大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

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ブドウとオリーブ栽培を
ヨーロッパ基金を使ってトスカーナ州主催の
農業士養成講座の最終試験が
2014年の初夏だった。

その前からぼちぼち
近所の農園のブドウの収穫の手伝いや
自分チのオリーブでオリーブオイルを
搾りだしたりと
興味を持たずにはいられなかった。
そんなところに住んでいる。

小さな息子を連れ歩いて
講座を受けたり、農園の畑仕事を手伝った。
目の前にある資源でしか
私は働けなかった。
そのぐらいの能力しかなかった。

でも日本人で
イタリア文化のブドウやオリーブ栽培を
無料で学ばせてくれたこと
最終試験に合格できてスキル証書も
いただけたことが誇りにおもえるようになった。

経験を積めば積むほど
興味を持てば持つほど
知識や情報が増えていった。
こだわりさえもうまれた。

それと、有機栽培、バイオダイナミック農法で
造っている農園と最初から出会ったことが
作物への労わりの気持ち
自然との共存の認識が
ただ自然が好きという以上に
自分化していった。

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この十年間、気候が著しく変わった。
身にもって感じるほどだ。

2014年の9月、トルネードが
ヴィンチを襲った。
家も車もボコボコにした直径8㎝大の雹が
黒い空からいっぱい落ちてきた。
ブドウの収穫をしている最中の農園は
血だらけになる作業員もいた。
まだまだこれから収穫する農園は
あっという間にブドウが消えた。

オリーブもボトボト落ちていく上に
そういう急激な冷たい石にあたって
オリーブの木が病気になっていく畑が
ほとんどだった。

嵐のあと48時間以内に消毒液を散布しなくては
その病気を防げないが
オリーブの木にまで気に掛ける余裕は
ヴィンチ住人には少なかっただろう。

私が早速管理しはじめたオリーブ畑は
ご近所の農園が散布していたので
ついでに、お願いして散布してもらった。
オリーブの実はないのに。

そのあと、剪定で対応できるところは
剪定でゆっくりゆっくり治していった。

寒波が三月にやってきた年が
この十年で二回もあった。

寒波にやられたブドウの芽は
樹液を凍らせパリパリに枯らした様は
ミイラのようで異様だった。

寒波に耐えられなかったオリーブの木だって
私は目の当たりにした。

もしくは、10月の温暖で
オリーブミバエが大量発生というか
一気に産卵しまくった年。

毎年の猛暑。

毎年、干ばつだったり大雨だったり。

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2023年のヴィンチのオリーブは
凶作に終わった。

トルネードに襲われて
オリーブが落ちたのではない。

去年、十年間ではじめて大豊作だった
ヴィンチのオリーブ。

そこで生まれた種たちは
未来を指令した。
エネルギーの消費を控えろ。

私たちのことではない。
オリーブの木自身でコントロールしているのだ。

私が管理しはじめた畑では
化学肥料を与えない。
刈った草や落ちた葉が
彼らの肥料だ。
猛暑や干ばつで地面が割れ
そこに恵みの雨が入っていく。

木は自力で養分を探しにいく。

虫たちと共存し
生まれ食べられ
土に排出したり還っていく。

こんな方法が有機栽培だったりするとおもう。

だから、私が管理したオリーブの木々は
この十年間で、身体が洗われたはずだ。

抗体をもち、治癒力が身についたはずだ。

私ができることは、剪定をして
日の当たりや風通しをよくすることだった。

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私は、こういう実は貴重な体験を
SNSで写真を、文章でブログを
どこかの誰かが参考になるかな、とか
ヴィンチの四季の色は私の癒し
シェアしたいと想い
記録として残しはじめた。

すると、興味を持ってくださる方がいた。
世界から多言語で声援のコメントをいただいた。

私がこだわるオリーブオイルに
興味を持ってお声掛けしてくださることも
増えてきた。

はじめのうち、友たちに味わってもらっていた。

リクエストが増えることで
私の管理している畑だけでは
賄えなくなってきたこと
私がいちいち全部勉強しなくても
正式に日本へ輸出する方法は
日本行きオリーブオイルの監修を
ヴィンチの農園にかってでて
日本の輸入業者さんに依頼することだった。

ヴィンチの農園は、日本行きには嬉しいけれど
私がオリーブの栽培や収穫方法、搾油所を指定
フィルターの指示、瓶詰、キャップ、汚れ、梱包
さらにはラベルデザインまでオリジナル
それはそれはうるさくて面倒な
日本人だったとおもう。

日本の、オリーブオイルを専門に
輸入されている業者さんは
パンチが強すぎて、値段が高い
トスカーナのオリーブオイルは
日本では人気がない
と散々言われ続けた。

トスカーナ独特のオリーブの品種は
変えられない。
収獲日を遅らせることで
苦味を抑える方法を試みていた。
が、
オリーブオイル文化ではない日本人の舌に合う
後味の辛味が抑えられた
シチリア産やプーリア産のような
オリーブオイルにはいかない。
むしろそうなってはいけないし
トスカーナのオリーブオイルは
トスカーナ料理にあった
苦味と辛味が必要なのだ。

そしてさらには、ロシア戦争で
石油を筆頭に何もかも値上がりしたこと
生産側も同価格では生産できなくなってしまった
輸入側も何倍もの空輸代の高騰で元が取れない。
困った。。。

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近年の異常気象で
農作物の生産が安定しないこと

生産・送料の値上がり

今後のトスカーナオリーブオイルを
正式にご紹介していく自信がなくなってきた。

2023年のヴィンチのオリーブオイルは
オリーブの凶作で、断念することを決意した。

だいぶ日本風に慣れてきたA農園に連絡すると
多少のオリーブは生産できているということだった。
私は、日本の輸入業者が懸念していたので
オリーブオイルの監修を追っていなかったが
やっぱり監修をしていないと
自分たちの搾油所で搾油してもらう
ということだった。

そこの搾油所はヴィンチでも大きく
搾油量を重視する傾向にあるので
搾油時の温度が高い。

私にとって、搾油機はとても重要だ。
いかに成分たっぷりで濃厚なオリーブオイルを
高品質に抽出するには
ソフトに攪拌して
低温でオイルを抽出し
高性能に水分と油分を分ける
できたら、すぐにフィルターにかけ
劣化成分を即除去することなのだ。

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今年は、我が家のオリーブは
B農園と混ぜてもらうことにしたので
そのB農園のはたまた別の
丘の上にある搾油所で搾油してもらった。
が、私が指定する搾油所ではない。
何℃で搾られているかも
どんな機械かもわからない。
でも昨年その搾油所で搾油して
ローカルな範囲でのオリーブオイルコンテストで
このB農園は優勝したみたいなので
上手に絞ってくれるのだろう
そのぐらいの信用だった。

我が家に持って帰ってきたオリーブオイルを
プロがやる風に生で試飲する。

ん?
香りはまぁある。
口にふくんだときの苦味はあるけど
辛味が足りない!
後にも、のど越しの辛味が残らない。
どちらかというと、こういうのを
日本のオリーブオイル輸入業者に求められていた
日本人嗜好なのかもしれない。
でも、トスカーナらしさはちっともない。

今年のオリーブがそうなのか
私の愛用搾油所ではないからなのか
よくわからない。
けど、異常気象だったオリーブのストレス具合
だとしたら、わかる気がする。

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つきまして、繰り返しますが2023年収穫の
ヴィンチのオリーブオイルは
残念ながら、ご紹介することを断念いたしました。

以後の予定は未定ですので
引き続き、ゆるりと発信しているブログやSNSを
チェックしていただけると幸いです。



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最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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近頃、じっとした体勢で
手だけを動かす作業をすることが多い。

だから、身体がとにかくなまっていくので
ウォーキングを週末に
平日はストレッチングを
心がけるようになった。

その心がけをやろうと思える余裕も
近頃もてるようになった。

それでも相変わらず左肩は
痛いし上がらないしねじれない。
節約しながらの国民保険(ASL)を使った
検査と検診と治療を選択しているので
時間はかかるが
手先の作業には問題はない。

この手先作業の仕事を
イタリア人にもまれながらやりはじめた頃
歳的に人生経験はあっても
仕事内容も大勢のチーム関係もはじめてだ。
この歳で毎日が緊張の日々だった。

苦手なヤツらは
人の悪口言うヤツ
仕事も好意も文句言うヤツ
いい歳こいて嘘をつくヤツ
自分ばかり喋るヤツ

そういうヤツらに気をとられなければ
私は冷静でいられるし
余計なこと言って変な環境つくるより
だったら黙ってた方がいい。
でも大人だからタイミングをみながら
向き合わなければいけない。
話し過ぎもダメだし
ずっと沈黙過ぎてもダメ
うまくつきあわなければいけない。
こういうところで自分のもつささやかな
コミュニケーション能力を発揮させなければいけない。

そういうのが少しずつ慣れてきた様だ。
そういう環境に疲れなくなってきた様なのだ。

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11月2日木曜日の17時頃から22時頃
ちょうど帰宅時間で夕飯時間だ。

あの日、物凄い大粒の物凄い量の
雨が降った。

私はスーパーで買い物をしていて
大雨が降ってきたなぁ
少し収まるまで
わざとゆっくり買い物したぐらいなのに
一向に収まらない。

待ってても仕方がなさそうなので
勇気を出して車を運転しはじめた。

時速30㎞だろうに
大粒と大量過ぎて前が見えない!
川の氾濫どころか雨水がどんどん溜まって
既に洪水状態...

