大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

カテゴリ: 日本 Japan

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私と少年は、瀬戸内海に浮かぶ小豆島をめがけた。
私たちは荷物が多い。
ワイン&オリーブオイル会用の荷物が減っても
その隙間を縫うようにお土産が増えていく。
だから最小限の移動手段をいつも考えていた。
岡山駅から一本で行けるバスが出てる新岡山港から
小豆島行のフェリーに乗ることにした。
あれほどフェリーに乗る楽しさを覚えたことはないだろう。
少年も私もはしゃぎまくった。座っていられない。
いつか訪れてみたかった念願の瀬戸内海だ。
まさしくもイメージ通り、海も島々もブルーのグラデーションが
私の視界に広がる。
何度もシャッターを切ったがどれも同じだろう。
ブルーのグラデーションが美しくて
それをカメラに仕舞い込もうとしていたかもしれない。
しかし我に戻って、海の風に身を任せることにした。
あぁ、この景色が毎日見渡せるところに住んでみたいなぁ。

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私は、瀬戸内芸術祭の混雑を避けて小豆島入りしたはずだった。
のんびりだろう島の本当の顔を見てみたかったからである。
しかしそれでも観光客はすでにいた。梅雨の平日でも。
観光客は、どうやら中国人のようである。
フェリーで見かけた日本人らしき人は、小豆島に帰る住人のようで
ポツンと一人で座り、居眠りをしている。
島といっても交通手段がないと移動が難しそうな大きさだ。
トスカーナのエルバ島を想像しながら計画することにした。

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島では大浴場がある国民宿舎に宿泊することにした。
芸術祭の混雑は避けられても、サービスは芸術祭期間のみという
国民宿舎の送迎サービスでは
途中まで地元バスに早速乗らなくてはいけない。
イタリアだったら停留所のアナウンスは無い。
ん十年前、イタリアに一人で初めて到着した日
若き時代の怖いもの知らず精神 «できる!やる!»
言葉もわからないのにバスに乗っちゃって
ぜーんぜん違うところに行っちゃった痛い思い出がある。
だからバスに乗るのは慎重にそして緊張する。
しかしここは我が国ニッポン。言語が通じる。
っもうこれだけで旅はかなり余裕が出る。
時間と場所を確認しまくり、コレだろうバスに乗り込んだ。
観光客慣れしたオリーブバスは
やっぱり停留所ごとにアナウンスしてくれた。ほっ。
こういった島でネットだけで乗り切ることは不可能である。
指定された停留所で降りたら
宿舎に電話で一報しなくてはならない。
旅をするのに、通話ができる携帯電話を持ってて本当に良かった。
電話が可能なだけで客としての信頼度もぐんと増すのである。

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どんなに想像してもブルーのグラデーションイメージしか出てこない。
不便度や便利度、本当の観光ポイントなどの詳細は
やっぱり現地に出向かないとわからないのが旅である。
ハプニングだってつきもので、そこに行けてない可能性だってある。
だから宿舎の予約は素泊まりにしてあった。
食事は、現地の様子で決めたかった。
少年の口の好みに合わなかったら食事が勿体無い
プラス、2度食事のことを考えなくてはいけない。
あぁ、私一人だったらどんなに楽だったことか・・・。(!)
しかし、島と言えども海鮮ばかりではない。
小豆島は、オリーブ牛、オリーブ豚、オリーブ麺とか・・
いろいろ工夫された特産がある。
そして、交通が不便で、夜な夜な歩き回れる所に宿舎はないし
一日の旅の疲れを癒やす大浴場の後とお食事タイムまでの間
地元ビールと地元つまみでのアペリの後、もう動けないw
結局のところ、国民宿舎の食事を毎日予約することになった。
少年もほんのちょっと我が家スタイルの時間が過ごせ
そしてお食事もご飯お代わりジュース飲み放題に大満足していた。
それと男湯一人で泳ぎ放題の大浴場からは少年の鼻歌まで聞こえたw
私が風呂上がり食事の前のビール選びに花を咲かせていることに
宿舎の受付の男性も気がついたようだ。
私に寄ってきて、自分好みのビールを説明してくれた。
翌日、ビールの感想を伝えると次のアドバイスをしてくれる!
小豆島の特産を使って小豆島で造られているまめまめビール。
とっても独特な味がした醤油のもろみを使った黒ビール
受付人オススメの柑橘系の赤いビール
こんなところにも?!米麹とお米を使った金ビール
次はこれが飲みやすいよとアドバイス付の柑橘系すっきりビール
クラフトビールの楽しいところは、バリエーションではないだろうか。
日々の楽しみが増えた。

