大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:Passeggiata


「暑い。喉が渇いた。お水ちょうだい。」
梅雨明けの広島は暑かった。
お水、お水としつこいほどせがんだ少年。
この場に及んで・・・と腹が立つほどだった。
しかし、熱中症対策には水分補給が一番だ。
私にもある母心と大切な命と恵みの健康を維持するよう
二人で各々に水を飲んだ。

広島が見渡せる高台の神社に行った。
その向こうには、瀬戸内海とその浮かぶ島々が見渡せた。
様々な産物を生み経済が発展した瀬戸内海
島々のグラデーションが歴史を語っているようであった。

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トラムから降りて原爆ドームを目の前にするまで胸騒ぎがした。
しかし、廃墟を目にすると空虚な自分になっていた。
あんなにバクバクと胸騒ぎがしてたのに。
周りは都会と変わらないビルなんかが建ってて
写真を撮っても原爆ドームと現代が同時に写り
イタリアで暮らす少年への説明は目の前の記録だけであった。
イタリアの何百年前の廃墟と似ていたりもする。
少年は、何を思っただろう。
もう頭で理解するしかない。

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資料館の中は、暗がりに展示され涼しかった。
しかし、写真と語りを見れば見るほど、体の中は熱く込み上げ
私の小さな水分が粒となって溢れ出た。

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醜い戦争。
どうして戦争なんてすることになってしまったのか
どうして戦わなければいけなかったのか
どうして争う暮らしをさせられたのか
いつになってもまったくわからない。
どんなに説明されても、理解不能のままであろう。

この資料館は、原爆の恐ろしさについて語られている。
原爆の成功を収めるために
試験原爆があちらこちらで行われていたこと
原爆投下後、数年後そして次世に
私たち人間の命だけでなく、地球上全ての命に
この頃から私たちを含む生態系は崩れてきたのではないだろうか
と、感慨深く考えさせられた。

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この年にもなって知らないことばかりで恥ずかしくなるが
いろんなことを資料館で知った。
戦争の前も最中もちょっと後も
10巻のマンガ«はだしのゲン»を
フィレンツェの日本語補習授業校の図書館で借りて涙し
これは絶対に広島に行かなくては!と駆り立てられた。
そして、少年が中学生となり
じわじわと戦いと争いの歴史を学び始めた。

世の中でまだまだ国内戦争をやっている国がある。
そこから逃げ出す若者や家族がイタリアに渡ってくる。
こちらの大陸を夢見て泳げない彼らは航海する。
テロって何だろう、誰でも標的にされる。
小さな彼らの、理想を目指す社会への想いは
少しでも崩壊することが達成なのであろうか。
いつになっても私はわからない。

あっという間に命を奪われ、あっという間に生活を崩され
それは、自分の意志ではなく
勝利とか獲得とか満足とか
誰がなんのメリットがあるのか全く検討のつかない発想に
世の中の人々が巻き込まれることが
私は許せない。

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あっという間に失う命もあれば
はたまた温かく見守られる命もある。
日本の終戦記念日8月15日は
イタリアではFerragostoフェッラァゴーストという祝日で
聖母マリアが現世での生を終え、天に召されたことを記念する。
日本のお盆休みのように実家へ帰り大家族とワイワイ過ごすか
とにかくワイワイピクニックをしたりのんびり平和に過ごす日である。
私たち核家族は、マリアという名の義母のお見舞いに
グループホームを訪問した。
マリアの命には温もりがあるが、記憶の旅に出てってしまった。
今日はマリアの日だもんねと
御馳走を拵えてくれたマリアを見守る介護士さんは
マリアは食欲が旺盛なんだよという。
息子のことも忘れちゃったけど、おちゃめで幸せそうだった。
ピストイアのこんな山奥のグループホームなんだけど
マリアは山奥育ちだから嬉しいかな。
ランチの後はお昼寝の時間だそうで
私たちはマリアに挨拶をし、山を流れる川沿いでピクニックをした。
パニーニを頬張ると喉が乾く。
持ってきた水筒も飲み干してしまった。
川沿いのBarで水を買おうとすると
君たち喉が相当乾いているようだからお金はいらない。あげるよ。
・・・・・ 頭の中がグルグルした。
消え光る命、温かい命、成長する命 ・・・
冷たい川の水に足を浸すと
灼熱の光が心地よく感じたのであった。


