大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:思い出

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私の母は、享年52歳であった。
7月7日が命日だ。

私はまだ21歳で
ほんの数日後、22歳の誕生日を迎えた。

あれから30年の月日が経った。
30年前の日本の七月は冷夏だった。
30年後のイタリアの七月は猛暑だ。
地球の気候は変動してしまった。

52歳に近づくたびに
45歳ってこんな感じなんだ
50歳ってこんな感じなんだ
て、想いながら過ごしていた。

この52歳になった今日
この世からいなくなっちゃうんだ
と考えたりもした。

52歳って
まだまだやりたいことがこんなにあるんだ
疲れやすくなったけどまだまだ動ける
むしろどんどん誠実に生きるようになって
一日一日に一生懸命だ
欲がぐんと減り、小さいことに心が動く
我慢することの方が多いけど
嬉しいことに涙がでる
悲しいことは、自分の子のように胸が痛くなる

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家にアリの列ができていた。
どこから来るのかおっていった。
巾木はばきの隙間から現れていたので
あっちをふさいでもこっちから出てくるの繰り返し。

しかし、対処しておきたい位置は対処して
ここから出てきてアリの目的物に
私たちが興味なかったら放っておいたりするw
夏の暑い時だけだし。

その対処しなきゃいけない箇所は、納戸だったり
もともと掃除した方がいいところでもあった。
むしろアリのおかげで重い腰をあげて
大掃除や棚を取り付けたりしたものだった。

そこに、日本からコンテナで送られてきた
開かずの段ボールが一つあった。

業者さんが仕分けしたものらしい
業者さんの字で、中身のタイトルが大雑把だ。
だから今まで、20年近く開けなかったんだ。

今回も開けるかどうか迷ったほどだったが
そろそろ断捨離していこうと決心したところだ。

段ボールの中身は、また...
使える画用紙とか
かっこいい画角の雑誌の切り抜きとか
ネガ時代の上手く撮れてない現像済み写真とか
大事そうに、Fastoflexの袋の中に大切な東欧旅行記
Yamaha Pianoのファイルに
現代ブログのような母の闘病日記

探していて見つからなかったものが出てきた。
もう自分の記憶と胸の内だけで終わるのかなぁ
と思っていたものだっただけに嬉しい。
これが私のプレゼントだ!

掃除&整理整頓中、別のところからも
息子の成長日記も。

たくさん書いていたんだな。
これらが出てきても読めるのは私だけ。
家族は読めない。

母の闘病日記は、連載が始まったところだった。
内容を見ても思い出すように書かれている。
闘病日記というより主治医への感謝レターだ。

人生の中で一番大きな講演が全国で開催されること
...思い出す。そうだ、北海道で講演するのに
一人で行くより娘さんと行くならいいでしょう
と言われたと、遠慮しがちに私を誘ってきた。

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私の52歳は
やりたいことができてないから
ぱっとしない生活なんだけれども
家族にいまだに振り回されているような感じで
ぱっとしない生活なんだけれども

母の52歳の連載闘病日記を読んで
感じることや言葉使いが似てるなと
生き方や人生は全く違っても
やっぱり52歳の女ってこんな風に表現するんだなと
なんとなくにんまりしちゃったのである。

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ハラハラさせられる思春期青少年を見守る毎日
思春期青少年が、夏休み入ってすぐにはじまった研修
研修とは言い換えればただ働きだ。

最後の日に。じゃーんと50ユーロ札をみせて
へへへとにやにやしている。
どうしたんだ?と聞くと、もらったとだけ答える。

言葉数少ない思春期青少年に
母はいつも当てにいかなくてはいけない。

ボスでないなら...
フィリピンの人? YES。

私は超久しぶりに
子どもみたいにわーんと号泣して
話せずしゃがみこんでしまった。
思春期青少年は驚いて母をみている。

我が子をよくみてくださった。
我が子に良く接してくださった。

この50ユーロ札だけで
全部見えて全部わかった気がした。

言い方は悪いけどただ働きの研修とは
仕事を覚えることもそうだけど
人間関係やチームで働くこと
絶対誰かは見ていること
行動で伝えること通じること

格好ばかりつけてスマフォばっかりいじっている
でもじつは純で臆病な現代の思春期青少年たち

周りの大人が上手に接すれば
尖ってる青少年でも心は動くんだな
と、私も学んで
ぱっとしない生活にエネルギーが湧いたのだった。

そんなことも私へのプレゼントだ。

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心配事は尽きないけれど
大丈夫と信じて
これかもがんばって生きていこうとおもう。

