大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:夏休み

IMG_2112

夏休み最後の日曜日
私たちは海に行った。

思春期青少年のリクエストだ。

Livorno県の海沿いは
きれいな海岸がたくさんある。

私たちはいつも
San Vincenzoという地の
ビーチに行く。

少年が4歳ぐらいの頃
ビーチからちょっと奥まった
静かなキャンプ場に
はじめてテントをはった記憶は
深く刻まれた様子だった。

少年の小さな自転車で
キャンプ場内を移動したこと
BBQをしたこと
持参のテーブルでご飯を食べたこと
コイン式の制限時間付きシャワーで
一人でバタバタ体を洗ったこと
トイレは遠いところにあること

ニヤニヤしながら思い出していた。

他のことはあんまり覚えてないのに
キャンプの思い出は強いようだ。
毎年、キャンプしようという。

いま、キャンプする気力は
私にはないので
広大な海を見ながら
ゴロゴロすることにした。

IMG_2108

私は8月中、正社員の夏休みの穴埋めに
食品会社で200時間も労働していた。

正社員が戻り始めた頃
土曜日がやっと休みになり
家族サービスをすることにしたのだ。

IMG_2114

イタリアでは、かなり観光客が減った
気温もだいぶ下がって
海水はちょっと冷たくなった透明な
9月の海は人気がある。

それでもパラソルはあると助かるけど
海上がりの冷えた体に
強そうでそうでもない
太陽の日差しは心地よい。

空は澄み渡り、波もほぼ無い。
南方には
Populonia(半島になってる村)が濃く
Isola d'Erba(エルバ島)が薄く
グラデーションになっている。

水平線は空と海の青のグラデーション。
絵になるヨットがプカプカ浮いている。

海の景色はやっぱり自由感があるなぁ。

IMG_2128

食品会社の従業員は、毎日
同じ作業と向かい合った形式の作業台は
恰好の井戸端会議の場だ。

ずーーーっとおしゃべりをしている。
私も時には話に入るけど
バカバカしい話ばっかりしてるので
ほぼ騒音としてしか入ってこない。

イタリア人のオバちゃんたちの会話は
社長の悪口&そこにいない同僚の悪口w
今日の献立&料理レシピ
子どもの成長&学校問題
ひとのドラマ的人生
生活の問題
便利な生活用品
などなど
若い娘たちの会話は
下ネタまででてくる始末。

イタリアでイタリア人と働くならば
会話力は必須。
おどおどしてはダメ。
自分をもっていないと
すぐ孤立してしまう。
イタリア人はおしゃべりと作業
二つのことが同時にできる人が多い。

先日若い新人の契約社員が入ってきて
ベテラン社員が
「動作からして全てがシャイだ」
という話を私にするので
「私も相当シャイで人見知りですけど」というと
「アナタは年齢的にシャイとかではない」
というのである。ふーん。

そういうくだらない会話の日々から
解放された気分になった海日和。

IMG_2117


IMG_2103

思春期青少年は、9月はじめの試験で
進級が決まった。

イタリアの高校は、進級制度が厳しい。
一年間の出席数、最低レベルの成績に
達していないと即落第
一教科二教科最低レベルの成績に
達していないと
夏休み中復習して
9月はじめのチャンステストに
合格しないと一教科でも落第...

夏休み、学校は補習授業を開催してくれる。
各学校、やり方や決まりは違うが
この補習授業を義務化している
学校もあれば
参加は自由と自己に任せる学校もある。

大人的に考えれば
この補習授業に参加することは
進級を手伝っている
とモラル的に捉える。

6月、学校が夏休み入ってすぐ
一ヶ月研修期間に入った。
7月、研修が終わったらその足ですぐ
一週間の補習授業がはじまった。
夏休みまでプログラムされているw

あの週、40℃あるぐらい激暑な中
大人的モラル作戦の補習授業に
参加した思春期青少年少女たち
汗だくでみんなノートを内輪代わりにして
ちっとも頭に入ってこなかった
と愚痴っていたが
とにかく絶対に行け!と煽った。

思春期的に考えたら、ただただ面倒だが
大人的に考えれば、そこがポイントで
来た生徒には褒美として
勉強しておく箇所を教えてくれるはずだ。

夏休み期間バスもない。
そこで活躍したのが
5月に仮免を取ったスクーターだ。
片道20km強、よく通ったもんだ。

それに慣れて
学校方面のサッカーの練習も
そっちのお友だちとも
今や行きつけパキスタン人経営の床屋にも
一人で行くようになった我が思春期青少年。
ブドウ畑のど真ん中にあった
田舎の研修先にだって
田舎道を毎日原チャリで通った。

そして7月の補習授業が終わって
私たちはバルセロナに飛んだのだ。
これもスペイン語と英語の勉強...
と目的付けて。

8月のFerragosto(8月15日祝日)
の週が過ぎると
思春期青少年は、5日間サッカーの強化合宿
合宿後は、まるで何もすることはないだろうと
毎日のように練習x練習。
時には午前午後も。

いつ勉強してたかはよくわかんないけど
練習x練習の間にも
チャンステスト間近の補習授業

日本で
通っている高校で落第するなんてこと
聞いたこともほぼないから
私は慣れてない。
こっちがヒヤヒヤハラハラしたもんだ。

勉強しろ!と言えば
勉強してる、と返ってくる。

わかんないとこわかったの?と聞けば
わかった、と言う。

ニュースでは
夏休み中ずっと勉強していた子の話
家庭教師までつけて勉強している子の話
そんな風に伝えてて
ウチの子は...と不安にさせられた。

テストの数日前
日本人だったらガリガリ勉強するだろうに
地元EMPOLI vs JUVENTUSの
サッカーの試合を観に行ける余裕があって
何を信じてよいかわからなかった。。