私たちは丘の上に住んでいるが
丘に辿り着くまでには
平地にある道を通らなくてはならない。

私が帰ってきた時間はまだ
溝もどぶも平地からの雨水は
あふれかえってなかった。

しかしあの日、家の族の男子たちを
また街に迎えに行かなくてはいけなかった。

奴らは、大きな建物の中にいたから
物凄い大雨が降っている状況がわからない。
のこのこ20時頃電話してきやがった。

私はそれまで
家の中の雨漏りの対応に追われていた。
地盤が緩んだのだろう
家が少し沈んだようだ。
接続部分に亀裂が入っている。

私は、一か八かで運転しはじめた。
しかし、丘の上でも大雨と
ブドウ畑から流れてくる雨水で
丘の道さえも洪水状態で
私も車も台無しにするのは御免だ。
お前らは、街に残ってろ!

結局、義弟の車体の高い車で送ってもらって
帰ってきた。
義弟も家の族男子も無事だった。

丘の上だから雨がやめば水は引いていく。
家が崩れ落ちていかない限り
丘の被害はそうなかった。
平地の方の被害はよくわからない。

各地に住む思春期青少年の友チャットで
回ってきた映像に愕然とした。
あれからSNSでもいっぱい目にした。

思春期青少年が通う学校の地域は
そう被害はなかったようで
休校にはならなかった。
が、道中での被害や交通混乱
川が氾濫した地区の学友たちを想い
自粛させた。

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あんな怖い思いをした台風でもない大雨は
はじめての体験だった。

それでもときどき秋晴れとなり
ブドウの葉は秋色に変わっていく。
葉は透けだして
ブドウ畑が雨上がりでキラキラ黄金になる。

私は、今また無事でいられることに感謝し
秋晴れを歩くのだ。

歩いてストレッチをして
やってないより体の調子はいい。
肩が不自由なのが悔しいけれど。

今週もがんばろ。









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2023年、オリーブは実らなかった。

我が庭のボスのようなオリーブの木の下で
内側からパラパラあるオリーブを眺めながら
今年を振り返った。

自分の2023年も振り返ったり
家族の今年も振り返ったり.....

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2023年の春
イタリアの各地で洪水となるほど
雨が降った。

ブドウの木はカビの病気になったり
そのときから不作が予想された。

春、異常気象となると
果実の芽生えや開花や結実
さらには病となり
なかなか子だくさんとはいかない。

ヴィンチの旬の果物が
全然食べれなかった年だった。
たまに手にする果物は
ローカルなものはなかった。
スペイン産だったり
南イタリア産だと安心したり。

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ヴィンチのオリーブは
昨年度が豊作だったので
今年は不作の予想はしていたはものの
こんなにひどいとは予想外だった。

今年の異常気象だけが原因ではない。
もう果実を生む指示は
そのまえのオリーブの種のチカラ
指示をしていると、とても興味深いデーターを
農業講座で習ったっけ。

だからここ数年の異常気象に
オリーブたちは制御しているようなのだ。

オリーブは、ヒトのマーケットなんて関係ない。
去年いっぱい生んだから
今年は去年の分でなんとかやって!
みたいなノリだ。

去年のオリーブオイルがまだまだあるし
オリーブオイルの保存と管理がきちんとしてれば
開けるたびに、いい香りが鼻に入ってくる。

我が家のマイオリーブオイルはこだわって
搾油後すぐフィルターに通している。

フィルターに通すことで
酸化を速めてしまう不純物が取り除かれ
安心&安定で長期保存ができるのだ。

フィルターで漉されていないと
酸化して味がどんどんかわっていくので
同じように保存しても賞味期限が全く異なる。

本当のオリーブオイルの美しい味とは
私はフィルター後だとおもっている。

そういうことを知らない
オリーブ文化の国イタリアの民だって
そういうものだと思っていたりするので
興味を持って学ぶことは大切なのである。

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私は腕を痛めた。

さらには、毎日イタリア人にもまれながら
別の形で食品業に精を出している時期だ。

そして、オリーブ不作。。。

夫にできる分だけ収穫させて
お馴染みバイオダイナミック農法の農主の
収獲されたオリーブに混ぜてもらうことにした。

オリジナルオリーブオイルではなくなるけれど
オイルになる実を放っておけない。。。

だから農主のプログラムで収穫をする。

農主は派遣労働者に数人来てもらって
わーっと収穫してその日に搾油所に持っていく。

収穫後、早ければ早い方がいいけれど
48時間以内だったら、そう変わらないと
データーが出ていると教わった。

だから農主のプログラムに合わせた日に
収獲して、次の搾油日の日に
また私たちも収穫するのである。

10月27日の段階で
オリーブオイルの搾油率
11,5%だったそうだ。...低い。

実が少ない上にオイルの抽出量も少ない...

私たちは、あともう一回ぐらいの収穫。

残った黒オリーブは、塩漬けに
あえてとっておこうとおもう。



よく読まれています。
EVOオイルとは Olio Extra Vergine di Oliva



イタリアでブドウやオリーブ栽培を
学ばせていただきました。
カテゴリーオリーブ OLIVI より
当時の気持ちや状況を盛り込んで
貴重な体験を綴りました
エッセイPhoto Blogです。
もしよかったらお時間のある時に
どうぞご覧ください。
何か参考になることがあれば
これ幸いです!

Instagram @obatamakivinci @realmakici


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私にはたくさんの友がいる。
会わないけれど、心は繋がっている。
会わないけれど、会ったときはまるで
昨日もしくは一週間ぐらいしか経っていない
そんな気持ちで久しぶりなのに
久しぶりに感じない。

来月30歳になるという
シチリアからトスカーナに引っ越して3ヶ月
パレルモ近郊ど田舎育ちのシングル女子と
仕事をした。

今の若い子たちは、人種差別があまりない。
きっと学校では普通に
様々な人種が通っていたに違いない。

だから、へたによそよそしい大人より
若い子たちの方が私は
話しやすかったりする。

話をしているとやっぱり若く
彼女たちの今とこれからを想像して
ワクワクするし楽しくなる。

とりあえず人生のアドバイスをするが
ひとそれぞれの運命を追いながらの人生だ
アドバイスなんかじゃない
結局は、私をなんとなく見て知ってもらって
印象に残ってくれたら嬉しいとおもう。

友だちがまだいない、ということだった。

だから、友だちの話をした。

友だちって
会わなくても友だちでいられることが
友だちだよ。

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ある食品会社の仕事が一段落したが
また近々一緒に仕事がしたい
ということだった。

私はあまりグループに馴染めてないかな
と、思っていたけど
自分をもっていておどおどしてないところは
誰かがやっぱりみつけてくれていた。

彼女たちは、とにかくおしゃべりで
私とは正反対だ。
私だって話すときは話すけれど
私は、時を待つ。急がない。
なんせ、仕事中ですもの。

出荷が終わって穏やかな時間、そうやって
シチリアシングル女子と語り合ったり
はたまた長年のベテランと話す間があった。

性格の明るいベテランは、私たちの会話に
「何話してたの~」私も入れて~
みたいに入ってきた。

ベテランなのに
ピリピリしてないところが好き。
同じ歳で
一人息子がいるところなんかも同じ。

息子さんは18歳で
高校5年生で最後の年だ。

ベテランの息子さんと一度だけ
ちらっとお会いしたことがある。
素直そうな青年だ。
あの時確かに
わーと私を見ていたのは覚えている。

帰宅後、息子さんはお母さんに
「あの人と一緒に仕事してるの?」
と聞いてきたそうだ。
「そうだよ。」
「へぇ、かわいい人だね!」www
「あの方ね、普段話さないんだけど
話すときは、正しいこと言うのよ。」
...なんていう会話をしてくれてたのだ。
嬉しい!

