大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:思い出

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7月(2019年)の半ばだって過ぎていたのに
ムシムシしたグレーの空で覆われていた。

たった一泊二日だけだったのに
なんだか何泊もしているぐらい
この小さな島を知り尽くしたような気分になった。

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私は、直島を、イタリアの友やイタリアの雑誌や
とにかく日本人からの情報ではない、世界の人たちから知った。
日本にアートな島があると。

母国ニッポンのことを聞かれることがあるけれど
ニュースだって観光地だって
イタリアの田舎に住んでいると
フィレンツェの街だって遠く感じることがあるんだから
母国も遠い国に感じることが多々あり
答えられないことなんてしょっちゅうだ。

それでもここだけは次回絶対に訪れてみたいと
この世界の人がいうアートな島に近づく旅を計画した。

岡山の友を訪ねてワイン&オリーブオイル会をしたり
小豆島でオリーブ関係のアルバイトしたいと妄想したり
結局、旅行と2社オリーブ農園の視察ができたけど
海岸沿いだけではなく奥地も素晴らしそうだということがわかって
また訪れたい場所となり、移住者さんと知り合えたり
そして、直島の次は四国に渡り
フィレンツェシスターズの実家周辺の発見をして
ここでもワイン&オリーブオイル会を開いてもらって
最後に、広島へ渡り、イタリアの中学校で学ぶ戦争について
語り続けていかなくてはいけないその大惨劇を
現地にいって親子で学びたかった。

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直島へ渡ったのは、小豆島から高速船で渡った。
国民宿舎で、直島行き船の情報をキャッチしてもらって
出航する港まで送ってもらった。

シチリアのカラフルな馬車の荷台みたいなのがあったバール付き待合所が
バックパーカーが集まってきそうなユースホステルみたいなところで
均一感のないソファーや家具、散らかった感じが
やたらアットホームで、親近感が湧く待合所だったけれども
誰もいなかった。

待てども待てども乗船客とか船さえの動きもない。
しかし、国民宿舎の方と連絡が取れあっていたみたいで
出航する船は、別の港から出るということで
ぷっくりした小さなオジさんが、言葉数少なく
私たちを迎えに来てくれた。
なんだかイタリアを旅してるっぽくて
体が思い出した感じだった。

ジェット系の高速船だから、船内はバスのように狭く密室だった。
波しぶきが窓にあたって、のんびり感は一切なかった。

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直島の港は、さっそくアート化されており、近代的で
島民しか行き来しないような港とは大違いであった。
私は、伝統的な地元感があるほうが好きなんだけど
建築的にも近代化されていることで
都会っぽいシステマチックな雰囲気は信頼感がある。

イベント付きの長旅なので荷物が結構あった。
本当は、島の真ん中あたりの素敵な宿を
紹介してもらっていたのだが、満室だった。
サイトでみる素敵そうな宿を何軒か連絡したけれども
どれも満室であった。焦った。
素敵とか島中心いう条件を外して、港から1分の宿をとった。

島の宿は、ほぼどこも民泊で
おウチを観光客に貸している感じである。
木造(?)3階建ての最上階のお部屋を与えられたはいいが
昔ながらの階段は急傾斜で、歩幅が狭く危なっかしい。
重たい荷物を、宿を営む若カップルのお兄ちゃんが運んでくれた。

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最上階のお部屋の窓から、直島の屋根が見渡せる。
ほとんどが瓦屋根だ。

共同トイレに行ったり、出かける支度をしていると
イタリア語が聞こえてきた。
少年がいち早く「イタリア人がいる」と耳を欹てている。

交代で少年がトイレに行ったとき
廊下でそのイタリア人と出くわして
少年は「CIAO」と挨拶したらしいw
すると想像通り「アレ?!キミ、イタリア語しゃべれんの?!」となる。

イタリアのどこよー?と大人も興奮している。
ボクはフィレンツェから来てます、とヴィンチの田舎を省いた少年。
わざとトスカーナ風な発音を強調する少年。
そういうところがイタリア魂をもったイタリア生まれの子どもである。

で、その後、私もご挨拶したら
ミラノ在住日本人とミラノ出身イタリア人の建築家たちであった。
ミラノ在住日本人も、すっかりミラノ調アクセントである。
きっとこういう建築関係やデザイン、アート関係者が
世界から集まってくるのだろう。

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宿から1分もしないところに、島唯一のセブンイレブンがあった。
そこで飲料水や簡単なものが買えたのは便利である。

島内散策にレンタル自転車という手段もあったが
とりあえずバスに乗ってみることにした。
あの黄色いパンプキンバスに乗ってみよう!

日本は夏休みにちょうど入ったぐらいだったけど
日本人ではなく、ほぼ全員、中国の若者たちであった。

バスの中は、私たちと同じ顔をした中国の方たちで埋まって
バスの運転手は、シナリオ通りの英語をカタカナで指示していた。
私の日本語に嬉しかったのか
一番前の特等席w運転席の隣に陣とらせていただいた!