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それにしても私たちはツイていない。
晴れが多いと言われる瀬戸内に来ているのに雨の毎日。
梅雨だから仕方がない。
雨に濡れてもへっちゃらな格好をして
ジャブジャブ雨の中を歩いた。
そんな雨の小豆島では、蔵めぐりがよいかもしれない。
国民宿舎の無料送迎で最寄り停留所まで連れて行ってもらい
その停留所からバスに乗って行きたいゾーンの入り口で降り
私たちの探索が始まるのである。
オリーブオイルソムリエの友が小豆島へ行くなら是非ココへ!
と薦めてくれた蔵が二つある。
いっぱい軒並ぶ中、そこへどうしても行きたい。

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ひしおの郷さとと呼ばれる塩を加えて発酵させた塩蔵品
醤油や佃煮工場が軒を連ねた一帯があり
建築も明治時代スタイルを残し現役に活躍している。
その一角の裏道に森國酒造がある。
小豆島の米と湧き水を使った島唯一の地酒だそうだ。
これは話を聞いてみたい。
メールでアポをとり、伺うことにした。
酒造の主は、女性であった。
今思うと、私と同じくらいかそうたいして歳の差はないように思う。
森國酒造の歴史、米と湧き水と酒造りの誇り
杜氏とうじや蔵人くらびとなど酒造職人の確保
同じ県でも島民出身ではない地元との交錯
などなど話は尽きずなんだか前から知っている人のようにも思えた。
女将は「どうそ試飲をしていってください」とバーに案内して下さった。
築80年の元佃煮工場を、そこにあった古資材を残しながら
現代風にリノベーションした島とは思えない素敵なバーで
次から次へいろんな種類のお酒を試飲させて頂いた。
どうせならどれもこれもゆっくり試飲したい。
カフェのメニューを注文し超豪華なアペリティフとなった。
このお酒に合う料理を・・と瞑想が広がる。
試飲をしていると、どうしても買いたくなる。
イタリアへ重いのに二本、小豆島の米と水で造られた純米酒と
アルコール度数8度米のモストのような生酒風吟醸酒をチョイス。
雨さえ降ってなかったら、地酒森國酒造さんの後
小豆島の百選級の棚田を見に行きたかった。
そして湧き水も掬って飲んでみたかった。

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近くの山から湯気が立ってるような近い空の大粒の雨の中
バスを待った。小学校が終わった時間のようだ。
黄色い帽子を被った子どもたちがバス停にやってきた。
子どもたちは、観光客に警戒していた。
「お母さん、写真撮るのやめなよ。」と少年も言う。
きっと今までに何かあったのかもしれない。
バスの中は、半分は観光客であった。
子どもたちや地元民の座るところがない。
とても申し訳ない気持ちになった。
芸術祭が始まる頃は、もう夏休みだ。
それまで島の観光とは縁のない子どもたちは辛抱を強いられる。
バスを降りて、そこから歩いた。
二本あった傘の内、百均の二百円傘は壊れ
コンビニで買った超軽量の小さな折りたたみ傘で歩いていると
後ろからクラクションがなった。
あぁこんな細い道を横並びで歩いているからだ・・と
申し訳なく振り向くと、車の中から透明傘を差し出すおばちゃんと
後部座席から覗き込んでいる子どもがいる。
「ホラ、この傘使って!」
「えっ、ど、どうしてですかっ!!」
後ろから車が来ている。
「ありがとうございます!!!」
傘を受け取って、行ってしまった・・・。
私と少年は呆気にとられた。
その透明傘は次に困った人へ渡そうと旅の間大事に使うことにした。
大人の私だって急な親切に驚いたのだから
大人に近づく少年はもっと驚いたようだ。
「なんで傘くれたの?」
親切、知らない人から知らない人へ、旅の話をしながら
次へ歩いた。
つづく。


