大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:写真集

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私は、トルコに二回も行ったことがある。

イスラムとヨーロッパ、大昔と現代
オスマントルコなどの歴史と、民族やシリア難民
様々な国境に挟まれた中、独特な文化
なんかごっちゃまぜな国のイメージが
今、ある。

当時は、イスラム教一色のイメージ
イスタンブール全部興味津々
カッパドッキアなどの自然
いろんな工芸に興味があって
友(フィレンツェシスターズ)と
第一回目のトルコの旅に出たのだ。

日本やヨーロッパとはまたひと味違う
でもイスラム教100%でもないゆるさ
貧しいのか中堅なのかよくわからない風習
なんかとってもオープンでWelcomeなところ
そんなあいまいなところが
なんとなく先進国と似ている風で親近感があるのだった。

二回目のアドベンチャーな一人旅は
その親近感文化をもつ出会った人に再会したい想いと
もっともっとトルコを旅したい想いが強くなったから
また行ったのである。

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今回のこの大地震情報を聞いたとき
やっぱり私の中でいろいろよぎった。
お昼を終えた同僚が教えてくれた。
「震源地はどこ?」
「シリアの近くらしい。」

シリアの近く...
当時フィルムで写真を撮っていたアルバムを引っ張りだした。
アルバムに記してある土地名を細目にしながら(老眼)
写真をながめてみると
なんとなくの記憶がよみがえってきたのだった。
その時のある土地のエピゾードを紹介しようとおもう。

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私は、ただ単にこの円錐形の屋根
トゥルッリ型の建築物に興味があったはずだ。

イタリアでは、プーリア州にある
石が重なっている(だけ!
それをイタリア語でpietra a seccoと呼ぶ)
Trulliトゥルッリ型の屋根の家が並ぶ
Alberobelloアルベロベッロなんかが有名だ。

私は、もちろんそこも歩いているし
屋根に座って笑っている写真もある。
なんで屋根に上れたかは記憶にない。
1996年の話だ。

それだけの好奇心だけで
シリアの内戦がその頃からあった
シリア難民の多い危険地域に知ってても行ったのだった。

トルコの都会に住む親近感系トルコ人たちは
私がなんでそんなとこに行くのか不思議そうだった。

地震前までは、そしてコロナ前までは
ハッラーンという村は観光客がいっぱい来ていただろう。

今やネットで調べると、いっぱい出てくる。
当時はネットなんぞないから
地球の歩き方やミシェランガイド
あとは現地でインフォメーションオフィスで知るかなんかだ。

私はここで土地の歴史などを語ろうなどとは思わない。
歴史や土地の特徴や詳しいことは、できるものなら
本職でやられている方のネットを参考にしてほしい。

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私がHarranハッラーンという村を訪れたのは
1997年の12月だった。

ハッラーン村へはSanliurfaシャンリウルファという街から
48km(google map調べ)離れたところにある。
トルコはほとんどバス移動だから
そこへも当然バス移動のはずだ。
それしか考えられない。

ハッラーン村はガランとしていた。
写真でもわかるように
広大な土地にポツンとあるような感じだ。

もともとはシリアの土地だったそうなので
シリア人が住んでいたそうだ。

話によると昔も今もトルコとシリアは
仲が悪いそうなので
トルコに住むシリア人が孤立してしまう様子は
被災地情報でもニュースになっていた。

私は、人は人、同じ人間だと思っているので
人に対しての国境はないと信じているけれど
それぞれの想いや文化や歴史があるのだろうから
仕方がない、特に深入りすることはない。

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ハッラーンは、今ネット(wikipedia)で調べてみると
とても歴史のある土地で
古代メソポタミア文明の頃盛んだったそうだ。

その私に興味を持たせたトゥルッリ型(ドーム型とも)を
ビーハイブ ハウス (蜂の巣箱状住居) と呼ぶそうだ。

この土壁でドーム型とは
灼熱の土地の住居には最適なんだそうだ。

しかし、その、ここに住んでいたシリア人たちは
シャンリウルファの街に移住し
現在ハッラーンは観光地として残っているそうだ。

私が訪れた時のこのハッラーン在住シリア人家族の出会いは
とーっても貴重な出会いだったのだと
思い返したり今調べていく中でわかってきたのだ。

トルコとシリアが仲が悪くたって
どちらも日本人の私には優しかった。

言葉が通じなくたって
興味をもったこと
一生懸命コミュニケーションをしようとする姿勢
表情
オーラでいろいろわかる。

どうやら私を歓迎している理由は
家族の写真を撮ってほしい!ということだった。

土壁の家に住んでて、一見貧しいんだけど
心は本当に豊かな家族だった。

子どもたちが嬉しそうだった。
だって、お父さんが嬉しそうにしてるんだもん。

私は、貧しそうなところに住んでいる人の生き方を知りたかった。
豊かな国の幸せと土壁の家に住む家族の幸せは違う。

物が無くたって生きていける強さ
当時私の旅のテーマはそういうところにもあった。

その土地で生まれるその土地に合った住居もそうだけど
生活するための道具とか工芸なんかに興味があった。

当時私は二十代真っ最中だったけど
リセットしたくて仕方がなくって
日本を出てイタリアに住みながら
先進国とは違うような国を旅していた。

言葉が通じないけど、意思が疏通できる
言語もそうだけど、耳が聞こえない人
赤ちゃんや子ども、単に大人同士だって
意思を伝える方法をずっと研究しているかもしれない。

土壁家族の主は私に
手紙が受け取れるP.O.Boxみたいな住所を
渡してくれたので、家族の写真を送ったのだった。
ちゃんと着いたのかな。

今はみんな、子どもたちは大人になって
お父さんお母さんは
おじいちゃんおばあちゃんになっているのかな。


地震で被害がなかったことを祈るばかりですが
全地域お見舞申し上げます。

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最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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