IMG_2119


IMG_2135


IMG_2144


IMG_2145

あまり勉強している姿をみなかったけれども
結果、進級することができた。

やっぱり
大人的モラル作戦補習授業の前編の方
激暑の中、参加を自己に任せた補習授業
とっても大切だったそうだ。

前編に参加した子たちは
みんな進級したそうだ。

しかし、8月の後編授業は
見直し程度で
行っても行かなくてもいいぐらい
だったそうだ。

後編だけに参加したお友だち...
落第しちゃったそうだ。

激怒して、我が子に愚痴電話してたが
「お前が勉強しなかったのがいけないんだろ」
と、友に説教している思春期青少年...
それはそれでいい友だち関係だ。

イタリア全国の話だったとおもうけど、
思春期青少年いわく
15人に1人は落第するんだそうだ。

食品会社の同僚ママの息子も落第しちゃって
ママの涙をランチタイムに共にのみこんだ。

その学校は、補習授業が義務にもかかわらず
テストに補習授業でやらなかったことをだし
先生は狂ってるのか笑ってた
と激怒した。

その学校は65人も落第させたそうだ。

2度落第するとその学校に通えないそうだ。

この時期
始業で浮かれている空気があるけれども
その反対には
学校を辞めていく子もいるのである。

テストから始業までの10日間ぐらいで
進路を考えなくてはいけない。
そういう話を今まで聞くことはなかったが
現実が近づきはじめ
イタリアの学校システムを知らない私は
同年代のママたちの話は参考になる。

その後、我が子の落第しちゃった友は
超開き直っちゃって
勉強する量が減るとかなんとかで
前より幸せそうだよ、と
苦笑いしながら語る。

8人ぐらいいたヴィンチのお友だちも半分以下
クラスの仲良しのお友だちたちも落第しちゃって
進級した子たちがなんか変に寂しそう。

私も、何故か涙がこぼれた。

今年は進級できたけれども
翌年はどうなっているのかわからない。

ぎゃんぎゃん言っても本人次第だし
私は頭が良くなくても
母から勉強しろと言われなかった。

落第しても
国立ではなく市立の専門学校で
新たな進路を見つけ
順調に過ごしている例も聞く。

落第が悪いわけではない
というママ友もいるし
学校や先生とのフィーリングもあるみたいだし
専攻を見直すことができるチャンス
だったりもする。

なんとなくネガティブなひびきだし
若いうちに人生の見直しをしているみたいで
こっちがハラハラする。
しかし、こういう時
大人がしっかり守って
進路をアドバイスすることが大切だとおもった。

IMG_2142


IMG_2149

だからこの透き通った清い海と
先は輝く水平線をながめることができた
この日曜日は、大空に向かって大の字に転がれた。
 疲れた夏休みだった。

IMG_2152



今日の一曲






Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

DSC08031

vol.2のつづき。

我ら親子が向かった友の実家は
Marsalaマルサーラの街からちょい南下した海沿いにあった。

海は見えないけど、歩いて3分のところに位置していた。
どうりで毎年毎年青少年が生まれる前から
誘ってくれていた意味がわかった。
まるでバカンスのための別荘のようなのだ。

友は、普段はヴィンチから30分程のところに住んでいて
夏の休暇とクリスマス休暇に帰省しているようだった。
ここにはご両親と兄弟家族が暮らす3世帯ならぬ
友家族分もあったから4世帯住めちゃう大きな家だった。
さすがシチリアだなぁ。

この大ファミリーは以前
マルサーラの街寄りに住んでいたそうだ。
友が幼少期、この海の家に引っ越してきたそうだ。

ここの欠点はひとつ
車がないと何もないことだそうだ。
それを聞くとヴィンチの丘の家の周りも何もない。。
同じくバスはあれど、一日に数本しかない。

友は、そのマルサーラの街にあるお母様の病院通いに
午前中まるまる付き添わなければいけなかった。

私はご両親の体調の悪いときにお邪魔したくなかったのだが
逆に、体調不良で落ち込んだ時に
わいわいとお客さんがやって来たことに
刺激を与えた様子で、歓迎のおもてなしで迎えてくださった。
パッとしない思うように動けない生活に
新しい話題で食卓に華を咲かせて
一風を与えたような感じだった。

イタリアから日本にいるおばあちゃんに
会いに行っていた感覚と同じだった。
友の大ファミリーとは家族同然のように付き合いも長いし深い。

私たちもなるべく
迷惑をかけないよう気を遣わせないよう
できるだけ家族っぽく振る舞った。

DSC08036

親子は滞在期間、マルサーラの海ライフを満喫するのだ!
そう、朝眠くたって早めに起きて
海の風が心地よくあたるテラスで
Caffèとパンにお母様の手作りオレンジジャムを食べて
友とお母様の出掛ける時間まで
女だけでおしゃべりをたっぷりして
そして我ら親子は、その3分で行ける海に
水着とバスタオルだけで繰り出すのだ。

朝の海は穏やかだ。
朝の海に行けるのは青少年の念願だった。
彼はこのために来たようなものだ。

そして、パラソルなど持っていかないので
午前中と夕方しか行かない。

友の実家から国道を渡って砂浜に向かう。
昔は、この国道を渡った向こうは
風避けのダンチクがいっぱいあったそうな。
現在は、もっと欲張った海の家々が
不法で建っている。
さすがシチリアだなぁ。

友の幼少期時代は
田舎の海のがらんとした交通量さえも少ないビーチだったそうだ。
それが今や、Salineサリーネ(塩田)の辺りのように観光地化し
別荘やレストランがぼこぼこできたそうだ。
国道もなかなか渡れないじゃないかっ!