という話をしながら、私が口をあけるときは
人が話を聞いてくれるときだよ
という話をした。
「確かに、あなたは人の話よく聞いてる。」

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静かに働く私になったのは
今にはじまったことではない。

イタリア語ができるできない
もあるかもしれないけれど

誰もいない大地でブドウやオリーブ
空や虫と共にした空間の心地よさを
知ったからかもしれない。

ううん、それだけじゃない。
もともとは、日本で体験したことだ。

学生を卒業して、初めて入社した
横浜の木工会社の影響が大きい。

その木工会社には
聴覚障害者が数人働いていた。

彼らは、聴こえないし
自分の声が聴こえないから
声にして話さない。

彼らと話すときは
私も声にして話さなかった。
目だけでもしくはジェスチャーだけで
遠くからも合図し合ったり
あるときは笑い合ったりもした。

目が合うと、いつもにっこりしてくれた。

怒ることもあるだろう
でも怒鳴ることはできない。

ちょっと通じ合えないとき
寂しそうな顔をして諦める様子だった。

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私は当時21歳だった。

私は、彼らと一緒に仕事ができたことが
一生の宝となった。

言葉を大切にしようとおもった。

どんな人とでも言葉と目で会話をしよう
とおもった。

話を聞こうとおもった。

考えようとおもった。

答えようとおもった。

にっこりしようとおもった。

静かに生きようとおもった。

全部表現できなくたって
普段の姿勢で表現できたらいいのではないか
とおもった。

きっと彼らは
私がこんなにも刺さった出会いだとは
思ってもいないかもしれない。

私は、わざわざ出会う人ごとに
この体験を語ろうとはおもわない。

私は、彼らのような姿勢と私にできること
両方を表現できたらとおもいながら
個人や団体と接しているのだ。

それと
私は、今この仕事のやり方で生活をする
と決めた意志が、どんな環境でも
おどおどさせないのかもしれない。

それと
人生の経験を積んできた
年齢というのもあるのかな。

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息子関係の話をしているとき
未成年の思春期時代って
なんにも怖くなくって
未来のことなんかちっとも想像できなくって
今が楽しくって、親が守ってくれてて
先進国の人だったらみんなそうだとおもう。

ある人は、あの時に戻りたいと言う。
ある時私も
同じことを言っていたような気がする。

でも今は、戻りたいとはもうおもわない。
うっとり思い出して楽しむのがいいな。
だって
こんな大変な人生がまっているんですもの。

戻らない代わりに
一日一日を大切にしようとおもった。

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今年は、ブドウの収穫が手伝えなかった。

収穫前に摘みに行ったブドウたちは
元気なヤツとそうでないヤツがいた。

変な気候だったけれども
がんばってるヤツはすぐわかる。
味を濃厚にして、輝いていた。

彼女たちをみて、また勇気がでた。




今日のTrailer





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私たち夫婦はよく口喧嘩をする。

夫がいつもイライラしてなんでも否定するから
と私はおもっているけれど
きっと夫からすれば
私が彼らを信用しないでいちいちうるさく言っている
とおもっているに違いないし
そう私たちは言い合っているので知っている。

理由は、だれもがわかっているのに
何故、お互いなおせないのだろう。。。

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よく怒る人、よく騒ぐ人
聞こえるように自分の文句を言っている人
汚い言葉を簡単に使う人

イタリア人にあるあるで
いろんなところで似たようなタイプの
男性にも女性にも出くわす。

夫も典型的なあるあるタイプだ。
もうちょっと落ち着いてくれないかなぁ
と、夫にもおもうし、出くわす人にもおもう。

何が不幸せに怒りとかイライラとか
感情をむき出しにさせるのだろう
と、客観的に考えてしまう。

私だってイライラするけど
人に怒りたくなることは少ない。
そうならせた環境にムカつくことが多い。

イラついても騒ぐことはないけれど
家族を見守って待っている私は
質問攻撃になってしまうことが多々あって
自分だったらこうするあーすると彼らと違うところで
口喧嘩が勃発してしまう
そう、経緯だってわかっている。
 
夫とは口喧嘩となるが
思春期青少年とは口喧嘩になる前に彼は逃げていく。

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しかし、私が我に戻って冷静になれる武器は
広大な空をみることだということを知っている。

我が家には、空が上ではなく
目の前にある。
窓をみれば、外は空だ。

人がおもうように動いてくれないのは仕方がない。
自分はひたむきに一生懸命やっているつもりでも
何かに欠けて、うまく社会についていけないとき
が、一番悔しい想いになる。

そういうイライラしたとき
私は、目の前の広大な空をみると
モヤモヤが一瞬去っていく気分になるのだ。

だから、夫と口喧嘩になると私は必ず
「空をみろ」と言って、お互い落ち着かせる。

空をみると、言葉を失うのだ。
静かな空は、私たちをずっとみつめていたかのようで
私は恥ずかしくなったりもする。

空は、ゆっくり動き、変化し
黙って見守って、私たちに考えさせる。

空と同じ位置の家を選んだんだ。

小さな自分は大きな空をみて
ちっぽけさを思い知れ。

小さな自分は大きな空をみて
大きくなれ。

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私たちは、23周年の結婚記念日を迎えた。

口喧嘩は日常茶飯事のようにしてるけど
おもうようにいかないことが常な世の中だけれど
やっぱり心配しあって
なんとなくの未来がうまくいくことを
なんとなくお互いが願っていて

不意に舞い降りてくる節目のような出来事を
二人で、誰にも相談することなく決めて
失敗しちゃっても文句言いっこナシにしよう。

私たちには空が守ってくれるさ。

くじけたくなるときも
大きな空をみつめて、冷静になれ。

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初秋の夏日和だった日曜日の道路は
海へ向かうだろう車がいっぱいだった。

レンタルらしいきれいなキャンパーをたくさんみた。
「私たちもいつかキャンパーで旅したいね。」

キャンパーをみると私たちは
オーストラリア滞在を思い出す。
オーストラリアの話をしなくたって
私たちは空をみながら勝手に回想している。

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昨日、母が死にそうだ、という夢をみた。
母の愛人から連絡を受けたけれども
私に母がどこにいるのか教えてくれない。
この男性はひとりで見届けたかった様子だった。

会いたいのに会えない。
悔しくて泣いているとき、目が覚めた。

私は、私のことをいつもみつめている空をみた。
なんとなく私を抱きしめてくれるような空だった。



今日の一曲





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夏休み最後の日曜日
私たちは海に行った。

思春期青少年のリクエストだ。

Livorno県の海沿いは
きれいな海岸がたくさんある。

私たちはいつも
San Vincenzoという地の
ビーチに行く。

少年が4歳ぐらいの頃
ビーチからちょっと奥まった
静かなキャンプ場に
はじめてテントをはった記憶は
深く刻まれた様子だった。

少年の小さな自転車で
キャンプ場内を移動したこと
BBQをしたこと
持参のテーブルでご飯を食べたこと
コイン式の制限時間付きシャワーで
一人でバタバタ体を洗ったこと
トイレは遠いところにあること

ニヤニヤしながら思い出していた。

他のことはあんまり覚えてないのに
キャンプの思い出は強いようだ。
毎年、キャンプしようという。

いま、キャンプする気力は
私にはないので
広大な海を見ながら
ゴロゴロすることにした。

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私は8月中、正社員の夏休みの穴埋めに
食品会社で200時間も労働していた。

正社員が戻り始めた頃
土曜日がやっと休みになり
家族サービスをすることにしたのだ。

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イタリアでは、かなり観光客が減った
気温もだいぶ下がって
海水はちょっと冷たくなった透明な
9月の海は人気がある。

