大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:Giappone

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Drawn by Y. I.

南房総市の園芸の住み込みアルバイトには寮があった。

作業場と同じ敷地内にある個室プレハブは男子

最近リフォームしたという少し離れた古民家シェアハウスは

女子寮ということで、私はこちらの仲間入りとなった。

食器も布団もタオルも用意してくださり

私は、作業服と長靴と雨合羽を用意すればいいぐらいであった。

カバン一つで行けるのは、大変便利である。

寮があると、住まいのいろんな手続きも省けるし

生活用品が揃っていれば、余分なお金もかからない。

そんなこともここを選んだ一つの理由であった。

自由に働き歩ける、土地を知る、産物に触れ合う

長期では続けにくいことでも

双方にメリットがあるのではないかと思った。

イタリアにも寮付き農業があると季節労働の

移民も私も少数の若者も働きやすくなるのにな。


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そこには仲間との出会いがあった。

どこにいても、私次第かもしれないが、相手次第ということもある。

出会う仲間がウエルカムだと、滞在はやたらと楽しくなる。

私は、絶対に彼らのおかげで、楽しく過ごせたと思っている。

一人でも十分サバイバルに旅気分はできるのだが

笑えることは一人ではできない。

人との触れ合いがあるからこそ

時が満ちていくのではないかと思う。


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私が配属したチームはみんな若かった。

若者たちから仕事を習うのも悪くない。

それは年上を謙遜する社会だからか。

心の中は何を思っているかわからないが

シンプルなテクニックをシンプルな理由をつけて教えてくれる。

きっとこれが私みたいのだったら、ウンチク付きかもしれないw


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シェアハウスの女子はみんな同じチームの子たちだった。

私と同じ短期の子もいた。

早寝早起きの若者もいたし、料理好きもいた。

仕事が終わって、夜な夜なおしゃべりをし続けることもあったし

若者たちはゲームで盛り上がっていることもあった。

同じ短期の子は、高校卒業したてであった。

「えっ、お母さんいくつ?!」

私と歳が同じであった・・。

娘でもおかしくない子と一緒に仕事をしているのか。

娘のような彼女は、これから国家試験を要する職を学びたいから

違う仕事ができるのは今しかないと

夏休みや春休みの長期の休みになると

寮付きアルバイトに出掛けるのだそうだ。

素晴らしい。

しっかりしている。

彼女の食事は、レトルトを使うことなく

見て覚えたというお母さんの手料理を真似して作っていた。

私が18歳の頃なんて・・・

恥ずかしくなった。


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お花屋さんでフラワーアレンジメントをしていたフロリストの彼女は

お花が育つ生産も体験しておきたいと

何から何まで黙々と一生懸命だ。

若いのに人生のスケジュールがあって素晴らしい。


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お酒が飲めないのに晩酌をしている私に付き合ってくれった彼女は

東京で四六時中働き、人間味が薄れかけた頃

空が見えるところで働きたいと節目をつくって転職したそうだ。

これをきっかけに、やりたいことが溢れ出てきたみたい。

今までの生活を変えることはなかなか決心つかない。えらいぞ。

彼女も次なるステップへ走行中。


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時にシェアハウスに遊びに来る大人のような二十歳の女子だって