ビーチは、誰もが落ち着いてくつろげる細かい砂のビーチだった。
かなりの距離まで浅く、水は透き通っていた。
遠浅だから浅い部分が水色で深くなったところから青色だ。
このコントラストが素敵なビーチ感をだしている。

友の実家からビーチへの最寄りの入り口は幸い
BARや有料パラソルのあるようなところではない。
どちらかというと、友たちのように帰省組が
朝と夕、ひと泳ぎするようなビーチだった。

朝の弱い日差しでも私はできるものなら日焼けはしたくない。
日陰を探した。
ちょうど不法で建てられた住居の囲いの壁と大きな木の陰をみつけた。
私は太陽が移動してもいいように
少しでも長く日陰にいられるだろう位置にバスタオルを敷いて陣とった。
思春期青少年は、少し離れたところの日向で
ゴロゴロ態勢でもかっこつけている。やれやれ。

すると、母親らしい大人一人と小学生低学年ぐらいの男の子と
中高生ぐらいの女の子たちを引き連れて
もうちょい先の日陰に、そのグループは陣取って
歌いだしたり踊りだしたり、ボールで遊んだり
海に入るのもグループで、明るく賑やかに過ごしていた。
どこからみても、毎日通ってる海慣れした一行であった。
 
一日目は、私たちの想像していた朝の穏やかな海であった。
海水はそんなに冷たくなく、ずっと浸かっていられそうな温度。

初日の夕方も私たちは海へ行った。
マルサーラライフを満喫しなきゃですもの。
午後にはもう海は荒れ始めていた。

DSC08128

ヴィンチ親子が到着した途端、我々の三日間の滞在期間
Sciroccoシロッコというサハラ砂漠から吹いてくる熱風・強風の
気流の渦に巻き込まれてしまった。
地元民の話によると、ときには
サハラ砂漠の砂まで見える時もあれば
砂まで降ってくることもあるんだそうだ。

いつだか日本で、千葉の京葉線から見えた
黄色い砂埃が舞っているのを思い出した。
あとで、その現象は黄砂であることをいとこが教えてくれた。

本当だったら、友の兄は自作ボートを持っているので
プカプカとボートで海を遊覧する案も出してくれていた。
もしくは、カヌーとかペダルボートなんかの案もあった。
がしかし、この強風と海の荒れでは
海の乗り物はやめておいた方がよいと海に詳しい地元民がいう。

風の向きによっては波がないところが
塩田だったり遠浅の海を歩く体験をした辺りだったのだ。

DSC08162

翌日の朝、マルサーラライフをしにひと泳ぎしにいった。
あの毎日来てそうな海慣れした賑やか一行は昨日
いっちばん長くまで日陰が続いたところに陣取っていたのを思い出した。
今日は、アタイがあそこを陣とるわよ!

しばらくすると、賑やか一行が現れた。
私が彼らの日陰地帯を陣とっちゃったから
私が昨日いたあたりに広げはじめた。ゴメン。
 子どもたちは日向だろうへっちゃらなんだけど
やっぱり大人は、少しでも長く日陰がいい。

私が泳いでいる間に、母親らしき大人が
私のバスタオルの隣に移動していたw

え。。近すぎじゃね?
ってフツー日本人だったら思うじゃん。
その母親大人は、マルサーラに帰省しているシチリア人さ。
「ごめんね、近くに寄っちゃって。日陰にいたくって。」
と、素直で社交的だ。

それからあれよあれよとおしゃべりがはじまり
ついには、近くでかっこつけている我が思春期青少年に
同じくらいの歳の女子たち3~4人と男子2人を紹介しはじめたw

若者たちは遠浅の海でなんか楽しそうだ。
初対面の青少年もあとにくっついていって帰ってきやしない。
おばちゃんたち二人は、シロッコの強風の中
自己紹介したりおしゃべりをして時は過ぎていった。
「シロッコにね、やられちまうことを
io sono sciroccataっていうんだよ。」ふむふむ。

DSC08047

DSC08052

Pranzoプランゾ(ランチ)は家族を待ってみんなで一緒に食べる。
今、ナスが旬だ。滞在中ナス料理が何品か登場した。
ナスのカポナータ、ナスのトマトソースパスタ、ナスのグリル。
私はもっぱら料理下手のうえに伝授してくれる人がいなかったので
基本を知らずに自己流に今までつくってきたのだが
ナスは他の材料と一色たんにすることがほとんどだった。
しかしここのレシピは、とにかくナスは別で炒めたり焼いたりして
食べる直前にお皿の上に混ぜていくレシピであった。
なんか食材の味が単品ずつ引き出されててイイ!

