大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

February 2018

1985年、イタリアに大寒波が来た。

夫は、15歳だったから記憶があるそうだ。

日本だと中三とかだから、覚えているであろう。

とにかく寒い日が続いたと記憶しているそうだ。

今から、33年前の話である。

sagoma di Olivo


その
1985年の大寒波は、記録的な模様だったそうだ。


農業養成講座でも、授業の中で触れた話題。


大寒波で、トスカーナのオリーブは

大打撃を受け、枯れてしまった。


その後、植え替えられたり、接木されたり。

だから、世紀的に生きているオリーブの樹は

生き残った・・ともいえるであろう。


私が管理しているオリーブたちも

若かったり、接木されたり。


オリーブに限って調べると

ー8/10℃までは耐えられるそうだ。

・・・・・・・・・。


1985年の大寒波は

1984年の十二月から寒波は始まり

一月の年明け早々、マイナス日が三週間弱続いたそうだ。

山の方ではー33℃

フィレンツェでもー22℃

なんていう数字を記録している。

Cielo sinificativo


そして
2018年二月・・・

春の気配だらけの大地では

春支度に向けて、剪定の真っ最中であった。


ところが、1985年を思わせる寒波が到来!

なんていうニュースが連日、報道された。

この寒波は、シベリアの方から流れてくる大気だそうだ。


日曜日、各地で雪が降った様子。

ヴィンチでは、雨混じりの霙は、風と共に横に吹いていた。


最近なかなか当たらない天気予報でも

マイナス日は、一週間の辛抱らしい。

ヴィンチの最低気温はー9℃、最高ー2℃

と予報されている。

Nevischio


お日様かまわぬ強風は、私たちに鞭を打っているようだ。


そんな強風を
Vento Buranヴェント ブーランと呼ぶそうだ。

ロシアのウラル山脈からの冷たい強風のことらしい。


天の恵みの農作物が

天の仕業で台無しにならぬことだけを祈るばかりである。

それは、天の仕業なのか、知恵の発達の仕業なのか。

pan di spagna, panna e fragola


イタリアという地は

冬はシベリアから、夏はアフリカから大気が流れ

温暖な地中海性気候のイタリアは

グルングルンと大気の渦は

あっという間にシベリア風に

あっという間にアフリカ風な大地と化する。

Camino


もともと大陸は繋がっていたんだから、ありえることだ。

トスカーナがトロピカル気候だったなんて

想像付かない。


少年と夏休みに行った

フィレンツェにある自然博物館では

イタリアからの目線で語られていた。

日本の自然博物館だったら

きっと日本を中心に物事が語られていくであろう。

per il Camino


というわけで、薪が追いつかずに

慌てて薪割りに精を出す夫である。



*************



Grazie di cuore per il compleanno di mio figlio

che ha ricevuto tanti pensieri dagli amici!


先日の少年の誕生日では

たくさんのお祝いの言葉を頂き

どうもありがとうございました。

Bistecca alla Fiorentina


ケーキのプレゼントまでサプライズで頂き

照れ屋な少年は、感無量に喜びを噛みしめていたようです。

Sorpresa!


一年また、親子共々成長したいと思います。

ありがとうございました。


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顔が変わった私 11°Compleanno

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私が二十二歳になる数日前

母は、乳ガンから発起したガンだらけの身体は

肺に留まり息も引き取った。

モルフィネを打たれ痛みが治まったと同時に

涙をこぼし、ささやかに笑った。

その時、魂が抜けた様子だった。

私はこれからの痛みに泣いた。

今考えると、寂しさに泣いていた。

寂しさが心の痛みだったように思う。

思い出すだけで泣いた。

それでも生きている以上、生活していく。

時間が私を助けてくれた。

同じ日なんてありえない。

前進する意義と生きる愉しさ。

寂しさの涙は、いつしか乾いていった。

mamma e figlio


私はなかなか妊娠しなかった。

不妊相談所のようなところで相談し

(フィレンツェの県立病院Careggiカレッジ内の

Riproduzione Umaniリプロドゥッツィオーネ ウマーニというところ。)