バスのオジちゃんに、島は小さいから全然歩けるよ、といわれ
乗り換えとなる地中美術館で降り
その先は、のんびり歩いていくことにした。

地中美術館だけは、オンライン予約のみ入館でき
無計画なアナログ旅人は、せっかくここまできたのに
地中美術館に入ることができなかった...

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親子はジメジメした曇り空の中
点々と存在するアートや美術館に向かって歩いた。

島は起伏があるので上ったり下ったりだ。
自転車では私は無理だったと思う。歩きで十分だ。
ビーチにも立ち寄れるし、自然をじっくり眺めることができる。

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直島は、建築家安藤忠雄氏の作品が立ち並び
ファンにはたまらない。
今こそオリーブを栽培したりしてるけど
そのもっと前は、こんな私も建築系を学んだ身である。
是非とも見学してみたい!

こんな小さな島に、コンクリート打ちっ放しの建物
緑の芝生、その向こうは海。
超ミニマリズムで永遠に続きそうな平面や直線
コンセプト通り、モノにあふれた社会で原点を見つめ
静かに思索する時間と空間と場所は
一瞬、直島にいることを忘れ、すべてがそうであったところ
そうとも思わせるし、直島伝統感のジャングルのような緑が
人工化されたことは、廃墟にならないよう観光を守るべき
そう見守りたくなる気持ちも同時に生まれたりもした。

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誰もいない透き通った海はイタリアの7月では考えられないことだ。
曇りだろうとゴロゴロしている人はいっぱいいるし
泳いでる人だっていっぱいいる。
どちらかというと一年中誰かがビーチにいるイタリア。
ヨーロッパの人だったら、2週間は同じ宿で
同じビーチと同じ道を歩いて、まるで地元民の休暇のように
滞在するだろう。
この島は誰一人そういう目的の旅行者はいないようにみえた。

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その家プロジェクトというアートプロジェクトは
空き家の古民家を改修して作品化させた家々で
ご案内してくれるのは島民たちであった。
誘導している若者もいたし、大人もいたしもっと大人もいた。

上手にリフォームされているので清潔感があった。
しかし、プロジェクト地区以外の住居区には
古民家を飲食店にしたりオシャレに活用されていたりもするが
やはり廃屋もみられ、現実っぽさも垣間見られ
ジャングル化した緑は、放置された時間が計れたものだった。

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親子は、セブンイレブンでビールとジュースと
この辺限定ぽいスナックを買って、漁船が停泊してるハーバーで
アペリティフをした。

私はギリシャでもそうやってビールとつまみをもって
アぺりをしていたことを思い出す。
あ、アペリだけじゃない、バックパーカーは
レストランなんかでご飯食べることは少なかったから
お惣菜を広げて、夕日を眺めながら呑んで伸びてたんだw

少年はいう。
漁船ハーバーでのアペリは思い出深いそうだ。
またあのパターンで旅行したいと何度懇願されたことか。

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直島に、銭湯があった。
そこもアートプロジェクトされているそうなので
男女分かれてひとっ風呂浴びに行った。
愉快な外装とインテリアは、銭湯の主まで愉快にさせるようだ。
弾んだご夫婦にお会いすることができ
一日が楽しく終えることができたとおもう。

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翌日、昨日バスで来たところを歩いて
見きれなかったところをみたけれど
歩いているところは昨日も今日も同じところであった。

これから私も世界の人のように
アートな島に行ったよ!
と建築家たちに伝言していこうとおもう。

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オリーブオイルとオリーブ栽培の専門家たちが立ち上げた
Olive Wellness社のウェビナー≪Olive Wellness社大学≫が毎月
オリーブを通して私たちの生活がウェルネスになるよう
役立つ知識・知恵・情報・価値観をシェアしよう...
なんともありがたやすばらしき趣旨で始まりました。


私は第一回目の「オリーブの剪定」に登壇させていただきました。
なぜかトップバッターがヴィンチより生中継でしたので
オリーブ文化のヴィンチの風景や生活などを
盛りだくさんにお話しさせていただきました。

オリーブの剪定では、トスカーナのオリーブの主な品種
トスカーナの主な収穫方法、トスカーナの樹形の歴史と理由
そしてズバリ枝の数や剪定の目的と順番などを
シンプルに伝えさせていただきました。


第二回の「オリーブの道①」では爽やか若社長様自ら登壇し
コロナ禍前のイスラエル訪問での資料をお見せしながら
まさしくも世界史(もちろんオリーブにまつわる)の授業のように
年表や地図を使ってご説明されており
メソポタミア文明だのローマ帝国だの忘れちゃってた私なんかでも
覚えてられるかは別としてw
とても分かりやすく進行されていたと思います。


次回のテーマは、オリーブのルーツを探る第二弾!
オリーブの道②」
~オリーブは"地中海"から"いよいよ日本"へ~
再び爽やか若社長が登壇されます!
どうぞ、お楽しみに。

Webinar開催日は、8月21日(土)日本時間16時~
詳細とお申し込みは下のリンクをクリック↓





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ブルーな島、清い島 Setouchi Region - Shòdoshima vol.1
親切な島、甘辛い島 Setouchi Region - Shòdoshima vol.2
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旅行&アートviaggio & arte.....@realmakiciより
Naoshima特集多めにアップしてます!