夢をもっていた。

話を聞いているだけで、応援したくなる。


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気が付くと周りはみな平成生まれの子たちであった。

「私、平成元年です~」

なぬっ、私だけか昭和時代から歩んできた者は。

初めて直撃した話題である。

まず元号で歳の話はしたことがない。

つまり私は昭和の人としか話すことがなかったことになる。

そしてイタリアに移住してからというもの物事は西暦で流れていた。

私には新鮮だった。

急に平成と昭和の違いを考えてしまった。

そういえば、私の息子も平成生まれだ。

しかし、西暦でしか言ったことも見たこともなかったので

息子が平成何年生まれか知らなかったのであるww


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来日していることもあって私には選挙の投票権があった。

しかし、日本の政治情報や関心はイタリアにいるとなかなかない。

まず現在の日本の世論の動向がよくわかっていない。

私は平成の若者たちと日本の政治や社会について話したかった。

何時間でも話している討論好きイタリア国民と暮らしていると

そんな話題は当たり前だと思っていた。

しかし平成の若者たちは

政治の話や投票に関して話したがらなかった。

むしろ驚かれてしまったぐらいだ。

「投票の話はタブーです。」


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時に向こうの寮の男子も遊びに来た。

チームが同じだから日中パーティ企画の話で盛り上がる。

同じような格好をした兄弟のような彼らは

ベトナムからの交換留学生であった。

労働しながら日本語を学ぶ組織から派遣されてきたようである。

片言も日本語が話せない状態で、日本に来たそうだ。

日本語でコミュニケーションができないだけで

仕事はできる。スピーディでパーフェクト。

体の中で一つできない操作があると

同じ体のできることが発揮する仕組みになっていると私は信じているが

まさしくもそれで、彼らの感はコミュニケーション以上だったように思う。

さらに、彼らの国は、早くから親を手伝ったり働いたりするようで

それもてつだって機敏さと機転の利き方が

イタリアにも日本にもなく、新鮮で彼らが輝いて見えた。


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娘のような仲間たちに、現地の住人から頂いた畑のトマトで

トマトソースのパスタをつくってあげたことがある。

トマトからソースをつくったことがない!と喜んで食べていた娘たち。

田舎の特権、近所の牛屋さんで生牛乳をゲットし

リコッタチーズ(生チーズ)をつくって

私が持っていった自慢のオリーブオイルでつまんだ。

きゃ~東京のレストランみたい!と喜んだ。

そんなチームの若者たちと餃子パーティをしたり

ベトナム兄弟(と呼んだ)が奮ったベトナム料理をご馳走になったり

トランプしたり、ゲームしたり、イラスト描いたり。

まるで時代がスリップしたかのように楽しかった。

あの若かれし頃の無意味っぽい時間の過ごし方。

いいじゃないか、ほんの少しだったら

無意味な時間っぽくったって。

その無意味な時間の中で笑えばいい。

そんな風に私は彼らと平成の若者風にすましていた。


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別れ際、彼らは私にずっと手を振りながら見送ってくれた。

いつも私が手を振って見送る側だったのに

今回は私が去るのか。

出会いと別れのある職場できっと学ぶことはいっぱいあるであろう。

彼らの未来に心から乾杯だ。

人生の楽しい一瞬をありがとう。

ワタシの似顔絵笑ってる!



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輝く花 i fiori

上、下、右、左、すれ違い Metropoli

友たちよ un tocco di giappone



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晴れをあまり見ることのなかった梅雨の頃

周りは田んぼだらけの千葉県南房総市で

この帰国、園芸の住み込みアルバイトをした。

千葉県を房総、その南という地理的な呼び方はわかるが

南房総市なんて聞いたことがなかった。

現地の住人が教えてくれた。

以前は安房郡だったらしく、平成中に改名されたそうなのだ。

館山市と鴨川市に挟まれるように位置している。

一部館山で覚えていたビーチがあるところも

南房総市になっていたりする。

知り合いや目的がないと地名が変更されていることなんて

知るよしもないであろう。

同世代の友人に説明するとき、東京方面から通る地名と

ビーチ名をいくつか上げて、説明することになった。

住むからには、周辺の地理にも興味を持たなければいけない。

ということが行ってわかった。


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アルバイト先は、お花屋さんに届ける

花の生産をしているところであった。

南房総は気候がよく、お花の生産地であることを思い出した。

特に切り花の生産が高く、あちこちにビニールハウスがある。

あのビニールハウスの中は野菜ではない。

お花屋さんできれいに並ぶお花は

ハウスの中で大切に育てられているのだ。

一般のお客様の手に届くまでの時間を計算して

収穫から出荷まで、気温や水の管理

少しでも長く保つよう葉の処理、梱包・・・

そう、少しでも長く鑑賞が楽しめるよう、もしかすると

野菜や果物より、丁寧に育てられ扱われているかもしれない。


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私たちの生活の中で求む癒やしは

やはり私たちの手でつくられているのだ。

お金もグルグル回っているけれど、業もグルグル回っている。

問題も人から生まれ、解決のビジネスまで生まれる。

世の中から生まれたストレスをメンタル用商品で解決する。


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この切り花はいったいなんのためにつくられているのであろう。

