出会いは1995年夏が過ぎ去ろうとしている頃、フィレンツェの下町サントスピリト教会付近の小道にあったHerman Mejer師の工房だった。
私は工房でテラコッタやカルタペスタの額をひたすら作っていた。
ある時たまちゃんが現れ、メラメラ燃えるような壺を制作し始めた。
たまちゃんは部屋を探していた。
私はサントスピリト教会の横の共同アパートに住んでいた。
大家さんと交渉して、この広いアパートのシングルルームはCamera Doppiaカーメラ ドッピア(二人部屋)となった。
毎晩毎晩、机の下に置きっ放しにしてある1.5ℓ瓶のワインを注ぎ注ぎ、語った語った。
たまちゃんは、アネキのような存在となった。
たまちゃんと、写真を撮った。
フィレンツェの下町を歩き、写真を撮った。
生活の写真を撮った。
私たちを撮った。
そして、ちょこちょこいろいろ作った。
このCamera Doppiaに、たくさんの友が来た。
背伸びする私たちは、未来を語った。自分を語った。
翌年、みんなバラバラに人生を歩んだ。
20年を超えたあの頃を、いつになっても振り返る。
たった一年の出来事が出会いとなって、私の人生の一部にくっきり刻まれ、今日の日々の暮らしの中でも、私の肩をたたき、背中を押す。
アネキのようなたまちゃんは、ミラノの陶芸家の弟子となった。
そして、日本とイタリアを跨ぐ陶芸家活動をしている。
工房Cocciorino / tamamiazuma.com
この度、師匠と弟子のコンビで合同展をするそうだ。
時は過ぎ、そしてまた過ぎ、もっと過ぎていく。
時の中を駆け抜けて、また会う。
過ぎて過ぎて過ぎた時間を人生に刻み続けて、また出会う。