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今日の一曲。




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私は、トルコに二回も行ったことがある。

イスラムとヨーロッパ、大昔と現代
オスマントルコなどの歴史と、民族やシリア難民
様々な国境に挟まれた中、独特な文化
なんかごっちゃまぜな国のイメージが
今、ある。

当時は、イスラム教一色のイメージ
イスタンブール全部興味津々
カッパドッキアなどの自然
いろんな工芸に興味があって
友(フィレンツェシスターズ)と
第一回目のトルコの旅に出たのだ。

日本やヨーロッパとはまたひと味違う
でもイスラム教100%でもないゆるさ
貧しいのか中堅なのかよくわからない風習
なんかとってもオープンでWelcomeなところ
そんなあいまいなところが
なんとなく先進国と似ている風で親近感があるのだった。

二回目のアドベンチャーな一人旅は
その親近感文化をもつ出会った人に再会したい想いと
もっともっとトルコを旅したい想いが強くなったから
また行ったのである。

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今回のこの大地震情報を聞いたとき
やっぱり私の中でいろいろよぎった。
お昼を終えた同僚が教えてくれた。
「震源地はどこ?」
「シリアの近くらしい。」

シリアの近く...
当時フィルムで写真を撮っていたアルバムを引っ張りだした。
アルバムに記してある土地名を細目にしながら(老眼)
写真をながめてみると
なんとなくの記憶がよみがえってきたのだった。
その時のある土地のエピゾードを紹介しようとおもう。

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私は、ただ単にこの円錐形の屋根
トゥルッリ型の建築物に興味があったはずだ。

イタリアでは、プーリア州にある
石が重なっている(だけ!
それをイタリア語でpietra a seccoと呼ぶ)
Trulliトゥルッリ型の屋根の家が並ぶ
Alberobelloアルベロベッロなんかが有名だ。

私は、もちろんそこも歩いているし
屋根に座って笑っている写真もある。
なんで屋根に上れたかは記憶にない。
1996年の話だ。

それだけの好奇心だけで
シリアの内戦がその頃からあった
シリア難民の多い危険地域に知ってても行ったのだった。

トルコの都会に住む親近感系トルコ人たちは
私がなんでそんなとこに行くのか不思議そうだった。

地震前までは、そしてコロナ前までは
ハッラーンという村は観光客がいっぱい来ていただろう。

今やネットで調べると、いっぱい出てくる。
当時はネットなんぞないから
地球の歩き方やミシェランガイド
あとは現地でインフォメーションオフィスで知るかなんかだ。

私はここで土地の歴史などを語ろうなどとは思わない。
歴史や土地の特徴や詳しいことは、できるものなら
本職でやられている方のネットを参考にしてほしい。

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私がHarranハッラーンという村を訪れたのは
1997年の12月だった。

ハッラーン村へはSanliurfaシャンリウルファという街から
48km(google map調べ)離れたところにある。
トルコはほとんどバス移動だから
そこへも当然バス移動のはずだ。
それしか考えられない。

ハッラーン村はガランとしていた。
写真でもわかるように
広大な土地にポツンとあるような感じだ。

もともとはシリアの土地だったそうなので
シリア人が住んでいたそうだ。

話によると昔も今もトルコとシリアは
仲が悪いそうなので
トルコに住むシリア人が孤立してしまう様子は
被災地情報でもニュースになっていた。

私は、人は人、同じ人間だと思っているので
人に対しての国境はないと信じているけれど
それぞれの想いや文化や歴史があるのだろうから
仕方がない、特に深入りすることはない。

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ハッラーンは、今ネット(wikipedia)で調べてみると
とても歴史のある土地で
古代メソポタミア文明の頃盛んだったそうだ。