彼らのおもてなしは寛大で、どう返してよいかわからない。
彼らは見返りなんか気にしない素のままの姿が
これぞシチリア流で、友を超えたみんなが家族という絆を
彼らから比べたらちっぽけな私は痛いほど受け取った。
私は一人ぽっちの世界観がなかなか抜けない狭い許容範囲で
彼らのような寛大さが乏しくて悔しくなるほどだった。

この旅で我が青少年に教えたかったことは
同じイタリアなのにいろんな意味で遠いシチリアと
シチリア人の寛大さと温かさと社交性
シチリアの太陽と海と大地とそしてシロッコ

青少年はまた来年もマルサーラに行きたいと
着いた初日から言っていた。
歩いて3分のビーチで突如知り合った若者たちに会いたいとも。
旅の何もかもの出会いが新鮮だったようだ。
これから親抜きでたっくさん旅していくさ。
Piano, pianoピアーノ、ピアーノ(焦るな)

DSC08106

DSC08109

DSC08118

DSC08124

301210198_781579319820217_382932133041798322_n

私たちは、出発日の午前中も海へ行った。
シロッコが吹いてても気にならないさ。
あの賑やか一行に挨拶したいじゃないか。
「本当にもう帰っちゃうの?」はい。

友と友のお母様がリハビリの病院から帰ってきた。
それでは長距離バスが出発するMazara del Valloへ向かおう。
駆け足で観光して、人気のPasticceriaパスティッチェリーア(お菓子屋さん)で
AranciniアランチーニとCannoloカンノーロを頬張ったのであった。
長旅のお弁当もアランチーニシリーズ。
日本のお惣菜パンを思い出させたパンも美味しかった!

マルサーラの中心街はどちらかというと
メイン通りが2本ぐらいあるどちらかというと
発見の少ない街だった。
しかし私たちには、トスカーナの色と違うだけでワクワクする。

マルサーラから南下していく
こちらのMazara del valloマザーラデルヴァッロ
昔、チューニジアとの交流が深く
移民たちが住み着いて文化を残していったそうだ。
だからとってもアラブカラーや砂漠カラーが強く
さらには陶芸やタイルがオチデンタルで
アーティスティックな街つくりは発見がいっぱいあった。

友の兄夫婦はアフリカ系の女の子を養女に迎えた。
日本に興味津々で、イタリア古典を学んだ彼女は
日本をイタリアと比較してどう表すかと
難しい質問をしてきた。

私は、良くも悪くも尊重から生まれていることが多いんじゃんないか
私たちの習慣や性格も、小さいときから
祖先や目上の人、経験者そして弱い人を敬うこと
原点はそこから、日本の整然としたアクションがあるのではないか

そういう意味なのかはわからないけど
日本のミニマリズムなんかは
私の人生で感じた自己流な考えは
無の空間に、尊重しながら自分流に
発見や発想を自由にデザインしていくんじゃないかと想う。

だから、この発見がある街は大好きだし
発見のある旅は大好きだし
発見のある人生を常に歩んでいるよ。

アナタたちが日本に興味を持ったように
私は日本にはない文化や歴史、性格をもつ
ヨーロッパに興味を持ったのだ。
毎日が発見だらけだ。
今、日本に帰国したら、今だから母国だって発見だらけだろう。
歳を重ねるおもしろさってここにあるのだとおもう。

若者になんかメッセージを短時間で残すなら
自由な発想でたくさんの体験と発見をいっぱいしてね
まわりを尊重しながら、だろうか。

私はイタリアに染まりたいのに
いつまでたってもどこにいっても
永遠に日本人なのである。

おわり。



下より写真は、長距離バスで西シチリアから内陸部の車窓より。
DSC08132

DSC08139

DSC08146

DSC08153

DSC08156

DSC08164

DSC08171

DSC08174

DSC08176



Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

300533272_1518658815243425_1774747200237486572_n

Vol.1のつづき。

そういえば。パレルモの駅で
大々とPalermo Centraleの駅名を見ずに
確認せずに、降り立った。

それにしても、パレルモの駅って
フィレンツェのようにホーム入り口の仰々しさがなく
ポリスもいないし、なんだかとってもオープンであった。

なぜここをパレルモの駅だっておもって降りたんだろう。

到着予定時間がなんとピッタリだったのと
停車駅の順番をスクショしてあったので
次、パレルモだね、と準備はできてはいたものの
まぁ、みんなが降りるし
旅慣れしてる風ドイツ人カップルも降りたので
私たちもつられて降りたのだった。

降りてみると、きっと誰もがキョロキョロする
南口、北口みたいなのがあって
そのへんは感で進んで行った。

マルサーラ行きのバスを確認しようと
地元民らしい人に訊ねた。「あっちだよ。」
出口は正解だった。

ホームの真横にあったんだけど壁があって見えなかった。
でも人が流れていってたので気になる出口でもあった。

ここはパレルモのバスターミナルみたいで
チケット屋さんがいっぱいあった。

駅の側にバスターミナルもあると便利。
他州の大きい土地だと、駅から離れていることがある。
フィレンツェやローマの場合、この旅で知るわけだ。

今回ご招待してくれた友情報に従って
Salemiというバス会社のチケットを購入した。
このバス会社は、シチリアではとってもメジャーな
老舗会社なのだそうだ。長距離も扱っている。

「ちなみに、駅のあたり気をつけてね。」
まぁわかっているだろうとは思うけど、みたいな笑い付きで
地元民情報も加わっていた。

駅の辺りはパレルモに限らず
いろんな人が往き来したり待ち合わせするところなので
どこでも毎度緊張する。
できるものなら長居は避けたいゾーンだ。
スーツケースなんか引っ張ってる日本人なんか見たら
一番の標的だと、20年30年在住してても
イタリア語が話せたって、今回もピリピリした
この気持ちをシェアしようとおもう。