それでもパラソルはあると助かるけど
海上がりの冷えた体に
強そうでそうでもない
太陽の日差しは心地よい。

空は澄み渡り、波もほぼ無い。
南方には
Populonia(半島になってる村)が濃く
Isola d'Erba(エルバ島)が薄く
グラデーションになっている。

水平線は空と海の青のグラデーション。
絵になるヨットがプカプカ浮いている。

海の景色はやっぱり自由感があるなぁ。

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食品会社の従業員は、毎日
同じ作業と向かい合った形式の作業台は
恰好の井戸端会議の場だ。

ずーーーっとおしゃべりをしている。
私も時には話に入るけど
バカバカしい話ばっかりしてるので
ほぼ騒音としてしか入ってこない。

イタリア人のオバちゃんたちの会話は
社長の悪口&そこにいない同僚の悪口w
今日の献立&料理レシピ
子どもの成長&学校問題
ひとのドラマ的人生
生活の問題
便利な生活用品
などなど
若い娘たちの会話は
下ネタまででてくる始末。

イタリアでイタリア人と働くならば
会話力は必須。
おどおどしてはダメ。
自分をもっていないと
すぐ孤立してしまう。
イタリア人はおしゃべりと作業
二つのことが同時にできる人が多い。

先日若い新人の契約社員が入ってきて
ベテラン社員が
「動作からして全てがシャイだ」
という話を私にするので
「私も相当シャイで人見知りですけど」というと
「アナタは年齢的にシャイとかではない」
というのである。ふーん。

そういうくだらない会話の日々から
解放された気分になった海日和。

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思春期青少年は、9月はじめの試験で
進級が決まった。

イタリアの高校は、進級制度が厳しい。
一年間の出席数、最低レベルの成績に
達していないと即落第
一教科二教科最低レベルの成績に
達していないと
夏休み中復習して
9月はじめのチャンステストに
合格しないと一教科でも落第...

夏休み、学校は補習授業を開催してくれる。
各学校、やり方や決まりは違うが
この補習授業を義務化している
学校もあれば
参加は自由と自己に任せる学校もある。

大人的に考えれば
この補習授業に参加することは
進級を手伝っている
とモラル的に捉える。

6月、学校が夏休み入ってすぐ
一ヶ月研修期間に入った。
7月、研修が終わったらその足ですぐ
一週間の補習授業がはじまった。
夏休みまでプログラムされているw

あの週、40℃あるぐらい激暑な中
大人的モラル作戦の補習授業に
参加した思春期青少年少女たち
汗だくでみんなノートを内輪代わりにして
ちっとも頭に入ってこなかった
と愚痴っていたが
とにかく絶対に行け!と煽った。

思春期的に考えたら、ただただ面倒だが
大人的に考えれば、そこがポイントで
来た生徒には褒美として
勉強しておく箇所を教えてくれるはずだ。

夏休み期間バスもない。
そこで活躍したのが
5月に仮免を取ったスクーターだ。
片道20km強、よく通ったもんだ。

それに慣れて
学校方面のサッカーの練習も
そっちのお友だちとも
今や行きつけパキスタン人経営の床屋にも
一人で行くようになった我が思春期青少年。
ブドウ畑のど真ん中にあった
田舎の研修先にだって
田舎道を毎日原チャリで通った。

そして7月の補習授業が終わって
私たちはバルセロナに飛んだのだ。
これもスペイン語と英語の勉強...
と目的付けて。

8月のFerragosto(8月15日祝日)
の週が過ぎると
思春期青少年は、5日間サッカーの強化合宿
合宿後は、まるで何もすることはないだろうと
毎日のように練習x練習。
時には午前午後も。

いつ勉強してたかはよくわかんないけど
練習x練習の間にも
チャンステスト間近の補習授業

日本で
通っている高校で落第するなんてこと
聞いたこともほぼないから
私は慣れてない。
こっちがヒヤヒヤハラハラしたもんだ。

勉強しろ!と言えば
勉強してる、と返ってくる。

わかんないとこわかったの?と聞けば
わかった、と言う。

ニュースでは
夏休み中ずっと勉強していた子の話
家庭教師までつけて勉強している子の話
そんな風に伝えてて
ウチの子は...と不安にさせられた。

テストの数日前
日本人だったらガリガリ勉強するだろうに
地元EMPOLI vs JUVENTUSの
サッカーの試合を観に行ける余裕があって
何を信じてよいかわからなかった。。

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あまり勉強している姿をみなかったけれども
結果、進級することができた。

やっぱり
大人的モラル作戦補習授業の前編の方
激暑の中、参加を自己に任せた補習授業
とっても大切だったそうだ。

前編に参加した子たちは
みんな進級したそうだ。

しかし、8月の後編授業は
見直し程度で
行っても行かなくてもいいぐらい
だったそうだ。

後編だけに参加したお友だち...
落第しちゃったそうだ。

激怒して、我が子に愚痴電話してたが
「お前が勉強しなかったのがいけないんだろ」
と、友に説教している思春期青少年...
それはそれでいい友だち関係だ。

イタリア全国の話だったとおもうけど、
思春期青少年いわく
15人に1人は落第するんだそうだ。

食品会社の同僚ママの息子も落第しちゃって
ママの涙をランチタイムに共にのみこんだ。

その学校は、補習授業が義務にもかかわらず
テストに補習授業でやらなかったことをだし
先生は狂ってるのか笑ってた
と激怒した。

その学校は65人も落第させたそうだ。

2度落第するとその学校に通えないそうだ。

この時期
始業で浮かれている空気があるけれども
その反対には
学校を辞めていく子もいるのである。

テストから始業までの10日間ぐらいで
進路を考えなくてはいけない。
そういう話を今まで聞くことはなかったが
現実が近づきはじめ
イタリアの学校システムを知らない私は
同年代のママたちの話は参考になる。

その後、我が子の落第しちゃった友は
超開き直っちゃって
勉強する量が減るとかなんとかで
前より幸せそうだよ、と
苦笑いしながら語る。

8人ぐらいいたヴィンチのお友だちも半分以下
クラスの仲良しのお友だちたちも落第しちゃって
進級した子たちがなんか変に寂しそう。

私も、何故か涙がこぼれた。

今年は進級できたけれども
翌年はどうなっているのかわからない。

ぎゃんぎゃん言っても本人次第だし
私は頭が良くなくても
母から勉強しろと言われなかった。

落第しても
国立ではなく市立の専門学校で
新たな進路を見つけ
順調に過ごしている例も聞く。

落第が悪いわけではない
というママ友もいるし
学校や先生とのフィーリングもあるみたいだし
専攻を見直すことができるチャンス
だったりもする。

なんとなくネガティブなひびきだし
若いうちに人生の見直しをしているみたいで
こっちがハラハラする。
しかし、こういう時
大人がしっかり守って
進路をアドバイスすることが大切だとおもった。

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だからこの透き通った清い海と
先は輝く水平線をながめることができた
この日曜日は、大空に向かって大の字に転がれた。
 疲れた夏休みだった。

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今日の一曲






Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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つづき

私たちは、あの美味しそうな
いたって普通のBarで朝食をとるようになった。
ブリオッシュなんかはそこで
次から次へと製造され温かいホヤホヤが並ぶ。
このBarだけが市民料金かな
と思うぐらい安く感じた。

今日は歩くぞ!というコースだったので
昨日の教訓でテイクアウトもした。

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私たちは、メトロで確認したのにもかかわらず
工事中の駅で降りてしまう。。

臨時便のバスはよくわからず
逆方向へ進んでいるし。。。

中心街をはしるバスだったので
むしろ楽しくなっちゃって
どこで降りるかも忘れちゃう。

旅の隊長がうかうかしてても
家族の一員は誰も間違いに気がつかない。

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あっちいったりこっちいったりの交通で
ようやくバルセロナの高台の方へ着いた。

私たちは、Parc Güellから近いということで
それまたもっともっと高台の、標高262M
Turó de la Rovira丘のGuinardó公園内にある
Bunkers del Carmelという
スペイン内戦時につくられた砲台がある
高射砲陣地としてつかわれていた
360℃バルセロナを見渡せる
すんごい穴場に来たのであった。

バスやメトロを降りてもまだまだ歩く。
けっこうな傾斜でゼイゼイしながら歩くけれども
絶対に行く価値アリ!