首が弱い赤ちゃんを抱くように収穫し

千と千尋の神隠しの坊のうように世の中を見せずに管理する。


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私は、切り花を購入することは無いのだが

街で見かける花たちは、一本一本大切に育てられてきたのだと

つくられた花のいのちまで目を置くようになった。

街で生花のコンクールのような展示が催されていた。

私が抱くようにして収穫したヒマワリと似ていた。

色が大切と、ハーブも生ける。

食と効能でしか考えたことがなかったハーブも、大切に育てられ

きれいな姿で街に売られていった。


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植物の私たちへの役割と効果とは

全ての五感と栄養と効能、メンタルまで

私たちの生命に密着していた。

花の人生のうち、花が咲いているときが一番輝いているならば

その一番輝いている「時」を大切にしてあげている私たちの人生の

輝いている「時」は誰が大切に育てるのであろうか。

それはやっぱり私たち人間で、自分自身なのである。

ブドウやオリーブを育てていても同じように思ったことがある。

母がこの世を去ったときに

若かった私になんとなく教えてくれた。

植物の人生と私たちの人生は似ているなと。

だから私は、抱くように収穫したヒマワリを持って

母のお墓参りに行くことにした。

母の命日は、まだまだ梅雨の蚊が飛び回る生暖かい曇であった。



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この日に Anniversario

ブドウをを摘んでから Foglie di Uva

風に揺らぐ田 Le risaie



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私は外出中歩くのが好きだ。

ただただ好奇心旺盛だからである。

歩けば上から下、右、左

よく見れて立ち止まることもできれば写真も撮れる。

自転車だとそれがなかなかできないから

他と同じ移動手段用の乗り物にしかすぎない。

少年も小さい頃からずっと歩いてきたから

車でピャッと行っちゃうより、歩いていこうよと提案してくれる。

節約もそうだけど、エコだから、できるときは大いに歩けばいい。


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だから歩いた。


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東京に泊まるにはどこがいいか。

いろいろ探した。ホテルもカプセルもシェアハウスも。

ワイン&オリーブオイル会用のグッズはたまた旅行帰りのお土産で

重い中型スーツケースを引っ張って歩く私は

主要駅から徒歩5分以内がいいに決まってる。

しかし、安くて安全で便利な都合のいいホテルはなかなかない。

最も行くであろう街から遠いところに宿泊先があっても

交通費がかかってしまうのは賢くない。

乗り継ぎが多くなるようなところに泊まるのも

駅構内の徒歩でエネルギーを消耗してしまう。

コインロッカーを使わずに荷物を預かってくれて

高速バスを利用することが多いならば

新宿バスタ(新宿駅南口)付近に

ホテルを探すのが私にはベストであった。


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あった。


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一本奥にある30年来のクラシックスタイルの旅館から

少年の目的地、渋谷まで明治神宮・原宿を通って歩いて行った。

懐かしいな。青春時代よくショッピングしに来た街だ。

少年もそのうちそうなるのかな。

何しろ若者の街だから、若者が多かった。

世代交代を感じた。

写真を撮ることが恥ずかしくなった。

今より昔を撮りたくなった。

ん十年も経った今、新鮮さがちょっと似ていた。

今写真を撮ると、昔の私が飛び出してきそうだった。

表参道の脇道を通うホンモノの青春クンからいうと

私なんかまだ若い方なんだそう。

もっともっと年上のイケオバとかイケオジってのがいて

歩いてるとめちゃカッコイイんだそう。

そうか。もうしばらく通えそうだな、大地の住人。


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私は表参道の脇道にある青春クンが通うヘアサロンでカットをした。

ファッションの街原宿だぜ!

