大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

カテゴリ: 思い出 Ricordo

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2021年の幕が開けた。

SNSでは豪華なおせちや年越しそばで賑わっているのを横目に

ヴィンチの丘では、丑年にちなんで

せっせと牛のしっぽを煮込んでいた。

私の少女期青春期、年に一回ぐらいの割合で

「テールが手に入ったわよ~。」と、おばちゃんは

自慢の圧力鍋でしっぽをクタクタにし

デミグラスソース風に仕上げたしっぽの煮込みは激ウマだった。

帰国の度にリクエストした。

忘れられない、どーしても再現したいじゃないかっ!


はじめて牛のしっぽを一本丸ごと買った。

付け根は肉付きがよく太く、先っぽは先っぽらしかった。

関節ごとに切断してもらうと、11個あった。

骨髄みたいなところからゼラチン質のコラーゲンがたっぷり出る。

骨にくっついているどちらかというと少なめの肉は

ずっと煮込めば柔らかくなる。

ただ脂のようで脂ではないねっとりしたゼラチン質は焦げやすいので

ずっと土鍋の横で見守った。


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年が明けてから3カ国の友たちとビデオ通話をした。

昔では考えられない。

Gettoneという公衆電話のコインを握って並んだっけ。

そんな在住経験のあるコイン時代の友たちであった。


ものつくりの友は自身の個展をこのコロナ禍中開催するにあたって

招待と同時に動画やネットでもリアルタイムに発信していくことで

遠方の方や体の不自由な方が訪問できる世界が広がったという。

もちろん生でリアルの方がいいけれど

行けない人忙しい人には、便利な手段であった

と勉強になったそうだ。開き直ると、あえて活発に取り組めるそうだ。


コイン時代、ネットなんか当然なくって個展をするのに

招待状をつくって送って配って配って配りまくって

ただひたすらお客さんを待った自分を思い出した。

体の不自由な方だって忙しい人だって遠い人だってもちろん待った。


今は情報や共感のシェアが身近になって

こんなど田舎のヴィンチにいたって

向こうのど田舎の発信が受け取れることに

コロナ禍の学びで改めて気付かされたことだった。

これを先取ってやってた人はコロナ禍の苦味はないということだ。


Bellissimo Canaiolo che colore!-

我が家は三が日牛のしっぽを食べ続けた。

ワインとトマトで煮込んだ俗in umidoというレシピで。

伴に、農主のCanaiolo Nero(品種)100%のワインで乾杯した。

ねっとりのしっぽにも負けないフルーティさと

カナイオーロ独特な爽快感があった。

情熱的に造ったワインは、いちいち作業とか風景が思い浮かんだ。


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そのワインを買っいに行ったとき、長老は外でうなだれていた。

こんな寒いのに、大丈夫なのかなぁ。

いつも会う度に、家族の一人一人を心配してくれる。

そして、気候変動に失望し、昔のことを語った。

その日、瓶詰めの間もうなだれっぱなしで心配になった。


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あの時のうなだれは、とうとう永遠の眠りとなってしまった。

