大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

February 2023

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私は、トルコに二回も行ったことがある。

イスラムとヨーロッパ、大昔と現代
オスマントルコなどの歴史と、民族やシリア難民
様々な国境に挟まれた中、独特な文化
なんかごっちゃまぜな国のイメージが
今、ある。

当時は、イスラム教一色のイメージ
イスタンブール全部興味津々
カッパドッキアなどの自然
いろんな工芸に興味があって
友(フィレンツェシスターズ)と
第一回目のトルコの旅に出たのだ。

日本やヨーロッパとはまたひと味違う
でもイスラム教100%でもないゆるさ
貧しいのか中堅なのかよくわからない風習
なんかとってもオープンでWelcomeなところ
そんなあいまいなところが
なんとなく先進国と似ている風で親近感があるのだった。

二回目のアドベンチャーな一人旅は
その親近感文化をもつ出会った人に再会したい想いと
もっともっとトルコを旅したい想いが強くなったから
また行ったのである。

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今回のこの大地震情報を聞いたとき
やっぱり私の中でいろいろよぎった。
お昼を終えた同僚が教えてくれた。
「震源地はどこ?」
「シリアの近くらしい。」

シリアの近く...
当時フィルムで写真を撮っていたアルバムを引っ張りだした。
アルバムに記してある土地名を細目にしながら(老眼)
写真をながめてみると
なんとなくの記憶がよみがえってきたのだった。
その時のある土地のエピゾードを紹介しようとおもう。

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私は、ただ単にこの円錐形の屋根
トゥルッリ型の建築物に興味があったはずだ。

イタリアでは、プーリア州にある
石が重なっている(だけ!
それをイタリア語でpietra a seccoと呼ぶ)
Trulliトゥルッリ型の屋根の家が並ぶ
Alberobelloアルベロベッロなんかが有名だ。

私は、もちろんそこも歩いているし
屋根に座って笑っている写真もある。
なんで屋根に上れたかは記憶にない。
1996年の話だ。

それだけの好奇心だけで
シリアの内戦がその頃からあった
シリア難民の多い危険地域に知ってても行ったのだった。

トルコの都会に住む親近感系トルコ人たちは
私がなんでそんなとこに行くのか不思議そうだった。

地震前までは、そしてコロナ前までは
ハッラーンという村は観光客がいっぱい来ていただろう。

今やネットで調べると、いっぱい出てくる。
当時はネットなんぞないから
地球の歩き方やミシェランガイド
あとは現地でインフォメーションオフィスで知るかなんかだ。

私はここで土地の歴史などを語ろうなどとは思わない。
歴史や土地の特徴や詳しいことは、できるものなら
本職でやられている方のネットを参考にしてほしい。

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私がHarranハッラーンという村を訪れたのは
1997年の12月だった。

ハッラーン村へはSanliurfaシャンリウルファという街から
48km(google map調べ)離れたところにある。
トルコはほとんどバス移動だから
そこへも当然バス移動のはずだ。
それしか考えられない。

ハッラーン村はガランとしていた。
写真でもわかるように
広大な土地にポツンとあるような感じだ。

もともとはシリアの土地だったそうなので
シリア人が住んでいたそうだ。

話によると昔も今もトルコとシリアは
仲が悪いそうなので
トルコに住むシリア人が孤立してしまう様子は
被災地情報でもニュースになっていた。

私は、人は人、同じ人間だと思っているので
人に対しての国境はないと信じているけれど
それぞれの想いや文化や歴史があるのだろうから
仕方がない、特に深入りすることはない。

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ハッラーンは、今ネット(wikipedia)で調べてみると
とても歴史のある土地で
古代メソポタミア文明の頃盛んだったそうだ。

