大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

カテゴリ: 音楽 Music

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夫が寝込んでしまった。
寒いと言って丸くなっている。
持病の皮膚病が突然悪化して
痛みと熱を伴うほどの異常振りだった。
皮膚病はなかなか緊急で扱ってくれないが
救急で診察を受けるようたくさんの患者と一緒に並んだ。
せっかく順番が回ってきたが、専門医がいなく
別の病院へ行くよう緊急予約をしてもらった。
パソコンで打たれた緊急予約は自動的に
そちらの病院へ伝わっているのかと思ったら
伝わっていなかった。
しかし、ホームドクターも言ってたけど
追い返すことはしないらしい。
ちょうどお昼近くだったから
待っている患者は少なかったからよかったけど
医師はお昼を返上しているので大急ぎで診察した。
皮膚の状態を診て、飲み薬で治療したいが
血液検査をしないと処方できないという。
それを聞いただけでも強そうな薬だ。
今回は塗り薬だけ処方してもらって次回の診察の予約をした。
血液検査が久しぶりという夫は
なぜか緊張していた。
数値にばらつきがあり
糖尿病を気にしたい数値だったり
お酒も控えた方が良さそうな結果だった。
本人はわかっていて日々を過ごしていたから
随分納得できたようだ。
悪化し始めた日から飲み薬が始まるまで
炎症を抑える煎じ茶やウコンを入れた料理を私は拵えた。
強力な塗り薬なのかだいぶ治まっていった。
煎じ茶生活も気に入ったようだ。
血液検査の数値で処方された飲み薬も強力なはずだから
水をたくさん飲んで、肝臓に負担をかけてはいけない。

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自分に甘かった生活から、突如切り替わった夫に驚いた。
急に変われるもんなんだ・・。
こんなことを言っては何だけど
一度病になったほうがいいのかもしれない。
病は、体からのメッセージだとは思ってたけど
本当に、体を弱らせないと気が付かないもんなんだ。
自分に甘く生き続けて、病にならない方がおかしいんだ。
私だって同じ。
少年だって好きなものばっかりいっぱい食べて。
それからというもの今年初めて手にしたスマフォを片手に
健康食品に関して検索している夫である。
ネットの情報はあまり気にしない方がいいよとはいえ
自ら検索していることは
健康な生活に興味を持ち始めたこととして放っておこう。

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あるSNSに精神科医が説明するアルコール依存症
の話があった。
すると、人に癒やされず生きづらさを抱えた人の
孤独な自己治療で本来は働き者で真面目な人たち、という。
これをみて、まさしくも夫だと思った。
依存症ではないけれど、孤独な自己治療という表現が
自分を甘くさせているのだなと。
夫は、本当に働き者で真面目すぎるぐらいで
私が社長だったらずっと雇いたい人物である。
勤務時間中、自ら積極的に働き
頼まれていないことまでしてしまう。
時間厳守で先に着いていたいタイプ。
イメージのイタリア人とはかけはなれているかもしれない。
でもイタリア人だなと思うことは
コミュニケーション力があることである。
人一倍働いてるのに、おしゃべりもきちんとしているのである。
私からすれば、もうちょっと黙っててもいいよ、と思うけど
イタリア人は、夫のコミュニケーションの阿吽を好む。
私には夫とのコミュニケーションの阿吽が
欠けるのかもしれない。
そこが人に癒やされず生きづらさを抱えているとしたら・・
まずい、私も気をつけなくっちゃ!
イタリア人のコミュニケーション力を学ばないと!!