その私に興味を持たせたトゥルッリ型(ドーム型とも)を
ビーハイブ ハウス (蜂の巣箱状住居) と呼ぶそうだ。

この土壁でドーム型とは
灼熱の土地の住居には最適なんだそうだ。

しかし、その、ここに住んでいたシリア人たちは
シャンリウルファの街に移住し
現在ハッラーンは観光地として残っているそうだ。

私が訪れた時のこのハッラーン在住シリア人家族の出会いは
とーっても貴重な出会いだったのだと
思い返したり今調べていく中でわかってきたのだ。

トルコとシリアが仲が悪くたって
どちらも日本人の私には優しかった。

言葉が通じなくたって
興味をもったこと
一生懸命コミュニケーションをしようとする姿勢
表情
オーラでいろいろわかる。

どうやら私を歓迎している理由は
家族の写真を撮ってほしい!ということだった。

土壁の家に住んでて、一見貧しいんだけど
心は本当に豊かな家族だった。

子どもたちが嬉しそうだった。
だって、お父さんが嬉しそうにしてるんだもん。

私は、貧しそうなところに住んでいる人の生き方を知りたかった。
豊かな国の幸せと土壁の家に住む家族の幸せは違う。

物が無くたって生きていける強さ
当時私の旅のテーマはそういうところにもあった。

その土地で生まれるその土地に合った住居もそうだけど
生活するための道具とか工芸なんかに興味があった。

当時私は二十代真っ最中だったけど
リセットしたくて仕方がなくって
日本を出てイタリアに住みながら
先進国とは違うような国を旅していた。

言葉が通じないけど、意思が疏通できる
言語もそうだけど、耳が聞こえない人
赤ちゃんや子ども、単に大人同士だって
意思を伝える方法をずっと研究しているかもしれない。

土壁家族の主は私に
手紙が受け取れるP.O.Boxみたいな住所を
渡してくれたので、家族の写真を送ったのだった。
ちゃんと着いたのかな。

今はみんな、子どもたちは大人になって
お父さんお母さんは
おじいちゃんおばあちゃんになっているのかな。


地震で被害がなかったことを祈るばかりですが
全地域お見舞申し上げます。

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il POKE a modo mio
si può chiamare SUSHI-DON

la base è 
il riso varietà originario cotto in pentola
dopo cotto ho aggiunto subito l'aceto già preparato con
tanto zucchero e un pizzico di sale
ho mescolato e ho fatto a raffreddare
coprendo con un panno umido

il salmone crudo che ho comprato al supermercato
ho tenuto nel mio congelatore almeno 3giorni 
in questo modo dicono che i batteri non ci sono più
allora posso preparare anche Maki e Nighiri!

la frittata di uova semplice sottile
ho aggiunto un pò di zucchero e salsa di soia
ho tagliato a striscie fine fine

l'avocado tagliato a cubetti

le erbe che ho trovato nel giardino sono
la rucola e il tarassaco

poi ho messo la parte bianca della cipolla fresca

il condimento è semplice uguale del sushi
ho preparato prima la salsa di soia con wasabi
poi metto tutto sopra, oh vai!

Buon appetito!

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ポケ丼のつもりでつくってみたはいいものの
私が「コレがPOKEだ!」と家族につくっていたものは
どこからみてもすし丼である。

イタリア語サイトのPOKEのレシピは
すし丼のレシピがあったりするので
今回も混乱させてしまうだろうが
すし飯さえ覚えれば
バリエーションが広がることを期待したい。

やはり我が家は、ポケ丼であろうとすし飯を使ったメニューは
なにかしら記念日などの祝い事がある日に拵える。

そんな特別な日を
家族の料理人は全部把握してなければならない。

宗教の行事があるイタリアの祭日だって
無宗教の我々も特別っぽくよそおう。

思春期青少年の始業アンド終業日も祝おうじゃないか。
試験が合格した日だって特別な日だ。

各々の誕生日には、もっともっと酢飯を大量につくって
握って巻いてアイデア加えてフュージョンSUSHIだ。

そして、9月の最終日は、我々の結婚記念日で
やっぱりそれだって特別な日とよびたいではないか。

当日は、イタリアの友のお誕生日会があって
翌日の夜、セリエAのEmpoliのサッカーの試合を
我が男子たちは観戦しに行くということで
さっとポケ風すし丼をこしらえた運びとなったのだ。