列車の切符はパレルモまでを購入した。
長距離を移動するには列車でいいのだけれど
列車って結局のところ線路がないところには
当たり前だけど列車は走らないので
小さな街々、村々には
やっぱりどうしてもバス移動なのである。

マルサーラにだって駅はあるけれど
パレルモからの本数は少ないし、5時間近くかかる。
バスであれば、本数がぐんと増え2時間半で着く。
「アナタの選択は正しい。」と何人かの人たちに言われた。

私たちが乗ったマルサーラ行きのバスは
空港をはしごしているようだった。
私も青少年もぐらんぐらん眠りこけていたので
がらんとした大地が薄目に入ってきたぐらいで
空港あたりの車窓は覚えていない。悔しいけれど。

DSC08022

DSC08023

トラーパニの空港を過ぎたあたりで電話がなって目が覚めた。
友からだった。「今どこ?」 

ちょうどいいタイミングで起こされ
それからの車窓ったら、結局この滞在で夕日に近い時間に
Salineサリーネ(塩田)が見れたのはこの時だけだったはずだ。

そう、トラーパニからマルサーラ一帯の海沿いは
塩田で有名だ。シチリアの塩である。

時期や過程にもよるが
塩田に生まれるピンク色の小さな海老が
ピンクのグラデーションをつくったり
その小エビを食べにフラミンゴが集まってきたり
とにかくインスタ映えしまくる場所なのである。

あぁ、もういつとは言いません、90年代
日本からはるばる来た友と
塩田に行こう!とわざわざトラーパニに行った
若かれし頃。

だーれもいない塩田の、細い通路のような畦道を
ロマンティックに歩いた思い出は忘れられない。

当然フツーにネットもない時代だから
SNSで紹介する場もない。
ただただ自己満足で全部の出来事が自分のモノ。

旅行記だけはつけていたのに
そのノートが見つからない。
フイルムの写真と私の記憶だけが思い出なのだ。

そんな友との思い出がわんさか蘇ってきた。
あの時旅したところをもう一度歩くってのも悪くない。
新しいところを発見することも楽しいけれど
ん十年も経って再現できたことは
ある意味、生きていることに感謝したり
その旅だけではない、今まで心の中で支えてきてくれた友たちのことを
想い出させてくれたり、振り返ってみたり。
日々の暮らしではなかなかできない気持ちを
このSalineで、実は駆け足なんだけど長く浸れた感覚が嬉しかった。

横を見ると、思春期青少年はまだぐらんぐらん眠りこけている。
起こしても起きないので、一人で車窓と思い出を楽しむことにした。

DSC08065

DSC08066

DSC08082

DSC08084

300607238_759140645305007_2091583818567673343_n

今やSaline一帯は観光地化していて、勝手には入れない。
ましてや、夕日にアペリティフをしたり
Apericenaアペリチェーナ(アペリティフ兼ディナー)が
できるところがいくつもあっての変わり様に驚いた。

んで、アペリ?! ソレ、いいね!って思うじゃん。
一応、夕日をめがけて行くんだけど
シチリアの時の流れに任せていると、間に合わないのであるw

滞在期間毎日Salineの夕日タイムが気になる。
時の流れもそうだけど、私たちがいた期間
まんまとシロッコ期間にぶちあたり
夕日どころかマットなグレーかかった空が広がっていたのであった。

夕日は諦め、日中のSaline見学と
遠浅で向こうの島(個人所有のIsola Longa)にも
歩いて行ける体験を、駆け足でしたのであった。

つづく。

301981502_1110119903044343_6295195958364657322_n


Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村





DSC07935

私と思春期青少年は
トスカーナの悪天候が始まった頃
逃げるように出発した。

あんなに干ばつだったのに、雨が降るなんて。。
夏は終わっちゃうのか?

あの悪天候は、トスカーナあたりだけだったようだ。
ローマに着いた頃は、まだ雨知らずだった。

フィレンツェからローマまでは現在の特急Frecciarossaで
現代風に無料wifiに接続しながらフカフカに行く。

ローマからはInterCityという昔は特急だった列車の寝台で
私たちは終点のパレルモへ向かったのだった。

DSC07902

DSC07903

InterCityという列車自体ん十年と使っていない。
入った瞬間からリラ時代を思い出させた。

私がこの列車を使ってバックパッカーをしていた
約25年前と何も変わっていない。
当時だって新しい感は何もなかったのだから
50年以上おんなじ列車を稼働させているのではないだろうか。

とにかく出発の三日前に出発を決心し
二日前に交通のチケットをとったのだから
思うようにチケットがあるわけがない。

寝台でも二人用デラックスなんかあるけれど
料金がぐんと上がって、しぶしぶ4人のドミトリー室。

今コロナでひょっとすると二人で使えちゃうかもね!
と甘くみた私たちは、あっけなくはずれ
ドイツ人の若カップルバックパッカーとシェアすることに。

発車してから間もなく、南の人であろう乗務員が
除菌ティッシュを持ってきてくれた。

「あの、、wifiってどうやって繋げるんですか?」
「そんなもんないよ。」あ。

次に、水を持ってきてくれた。
水は常温だけれど、エコロジー的にTetraPakで
Ferrovia dello stato italianeのオリジナルブランドであった。

