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2021年の幕が開けた。

SNSでは豪華なおせちや年越しそばで賑わっているのを横目に

ヴィンチの丘では、丑年にちなんで

せっせと牛のしっぽを煮込んでいた。

私の少女期青春期、年に一回ぐらいの割合で

「テールが手に入ったわよ~。」と、おばちゃんは

自慢の圧力鍋でしっぽをクタクタにし

デミグラスソース風に仕上げたしっぽの煮込みは激ウマだった。

帰国の度にリクエストした。

忘れられない、どーしても再現したいじゃないかっ!


はじめて牛のしっぽを一本丸ごと買った。

付け根は肉付きがよく太く、先っぽは先っぽらしかった。

関節ごとに切断してもらうと、11個あった。

骨髄みたいなところからゼラチン質のコラーゲンがたっぷり出る。

骨にくっついているどちらかというと少なめの肉は

ずっと煮込めば柔らかくなる。

ただ脂のようで脂ではないねっとりしたゼラチン質は焦げやすいので

ずっと土鍋の横で見守った。


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年が明けてから3カ国の友たちとビデオ通話をした。

昔では考えられない。

Gettoneという公衆電話のコインを握って並んだっけ。

そんな在住経験のあるコイン時代の友たちであった。


ものつくりの友は自身の個展をこのコロナ禍中開催するにあたって

招待と同時に動画やネットでもリアルタイムに発信していくことで

遠方の方や体の不自由な方が訪問できる世界が広がったという。

もちろん生でリアルの方がいいけれど

行けない人忙しい人には、便利な手段であった

と勉強になったそうだ。開き直ると、あえて活発に取り組めるそうだ。


コイン時代、ネットなんか当然なくって個展をするのに

招待状をつくって送って配って配って配りまくって

ただひたすらお客さんを待った自分を思い出した。

体の不自由な方だって忙しい人だって遠い人だってもちろん待った。


今は情報や共感のシェアが身近になって

こんなど田舎のヴィンチにいたって

向こうのど田舎の発信が受け取れることに

コロナ禍の学びで改めて気付かされたことだった。

これを先取ってやってた人はコロナ禍の苦味はないということだ。


Bellissimo Canaiolo che colore!-

我が家は三が日牛のしっぽを食べ続けた。

ワインとトマトで煮込んだ俗in umidoというレシピで。

伴に、農主のCanaiolo Nero(品種)100%のワインで乾杯した。

ねっとりのしっぽにも負けないフルーティさと

カナイオーロ独特な爽快感があった。

情熱的に造ったワインは、いちいち作業とか風景が思い浮かんだ。


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そのワインを買っいに行ったとき、長老は外でうなだれていた。

こんな寒いのに、大丈夫なのかなぁ。

いつも会う度に、家族の一人一人を心配してくれる。

そして、気候変動に失望し、昔のことを語った。

その日、瓶詰めの間もうなだれっぱなしで心配になった。


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あの時のうなだれは、とうとう永遠の眠りとなってしまった。

長老の訃報はあとになって知った。

きっとこんな時だけに家族はひっそりとさせたのだろう。

訃報が速攻伝えられてもこんな時だから向かうことはできなかった。


長老は、老衰だったそうだ。

奥様がアルツハイマーになったあと 長老は腸を壊した。

ブドウ畑にきても、11時頃と16時頃は奥様のもとへ

しっかり戻っていった。それまで私と長老でぶどう畑の作業をした。

長老はだんだん痩せてきた。

腸を壊してから、食べられないと言っていた。

それでもブドウ畑にやってきて

自分ができることをできる分だけこなしていった。

それがとても役に立っていた。


冬の剪定に関しては欲張り剪定で、甥である農主と反対だった。

春の剪定も欲張りだった。しかし、昔の人は

果実は大地の恵みであって捨てられない、それだけのことであった。

農主と農法が違っても、有機栽培には変わりなかった。

ブドウの木の支えにしている笹の枝も長老は

自分で刈り取って、古くなった枝と交換していた。

ブドウの枝を架線から取り外す作業だって

取り外したら、一本一本細かくして暖炉用に仕分けしたり

トラクターで撹拌しやすいようにサイズにあわせて横に並べた。

私と時間をかけるところが違った。


天気のこととか葉っぱの色とか今年の芽の出具合とか

農主より早くに察知しているところがあった。

あれは長年の経験としか言いようがないだろう。


ブドウの収穫Vendemmiaの時、甥がセラー作業のときは

長老が指揮をとった。あっちにサンジョベーゼがある

こっちにトレッビアーノがある、というように。

お昼のテーブルでは長老の席は決まっていた。

私も夫も少年も招待してくれた。

お昼休み、少年とサッカーボールで遊んでくれたこともあった。

私は、手加減してよ、少年! と おじいちゃん転ばないでよ! と

ソワソワして見てられなかったけど

あれも一つの思い出になっちゃった。


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オリーブの剪定も長老がしていた。

農主はオリーブの剪定はしない。大地派剪定を習っていたが

やっぱり時間がないということを理由に長老に任せていた。

長老は、樹形に性格が出てたほど

均等のとれたデザインされたような樹形を決めていた。

オリーブの剪定士としてご近所さんのオリーブも手掛けていた。


でも腸を壊してから、体の機能が衰えていき

はしごが使えなくなった。周りが止めたのである。

オリーブの栽培でいっちばん事故率死亡率が多いのが、このはしご。

はしごの危険性と体力を要する作業だから

私がオリーブの剪定をしていることを

すごく褒めてくれたし応援してくれた。そして、ライバルだった。


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長老と同じ畑で過ごすことが多かったこの残りの数年

私が畑の中にいた距離は、長老の亡お兄さんにみえていたようだ。

タイムスリップさせていたみたいで、それはそれで嬉しかった。

あの頃と似てる...とか、あの頃を思い出す...という

記憶の中のなんでもない平常の温かい空間

その夢心地感を味わえてよかったと想う。


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夢心地の姿や年輪のような手で作業する姿

子ども心に少年と遊ぶ姿、ワインを水で割って飲む姿

きっと私は、家族よりも写真に収めているとおもう。

だからもっともっとより深く思い出に刻まれたし

些細なことも思い出せる自信がある。

家族とは別に私との世界はブドウ畑の仲間だった。


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長老は、ネットの世界なんかコロナの世界なんか

なーんにも知らないで逝っちゃった。

知らないのに、もっともっと昔が良かったって。

進化しては思い出し、進化しては思い出して

私たちの昔って、個々のやっぱり少年期青春期なんじゃないかな

なんておもう。

コロナ禍だって進化の中の少年や青年は

昔は良かったなんていうかもしれない。

私も昭和時代とリラ時代をよかったっていう。


毎日毎日長老がいたブドウ畑の姿をシェアしたいと想う。

ぜったいに忘れないよ、おじいちゃん。



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