写真は、男子たちを見送ってからゆっくりつくったもの。

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私たちは22年前、そういうわけで無宗教なので
ヴィンチ市の所有物であるレオナルド・ダ・ヴィンチの生家で
市長さんに宣誓した式を挙げたのだった。

宣誓の中で、困難があっても協力するという誓いをしたとき
ドキドキした記憶がある。
困難とはなんなんだろう。。

平和な生活とは
少しでも多くの時間穏やかに過ごせる時を維持することだ。
そして、心にゆとりがあるときのような気がする。

困難な時って
家族の一員が体調を崩すことによって
家族が寄り添って支え合うけど
生活のリズムがくるうことを困難ともよぶかもしれない。

仕事がなかなかにないとき
インフレしまくりプラス出費がかさむとき
経済的に苦しいとき、まさしくも困難であろう。

仕事が自分の思うようにいかないとき。
気の合わない人がいるだけで
いちいちイライラしちゃうネガティブな我が男子。

好きなように時間が使えないとき。

子どもファーストでなんとなく犠牲感を感じる私。

振り返ってみると
ずーーーっと困難続きで、「幸せ」とは何か忘れちゃう。

幸せなんて、口にして噛みしめるほど長く感じたことはないけれど
ちょっとした笑いやちょっとした優しさが
どんなに毎日が困難でケンカばっかりでも
一緒に生きてきた意味ってあるんだな、なんてふっと想うとき
あの宣誓を思い出すのだ。

家族が各々に時間を過ごしていても
無理に一緒にいなきゃいけない感はない。
私たちが親のもとで暮らしていたときのような
あの居て当たり前感、離れていても繋がっている感
そういう関係が生まれてくることがわかったのだ。

私たちは、各々に生きていて各々にコントロールしなきゃいけない。
各々に時間を使って各々に集中して各々に発散するのだ。

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私は、現在フルタイムでイタリアのある食品会社で
働かせてもらっている。
オリーブの塩漬けやオイル漬けなんかが得意としている。
でもイタリアのことだから、いつ契約が切れるかわからない。

それでも学びが山ほどあって
仕事の経験以上に人生経験まで学ばせてもらっている。

大きなインダストリーだと思ったら
一歩さがってみると、小さな小さな村なのだ。

時間をかけて信頼をつくっていく人
フィーリングで信頼関係が生まれる人
愚痴を言っている人
黙って仕事をしてる人
おしゃべりが好きな人
目をひからせている人
ずっと考え事をしている人
声が小さい人
声がよくとおる人

仕事とは、とどのつまり
毎日ほぼ同じ事をするのが仕事だ。

あるとき私はぽろっとこぼした。
「この材料、あとどのくらいあるんですかね?」
「あと4タンクあるわよ。アナタ他に何がやりたいっていうの?」
あぁ確かに。
ちょっと忍耐力が必要な作業だったのだが
一瞬にして目が覚めた。
それからというもの私は、大変さが半減した。

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私は、生活の中の様々な困難に
ある意味無機質な仕事をこなして
経済という個人の基盤をつくり
心のゆとりを私たちの生活にくべたら
とおもうようになったのだ。

今まである意味自分勝手な想いの自由業を
生活にはめ込んでいたから
困難を引き起こしていたのかもしれない
とおもうようになった。

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私たちは、このように困難な中で
気づき、学び、行動している

困難を乗り越えるという言葉の学びは
あのドキッとした宣誓にあったのであった。


オリーブを栽培し続けている理由のひとつに
オリーブを剪定したり収穫したりしているとき
私と夫も意気込みが同じだから、気付き合い、労り合い
日々の暮らしに欠ける同じパッションがあるものに関しては
そっとしておきたくなる。
だからなお、オリーブの収穫、オリーブオイルに関して
気合いが入るのである。自分のために、家族のために
そして興味を持ってくださる方へのために。



私が監修させていただくオリーブオイルが
日本で購入することができます!
詳細が発表され次第
ブログやSNSでお知らせしますので、お楽しみに!