長老の訃報はあとになって知った。

きっとこんな時だけに家族はひっそりとさせたのだろう。

訃報が速攻伝えられてもこんな時だから向かうことはできなかった。


長老は、老衰だったそうだ。

奥様がアルツハイマーになったあと 長老は腸を壊した。

ブドウ畑にきても、11時頃と16時頃は奥様のもとへ

しっかり戻っていった。それまで私と長老でぶどう畑の作業をした。

長老はだんだん痩せてきた。

腸を壊してから、食べられないと言っていた。

それでもブドウ畑にやってきて

自分ができることをできる分だけこなしていった。

それがとても役に立っていた。


冬の剪定に関しては欲張り剪定で、甥である農主と反対だった。

春の剪定も欲張りだった。しかし、昔の人は

果実は大地の恵みであって捨てられない、それだけのことであった。

農主と農法が違っても、有機栽培には変わりなかった。

ブドウの木の支えにしている笹の枝も長老は

自分で刈り取って、古くなった枝と交換していた。

ブドウの枝を架線から取り外す作業だって

取り外したら、一本一本細かくして暖炉用に仕分けしたり

トラクターで撹拌しやすいようにサイズにあわせて横に並べた。

私と時間をかけるところが違った。


天気のこととか葉っぱの色とか今年の芽の出具合とか

農主より早くに察知しているところがあった。

あれは長年の経験としか言いようがないだろう。


ブドウの収穫Vendemmiaの時、甥がセラー作業のときは

長老が指揮をとった。あっちにサンジョベーゼがある

こっちにトレッビアーノがある、というように。

お昼のテーブルでは長老の席は決まっていた。

私も夫も少年も招待してくれた。

お昼休み、少年とサッカーボールで遊んでくれたこともあった。

私は、手加減してよ、少年! と おじいちゃん転ばないでよ! と

ソワソワして見てられなかったけど

あれも一つの思い出になっちゃった。


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オリーブの剪定も長老がしていた。

農主はオリーブの剪定はしない。大地派剪定を習っていたが

やっぱり時間がないということを理由に長老に任せていた。

長老は、樹形に性格が出てたほど

均等のとれたデザインされたような樹形を決めていた。

オリーブの剪定士としてご近所さんのオリーブも手掛けていた。


でも腸を壊してから、体の機能が衰えていき

はしごが使えなくなった。周りが止めたのである。

オリーブの栽培でいっちばん事故率死亡率が多いのが、このはしご。

はしごの危険性と体力を要する作業だから

私がオリーブの剪定をしていることを

すごく褒めてくれたし応援してくれた。そして、ライバルだった。


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長老と同じ畑で過ごすことが多かったこの残りの数年

私が畑の中にいた距離は、長老の亡お兄さんにみえていたようだ。

タイムスリップさせていたみたいで、それはそれで嬉しかった。

あの頃と似てる...とか、あの頃を思い出す...という

記憶の中のなんでもない平常の温かい空間

その夢心地感を味わえてよかったと想う。


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夢心地の姿や年輪のような手で作業する姿

子ども心に少年と遊ぶ姿、ワインを水で割って飲む姿

きっと私は、家族よりも写真に収めているとおもう。

だからもっともっとより深く思い出に刻まれたし

些細なことも思い出せる自信がある。

家族とは別に私との世界はブドウ畑の仲間だった。


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長老は、ネットの世界なんかコロナの世界なんか

なーんにも知らないで逝っちゃった。

知らないのに、もっともっと昔が良かったって。

進化しては思い出し、進化しては思い出して

私たちの昔って、個々のやっぱり少年期青春期なんじゃないかな

なんておもう。

コロナ禍だって進化の中の少年や青年は

昔は良かったなんていうかもしれない。

私も昭和時代とリラ時代をよかったっていう。


毎日毎日長老がいたブドウ畑の姿をシェアしたいと想う。

ぜったいに忘れないよ、おじいちゃん。



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つづき


熟女三人は、Pienzaピエンツァへ向かった。

ここには、6年前に家族と来た。

あの時もこの町を急いで観光したような記憶がある。

その日、マーケットがあったからか

そしてバカンスをやっとはじめた我が家のような

もしくはバカンスから帰ってきたこんがり焼けた人々で

賑わっていたことをよく覚えている。


小さな町は、入口が違っても辿り着くところは同じだ。

あの時もDuomoドゥオーモ(大聖堂)の中を拝観した。

そして、ピエンツァ特産のPecorinoペコリーノ(羊乳のチーズ)屋さんが

軒を並べていたのをよく覚えている。

今年はコロナのせいか人は少なめに感じたけど

それでも店は日曜日なのにだいたい開いていたようにおもう。

観光地なだけに嬉しい。

マスクを道端でもしている人が多かった。

お盆を過ぎて、感染者が増えたニュースをやってたばかりだ。


私たちは、今晩のつまみにトリュフ入りペコリーノチーズを

ちょっとだけ買うことにした。

さすがに丸ごと買うことはできないが

小分けに真空パックで保存されているそれを買った。

真空パックだとかなりの期間もつ。

日本に帰国するときなんか、真空パックで注文する。

独特の香りもしまい込めてとっても便利。


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6年前は、Bango di San Filippoバーニョディサンフィリッポという