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Sorriso Amaro...
2点とって浮かれているそばで1点ゴールされちゃった。
監督、苦笑い...

 Sorriso Dolce...微笑み、とは
イタリアだとよく聞くし使うし見るけれど
苦笑い、てあまり聞かないな。
表情や表現が共通することに
とーってもイタリアに親近感をさらに覚えた。

去年コロナで中止となった欧州サッカーUEFA Euro 2020の
準々決勝イタリア vs ベルギー戦を
思春期青少年は、友宅で観戦した。

私たち大人は、そのまままったり夕食後夫婦でおウチ観戦で
メリハリもなく、一人ソファー、一人椅子に座って吞み続け
みーんなバラバラですよ。

でも観ているものは同じで、応援しているものはひとつなのだ。
それは家庭の一コマだけではない、イタリア全国ひとつだった。

イタリアが団結しているとき...ロックダウンもそうだったけど
スーパーナショナリズムなイタリアンは
老若男女、国で出場しているサッカーを応援するのだ。
ニュースでインタビューに答えていた方も
イタリアのいいところって団結できるところだって。
北から南、子どもも大人もお年寄りも。

私たち大人はメリハリもない空間だったがために
コックリコックリとうたた寝までしちゃって
Insigne選手が、キャプテン翼風にゴールを決めた
(とニュースでは報道されていたw)ところを見逃したけれど
Spinazzola選手がアキレス腱負傷して、涙の退場は
どうにかこうにか見納めることはできた。
その後のインタビューを見て、Voto(成績)まで見れて
ダイジェストまで見れて、試合を完結した気になれた。

そんなんだから、思春期青少年が友たちとワイワイ観戦するのは
私は、二倍嬉しい。
帰宅してからすぐにではない、一日か二日おいたぐらいの
気が向いたときに話してくれた報告によると
イタリアが勝ったとき
友んチの庭のプールにパンツのまま飛び込んだそうだ。
その日はご両親はわざとか留守だったそうだ。

ボクはパンツが恥ずかしかったからズボンで...
と、また疑問がわくようなことを言う。ま、いいや。

あぁ、楽しかっただろうな。
ニュースでも街中は若者たちで大騒ぎシーンが取り上げられていた。
コンサートのときの興奮と似たようなもんだろうな。
生で観れたとか興奮をリアルタイムに共有できたとか。

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集まっていたのはいつもの友たちで
ヴィンチの幼馴染だ。
幼稚園で出会い、小学校で別れ、といっても隣クラス
中学校でまたごちゃまぜとなり
だからグループは、ヴィンチグループで
二クラスしかないAとBの気の合う仲間が揃った。
といっても、ほぼ二クラスの男子全員で
全員ではないとしたら、グループが苦手な子たちで
単独行動をしている子以外であった。
かといって学校ではみんな仲良しなんだって。

もともと小さいグループだったんだけど
リーダーがいいやつで少しづつ輪が広がっていった。
我が思春期青少年も中二の夏休みからつるむようになった。
それまでは、なんとなく当たり障りなくみんなと仲良かった。
声をかけてもらうようになって
このコロナ禍でも、友だち感は絶えず
鬱になることなく、引きこもっててもなんか楽しそうであった。

隙さえあれば、仲間で草サッカーをしている。
空き地でするのではなく、地域のサッカー場を借りる。
有料だからそうしょっちゅうはできないけれども
自分が頼られていることに自惚れているw

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それでも、全員全部同じという友はいない。

ボクが、30㎞先のショッピングモールにチャリで行きたくても
誰も来ないし来れない。
ボクが、50㎞先の海にチャリとか電車で行きたくても
誰も来ないし来れない。

冒険心が自身より強く挑戦しちゃったけど
どうだろう...友と行ってたかな?

育っている国は違うとはいえ
似たような境遇はあると我を振り返ってみる。
国とか時代の問題のほかに性格なんだとおもう。

そういうところから
自分ができることとかできないことを自覚してきて
ボクとキミで、ワタシとアナタなんだとおもうし
ボクはボクで、キミはキミなんだとおもう。

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7月といえばGO TOバカンスでしょ、ということで
ジワジワと妄想を繰り広げても、なかなか実現の余地がない。

そこで、Pugliaに行ってみたいね、Siciliaに行ってみたいねと
妄想しかない無邪気な思春期青少年と
妄想だけで幸せいっぱいになれる私は盛り上がるわけだ。
「友だちいるから、この機会に会えたらいいなぁ。」とボヤくと
夫は「失礼じゃないか!今までろくに連絡もしてないのに。
ヴィンチで会ってから会いに行け。」などという。