すごく期待していったのだが、私の要望に合う髪型は

この機能的ないつものスタイルということに留まってしまった。

私のナチュラル剥き出しのハクハツカラーは

ファッションの街に違和感がないのかもしれない。

そうよ、ナチュラルカラーが私流ファッションなんだから。

サロンで見習う青年たちは

コミュニケーション力も見習い中のようだった。

オリーブオイルのことを積極的に聞いていた。

古着のリメイクジャージファッションが流行っていることを話してくれた。

私も若い頃はこうだったのかな。


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少年は、渋谷のスクランブル交差点に行きたがった。

これだ。

外国人がつくるニッポンプレゼンムービーに登場する交差点。

少年みたいにムービーで撮ってる人がいっぱいいた。

交差点を見渡せるSTARBUCKSは列をつくり

Fの特等席には順番待ちもしくは

座席中の他人の頭上で撮影が行われている状態だった。

確かに眺めていると小さな人間の粒が集まって突進して交差して

ミニチュアフィギュアのようでおもしろい。

人生のすれ違いを学んでいるかのようだった。

私は、この交差点の目に飛び込む大型ビジョンで

昭和天皇の訃報を知った。

黙祷しながら信号を何回か見送ったことを覚えている。



渋谷も原宿も新宿も六本木も銀座も

入るどの飲食店には満席なくらい人がいっぱいいた。


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六本木にあるコレクションを持たない国立新美術館

The National Art of Center, Tokyoに行った。

黒川紀章氏設計のカーブしたたガラスの積み重ねのエントランス

そしてロビーの吹き抜けはリッチな気分にさせる。

この開放感は、少年からすると手の届かない遊び場のようだ。

飛び跳ねても何も届かない。

エレベーターを往復し、空間を満喫していた。

ロビー脇にある北欧スタイルの椅子が並んでいる。

シンプルデザイン北欧家具好きにはたまらない。

サイズが贅沢なデザインは、リラックスからあえて遊び心が生まれる。

ウェグナーのシェルチェアーに座れるだけでもう満足。

私たちは9月2日までやっているフランス人アーティスト

クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展Lifetimeに訪れた。

集団、個、死、宗教、社会、想像、思考、遊び心、空間、表現

少年にも何か伝わったのではないだろうか

空間アートはおもしろい。


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私たちは、国立新美術館を見下ろすように

六本木ヒルズの展望台に上った。

あ、新宿都庁だ。前回あそこに上ったんだよ。

次回は東京タワー。その次はスカイツリーに上ろう。

大きい青山霊園をはじめ

ポツポツお墓付きの寺が街にあるのが妙な光景に感じた。

イタリアの教会みたいなものなんだろうけど

無機質な人工の街に祖先様の居所が不自然に思えた。

見渡す限り大小のビル。

こんなところにも住んでいるのか、真下には六本木高等学校。

ナポリのスパッカナポリのように道で街が真っ二つに別れている。

高速が街の上をくねくね通っている。

まるで未来都市みたいで

車が宙に浮いて移動しているように見えた。


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ヴィンチの丘から見渡す景色は

人工の街ではなく人工の畑だ。

ビルが木々一本一本のようだ。

東京はどんよりスモッグらしき層で街は覆われていた。

田舎は、覆われることなく天気に左右される。

ヴィンチは雨が2ヶ月降ってないそうで、カラカラしている。

どこかで雨が降っているだろう空気は流れているのに。

今日の夕日はまるで日の丸のようだった。




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クーポラを目指して Firenzedel mondo

白黒のピサ ESCHER

頭の中はシュルレアリスム Surrealismoa Pisa



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家族をおいて一人で旅立ち、三週目ぐらいであろうか
ちょっと家族とイタリアの生活が恋しくなった。
チャットで繋がってたって、全てがわかるわけではない。
ある日、夢をみた。
少年が私の背を超え、私が見上げて驚いてる夢を。
少年が青年となり、私に笑いかけているのだ。
なんだか自分が老いてしまったのか
ずいぶん遠くにいっちゃうような距離を感じた。
私はこんなにも離れているのか!
はっと目が覚めたけど、現実っぽい気がして会うまで疑っていた。
一ヶ月後、少年はちょっとだけ成長していたが
夢のような青年ではなく、ちょっとほっとした。
旅の間は、早く成長しろよと思うことばかりだったが。
少年は、友の親子と日本に到着した。
イタリアの14歳未満の未成年の少年は
一人では出国できない。付添人が必要である。
航空会社に依頼するか、信頼する人に委ねるか。
学校なんかで今の子は出国する程の
空の旅や海の旅の修学旅行なんかあるんだから
割と頻繁にあるようだ。
警察に出国許可を申請しに行ったとき
私が並んでいる列にはそんな親子が複数いた。
それにしても乗り継ぎを含む国を超えての空の旅である。
快く引き受けてくれたママ友親子に感謝である。
ただ連れてきてくれたことだけではなく
私の要望でこういう環境になっていることを理解してくれたことに。
いってらっしゃい、と。