森の白いクジラともいわれるそんな形に石灰が固まった

温泉が湧き出る無料の自然温泉へ行って

家族三人がぬるい滝の下で打たれ座っていた。


夜は、Monte Amiataモンテアミアータという山の

キャンプ場のキャラヴァンを借りて

初の内装にドキドキしながら寝たことは忘れられない。

その頃まだグーグルマップが我が家にはなく

真っ暗に辿り着いちゃったけど、突如キツネ一家が出現し

きゃぁきゃぁ七歳の少年とはしゃいだ記憶は鮮明だ。

私たちは強行に予定通りBBQをして

暗闇の中を動く動物のようでおかしな家族だった。


翌日、Bagno Vignoniバーニョヴィニョーニという小さな温泉地へ行って

でもこちらは、自然を人工的に昔の人が工夫して

もしかするとまるでテルマエ・ロマエ風の温泉に浸かった。

プールのようで日本の温泉風なこじんまりさがあって

静かに波を立てずにそーっと入る。熱くはない。


その家族旅行はVal d'Orciaヴァルドォルチャ(オルチャ渓谷)

周遊旅行だったなぁ、思い起こしてみると。

そのあとピエンツァに駆け足で行って

それから今日と同じコース、シエナの友宅に泊まらせてもらったんだ。


友と友の子どもちゃんの写真もでてきた。懐かしい。

大人はちっとも風貌は変わらないけど、子どもたちが...。

我が少年もこんなにかわいかったんだ...。

あんなにぴったりくっついて。

今や距離を喜ぶ思春期少年になっちゃった。


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今、こうやって、家族をおいて

熟女たちだけで旅行しているのが、なんだかおかしかった。

きっとこれからこういう機会が増えていきそうな気がした。

家族に終わりはないけれど、出産してから今まで

自分を家族に80%ぐらい注いできたところを

もっともっと減らして、独りの時間だって各々にもって

ちょっと成長した共同生活が送れたらいいな

なんて思うようになった。去年からw


私は、人がいう「子育て」を感じながら生きてきたことはない。

同居人が小さいから時々世話をしているみたいな感じだった。

この小さい同居人のことを誰も面倒みてくれなくって

私が引き取ったような感覚なのだ。

出産したときの痛みなんかとっくに忘れちゃったし

プワ~とあくびしながら出てきた4㎏近い赤ちゃんは
お腹の中でちょっと成長しちゃってて赤ちゃんぽくなかったw

だから動物的母性ってのをなんだか感じないまま過ごした気がするし

本能とか気持ちはあるけれど、子育てというより
環境に応じて生活している感がつよいのである。

人生や生活の中で常に優先順位ってのがあって
時に一番がその小さい家人だったり
時に一番が仕事だったり、時に一番がお金であったり
時に一番が勉強することだったり
時に一番が食べることであったり
時に一番がカラダのことであったり
時に一番が家族団欒だったり
時に一番が独り時間だったりする。
そして時に一番が、それがしょっちゅう自分だったりするのであるw


