリーブがどれも似たような剪定でなんか納得いかない。
なんでだろうな。
小豆島で唯一か数少ないであろう有機で栽培している
オリーブ業一本で賄っている農園を訪ねることにした。
この人もいい人だ。わざわざ宿舎まで迎えに来てくれた。
島の不便さを分かっているからであろう。
有機農園のご主人も、東京からの移住者であった。
オリーブに魅了され相当の情熱があっただろうと想像する。
ご主人は、土地を数件借りてやっているそうだ。
私と同じだ。移住者は土地を持っていない。
だから島民が面倒見きれなくなった土地を管理しているのだ。
だからあっちこっちにあるそうだ。
それで、剪定の質問をすると
「あの樹形は間違ってはいないんですよ。」
「あ、そうなんですか?」
「小豆島はもともとみかんの栽培が盛んだったんです。」えーっ!
あのフルーツ樹形だなーと眺めていた樹形は
みかんの木の樹形だったのであるw
みかん農園の方たちが、巷でオリーブが騒がれ始めて
オリーブ農園に切り替わったのだそう!
だから、オリーブ栽培はみかん栽培のつづきなのだそうだ。
収穫もみかんのように一粒づつ収穫しているんだそう!
地面に編みを敷いてガタガタと振動機で落とす
イタリアの収穫風景なんて未知の世界なのであろうか
それとも野蛮な世界なのであろうかw
イタリアのオリーブ栽培からすると
手摘みでお腹のポケット(籠とか)に仕舞い込むやり方は
大袈裟に言うと100年前の話かもしれない。
オリーブ文化の国は、どれほど収穫に時間をかけてはいけないか
そこで採算があわなくなってくることを知っている。
収穫してすぐに搾油した方が良いことは日本人も認識済みで
各農園に少量でもできる小型搾油機を持っているそうなのだ。
人件費をつかってまでも丁寧に摘んで
様々なオリーブ商品に展開するのが日本のやり方なのである。
オリーブの収穫をイタリアより早々から始めているのも
塩漬け用だったり
、超ポリフェノール満点のオリーブオイルだったりと
オリーブオイル文化の国と違う商品を目指しているそうなのだ。
時期をずらして化粧品用オリーブの収穫をして
肌にしっとり馴染ませるベトつかないオリーブオイルを生産したりする。
食品として使うには不味なオリーブオイルは
実は、収穫期を遅らすことで強力なオリーブの持つ成分を抑え
アレルギー肌にも対応し、香りもソフトになり
化粧品として最適になるのだそうだ。
オリーブオイル100%の無添加には間違いない。
そしてお茶の国ニッポン。
オリーブの葉の効能に注目し
飲料のお茶や飼育用に葉だけ栽培していたりする。
ちなみにイタリアでオリーブの葉のお茶が一般に出回らないのは
薬草として肝臓の病に効果があると知られている。
摂取過ぎに要注意と薬草師は言う。
そんな葉摘み用オリーブの木は若く、実をつけない状態で
葉だけ刈り取られていくそうだ。
だからオリーブの苗木屋さんを見かけるし
小さなオリーブの木もあちこちに点在する。
しかし、日本でオリーブ栽培は不向きなのではないだろうかと
ご主人は言う。
まさに私が伺った梅雨真っ最中の小豆島は
草が生い茂る時期である。
ご主人は、刈っても刈っても生えてくる草刈りの日々。
トスカーナでオリーブ栽培してる私がここにいられるのは
トスカーナは、初夏の草刈りをすれば
乾燥で草は生えてこないのである。夏は茶色い大地のイメージ。
年に2回ほど草刈りすれば大丈夫だったりする。
それをご主人に言うと、驚かれそして項垂れた。
そして日本でオリーブ栽培に不向き
なんじゃないかという決定的なことは
日本にしかいないオリーブアナアキゾウムシとかいう
寄生虫が存在していることである。
イタリアでの寄生虫はオリーブミバエという
オリーブの実に卵を産み付ける小さいハエである。
ミバエの産卵期が収穫時期に近いと収穫したオリーブの実と共に
搾油されてしまい酸味が強くなってしまうところが欠点。
オリーブの実の成長期に産卵されてしまうと
三週間で飛び立っても、実が傷んでしまう。
日本に生息するオリーブアナアキゾウムシは
オリーブの根本や新梢や葉を食べて
オリーブの木を枯らしてしまうそうなのである。
枯らしてしまっては大変だ。
そこで有機栽培のご主人、毎日毎日畑を見回り
ゾウムシをひっ捕まえているのである!