次に、小さなオレンジジュースを持ってきてくれた。
TetraPakでエコロジーだけど、こちらも冷えてない。

次に、生チョコが入ったビスコットを一つ一箱ずつ
持ってきてくれた。
オレンジジュースとビスコットは、朝食なのであろう。

何故か最後に、紙便座カバー2枚と石鹸が入った箱を
持ってきてくれた。

全部一気に持ってきてくれてもいいのに
くしゃくしゃの小さな紙袋に車輌の人数分を入れて
何度も配っている様子であった。
くしゃくしゃ感と真っ黒な髪の毛とアクセントが超南イタリアで
それだけで、なんとなく懐かしさと旅気分を醸し出してくれた。

さて、ドイツ人若カップルは、旅慣れしているのか
生活週間を崩したくないだけなのか
移動中には興味がないのか
寝台で思う存分寝るつもりで旅をしているのか

彼らは、ベッドメイキングをとっととして
とっととトイレに歯磨きと用を足して
通路との扉をよっこらしょとガッチリ閉め
窓のカーテンを下まできっちり降ろし、外の光を遮断し
我々と話すことなく寝入ってしまった。。。

親子は、想像していた寝台列車での夜更かし用の
パニーニやらスナックやらワインは
開かずのままとなってしまった。

ItaloGiapponese(イタリアと日本のハーフ)の青少年と
イタリアに何年住んでも典型的日本人の母は
寝台列車であることを尊重して
電気まで消灯して、夜更かしはお預けとなってしまった。

暗い中、目はパチパチしながら
今、どこかなぁ。。なんて
二段ベットの上と下で思っていた親子。

トイレで扉を開けるのに、物凄い音が出て
なんだか申し訳なくなる親子。

DSC07911

299154491_447552723965578_1253957374809658701_n

DSC07921

DSC07926

Villa San Giovanniに早朝6時頃着いた。
若カップルには申し訳ないけれど
ガッガッガッと大きな音が出る扉を開けて
通路に出た。

私たちは、このためにわざわざ寝台列車を使って
シチリアに行くんだ。

私たちの車両がちょうど半分のところだったようで
車両と車両の繋ぎが分かれて
その繋ぎの扉から列車用フェリーに入っていくところがみれた。

今や安いときなんか1000円以下もある格安飛行機で
ビュンと簡単に行けちゃうところを
あえて私たち親子は、寝台列車の長旅を選んだのだ。
イタリアの名物、シチリアへ渡るには
未だ列車専用フェリーで渡る手段があることを
橋ができる前に体験しておきたい。

イタリア人でさえ、未体験の人がいっぱいいる。
私が、そのバックパッカー時代に衝撃的だった
この鉄道フェリー体験を息子にさせたかったし
思春期青少年もこの手のアドベンチャーを望んでいた。

そしてなにしろ、空路の旅は日本行きで体験しているので
陸路の旅を経験することと
車窓を楽しむことが目的だった。

青少年は、列車がフェリーに入っていくのが
信じられない様子であった。
そして、列車から降りれることも呆気にとられていた。

メッシーナまで目と鼻の先である。
それでも数十分、外の空気が吸えるのと
別の乗り物に乗った得した気分で幸せになるのである。

列車を外すのも合体させるのも手際がいい。
真っ黒に日焼けをした小太りのおじちゃんたちが
小回りがきく若僧社員に手振りで指示している。
案外静かなもんだ。

ドミトリーのドイツ人若カップルは
まだまだぐっすり寝ていた。
マジかよ、イタリア名物の鉄道フェリー見ないの?

しばらくして、アメリカンぽいEspresso Lungo
(多めエスプレッソコーヒー)を紙コップで
あの乗務員さんが持ってきてくれた。

「え。これもサービスの一部なんですか?」
「もちろんですよ。無料です。」

Barも別の車両にあるけど
とてもサービスがよかった寝台列車パレルモ行き。

と、親子はなにもかも満喫した典型的日本人旅行客だが
ドミトリー若カップルは、コーヒーサービスも受け取らず
寝っぱなし。
「この人たち、ずっと寝てるんですよ。」と愚痴っちゃった。
すると乗務員さんは「CAFFE'!!!」と大きな声を張り上げた。
けど、いらないって。ま、いいけれどさ。

DSC07934

車窓は、シチリアに入ってから日が登り楽しめた。
パレルモ行きはシチリアの北部の海岸沿いを走る。

行きにくい場所なのか知られていない場所なのか
お盆週間なのに人が少ないビーチがところどころあって
たまに、そんなところにはキャンピングカーが停まっている。
いつかは、あぁいう体験もしてみたいなぁ
と、うっとり眺める。

何度かシチリアには来ているので
青少年に思い出話をするが
悔しがってあまり聞きたがらない。
ま、いい。発見が楽しいんだから。

そんな車窓とは裏腹に
ドミトリー若カップルは目が覚めてベットを片付けはじめた。
上のベットを畳むとソファーみたいになる。
そうするとかがまなくて済む。
ソファーに座った若カップルは、車窓を楽しむことなく
スマフォをいじっているのでありました。

DSC07950

DSC07961

DSC07958

DSC07980

DSC07984

299298891_563233845545372_2391221245211725259_n

299810734_2953635201596284_7991519787212029810_n

299365255_3953079684832727_9126722553187099671_n

DSC07962

DSC07954

16時間を経てパレルモに着いた。
我が青少年は、常にスマフォを手にしているし
操作が速いので、彼にナビを任せ
とりあえず、かの有名なマーケット(メルカート)に向かった。

意外とメルカートはすぐだったのにも関わらず
意外とすぐにパレルモらしい風景が飛び込んできた。
まだ免許を取ったことはないけれど
思春期青少年だってスクーターは
ヘルメットを被ることぐらいわかっている。
パレルモ、全然平気でノーヘル。
パレルモ、全然平気で3人乗り。

警察に捕まんないのか不思議なんだけど
そんなもの見過ごしなんだそうよ。
自己責任らしい。
すげーな、パレルモって!
シチリア全部かな?