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熟女たちは、シエナの友宅のお庭でまた乾杯した。

友たちはコンタクトを外してメガネをつけた。

メガネの向こうにある目が少し小さくなるのが可愛らしかった。

その小さな目でケタケタおしゃべりしてる姿をみるのが私はすき。

進化したコンタクトより道具のようなメガネの方が

私は親近感を覚える。だって私コンタクト装着怖いんだもん。


ご近所はもう寝ちゃったのかな、静かだった。

私たちの笑い声がときにサイレンのように響いたw

笑うたびに肩をすぼめた。


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翌日、シエナの友はB&Bのような朝食を用意してくれた。

一度食べるために座るとまた話が始まっちゃって

なかなか次に進まない。きっと容易に想像つくであろう。

それでもシエナの友は、Castellina in Chiantiカステッリーナインキアンティ

村へ行かない?と提案してくれた。

もうお昼も近い、軽くランチをしに行こうということになった。


とても近くにその村はあった。

ちょっと標高が高く、気持ち良い風も吹いていた。

村の一本の道を歩けば城もあれば教会もあった。

シエナの友はこの村で働いていたこともあって

あちこちチャオ~と住人に声をかけていた。


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もういくところは決まっていた。

そこは、お肉屋さんなんだけど

ちょっと軽く一杯とかランチができるのよ~と友オススメのようだ。

私たちはふむふむとついていく。すすめられるともっと楽しみになる。


ここよ~。

へ~。確かに人気店ぽい。

外は満席だ。中が空いてるみたい。

しかし、予約されていた...。

でも予約までだったらいいよ!と友の顔がきいたw


ここでもサラミとペコリーノチーズの盛り合わせ。

熟女には野菜必須でナスのマリネやトマトサラダもつけた。

そして地元のテーブルワインで小さなテーブルを囲んだ。

ここもプロシュットやサラミ類が美味しい。

美味しいプロシュットは脂が美味しい。

チーズとかもそうだけど、食べる数時間前

常温に近い温度に戻すといわれている。それかもしれない。

だからこの溶け具合は味覚が増すようなきがする。

ペロペロ食べれちゃうし、塩味でワインもグイグイ呑めちゃう。


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最後の最後まで熟女たちは話が尽きなかった。

私は非現実的な旅行のようにも感じたけど

シングル時代を思い出した気分で懐かしく楽しかった。

いいきっかけとなって誘ってくれた友たちにありがとう!


エンポリの駅にヤツラが揃って迎えにきてくれた。

土産話をしたいのに、ヤツラはサッカーの話をして

興味無さそうだった。私はサッカーに興味が無かった。

家に着いて、お土産のプロシュットを食べながら

土産話をすることになった。それでいいのかもしれない。

そのときはヴィンチのワインをグイグイ呑みながら。



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友とブドウ酒を舐めた una connazionale a Montalcino

友たちよ un tocco di giappone

フィレンツェシスターズ Amica come Sorella vol.2



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思春期の少年少女のみなさん、そして父兄の方々へ

世の中ヴァカンス中ではございませんっ!

警戒自宅待機を実施している最中です!!

みんなで家に集まって遊んだり、ビデオ観たり

さらにはバールにはびこったり、ピッツェリアに行ったり

ダメなんですっ!

最高23人かな、それでもってちょっとの時間で

外だったらヨシ!とします。

SUSHI屋とか友達んチとかいとこんチとかダメです!ダメダメ!

思春期の少年少女のコロナ感染症は自覚症状がありません。

ちょっと咳とか寒気ぐらいなんです。

でもね、恐ろしいほどに感染るんですー!!!

現在イタリア全国で強制的に自粛して

感染らないようにしてるんですっ!

道徳心や思いやりをもって、自分を守るもそうですが

体の弱い方お年寄りや病気の方々を尊重してあげてください。

責任感をも持ってこのウイルスと戦いましょう!”

・・・という小児科のある医師からのメッセージが

少年のママグループのチャットに飛び込んできた。



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体がウズウズ動いてなくてはいられないスポーツ少年の

自宅待機は辛い。まだ一週間も経っていないのに。

そうそう小児科の言う通り、突然ヴァカンスみたいになっちゃって

家でダラダラし始めた。

しかし早速先生たちがバンバン家庭学習の課題を

オンライン通信の宿題欄に入れてくるw

早くWeb授業でもやってほしいが

いろいろと問題があるのであろう。

家で一方的に勉強する形でしか今は方法がない。

何勉強しているのかわからないが

自分で勉強ができているのであろうか?

教えてもらわなくても前に進むことができるのであろうか?

私はあまり心配していない。

だってみんながそうなんだもん。

収束したらなんとかするさ。



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この週末天気がよく芽生えしそうなほど春陽気で

これほど太陽に当たると体が元気になるんだなぁと

そんな気持ちの良い小春日和であった。

チャットができるはずなのに、突然少年の友だちが数人やってきた。

しかも自転車で!