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そんな丸くなっていた頃、夫の誕生日は丸い満月だった。
もちろん大好物の料理でもてなした。
なんだか普通の日と変わらない時間が過ぎていった。
日常の小さな家族は、明かりを消してバースデーソングを
賑やかに歌う。私と少年の賑やかさがたまに傷らしい。
それでも賑やかなときは賑やかがいい。
いつか賑やかな時代も終わっちゃうよ。

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フィレンツェシスターズもアイルランドから
2つ3つ目的つくって、夫の誕生日頃飛んできてくれた。
私たちは、フィレンツェ時代の友カップルに
みんなで会いに行った。
唯一我が結婚式にいた日本人二人である。
近頃懐かしい人に極力会うことにしている。
私も会いたいし、友たちもそう思っている。
子どもができると子どもを通して知り合うことが多くなるけど
その前の友だちって、好きなことが似たもの同士の友で
それはまたカップルになってからの友とも違う。
共感度が遥かに上回る。
会うと、会ってなかった年数なんて吹っ飛ぶほど
変わってないし、話が尽きない。
人なんてそう簡単に変わらないさ。
夫だって中身はいつだって同じなのである。
ただ甘えたさに孤独な自己治療をあれこれ試みるけど
性格は同じなのである。
いろんなところでよく聞くし見るけど
人の話を聞いて、それいいと思うよ!と背中を押して上げる
そんな友が必要だよねっていうけれど
家族だって親だって同じだと思う。
考えていることを聞いてあげて
好きなことを知ってあげて
やってみたいと思うことに賛成してあげることが
何よりも一番勇気がつくことなんじゃないかとつくづく思う。
共感することが一番の自信に繋がるんだと思う。
鬱て、共感が得られないから閉じこもっちゃうのかもしれない。
それでもなかなか共感できる友ってそう簡単にはできない。
でも家族は、ちょっと姿勢を変えるだけで
共感できる態度や生活はできるかもしれない。
支え合えたらいいな。
人と会って賑やかに日々を過ごすと気分転換になる。
日照時間が短く暗くなりがちだけど
人と会うことが光にも感じる12月
だから外はキラキラと煌々として人が集まるんだと思う。

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数年前よくラジオでかかってた曲でいい歌があった。
きっと今にふさわしい曲かもしれない。



私が友にイタリア語で書いた手紙を夫に添削してもらった。
へんてこりんなイタリア語と超ポジティブで気取った文章に
大笑いし始めた。それをみて私も笑った。
お腹を抱えながら涙が出るほど笑った。
この時私はおバカちゃんでよかったと思った。
久しぶりに二人で笑ったと思う。
「生活スタイル変えてすごくいいよ。」
「うん。起きるときも気持ちよく起きれる。」 そうなんだ。
幸せってさ
お誕生日に突然降って現れるものじゃない。
日々の中の隙間にあることなんだ。
落ち込んだり気がついたり立ち向かったり乗り越えたり
この合間に隠れてる小さな笑みが幸せといえるような気がする。
便利さとかサービスの良さとか経済発展が幸せなんじゃない。
ちょっとした共感が家の人だと幸せに変わるんじゃないかと思った。
丸くなっていた夫は
外へ丸くなり、家族をも丸にさせたような気がする。


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今年私は少女に涙した。

地球温暖化対策で活動するスウェーデン人のグレータは
今や世界に渡るエコ推薦活動家で
誰もが知っている人物だと思う。
彼女を率いるティーネイジャーたちが
地球の温暖化を訴えたデモがあった春
私はあの日ブドウ畑の中で
風の唸りを聞いたような気がした。
これだ。私がずっと持ち続けた想いは
同世代の大人ではなく、将来の少年少女たちへの
深刻な問題なのだ。
私がそれでもティーネイジャーを超えた頃
ゴミの節約や大量生産の節約を生活に取り入れたことは
今の少年少女の想いと変わらない。
だからデモで行進するティーネイジャーたちは
私の今までの全てだったようで
胸が熱くなり涙が出た。
ただただ一人でエコな生活をしていても
何も世の中は変わらない。
しかし世の中にはいろんな人がいる。
そこを一団となることはすごいことだと思う。
その走りがこの一人のティーネイジャーなんだから。