今日の一曲。





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長かった暑い夏が終わった。
5月あたりの初夏を知らずに夏に突入して
9月あたりの晩夏を知らずに秋に突入した...感じだ。

毎年そうだけど、学校が始業する頃には
バッチリ勉学の秋なのだ。

2022年度のはじまりはようやくマスク無しで
授業が受けられるんだそうだ。
よかった、本当によかった。

シチリアからの帰りの長距離バスのななめ前に座っていた
我が思春期青少年よりひとつふたつ歳が上だろう
パッと見さわやか好青年だけど今風な彼らは
小さな村で、イケイケしてないごくフツーな
それでもキャピッとしたガールズと
バスの運転手さんが「出発するよ」と声がかかるまで
ずっと離れたくない様子の青春4人を
ガールズのどっちかのお父さんが送ってきたのかな
ちょっと離れたところで車に寄りかかってあっちを向いて
娘たちを待っている、まるで映画のワンシーン
そんなこれぞ青春の夏が終わってしまう寂しさと
勉強は面倒だけどやっとクラスメートに会えるドキドキ感
9月の始業時期ってこの感覚がおもしろいイタリア。

おわりとはじまりが交錯するとき。
日本の4月の始業に
ワンシーズン丸ごとの長い夏休み明けがプラスされた感じだろうか。
彼らにとってみれば、新年が明ける感覚なのではないだろうか。

私は、この長距離バスの好青年二人が
妙にいろんな記憶とか感覚を
我が思春期青少年より思い出させてくれたこと
時代のないごくごくこのフツーな光景と
彼らのフツーな青春オーラは
私と我が青少年のプチシチリアの旅の記憶に刻まれた。

我が思春期青少年は、初日どんなファッションでいくか
コーディネートを着比べているw
ちょっと前まではコーディネートのコの字にも
無関心だったのにおかしいな。
そんなことよりも勉強がんばってよ!と言いたいところだが
コーディネートの着比べの楽しみを奪っちゃぁいけない。
学校に行きたい証拠なんだからそっとしておこう。
朝のバス待ちは寒いということで
自分の貯金で買ったパーカーのコーディネート中w

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9月の、そういうわけで始業する週あたりから
朝がめっきり冷え込むようになって
日中もそう気温は上がらなくなった。
とはいえ、最低最高気温の温度差は10度以上は余裕である。

私は、8月中のブドウの収穫には手伝えたけど
実はまだまだ終わっていないところが多いヴィンチの丘であった。

きっと、夏の干ばつで果実が小ぶりでモスト(果汁)が少ないこと
暑かったのでアルコール度数が高いこと、だろう。

雨が降ったり気温が下がることで
多少カビになるリスクは高いが、生産する効果は高い。

9月も後半、まだ収穫していないブドウ畑があるが
次のリスクは、熟し過ぎちゃうことだろう。
収獲期の天候って、ホントやきもきする。
畑や動きから、なんとなく伝わってくる。

農主のブドウも、あれから品種の状態をみながら
収穫の時期をずらしながらやっていた。

収獲しちゃう前にカナイオーロという品種のブドウを数房摘ませてもらった。
サンジョベーゼという品種より酸味が少ない黒いブドウだ。

このブドウでSchiacciata con l'uvaスキアッチャータコンルーヴァという
パン菓子をつくろうとおもう。

いたって簡単で
ピッツァとかスキアッチャータ=フォカッチャをつくる要領に
小麦粉400gを目安に
砂糖をスプーン2さじを生地に混ぜてこねる。
膨らんだら
下の生地を伸ばしてブドウを散りばめ砂糖をスプーン2さじ
上の生地にブドウを散りばめ砂糖をスプーン2さじ、振りかける。
それからまた寝かせる。
砂糖がいっぱいかかってるから膨らむ膨らむ。
180度のオーブンで45分ぐらい焼く。

ブドウは、二房あればぎゅうぎゅうに散りばめられる。

以前はブドウの種が邪魔っぽく感じてたけど
ブドウの種だと思わず、ナッツ系をわざと加えたと思えば
カリカリ感もなんだか乙になってくるパン菓子である。

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男子の朝食用スキアッチャータコンルーヴァはできあがった。
私は、アントネッラのところで
最後かもしれない夏野菜を調達しに行った。

土曜日の午前中、アントネッラはマーケットに出すので
日曜日に行くと、畑からわざわざ欲しい分だけ摘んでくれる。

肥沃な大地にワサワサした畑がもう美味しそうだ。
Portulacaポルトゥーラカ(スベリヒユ)が一面に広がっている。いいなぁ。
オメガ3をもつハーブで積極的に食べたい野草でもある。
土を選ぶこの野草は、そう簡単には移植できない。
が、土が合っていると、ものすごい繁殖率なのである。

アントネッラのワンコが摘んでくれたトマトを食べて
でも、すました顔で私をみている!
私は日本語でワンコに文句を言ってやった。食べるな!