ピンポーンと鳴らすわけでもなく、名前を大きな声で呼んでいた。

私は家が見えるところのオリーブ畑で剪定をしていた。

だから家の目の前で働けるっていい。

我が少年もウダウダしていたところ

服を着替えて自転車に飛び乗って

4人の少年たちはゆっくり無駄に向こうへ消えていった。

私の脳裏が動き出した。あぁ思い出が。

「じゅーん子ちゃん、あーそーぼ。」

そう、あの頃も、ピンポンは押さない。

一番近所のお友だちとよく遊んだ。

自転車に乗って知らない道に行ってとにかく発見するんだ。

「こんなとこがあったんだねー。」

それから、じゅん子ちゃんと洞窟をつくって

「怒られちゃったりして逃げたくなったらココね!」

その洞窟は、家の超近所なんだけど、二人で逃げ場をつくっていた。

結局使うこともなかった二人の洞窟。

一人も入れない洞窟。

無駄な時間は、どうして思い出となって脳裏に焼きつくのか。

だから少年にも無駄な時間を応援したい。

田舎のデメリットだった友だちと連るむことが

チャリで5kmの丘の向こうの友と会えるなんて。

母は胸が熱くなるほど嬉しい。こんな時に。

成長したなぁ。

1m離れるんだよ!」 うん、とつぶやく少年。

私はオリーブの木の上から、少年のチャリグループを見守ったとさ。



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思春期の無駄な時間。

どの時代も無駄な時間が過ごせる頃がいっちばん平和だろう。

帰るところがあって親がいてお金の心配しなくていいの。

みんながお金もってないから、お金を使うことを考えない。

チャリ乗ってるからスマフォも使わない。

ダラダラと無駄に走る。

コロナの自宅待機で、暇つぶし。

でも1mだよ!1m

それと手洗いね!



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SerieAのサッカーチームの試合も43日まで中止となった。

観客の問題だけではなく

選手のゴール時の喜びのハグが問題なんだそうだ。うぅ。

政治家もコロナとなり自粛自宅待機。

有名人は、民衆の手本となるように

CMではタレントがメッセージを送るようになった。

緊迫感はTVで感じるが、日々の生活ができなくなると

国民性というより人間性がでるようである。

国は、二週間じっと我慢してウイルスを減らそうと呼びかけている。



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マキちゃんの春の香りProfumodi Primavera