私は涙が出そうになった。
なぜ。
なぜ、そういう考えなんだ。
だから閉ざされていくのではないか。
それでなくても田舎暮らしで友との接触は少ないのに。

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私は、連絡不精だ。
どちらかというと電話より手紙好きで
クリスマスカードを送るタイプだ。
イタリアの友でもなかなか会えない人にはカードを送る。

かといって会おうよとか誘わない。
自分の安否というか日常を報告しているだけである。

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私が想う友というのは
そんな簡単に壊れるものだとはおもっていない。
友情はじつはあの頃に仕上がっているものだと想っている。
いつ連絡しようが会おうが想おうが
ずっとあの頃の友だちだと想っている。

ただヒマだったあの頃より
私たちは、優先しなければいけないことが増えてきちゃって
忙しくなっちゃったんだ。
時間的にも精神的にも。

あの頃近くにいて時間を共にして一緒にはしゃいだ友たちは
私の人生の一部に深く深く刻まれて、一緒に歩いてるんだ。

彼らがいなければ気づかないことだってあったし
彼らがいなければ知らないままだったかもしれない。

常に言葉にしたり表現したりしなくても
友のことを何分ごと、何時間ごと、何日ごとに思い出してるんだ。
...と、だいぶ前に
フィレンツェにいた当時すごくよくしてくれた
シチリアのアニキみたいな友から、そんなメッセージが届いた。

異性でさ、恋みたいな好きと人間的に好きってあるじゃない。
私は、今まで二人の人間的に好きって想える人に出会った。

そんな図星を突かれたような素直で正直なメッセージを受け取って
友たちを思い出すことをむしろ大切にしているし
思い出す時間をつくっているし、気がつくようにしている。


連絡を常にとったりヴィンチに誘ってから会いに行く
なんていう礼儀みたいのはいらない。
友たちだってしてないじゃない。
みんな忙しいの。

そんな想いを、夫にも青少年にも話した。
「そうでしょ?そう思わない?」
夫は、この時ばかりは、素直に頷いて納得していた。
青少年は、この時ばかりは、黙って耳を傾けていた。

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ずいぶん前に日本に一時帰国したとき
いつ会えるかわからないと、ちょっと不便な土地に職場があっても
仕事帰りにちょっとの時間でも吞めるかなと
私は、友の時間の節約になるよう不便な土地へ出向いた。

もうとっくに20年以上は過ぎている。
インスタで見つけてくれて
メッセージ上で再会を果たした。

メッセージで思い出話は難しいけれど
彼女が覚えている記憶は
私が彼女のために足を運んたひとときだった。
学生時代の友だちさえも覚えてないのに
じつはそんな束の間のシーンをより濃く覚えているものなのだ。

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青少年は「ボクには日本に友だちがいる。」という。
お、誰のことだ?
いまだに4回ぐらいしか行ったことない。
「次、日本に行ったらKとディズニーランド行くから
日本語の会話教えて。」という。ほー。

そしてある日Kのママが
「Kがはやくディズニーランド連れてってあげたいなぁ。」
て言ってるよとおしえてくれた。

どこで絆が芽生えたんだ。
あの数回しか会っていない時間と会話で
また会いたいと思える友だちができたなんて
それだけで、すべての価値が生まれて私は嬉しい。

そう、遠距離にいても気持ちは近距離なのだ。

そう、コツコツ友情をつくることもあれば
タイミングやフィーリングで友だちができることもある。


私もそろそろ友たちに会いたいな。



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第2回Olive Wellness大学ウェビナー
「オリーブの道①」
~オリーブ発祥の地 紀元前 "中東"から"地中海"へ~
【 2021年7月17日(土) 日本時間16時より 】





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Ho imparato a sognare
Che non ero bambino
Che non ero neanche un'età
Quando un giorno di scuola
Mi durava una vita
E il mio mondo finiva un po là
Tra quel prete palloso
Che ci dava da fare
E il pallone che andava
Come fosse a motore
C'era chi era incapace a sognare
E chi sognava già

Ho imparato a sognare
E ho iniziato a sperare
Che chi c'ha avere avrà
Ho imparato a sognare
Quando un sogno è un cannone
Che se sogni
Ne ammazzi metà
Quando inizi a capire
Che sei solo e in mutande
Quando inizi a capire
Che tutto è più grande
C' era chi era incapace a sognare
E chi sognava già

Tra una botta che prendo
E una botta che dò
Tra un amico che perdo
E un amico che avrò
Che se cado una volta
Una volta cadrò
E da terra, da lì m'alzerò
C'è che ormai che ho imparato a sognare non smetterò

Ho imparato a sognare
Quando inizi a scoprire
Che ogni sogno
Ti porta piu' in la'
Cavalcavando aquiloni
Oltre muri e confini
Ho imparato a sognare da la'
Quando tutte le scuse
Per giocare son buone
Quando tutta la vita
E' una bella canzone
C' era chi era incapace a sognare
E chi sognava già