よく見かけたのが、見た目はスクーターだけれども
ペダルがついた一応電気自転車。
あれは、ノーヘルでOKなんだそう。

こっちがハラハラするパレルモ交通事情の合間をぬって
Mercato del pesceとかMercato di Ballaròと呼ばれる
クラシックなメルカートにたどり着いた。

残念ながら、寝台列車で夜更かし用のパニーニを
生物だし捨てるのもなんだからって
結局のところ列車で午前中食べちゃったので
お腹いっぱいだったのが、とっても残念。。

海の風は気持ちがいいけれど、暑かったこともあって
親子は、Granitaグラニータ(シャーベット)で体を冷やす。
シチリアといえばレモン。
レモン味をチョイスしたけど、甘かったー!! 

メルカートは見てるだけで楽しい。
売っているものも人も。

メルカートにもスクーターが入ってくるんだよ。
トスカーナでは考えられないw

まだタバコ屋台が存在していて
東欧の旅を思い出した。
現代とは思えない風景。

アフリカ系の移民が多いエスニックなメルカート。

DSC08001

299033300_606923291032904_8680013957268920391_n

ナビ青少年ととりあえずパレルモの大聖堂(Cattedrale)に行って
お祈りしてこよう、ということにした。

なにしろ、我々はノープランだ。
青少年にもっと下調べしろよ!!とぎゃんぎゃん言うが
フレキシブルに動けるところが
ノープランのいいところでもある。

カテドラーレのあとはなるべく駅から遠ざからないように
Centro(中心街)を歩くことにした。

自由気ままなパレルミターニとはうって変わって
街は北イタリアのようにモダーンで
そこには北イタリアからの観光客でひしめいていた。
このギャップがなんだかおかしい。

我々はここにいても買い物をするわけでもない。
居心地がなんとなく悪く
早めに引き上げ、また駅に向かったのであった。

我々はまだ目的地には着いていない。
まだ移動の途中なのだ。
我々の目的地は、Marsalaマルサーラ

パレルモから今度はバスでマルサーラへ向かった。

つづく。



Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




人気ブログランキング

にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村

DSCN1213

八月前半の灼熱期間が過ぎ、ちょっと一息ついたころ
あまりにも思春期青少年の夏休み引きこもりをみるにみかねて
鬱憤晴らしに、海へ行くことにした。
いつもの無計画家族、前日の夜に決定。。。

私は灼熱期間に海に行くより
少し落ち着いた気温の日がいい。
すぐ焼けちゃうし、日差しが痛いし
暑くてゆっくりゴロゴロできないからだ。

私たちは、毎年同じビーチに行くので
去年と変わらない海に、もう何日も通っている気分だった。
思春期青少年もそう感じてくれればいいのになぁ。

全く稼働しないお盆を挟んだ2週間でも
きっと人も少ないんじゃないかと
ロングビーチのいっちばん町から離れた端っこへ向かった。
ここだ、ここだ、去年もここの入り口から入った。
半壊した古民家の周りにFicoフィーコ(植・イチジク)が生えてて
田舎者の私たちはパクパク食べた思い出から
フィーコの入り口と呼んでいる。

端っこでも、道路沿いの駐車は青線の有料だ。
ときどき白線のところは無料駐車できるけど
なかなかにタイミングとか運を要する。
有料にしたせいか(数年前は全部無料)一日中いるというより
動きがあるようにおもう。
なんせ1時間1ユーロ。
長期バカンスには痛い金額だ。

DSCN1168

左側は、旗がなびいててとってもシステマチックで
なんだか人が結構いる。
有料ビーチなのかなぁ。

右側は、私たちがよく知っている
まばらに人がいるけれど許せる程度だ。
家族連れがいたり、ワンコがいたり
若くも老いてもカップルがいちゃついている
いたってフツーのイタリアのビーチだ。

夫は人混みのビーチに全く興味ナシ。
わたし用のパラソルを設置して、海をしばらく眺めると
ハーバーの町へランチ調達しに行ってしまった。
それはそれで楽しそうだなぁ。

DSCN1171

DSCN1184

ひとまずひと泳ぎすっか。
ちょっと波があった。
イタリアの天気予報用語で mare poco mosso といい
波がないと mare calmo という。

初めてイタリアの海沿いを旅していた時('90年代)
あれはナポリのイスキア島のビーチだった。
私と友、ギャル(当時)二人で手ぶらでゴロゴロしていた。

すると、地元クンっぽい青年が身軽にひと泳ぎしにきた。
しかし、彼はまずビーチに座り
カバンの中からエアービート板を取り出し
膨らましはじめた。

そして、水際で足にピンをつけエアービート板をもって
けっこうな速さで遠くの方まで泳ぎ
ちゃぷちゃぷ浮いてる様子で
またけっこうな速さで移動したり浮いたりして
戻ってきて、帰っていったのである。

私たちは、ずーっとそれを眺めてて
えっ、アレ、いいね!ということで意見が一致し
その日に、イスキア島だったかナポリだったかで
速攻、エアービート板とピンと
ついでにシュノーケルキットも購入した。