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七、八歳離れた従弟が幼少の頃、よく私の家に遊びに来た。

当時従弟は幼稚園児だったと記憶する。

日曜日の朝、私も母もまったりと休日にどっぷり浸かり

床の中で長編らしき夢を永遠と見ていた。

私と母は、日の当たる私の部屋で、一緒に寝ていた。

私がベットで、母が床に布団を敷いていた記憶がある。

すると、従弟が我が家にやってくる。

二階にある私の部屋まで階段を上ってやってくる。音でわかる。

お母さん、Aちゃんが来たよ。

この日曜日も起こされたー。

もう少し遅くにおいでって言っといてよぉ。

階段の音が聞こえると、余計に布団の中にもぐって

気付かない振りをする私。昔から音には敏感だったようだ。

母は私には黙って、Aちゃんにおはようと言う。

きっと、そろそろ起きなきゃいけない時間だから

いい目覚ましだったんだと思う。今、よくわかる。

Aちゃんは、幼稚園児なのによく一人で歩いて来たもんだ。

Aちゃんの母も、よく一人で行かせたもんだ。

イタリアだったらありえないことだよなぁ、と大人になって考える。

Aちゃんは、叔母ちゃんのところに行く!と言い張るらしい。

Aちゃんは、我が家に来ると嬉しそうだった。

買い物にもついて来た。どこにでもついて来た。

私も母のことが大好きだったし、普段仕事でいないから

独り占めできる日曜日に、独り占めできなかったことに嫉妬した。

それは大人になってから気がついたことだけど。

母はもちろん小さいAちゃんを一番に持て成すから。

こういった気持ちはきっと兄弟や姉妹の中ではよくあることであろう。

私は一人っ子の空間暮らしだから

急に小さなお客さんの対応ができなかったのであろう。まだ青い。

Aちゃんは、私の母のことが大好きだったそうだ。

そりゃそうだ。そのまんま表現できたし

そうさせてくれ一人でも送ったAちゃんの母に

Aちゃんは幸せなひとときと幼少時代を送れたと私は想う。

それと裏腹に難しい時期突入の私は

人から好かれる母には誇りだが、あの嫉妬感は忘れられない。

今では、そういった嫉妬感を体験できて良かったと思っている。

Aちゃんは、いつもニコニコして小さい目が線になるほど楽しそうだ。

それからも小学低学年のAちゃんは

相変わらず我が家に嬉しそうに遊びに来た。

ある時、Aちゃんが小学五年生の頃

急に変わったのをよく覚えている。

目が線になるようにニコニコはするが

下向きな表情で無口になった。

Aちゃんも難しい時期に突入していったのであろう。

Aちゃんが中学生になって超難しい思春期に

大好きな叔母ちゃんは他界した。

下向きに泣いていたAちゃん。無口に泣いていたAちゃん。

その後、Aちゃんもだんだん大きくなってきた頃

母親を亡くしてしまった私の支えをよくしてくれた。

Aちゃんだけだった、従弟で力になってくれたのは。

Aちゃんは、私の母の代わりに私によく相談した。

母のような寛大なアドバイスはできなかったけど

母が私の青春時代までに残してくれた彼女の想いなんかを

記憶を振り絞って、私はお姉ちゃん振りながら言葉を代行した。


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少年が、その、今、難しい時期に突入し始めた。

まだ思春期まではいってないその手前だと思う。

私も動揺が隠せないほど、梃子摺ることがしばしばではなく

いっぱいある。ほぼ毎日もしくは悉く。

どうして今の子はスマフォを持つのであろう?

携帯電話を持ち始めたことが私からすると最近なような気がする。

その前は、公衆電話の時代で、電話の列をつくった。

待ち合わせには、自宅の留守番電話機能にメッセージを残し

外から留守電を聞いて、待ち人の遅れる理由をキャッチしていた。

イタリアでは、そんな機能ないから、人伝という方法を使う。

シスターズとギリシャに行くのに私はブリンディシの駅で

待ち合わせをした。何時にここの駅で。

昨日私たちはそういって別れたのではない。

私たちは別々にバラバラに一ヶ月旅行をしていたのだ。

シスターズがいた!電車の中から確認できたあの喜び。

シスターズはギリシャ後、別の友とエジプトにアテネから飛ぶ予定で

その友とアテネのインフォメーションオフィスで待ち合わせをしたそうだ。

その日のその時間、友は来なかったそうだ。

シスターズは、インフォメーションオフィスの人に

言付けを残して行ったそうだ。また何時ごろ来るからね、と。

そうしたら、友も同じことを考えたのであろう

インフォメーションの人からきちんとシスターズの言付けを受け取って

無事会ってエジプトに飛び立てたのである。すごい。


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少年は、小型タブレットでスマフォは持っていないし

通話ができるわけではない。Wifi機能でネット通話ができるぐらい。

だが、そうではない。問題は、ゲームをしたがるのである。

大人からすれば、もっとタブレットの使い方を学べば

いろんな世界が広がると期待していたのだが。


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少年の誕生日間近、やはり少年はいつもと違う日にしたいと言う。