Tra una botta che prendo
E una botta che dò
Tra un amico che perdo
E un amico che avrò
Che se cado una volta
Una volta cadrò
E da terra, da lì m'alzerò
C'è che ormai che ho imparato a sognare non smetterò
C'è che ormai che ho imparato a sognare non smetterò

Testi : Negrita(1997)

ボクは夢をみることを覚えた
それは子どもの頃ではなく
歳を追ってからでもない
学校があった日
終わりがないほど長く感じた
ボクの世界はこのへんで終わりのようだった
神父の退屈な教壇
ボクらは言われるがままに動いていた
ボールが転がっている
まるでロボットのようにボクは見えた
それでも夢をみることができる人はいる
いや、もう夢をみている人はいる

ボクは夢をみることを覚えた
ボクは希望を持ちはじめたんだ
持つ、持てる、持つだろう、と
ボクは夢をみることを覚えた
ボクの夢が大砲で
夢の中で、半分ぐらい命中するんだ

ボクはわかりはじめた
キミは独りで、パンツ一枚の無防備だ
ボクはわかりはじめた
はじめはどれも大きく見えるんだ
それでも夢をみることができる人はいる
いや、もう夢をみている人はいる

夢という大砲をボクは抱え
夢という大砲を放つ
失う友もいる
見つかる友もいるだろう
もし一度転んだら
その一度は転ぶんだ
そしてボクはまた地から立ち上がる
ボクはそう夢をみることを覚えた
そう夢をみ続けるだろう

ボクは夢をみることを覚えた
ボクは知りはじめたんだ
一つ一つの夢はボクを夢の世界へ引き込む
ボクをのせた風になびくカイトは
壁も境界も超えていく
その世界でボクは夢をみることを覚えた
ボクが試すいい訳は、どれも夢のためなんだ
そんな人生が歌になったら最高じゃないか
それでも夢をみることができる人はいる
いや、もう夢をみている人はいる






この歌を聴いて私の頭の中は日本語に変換されていた。
やっぱりグーグル翻訳では気持ちは表現されない。
勝手にボクだけど
勝手に語ってるけど
歳なんか関係ないんじゃないかと私はおもう。
だから歌われ続け、メッセージを送り続けているのだろう。





思春期青少年が歌やダンスの番組をみていた。
私もみることにした。
内容は、エンターテイメント養成学校を
宿舎から舞台までドキュメンタリーして
何か月何週にもかけてグランプリをだすものだった。

みんな18~20歳ぐらいの青年たちだった。
華やかな芸能を夢みた子たちは
誰でもできるTikTokにいそうな
いたってフツウの子たちであった。

しかし、何万というもしかするともっとかもしれない
そのスマフォの中のたった一つのアプリに向かって
歌ったり踊ったりしている子たちが
どんどん落とされ現実を知らされていく。

決勝戦まで辿り着ける子は
きっとプロや大人はもう見抜いているだろう。
しかし、ただタレントを養成しているわけでもなければ
探しているわけでもない。

今生きる夢みた青年たちに
経験やチャンスを与えているだけだ。
同じことを目指す仲間たちと
気持ちをシェアしてまた独りで歩んでいく。
その場は、番組としてスポットされているけれども
どの分野にも通用する。文化系だけじゃない。

与えられたチャンスの中で突き進んでいる夢みた子のママが
自分の子に会って、私の分まで夢をみさせてくれという。
「なんでママの分も?」
「私は夢をみないで生きてきたから。
夢を信じることをあなたから学んだのよ。」


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私の母が、離婚して離れ離れに息子と暮らし
息子の父(私の父)・元夫が早々に他界したために
青年となった息子と再会して、母業が再開するのだが
その頃の母業とはもう
家庭での生活を共にすることではない。
気持ちが寄り添える存在を与えるだけだ。

母は兄に手紙を送っていた。
私はその手紙を、母も兄も亡くなってから
見つけ読んでしまった。
でも今もずっと私はその手紙を握りしめている。
兄へだけの言葉ではない、私への言葉でもある、と。

「今、これがやりたいということを追ってごらんなさい。
なんでもいいから。失敗してもいいから。」
そんな言葉を母は兄に送っていた。

私は何度も何度も読み直し
何度も何度も想像して
何度も何度も信じて
何度も何度も夢をみた。

いまだにやりたいことがいっぱいあって
ありすぎて追っているのに
どこが頂点でなにが成功なのかいまだにわからない。

私が今までに気づいたことは
自分の世界をつくること
自分らしく生きること
頂点なんてひとつもないこと
幸福と苦難は交互にやってくること
そして堂々と誠実にいきること

夢とはいったい、前に進むための目標で
ゴールなんてない。
夢とはいったい、みんながもっているもので
それを夢と気がついていないだけなんだ。
夢とはいったい、生きるための原動力だと想う!