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少年と平和にTVのスター誕生番組を見ることがある。
イタリアはこの手のリアリティー番組が好きなのか
よくやっているし、確かに人気がある。
特にティーネイジャーに人気がある。
そんな自分の少年少女を眺めるように
きっとママたちにも人気がある。
いくつもあるスター誕生番組の中に
イタリア版Xfactorという歌手を目指す番組がある。
5万といるオーデイションの中から選ばれ
さらに番組中にも最終オーディションがあり
残った10組くらいで数週間に渡って対決して
将来有望なタレント歌手を産み出していくのだが
一人ティーネイジャーの16歳の少女に、ノックアウト。
この少女が歌うたびに母心が揺れ涙した。
何が惹きつけられるって、素朴さだった。
素顔を見せる時、我が少年が重なったりもした。
どの少女たちも背伸びしたい年頃が
ティーネイジャーだと思う。お化粧したり、きらきらと。
しかし、ショートカットノーメイクに
アディダスのジャージ。
アディダスが流行りとはいえども、ステージに・・。
背伸びした子が一般的だから
素朴さにオリジナリティーがあるのかもしれない。
そして歌声は、Björkの声を浮かばせた。
声のパンチが強いのではなく
柔らかさとかしなやかさでもなく
奥行きのある優しさや純粋な無垢感があった。
選曲がほぼカンツォーネ(イタリアンミュージック)だが
もっともっと皮をむけば弾けた歌も似合いそうだ。
きっと母心を擽ったのであろう、この少女が優勝した。
14歳の頃作詞作曲したという自作の歌で。
あれから私の頭の中は
ラジオのように少女の曲が流れてくる。



この少女も'80年代という言葉を歌の中で使っている。
我が少年もよくいうのだが流行っているのだろうか。
私の'80年代は何を隠そうティーネイジャー時代である。
私がティーネイジャーの頃、何を考えていただろう。
ちょうど中学高校生の頃・・・
変わった格好や変わった物を持つことが好きで
中学生の頃はオリーブというファッション雑誌を
愛読していた。
オシャレを目指すティーネイジャー誌で認知されてたが
工夫やアイデアやアートがいっぱいあって
年相応におもしろかった。
高校生になってアルバイトをして
ファッションや小物に費やし
一人暮らしの望みに近づけていった。
その頃、エコ暮らしは考えてなかったけど
工夫をすることは好きだった。
読書よりも雑誌を読むことのほうが多かった。
だから言葉で表現する力は少なかったはずだが
高校時代の作文で一度褒められたことは
ずーっと覚えている。
褒められるということは人生に刻まれるようだ。
中学生の頃、幼馴染と道端でずーっと将来のことを
話していたことは忘れない。何時間も何時間も。
その友は読書好きだった。私は音楽好きだった。
“ 二人で曲をつくろうよ。
○○子は言葉を作るのが上手だから作詞ね。
私は曲を作ってみるよ。”
叶わないまま時が過ぎていき
高校生になると二駅向こうの
ピアノミュージックを流す雑貨屋もあるカフェに
二人はよく通った。
“ 二人で雑貨カフェつくろうよ。
○○子は料理好きだからカフェ担当。
私は雑貨屋担当ね。”



時代が高速に進む中、年代で流行りや発達を分けるが
人生の中で歩んでいく学んでいく気持ちは
どの時代の子でも同じだと思う。
背伸びもいいし素朴もいい。
外見背伸びしてる子だって中身は素朴だし
外見素朴感溢れてても中身は大人っぽかったりする。
私の母が手紙に残していた。
今これだと思うことを追求しなさい、と。
私には追求心が足りなかったことを後悔するけど
私も今母だから、少年少女に同じことを言いたい。
そして、将来の少年少女がのびのび生きることのできる
地球を残してあげたい。
12月を感じないまま一年が終わりそうだが
近頃飛び出すティーネイジャーに心を打たれることが
しばしばある今日この頃の師走である。。。


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私の母は、享年52歳だった。


母があの世に立った頃私は、青春まっしぐらだったので

母のその頃の活動を気にすることなく

自分中心の生活をしていたことは、はっきり覚えている。


私が小学生の頃、母は週一ぐらい
(・・だったと思う)

