私は今まで生きてきて学んだことがある。
それは、話すタイミングがあるということだ。
それと、記憶って都合よく忘れたり覚えていたりするということ。
話すタイミングって、今話した方がいいときもあれば
時間を置いて気持ちが落ち着いた時に話した方がいいときもある。
今話さなければいけないときは、全部言ってやろうと緊張し興奮する。
時間を置いて話したいときは、あのピリっとした生の感情が消えている。
フシギだ。
あんなに感情が高ぶっていたのに、ない、ないない。
むしろあの感情を繰り返さないように
話の流れを高ぶらない温和ムードへリードしている。
フシギだ。
時間が解決してくれるとは、こんなことにも使われるのか。
もう二度とこの場はないだろうときは、今言った方がいいだろう。
でも、また会うのなら
できたら平和に過ごせたらいいに決まっているのである。
ある日、友と話している内に、空気が濁ってきた。
空気を読むのは、日本人だけの得意技ではない。
イタリア人だってナニ人だって誰でも空気は読める。
その空気の中、今言っておこうと決めるか
また今度落ち着いたらでもいいよねと感情を抑えて
フレキシブルに平和を保つか、性格なんだとおもう。
やっぱり空気が濁っているときの口調は荒立たしい。
感情のまま、あれもこれも言ったけれど
どんなに言葉を選んでも、感情が声や口調に出てしまう。
その荒立つ自分は、やっぱり好きではない。
弁護するようにその友の側近からの電話だったので
濁った空気の中の当の本人ではなかった。
だから、みんなで話し合いをしようと提案した。
チャットやメールや電話でもなく、顔を向き合わせて話すのだ。
そして、クリスマス休暇の後にしよう、と。
わだかまりで休暇を過ごすことになるのかと思いきや
1日2日で日々の暮らしで手一杯となり
あの時の荒立った興奮した自分なんてあっという間に消えていった。
こうやってすぐに時間が助けてくれるけど
忘れられちゃう自分の記憶の許容範囲が少ないことにも救われた。
その間に、気持ちも落ちつけられたし、別で相談もできたし
話し合うことを考えられたし、未来の提案も用意ができた。
私は、こうやって書いて表現することが好きだけれど
文章だけで伝わることって100%ではないことは
これまた自分の人生の一つの学びである。
表情とか口調とか声とか感情とか、しぐさとか視線とか。
会話のスピードや空気とか尊重とか。
日常のじつは他愛もないことなのだけれど
対面とはとても大切なんだということ
書くときのメリットもあればデメリットもあって
対面のメリットはデメリットを超えるようでもあるとおもう。
それを教えてくれたのが、イタリア人夫である。
「会って分かり合え」
野性的に本能で動く彼をみていると
もちろん現代についていけてないデメリットもあるけれど
じつは、本来ヒトの本質なのではないかと
いつもケンカばかりしていても彼のいいところは認める。
話し合いの日、ドキドキしたけれど
みんながドキドキしてくれていたのか
尊重し合って和解できた。
友や友の側近の性格にもよるであろう。
空気が濁っても、言い合える仲になるとは
むしろ嬉しいじゃないか。
新たに友としての関係が生まれた感じで新鮮だ。
なぜなら、もう私たちは
空気が濁ったときの対応を知っているからである。
思春期青少年は気分の変化が激しい。ようにおもう。
腹立だしいときもあれば、大きな犬のように愛おしいときもある。
がり勉クンっぽい姿を一瞬みせることもあれば
その他はずっと引きこもりという言葉にピッタリの生活をしている。
不良っぽく振る舞うことがほとんどだけど
自惚れスポーツマンでやる気満々のときもある。。
思春期男子との空気はどう読めばいいのか
大人の友との場合とはまた一味違う。
でも共通していることは
やっぱり時間を設けることにあるようなのである。
ときどき今までも、ボソッと告白してくれるときはたいてい
そんな会話をしていないとき、突然言ってくる。
こっちには聞く気もなければヒマもないその突然の間
隙とかでも空気とかでもなんでもない無頓着な間
そういうときに何故か試してくるのである。
そこで「あぁ、時間無いから後で!」というと
もう話してこない。次、開口する日はいつであろう。
その試された間「ヨシ、聞いたろうじゃないか!」と耳を傾けた。
「黙って聞いてね」とか「意見しないでね」とか
条件をつけてモジモジしているけど、約束通り黙って聞いて
自分が話したかったことが言えた瞬間
「え、怒らないの?」とか「え、お母さんも?」と安心して
「あぁぁ、言えてスッキリしたー。」と喜んでいる。
言うだけでスッキリするなんて!
そうなのだ、話すタイミングに話せられれば
私たちはヒトは、ストレスが一つ減るのである。
そのタイミングは、今すぐかもしれない
もしかするとすんごい時間がかかるかもしれない。
私はどんなに時間がかかっても
もしかしたらそれで距離を縮められるのならば
待つことは苦ではないとおもった。
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