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田舎とは、都会から離れた土地とか故郷とかいう意味の他に

人気が少なく田畑の多い所なんていう意味もある。ワオ

都会は人工の街だが、田舎は人工の自然だったりもする。

どちらも人の手は必要だと思う。

田舎は人気が少ないのではなく

人工の畑を人口密度の低い土地を利用しているだけだと思う。

都会は人だけで足りるビジネスが成り立ち

田舎は自然を活用した私たちの根本的な糧をつくる。

都会が窮屈だなぁと引き上げてくる人だっていれば

田舎は何も無いじゃないかと都会に繰り出す人もいる。

私は両方体験し、田舎暮らしを選んだ。


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私と少年は、東京から夜行バスで瀬戸内へ向かうことにした。

夜行バスを使うのは久々である。

昔、フィレンツェからバルセロナへ向かう夜行バスに乗ったことがある。

夜行用でもなければ長距離用でもなさそうな

市内を走るフツーのバスぐらい窮屈だったことを覚えている。

それでも昔も現在も

夜行バスが一番節約できる移動手段のようだ。

新幹線は、何泊もできそうなほどの料金であった。

格安飛行機案も薦められたが、空港からの移動が悩ましかった。

夜行電車は、東欧を周ったときのよい思い出がある。

しかし、日本での夜行電車は、利用者がいないのか

無いか高いかの情報で止まってしまった。

日本の長距離移動手段に夜行バスを選んだ理由は

一泊分の宿泊費が節約できるからと

近頃の夜行バスは快適なつくりになっていると聞いたからである。

値段も格安飛行機よりちょい安か同じぐらいだけど

行きたい主要駅の近くに到着することも決め手となった。


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行きは残念ながら、決断が遅く4列シートの車内トイレ無し

と割とフツーの長距離バスであった。

が、リクライニングはかなり可能で、ゆったりシートと呼べたと思う。

しかし、アニマル少年が横にピッタリいることが欠点であった。

だから少年と4列シートは不向きという結果が出た。

夜行バスのデメリットは

車窓がカーテンでずっと閉められていて、開けてはいけない。

だから、ニッポン列島を横断しているのに

暗くても風景が見れず、どこに来たのか

地図と頭で理解しないとわからないのである。

11時間も13時間も乗っていたら

ヨーロッパから日本行きの飛行機と同じである。

車内にトイレが無いから、2時間毎にサービスエリアで休憩した。

そこで、トイレに行きつつ、ドリンクを調達しに店に入って

そこにある物産やお土産でなんとなく土地がわかったりする程度。

運転手は二人いて、ドライバーともカーテンで仕切られる。

2回目からのサービスエリア到着時のアナウンスはない。

睡眠しているお客様を尊重しているようだ。

乗客は気がついたら降りる、という設定である。


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帰りの夜行バスは、3列シートで車内トイレ付を早めにチョイス。

列ごとに独立しており、通路は一本広く一本狭くなっていて

独立していても二人組と一人で分けられる。

そしてカーテンで仕切りをし個室空間を味わえる。

さらにアイマスクや車内スリッパまでもプレゼントしてくれる。

トイレは、階段降りて地下風に設置。

だから荷物置き場を占領する形になるので

荷物の大きさに制限がある。バスを待っている時

どこにオフィスがあってどこから現れたかわからない

バスを案内しに来たおばちゃんから

「アナタの荷物入れさせてくれないかもよ」なんて言われ焦った。

「案内に書いてあったでしょ、送らなきゃいけないかもよ」マジ?!