掃除をして、新たな年を迎えよう。それには賛成のようだ。

私も、この機会をいいことに(!)掃除をした。

三日間に渡り、大好物の夕飯で持て成し

カウントダウン気分を味合わせた。


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当日、私はオリーブの剪定を休んで、ケーキ作りに専念した。

少年が帰宅した。

おめでとう!

今日は何したいの?

ゲーム2時間。

・・・・・・・・・。

いつもと違う日にしたいんでしょ?

今日は、お母さんの時間あげるよ。

お母さんと遊ぼっか。

何して遊ぶ?

バトミントン久しぶりにする?

だんだん顔がニヤけてきた少年。

少年は見て欲しかったことがあったようで、二人は早速外に出た。

自転車の手ぶら運転。何回拍手ができるか!

スケートボードの上達振り。

バトミントンはラケットが壊れてたから

本格的に力む紐付きテニスで対戦!

ビデオで録画して12歳を祝った。

日常的なようで実は非日常的な独り占めの時間。

他愛も無いことだけど、自分を見て欲しい

好きな人から自分だけを見つめて欲しい感は、大人だって同じだ。

どうだった?今日は楽しかった?

うん。ボク、幸せだった。お母さんと一緒に遊べて。

それは良かった。

独り占めできて甘えられて笑ってるお母さんとの時間は

何よりのプレゼントである。

この時間プレゼントだって、いつか変化していくだろう。

親から離れていく頃だからこそ

非日常的に見つめて欲しい一瞬かもしれないと私は想う。

私もそれを同じ頃に望んだ経験者ですもの。




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時間 ilmio compleanno

顔が変わった私 11°Compleanno

交換っこ会 Regaloa te a me



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ヴィンチ村から約5kmの隣村Cerreto Guidiチェッレート グイディ

には、メディチ家の別荘Villa Mediceaヴィッラ メディーチェアがある。

メディチ族のコジモⅠ世が1555

狩猟で訪れる・・或いは

ピサやリヴォルノ方面の旅中のお休み処として

グイディ伯のお城を住居風に仕上げたそうだ。

しかし、このお屋敷で悲劇も起こる。1575715

コジモⅠ世の娘イザベッラは嫉妬深い夫の手により暗殺される。

1738年、メディチ族消滅後プライベートのお屋敷となり

1969年、国に返還され、ミュージアムとして一般公開開始。

2002Il Museo Storico della Caccia e del Territorio

イル ムゼーオ ストーリコ デッラ カッチャ エ デル テッリトーリオ

狩猟と領地の歴史博物館とされ

狩猟器具やアンティーク家具などのコレクションを展示する。

壁には、コジモ系列のメディチの肖像画も

お貴族の別荘らしく実物大以上に飾られている。

庭園は、1800年代の様式に仕上げてあるそうだ。

2013年にはユネスコに登録され重要度高いミュージアムだが

館内見学無料で、質素にチェッレートグイディの丘に佇んでいる。

そこから眺める景色は、キラキラ光る湿地帯

Padule di Fucecchioパドゥーレ ディ フチェッキオへ鳥が飛んでいく。

傾いた日が沈むルッカ方面のアプアーネ山が見渡せる。

山のシルエットはうっすらとして雄大な山とは裏腹な姿を醸し出す。

きっと当時は、屋敷を囲む一帯はもっともっと緑に囲まれた

狩猟の場にはもってこいであったのだろう。

遠くまでも動くものが見渡せる、それほど静寂で静止した景色は

今もなお見渡すことができる。


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現在もこの辺では、イノシシや野ウサギ、ノロジカなどの野生動物