それからというもの、ビーチでゴロゴロしてるヒマはない!
エアービート板とピンで人魚のように速く泳ぎちゃぷついたり
ピンさえあれば怖くない!エアービート板ナシで
シュノーケリングしまくり、しまいには潜ってウニ獲りだw
お寿司にのっかてるような巨大なウニではない。
野生のウニだから、中身は小さい。
だから何個も何個も獲っては食べ
潜り獲っては食べるの繰り返しw

体中真っ黒に焼けたギャルたちは
もう愛おしい日本人には見えない。
あれからというもの、ブラジルギャルとよばれていた。

ギャル二人は、ティッレーニア海を南下しシチリアを周り
アドリア海沿いにちょい北上しプーリア州を回って
ブリンディシからギリシャのザキントス島へ渡ったのである。

で、ザキントス島から本島へ渡り、ギリシャの田舎も満喫して
アテネへ到着し、そこから島々へバックパーカーしたのである。

当時、携帯電話もなければSNSもブログもない
カメラだってフィルム時代さ。
その時リアルに興奮と共に書き綴るのもおもしろいだろうが
振り返って、今と重ねて時代を比べるのもまたおもしろい。
この忘れてはいけない貴重な旅ブログも、いつか書き残したい。

ギリシャではついにブラジル風ギャルは
海釣り(港沿い)まで挑戦し
それでも釣れて大はしゃぎした魚を
原始人のように火を起こして焼いて食べたのでありましたw

DSCN1180

DSCN1181

そういうわけで、在住することとなり車でビーチに行ける生活
エアービート板から固いビート版にバージョンアップ。

私は浮くこともできるし、多少は平泳ぎで前に進めるけど
泳ぎに自信はない。だから海をなめてはいけない。

そのビート板はライフジャケットのように命の綱だ。
スイスイ泳げない私はあれを持ってるだけで安心する。

そして、波の怖さもなめてはいけない。
夫が波にのまれて溺れかけた記憶はトラウマ化して
思春期青少年にことごとく忠告している。

というわけで、わたし用とボク用、一つずつ持てるよう
キオスクみたいな新聞を売ることがメインの
海沿いのGiornaraioは海遊具がいっぱい売ってるので
車からでも一目で発見できるようにわざとごちゃごちゃ置かれてて
あ!あのビート板ウチのとおんなじだ!
ということで、青少年に行かせると
二色あった内、色まで同じのを選んで買ってきたw

DSCN1226

夫が食糧を抱えて戻ってきた!
パニーニとフルーツを食べて
ようやく夫がビーチでゴロゴロしている間
私は、ビーチを散歩することにした。
これもイタリアではフツーな光景。
思春期青少年はカリカリに日焼けしたいそうだし
こんなとこで母にはもうくっついてこない。ちっ。

ちょっと人混みっぽかった左側は
有料ビーチなのか確認しに行った。
旗は、イタリアの旗、EUの青い旗
そして黄色地にANIMAと書かれた旗。
(anima = soul 肉体的魂と訳すのかしら?この場合)
なんだろう。

わざわざ近くまで行っちゃって、っもう赤裸々に赤面よ!
そこの一角は、公認のヌードビーチだったw
真っ裸の男女がいっぱい。
(ちなみにところはLivorno県のSan Vincenzoを南下した
Parco di Rimiglianoも終わりの辺り。ワオ

イタリアは、全裸を公衆の目に晒すことは禁止されている。
だから、公認の場を設けて密集し露出するのだ。

あぁ、ビックリした。
思春期青少年もばつ悪気に驚いたそうだ。そりゃそうだw

DSCN1192

私たちは、何度もいうけど無計画な家族だ。
悪く言えば、もっとオーガナイズしろよ、ともおもうし
良く言えば、臨機応変とかフレキシブルとかフリーダム
Che sarà sarà!(なるようになれ)

ビーチ沿いのキャンプ場でテント張ってBBQして
静かな朝のビーチを散歩した後、BARでColazioneして...
コロナ禍の前は何度もしたけど
早々にデルタ株の蔓延で今年は控えることに。
思春期青少年ガクーン。

DSCN1210

それならば!
海にちっとも興味のない夫が昼寝の後
再びハーバーの町へ繰り出し
AperiCena(夕飯兼アペリ)の調達を!

PizzaピッツァとFritto Mistoフリット ミスト(魚系フライミックス)を
夫のとびっきり社交性のある性格を発揮して
オススメ店を地元民に聞きまくってw 買ってきてくれた。

思春期青少年には大判振る舞いだ!コカコーラをw
大人は、海辺にはビール。
少しでも野菜を持っていこうと主婦の愛
茹でてある冷凍枝豆と塩を持ってきていた。
暑さでほどよく自然解凍され、よいつまみに。

DSCN1248

タイミングよく夫も調達から戻ってきて
親子三人は、静かで素敵な日暮れの中
ビーチで乾杯することができたのであった。

めでたし、めでたしw

DSCN1252

DSCN1254



☆こちらの記事もどうぞ☆
幸せの種 il mare d'autunno
浴びる 日と水と土と風 sulla Spiaggia
この日はアドリア海で verso le Marche vol.3



Twitter・Instagram・Facebook・Ranking・BlogmuraをFollowすると
Blog UpdateのNotficasionが受け取れます。どうぞご利用ください。




Grazie di aver visitato!
長々と、なんてことないとある家族の海へ行った一日wに
おつきあいくださりありがとうございました~




にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ


Instagram
 ≫≫≫ obatamakivincirealmakici



   


↑このページのトップヘ