ブンケルスがある辺りの家々が可愛い!
ブンケルスがペインティングされちゃって
アーティスティックになっちゃって
なんかカッコイイ。

なにしろバルセロナが
割りと近い距離で見渡せるのは最高。

イタリア語の観光地紹介ネットでは
夕日とか夜景を見に行くのも乙...と。
それと、住民にご迷惑のならないように
キレイに静かにしてくだい
と、あったことからか
みんな無言で写真を撮ったり
景色を満喫していた。
若者が多かったけどお行儀よくって
気持ちよかった。
普段うるさい私たちも静かに見学。

街も楽しいけれど
思春期青少年のバルセロナ楽しかったベスト5の
トップにあがっていたブンケルス。

さぁブンケルスを下ればParc Güellだわ!
と、来た道を歩いているのだが
なにしろけっこうな傾斜の下りなので
走る速度か休み休み行くかのどちらかで
男子たちはエニマルだ、下りを突進。
私はもうこの先バルセロナには来ないだろうと
惜しみながら何度もブンケルスを眺めたり
低くなっていくバルセロナのパノラマを
満喫しながら写真を撮ったりなんかして
私なりの歩調で進んでいたが
なかなかやつらに会わない。。

あいつらどこ行ったんだよ。。。
だんだんムカムカしてきた。

まぁまぁ記憶力はよくって
割りと方向音痴ではない私だ。

行きにはしなかった
振り向いたり止まったりする行為を
帰り道でしたから道を間違えたのか。

ここ通ったっけなぁと
住宅街の雰囲気で気がついた。
行きは普通な団地街だったのに
ここは金持ちそうな家々が立ち並ぶ。

ほんの少しだけ戻ってやり直ししてみよう
やはり同じだ。
私が間違ったのか
あいつらが間違ったのか
ムカムカする。
暑くて蒸し暑いだけにもっとイライラする。
日焼けまでして陽射しが痛い。

電話をすることにした。
そういうとき、EU内の旅行はイタリアのSIMが
通話とSMSは契約通り、ネットも5GB以内なら
ローミングに切り換えれば普通に使える。
便利になったもんだ。

電話でぎゃんぎゃんどこにいるのか
現状の風景を言い合った。
やっぱ違う。。。

傾斜の上りだから嫌だったけど
もう少し戻ってそこで待機することにした。

思春期青少年、呆れながら
隊長のはずの母を迎えにきてくれた。
迷子の私は、この先近い未来
こんな風景が頻繁かもしれない...
と、なんだか苦笑してしまった。

通り道にあるView Pointは
二つの道があって
そこで間違えちゃったみたいだ。
あそこで景色を隅から隅まで満喫してなかったら
まっすぐ彼らのように来た道を突進していたら。。。
無我に突進もまんざらではない。
やつらが正しかった。。たぶん。

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迷子の道から一番最寄りの
Parc Güellの出入口に行ったら
入場終了。。。

人数制限で入れないって言うの!
マジかよ...と一家愕然。。。

あるベンチで絶望しながら休憩してると
Parc Güellから帰ってきた幸せそうな家族の
オランダ系イケメンパパみたいな男性に
正式の入り口ってどこですかね⁉
ととりあえず声をかけたら
正式入場門でチケット買って
入場しようと思うんだよね
などとおしゃべりがはじまった。

コテコテイタリアン夫と
オランダ系イケメンパパは
何語で話してんだ?

オランダ系イケメンパパは
「入場門あっちだけど
ネットでチケット買った方が絶対いいよ。
中、すんごい人だから。」
とアドバイスしてくれた。そうだ。

思春期青少年と私は
直島の地中美術館を思い出した。
あのときもチケットがなくって入れなかった。
目の前にいるのに
チケットはオンラインのみ販売。。。
あの時、コロナ前で中国の観光客で
島中賑わってた。と思い出話。

2023年コロナ明けで
世界中世界の人で大にぎわい。
イタリアも凄い観光客だけど
バルセロナもものすごい人人人。

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私たちは、今日宿に戻って
ゆっくりParc Güellの研究でもしてみよう
ということにして
とっとと前へ進むことにした。

だったら昨日ゆっくり見れなかった
Gràciaセンター街を歩こうよ
で、旧市街のBarri Gòtic方面に行こうぜ
ということにした。
でも歩いてGràciaまで。

Parc GüellやBunkers del Carmelの辺りは
1階2階建ての個人宅は昔風で南米風...
むしろそれがスペインなのかな
私は好きになった地区なので
是非歩いてみてね。

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Barri GòticからLa barcelometaと呼ばれる
旧市街
は、ザ・バルセロナ。
旧市街好きにはたまらない古さと
現代人の〈旧〉の使い方がおもしろい。

ただただ歩いているだでも楽しい。
だから3ヶ月は暮らしてみたい街
ナンバーワンなのだ。

お洒落な小さなお店もいっぱい。

インドとかパキスタン系地区なのかな
それっぽい人たちが集まってたり

アフリカ系の女性がポツンポツンと
ある広場の通り道に立ってて
警察の方たちが取り締まりしてた。

思春期青少年に
危ないゾーンかもしれない説明をした。
女性が立っている説明もした。

あまり危険度を感じることが少ない
治安がいいバルセロナだったが
警察がさっと突然現れることを
たまに目撃して
その対応の速さに
イタリアじゃぁありえないねぇと
バルセロナの格が上がった。

ザ・バルセロナの旧市街の
市民の労働者が来そうなあるBarで
ランチをとることにした。

バルセロナはどこも観光地
若い青春期青年グループが
そのBarにお茶しに入ってきた。
お行儀がよかったので観光客か
はるばるやってきた子たちだろう。

とにかく
我が思春期青少年とおんなじ格好だったw

そこに限らずどこでも
同じ年齢の子たちは同じ年齢の子をチェックするw

お行儀のよい青春期青年グループはみんな
Football Maniaという紙袋を持っている。

我がサッカー大好き思春期青少年
ネットでググってみるとなんと近所ではないの!
どうやらこのグループたちは
みんなでショッピングしに来たようだ。

当然、私たちもBarを出たら直行でしょう。
世界の有名チームのユニホームがいっぱいあって
サッカー好きにはたまらないお店だ。

フィレンツェやGràciaのセンター街では
売り切れだったナイキのちょっと長めの白い靴下
いっぱいあったー。
ネットでもナイキの半袖のタイトフィットシャツは
売り切れなのに、ここには色違いまでも。

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あぁ楽しいザ・バルセロナ。
だんだん薄暗くなっていく。
Barri Gòticのある広場Passatge Madoz
なんか超観光客だらけだろうけど
座って食べたくなる広場だった。

食べ物屋で悩んでいると
突然、ダッシュの人たちが現る。
警察もダッシュだ。
なんかあったらしい。
車が入れないゾーンなので
白バイも現る。
走る警察は偽装している人みたいだ。

どうやら財布を盗んだ、みたいだ。
え、ありがとう、だよね
そんなにダッシュしてくれてさ。
イタリアじゃぁありえないスピード。
思春期青少年、目の前で起こっていることに
映画みたーい!とはしゃぎまくる。

結局さ、ザ・バルセロナでゆっくりしちゃうと
メトロの最終乗れなくなるかもって
お腹空いてたけど滞在先まで戻ることにした。
うぅ残念。
この時間はもう食べ終わって
夕飯後ダラダラ散歩する時間でもあるのに。
今度はゆっくり来よう。

私たちは、メトロに乗り込んだ。
最終に近いだけに人がけっこういる。

酔っ払いのオジサンの近くに座ってしまった。

私は、思春期青少年の隣で酔っ払いの前だ。
夫は、酔っ払いが二席使ってたその隣だ。

酔っ払いは、自分の人生の寂しい部分を語っている。
たいていこうやって落ちていく人は
ずっと根にあの時代みたいのを背負っていく。

酔っ払いは以前家族がいたみたいだ。
奥さんもいたみたいなことを言っている。

私がずっと見つめていたのが
いけなかったのだろう。
私に語っているようだった。

だんだん、相槌を求めるようになって
ちょっと近づいてきた風だった。

その時
「オレらはスペイン語を話さない!」
と思春期青少年がスペイン語で言い放ち
近づいてきた酔っ払いの腕をはらった。
そして母を守るような態勢をとった。

息子よ。。

酔っ払いは引っ込んだ。

今度不意に足を高くあげ
ほんの少し離れた隣席の夫の
顔に当たりそうだった。

家族はびっくりした。
私はわざと「大丈夫?あたった?」と聞いた。
酔っ払いの方が先に
「大丈夫だよ、オレは何もしてねぇ」と
私の方をずっと見て言っている。
大丈夫だったそうだ。
怒ることに関しては
我が夫は得意なので不安はない。