日本でなかなかオリーブの有機栽培ができないのは
その寄生虫をやっつけるために
殺虫剤を撒かなくてはいけないそうなのである。
そこだけが難点な部分なようだ。
イタリアでミバエ退治の有機栽培は
色で誤魔化す方法で、白くカオリンや石灰を撒く。
それだけで全然違うんだから、ゾウムシの研究できっと
有機で簡単に予防できる方法が見つかるはずだ。・・と思う。
ご主人は、ゾウムシを飼って、日々研究している。
ご主人のオリーブ栽培の情熱が、ゾウムシ退治の研究まで・・・。
ポリフェノール満載のオリーブオイルも是非試飲してみたかったし
もっともっと情報交換でもしたかったが、農業人に時間はない。
ご主人の血と汗の有機オリーブオイルは
東京の方が応援してくれることが多いそうだ。
私も微妙に察したことは、地方の人たちより
都会の人たちのほうが、地方に興味をもって応援している。
島での開業は
移住者と島民との引き合いでぶつかることもあるであろう。
それでも島の外は、やはりいいことといいものを見分け求めてくる。
一刻も早くアナアキゾウムシ予防法を生み出すことを祈っている。
・・祈っています。ありがとうございました。
ご主人に、オリーブ公園まで送ってもらった。
オリーブ公園でランチをすることにした。
オリーブ豚と瀬戸内産レモンのチャーシューラーメンと
温かいオリーブ素麺を注文した。
なんだか味的にあまりよくわからないけど
お土産にしない代わりに土地で食べておく。
オリーブ公園には、小豆島にオリーブが植えられた歴史館がある。
日本の中で一番地中海性気候に近い場所
それは小豆島ということで国が試験的に植え
定着したことから、オリーブの研究と生産が始まったらしい。
しかし、日本でオリーブの何を求めたのであろう?
公園内のオリーブは大きく、トスカーナをイメージさせるが
枝が多すぎるのと葉に元気がない。
どれも台風で倒れないよう支える設置がしてある。
「もう少し中央の風通しを良くしたらどうですか?」
「そうですね。風が抜けやすいかもしれないですよね。」
ともう一軒オリーブ農園を訪ねた栽培部の若い部長さんが答える。
彼も東京からの移住者。総務さんも関西からの移住者。
情熱をもったオリーブ好き移住者と
ミカン栽培から移転した島民。
こんなにオリーブ騒ぎじゃ、もうオリーブ業から離れられない。
オリーブだけでは生計が困難なことは世界どこでも同じようだが
マーケティング上手なニッポン人は第六次産業まで展開していく。
島興しから始まった瀬戸内芸術祭もかなり恩恵を受けてそうだ。
海に囲まれ、オリーブは常に海の風に揺れている。
歩くビーチには誰もいない。
雨が降ってきた。誰もいない海の家で雨宿りしよう。
誰もいない海の家だと思ったら、主がいた。
「あぁいいよ、雨宿りしていきなさい。
この雨でわしはちっとも儲からんよ。」
雨が多すぎてもいけないし、暑すぎてもいけない。
農業もほどほどの一年が毎年来ればいい。
土地を守りながら、土地に合う農業で、土地に合うビジネスで
土地に合う暮らしができたら最高なんじゃないかと思った。
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『ブルーな島、清い島SetouchiRegion - Shòdoshima vol.1』
『親切な島、甘辛い島SetouchiRegion - Shòdoshima vol.2』