ドライバーらしき二人の内、一人が予約リストチェック

一人が荷物を入れてくれたのだが

きっと私みたいによく読まないお客様がいるのであろう

「大丈夫ですよ」とホイホイ積んでくれた。・・よかった・・


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我が母子は、岡山に到着した。初めて訪れる。

岡山には、フィレンツェの日本語補習授業校で

出会ったママ友がいる。

そのママ友が日本人会の冊子アルノで

岡山を紹介していたことから、訪ねてみようと思った。

子どもの年齢やクラスが違うのに、役員を機に親しくなって

その後もお互いの活動に応援し合えるほど気の合う仲となった。

そして彼女は、農主のビオディナミワインファンでもある。

だから私の観光以外にも

素敵なワイン&オリーブオイル会を催して下さった。

顔の広いママ友のお人柄はきっと今も昔も変わらないのであろう。

たくさんのご友人さまたちが足を運んで下さった。

次から次へと参加希望が名乗り出、会場を借りたほどであった。

地元の仲良しの同級生と娘さん、少年の先輩である息子さんも

総出で支度をし、会を盛り上げようと努めてくれた。


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ママ友の実家をお借りして

会用の例のリコッタチーズをつくることになった。

岡山駅からローカル線に乗り、30分ぐらいのところで降りた。

岡山駅から数駅ですでに景色は、田んぼが広がる田舎であった。

ママ友が育ったところはのどか~なところで

駅も無人のような映画にでも出てきそうなところであった。

もうしばらくぼーっと瞑想にふけっててもいいぐらいであった。

ママ友が自転車で迎えに来てくれた。

田舎だから駅から遠いことを想像していたが

おしゃべりしている時間もないくらいとても駅に近く

便利で静かなところに家があった。

ママ友がいつか制服を着てこの駅を使ってたんだろうな

なんてことを想像したりした。

私も田舎の住宅地に住んでいたから、その似たような風景から

私の思春期時代なんかも思い出していた。


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なんだか外国に旅しているぐらい遠くに来ている感じがしたが

ママ友の実家にお邪魔すると

やはりどの家庭にもある生活空間は

生活に溢れていて温かみがある。

お母様もお父様もママ友もイケ青年も

その生活空間の中の自分の場所に立って、私たちを迎えてくれた。

お母様がランチをご用意して下さった。

いつもブログを読んで下さってるということで

私の嗜好をご存知で、話が弾んだ。


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岡山では、後楽園と倉敷を観光した。

後楽園は、ママ友とお母様が声を揃えて薦めてくれた場所である。

路面電車で旭川を渡った先に後楽園がある。

ママ友と体験入学中の学校帰りのイケ青年(息子)と待ち合わせ

午後たっぷりと日本名園の後楽園に時を任せた。

贅沢なほどの広大な敷地は

どこを歩いても、ビューポイントに立ち止まっても

癒やしの設計が施されていることが素晴らしい。

まず走ることを忘れる。邪念が消える。

昔だって癒やしが必要だから設けられた訳で

現代の今日、この癒やしは必要不可欠なのではないであろうか。

イタリアにも美しい庭園が数ある。

庭を日々美しく保つには、実は容易ではない。

それは人の手と腕で造られ、守られていく。

暮らしの中の人々のストレスは

ここでも人の造り出す業となって癒やされるのである。

園芸のアルバイトの時そんなことに気がついた。


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我が母子は、倉敷の美観地区を散策した。

ここはCinecittàチネチッタ(映画撮影所)か。

まるでタイムスリップしたかのように

柳が揺れ水面に街を映し出す堀割りの静かな川が流れていた。

白壁やなまこ壁、瓦屋根や蔵そして見事な植木

ジャパニーズスタイルの建築様式が立ち並ぶ中

擬洋風建築的に大原美術館や

アイビースクエア(倉敷紡績所跡)などスポットにある。

この地区一の実業家大原一族抜きには倉敷は語れない。

国指定重要文化財の大原家の本邸を訪れた。

大原家の社会貢献思想では

ゲニウス・ロキという土地の魂と表現し

「その地の気候風土の中で住む人の精神性・価値観が

堆積したもの、つまり、それぞれの土地に魂があり

それが産業や文化を形作っていく」という。


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私たちは、高いところに行って倉敷の町並みを眺めてみようと