いろいろ検査をすることになった。

調べると、昨年と9年前の手術でも取り除いた

やはり腫瘍が邪魔していた。

卵巣嚢腫というものであった。

卵巣が左右あるうちの右側にあった。

手術をして除去してから妊娠を考えようと

道のりは長くなった。

腫瘍は、さほど大きくなかったので

ちっとも緊急扱いのない手術の予約をし

初めての手術に緊張しながら

首を長くして待っていた。

時間だけが過ぎているような。

妊娠には、少し焦りだす年頃に突入していた。


ある時、なかなか生理がこないから

市販の妊娠検査薬で調べてみると

ポジティブ(=陽性)。

病院に行って、本格的に検査をしてもらって

浮かれて、母子健康手帳を頂いた日

手術の電話を受け取った。


妊娠するための手術だったので、もう必要ない。

浮かれた私はそう思い込みっぱなしだったし

誰も定期検査をしなさいと忠告することもなく。

だから、出産して二年後に痛い思いをそこでする。

ecco


噂通り、つわりを迎え

タバコを止めた。

これだけは自慢に想えること

夫も、タバコを一緒に止めた。

今でも吸うことはない。

人生の学びの一つであろう。


あの時ほど未来が楽しみで仕方がない

という感覚はない。

それでも日常での問題は次から次へと起こり

次から次へと解決していく。

つわりだからとウダウダしてられない。

同じ日は決してない。


当時、不動産も購入し

現在のヴィンチの家の建て直しで

出来の悪い設計士

(Geometraジェオーメートラ、人に依るけどね)

と日々連絡し合っていた。

そのことについては、追々語ろうと思う。


数ヶ月の妊娠期間、順調だった。

国の保険機関で行われる産婦人科ではなく

プライベートの産婦人科の医師について診てもらっていた。

Cielo in Dicembre


四ヶ月目も終わり頃

そのプライベートの産婦人科で定期健診を行った。

医師は、あることを発見した。


胎児の頭の穴がフツーより大きい

というのである。

で?どうなっちゃうの??


胎児の頭の穴は、産まれてからも開いてるし

それがだんだん塞がってくるものなんだが

このまま塞がらず、穴が大きいままだと

知能障害を持った子が生まれてくる

というのである。


私は横になってエコー検査をしている状態。

下から医師を見上げていた。

医師は、下を見るより

なんだか近くにいた夫に向かって話していたような。


イタリアは、障害者に対して厳しい国だから・・・


中絶するには5ヶ月までは法律で許されているから・・・


それ以降だとお金もかかるしイタリアではできない・・・


というのである。

医師は、人工妊娠中絶を勧めているのである。


涙が溢れて止まらなかった。


医師は、他の診療所宛へ手紙を書き

もう一度エコー検査をし診察することの手配をしてもらい

産婦人科を後にした。


それから何日泣いたであろう。

夜も泣いた。

涙は乾いてくれなかった。

涙の海ができそうであった。


四ヶ月の終わりって、もう胎児の動きがわかる。

私の体の中で、命が誕生している。

あんなに望みに望んだ命を、私が殺せというのだ。


私の家族は次々と自ら魂となっていった。

今度は、私が命を殺す?


ありえない。

Vola


私は決めた。

産む。


知能障害でもこの世に誕生して

小さな幸せでもいいから知って欲しい。

同じ日なんてない。

嫌なこともあれば嬉しいことだってある。

知能障害だって生まれて生きる権利はある。

嫌なことを知って嬉しいことを知る権利はある。



私の母は、養護学校の教育者であった。

教頭になり信頼や講演で注目を集めていた頃

この世を去り、期待は続くことなく終わってしまった。

私が青春の頃、彼女の活躍はほとんど後で知ることになるが

少女の頃は、養護学校でイベントがあると

一緒に参加していた。

知能障害で手古摺らせることもあるが

こうやって団体で温かく見守って

一緒に笑える、一緒に学べる

彼らだって好きで障害者やってるんじゃない。


どんな状態でも

同じように扱う、平等でいる

っていうことを一番に学んだ。


可哀想だからと、可哀想に扱うより

平等に扱う。

それは、障害の世界だけでなく

どこの世界においても言えるのではないかと想う。


そんなことを、数日考えた。

産むと決めた途端、涙の波が引いた。


赤く腫れているだろう私を鏡で見た。

鏡に映る私の顔は変わっていた。

その時から私の目は、二重になった。

どんなに擦っても、時間が経っても

二重となった目は今も続く。

母になると決心した顔なのかもしれない。

mamma e figlio nell' ex appartamento

医師の書いた手紙を持って

国の保険機関のエコー検査に行った。

「ちょっと大きいけど、男の子の場合は大抵大きいの。

ほとんどは小さくなっていくから。

毎月、エコーをしながら様子を見ていきましょう。」

母体と胎児、二人でトンネルのCTスキャンも通ったっけ。


その問題以外は、母体も胎児も順調であった。

お腹がはち切れんばかりとなった予定通りの頃

破水して病院へ行き

長い長い分娩室にてやっとこさ産まれてきた。

なんと、プワ~とあくびと伸びをしながら産まれてきた。


その後も頭の穴の検査をしていった。

しかし、異常は見つからず

今では穴どころか石頭。

至って元気にフツーに成長し

今や十一歳の少年。


どうしてあの産婦人科の医師は、あんなことを言ったのか。

Italo-Giapponese


命を授かること、平等に生きる権利を再び学んだことは

このような過程があったからであろう。

人が生まれる、人が生きる人生とは

学ぶために生まれ生きるのだろう。



*************



今日の二月二十二日が、少年の誕生日。

十一年間、病気をすることなく飛び跳ねている。

今日は少年の大好物を食べさせてあげようと思う。

少年のリクエストは

Bisteccaビステッカ(Tボーンステーキ)

生卵ご飯と

プリン!