そうこうしている内に駅に着いた。
降りてから私たちはコメントしあった。

「ありがとう。」
とりあえず我が息子にお礼を言った。
すると得意気にあんなのちょろいもんだ!
とか言い出すので
また気を付ければいけない行動を教えた。

教えても世の中にはいろんな出来事が不意に起こる。
この先、私が望む通り一人で
旅に出るようになったら
もっと不安だらけだろう。

今だってスクーターで20km先までかよって
私は毎晩心配だ。
でも家にいて私の側にいる方がおかしい
と私は思うので、何が起こっても仕方がない。
祈って信じるしか
人はできないのである。

事故を予測することも大切だけど
不意に起こる問題を
即座に冷静に解決することも大切なのである。

 
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結局のところ
Parc Güellのチケットはオンラインで予約しなかった。
なぜかというと、ここは日本ではないこと
よく読めば気がつくけど
もし長蛇の列を避けたいならオンラインで予約!
と謳い文句があって、正規の値段より高い。
早めに行って、少し並んで待って
無理そうだったら他行こうと家族で意見一致し
早めにヨットを出た。

もうメトロの行き方も
Parc Güellの入り口もわかるもんね!
と乗り気で行った。

あれ、全然長蛇の列じゃない。
前のオジサンがチケットを買っている。
フムフム。
私の番になったら
二人は入れるって言うの。
夫婦で譲り合いしていると
空きが出ました、3人で入れますってさ。
あのオンラインの予約は
キャンセル料なしなのだ。
その時間に来なかったら
どんどん入れてるんだとおもう。

私は予約が好きではない。
何が起こるかわからないし
気持ちが変わるかもしれない。
入れなかったら別のことをすればいいんだし
計画を立てすぎる旅行は苦手だ。

そんなことも思春期青少年
わかってくれたかな。

出発前に私はNachosを食べた。
思春期青少年は何度もバルセロナで食べた
ゴージャスハンバーガーを最後も食べた。
夫はイタリアでも食べれそうなステーキを食べた。

暑くて湿気が多く
物価が高くて
(そう感じたけどイタリアの観光地もそうらしい
ニュースで毎日言っている)
観光客がものすごく多いバルセロナだった。

きっと(私は)もう来ないだろうけど
最後にしたい家族旅行が
バルセロナでよかった
とやっぱり来ておもった。

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終わり。



今日の一曲。




Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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つづき

朝やっぱり、寝不足と怠け癖で
ヨットの窓から差す日差しが熱くなってから
目覚める一家だった。

あんなにはりきって
早朝、ビーチで散歩するんだ!って言ってたのに。

でも、まっいっか
スペインは朝遅く夜が長い国だ。
と、何十年も前のイメージのまま
スペインスタイルで過ごそう
と、呑気に出発。

なにしろ、千葉の幕張みたいな近代ゾーンの
ハーバーの近郊はイメージのバルセロナじゃない。
とりあえずそのショッピングセンターで
朝食にしてメトロの入り口でも聞いてみっか。

空港のハンバーガー屋といい
ショッピングセンターの夕飯といい朝食といい
メトロの一回乗車券といい
なんか、バルセロナ、高くね??

ハーバーからメトロの最寄り駅はやっぱり
住宅街よりにあって
あら! こんなところに庶民的な
Bar-Pasticceriaが!
明日来ようね!と明日が楽しみになる
単純な家族。

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ガウディ建築のサグラダファミーリアに行くのは
超簡単。
だって駅がサグラダファミーリアなんだもん。

メトロの工事をしてるゾーンがあるので
乗り換え増やしてちょと遠回りなんだけど
シンプルで簡単なメトロはイイ。

24時間券とか48時間券とかいろいろあるんだけど
(3回乗らないともとがとれない)
何が起こるかわからない
気に入ったらずっとそこにいるかもしれない
乗り物に乗っちゃうと
ゆっくりとまって見学できないじゃん。

出発前にネットでバルセロナの歩き方を
イタリア語で調べたけど
みんな、メトロ券を前もって買った方がいい
って勧めるんだ。

オンラインで買うか迷ったほどだったが
結果、1日二回、往復で使うだけで
その日にまわるゾーンだけ決めておけば
丸一日ゾーンを満喫できちゃう
どこを歩いても飽きないバルセロナ。

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行き方が超簡単なサグラダファミーリア駅に着いた!

うわー。目の前。

いつでも工事をしていることが
サグラダファミーリアのある意味シンボルだ。

こんなに観光客いても
クレーン車稼動させて
工事してた。

きっと何度もジェネレーションが代わっただろう
若いオペレーターが工事現場にいて
意外だった。
もっと職人的に超経験技術者がいるのかと
オジサンだらけを想像していたw

炎天下の中、ヘルメット下には
若い笑顔があって
丁寧に誘導されて
永遠に工事が終わらなくてもいいね
なーんておもっちゃったりもした
オバちゃんだったw

ひとつひとつ詳細をながめていくと
現代アートとか
キッチュでメルヘンワールドみたい。
2Dのグラフィックにも見えちゃう
創造的ではなく想像的な建築物。
ファンタジーな世界を見上げた感じだった。

我が男子たちは何を思っただろう。
夫はクレーン車を操作していた
元技術師だ。
大きな建設会社で大きな建設に関わっていた。

私がはしゃいで写真を撮りに行っている間
思春期青少年にこんなに高いクレーン車の
説明とかしてたみたいだ。

工事現場は夫にとって
魂を呼び起こす場所なのだ。

すげーなって
ずっと眺めていても飽きない様子だった。

私は忘れてたけど
夫はサグラダファミーリアは2回目なんだって。
私が連れてきたんだそう。

サグラダファミーリアの先っぽって細いから
フィレンツェのドゥオーモみたいな
ボリュームのある巨大感は
案外感じなかった。
あれ、こんなに小さかったっけ?

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なかなか去ることができなかった
感動のサグラダファミーリア。

去る気になったのは
目の前にFCBのショップを
発見してしまったからだ。
思春期青少年は引き込まれるように
中に入っていった。

思春期青少年はお土産に
バルセロナ(サッカーチーム)の黄色い
練習用(?)半ズボンをゲット。

そんな風に道草しながら
私たちは、歩いて
サグラダファミーリアから
La Pedrera(casa Mila')へ向かった。

Google Mapでは19分と出てるのに
歩けど着かないような感じだ。
たかが1,5kmじゃないか。

あの日はケンカが勃発するほど
遠く感じた日だった。

途中、美味しそうなお惣菜パンも売ってそうな
パン屋を発見。
お腹が空いてイライラしはじめた男子...
いや大人の方..夫を慰めるために
ちっともお腹が空いてない私は
ちょっと先に素敵な建物が見えたので
それを見学している間
男子たちはひと休憩。

もっと先を見こうして
テイクアウトもすりゃぁいいのに
またその場しのぎした男子。。

あるシニョーラが
地図を片手にやいのやいのしている家族に
わざわざ英語で近寄ってきてくれた。

きっとこの辺に生まれ育つ方なのかな。
迷子になってる観光客を助けることが
シニョーラの日課だったりして。
素敵な穏やかなシニョーラだった。
私も穏やかに人助けする日々を送りたい。

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私は、ヨーロッパに住んでいるけど
ほんと、ヨーロッパの建築は飽きない。
バルセロナは、とりたて
ペランダが窓ごとに小さく
取りついているのがかわいい。

それと、門の鉄格子デザインが
フィレンツェのどれも似たようなデザインより
(それもフィレンツェらしくて好きなんだけど)
様々なデザインでどれもこれも
写真を撮っても撮っても
撮りきれないほどだった。

私たちは、La Pedrera (casaMila')に着いた。
ガウディ建築は、一目でわかるほどだ。

中に入りたかった。。
中に入ったら、2時間は満喫したい。
こいつらがいなかったら
中に入ってただろうな。。
だが入場料がばかにならないだけに
興味の薄い人をどうするか
悩みの種だった。
青少年よ、またひとりで来い。

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大きな通りをちょっと先に進むと
はたまたガウディ建築のCasa Batillo'がある。
人がたかっているのですぐわかる。

中に入りたかった。。
中に入ったら、2時間は出てこない。
こいつらがいなかったら
中に入ってただろうな。。
青少年よ、またひとりで来い。

とりあえず、思春期青少年に
ガウディ建築様式を見せたかったので
任務は果たした感じだった。

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次~っ!
この後は、メルカート行くだけでーす!