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田舎とは、都会から離れた土地とか故郷とかいう意味の他に
人気が少なく田畑の多い所なんていう意味もある。ワオ
都会は人工の街だが、田舎は人工の自然だったりもする。
どちらも人の手は必要だと思う。
田舎は人気が少ないのではなく
人工の畑を人口密度の低い土地を利用しているだけだと思う。
都会は人だけで足りるビジネスが成り立ち
田舎は自然を活用した私たちの根本的な糧をつくる。
都会が窮屈だなぁと引き上げてくる人だっていれば
田舎は何も無いじゃないかと都会に繰り出す人もいる。
私は両方体験し、田舎暮らしを選んだ。
私と少年は、東京から夜行バスで瀬戸内へ向かうことにした。
夜行バスを使うのは久々である。
昔、フィレンツェからバルセロナへ向かう夜行バスに乗ったことがある。
夜行用でもなければ長距離用でもなさそうな
市内を走るフツーのバスぐらい窮屈だったことを覚えている。
それでも昔も現在も
夜行バスが一番節約できる移動手段のようだ。
新幹線は、何泊もできそうなほどの料金であった。
格安飛行機案も薦められたが、空港からの移動が悩ましかった。
夜行電車は、東欧を周ったときのよい思い出がある。
しかし、日本での夜行電車は、利用者がいないのか
無いか高いかの情報で止まってしまった。
日本の長距離移動手段に夜行バスを選んだ理由は
一泊分の宿泊費が節約できるからと
近頃の夜行バスは快適なつくりになっていると聞いたからである。
値段も格安飛行機よりちょい安か同じぐらいだけど
行きたい主要駅の近くに到着することも決め手となった。
行きは残念ながら、決断が遅く4列シートの車内トイレ無し
と割とフツーの長距離バスであった。
が、リクライニングはかなり可能で、ゆったりシートと呼べたと思う。
しかし、アニマル少年が横にピッタリいることが欠点であった。
だから少年と4列シートは不向きという結果が出た。
夜行バスのデメリットは
車窓がカーテンでずっと閉められていて、開けてはいけない。
だから、ニッポン列島を横断しているのに
暗くても風景が見れず、どこに来たのか
地図と頭で理解しないとわからないのである。
11時間も13時間も乗っていたら
ヨーロッパから日本行きの飛行機と同じである。
車内にトイレが無いから、2時間毎にサービスエリアで休憩した。
そこで、トイレに行きつつ、ドリンクを調達しに店に入って
そこにある物産やお土産でなんとなく土地がわかったりする程度。
運転手は二人いて、ドライバーともカーテンで仕切られる。
2回目からのサービスエリア到着時のアナウンスはない。
睡眠しているお客様を尊重しているようだ。
乗客は気がついたら降りる、という設定である。
帰りの夜行バスは、3列シートで車内トイレ付を早めにチョイス。
列ごとに独立しており、通路は一本広く一本狭くなっていて
独立していても二人組と一人で分けられる。
そしてカーテンで仕切りをし個室空間を味わえる。
さらにアイマスクや車内スリッパまでもプレゼントしてくれる。
トイレは、階段降りて地下風に設置。
だから荷物置き場を占領する形になるので
荷物の大きさに制限がある。バスを待っている時
どこにオフィスがあってどこから現れたかわからない
バスを案内しに来たおばちゃんから
「アナタの荷物入れさせてくれないかもよ」なんて言われ焦った。
「案内に書いてあったでしょ、送らなきゃいけないかもよ」マジ?!