大好きなものは、毎年同じだ。

con tablet

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カテゴリー少年

晴れ、歩め!Sette Erbe

白い箱の部屋 Quadifoglio

時間

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" 考えごと "

Ci sono i pensieri.

Ci sono i pensieri

Art from recycled paper

60 x 60 cm

natural color and tint with caffè 

natural dry flower

 

***************



考える


一つ一つの出来事を考える


一歩一歩の歩みを考える


人生に起こることを考える


生きることを考える


関係を考える



考えても考えても解決しない時

時間が私を手伝う


出来事が私を手伝う


歩みが私を手伝う


人生が私を手伝い


生きることが私を手伝う


そして、関係が私を手伝う



***************



青春も終わりの頃

大好きな人が哲学の本を読んでいた。

私も同じ世界が知りたくて、同じ本を読んだ。

頭がクルクルした。

帰途中の電車の中で気絶した。

初めて気絶した。

痛くも無く、浮いた感じだった。

Ci sono i pensieri da lato


二十代、頭痛が絶えないほど、よく考えた。

思考が私より先に生まれた。



今もよく考える。

人生に起こってくることを考える。

自分がどう選択しなければいけないか考える。

今までの時間が私を手伝うし

今までの歩みが私を手伝う。


それでも時には、勘に期待する。

勘は、少年の方が上手いようだ。

純粋な勘と、私の歩みと人生。

Ci sono i pensieri da parte


考えごと


今日もこうやって考えている。

Piove


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カテゴリー作品

家の中の族 iCerchi nella Casa

流れにのる montaresulla corrente

自然の皮 Pelledi Natura

出会いを祝ったSanValentino

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まだまだあと20日間はかかるだろう、オリーブの剪定。

お天気とお月様と我が体力の調整をとりながら。

私より大きい樹、オリーブ。

Cielo con Olivo


一本の樹から
34本の

Branche Principaliブランケ プリンチパーリ(:幹のような枝)をもつ

この樹形をVaso Policoncinoヴァーゾ ポリコンチーノという。

トスカーナでは典型的な樹形。


その
34本のBrancheの均等をとる。

例えば、高さや空間。

バランスはとても重要である。

私たちの生活だって、バランスは重要であるのと同じように。

 2014


この畑は
2014年の大きな雹の竜巻に襲われたオリーブ畑。

前回の記事『冬の名残な剪定日和』でも伝えた。


温暖な気候で育たなければいけない植物には

雹は大敵である。


大きな雹で傷を負っただけでなく

冷たさに弱い樹は治癒力が鈍り

ウイルス菌を引き起こしてしまう。


そんな雹が天から叩き落ちてきた後

私たち人間だって生きるか死ぬかの瀬戸際で

しばらく興奮し続け、動揺は治まらない。


しかし、落ち着いて

オリーブのケアのことだって考えなければいけない。

48時間以内に

Rame e Calceラーメ エ カルチェ(銅と石灰)などで

殺菌することを薦められた。

時間内とはいかなかったが

近所の農夫にお願いし、散布してもらった。



それでも、ウイルス菌は生まれていた。


それは、私が一番大嫌いな
Rognaロォニャ(カサカサ病)である。

見た目もゴツゴツして気持ちが悪い。

Tartufo Neroタルトゥーフォ ネーロ(黒トリュフ)みたいのが

いっぱいくっついているのである。


それを触って、他を触るとどんどん感染していく。

感染は、風や雨、Mosca dell'olivoモスカ デッロォリーヴォ(ミバエ)

そして、ほとんどは人間・・つまり作業中に感染していることが

一番の原因だと私は信じて疑わない。


だから、収穫と剪定をしている人が同じだと

病気をすぐに見つけ出し、気をつけ、対処しやすいと私は思う。

Rogna giovane


Rogna
の対処法は、第一に剪定。

見つけたら剪定し、できたらすぐに切った枝を燃やす。

少ない内に剪定して対処しておくことを絶対に薦める。

Anello dell'ramo di Olivo


あまりにもたくさん感染してしまっても、諦めず

四月のMignolaturaミンニョラトゥーラ(オリーブの莟)の頃

Rame e Zolfoラーメ エ ゾルフォ(銅と硫黄)の濃縮液が

製品化されているので、それを散布する。


その製品は天然素材でできているので農薬ではない。

DENTAMETという。

Biologicoビオロージコ(無農薬)マークも記されているので

農薬取り扱い免許がなくても購入は可能なはずだ。


日本はわからないが

イタリアだったらAgrariaアグラリア(専門園芸店)で手に入る。

必ず説明書をよく読み、分量を間違えない。

必ずゴム手袋、マスクやメガネを装着する。

un Olivo che ho potato grosso l'anno scorso


それでも、納得いかない場合。

私は、Brancaごとに元気なSucchioneスッキオーネ(新枝)

