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vol.2のつづき。

我ら親子が向かった友の実家は
Marsalaマルサーラの街からちょい南下した海沿いにあった。

海は見えないけど、歩いて3分のところに位置していた。
どうりで毎年毎年青少年が生まれる前から
誘ってくれていた意味がわかった。
まるでバカンスのための別荘のようなのだ。

友は、普段はヴィンチから30分程のところに住んでいて
夏の休暇とクリスマス休暇に帰省しているようだった。
ここにはご両親と兄弟家族が暮らす3世帯ならぬ
友家族分もあったから4世帯住めちゃう大きな家だった。
さすがシチリアだなぁ。

この大ファミリーは以前
マルサーラの街寄りに住んでいたそうだ。
友が幼少期、この海の家に引っ越してきたそうだ。

ここの欠点はひとつ
車がないと何もないことだそうだ。
それを聞くとヴィンチの丘の家の周りも何もない。。
同じくバスはあれど、一日に数本しかない。

友は、そのマルサーラの街にあるお母様の病院通いに
午前中まるまる付き添わなければいけなかった。

私はご両親の体調の悪いときにお邪魔したくなかったのだが
逆に、体調不良で落ち込んだ時に
わいわいとお客さんがやって来たことに
刺激を与えた様子で、歓迎のおもてなしで迎えてくださった。
パッとしない思うように動けない生活に
新しい話題で食卓に華を咲かせて
一風を与えたような感じだった。

イタリアから日本にいるおばあちゃんに
会いに行っていた感覚と同じだった。
友の大ファミリーとは家族同然のように付き合いも長いし深い。

私たちもなるべく
迷惑をかけないよう気を遣わせないよう
できるだけ家族っぽく振る舞った。

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親子は滞在期間、マルサーラの海ライフを満喫するのだ!
そう、朝眠くたって早めに起きて
海の風が心地よくあたるテラスで
Caffèとパンにお母様の手作りオレンジジャムを食べて
友とお母様の出掛ける時間まで
女だけでおしゃべりをたっぷりして
そして我ら親子は、その3分で行ける海に
水着とバスタオルだけで繰り出すのだ。

朝の海は穏やかだ。
朝の海に行けるのは青少年の念願だった。
彼はこのために来たようなものだ。

そして、パラソルなど持っていかないので
午前中と夕方しか行かない。

友の実家から国道を渡って砂浜に向かう。
昔は、この国道を渡った向こうは
風避けのダンチクがいっぱいあったそうな。
現在は、もっと欲張った海の家々が
不法で建っている。
さすがシチリアだなぁ。

友の幼少期時代は
田舎の海のがらんとした交通量さえも少ないビーチだったそうだ。
それが今や、Salineサリーネ(塩田)の辺りのように観光地化し
別荘やレストランがぼこぼこできたそうだ。
国道もなかなか渡れないじゃないかっ!

ビーチは、誰もが落ち着いてくつろげる細かい砂のビーチだった。
かなりの距離まで浅く、水は透き通っていた。
遠浅だから浅い部分が水色で深くなったところから青色だ。
このコントラストが素敵なビーチ感をだしている。

友の実家からビーチへの最寄りの入り口は幸い
BARや有料パラソルのあるようなところではない。
どちらかというと、友たちのように帰省組が
朝と夕、ひと泳ぎするようなビーチだった。

朝の弱い日差しでも私はできるものなら日焼けはしたくない。
日陰を探した。
ちょうど不法で建てられた住居の囲いの壁と大きな木の陰をみつけた。
私は太陽が移動してもいいように
少しでも長く日陰にいられるだろう位置にバスタオルを敷いて陣とった。
思春期青少年は、少し離れたところの日向で
ゴロゴロ態勢でもかっこつけている。やれやれ。

すると、母親らしい大人一人と小学生低学年ぐらいの男の子と
中高生ぐらいの女の子たちを引き連れて
もうちょい先の日陰に、そのグループは陣取って
歌いだしたり踊りだしたり、ボールで遊んだり
海に入るのもグループで、明るく賑やかに過ごしていた。
どこからみても、毎日通ってる海慣れした一行であった。
 
一日目は、私たちの想像していた朝の穏やかな海であった。
海水はそんなに冷たくなく、ずっと浸かっていられそうな温度。

初日の夕方も私たちは海へ行った。
マルサーラライフを満喫しなきゃですもの。
午後にはもう海は荒れ始めていた。

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ヴィンチ親子が到着した途端、我々の三日間の滞在期間
Sciroccoシロッコというサハラ砂漠から吹いてくる熱風・強風の
気流の渦に巻き込まれてしまった。
地元民の話によると、ときには
サハラ砂漠の砂まで見える時もあれば
砂まで降ってくることもあるんだそうだ。

いつだか日本で、千葉の京葉線から見えた
黄色い砂埃が舞っているのを思い出した。
あとで、その現象は黄砂であることをいとこが教えてくれた。

本当だったら、友の兄は自作ボートを持っているので
プカプカとボートで海を遊覧する案も出してくれていた。
もしくは、カヌーとかペダルボートなんかの案もあった。
がしかし、この強風と海の荒れでは
海の乗り物はやめておいた方がよいと海に詳しい地元民がいう。

風の向きによっては波がないところが
塩田だったり遠浅の海を歩く体験をした辺りだったのだ。

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翌日の朝、マルサーラライフをしにひと泳ぎしにいった。
あの毎日来てそうな海慣れした賑やか一行は昨日
いっちばん長くまで日陰が続いたところに陣取っていたのを思い出した。
今日は、アタイがあそこを陣とるわよ!

