大地の住人 ヴィンチの丘で

地球と体に優しいコト ~イタリアから~

フィレンツェの端っこレオナルド・ダ・ヴィンチのふるさとヴィンチの丘に在住。 大地の自然たちと向き合って地球と体に優しい様々なコト、発見・提案・発信!

タグ:Estate

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私は何をやるにも集中型で
いろんなことを同時に進行させることが不器用だ。
もう、それはそれでいいと思っている。
自分が自分に費やしているエネルギーと時間は
その今の気持ちにゆだねようとおもう。

昨年は、その気持ち的に余裕はなかったけれど
今年は、気持ちの余裕というより
精神をリラックスさせることにすがる想いだ。

歳を重ねるごとに
この10年どう生きるかをめっきり考えてしまう。
20代、30代、40代、そんな風に
考えたこともなかった。

最近なんだか二人っきりが多い日々
夫と振り返ることが多々ある。

私たちの失敗というか判断が間違ったことは
たいてい誰にも相談せず
若い二人で決めてきたことだ。
私は、両親をはやくに亡くした。
夫は、兄弟が多いので
そういうところはかなり自立していた。
人生の学びさ、とお互いを慰め合う。
この学びを、我が息子に教えたいけれど
同じ人生を歩むことはないので
私たちとか私の人生の良いことと悪いことに留まる。

夫や自分を褒めたいことも少しはある。
生活はずっと大変だけれど
それでも自由はやってきた方だよね、と。

人生の成り行きなんだけれど
不幸が転がり込んできたとき
どう過ごしていくか
もしくは、どうしてもやってみたい気持ちを
どう決行するか。

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バラバラな今の気持ちの家族たちは
バラバラに思い思い日々を過ごしている。

だから、毎日を癒してくれる我が家の周りの
大地を歩き回りハーブを探した。

昨年できなかった聖ヨハネのアクアを今年はつくりたい。

ひとりでいいから
ほんの少しの時間をたのしみたい。

これだって十分聖ヨハネのアクアの目的を果たしているさ。
明日の祈りも大切だけど
今の気持ちの幸福さも大切さ。

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夏至とは一年で一番日照時間が長いうえ
植物、生物、私たちのもつエネルギーが
一番活発になる時なんだそうだ。


世界の夏至祭では太陽を表す火として
焚き火祭りが多いとされている。

その祭りは夏至から624日の
聖ヨハネの誕生日頃に
行われるという。

そして、長い太陽が火と象徴されるならば

短い月は水と象徴される。


その太陽のエネルギーを浴びた
大地の草花を前夜
23日に摘み

一晩泉水に浸け月夜のエネルギーを吸い込ませた液体を

Acqua di San Giovanni アクアディサンジョヴァンニ と呼ばれ
邦題は、聖ヨハネのアクア と私はしたい。
アクアとは水。

そのアクアを24日の夏至祭でもある聖ヨハネ祭に
浴びる
という伝統が何百年経った今でも
続けられているイタリア。


そのアクアの魔法は

新たな季節のはじまりと自然界のパワーを得ることから

自身への浄化、生活へ幸福を導き、健康や愛の向上

そして作物へ豊作祈願、魔除けなど

日常の実は切実な神頼みを込めた祈りの水なのである。


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6月23日の夕方、ハーブを摘みに行く。

この時期に旬なIpericoイペーリコという
セイヨウオトギリをメインに
最後のバラ、ラベンダー、キャラウェイ
セージ、ローズマリー、メリッサ
マロウ、フェンネル、アカシア
名前を忘れたハーブたち

我が家の水は、ヴィンチの山から汲んでくる湧き水。

デコレーションを楽しんだら、月夜に晒す。

翌朝の24日、キンとした聖ヨハネのアクアを
そっと浴びる。
手を濡らしたり、顔にあてたり。

そんな神聖な行為が済んだら
私は、ハーブをすくってドライフラワーに。
いい香りと効能のあるアクアは
シャワーのときに浴びたり
虫刺されの時にアクアでこすり流したり。

こんなロマンティックな行為ができた年は
今と明日への希望を持っている証拠だ。

ドライフラワーを眺め香りながら
また日常に戻りたいとおもう。

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vol.2のつづき。

我ら親子が向かった友の実家は
Marsalaマルサーラの街からちょい南下した海沿いにあった。

海は見えないけど、歩いて3分のところに位置していた。
どうりで毎年毎年青少年が生まれる前から
誘ってくれていた意味がわかった。
まるでバカンスのための別荘のようなのだ。

友は、普段はヴィンチから30分程のところに住んでいて
夏の休暇とクリスマス休暇に帰省しているようだった。
ここにはご両親と兄弟家族が暮らす3世帯ならぬ
友家族分もあったから4世帯住めちゃう大きな家だった。
さすがシチリアだなぁ。