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私には両親もいなければ兄弟もいない。
しかし、友がいる。
大切な友たちは、いつでも親身になってくれる。
長期滞在の拠点とさせてくれた友。
そう、私の要望で、あっちこっちを歩き回っても
ただいまーと言えば、おかえりーと迎えてくれた。
その高校時代の友は、娘のアトピーを治そうと食育を学んだ。
私が学んだ農薬の危険性や
なぜ無農薬や無添加を食べなくてはいけないのか
エコな暮らしの方法、情報やアイデアを交換する。
日々の幸せな暮らしを送る彼女たちの生活に
邪魔するように出入りする私は失礼極まりない。
生きている間に最良の恩返しができるであろうか。
私流でいいのであろうか。

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小学生の頃からずっと仲良くする友たちもいる。
お互いの進路を応援し、お互いの人生を励まし合ってきた友だ。
家庭を築き、子が成長し、子育てしながらちょっとずつ働いて
みんなが様々の人生を送っていても、どっか似てて
今回久々に女だけで会うと、話は遡ったり地元の話だったり
勿論子どものことだったり家族のことだったり。
本当の悩みは打ち明けないんだけど
ひっくるめた話をすることで私たちはちょっと一安心して
また自分たちの生活に戻る。
マキちゃん、マキちゃんと私の帰りと少年の来日を喜んでくれた。
ちょっとずつ変わる私たちの風貌でも
何十年も見てきた私たちの中身は変わらない。

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絶対に会ってありがとうと言わなきゃ。
でもグループが全員集合することはなかった。
なんでこんなに忙しいんだろうね。
年を取れば取るほど忙しく感じるのは私だけであろうか。
やることとやりたいことが相重なって、自由時間なんてちっともない。
きっとみんなそんな生活をしているのであろう。
私のオリーブ栽培なんかを応援してくれる友たちだ。
青春時代の友たち。
デザインを学ぶ傍らあっちこっちに興味を抱き共に行動し
あーでもないこーでもないと刺激を求めた友たち。
東京に暮らす友たちは、賑やかな新宿に集まる。
そういうわけで誰かしら用事があって欠けるのだが。
デザインを学んだ友たちは、どこか思考回路が似ている。
会い足りないと再び新宿で集合する友たちに
くぅぅぅ懐かしい・・学生時代のように
誕生日を祝ってもらい乾杯することができた。

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フィレンツェシスターズはアネキたちである。
東京に暮らすアネキは、旅する土鍋の作者である。
展覧会と制作とリサーチやレポートで多忙な作家活動の中
田舎暮らしのイモウトの私にキリリ東京を案内してくれた。
おしゃべりはヴィンチ訪問にとっておいて、東京を歩こう。
二人で東京を歩くのは初めてかもね!
そしてもう一人のフィレンツェシスターズは旅好きシスターズ。
香川県の実家では
私までふるさとに帰った気分のように迎えてくれた。
ノープランスタイルの旅は、その場のアイデアとハプニングが
まるでプランされた旅のようにおもしろくなってくる。
そんな旅をフィレンツェでも実家でも私たちは繰り広げた。
行き当りばったりのことに、私たちはびくともしない。
なんとかなるさシスターズ。

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ワイン&オリーブオイル会を主催してくれた友たち。
私が伝えたいことに興味を持ってくれ
友の友たちにも伝えなきゃと思ってくれた。
良いことだと思ってくれ、活動を共にしてくれた。
少しでも多くの方と共感できたことは光栄である。

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亡き母の友は、亡き母と私と少年が喜ぶよう世話をしてくれた。
些細なことでも手を差し伸べてくれ
不自由な短期の田舎暮らしでも不自由さを感じなかった。
先輩なのに年齢を感じさせない。
気持ちよくしてくれる姿は見習うところだらけであった。

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新しい友たち、出会った友たち
心配してくれた社長や平成の若者たち

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少年の成長と共に、日本語がイマイチでシャイな性格の少年
のお相手をしてくれた友の子たち。

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世代交代した叔父さん叔母さん
その側にいる同世代の従兄弟たち。

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みんなみんな迎えてくれてありがとう。
日本に家族がいなくたって
ただいまと帰れるふるさとがあって嬉しい。
ずーっとずーっとぐるぐると輪が回りますように
途切れることなく。

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夏もそろそろ終わりかな、日がだいぶ短くなってきた。
キュンとなった家族とまたワイワイケンカしたり笑ったり
静かな大地に我らの声が響いているではないか。
ヴィンチの丘は広大な空に沈む日が見渡せる。
これを家族と眺めることが私の日課なのである。