遅いランチでオッサン...イライラしている。

思春期青少年は私と同じく
興味津々で空腹がわかんない状態だと言うので
楽しいGra'ciaのセンター街を
満喫したい。私も!

思春期青少年の気になるお店
私も気になるお店がずらーっと並んで
ワクワクしてるなか
ふてくされたオッサンがいる
ので、滞在期間時間があったら戻ろう
と思春期青少年を慰め
Mercato della Boqueriaメルカートへ直行。

メルカートへ行くまでも
センター街だけになにもかもが斬新的で
キョロキョロ。

メルカートのあるゾーンが
Barrio Goticoゾーンに入り
またワクワクさせるじゃないかっ!

とりあえず腹を満たさなくては。

伝統のある市場と説明はあったが
観光化していて観光客ばっかり
と、観光客用の屋台ばっかりだったのが
なんとなく残念だったけど
一番はじめに見つけた屋台で食べよう。

思春期青少年は、ひとりでまわって
ゆっくり決めたいともっともらしいこと
言うので、遅いランチはバラバラに。

大人はとりあえずCervezaセルヴェーザ(ビール)だ!
アンチョビのフライのつまみぐらいでけっこうw

メルカートが楽しくなっちゃって
ヨットかビーチでAperiCena(夕食兼アペリ)
しようぜ!と意見が一致し
あれこれ購入。フライばっかり。。

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メルカートの外は夕方に近づき賑やかだ。
うぅ、もっといたい。
もっと先に進みたい。。
我慢して明日へ見送る。

今夜はヨットや日暮れビーチで
ダラダラ満喫しようじゃないのよ。

ハーバー内にある野外ディスコが
夕方から23時までと時間をきっちり守る。

そのディスコから
あれ?これイタリア語じゃね?
と思春期青少年を呼ぶと
イタリアの思春期青春期に大人気のラッパー
をバルセロナでも聴くことになるとは。。
イタリアでは、スペインHipHopが流行るのに。

ダラダラヨットで過ごした後
24H利用可能なシャワー施設へ
青少年と行く。
ちょっとヨットのあるヤードから離れているので
年よりオバちゃんだって
ひとりでフラフラしているのは怖い。

24Hシャワー施設は
カードキー所有者しか利用できない。
そんなこともあって思春期青少年は
着いてくるように一緒に来てくれた。

シャワーの後、二人で夜のビーチに行って
恐る恐る水に浸かったり
誰もいない公園で筋トレやったり。
またシャワー施設へ。。

蒸し暑くて窓が開けっぱなしなので
また、蚊で悩む夜を過ごしたのであった。

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つづく



今日の一曲。




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そう、きっと最後だろう家族旅行。
そう、私は最後にしたい家族旅行。

いや、べつに最後じゃなくてもいいけど
私がオーガナイズする家族旅行は懲り懲りだ。
黙ってくっついて行くならそれでいい。

何度もため息をついて
何度も怒って
ずっとイラついて
で、挙げ句の果てにひとりはしゃいで
写真を撮っている間に私は迷子になった。。

やつらは、いつもお腹が空いて
喉が乾いて、先に進まない。

やつらは、どこに向かっているのかもわからない。
脳みそ空っぽ状態なのに
どこかに行きたいんだと。

いつも意見はバラバラでも
着いた先ではわぉと感嘆し
食べて飲んでるときは静かで至福なのだ。

ムカつくけれど、開き直って考えてみれば
家族全員のタイミングなんてあわない。

息子の16歳は今年だけ
わかっちゃいるけど来年は17歳
14歳も15歳ももう過ぎちゃって
もう戻ってこない。

一年一年の思春期青春期の刺激的なこの時期に
なんか思い出つくりをさせてあげようと
ほんの少しの...いやいやほぼ90%ぐらい占めている
知らずと持ちまえている母心は
涙を堪えながら歯を食いしばりながら
よくわかってない学校のプログラムが終了する頃
思春期青少年の態度や様子をみて
出発一週間前に予約をしはじめた。

それでも本当にこんな大金を叩いて
家族で旅行なんかしていいものか
まだまだ疑問が体の隅々にあった。
頭の隅々ではなく体なのだ。
急に大丈夫なのか?と不安になって
イライラうろついた。

ふつう、家族旅行って楽しみにするはずだろうに
なんでこんなにイライラすんだよ
全部お前らのせいだ!と
イライラがグルグルした。

思い起こせば、私の思春期青少年時代
親と旅行なんて考えたこともなかった。
思春期が終わっても一緒に温泉に行くことすら
誘われても私は望まなかった。

高校時代の夏休みはずっと
ひとりショッピングのためにアルバイトをした。

海にくりだすようになったのは
高卒で就職した友が即行運転免許をとって
車でドライブするようになってからだ。
それまで海にちっとも興味がなかったとおもう。

イタリアは...というかヨーロッパは
きっとアメリカの方も、夏休みが3ヶ月ぐらいあって
バカンスが文化だから
バカンス文化のない日本育ちには
何年経っても申し訳ない気持ちになっちゃうのだ。

旅行自体、一心を決めて行く感じだし
毎年毎年、習慣や伝統みたいに行くものではない
と、未だに体にしみついているのである。

一心を決めて旅行づくめの二十代
それはそれは旅行しまくった。
バックパッカーで何ヵ月もヨーロッパをまわったり
夫と出会った頃も年に二回は何週間も
海外に旅行をしていた。

息子が生まれてから、プツッと
フリーダムな海外旅行をしなくなった。

息子にも散々言ってきた。
ひとりか友だちと自分が行きたいところに
自分でお金をためて自分で計画して行ってこい、と。

「うんん、ボクはお母さんとお父さんと行きたい。」

きっと自分の想像もつかない将来に
自信がないのだろう。

そういわれてみれば
子どもが親と行きたいと思う私とは
反対の気持ちも大切なんじゃないか
今後、親とはもう旅行なんて...と思う前に
家族との思い出つくりもアリ
かなと思い始めて決行したのである。

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思春期青少年はイタリア国内のプーリア州の海を
想像していたのだが、16歳の思春期青少年が
親と海に行くのはなんかおかしい...
親と川の字でビーチに寝転んでるのはおかしい...
大金を叩いて、ゴロゴロしてるのはおかしい...
といちいち、プーリアの素敵な海の写真を
SNSで見て想像するたびに疑問が沸き起こり
家族みんなが満喫できそうなところを
隊長は独断でバルセロナに決めたのだった。

バルセロナには、私は三回目だ。
一回目は28年前に日本の友と
フィレンツェで待ち合わせて
フィレンツェから長距離バスで
バルセロナへ向かった。

13時間かかった記憶がある。
途中、ジプシーみたいな人たちが乗ってきて
ちょっと怖かった記憶もある。

友は時差ボケだったのかずーっと
寝てたのもよく覚えてる。
私は友を守るように起きてた感もある。

二回目は、夫と新車で南欧横断の旅だ。
荷台が広く天上も高い車だったので
何度も車泊したヒッピー旅行。

合計で5000km以上の旅だった。
南仏行って、バルセロナよって
アンダルシア方面走って
ポルトガルのリスボンに行ったんだ。

そのときポルトガルには行ったことなかったけど
南仏&スペインは、私はすでに友たちと旅をしてて
大切な人に見せたいと思った
再遊の旅行だった。

そしてこの三回目は
夫に思ったことと同じだ。
もうひとりの家族に
私がもしかしたら一番好きな街
夫も何度でも行きたい国
そして、思春期青少年は学校の選択で
スペイン語を勉強してて
でももうちょっと勉強してくださいと
学校から忠告されていたこともあって
外国語勉強するのって興味が沸かないと
積極的に勉強できないのは
私が一番よくわかっている。
バルセロナだったら
海もあって、街も楽しい
ここしかない!と隊長はおもったのだ。