生まれていたので、それを一人前に育てることにした。


大手術をしたせいか、芽はどこに生えてよいかわからない。

リンファの流動先がわからない。

こんなに新枝が生まれてきた。


彼らのエネルギーの比重は大きくても小さくても同じようだ。

小さな枝を全てカットし

Brancaになる枝がキレイに育つよう周りを片付けた。

Dopo Potato


毎日、一日が終わると

私は必ず道具を洗い、研ぎ、アルコール消毒する。



作業中Rognaをハサミで触ってしまったかもしれない場合

アルコールで消毒しながら剪定を進めていく。

この畑は、慎重に作業を行わないと

どこにRognaが隠れているかわからない。

Pieno di Succhioni


だから、冬の名残の今を慎重に

大き目の剪定後には

Rame入りのMasticeマスティチェ(癒合剤)

塗っているのである。

Masticeの作り方はいたって簡単。

木工用ボンドに粉になった銅をほんの少し混ぜるだけ。

私は、水もほんの少し加え、緩くしている。

青い蓋のVINAVIL NPCボンドを使うことを薦められた。


le mie attrezzature dopo lavato, affilato e disinfettato


是非、
Rognaだらけにならないよう

早く手を打って欲しい。

樹は、いつしか枯れていく。

Contaminato di Rogna


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カテゴリーオリーブ - 剪定

冬の名残な剪定日和 Potaturadegli Olivi②

天は白の隙間な剪定 Potaturadegli Olivi①

オリーブの木の剪定 Potaturadell'Olivo

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雨がPotinaポティーナ(剪定士)のお休み日。

Pasta con l'Erbe e l'Uova


ここ数日天気の良い日が続いた。

*Luna Discendenteでお天気が良ければ

剪定日和である。

Tappeto Decorato


しかし朝は

大地の吐息が凍りつくほど気温が下がる。

凍りついた吐息が溶け出す頃

今度は汗のように大地は濡れる。

Mattina


樹まで濡れていては、剪定はできない。

彼らのカラダが乾くまで、じっと待つ。

Terra Motosa


雨続きだった冬の大地は、ぐちゃぐちゃ。

イノシシになったように

私も泥まみれになった。

泥まみれになった母を見て

少年は仲間ができたように嬉しそうだった。

Va avanti


こちらのオリーブ畑は

2014年の九月十九日に

大きな雹の竜巻で襲われた畑。

今まで、労わりながら慎重に剪定してきた。

竜巻以前から症状はあったが

この畑はAlternanzaアルテルナンツァがある畑である。

一昨年実のつきが良く昨年実のつきが悪い

という交互性がある症状をいう。

今年の収穫はきっと実のつきが良い想定で

幹から生えている34年経った枝などを減らし

残した実の成る枝にエネルギーを集中させよう

という構想を練った。


ハサミよりノコギリを使う。

ゴリゴリする行為って、凄い体力消耗する。

天辺の太い枝なんか、一気にゴリゴリしきれない・・・。

休み休みやる。

まるで100メートル全速力を何回もしている感じ。

それかマラソンの最後の一絞りで

エネルギー使い果たした感じ。

とにかく、体の中からエネルギーが

ゼーゼーと息となって出てくる感覚を覚えているの。

少女・青春時代は

短距離も長距離も得意だったんです。

Gradazione


夕暮れの頃

銅を混ぜた癒合剤を塗って

一日が終わる。

もうヘトヘト。

でも、やり始めると好きなんだよね。

自分の剪定に満足して、未来に期待する。

Tramonto dal'Oliveto


ランチは、大地のハーブを摘んできたハーブパスタ。

プラス、パスタのお湯でお玉の中で茹でた超半熟卵をのせて

タマゴのっけハーブパスタ!

トロ~と溶けてパスタと絡んで美味しいww



*Luna Discendenteルーナ ディシェンデンテ

天球上の経度=黄経こうけいの秋分点180度から冬至点270度の期間。西洋占星術トロピカル方式回帰運動27.3日サイクル中、半分の期間。

Wikipedia黄道座標サイン(占星術)

(バイオダイナミック農法用カレンダー参考)

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カテゴリーオリーブ > 剪定

天は白の隙間な剪定 Potarura degli Olivi①

オリーブの木の剪定 Potatura dell'Olivo

オリーブ剪定士 Potina

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