アントネッラんチの長男もすこぶる成長しちゃって
いつだか数年前、思春期だかなんだかで困っていたのを思い出す。
今や立派な青年で、お母さんのマーケットのお手伝いをしている。
とても気が利く青年に育ったとアントネッラは喜んでいた。
技術系商業高校を卒業して
高校の掲示板でみつけた職場に見習いからはじめて
今や正社員で働いているそうだ。

イタリアは今、インフレしまくりで節約しないと生活が苦しい。
なかなか容易に一人暮らしができないのが現実だ。
と、アントネッラが嘆く。。。
何歳になっても家に子が残ってるケースは
ただのマンモーネ(ママの過保護)文化だけではない
経済的な面でもそれが実は常にイタリア文化なのである。

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雨が降った。
雫好きにはたまらない光景だ。
家の一番近くにあるオリーブがもう色づき始めている。
色がつきはじめると、ドキドキソワソワしはじめるのである。

 ☆

今年も私が監修しますオリーブオイルが日本で購入可能となります。
詳細は、決定し次第ブログやSNSでお知らせしますので
お楽しみに!



今日の一曲。





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vol.2のつづき。

我ら親子が向かった友の実家は
Marsalaマルサーラの街からちょい南下した海沿いにあった。

海は見えないけど、歩いて3分のところに位置していた。
どうりで毎年毎年青少年が生まれる前から
誘ってくれていた意味がわかった。
まるでバカンスのための別荘のようなのだ。

友は、普段はヴィンチから30分程のところに住んでいて
夏の休暇とクリスマス休暇に帰省しているようだった。
ここにはご両親と兄弟家族が暮らす3世帯ならぬ
友家族分もあったから4世帯住めちゃう大きな家だった。
さすがシチリアだなぁ。

この大ファミリーは以前
マルサーラの街寄りに住んでいたそうだ。
友が幼少期、この海の家に引っ越してきたそうだ。

ここの欠点はひとつ
車がないと何もないことだそうだ。
それを聞くとヴィンチの丘の家の周りも何もない。。
同じくバスはあれど、一日に数本しかない。

友は、そのマルサーラの街にあるお母様の病院通いに
午前中まるまる付き添わなければいけなかった。

私はご両親の体調の悪いときにお邪魔したくなかったのだが
逆に、体調不良で落ち込んだ時に
わいわいとお客さんがやって来たことに
刺激を与えた様子で、歓迎のおもてなしで迎えてくださった。
パッとしない思うように動けない生活に
新しい話題で食卓に華を咲かせて
一風を与えたような感じだった。

イタリアから日本にいるおばあちゃんに
会いに行っていた感覚と同じだった。
友の大ファミリーとは家族同然のように付き合いも長いし深い。

私たちもなるべく
迷惑をかけないよう気を遣わせないよう
できるだけ家族っぽく振る舞った。

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親子は滞在期間、マルサーラの海ライフを満喫するのだ!
そう、朝眠くたって早めに起きて
海の風が心地よくあたるテラスで
Caffèとパンにお母様の手作りオレンジジャムを食べて
友とお母様の出掛ける時間まで
女だけでおしゃべりをたっぷりして
そして我ら親子は、その3分で行ける海に
水着とバスタオルだけで繰り出すのだ。

朝の海は穏やかだ。
朝の海に行けるのは青少年の念願だった。
彼はこのために来たようなものだ。

そして、パラソルなど持っていかないので
午前中と夕方しか行かない。

友の実家から国道を渡って砂浜に向かう。
昔は、この国道を渡った向こうは
風避けのダンチクがいっぱいあったそうな。
現在は、もっと欲張った海の家々が
不法で建っている。
さすがシチリアだなぁ。

友の幼少期時代は
田舎の海のがらんとした交通量さえも少ないビーチだったそうだ。
それが今や、Salineサリーネ(塩田)の辺りのように観光地化し
別荘やレストランがぼこぼこできたそうだ。
国道もなかなか渡れないじゃないかっ!

