7月7日が命日だ。
私はまだ21歳で
ほんの数日後、22歳の誕生日を迎えた。
あれから30年の月日が経った。
30年前の日本の七月は冷夏だった。
30年後のイタリアの七月は猛暑だ。
地球の気候は変動してしまった。
52歳に近づくたびに
45歳ってこんな感じなんだ
50歳ってこんな感じなんだ
て、想いながら過ごしていた。
この52歳になった今日
この世からいなくなっちゃうんだ
と考えたりもした。
52歳って
まだまだやりたいことがこんなにあるんだ
疲れやすくなったけどまだまだ動ける
むしろどんどん誠実に生きるようになって
一日一日に一生懸命だ
欲がぐんと減り、小さいことに心が動く
我慢することの方が多いけど
嬉しいことに涙がでる
悲しいことは、自分の子のように胸が痛くなる
家にアリの列ができていた。
どこから来るのかおっていった。
巾木はばきの隙間から現れていたので
あっちをふさいでもこっちから出てくるの繰り返し。
しかし、対処しておきたい位置は対処して
ここから出てきてアリの目的物に
私たちが興味なかったら放っておいたりするw
夏の暑い時だけだし。
その対処しなきゃいけない箇所は、納戸だったり
もともと掃除した方がいいところでもあった。
むしろアリのおかげで重い腰をあげて
大掃除や棚を取り付けたりしたものだった。
そこに、日本からコンテナで送られてきた
開かずの段ボールが一つあった。
業者さんが仕分けしたものらしい
業者さんの字で、中身のタイトルが大雑把だ。
だから今まで、20年近く開けなかったんだ。
今回も開けるかどうか迷ったほどだったが
そろそろ断捨離していこうと決心したところだ。
段ボールの中身は、また...
使える画用紙とか
かっこいい画角の雑誌の切り抜きとか
ネガ時代の上手く撮れてない現像済み写真とか
大事そうに、Fastoflexの袋の中に大切な東欧旅行記
Yamaha Pianoのファイルに
現代ブログのような母の闘病日記
探していて見つからなかったものが出てきた。
もう自分の記憶と胸の内だけで終わるのかなぁ
と思っていたものだっただけに嬉しい。
これが私のプレゼントだ!
掃除&整理整頓中、別のところからも
息子の成長日記も。
たくさん書いていたんだな。
これらが出てきても読めるのは私だけ。
家族は読めない。
母の闘病日記は、連載が始まったところだった。
内容を見ても思い出すように書かれている。
闘病日記というより主治医への感謝レターだ。
人生の中で一番大きな講演が全国で開催されること
...思い出す。そうだ、北海道で講演するのに
一人で行くより娘さんと行くならいいでしょう
と言われたと、遠慮しがちに私を誘ってきた。
私の52歳は
やりたいことができてないから
ぱっとしない生活なんだけれども
家族にいまだに振り回されているような感じで
ぱっとしない生活なんだけれども
母の52歳の連載闘病日記を読んで
感じることや言葉使いが似てるなと
生き方や人生は全く違っても
やっぱり52歳の女ってこんな風に表現するんだなと
なんとなくにんまりしちゃったのである。
ハラハラさせられる思春期青少年を見守る毎日
思春期青少年が、夏休み入ってすぐにはじまった研修
研修とは言い換えればただ働きだ。
最後の日に。じゃーんと50ユーロ札をみせて
へへへとにやにやしている。
どうしたんだ?と聞くと、もらったとだけ答える。
言葉数少ない思春期青少年に
母はいつも当てにいかなくてはいけない。
ボスでないなら...
フィリピンの人? YES。
私は超久しぶりに
子どもみたいにわーんと号泣して
話せずしゃがみこんでしまった。
思春期青少年は驚いて母をみている。
我が子をよくみてくださった。
我が子に良く接してくださった。
この50ユーロ札だけで
全部見えて全部わかった気がした。
言い方は悪いけどただ働きの研修とは
仕事を覚えることもそうだけど
人間関係やチームで働くこと
絶対誰かは見ていること
行動で伝えること通じること
格好ばかりつけてスマフォばっかりいじっている
でもじつは純で臆病な現代の思春期青少年たち
周りの大人が上手に接すれば
尖ってる青少年でも心は動くんだな
と、私も学んで
ぱっとしない生活にエネルギーが湧いたのだった。
そんなことも私へのプレゼントだ。
心配事は尽きないけれど
大丈夫と信じて
これかもがんばって生きていこうとおもう。
今日の一曲。
Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。
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