しばらくすると、賑やか一行が現れた。
私が彼らの日陰地帯を陣とっちゃったから
私が昨日いたあたりに広げはじめた。ゴメン。
 子どもたちは日向だろうへっちゃらなんだけど
やっぱり大人は、少しでも長く日陰がいい。

私が泳いでいる間に、母親らしき大人が
私のバスタオルの隣に移動していたw

え。。近すぎじゃね?
ってフツー日本人だったら思うじゃん。
その母親大人は、マルサーラに帰省しているシチリア人さ。
「ごめんね、近くに寄っちゃって。日陰にいたくって。」
と、素直で社交的だ。

それからあれよあれよとおしゃべりがはじまり
ついには、近くでかっこつけている我が思春期青少年に
同じくらいの歳の女子たち3~4人と男子2人を紹介しはじめたw

若者たちは遠浅の海でなんか楽しそうだ。
初対面の青少年もあとにくっついていって帰ってきやしない。
おばちゃんたち二人は、シロッコの強風の中
自己紹介したりおしゃべりをして時は過ぎていった。
「シロッコにね、やられちまうことを
io sono sciroccataっていうんだよ。」ふむふむ。

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Pranzoプランゾ(ランチ)は家族を待ってみんなで一緒に食べる。
今、ナスが旬だ。滞在中ナス料理が何品か登場した。
ナスのカポナータ、ナスのトマトソースパスタ、ナスのグリル。
私はもっぱら料理下手のうえに伝授してくれる人がいなかったので
基本を知らずに自己流に今までつくってきたのだが
ナスは他の材料と一色たんにすることがほとんどだった。
しかしここのレシピは、とにかくナスは別で炒めたり焼いたりして
食べる直前にお皿の上に混ぜていくレシピであった。
なんか食材の味が単品ずつ引き出されててイイ!

彼らのおもてなしは寛大で、どう返してよいかわからない。
彼らは見返りなんか気にしない素のままの姿が
これぞシチリア流で、友を超えたみんなが家族という絆を
彼らから比べたらちっぽけな私は痛いほど受け取った。
私は一人ぽっちの世界観がなかなか抜けない狭い許容範囲で
彼らのような寛大さが乏しくて悔しくなるほどだった。

この旅で我が青少年に教えたかったことは
同じイタリアなのにいろんな意味で遠いシチリアと
シチリア人の寛大さと温かさと社交性
シチリアの太陽と海と大地とそしてシロッコ

青少年はまた来年もマルサーラに行きたいと
着いた初日から言っていた。
歩いて3分のビーチで突如知り合った若者たちに会いたいとも。
旅の何もかもの出会いが新鮮だったようだ。
これから親抜きでたっくさん旅していくさ。
Piano, pianoピアーノ、ピアーノ(焦るな)

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私たちは、出発日の午前中も海へ行った。
シロッコが吹いてても気にならないさ。
あの賑やか一行に挨拶したいじゃないか。
「本当にもう帰っちゃうの?」はい。

友と友のお母様がリハビリの病院から帰ってきた。
それでは長距離バスが出発するMazara del Valloへ向かおう。
駆け足で観光して、人気のPasticceriaパスティッチェリーア(お菓子屋さん)で
AranciniアランチーニとCannoloカンノーロを頬張ったのであった。
長旅のお弁当もアランチーニシリーズ。
日本のお惣菜パンを思い出させたパンも美味しかった!

マルサーラの中心街はどちらかというと
メイン通りが2本ぐらいあるどちらかというと
発見の少ない街だった。
しかし私たちには、トスカーナの色と違うだけでワクワクする。

マルサーラから南下していく
こちらのMazara del valloマザーラデルヴァッロ
昔、チューニジアとの交流が深く
移民たちが住み着いて文化を残していったそうだ。
だからとってもアラブカラーや砂漠カラーが強く
さらには陶芸やタイルがオチデンタルで
アーティスティックな街つくりは発見がいっぱいあった。

友の兄夫婦はアフリカ系の女の子を養女に迎えた。
日本に興味津々で、イタリア古典を学んだ彼女は
日本をイタリアと比較してどう表すかと
難しい質問をしてきた。

私は、良くも悪くも尊重から生まれていることが多いんじゃんないか
私たちの習慣や性格も、小さいときから
祖先や目上の人、経験者そして弱い人を敬うこと
原点はそこから、日本の整然としたアクションがあるのではないか

そういう意味なのかはわからないけど
日本のミニマリズムなんかは
私の人生で感じた自己流な考えは
無の空間に、尊重しながら自分流に
発見や発想を自由にデザインしていくんじゃないかと想う。

だから、この発見がある街は大好きだし
発見のある旅は大好きだし
発見のある人生を常に歩んでいるよ。

アナタたちが日本に興味を持ったように
私は日本にはない文化や歴史、性格をもつ
ヨーロッパに興味を持ったのだ。
毎日が発見だらけだ。
今、日本に帰国したら、今だから母国だって発見だらけだろう。
歳を重ねるおもしろさってここにあるのだとおもう。

若者になんかメッセージを短時間で残すなら
自由な発想でたくさんの体験と発見をいっぱいしてね
まわりを尊重しながら、だろうか。

私はイタリアに染まりたいのに
いつまでたってもどこにいっても
永遠に日本人なのである。

おわり。



下より写真は、長距離バスで西シチリアから内陸部の車窓より。
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最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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