ビーチは、誰もが落ち着いてくつろげる細かい砂のビーチだった。
かなりの距離まで浅く、水は透き通っていた。
遠浅だから浅い部分が水色で深くなったところから青色だ。
このコントラストが素敵なビーチ感をだしている。

友の実家からビーチへの最寄りの入り口は幸い
BARや有料パラソルのあるようなところではない。
どちらかというと、友たちのように帰省組が
朝と夕、ひと泳ぎするようなビーチだった。

朝の弱い日差しでも私はできるものなら日焼けはしたくない。
日陰を探した。
ちょうど不法で建てられた住居の囲いの壁と大きな木の陰をみつけた。
私は太陽が移動してもいいように
少しでも長く日陰にいられるだろう位置にバスタオルを敷いて陣とった。
思春期青少年は、少し離れたところの日向で
ゴロゴロ態勢でもかっこつけている。やれやれ。

すると、母親らしい大人一人と小学生低学年ぐらいの男の子と
中高生ぐらいの女の子たちを引き連れて
もうちょい先の日陰に、そのグループは陣取って
歌いだしたり踊りだしたり、ボールで遊んだり
海に入るのもグループで、明るく賑やかに過ごしていた。
どこからみても、毎日通ってる海慣れした一行であった。
 
一日目は、私たちの想像していた朝の穏やかな海であった。
海水はそんなに冷たくなく、ずっと浸かっていられそうな温度。

初日の夕方も私たちは海へ行った。
マルサーラライフを満喫しなきゃですもの。
午後にはもう海は荒れ始めていた。

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ヴィンチ親子が到着した途端、我々の三日間の滞在期間
Sciroccoシロッコというサハラ砂漠から吹いてくる熱風・強風の
気流の渦に巻き込まれてしまった。
地元民の話によると、ときには
サハラ砂漠の砂まで見える時もあれば
砂まで降ってくることもあるんだそうだ。

いつだか日本で、千葉の京葉線から見えた
黄色い砂埃が舞っているのを思い出した。
あとで、その現象は黄砂であることをいとこが教えてくれた。

本当だったら、友の兄は自作ボートを持っているので
プカプカとボートで海を遊覧する案も出してくれていた。
もしくは、カヌーとかペダルボートなんかの案もあった。
がしかし、この強風と海の荒れでは
海の乗り物はやめておいた方がよいと海に詳しい地元民がいう。

風の向きによっては波がないところが
塩田だったり遠浅の海を歩く体験をした辺りだったのだ。

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翌日の朝、マルサーラライフをしにひと泳ぎしにいった。
あの毎日来てそうな海慣れした賑やか一行は昨日
いっちばん長くまで日陰が続いたところに陣取っていたのを思い出した。
今日は、アタイがあそこを陣とるわよ!

しばらくすると、賑やか一行が現れた。
私が彼らの日陰地帯を陣とっちゃったから
私が昨日いたあたりに広げはじめた。ゴメン。
 子どもたちは日向だろうへっちゃらなんだけど
やっぱり大人は、少しでも長く日陰がいい。

私が泳いでいる間に、母親らしき大人が
私のバスタオルの隣に移動していたw

え。。近すぎじゃね?
ってフツー日本人だったら思うじゃん。
その母親大人は、マルサーラに帰省しているシチリア人さ。
「ごめんね、近くに寄っちゃって。日陰にいたくって。」
と、素直で社交的だ。

それからあれよあれよとおしゃべりがはじまり
ついには、近くでかっこつけている我が思春期青少年に
同じくらいの歳の女子たち3~4人と男子2人を紹介しはじめたw

若者たちは遠浅の海でなんか楽しそうだ。
初対面の青少年もあとにくっついていって帰ってきやしない。
おばちゃんたち二人は、シロッコの強風の中
自己紹介したりおしゃべりをして時は過ぎていった。
「シロッコにね、やられちまうことを
io sono sciroccataっていうんだよ。」ふむふむ。

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Pranzoプランゾ(ランチ)は家族を待ってみんなで一緒に食べる。
今、ナスが旬だ。滞在中ナス料理が何品か登場した。
ナスのカポナータ、ナスのトマトソースパスタ、ナスのグリル。
私はもっぱら料理下手のうえに伝授してくれる人がいなかったので
基本を知らずに自己流に今までつくってきたのだが
ナスは他の材料と一色たんにすることがほとんどだった。
しかしここのレシピは、とにかくナスは別で炒めたり焼いたりして
食べる直前にお皿の上に混ぜていくレシピであった。
なんか食材の味が単品ずつ引き出されててイイ!