そして、キジやウズラなどの野鳥が生息する。

狩猟家はこの地域では自分らの畑の中で構えていたりする。

昔は、家畜よりジビエで宴を持て成した。

今こそ注目されるジビエの肉は

肥やされていない彼らの生きるための脂肪の旨みでできている。

七月のイザベッラの命日頃に開催されるイノシシ料理祭では

コテコテのジビエ伝統料理の祭りである。

イノシシこそ、この辺では多く、被害さえも出る。

狩猟たちは宴と糧のために、期間限定の狩猟に出かける。

事故にあった野生動物たちも食卓に並ぶこともある。

ブドウの収穫では、ジビエで収穫を祝うのが伝統だ。

私もそのジビエは、このヴィンチの丘で暮らすようになってから

美味さがわかるようになった。

狩猟とは野蛮なことのようで、実は家畜よりナチュラルだと私は思う。

家畜がなければ私たちは日々ジビエを追っていなくてはいけない。

もう少し住居から離れてやってくれるといいが

意外と近くでバンバン狩猟期には脅かされる。


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プロの服飾パタンナーのシスターズがコジモのマントをじっと見ている。

なんだか研究している様子だ。私もじっと見てみよう。

彼女は、コジモのマントのパターンを頭の中で描いていたようだ。

確かに、袖の辺りがフワッとしていてかわいらしいパターンだ。

いつか私も真似して作ってみようと思った。

当時の王室や貴族の服飾は

どうしてあんなにも複雑にできているのであろう。

首元にヨレヨレ、ヒラヒラがくっついていたり

男性がスカートみたいなキュロットをはいていたり。

ギャザーがいたるところにあり

布をふんだんに使っていた様子が伺える。

生地の柄も素敵だし、とにかくやっぱり全てにおいてゴージャス。

ボタン一つにしても。

私は、特に中世の靴が好きだ。どれも柔らかそうで履きやすそう。

シスターズがマントの次に、マントの毛皮の動物のことも言い出した。

あの毛皮はいったいどんな動物だろうね。


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入り口の扉から、傾いた日差しが入ってきた。

正面は南西向きのようだ。

その光にそそられ外に出た。

あ、もう帰らなくてはならない。

私たちは、約4kmの道を歩いてきたのだ。

日が沈まない内に帰らないと、道が真っ暗となり歩行者は危ない。

私たちはヴィンチ方面へ向かった。

途中、素晴らしい夕焼け空で

丘の上のコジモの館がシルエットになっていた。

私たちはまるで野生の動物のように暗がりになってきた道を急ぐ。


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シスターズはマントの毛皮が気になっていたようだ。

あの毛皮のマントは、当時の流行だったようで

位置付け的にもあの柄のマントが使われていたようだ。

あの毛皮は、イタチを使っていたようで

黒い点々は、尻尾の先の部分らしい。

ということは、いったい一着のマントを作るのに

何匹のイタチがつかわれたか。

メディチ族は、労力も動物も全て我が物だったようである。




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ヴィンチの七月 Eventa Vinci

暗闇のトラクターショー Trattored'epoca

みどりストリート StradaVerde da Vinci


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ある晴れた一月のこと

フィレンツェシスターズは、ヴィンチの我が家に二人ぽっちとなり

車も無く、村まで出るのも歩くしかなかった。

それじゃぁ、ハイキングしよう。そう決めればいいのだ。

少年と歩く我が家からの赤白マークのハイキングコースを通って

ヴィンチ村まで行き、村の外れからまた赤白のハイキングコースで

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家まで歩いて行った。

シスターズ、歩くの速い!

もう少しゆっくり歩いてくれぇ。

シスターズのご主人もハイキング好きで

二人はいつも歩いているそうだ。慣れってスゴイw

しかし歩くのが速くても、私たちはアレ見たりコレ見たり

立ち止まって観察したり、写真撮ったり、時間は同様にかかる。


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このハイキングコースは、車では通れない。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家まで、車で行けるが