この大ファミリーは以前
マルサーラの街寄りに住んでいたそうだ。
友が幼少期、この海の家に引っ越してきたそうだ。

ここの欠点はひとつ
車がないと何もないことだそうだ。
それを聞くとヴィンチの丘の家の周りも何もない。。
同じくバスはあれど、一日に数本しかない。

友は、そのマルサーラの街にあるお母様の病院通いに
午前中まるまる付き添わなければいけなかった。

私はご両親の体調の悪いときにお邪魔したくなかったのだが
逆に、体調不良で落ち込んだ時に
わいわいとお客さんがやって来たことに
刺激を与えた様子で、歓迎のおもてなしで迎えてくださった。
パッとしない思うように動けない生活に
新しい話題で食卓に華を咲かせて
一風を与えたような感じだった。

イタリアから日本にいるおばあちゃんに
会いに行っていた感覚と同じだった。
友の大ファミリーとは家族同然のように付き合いも長いし深い。

私たちもなるべく
迷惑をかけないよう気を遣わせないよう
できるだけ家族っぽく振る舞った。

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親子は滞在期間、マルサーラの海ライフを満喫するのだ!
そう、朝眠くたって早めに起きて
海の風が心地よくあたるテラスで
Caffèとパンにお母様の手作りオレンジジャムを食べて
友とお母様の出掛ける時間まで
女だけでおしゃべりをたっぷりして
そして我ら親子は、その3分で行ける海に
水着とバスタオルだけで繰り出すのだ。

朝の海は穏やかだ。
朝の海に行けるのは青少年の念願だった。
彼はこのために来たようなものだ。

そして、パラソルなど持っていかないので
午前中と夕方しか行かない。

友の実家から国道を渡って砂浜に向かう。
昔は、この国道を渡った向こうは
風避けのダンチクがいっぱいあったそうな。
現在は、もっと欲張った海の家々が
不法で建っている。
さすがシチリアだなぁ。

友の幼少期時代は
田舎の海のがらんとした交通量さえも少ないビーチだったそうだ。
それが今や、Salineサリーネ(塩田)の辺りのように観光地化し
別荘やレストランがぼこぼこできたそうだ。
国道もなかなか渡れないじゃないかっ!

ビーチは、誰もが落ち着いてくつろげる細かい砂のビーチだった。
かなりの距離まで浅く、水は透き通っていた。
遠浅だから浅い部分が水色で深くなったところから青色だ。
このコントラストが素敵なビーチ感をだしている。

友の実家からビーチへの最寄りの入り口は幸い
BARや有料パラソルのあるようなところではない。
どちらかというと、友たちのように帰省組が
朝と夕、ひと泳ぎするようなビーチだった。

朝の弱い日差しでも私はできるものなら日焼けはしたくない。
日陰を探した。
ちょうど不法で建てられた住居の囲いの壁と大きな木の陰をみつけた。
私は太陽が移動してもいいように
少しでも長く日陰にいられるだろう位置にバスタオルを敷いて陣とった。
思春期青少年は、少し離れたところの日向で
ゴロゴロ態勢でもかっこつけている。やれやれ。

すると、母親らしい大人一人と小学生低学年ぐらいの男の子と
中高生ぐらいの女の子たちを引き連れて
もうちょい先の日陰に、そのグループは陣取って
歌いだしたり踊りだしたり、ボールで遊んだり
海に入るのもグループで、明るく賑やかに過ごしていた。
どこからみても、毎日通ってる海慣れした一行であった。
 
一日目は、私たちの想像していた朝の穏やかな海であった。
海水はそんなに冷たくなく、ずっと浸かっていられそうな温度。

初日の夕方も私たちは海へ行った。
マルサーラライフを満喫しなきゃですもの。
午後にはもう海は荒れ始めていた。

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ヴィンチ親子が到着した途端、我々の三日間の滞在期間
Sciroccoシロッコというサハラ砂漠から吹いてくる熱風・強風の
気流の渦に巻き込まれてしまった。
地元民の話によると、ときには
サハラ砂漠の砂まで見える時もあれば
砂まで降ってくることもあるんだそうだ。

いつだか日本で、千葉の京葉線から見えた
黄色い砂埃が舞っているのを思い出した。
あとで、その現象は黄砂であることをいとこが教えてくれた。

本当だったら、友の兄は自作ボートを持っているので
プカプカとボートで海を遊覧する案も出してくれていた。
もしくは、カヌーとかペダルボートなんかの案もあった。
がしかし、この強風と海の荒れでは
海の乗り物はやめておいた方がよいと海に詳しい地元民がいう。

風の向きによっては波がないところが
塩田だったり遠浅の海を歩く体験をした辺りだったのだ。

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翌日の朝、マルサーラライフをしにひと泳ぎしにいった。
あの毎日来てそうな海慣れした賑やか一行は昨日
いっちばん長くまで日陰が続いたところに陣取っていたのを思い出した。
今日は、アタイがあそこを陣とるわよ!