彼らのおもてなしは寛大で、どう返してよいかわからない。
彼らは見返りなんか気にしない素のままの姿が
これぞシチリア流で、友を超えたみんなが家族という絆を
彼らから比べたらちっぽけな私は痛いほど受け取った。
私は一人ぽっちの世界観がなかなか抜けない狭い許容範囲で
彼らのような寛大さが乏しくて悔しくなるほどだった。

この旅で我が青少年に教えたかったことは
同じイタリアなのにいろんな意味で遠いシチリアと
シチリア人の寛大さと温かさと社交性
シチリアの太陽と海と大地とそしてシロッコ

青少年はまた来年もマルサーラに行きたいと
着いた初日から言っていた。
歩いて3分のビーチで突如知り合った若者たちに会いたいとも。
旅の何もかもの出会いが新鮮だったようだ。
これから親抜きでたっくさん旅していくさ。
Piano, pianoピアーノ、ピアーノ(焦るな)

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私たちは、出発日の午前中も海へ行った。
シロッコが吹いてても気にならないさ。
あの賑やか一行に挨拶したいじゃないか。
「本当にもう帰っちゃうの?」はい。

友と友のお母様がリハビリの病院から帰ってきた。
それでは長距離バスが出発するMazara del Valloへ向かおう。
駆け足で観光して、人気のPasticceriaパスティッチェリーア(お菓子屋さん)で
AranciniアランチーニとCannoloカンノーロを頬張ったのであった。
長旅のお弁当もアランチーニシリーズ。
日本のお惣菜パンを思い出させたパンも美味しかった!

マルサーラの中心街はどちらかというと
メイン通りが2本ぐらいあるどちらかというと
発見の少ない街だった。
しかし私たちには、トスカーナの色と違うだけでワクワクする。

マルサーラから南下していく
こちらのMazara del valloマザーラデルヴァッロ
昔、チューニジアとの交流が深く
移民たちが住み着いて文化を残していったそうだ。
だからとってもアラブカラーや砂漠カラーが強く
さらには陶芸やタイルがオチデンタルで
アーティスティックな街つくりは発見がいっぱいあった。

友の兄夫婦はアフリカ系の女の子を養女に迎えた。
日本に興味津々で、イタリア古典を学んだ彼女は
日本をイタリアと比較してどう表すかと
難しい質問をしてきた。

私は、良くも悪くも尊重から生まれていることが多いんじゃんないか
私たちの習慣や性格も、小さいときから
祖先や目上の人、経験者そして弱い人を敬うこと
原点はそこから、日本の整然としたアクションがあるのではないか

そういう意味なのかはわからないけど
日本のミニマリズムなんかは
私の人生で感じた自己流な考えは
無の空間に、尊重しながら自分流に
発見や発想を自由にデザインしていくんじゃないかと想う。

だから、この発見がある街は大好きだし
発見のある旅は大好きだし
発見のある人生を常に歩んでいるよ。

アナタたちが日本に興味を持ったように
私は日本にはない文化や歴史、性格をもつ
ヨーロッパに興味を持ったのだ。
毎日が発見だらけだ。
今、日本に帰国したら、今だから母国だって発見だらけだろう。
歳を重ねるおもしろさってここにあるのだとおもう。

若者になんかメッセージを短時間で残すなら
自由な発想でたくさんの体験と発見をいっぱいしてね
まわりを尊重しながら、だろうか。

私はイタリアに染まりたいのに
いつまでたってもどこにいっても
永遠に日本人なのである。

おわり。



下より写真は、長距離バスで西シチリアから内陸部の車窓より。
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Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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