なんてことないヴィンチを観光するなら

歩かなくては面白味が嗜めない。

そして、このStrada Verdeストラーダ ヴェルデ

(みどりストリートとでも訳そう)の途中には

環境保護団体がボランティアで道を舗装した

レオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けた堰まで行ける。

森の道を舗装するとは、危険な枝を通りに沿って切り落としたり

崩れた段々になっているオリーブ畑の石の壁を修復することである。

その修復技術を無料でレッスンも行われていた。

この石の壁は、Muratura a seccoムラトゥーラ ア セッコと呼び

セメントなどの接着術を使わず
石だけで積み重ねていく土留め技法である。

だから、再び崩れやすいが、これこそ古風なやり方で

ある意味環境保護なのである。

私は、ヴィンチの環境保護グループに参加しているので

フェイスブックなんかで、彼らの様子を伺っていた。

私も紙の作品をつくるとき、接着剤を使わない方法をよく使うから

簡単なようで難しいことが伝わってくる。

まるで立体パズルのようだ。私はこういうの好きかもしれない。


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堰がある小川の方は、やはりヒンヤリしている。

夏にはもってこいである。少年とある夏に来た

Pescaia del Mulino della Doccia

ペスカイア デル ムリーノ デッラ ドッチャ

ヒンヤリらしくヒンヤリした森の植物が

細い木漏れ日に向かって空気を吸っているように見える。

木々で覆われ、彼らの吐息が充満しているようだった。

すると、妙な鳴き声がする。

フィレンツェシスターズは足を止め、鳴き声がする方へ目を向けた。

木々と木漏れ日しか見えない。

そのまた奥にいるようだ。でもすごく近くにいるように聞こえる。

見えなくていい。ミステリアスぐらいな方がおもしろい。

どんな動物なんだろう?と想像を掻き立てる。

動物なのか鳥なのか。

森を歩くと、全てが共存していることを、足から頭まで感じる。


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また戻ってみどりストリートの緩い傾斜を上って行く。

その道は、オリーブ畑を横切っていくような道になっている。

辺りは、そういうわけで、オリーブだらけ。

私は何度歩いてもそこにある同じオリーブを観察してしまう。

散歩のときもドライブのときも

オリーブの樹形いわゆる剪定術、病気などを観察するのである。

あれ、いつものオリーブ畑が何か違う。

もっとオリーブが広がっていたような。

そこのオリーブはバッサリ根元近くから剪定されており

根元から生えてきた若く細い将来の幹を二本ずつ残してある。

おぉ、これでいい、これでいい。

ここは確かRognaニャ(カサカサ病)がたくさんあった畑だ。

ほとんどの木が病気で汚染されていたから

このくらいの勢いで剪定しなくては、ウイルス菌は蔓延してしまう。

蔓延してしまえば、私は味にも障害がかなり出てくると思うし

まずは木が枯れてしまう。

生産可能になるまでかなりの時間がかかるが、仕方ない。

農園であれば、多少補助金が出るようなことも聞いたことがある。

この勢いの良さに、私は嬉しかった。

私もきっと同じ方法をとっていたからである。

私は本来生まれたオリジナルの枝や幹を残して、生存させたい。

それが一番自然に近い形なような気がするからである。

ブドウもそうだが、台木となる根っこの気と接木された木は

品種が違っても育つ。

仮母?義母?育て親?

接木は、私生児か?

レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才私生児もいるから

接木の中には、才能のあるオリーブが生まれるかもしれない?!

それが目的の、接木技法なのである。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの生家で、私は結婚式をしたのだが

夫の家族ぐらいしかいなかった式の中に、シスターズもいた。

彼女も懐かしそうだった。

当時、搾油所であった生家の下の階は、行けなかったはず。

当時、現在チケット売り場になってる生家の横は

人が住んでいたように記憶する。

現在は、完璧に修復され、公衆トイレもある立派な観光の場

となり、レオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとというより

昔の家を修復した新居みたいな新築覚まで思わせる。

新築された生家では、ビデオなどの解説がある他

展示室もあるが、残念ながら日本語はない。


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同じみどりストリートを通って帰る。

行きと帰りのパノラマが違うことに気がつくであろう。

行きは、モンタルバーノの山へ向かって

帰りは、ヴィンチ村へ向かうのである。

まさにオリーブに挟まれているように見えるヴィンチ村の景色は

このみどりストリートでしか見ることはできない。

行き30分、帰り30分程度の難易度★の簡単コース

是非是非絶対歩いてほしい!