夢なんてかっこいい言葉だけど
夢なんて大きそうな感じだけど
私は、自分から湧き出てきた
ただただやりたいことのひとつが
夢なんだと想う。



・・・・・・・・・・


【お知らせ】

Webinar企画が完成いたしました!

世界から参加可能ですので海外在住の方も是非この機会に
オリーブ文化の豆知識をどうぞ!

人数に制限がありますのでお早めに。

Apro la prenotazione del mio webinar(in giapponese) in diretta
per la potatura degli olivi stile Toscana,
il turismo a Vinci e vivere in campagna

お申し込みはこちら




【ご報告】

オリーブオイル関西2021が

Covid-19緊急事態宣言延長のため中止となりました。
セミナーに登壇する予定でした。
プロフィールを残しておきます。
お申し込み下さいましたみなさま
ありがとうございました。

「ヴィンチの丘で オリーブ剪定」

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2021年の幕が開けた。

SNSでは豪華なおせちや年越しそばで賑わっているのを横目に

ヴィンチの丘では、丑年にちなんで

せっせと牛のしっぽを煮込んでいた。

私の少女期青春期、年に一回ぐらいの割合で

「テールが手に入ったわよ~。」と、おばちゃんは

自慢の圧力鍋でしっぽをクタクタにし

デミグラスソース風に仕上げたしっぽの煮込みは激ウマだった。

帰国の度にリクエストした。

忘れられない、どーしても再現したいじゃないかっ!


はじめて牛のしっぽを一本丸ごと買った。

付け根は肉付きがよく太く、先っぽは先っぽらしかった。

関節ごとに切断してもらうと、11個あった。

骨髄みたいなところからゼラチン質のコラーゲンがたっぷり出る。

骨にくっついているどちらかというと少なめの肉は

ずっと煮込めば柔らかくなる。

ただ脂のようで脂ではないねっとりしたゼラチン質は焦げやすいので

ずっと土鍋の横で見守った。


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年が明けてから3カ国の友たちとビデオ通話をした。

昔では考えられない。

Gettoneという公衆電話のコインを握って並んだっけ。

そんな在住経験のあるコイン時代の友たちであった。


ものつくりの友は自身の個展をこのコロナ禍中開催するにあたって

招待と同時に動画やネットでもリアルタイムに発信していくことで

遠方の方や体の不自由な方が訪問できる世界が広がったという。

もちろん生でリアルの方がいいけれど

行けない人忙しい人には、便利な手段であった

と勉強になったそうだ。開き直ると、あえて活発に取り組めるそうだ。


コイン時代、ネットなんか当然なくって個展をするのに

招待状をつくって送って配って配って配りまくって

ただひたすらお客さんを待った自分を思い出した。

体の不自由な方だって忙しい人だって遠い人だってもちろん待った。


今は情報や共感のシェアが身近になって

こんなど田舎のヴィンチにいたって

向こうのど田舎の発信が受け取れることに

コロナ禍の学びで改めて気付かされたことだった。

これを先取ってやってた人はコロナ禍の苦味はないということだ。


Bellissimo Canaiolo che colore!-

我が家は三が日牛のしっぽを食べ続けた。

ワインとトマトで煮込んだ俗in umidoというレシピで。

伴に、農主のCanaiolo Nero(品種)100%のワインで乾杯した。

ねっとりのしっぽにも負けないフルーティさと

カナイオーロ独特な爽快感があった。

情熱的に造ったワインは、いちいち作業とか風景が思い浮かんだ。


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そのワインを買っいに行ったとき、長老は外でうなだれていた。

こんな寒いのに、大丈夫なのかなぁ。

いつも会う度に、家族の一人一人を心配してくれる。

そして、気候変動に失望し、昔のことを語った。

その日、瓶詰めの間もうなだれっぱなしで心配になった。


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あの時のうなだれは、とうとう永遠の眠りとなってしまった。