飛び出せTeenager

息子へThirteen



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ふとカレンダーを見ると、もう2月14日ではないか。

この日も私には記憶の中の日となったことがある。

バレンタインのチョコの話でもしたいところだが

人が浮きだった頃私は、病院で一人肩をすくめ途方に暮れていた。



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私には兄がいた。

しかし、両親は年子の私たちが幼少の頃離婚してしまった。

兄は父方へ、私は母方へ、男女まっぷたつに別れた。

私も兄も両親もどんな想いであったのだろう・・・。

それを探ることは今までしたことはない。

そして、父が早々にあの世にいくまで、私と兄は会うこともなかった。


兄と再会した頃はもう私たちは高校生であった。

母だって私と同じく兄と会っていなかった。

大阪で別れているのに

父と兄は東京の外れの一軒家に住んでいた。

とりあえず会おうということで、若者が好む渋谷で落ち合った。

こんなゴチャゴチャしたところで、十数年も会ってない

育ち盛りの青年がわかるのであろうか。

ところがわかるものなのである。

兄も母も二人はすぐに見つめ合っていた。

二人はお互いに手を小さく振りあっている。

すごくよく覚えている。

私だけ、キョロキョロしていた。


私はあまり話さなかった。

兄もあまり話さなかった。

母もあまり話さなかった。

それからよく覚えてないけれど

その日か別の日か、私と母は兄の家に行って

ハンバーグをつくった記憶がある。


今思うと、いやその頃だって思ったけど

18歳の青春は一軒家に一人で住んでいたのである。

ご飯はどうしていたのだろう。

生計はどうしていたのだろう。


兄は、学業を諦めて働いていた。

ちょっと水商売系の仕事のようだった。

後で写真を見て、楽しかったんだろうシーンに涙した。

人と変わらない青春を送っていたようだ。

兄は、ハンサムでどちらかというとジャニーズ系らしい。

仕事先ではとても人気があったようである。


兄が青春をしている頃、母は難病と仕事に追われていた。

正月や四季折々にある親戚一同で集まる会には

兄も我が家に来ていた。

いとこたちとすぐに溶け込んだがやはり違和感があった。

母に似て気品のある顔立ちだった。


楽しそうに青春をしている様子だったので

私は、あまり母のことで相談をすることもなく

いつまでたっても兄妹の関係はつくれなかった。

そして、母は病に負けた。

母の死の知らせに、兄は飛んできて、わんわん泣いた。

こんなに泣きじゃくる男子をはじめてみた。

狂っているのかと思った。

これからこの人はどうしていくのだろう。

きっと何も変わらないはずだ。

父が亡くなったときが一番変化があったに違いない。

私が今(あの頃)変化を受けているのと同じで。



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私と兄の関係はぎこちなく進んでいく。

私は、兄との関係の変化は何もなく、イタリアへ出発した。

すると、約一年後ぐらいに、日本から電話があった。

「すぐに帰ってこれるだろうか?」

父方の叔母からであった。

兄が白血病になったから、家族の輸血がほしいという。

私は、飛んで帰った。

兄との関係はなんだかよくわからないまま

兄と私は兄妹なんだっていうことだけの細い紐のような繋がりは

藁をも掴むようであった。

今までだっていなかったようなものだけど

兄まで私を置いていくのか。

どうしても助けたかった。

私の血で助かるぐらいだったら

どんどん吸い取ってくれという想いであった。

しかし、私の血では相性が悪く、力になることはできなかった。

たった一人の血肉なのに。


今まで輸血した副作用の話を聞いた。

とても辛い体験をしていた。

・・やはりここには書けない。

結局のところ、兄は闘病生活を引き続き送り

私は、今日明日に生活を変えられる環境ではなかったので

そのまま引き続き叔母に兄を任せた。

父はこの叔母を頼りに上京してきたようだ。

父と兄は、ずっとこの叔母と家族のように過ごしてきた様子である。

叔母は上品で親切な人で、兄を息子のように可愛がっていた。

私は、すごく安心した。

私にも親切にしてくれた。

この叔母でよかった。

私は羨ましいぐらいであった。


私が日本に再び戻ってきて間もなく兄は入院した。

何度か見舞いに行くが

ただそばにいるだけで無念な気持ちになるだけであった。

病を交代してあげたいぐらいだった。

私は黙ってそばにいた。

何を話せばいいっていうんだ。

私には無力すぎて、そこにいるだけでも辛かった。

そして兄は私に「ありがとう。」といった。

ありがとうという兄は、髪の毛がなくったって顔が腫れてたって

すごくすごく気品があった。

母似で、叔母に愛され、それでいて「ありがとう」は私の兄だった。


「ありがとう」を言ったその夜

兄までもが私をおいてあの世にいってしまった。

その日が、バレンタイデーの日だったのである。


私は息を引き取った兄とその晩同じ部屋で寝た。

私の帰る場所を失ってしまったかのように。

叔母が父の墓のあるところに連れて行ってくれた。

私は墓に執着心はないのだが

父の仏壇の中の写真を見てわんわん子どものように泣いた。

叔父叔母は困った様子だったがとまらなかった。

母が亡くなったとき兄がわんわん泣いていたことを思い出した。

私も同じだった。

父の隣に兄が並んでしまった。


兄は享年26歳だった。

きっと今だったら白血病は治せるんじゃないかと思うけど

あの頃は、試験人間のように辛い体験をし

一人あの家でインスリンのような注射を打っていたと思うと

寂し過ぎる人生だったと胸が痛い。

もっと近くにいればよかったと後悔するけれど

近くにいても心の距離がありすぎて

何もできなかったはずである。



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両親が離婚するケースで

イタリアだったら親権が半々となり

子どもが行ったり来たりの生活を強いられる。

日本の私たちのような片親のみという場合

自分の居場所はできるが、片親に会うことはない。

どちらがよいのか、それは子どもにしかわからない。

そして、離れ離れになった兄妹は

結局他人ぽく生きていくのである。

私は、イタリアのあっちいったりこっちいったりする生活よりも

性格上、ずっと同じところで自分の居場所がある方が好ましい。

だから、両親の決断に異議はない。

もともと家族はないものとして生きてきたから。



la famiglia non è che esiste, è da costruire

そしてこの作品が生まれたのである。

『家の中の族』

« 家族て在るものではなく つくるもの »

La famiglia non è che esiste, è da costruire.



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胸が騒いだあの日 un quarto di secolo fa

この日に Anniversario

かたみ i miei tesori


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後編上からのつづき。


確かケアーンズは数日間の滞在だったと記憶する。

私たちは、街にいたいのではない。

街のごちゃごちゃは違う街で充分だ。

彼も人のいないところを好んだ。

私たちは人のいない海へ向かった。

でも今調べるとケアーンズから車で1時間のところだ。

きっとレンタカーを借りたときに発見したのかもしれない。

それか本屋の立ち読みでチェックしたのかもしれない。

それかそれか、インフォメーションオフィスかな。

当時は、便利なネットもなければ、グーグルなんてものはなかった。

歩くか紙か人の声しか情報はない。

ついこの間までそれでも私たちはやってきたのだから

本当は、このままでもやっていけたとは思うが

一度便利さの味をしめると

ついこの間までのあの頃のインスピレーションを奮い起こしても

なかなかに鈍くなったのか、もしくはそれが正常なのに

便利のスピードに我々のもつ勘が鈍く感じるのか。



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しばらくの拠点を置いた先はFour Mile Beachという

