日が日に日に長くなっていった。
夏至が来ると、日は日に日に短くなっていく。
我が家から眺める夏至の点は、ちょうどあそことあそこの山の間なんだ。
日が沈むとき、日はキュッと山に飲み込まれるように沈んでいく。紅い影だけを残して。
2017年のイタリアの夏は、早くに訪れた。とてもとても早く。まるで潜んでいたものが急に飛び出してきたかのように。
もう長いこと夏を過ごしているようだが、まだ6月だって終わってない。
夏に暑過ぎることがありえても、早過ぎてはいけない。
春と夏は、植物が芽生え成長するとき。
植物のカラダだってリンパが流れ、ホルモンがあって、時がある。
今が旬のAlbicoccaアルビコッカ(アンズ)は、ボトボト落ちているそう。大急ぎ!と摘んできた大地のアンズは、やっぱり買ってきたアンズより、濃厚な味。
こちらも今が旬のSusini Selvaticiスジーニ セルヴァーティチ(野生のスモモ)。毎年この時期、男子親子で、夫族所有の空き地に摘みに行く。たくさん摘んでくるが、すぐに食べ終わってしまう。
たいていなら八月下旬に熟度が増すFichiフィーキ(複・イチジク)は、もうブヨブヨしている。無花果イチジクのお腹(実)を開けると、そこには成長しきれなかった詰った花(胎児)のように見え「ワタシ、なんかおかしいよね」と泣いているような悲しい姿で私を見つめた。
本当に。
待ち望んでいた私には、記憶を記録することができなかった。
我が家は、取り外しのよしず棚がある。そこを将来、フジとブドウのPergolaペルゴラ(蔓棚)にする計画だが、とりあえずよしずを固定する。
夕日に面するこちらは、このよしず棚が有ると無いとでは、室内三度の差は出てくる。
この棚下は、集いの場。
飲んで、食べて、おしゃべりして、ゴロゴロして、遊んで、作業したり、勉強したり・・・。
虫も鳥もよく通る。風もよく通る。
目の前に広がる夕日の見えるパノラマは、ヴィンチの丘が連なる。丘の渓谷ができている。この渓谷が今枯れ草で、夕日に照らされると黄金の川のように見える。
(ここのパノラマポイントは、ドライブマップにも表記されていている為、車を止めて写真を撮る通りすがりの観光客をよく見かける。)
二十匹はいるのではないかと思われるチョウが集まるラベンダーは、その黄金の川のパノラマを飾る。チョウを呼ぶラベンダーを見ていると、私までチョウになった気分でヒラヒラと軽く飛んでいる気分となる。そしてゴックン・・ラベンダーの甘そうな味が伝わってくる。 ・・気がする。
この棚下は、イタリアの庶民が集うCircolo ARCIチルコロ アルチ(=Casa del Popoloカーザ デル ポーポロ Barバール(喫茶店)風だが、各地の庶民が各地に立ち上げた会員制システム文化的社交の場)のような空間。
Circoloには欠かせないCalcettoカルチェット(=Calcio Balillaカルチョ バリッラ テーブルフットボールもしくはフーズボール)は、我が家の棚下チルコロにだってある(!)。
この棚下チルコロは、我が家のリラックスポイント。
この空間のために、この家を購入したようなもの。
耳を澄ませば、自然の音色が聞こえてくる。
虫の音、鳥の音、風の音、揺れる音・・・近所の音。
同じ景色でも、日々色が違って、毎日空は違う。
しかし自然が荒れ狂うと、このチルコロにはいられない。ちっぽけな私たちの逃げ場はない。棚下の曝けたチルコロは、一変にして姿を変える。
棚下チルコロは守ってくれないけど、それ以上に私たちを癒してくれる。
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