のんびり歩くなら、パニーニ持参でね。


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2019年は、レオナルド・ダ・ヴィンチの死後500

レオナルドが歩いた各地で様々なイベントが催される。

私はなるべくヴィンチ村とその付近のイベントを紹介できたらと思う。



イタリアでは、道路を自転車で何キロも走りまくるスポーツが盛んで

Giro d'Italiaジーロ ディターリアというサイクリングレースが行われる。

511日にボローニャからスタートし

512日にボローニャからFucecchioフチェッキオ入り

そして、513日ヴィンチから出発しOrbetelloオルベテッロに入る。

この1213日の二日間は

まさしくもレオナルドの死後500年を祝うコースで

我が近所をグルグルレースするそうだ。

我が家のパノラマコースもレースコースだ!これはスゴイww

その記念すべき小さな村ヴィンチでは

Uomo Vitruvianoウォーモ ヴィトゥルヴィアーノ

(ウィトルウィウス人体モニュメント)の広場は

Giro d'Italiaのシンボルカラー

ピンクのライトで照らされるのだそうだw

Raiというイタリア国営放送もやってきて

それはそれは大騒ぎの二日間となる。

レース好きにはたまらない期間となるであろう。

どうりでここ数年、自転車のグループがスズメバチのように

ブーンとグループで走っていると思ったら、練習していたのであるw

最後21日目は、Veronaヴェローナがゴールだそう。

関連サイト≫≫≫ヴィンチの市役所La Gazzetta dello Sport
サイクルスポーツ.jp




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レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰 Pescaia del Mulino della Doccia

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 Casa Natale di Leonardo

オリーブのウイルス菌対処 Potatura degli Olivi ③


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今日は、ヴィンチ村にある二つのミュージアムの内

チケット売り場のある方Palazzina Uzielliを紹介しようと思う。

そこで、ミュージアムのことをネットで日本語検索をしていたら

おもしろい、どのガイドさんも訪問者も

ヴィンチ村の紹介がたった1ページで

村は小さすぎて何も見るところがない

と書かれていることであったww

しかし、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが育んだ才能は

この大自然の中で複雑な家庭環境にも関わらず

彼の周囲への観察眼や洞察力を養わせたのだろう

と訪れた誰もが気付くこの自然環境は

レオナルドの足跡をなぞるように

一度歩いて同じ風景を見ることに満足しているようだ。

私も少年も、ヴィンチの村民ながら

何度歩いても発見のある四季折々の山道は

私たち村民の自慢の故郷なのである。

毎日眺めていたからこそ、彼の作品の背景には

故郷の一部を表現しているのではないだろうか。

私も少年も、想像をしながら風景を描くとしたら

この毎日歩いている山道と景色であろう。

ヴィンチ村へは半日トリップで紹介されていることが多いが

時間に余裕のある方は、是非とも

子どもにもわかるよう展示されている博物館の見学をじっくりと

そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの生家までは歩いて欲しい。


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さて本題のPalazzina Uzielliパラッツィーナ ウツィエッリでは

歯車を画期的に利用した建築現場用クレーン

主にフィレンツェの大聖堂クーポラでは大活躍したそうだ。よかった。

イメージビデオなどでわかりやすく原理を紹介している。

このクレーンのおかげで

時間の節約になったことは計り知れないであろう。

そして、建築材料の他、クーポラで作業する職人の

食料も運んでいたそうだ。これは、楽しいランチデリバリーである。

クレーンに似たような原理から、布織機や糸紡機の紹介

どれにも共通する歯車は、時計の発明にも活用される。


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二階へ進むと、解剖学のコーナーがある。

それまで、死体を解剖することは宗教上禁じられていたそうだ。

そこでレオナルド、世界初の解剖を試みるわけである。

仕組みがわからなければ病気も治せない。

解剖は医学に大いなる貢献であっただろう。

彼の追求心というのは

誰でも持っているものでもなければできることでもない。

そしてこれらの手稿とドローイングこそ、次なる発展だったのである。

かの有名なウィトルウィウス的人体図

(Uomo Vitruvianoウオーモ ヴィトゥルヴィアーノ)

プロポーションの法則とか人体の調和と呼ばれているそうだ。

さらに自然との融合という試みの基礎となる作品なんだそうだ。

そして、医学の人体の比率以外に建築論からきていることもあり

この人体図は空間や機械を構成する上で

大いなるものさしになったに違いない。


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本物こそ何もないヴィンチ村のミュージアムだが

レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡と風景そして作品の誕生の解説

それだけでも十分に訪問する価値はあるであろう。



2019年レオナルド・ダ・ヴィンチの死後500年が経とうとする今

彼のふるさとヴィンチは何が変わったであろう。

想像しただけでも、ふるさとは大した変化はないように思う。

しかし、彼の残した発見は世界を大きく変えた。

そのふるさとをなぞりに多くの訪問者は

素朴なふるさとにほっとしているであろう。

私もほっとする。

何年も同じ山から同じ丘から、同じ夕日を今日も眺めたいと思う。


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レオナルド・ダ・ヴィンチ死後500周年を記念するイベント情報(イタリア語)
トスカーナ内
イタリア国内



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レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 Casa Natale di Leonardo

レオナルド・ダ・ヴィンチが工夫した堰 Pescaia del Mulino della Doccia

レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡 Vinci- Bacchereto



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