その私に興味を持たせたトゥルッリ型(ドーム型とも)を
ビーハイブ ハウス (蜂の巣箱状住居) と呼ぶそうだ。

この土壁でドーム型とは
灼熱の土地の住居には最適なんだそうだ。

しかし、その、ここに住んでいたシリア人たちは
シャンリウルファの街に移住し
現在ハッラーンは観光地として残っているそうだ。

私が訪れた時のこのハッラーン在住シリア人家族の出会いは
とーっても貴重な出会いだったのだと
思い返したり今調べていく中でわかってきたのだ。

トルコとシリアが仲が悪くたって
どちらも日本人の私には優しかった。

言葉が通じなくたって
興味をもったこと
一生懸命コミュニケーションをしようとする姿勢
表情
オーラでいろいろわかる。

どうやら私を歓迎している理由は
家族の写真を撮ってほしい!ということだった。

土壁の家に住んでて、一見貧しいんだけど
心は本当に豊かな家族だった。

子どもたちが嬉しそうだった。
だって、お父さんが嬉しそうにしてるんだもん。

私は、貧しそうなところに住んでいる人の生き方を知りたかった。
豊かな国の幸せと土壁の家に住む家族の幸せは違う。

物が無くたって生きていける強さ
当時私の旅のテーマはそういうところにもあった。

その土地で生まれるその土地に合った住居もそうだけど
生活するための道具とか工芸なんかに興味があった。

当時私は二十代真っ最中だったけど
リセットしたくて仕方がなくって
日本を出てイタリアに住みながら
先進国とは違うような国を旅していた。

言葉が通じないけど、意思が疏通できる
言語もそうだけど、耳が聞こえない人
赤ちゃんや子ども、単に大人同士だって
意思を伝える方法をずっと研究しているかもしれない。

土壁家族の主は私に
手紙が受け取れるP.O.Boxみたいな住所を
渡してくれたので、家族の写真を送ったのだった。
ちゃんと着いたのかな。

今はみんな、子どもたちは大人になって
お父さんお母さんは
おじいちゃんおばあちゃんになっているのかな。


地震で被害がなかったことを祈るばかりですが
全地域お見舞申し上げます。

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Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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1月の冬休み明け、ある申請に
諸々の書類や身分証明書プラス滞在許可書を
持っていく用事があった。

担当した太っちょの中年男性は
いちいち嫌みっぽい言い方で質問する。
性格なんでしょうけど外国人対応に感じてしまう。

この人に限ったことではない
しばし、やなヤツに当たることがあると
その日が壊された感じだ。
そのくらい対応とか印象って
相手に影響するものだと、いつも学ぶ。

次々に書類を広げていって
今度は身分証明書の番だ。
コピーしたりしている。

次、滞在許可書。
「え、紙なの?ぼくは一応受けとるけど無効かもよ、コレ。」
マジ?! ちょっとドキドキしはじめた。

写真をみて
「全然今と違うじゃん。」
っるせーな、大きなお世話だよ!
嫌みを言われたので、大きな手術をしまして、、、
と人生まで語ることになってしまった。
でも太っちょは、ふーんという顔をした。

それもコピーしてるけど、太っちょだから動きが鈍い。
落としやがった。
しかも机の後ろの埃の溜まってそうなところに
舞ってしまった。
太っちょだからなかなかとれない。
私がとりましょうか、と言っておけばよかった。
とれたはいいが、角が折れていた。。
15年、どこに行くのもクリアファイルに入れて
大切に持ち歩いていたのに
太っちょの鈍さで、あっという間に折れるなんて!

そう、この滞在許可書は妊娠中に取ったんだ。
妊娠してるからって
警察署にそのために並んでるみんなをスルーして
先に窓口に通してくれたんだ。
そんな思い出がある。

滞在許可書は、イタリア人夫の扶養ということで
永住とされ無期限だ。
どこにも期限が記載されていない。
だから、私も警察も役所も空港のイミグレーションもみんな
その無期限永住滞在許可書で何もいうことなく
通用していたものだった。

ところが、昨年あたりから
イタリア在住の日本人の方が何かのきっかけで
在住者が家族目的で持っている紙の無期限永住滞在許可書は
2023年8月に無効になるという情報入手し
SNSに投稿したことからわーっと広がったようにおもう。

無効になる理由は
紙からデジタルチップ入りのカードにしたいそうなのだ。
イタリアの身分証明書も更新時に
紙からカードへどんどん切り替わっている。

今年に入って大使館からも要請をだしているようだ。

というわけで、折れた紙の永住滞在許可書を
太っちょのおっさんの一言で
重い腰をあげることにしたのだった。

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たくさんの日本人の方がSNSに
必要書類や手順を説明してくれてたのでとても参考になった。
地域によっても違うようだし
結果、警察の受付窓口の人にもよるようだ。

まずは、Questuraの予約サイト prenotafacile.poliziadistato.itで
carta di soggiorno permanente per i familiari del cittadino comunitario を選択し
滞在許可書の期限を入れるのだが
私は死んでるだろう年を入力w

予約が完了すると
持参する必要書類リストと予約番号があるPDFファイルを
ダウンロードする。
印刷すれば、当日ひょいと見せるだけだし
印刷してないと、スマフォを警察の方に手渡して確認する
ということになる。(結果話)