阿智神社を訪れた。

山頂にある神社は、倉敷を見守るように鎮座していた。

そこでは黄色いだるまちゃんが金運アンド幸運ということで

私の好きな色、黄色いだるまに祈りを込めた。

神社から降りて、小腹と喉を潤わせるために

高価なおやつ、冷えた岡山特産白桃を味わった。

1個七百円。宝のような白桃・・次は白桃の収穫に出向くぞよ。


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田舎と街とレトロが交錯する岡山。

観光というより住んでみたくなった温かみのあるところだった。

いつかまたその空気を吸いに訪れたいと思う。



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山のミルクをリコッタに Ricotta fai da te

田舎暮らしは地元民と行動する Stagione del mio giardino

1ページのあとがき sono in un giornalino



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Drawn by Y. I.

南房総市の園芸の住み込みアルバイトには寮があった。

作業場と同じ敷地内にある個室プレハブは男子

最近リフォームしたという少し離れた古民家シェアハウスは

女子寮ということで、私はこちらの仲間入りとなった。

食器も布団もタオルも用意してくださり

私は、作業服と長靴と雨合羽を用意すればいいぐらいであった。

カバン一つで行けるのは、大変便利である。

寮があると、住まいのいろんな手続きも省けるし

生活用品が揃っていれば、余分なお金もかからない。

そんなこともここを選んだ一つの理由であった。

自由に働き歩ける、土地を知る、産物に触れ合う

長期では続けにくいことでも

双方にメリットがあるのではないかと思った。

イタリアにも寮付き農業があると季節労働の

移民も私も少数の若者も働きやすくなるのにな。


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そこには仲間との出会いがあった。

どこにいても、私次第かもしれないが、相手次第ということもある。

出会う仲間がウエルカムだと、滞在はやたらと楽しくなる。

私は、絶対に彼らのおかげで、楽しく過ごせたと思っている。

一人でも十分サバイバルに旅気分はできるのだが

笑えることは一人ではできない。

人との触れ合いがあるからこそ

時が満ちていくのではないかと思う。


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私が配属したチームはみんな若かった。

若者たちから仕事を習うのも悪くない。

それは年上を謙遜する社会だからか。

心の中は何を思っているかわからないが

シンプルなテクニックをシンプルな理由をつけて教えてくれる。

きっとこれが私みたいのだったら、ウンチク付きかもしれないw


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シェアハウスの女子はみんな同じチームの子たちだった。

私と同じ短期の子もいた。

早寝早起きの若者もいたし、料理好きもいた。

仕事が終わって、夜な夜なおしゃべりをし続けることもあったし

若者たちはゲームで盛り上がっていることもあった。

同じ短期の子は、高校卒業したてであった。

「えっ、お母さんいくつ?!」

私と歳が同じであった・・。

娘でもおかしくない子と一緒に仕事をしているのか。

娘のような彼女は、これから国家試験を要する職を学びたいから

違う仕事ができるのは今しかないと

夏休みや春休みの長期の休みになると

寮付きアルバイトに出掛けるのだそうだ。

素晴らしい。

しっかりしている。

彼女の食事は、レトルトを使うことなく

見て覚えたというお母さんの手料理を真似して作っていた。

私が18歳の頃なんて・・・

恥ずかしくなった。


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お花屋さんでフラワーアレンジメントをしていたフロリストの彼女は

お花が育つ生産も体験しておきたいと

何から何まで黙々と一生懸命だ。

若いのに人生のスケジュールがあって素晴らしい。


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お酒が飲めないのに晩酌をしている私に付き合ってくれった彼女は

東京で四六時中働き、人間味が薄れかけた頃

空が見えるところで働きたいと節目をつくって転職したそうだ。

これをきっかけに、やりたいことが溢れ出てきたみたい。

今までの生活を変えることはなかなか決心つかない。えらいぞ。

彼女も次なるステップへ走行中。


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時にシェアハウスに遊びに来る大人のような二十歳の女子だって