長老の訃報はあとになって知った。

きっとこんな時だけに家族はひっそりとさせたのだろう。

訃報が速攻伝えられてもこんな時だから向かうことはできなかった。


長老は、老衰だったそうだ。

奥様がアルツハイマーになったあと 長老は腸を壊した。

ブドウ畑にきても、11時頃と16時頃は奥様のもとへ

しっかり戻っていった。それまで私と長老でぶどう畑の作業をした。

長老はだんだん痩せてきた。

腸を壊してから、食べられないと言っていた。

それでもブドウ畑にやってきて

自分ができることをできる分だけこなしていった。

それがとても役に立っていた。


冬の剪定に関しては欲張り剪定で、甥である農主と反対だった。

春の剪定も欲張りだった。しかし、昔の人は

果実は大地の恵みであって捨てられない、それだけのことであった。

農主と農法が違っても、有機栽培には変わりなかった。

ブドウの木の支えにしている笹の枝も長老は

自分で刈り取って、古くなった枝と交換していた。

ブドウの枝を架線から取り外す作業だって

取り外したら、一本一本細かくして暖炉用に仕分けしたり

トラクターで撹拌しやすいようにサイズにあわせて横に並べた。

私と時間をかけるところが違った。


天気のこととか葉っぱの色とか今年の芽の出具合とか

農主より早くに察知しているところがあった。

あれは長年の経験としか言いようがないだろう。


ブドウの収穫Vendemmiaの時、甥がセラー作業のときは

長老が指揮をとった。あっちにサンジョベーゼがある

こっちにトレッビアーノがある、というように。

お昼のテーブルでは長老の席は決まっていた。

私も夫も少年も招待してくれた。

お昼休み、少年とサッカーボールで遊んでくれたこともあった。

私は、手加減してよ、少年! と おじいちゃん転ばないでよ! と

ソワソワして見てられなかったけど

あれも一つの思い出になっちゃった。


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オリーブの剪定も長老がしていた。

農主はオリーブの剪定はしない。大地派剪定を習っていたが

やっぱり時間がないということを理由に長老に任せていた。

長老は、樹形に性格が出てたほど

均等のとれたデザインされたような樹形を決めていた。

オリーブの剪定士としてご近所さんのオリーブも手掛けていた。


でも腸を壊してから、体の機能が衰えていき

はしごが使えなくなった。周りが止めたのである。

オリーブの栽培でいっちばん事故率死亡率が多いのが、このはしご。

はしごの危険性と体力を要する作業だから

私がオリーブの剪定をしていることを

すごく褒めてくれたし応援してくれた。そして、ライバルだった。


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長老と同じ畑で過ごすことが多かったこの残りの数年

私が畑の中にいた距離は、長老の亡お兄さんにみえていたようだ。

タイムスリップさせていたみたいで、それはそれで嬉しかった。

あの頃と似てる...とか、あの頃を思い出す...という

記憶の中のなんでもない平常の温かい空間

その夢心地感を味わえてよかったと想う。


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夢心地の姿や年輪のような手で作業する姿

子ども心に少年と遊ぶ姿、ワインを水で割って飲む姿

きっと私は、家族よりも写真に収めているとおもう。

だからもっともっとより深く思い出に刻まれたし

些細なことも思い出せる自信がある。

家族とは別に私との世界はブドウ畑の仲間だった。


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長老は、ネットの世界なんかコロナの世界なんか

なーんにも知らないで逝っちゃった。

知らないのに、もっともっと昔が良かったって。

進化しては思い出し、進化しては思い出して

私たちの昔って、個々のやっぱり少年期青春期なんじゃないかな

なんておもう。

コロナ禍だって進化の中の少年や青年は

昔は良かったなんていうかもしれない。

私も昭和時代とリラ時代をよかったっていう。


毎日毎日長老がいたブドウ畑の姿をシェアしたいと想う。

ぜったいに忘れないよ、おじいちゃん。



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つづき


熟女三人は、Pienzaピエンツァへ向かった。

ここには、6年前に家族と来た。

あの時もこの町を急いで観光したような記憶がある。

その日、マーケットがあったからか

そしてバカンスをやっとはじめた我が家のような

もしくはバカンスから帰ってきたこんがり焼けた人々で

賑わっていたことをよく覚えている。


小さな町は、入口が違っても辿り着くところは同じだ。

あの時もDuomoドゥオーモ(大聖堂)の中を拝観した。

そして、ピエンツァ特産のPecorinoペコリーノ(羊乳のチーズ)屋さんが

軒を並べていたのをよく覚えている。

今年はコロナのせいか人は少なめに感じたけど

それでも店は日曜日なのにだいたい開いていたようにおもう。

観光地なだけに嬉しい。

マスクを道端でもしている人が多かった。

お盆を過ぎて、感染者が増えたニュースをやってたばかりだ。


私たちは、今晩のつまみにトリュフ入りペコリーノチーズを

ちょっとだけ買うことにした。

さすがに丸ごと買うことはできないが

小分けに真空パックで保存されているそれを買った。

真空パックだとかなりの期間もつ。

日本に帰国するときなんか、真空パックで注文する。

独特の香りもしまい込めてとっても便利。


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6年前は、Bagno di San Filippoバーニョディサンフィリッポという

森の白いクジラともいわれるそんな形に石灰が固まった

温泉が湧き出る無料の自然温泉へ行って

家族三人がぬるい滝の下で打たれ座っていた。


夜は、Monte Amiataモンテアミアータという山の

キャンプ場のキャラヴァンを借りて

初の内装にドキドキしながら寝たことは忘れられない。

その頃まだグーグルマップが我が家にはなく

真っ暗に辿り着いちゃったけど、突如キツネ一家が出現し

きゃぁきゃぁ七歳の少年とはしゃいだ記憶は鮮明だ。

私たちは強行に予定通りBBQをして

暗闇の中を動く動物のようでおかしな家族だった。


翌日、Bagno Vignoniバーニョヴィニョーニという小さな温泉地へ行って

でもこちらは、自然を人工的に昔の人が工夫して

もしかするとまるでテルマエ・ロマエ風の温泉に浸かった。

プールのようで日本の温泉風なこじんまりさがあって

静かに波を立てずにそーっと入る。熱くはない。


その家族旅行はVal d'Orciaヴァルドォルチャ(オルチャ渓谷)