ドライバーらしき二人の内、一人が予約リストチェック
一人が荷物を入れてくれたのだが
きっと私みたいによく読まないお客様がいるのであろう
「大丈夫ですよ」とホイホイ積んでくれた。・・よかった・・
我が母子は、岡山に到着した。初めて訪れる。
岡山には、フィレンツェの日本語補習授業校で
出会ったママ友がいる。
そのママ友が日本人会の冊子アルノで
岡山を紹介していたことから、訪ねてみようと思った。
子どもの年齢やクラスが違うのに、役員を機に親しくなって
その後もお互いの活動に応援し合えるほど気の合う仲となった。
そして彼女は、農主のビオディナミワインファンでもある。
だから私の観光以外にも
素敵なワイン&オリーブオイル会を催して下さった。
顔の広いママ友のお人柄はきっと今も昔も変わらないのであろう。
たくさんのご友人さまたちが足を運んで下さった。
次から次へと参加希望が名乗り出、会場を借りたほどであった。
地元の仲良しの同級生と娘さん、少年の先輩である息子さんも
総出で支度をし、会を盛り上げようと努めてくれた。
ママ友の実家をお借りして
会用の例のリコッタチーズをつくることになった。
岡山駅からローカル線に乗り、30分ぐらいのところで降りた。
岡山駅から数駅ですでに景色は、田んぼが広がる田舎であった。
ママ友が育ったところはのどか~なところで
駅も無人のような映画にでも出てきそうなところであった。
もうしばらくぼーっと瞑想にふけっててもいいぐらいであった。
ママ友が自転車で迎えに来てくれた。
田舎だから駅から遠いことを想像していたが
おしゃべりしている時間もないくらいとても駅に近く
便利で静かなところに家があった。
ママ友がいつか制服を着てこの駅を使ってたんだろうな
なんてことを想像したりした。
私も田舎の住宅地に住んでいたから、その似たような風景から
私の思春期時代なんかも思い出していた。
なんだか外国に旅しているぐらい遠くに来ている感じがしたが
ママ友の実家にお邪魔すると
やはりどの家庭にもある生活空間は
生活に溢れていて温かみがある。
お母様もお父様もママ友もイケ青年も
その生活空間の中の自分の場所に立って、私たちを迎えてくれた。
お母様がランチをご用意して下さった。
いつもブログを読んで下さってるということで
私の嗜好をご存知で、話が弾んだ。
岡山では、後楽園と倉敷を観光した。
後楽園は、ママ友とお母様が声を揃えて薦めてくれた場所である。
路面電車で旭川を渡った先に後楽園がある。
ママ友と体験入学中の学校帰りのイケ青年(息子)と待ち合わせ
午後たっぷりと日本名園の後楽園に時を任せた。
贅沢なほどの広大な敷地は
どこを歩いても、ビューポイントに立ち止まっても
癒やしの設計が施されていることが素晴らしい。
まず走ることを忘れる。邪念が消える。
昔だって癒やしが必要だから設けられた訳で
現代の今日、この癒やしは必要不可欠なのではないであろうか。
イタリアにも美しい庭園が数ある。
庭を日々美しく保つには、実は容易ではない。
それは人の手と腕で造られ、守られていく。
暮らしの中の人々のストレスは
ここでも人の造り出す業となって癒やされるのである。
園芸のアルバイトの時そんなことに気がついた。
我が母子は、倉敷の美観地区を散策した。
ここはCinecittàチネチッタ(映画撮影所)か。
まるでタイムスリップしたかのように
柳が揺れ水面に街を映し出す堀割りの静かな川が流れていた。
白壁やなまこ壁、瓦屋根や蔵そして見事な植木
ジャパニーズスタイルの建築様式が立ち並ぶ中
擬洋風建築的に大原美術館や
アイビースクエア(倉敷紡績所跡)などスポットにある。
この地区一の実業家大原一族抜きには倉敷は語れない。
国指定重要文化財の大原家の本邸を訪れた。
大原家の社会貢献思想では
ゲニウス・ロキという土地の魂と表現し
「その地の気候風土の中で住む人の精神性・価値観が
堆積したもの、つまり、それぞれの土地に魂があり
それが産業や文化を形作っていく」という。
私たちは、高いところに行って倉敷の町並みを眺めてみようと
阿智神社を訪れた。
山頂にある神社は、倉敷を見守るように鎮座していた。
そこでは黄色いだるまちゃんが金運アンド幸運ということで
私の好きな色、黄色いだるまに祈りを込めた。
神社から降りて、小腹と喉を潤わせるために
高価なおやつ、冷えた岡山特産白桃を味わった。
1個七百円。宝のような白桃・・次は白桃の収穫に出向くぞよ。
田舎と街とレトロが交錯する岡山。
観光というより住んでみたくなった温かみのあるところだった。
いつかまたその空気を吸いに訪れたいと思う。
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『山のミルクをリコッタに Ricotta fai da te』
『田舎暮らしは地元民と行動する Stagione del mio giardino』
『1ページのあとがき sono in un giornalino』
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