夢をもっていた。

話を聞いているだけで、応援したくなる。


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気が付くと周りはみな平成生まれの子たちであった。

「私、平成元年です~」

なぬっ、私だけか昭和時代から歩んできた者は。

初めて直撃した話題である。

まず元号で歳の話はしたことがない。

つまり私は昭和の人としか話すことがなかったことになる。

そしてイタリアに移住してからというもの物事は西暦で流れていた。

私には新鮮だった。

急に平成と昭和の違いを考えてしまった。

そういえば、私の息子も平成生まれだ。

しかし、西暦でしか言ったことも見たこともなかったので

息子が平成何年生まれか知らなかったのであるww


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来日していることもあって私には選挙の投票権があった。

しかし、日本の政治情報や関心はイタリアにいるとなかなかない。

まず現在の日本の世論の動向がよくわかっていない。

私は平成の若者たちと日本の政治や社会について話したかった。

何時間でも話している討論好きイタリア国民と暮らしていると

そんな話題は当たり前だと思っていた。

しかし平成の若者たちは

政治の話や投票に関して話したがらなかった。

むしろ驚かれてしまったぐらいだ。

「投票の話はタブーです。」


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時に向こうの寮の男子も遊びに来た。

チームが同じだから日中パーティ企画の話で盛り上がる。

同じような格好をした兄弟のような彼らは

ベトナムからの交換留学生であった。

労働しながら日本語を学ぶ組織から派遣されてきたようである。

片言も日本語が話せない状態で、日本に来たそうだ。

日本語でコミュニケーションができないだけで

仕事はできる。スピーディでパーフェクト。

体の中で一つできない操作があると

同じ体のできることが発揮する仕組みになっていると私は信じているが

まさしくもそれで、彼らの感はコミュニケーション以上だったように思う。

さらに、彼らの国は、早くから親を手伝ったり働いたりするようで

それもてつだって機敏さと機転の利き方が

イタリアにも日本にもなく、新鮮で彼らが輝いて見えた。


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娘のような仲間たちに、現地の住人から頂いた畑のトマトで

トマトソースのパスタをつくってあげたことがある。

トマトからソースをつくったことがない!と喜んで食べていた娘たち。

田舎の特権、近所の牛屋さんで生牛乳をゲットし

リコッタチーズ(生チーズ)をつくって

私が持っていった自慢のオリーブオイルでつまんだ。

きゃ~東京のレストランみたい!と喜んだ。

そんなチームの若者たちと餃子パーティをしたり

ベトナム兄弟(と呼んだ)が奮ったベトナム料理をご馳走になったり

トランプしたり、ゲームしたり、イラスト描いたり。

まるで時代がスリップしたかのように楽しかった。

あの若かれし頃の無意味っぽい時間の過ごし方。

いいじゃないか、ほんの少しだったら

無意味な時間っぽくったって。

その無意味な時間の中で笑えばいい。

そんな風に私は彼らと平成の若者風にすましていた。


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別れ際、彼らは私にずっと手を振りながら見送ってくれた。

いつも私が手を振って見送る側だったのに

今回は私が去るのか。

出会いと別れのある職場できっと学ぶことはいっぱいあるであろう。

彼らの未来に心から乾杯だ。

人生の楽しい一瞬をありがとう。

ワタシの似顔絵笑ってる!