果てしなく続いているようなビーチがある

徒歩数分のところにアパートを借りた。

リゾート地でもなければ観光地でもない

ただただリラックスしにくるようなところだった。

水平線の手前にはグレートバリアリーフが海底にある。

遠浅で静かに波が立ち静かに生命を感じるところだった。

ビーチ入り口には少し人はいるがイタリアに比べたらちっともいない。

こんなきれいなところに人がいないなんて・・。

彼は、毎朝裸足でジョギングをした。

私は、ひたすら歩いた。

そのビーチ入り口辺りに岩場があって

大金持ちの素敵なモダーンな別荘があった。

一般市民も近くまで登れた。

そこから眺めるFourMileBeachの景色は素晴らしかった。

ある日、いつものようにビーチをかなり行った先の

ヤシの実を割ってみようということになった。

そうだ、そうだ、割ってみよう!

意外と硬い。そう簡単には割れないじゃないか。

サルの方が頭が良さそうに思えた。

肉厚の割れた大きな実の中に、よく見かける大きな種があった。

また割らなければ・・。

割ってこぼれてちょっとしか飲めなかったココナッツ。

甘い()思い出は幸せと同じでほんの一瞬なんだ!



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村には、若者向けに洒落たパブやバーが立ち並ぶ通りがある。

そこがメイン通りになるが

まぁ歩くだけで小洒落た気分にさせてくれる。

ここには大きなコウモリがフツーに飛び回っていた。

イメージ通り逆さにぶら下がってるw

黒いマントをキュッと閉じて。

こっちみてるー!



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7月のオーストラリアでいう冬場だからシーズンオフだったようだ。

しかしここは一年中夏。

シーズンオフの短期アパートは観光客用で

リッチにもアパートの中庭にはプールがついていた。

シーズンオフにはプールはいらない。

誰もいない海に行けばいい。

誰もいないビーチでゴロゴロすればいい。

スリリングな旅というより

もうこの先海沿い暮らしはなかなかできないだろうと

敢えて時間を青い海と波の音とサラサラの砂に引き換えた。

そう、あれからこんな暮らしはしたことないし

むしろ夢のような時間を体験したその妄想となった過去に留めたい。



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毎日歩く・走るビーチで、毎日水平線に浮かぶ島を眺めた。

あそこの無人島に行ってみたいね。

私たちは行くことにした。

ツアーのように船が用意され

シュノーケリングキットも貸し出してくれた。

一応毎日観光客はいるようだ。

広大なビーチのせいで人は少なく見えたのに。

彼は泳げないけど

息ができるシュノーケリングはじっと浮いてれば海の中は見れる。

私はピンさえあれば海を漕ぐ(足だけで泳ぐ)ことができる。

彼をひっぱりシュノーケリングツアーをしてあげた。

感動的だった。

海中にはカラフルな魚がいっぱいいた。

熱帯魚屋さんの大きな水槽を見ているようだ。

魚たちは平然と泳いでいて私たちには眼中にない!

自然の結晶ウネウネ珊瑚は見事だし

地上では見ることのできない姿がここにはある。

グレートバリアリーフでシュノーケリング体験は価値があった。

帰りの時間になるまで私たちはずーっと空を背に海に浮いていた。



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島ってどうしてこんなに魅了するのだろう。

神秘的で原始的で。

船でしか行けないからとても遠くに感じ

手が簡単に届かないこの困難さがさらに惹きつけるのかもしれない。

だから、また別の無人島に行った。

今度はインスタントの水中カメラを持参した。

バシャバシャ撮ったけどきちんと撮れているのかな。

デジタル化した現代、フィルム時代の不便さが嘘のよう。

いちいちプリントするから写真と言えるものはフイルム時代さ。

しかし、出来上がってくる写真をウズウズ待って

半分以上今一ってことは常であった。

なんだかボヤボヤな色で写ってて、ハキハキしないピントで

あの感動的な海中は、結局のところ脳裏だけに留まることとなった。



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私たちは、ときどきやっている野外マーケットを楽しみに出向いた。