市の合唱団に入団していて、コーラスの練習に通っていた。


仕事から帰ってくると、そそくさに夕飯の支度をし

家のことよりこっち!みたいにコーラスを優先し

バタバタと出かけていった。


仕事場とコーラスの練習をする会場は近いのに

そこは母心、私のために一旦帰宅して

その日の三分の一ほどの愛情を夕飯に注いでいたのであろう。


今だったら、その頃の母の気持ちと状態がよーくわかる。


年が縮めば、仲良くなりたい大人はいっぱいいたが

母もその一人である。


ちなみに、そそくさ夕飯のメニューは親子丼ww

具のほうを鍋に作りっ放しで

食べるときに温めて食べてね!

(ご飯が炊き上がったらのことだ)

と鍋の中を見せてくれてるシーンを記憶している。


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コーラスで出会った友だったり、女子高時代の友だったり

その繋がり(・・だと思う)で、母は、いつのまにか

バンドグループみたいなグループの中で

ヴォーカルのように歌い始めた。


そんなことをし出したのは、私が一人暮らしを始める前辺り

高校時代辺りから、曲風が変わったのがきっかけで気がついた。


今思うと、子が外を向き始めた時代である。




私が七歳の頃バツイチで出戻りした母が建てた家は

きちんと自分()の部屋ってのもあって

6畳ほどの書斎が北側にあった。


母の窓からは、東京湾が見え

寒々しい部屋から涼しい景色が眺められた。


そこから、歌を練習する母の声がする。


歌っている曲は、越路吹雪の歌が多かった。




何故、日本語バージョンにしたシャンソンに興味を持ったのだろう。


今となって、ネットで検索すれば

有名なことや有名な人物のことは

簡単にイメージ画像までもが出てくる。


あぁ、絶対にこれだ。


シャンソンにも惹かれただろうけど

母を知る私としては、こっちの方が確率高いな。


越路吹雪の
'60年代が

母の '60年代に、顔が似ているのである。


動機はともあれ、当時曲選択も一苦労であったと思う。


'90
年代に入った頃だから、レンタルはできたものの

まだまだCD化された昔の曲ってのは少なかったかもしれない。


顔が似ていたっていうだけで、声の太さは全然違うのだが

越路吹雪が魅せるシャンソンだったように

母も誘うシャンソンだったようだ。


バンドグループに、ジャズとクラシックピアノを弾くプロがいた。

そのバンドは、結成からクリスマスコンサートをやるようになった。


食事と歌と。


まるで私がポルトガルを旅したときの

ファドと食事のように。


スペインを旅したときの

フラメンコと食後酒のように。


彼女たちのシャンソンバンドは、とても評判が良かったようだ。


小さな街の片隅で、住人を楽しませることができ

本人たちも、人生の中で団結したひとときと

観客までも歌いだすコンサートができて

さぞかし大満足であっただろう。




母の告別式で、バンドの仲間が

クリスマスコンサートで盛り上がった曲を流したいという。


その頃の母は、娘の私より仲間と共にした時代である。


彼女から歌をとってしまったら人生終わり

というほど、母は音楽を愛した。


仕事でもリトミックという障害者向けへの

リズム教育案を拡めている最中であった。


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母の誘うシャンソンは、残念ながらデジタル化してないが


二階の母の書斎から聞こえてきた

越路吹雪の「ラストダンスは私に」


母の書斎にあった
CD越路吹雪が崇拝していた

Édith Piafエディット ピアフのバラ色の人生「La Vie en rose


そして、コピーする誰もが若さに戻って歌うだろう

1971年に日本で大ヒットしたDaniele Vidalダニエル ビダル

オー シャンゼリゼ「Les Champs Élysées


この三曲をクリスマスに少年と聴いてみようと想う。



季語のように使われるご挨拶です。

世界の平和を祈って

メリークリスマス

Buon Natale a tutti





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この日に Anniversario

かたみ imiei tesori

家の中の族iCerchi nella Casa



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少年と夕飯後、ヴィンチ村へ行く。


あれー、ひっそりだねー。


あの入場料を払ってヴィンチ村に入場した

ユニコーン祭とは大違い!