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輝く花 i fiori

上、下、右、左、すれ違い Metropoli

友たちよ un tocco di giappone



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晴れをあまり見ることのなかった梅雨の頃

周りは田んぼだらけの千葉県南房総市で

この帰国、園芸の住み込みアルバイトをした。

千葉県を房総、その南という地理的な呼び方はわかるが

南房総市なんて聞いたことがなかった。

現地の住人が教えてくれた。

以前は安房郡だったらしく、平成中に改名されたそうなのだ。

館山市と鴨川市に挟まれるように位置している。

一部館山で覚えていたビーチがあるところも

南房総市になっていたりする。

知り合いや目的がないと地名が変更されていることなんて

知るよしもないであろう。

同世代の友人に説明するとき、東京方面から通る地名と

ビーチ名をいくつか上げて、説明することになった。

住むからには、周辺の地理にも興味を持たなければいけない。

ということが行ってわかった。


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アルバイト先は、お花屋さんに届ける

花の生産をしているところであった。

南房総は気候がよく、お花の生産地であることを思い出した。

特に切り花の生産が高く、あちこちにビニールハウスがある。

あのビニールハウスの中は野菜ではない。

お花屋さんできれいに並ぶお花は

ハウスの中で大切に育てられているのだ。

一般のお客様の手に届くまでの時間を計算して

収穫から出荷まで、気温や水の管理

少しでも長く保つよう葉の処理、梱包・・・

そう、少しでも長く鑑賞が楽しめるよう、もしかすると

野菜や果物より、丁寧に育てられ扱われているかもしれない。


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私たちの生活の中で求む癒やしは

やはり私たちの手でつくられているのだ。

お金もグルグル回っているけれど、業もグルグル回っている。

問題も人から生まれ、解決のビジネスまで生まれる。

世の中から生まれたストレスをメンタル用商品で解決する。


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この切り花はいったいなんのためにつくられているのであろう。

首が弱い赤ちゃんを抱くように収穫し

千と千尋の神隠しの坊のうように世の中を見せずに管理する。


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私は、切り花を購入することは無いのだが

街で見かける花たちは、一本一本大切に育てられてきたのだと

つくられた花のいのちまで目を置くようになった。

街で生花のコンクールのような展示が催されていた。

私が抱くようにして収穫したヒマワリと似ていた。

色が大切と、ハーブも生ける。

食と効能でしか考えたことがなかったハーブも、大切に育てられ

きれいな姿で街に売られていった。


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植物の私たちへの役割と効果とは

全ての五感と栄養と効能、メンタルまで

私たちの生命に密着していた。

花の人生のうち、花が咲いているときが一番輝いているならば

その一番輝いている「時」を大切にしてあげている私たちの人生の

輝いている「時」は誰が大切に育てるのであろうか。

それはやっぱり私たち人間で、自分自身なのである。

ブドウやオリーブを育てていても同じように思ったことがある。

母がこの世を去ったときに

若かった私になんとなく教えてくれた。

植物の人生と私たちの人生は似ているなと。

だから私は、抱くように収穫したヒマワリを持って

母のお墓参りに行くことにした。

母の命日は、まだまだ梅雨の蚊が飛び回る生暖かい曇であった。



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この日に Anniversario

ブドウをを摘んでから Foglie di Uva

風に揺らぐ田 Le risaie



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私は外出中歩くのが好きだ。

ただただ好奇心旺盛だからである。

歩けば上から下、右、左

よく見れて立ち止まることもできれば写真も撮れる。

自転車だとそれがなかなかできないから

他と同じ移動手段用の乗り物にしかすぎない。

少年も小さい頃からずっと歩いてきたから

車でピャッと行っちゃうより、歩いていこうよと提案してくれる。

節約もそうだけど、エコだから、できるときは大いに歩けばいい。


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だから歩いた。


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東京に泊まるにはどこがいいか。

いろいろ探した。ホテルもカプセルもシェアハウスも。

ワイン&オリーブオイル会用のグッズはたまた旅行帰りのお土産で

重い中型スーツケースを引っ張って歩く私は

主要駅から徒歩5分以内がいいに決まってる。

しかし、安くて安全で便利な都合のいいホテルはなかなかない。

最も行くであろう街から遠いところに宿泊先があっても

交通費がかかってしまうのは賢くない。

乗り継ぎが多くなるようなところに泊まるのも

駅構内の徒歩でエネルギーを消耗してしまう。

コインロッカーを使わずに荷物を預かってくれて

高速バスを利用することが多いならば

新宿バスタ(新宿駅南口)付近に

ホテルを探すのが私にはベストであった。


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あった。


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一本奥にある30年来のクラシックスタイルの旅館から

少年の目的地、渋谷まで明治神宮・原宿を通って歩いて行った。

懐かしいな。青春時代よくショッピングしに来た街だ。

少年もそのうちそうなるのかな。

何しろ若者の街だから、若者が多かった。

世代交代を感じた。

写真を撮ることが恥ずかしくなった。

今より昔を撮りたくなった。

ん十年も経った今、新鮮さがちょっと似ていた。

今写真を撮ると、昔の私が飛び出してきそうだった。

表参道の脇道を通うホンモノの青春クンからいうと

私なんかまだ若い方なんだそう。

もっともっと年上のイケオバとかイケオジってのがいて

歩いてるとめちゃカッコイイんだそう。

そうか。もうしばらく通えそうだな、大地の住人。


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私は表参道の脇道にある青春クンが通うヘアサロンでカットをした。

ファッションの街原宿だぜ!