ローカル食品はもちろん、工芸品も並んでいて

見てるだけでも楽しかった。

そこに・・オーストラリアのどこにでも物産として売られているが

原住民アボリジニ伝統の楽器Didgeridooが売られていた。

ストリートでモダーンなアボリジニが演奏していたり

いろんなところで目にして耳にしていて

その原始的な作り方と魅惑的な音と

想像力を駆り立てるリズムに私たちは引き込まれていった。

彼はJambèを叩くのが趣味だったし

私も小さな楽器を集めるのが好きだったこともあって

悩んだ挙げ句、一本思い出にイタリアへ持って帰ることにした。

カラーはシンプルに絵柄がジリジリと焦がされた黒色で。

屋台の主に音の出し方を教えてもらった。

ブーっていう音だけは私にも今だってできる!

リズムにならないけどw

あの頃、イタリアの地でブレーメンの音楽隊ならぬ

ヴィンチの音楽隊でも想像していたのであろうか。

ある年の民族的な楽器好き仲間が集った大晦日

ヴィンチの宴は、ドンドコブーブーピーヒョロ賑やかに

年を越したことをよく覚えている。



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そして、牧場の多いウエスタンスタイルのオーストラリアでは

カーボウイハットを必ず一人一個は

持っているんじゃないかというくらいみんな被っている。

仕事人も通行人も。

だから、彼は紳士風のを。

私はビーチ用に前が編み編みになてて風通しが良いものを。

オーストラリアにいればなんてことない帽子だが

イタリアでカーボウイハットを被ると

なんかおかしい・・ということに気がついた。

着物をイタリアで着る感覚である。

ヴィンチの我が菜園で鍬くわを振り回しながら土を耕している時

農民は、私の帽子をじーっと見つめてぷっと微笑んでいくw

うぅ、やっぱり場違いなのかっ。



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こうしてオーストラリアの旅は幕を閉じていくのだが

この冬向こうは夏、森林火事の大惨事で

私は・・きっと彼も静かに、彼が夢みた地の足跡を追っていた

・・に違いない。

あのファームは大丈夫なのか。あのコアラは大丈夫なのか。

レインフォーレストまで燃え尽きてしまうのか。

アボリジニたちの大地生活は大丈夫なのか。

火災の裏には、野焼きや放火、火遊びなど

結局人為で始まり、温暖化も煽って旱魃と重なったこの大惨事。

SNSで流れてくる逃げ場のなくなった動物たちは

幼い子どもの悲鳴のようで、目頭が熱くなり画面がぼやけた。



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私は、原住民がいる土地には暮らさないであろう。

そこで暮らすのであれば彼らの様式に従うべきだとも思うし

それは、イタリアに暮らすことだってイタリア様式に文句は言えない。

移住者が、各々がもつ文化や伝統を上手に表現していくべきだ

と思うし、住人がグローバル的思考で自由な発想タイプだと

意気投合できるが、頑固な伝統スタイルタイプだと

なかなかイタリアだって親交を深められない。

原住民の生活スタイルは、個では生きられない。社会なんだ。

田舎に暮らして少しでもエコに節約しながら生きていこうとすると

想像以上に大変で、街の住人ほど娯楽はもてない。

そんな暮らしを体験すると、原住民のいるオーストラリアで

分けて過ごすことはできないと私は考える。

世の中が、自然へそして人種、伝統

様々なことに倫理的に尊重しながら共存していけたらと想った。


オーストラリア旅行記、完。


・ あとがき ・


伊着25周年ということもあって、今までを振り返った中で

私の意志で行ったわけではないこの長かった国を超えての旅は

イタリアに暮らす決心ともなった旅でもある。

あの頃未来だった今の自分は

過去となった未来を想像していた自分を想いながら書いている。

今までのたくさんの自分と出会えて新鮮だった。

書くという行為をしないと

きっとそのまま心に残っただけで、時は流れていくであろう。

また思い起こしてみたい。



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彼が夢みた地へ【前編】下 Western Australia - Camping

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Grazie di aver visitato!

最後まで拝読していただきまして、ありがとうございました。




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