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今やネットでだいたいの情報はわかる。
あの頃はとにかくガイドブックだったよなぁ。

去年シチリア旅行で
夜行列車と長距離バスの旅を教えた。
今年は格安飛行機だ。

私も案外格安飛行機で旅をするのは初めてで
しかもイタリアを出国することは
日本に帰国する以外なかったので
予約の時点で緊張しまくった。

とにかく家族三人だから飛行機は節約。
各自リュックで簡単に出発。
預ける荷物がないと
オンラインチェックインであの長蛇の列がスルー。
三人でキョロキョロしたもんだ。

出発前、あるきっかけで
夫の紙の身分証明書がボロボロだと
市役所で言われ、本当だったら
次の更新はデジタル化したカードの発行でないと
いけないのだが、出発日が近いということで
また紙の身分証明書を即日発行。

思春期青少年のデジタル身分証明書CIEも
EUに行けるのかネットで確認。
てか、ヤツは、紛失してないか
ぎゃんぎゃんと隊長は取り締まる。

私は、ひとりパスポート持参。
で、私だけボーディングの時パスポートチェック。

席は仲良く三人席じゃなくて
格安にランダムに座ろう!と
それも案外ワクワクしてたのに
オンラインチェックインが一番だったのか
三人揃って仲良し席。

フライトは、Vueling航空だったのだけど
途中、飲食の販売がはじまって
食べてる人と食べてない人がいて
なんか不公平感。
前の若いアジアン女子がイタリア版カップヌードル
を購入してすすってるのをながめながら
思春期青少年は唾を飲み込み我慢w

何度でも飛行機の発着は緊張。
でも真ん中に座っていた隊長は
家族の男子の腕を掴み
家族揃ってるなら、まっいっか
なんていう余裕な気分になるのがフシギだった。

私たちは、バルセロナEl Prat空港に到着した。

ネットでいろいろ調べてきたけど
やっぱりツーリストインフォメーションオフィス
に行って、いろいろ聞いてみよう。

街までの行き方を質問。
ネットでは、バスとかメトロとか。

さすが現地情報、メトロの一部が工事をしていて
よくわかんない観光客には申し訳ないんだけど
工事の部分は一旦外に出てバスで移動するという
超面倒なことになってる、ということを知り
滞在先のオーナーと待ち合わせ時間もあるから
なにしろ三人だし、タクシーで
滞在先へ移動することに。

思春期青少年にタクシーの乗り方を教える。
海外では、情報済みの見積りを必ず聞いておこう。
観光客はなにしろ騙されがちだからね
顔はアジアンだし。

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私たちの宿泊先は、なんとヨット船舶。
イタリア語ではBarcaと呼ばれているが
ヨットとかボートと日本語は訳すのであろうか。

なにしろ出発の一週間前に
予約することになったのだから
飛行機だって宿泊先だって
理想な金額の物件はない。

このヨット船舶は
ベットルームが二つあったこと
トイレがとりあえず小便はできること
Wifi完備であること
シャワー設備が24Hであること
ということでbooking.comで
即決定したところであった。

主はアルゼンチン人。
英語かスペイン語どっちがいい?の質問に
頼るは思春期青少年、スペイン語と答える。
おぉ、スペイン語か。

アルゼンチンの主は母国語なので有難い
ペラペラ喋りだした。

思春期青少年はわかってんのかわかってないのか
わかんないけど、わかった?!と脅せば
イタリア語で答えてくれるし
勉強してなくたってイタリア語がわかれば
なんとなーくわかるスペイン語だ。
夫も私もパーツパーツわかるから
それを繋げていけば会話が成立していた。

ここのヨットハーバーのヤードに入るのには
カードキーをさして入る。
だから安心!だそうで
ヨットに鍵はない。
確かに、出掛けるときは貴重品を持っていくので
私たちの衣類しかない。

ワクワクしながら
狭くて動きにくいヨット内を観察し
夕飯を食べに近くを歩くことにした。

バルセロナの中心から離れた
Port Formというハーバーの近郊は
近代的であまりバルセロナに来た気がしない。
千葉の幕張の雰囲気さえも覚えた。

ビーチもあるけどショッピングセンターもある。
日本だったら...いやきっとイタリアだって
通り沿いに飲食店が軒を並ばせるだろうに
ちっともない。

仕方ない、ショッピングセンターの
それでもスペインらしいところで
食べることにした。

明日は、隊長が選んだバルセロナ探索第一日目
ガウディコースだ。
早く寝よう。
だけど、ハーバーのパブの騒音と蚊と蒸し暑さと
状況の変化で、なんとなく眠れず
何度となく家族で鉢合わせた夜だった。

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今日の一曲。




Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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イタリアではTiglioティリョとよばれるリンデンは
街では街路樹、田舎では野生に大きく大きく育ち
季節にあわせて、冬は日を大地に送り
春は甘い香りをぷんぷんさせてミツバチをよび
カンカンの夏は日傘となり人々を熱い日差しから守る。

そんな存在感のあるリンデンの花は
可憐に尖った葉っぱにぶら下がってなる。

小さく白く甘い香りは黄色くみえるようで
ぶら下がっているから木の下を覗くと
香りの黄色がモワモワと光を煽っているようだ。

ミツバチや虫たちは
大木の花々に選り取り見取りで
あっちいったりこっちいったり
どんなに欲張ってもまだまだある。

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私は、去年に習って
オーガニックファームのアントネッラに
今年も花摘みに行ってもいいか尋ねた。

アントネッラは、野菜や果物、卵以外にも
自分でつくった玉ねぎジャム(ペコリーノチーズに合う!)
フルーツジャム、リンデンティなどを売っていた。

でもリンデンティは余ると困るし
なにしろ収穫の手間がかかりすぎ!ってんで
もう取り扱うのをやめちゃったのだった。

でも大きな大きなリンデンの木は
モワモワ黄色い香りをまとって
庭の真ん中にデン!と陣取っている。

何年の木なのだろう。
一番したの枝は、5mぐらいは横に伸びていて
この大木の直径は10mは余裕であるのではないだろうか。

フィトンチッドがムンムンなリンデンツリーに
ハンモックでも置いてゴロゴロしたくなる
ちょうどいい木陰広場だ。
我が家にもこの大きさのリンデンが欲しいなぁ。

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何故私がこんなにリンデンを愛するようになったかというと
アントネッラに紹介してもらったこと
彼女は元彼が東欧の方で
その彼から教えてもらったということ

そのとき説明してもらった通り
咳や痰に効く
眠れないときとかイライラしたときとか
頭痛があるときとかに効くよ、と。

これらの効能はイタリアだって一般的に
知られているのはカモミールだ。

でも、最適期に収穫した生のリンデンの花を
室内で丁寧に乾燥させたホンモノのリンデンティを
一度飲んだらもう、これだけでいいっ!
というぐらい効果はあるし
ティから漂う甘い香りは収穫のときに
鼻の中に入ってきた香りのまま。

遠くのカモミールの花を探すより
身近にある土地のリンデンで
初期症状の不快感を取り除けたらいいな
とおもって、リンデンにこだわり始めたのである。

成分とか効能だけ聞いてもピンとこないが
要は、神経が高ぶったときに抑える作用
咳や痰も不眠も頭痛も
神経や器官が刺激されてブルブルと興奮状態を
少しでもリラックス気分にしてみようか
という鎮静効果抜群の万能薬なのである。

外部からの異物は知らずと
急所を痛めつけさせてしまうけれど
精神を含め反応を起こしている内部は
このリンデンティで抑えようということなのだ。

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ある日、井戸端会議でリンデンティの話になり
私が家に薬が無いというと、みんな驚いた。
頭が痛いときどうしてるの?
リンデンティ飲んで寝る。
熱が出たときどうしてるの?
リンデンティ飲んで寝る。
みんな黙りこんで
それができないときどうするのさ
と、小声で言っていたけど

もう何年も
初期症状だったり軽い症状だったら
リンデンティ飲んで寝る
をずっとやっている。

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必要ないときは本当に必要ないのだけれど
必要なときは、足りなくなることが心配になるほど
毎日リンデンティ飲んで寝るのである。

今年は去年より収穫期が適切で
開花しはじめの頃に行けてよかった。

これで今年もひと安心。

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