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「暑い。喉が渇いた。お水ちょうだい。」
梅雨明けの広島は暑かった。
お水、お水としつこいほどせがんだ少年。
この場に及んで・・・と腹が立つほどだった。
しかし、熱中症対策には水分補給が一番だ。
私にもある母心と大切な命と恵みの健康を維持するよう
二人で各々に水を飲んだ。

広島が見渡せる高台の神社に行った。
その向こうには、瀬戸内海とその浮かぶ島々が見渡せた。
様々な産物を生み経済が発展した瀬戸内海
島々のグラデーションが歴史を語っているようであった。

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トラムから降りて原爆ドームを目の前にするまで胸騒ぎがした。
しかし、廃墟を目にすると空虚な自分になっていた。
あんなにバクバクと胸騒ぎがしてたのに。
周りは都会と変わらないビルなんかが建ってて
写真を撮っても原爆ドームと現代が同時に写り
イタリアで暮らす少年への説明は目の前の記録だけであった。
イタリアの何百年前の廃墟と似ていたりもする。
少年は、何を思っただろう。
もう頭で理解するしかない。

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資料館の中は、暗がりに展示され涼しかった。
しかし、写真と語りを見れば見るほど、体の中は熱く込み上げ
私の小さな水分が粒となって溢れ出た。

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醜い戦争。
どうして戦争なんてすることになってしまったのか
どうして戦わなければいけなかったのか
どうして争う暮らしをさせられたのか
いつになってもまったくわからない。
どんなに説明されても、理解不能のままであろう。

この資料館は、原爆の恐ろしさについて語られている。
原爆の成功を収めるために
試験原爆があちらこちらで行われていたこと
原爆投下後、数年後そして次世に
私たち人間の命だけでなく、地球上全ての命に
この頃から私たちを含む生態系は崩れてきたのではないだろうか
と、感慨深く考えさせられた。

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この年にもなって知らないことばかりで恥ずかしくなるが
いろんなことを資料館で知った。
戦争の前も最中もちょっと後も
10巻のマンガ«はだしのゲン»を
フィレンツェの日本語補習授業校の図書館で借りて涙し
これは絶対に広島に行かなくては!と駆り立てられた。
そして、少年が中学生となり
じわじわと戦いと争いの歴史を学び始めた。

世の中でまだまだ国内戦争をやっている国がある。
そこから逃げ出す若者や家族がイタリアに渡ってくる。
こちらの大陸を夢見て泳げない彼らは航海する。
テロって何だろう、誰でも標的にされる。
小さな彼らの、理想を目指す社会への想いは
少しでも崩壊することが達成なのであろうか。
いつになっても私はわからない。

あっという間に命を奪われ、あっという間に生活を崩され
それは、自分の意志ではなく
勝利とか獲得とか満足とか
誰がなんのメリットがあるのか全く検討のつかない発想に
世の中の人々が巻き込まれることが
私は許せない。

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あっという間に失う命もあれば
はたまた温かく見守られる命もある。
日本の終戦記念日8月15日は
イタリアではFerragostoフェッラァゴーストという祝日で
聖母マリアが現世での生を終え、天に召されたことを記念する。
日本のお盆休みのように実家へ帰り大家族とワイワイ過ごすか
とにかくワイワイピクニックをしたりのんびり平和に過ごす日である。
私たち核家族は、マリアという名の義母のお見舞いに
グループホームを訪問した。
マリアの命には温もりがあるが、記憶の旅に出てってしまった。
今日はマリアの日だもんねと
御馳走を拵えてくれたマリアを見守る介護士さんは
マリアは食欲が旺盛なんだよという。
息子のことも忘れちゃったけど、おちゃめで幸せそうだった。
ピストイアのこんな山奥のグループホームなんだけど
マリアは山奥育ちだから嬉しいかな。
ランチの後はお昼寝の時間だそうで
私たちはマリアに挨拶をし、山を流れる川沿いでピクニックをした。
パニーニを頬張ると喉が乾く。
持ってきた水筒も飲み干してしまった。
川沿いのBarで水を買おうとすると
君たち喉が相当乾いているようだからお金はいらない。あげるよ。
・・・・・ 頭の中がグルグルした。
消え光る命、温かい命、成長する命 ・・・
冷たい川の水に足を浸すと
灼熱の光が心地よく感じたのであった。


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