周遊旅行だったなぁ、思い起こしてみると。

そのあとピエンツァに駆け足で行って

それから今日と同じコース、シエナの友宅に泊まらせてもらったんだ。


友と友の子どもちゃんの写真もでてきた。懐かしい。

大人はちっとも風貌は変わらないけど、子どもたちが...。

我が少年もこんなにかわいかったんだ...。

あんなにぴったりくっついて。

今や距離を喜ぶ思春期少年になっちゃった。


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今、こうやって、家族をおいて

熟女たちだけで旅行しているのが、なんだかおかしかった。

きっとこれからこういう機会が増えていきそうな気がした。

家族に終わりはないけれど、出産してから今まで

自分を家族に80%ぐらい注いできたところを

もっともっと減らして、独りの時間だって各々にもって

ちょっと成長した共同生活が送れたらいいな

なんて思うようになった。去年からw


私は、人がいう「子育て」を感じながら生きてきたことはない。

同居人が小さいから時々世話をしているみたいな感じだった。

この小さい同居人のことを誰も面倒みてくれなくって

私が引き取ったような感覚なのだ。

出産したときの痛みなんかとっくに忘れちゃったし

プワ~とあくびしながら出てきた4㎏近い赤ちゃんは
お腹の中でちょっと成長しちゃってて赤ちゃんぽくなかったw

だから動物的母性ってのをなんだか感じないまま過ごした気がするし

本能とか気持ちはあるけれど、子育てというより
環境に応じて生活している感がつよいのである。

人生や生活の中で常に優先順位ってのがあって
時に一番がその小さい家人だったり
時に一番が仕事だったり、時に一番がお金であったり
時に一番が勉強することだったり
時に一番が食べることであったり
時に一番がカラダのことであったり
時に一番が家族団欒だったり
時に一番が独り時間だったりする。
そして時に一番が、それがしょっちゅう自分だったりするのであるw


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熟女たちは、シエナの友宅のお庭でまた乾杯した。

友たちはコンタクトを外してメガネをつけた。

メガネの向こうにある目が少し小さくなるのが可愛らしかった。

その小さな目でケタケタおしゃべりしてる姿をみるのが私はすき。

進化したコンタクトより道具のようなメガネの方が

私は親近感を覚える。だって私コンタクト装着怖いんだもん。


ご近所はもう寝ちゃったのかな、静かだった。

私たちの笑い声がときにサイレンのように響いたw

笑うたびに肩をすぼめた。


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翌日、シエナの友はB&Bのような朝食を用意してくれた。

一度食べるために座るとまた話が始まっちゃって

なかなか次に進まない。きっと容易に想像つくであろう。

それでもシエナの友は、Castellina in Chiantiカステッリーナインキアンティ

村へ行かない?と提案してくれた。

もうお昼も近い、軽くランチをしに行こうということになった。


とても近くにその村はあった。

ちょっと標高が高く、気持ち良い風も吹いていた。

村の一本の道を歩けば城もあれば教会もあった。

シエナの友はこの村で働いていたこともあって

あちこちチャオ~と住人に声をかけていた。


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もういくところは決まっていた。

そこは、お肉屋さんなんだけど

ちょっと軽く一杯とかランチができるのよ~と友オススメのようだ。

私たちはふむふむとついていく。すすめられるともっと楽しみになる。


ここよ~。

へ~。確かに人気店ぽい。

外は満席だ。中が空いてるみたい。

しかし、予約されていた...。

でも予約までだったらいいよ!と友の顔がきいたw


ここでもサラミとペコリーノチーズの盛り合わせ。

熟女には野菜必須でナスのマリネやトマトサラダもつけた。

そして地元のテーブルワインで小さなテーブルを囲んだ。

ここもプロシュットやサラミ類が美味しい。

美味しいプロシュットは脂が美味しい。

チーズとかもそうだけど、食べる数時間前

常温に近い温度に戻すといわれている。それかもしれない。

だからこの溶け具合は味覚が増すようなきがする。

ペロペロ食べれちゃうし、塩味でワインもグイグイ呑めちゃう。


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最後の最後まで熟女たちは話が尽きなかった。

私は非現実的な旅行のようにも感じたけど

シングル時代を思い出した気分で懐かしく楽しかった。

いいきっかけとなって誘ってくれた友たちにありがとう!


エンポリの駅にヤツラが揃って迎えにきてくれた。

土産話をしたいのに、ヤツラはサッカーの話をして

興味無さそうだった。私はサッカーに興味が無かった。

家に着いて、お土産のプロシュットを食べながら

土産話をすることになった。それでいいのかもしれない。

そのときはヴィンチのワインをグイグイ呑みながら。



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