すごく期待していったのだが、私の要望に合う髪型は

この機能的ないつものスタイルということに留まってしまった。

私のナチュラル剥き出しのハクハツカラーは

ファッションの街に違和感がないのかもしれない。

そうよ、ナチュラルカラーが私流ファッションなんだから。

サロンで見習う青年たちは

コミュニケーション力も見習い中のようだった。

オリーブオイルのことを積極的に聞いていた。

古着のリメイクジャージファッションが流行っていることを話してくれた。

私も若い頃はこうだったのかな。


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少年は、渋谷のスクランブル交差点に行きたがった。

これだ。

外国人がつくるニッポンプレゼンムービーに登場する交差点。

少年みたいにムービーで撮ってる人がいっぱいいた。

交差点を見渡せるSTARBUCKSは列をつくり

Fの特等席には順番待ちもしくは

座席中の他人の頭上で撮影が行われている状態だった。

確かに眺めていると小さな人間の粒が集まって突進して交差して

ミニチュアフィギュアのようでおもしろい。

人生のすれ違いを学んでいるかのようだった。

私は、この交差点の目に飛び込む大型ビジョンで

昭和天皇の訃報を知った。

黙祷しながら信号を何回か見送ったことを覚えている。



渋谷も原宿も新宿も六本木も銀座も

入るどの飲食店には満席なくらい人がいっぱいいた。


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六本木にあるコレクションを持たない国立新美術館

The National Art of Center, Tokyoに行った。

黒川紀章氏設計のカーブしたたガラスの積み重ねのエントランス

そしてロビーの吹き抜けはリッチな気分にさせる。

この開放感は、少年からすると手の届かない遊び場のようだ。

飛び跳ねても何も届かない。

エレベーターを往復し、空間を満喫していた。

ロビー脇にある北欧スタイルの椅子が並んでいる。

シンプルデザイン北欧家具好きにはたまらない。

サイズが贅沢なデザインは、リラックスからあえて遊び心が生まれる。

ウェグナーのシェルチェアーに座れるだけでもう満足。

私たちは9月2日までやっているフランス人アーティスト

クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展Lifetimeに訪れた。

集団、個、死、宗教、社会、想像、思考、遊び心、空間、表現

少年にも何か伝わったのではないだろうか

空間アートはおもしろい。


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私たちは、国立新美術館を見下ろすように

六本木ヒルズの展望台に上った。

あ、新宿都庁だ。前回あそこに上ったんだよ。

次回は東京タワー。その次はスカイツリーに上ろう。

大きい青山霊園をはじめ

ポツポツお墓付きの寺が街にあるのが妙な光景に感じた。

イタリアの教会みたいなものなんだろうけど

無機質な人工の街に祖先様の居所が不自然に思えた。

見渡す限り大小のビル。

こんなところにも住んでいるのか、真下には六本木高等学校。

ナポリのスパッカナポリのように道で街が真っ二つに別れている。

高速が街の上をくねくね通っている。

まるで未来都市みたいで

車が宙に浮いて移動しているように見えた。


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ヴィンチの丘から見渡す景色は

人工の街ではなく人工の畑だ。

ビルが木々一本一本のようだ。

東京はどんよりスモッグらしき層で街は覆われていた。

田舎は、覆われることなく天気に左右される。

ヴィンチは雨が2ヶ月降ってないそうで、カラカラしている。

どこかで雨が降っているだろう空気は流れているのに。

今日の夕日はまるで日の丸のようだった。




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