ここにも、あそこにも、人・人・人だったのに。


歩きながら、お祭りの・・七月のことを

親子は思い出していた。


14 Ago 2018

今宵は、ヴィンチ村のミュージアムのある広場でコンサートがある。


コンサート会場は、早めに行っても、既に満席であった。

席は大人たちで埋め尽くされていた。


仕方が無い。邪魔にならないところで立ち見をしよう。




歌手Peppe 
Servillo氏の紳士な声は

年齢にもかかわらず迫力があった。


ピアノのNatalio Mangalavitte氏は

ジャジーな・・思い起こすような、そしてモダーンな

彼の演奏は、彼の創り出す空間に飛び込むようだった。


ソプラノ&バリトンサックス、笛の演奏者

Javier Girotto氏は、何だろう・・・

すごく優しく、頼りにしたくなる

気を任せられる演奏は

紳士な歌手とジャジーなピアニストと意気投合し

全ての曲に物語を生み出した。




歌手はイタリア人だが

ピアニストとサックスフォニストはイタロアルジェンティーノ。


トリオになることもアルゼンチンのコンビとなることもあるようだ。


アルゼンチンには行ったことがないけれど

昨年のGinevraDi Marco

ラテンフォークミュージックと重なって

ラテンの情勢や文化をも想像した。


Borgo di Vinci

まだ早いかもしれない少年にだって

大人の想像を駆り立てる音楽は是非聴いて欲しい。


二人で、夏の夕食後のコンサートは

ここヴィンチの地で

静かに精神統一をして聴くのであった。



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暑・熱・厚コンサート Ginevra Di Marco

熱いヴィンチに月染まる Festa dell'Unicorno

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Obata Maki a Firenze

ヴィンチの住人、フィレンツェをしっとり歩く。

Regalo a Firenze

VinciヴィンチEmpoliエンポリ(隣の大きい市)だけの休日(1130Sant'Andreaサンタンドレーア)、家族でほんの少しフィレンツェを散歩。

イタリアでは、各市町村に各々休日がある。

(Patronoパトローノ守護聖人が各地を見守ってくれる日なんだそうだ。)

そんな日は、稼動している街へ行こう。

verso Duomo

今度あのクーポラの天辺に行こうね。

と少年に約束しながら、雨上がりでキラキラ光った石畳の上を歩いた。

Duomo nel pozzetto

時々フィレンツェを歩くのはいい。

フィレンツェに住んでいた頃を思い出す。

街の発見より、懐かしい気持ちでいっぱいになる。

nella vetrina

フィレンツェの街はクリスマスにデコレーションされていた。

このシーズンの楽しみ。

街中がイルミネーション。

Fiocco a Firenze

我が家もクリスマスデコを少年と製作中。



***************



ある土曜日の午後、フィレンツェの緑に囲まれた小さなTeatroテアトロ(劇場)でピアノとクラリネットのコンサートがあった。

今やファンである山口詠子さんの語る奏では、今回ピアノで演奏されても伝わってきた。

そして、細くて長い手の指から、あんなにリズミカルで時には静寂を音色で醸し出す町田さゆりさんのピアノ演奏。

クラリネットUgo Garasso氏との共演、お二人の息の合ったピアノ連弾・・・

un Concerto di Pianoforte a Firenze

少年が「コンサートどうだった?」と聞く。

映画を観ているようだったよ。

映画の中に音楽ってあるでしょ。

木々の中を歩いていたり、会食をしている様子だったり、走っている様子だったり・・・

「うわー。」と少年は嬉しそうに、感想を聞いてくれたことに私も嬉しかった。

とてもリラックスしたフィレンツェの土曜日の午後となった。

Bar


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