サイトで受付予約をした翌日
市役所で、certificato di residenza e stato di familia contestuale という家族証明書みたいなものを取りに行った。
Contestuale(前歴から現在状況)は在住者さん情報で
警察は申請者の certificato di residenza と stato di familia とある。

そこで、このcontestuale付き証明書を取得するには
16ユーロの収入印紙が必要なのである。
もともと16ユーロの収入印紙は持参リストにあったので
これなのかなぁとほいほいTabacchiに現金払い
(カード受け付けてくれずしぶしぶATMに行って引き出す)
で買いに行って、出してもらった。

結果、このストーリー付き家族証明書は
私はとても信用を与えた一枚だったとおもう。

「その証明書には結婚してることはわかりますか?」
わからないそうなので、無料の婚姻証明書を出してもらった。
というのは、INPSでお世話になったとき
配偶者(coniuge)と本当に結婚してるかどうか
問われたことが最近あったので
もし聞かれたら提出しようと思って
無料だし出してもらったものである。
結果、必要なかった。

そして結果、その16ユーロの家族証明書も
オンラインのSPID経由で
無料で発行してもらえるんだそうだ。
友から後で知る。。。

その足で郵便局に行き
警察の支払い先が記載されている支払い用紙(bollettino)に、
支払い者=自分の名前や住所を書いたりして
30,46ユーロ(+2ユーロの郵便局手数料)を払う。
もうこの頃は郵便局で滞在許可書用のキットはなく
そのbollettinoだけでよし。
警察に支払い済みを持参し、確認させる形。

次、4枚の写真を撮りに行く。
で、私は家で自分でカッターでカッティング。
だって、ハサミで曲がって切られて
貼り付けられる(しかもホチキス)のがどうしても許せないからw
これ、イタリアあるあるである。

あとは、紙の無期限の永住滞在許可書と
日本のパスポートのコピー。

いろんな在住者の情報で
夫の身分証明書のコピーや730などの収入証明
子どもの身分証明書のコピーなんかも一応用意したが
全然必要なかった。

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当日、仕事先には丸一日休暇申請したのだが
できるものなら仕事に来てということだったので
しぶしぶ朝働いて
大急ぎでスクーター(駅近くに簡単に駐車できるから)をとばし
電車に乗り込んで
はるばるフィレンツェの警察署に向かったのであった。

友が早くに着いても整理券もらえると言っていたので
私も40分ぐらい早くに着いたけど
並んでる人を追い抜かしとりあえず質問をした。
んで、そこで予約番号を聞かれるのである。

ドアのところで整理券を配ってる若い警察官が
握りしめていたくしゃくしゃになった整理券をもらって
中に入った。

40分プラス予約時間、、、だいたいの目安みたいで
結果、3時間、眠りこけたり人間観察をしながら
一つの受付窓口の番を待ったのであった。

みんな、情報をよく知らずに来ていたり用意不足で
一人の人に20分かかったりしていたなか
さすがニッポンジン、準備万端・用意周到ですよ
私はほいほい5分もかからずに受付が済んだ。

そこでも指紋をとったのに
また別の部屋に移動して指紋をとる。
ほんの数分待つんだけど
待ってる人たちがインド人かパキスタン人だった。

「マキ!」ともう一人そのインド人かパキスタン人が呼ばれる。
まず発音がすこぶる良いマキと
苗字で呼ばれると思いこんでいたので
インド人の名前かとも思ってきょとんとしていると
「マキ、アンタだよ、日本人の」(イタリア語)といわれ
中に入っていくと、そこでもマキと呼ばれ
ずいぶん日本人慣れしてるなぁと思ったのであった。
奥さんが日本人でマキっていうのかな?!

そこで今日は終了。

半券をもらって
後日、poliziadistato.it で受付番号(nr. di pratica)を入力して
用意ができているのか確認するのか
また目安な予約時間を予約するのか
本人が現場で受け取りということで
再度フィレンツェの警察署に出向かなくてはいけないのである。
はぁ、道のりは長い。

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私は、せっかくだからフィレンツェで panino al lampredotto を
警察署の近くの mercato centrale で大急ぎで食べ
駅近くの日本食材屋さんで納豆とお味噌と胡麻油を買って
大急ぎで電車に乗り込み、仕事に戻ったのであった。

同僚たちは「マキー、本当に戻ってきたのー??」と呆れていた。
確かに、部長に仕事に戻ってきてと言われてなかったら
フィレンツェの友とゆっくりランチしてきたのになっ!
でも、自分を必要としてくれるのはありがたいことなので
私は仕事に戻ることにしたのである。
結果、半日休んだことになった。


今日の一曲は、2023年サンレモ音楽祭優勝曲。




Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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