しばらくすると、賑やか一行が現れた。
私が彼らの日陰地帯を陣とっちゃったから
私が昨日いたあたりに広げはじめた。ゴメン。
 子どもたちは日向だろうへっちゃらなんだけど
やっぱり大人は、少しでも長く日陰がいい。

私が泳いでいる間に、母親らしき大人が
私のバスタオルの隣に移動していたw

え。。近すぎじゃね?
ってフツー日本人だったら思うじゃん。
その母親大人は、マルサーラに帰省しているシチリア人さ。
「ごめんね、近くに寄っちゃって。日陰にいたくって。」
と、素直で社交的だ。

それからあれよあれよとおしゃべりがはじまり
ついには、近くでかっこつけている我が思春期青少年に
同じくらいの歳の女子たち3~4人と男子2人を紹介しはじめたw

若者たちは遠浅の海でなんか楽しそうだ。
初対面の青少年もあとにくっついていって帰ってきやしない。
おばちゃんたち二人は、シロッコの強風の中
自己紹介したりおしゃべりをして時は過ぎていった。
「シロッコにね、やられちまうことを
io sono sciroccataっていうんだよ。」ふむふむ。

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Pranzoプランゾ(ランチ)は家族を待ってみんなで一緒に食べる。
今、ナスが旬だ。滞在中ナス料理が何品か登場した。
ナスのカポナータ、ナスのトマトソースパスタ、ナスのグリル。
私はもっぱら料理下手のうえに伝授してくれる人がいなかったので
基本を知らずに自己流に今までつくってきたのだが
ナスは他の材料と一色たんにすることがほとんどだった。
しかしここのレシピは、とにかくナスは別で炒めたり焼いたりして
食べる直前にお皿の上に混ぜていくレシピであった。
なんか食材の味が単品ずつ引き出されててイイ!

彼らのおもてなしは寛大で、どう返してよいかわからない。
彼らは見返りなんか気にしない素のままの姿が
これぞシチリア流で、友を超えたみんなが家族という絆を
彼らから比べたらちっぽけな私は痛いほど受け取った。
私は一人ぽっちの世界観がなかなか抜けない狭い許容範囲で
彼らのような寛大さが乏しくて悔しくなるほどだった。

この旅で我が青少年に教えたかったことは
同じイタリアなのにいろんな意味で遠いシチリアと
シチリア人の寛大さと温かさと社交性
シチリアの太陽と海と大地とそしてシロッコ

青少年はまた来年もマルサーラに行きたいと
着いた初日から言っていた。
歩いて3分のビーチで突如知り合った若者たちに会いたいとも。
旅の何もかもの出会いが新鮮だったようだ。
これから親抜きでたっくさん旅していくさ。
Piano, pianoピアーノ、ピアーノ(焦るな)

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私たちは、出発日の午前中も海へ行った。
シロッコが吹いてても気にならないさ。
あの賑やか一行に挨拶したいじゃないか。
「本当にもう帰っちゃうの?」はい。

友と友のお母様がリハビリの病院から帰ってきた。
それでは長距離バスが出発するMazara del Valloへ向かおう。
駆け足で観光して、人気のPasticceriaパスティッチェリーア(お菓子屋さん)で
AranciniアランチーニとCannoloカンノーロを頬張ったのであった。
長旅のお弁当もアランチーニシリーズ。
日本のお惣菜パンを思い出させたパンも美味しかった!

マルサーラの中心街はどちらかというと
メイン通りが2本ぐらいあるどちらかというと
発見の少ない街だった。
しかし私たちには、トスカーナの色と違うだけでワクワクする。

マルサーラから南下していく
こちらのMazara del valloマザーラデルヴァッロ
昔、チューニジアとの交流が深く
移民たちが住み着いて文化を残していったそうだ。
だからとってもアラブカラーや砂漠カラーが強く
さらには陶芸やタイルがオチデンタルで
アーティスティックな街つくりは発見がいっぱいあった。

友の兄夫婦はアフリカ系の女の子を養女に迎えた。
日本に興味津々で、イタリア古典を学んだ彼女は
日本をイタリアと比較してどう表すかと
難しい質問をしてきた。

私は、良くも悪くも尊重から生まれていることが多いんじゃんないか
私たちの習慣や性格も、小さいときから
祖先や目上の人、経験者そして弱い人を敬うこと
原点はそこから、日本の整然としたアクションがあるのではないか

そういう意味なのかはわからないけど
日本のミニマリズムなんかは
私の人生で感じた自己流な考えは
無の空間に、尊重しながら自分流に
発見や発想を自由にデザインしていくんじゃないかと想う。

だから、この発見がある街は大好きだし
発見のある旅は大好きだし
発見のある人生を常に歩んでいるよ。

アナタたちが日本に興味を持ったように
私は日本にはない文化や歴史、性格をもつ
ヨーロッパに興味を持ったのだ。
毎日が発見だらけだ。
今、日本に帰国したら、今だから母国だって発見だらけだろう。
歳を重ねるおもしろさってここにあるのだとおもう。

若者になんかメッセージを短時間で残すなら
自由な発想でたくさんの体験と発見をいっぱいしてね
まわりを尊重しながら、だろうか。

私はイタリアに染まりたいのに
いつまでたってもどこにいっても
永遠に日本人なのである。

おわり。



下より写真は、長距離バスで西シチリアから内陸部の車窓より。
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Vol.1のつづき。

そういえば。パレルモの駅で
大々とPalermo Centraleの駅名を見ずに
確認せずに、降り立った。

それにしても、パレルモの駅って
フィレンツェのようにホーム入り口の仰々しさがなく
ポリスもいないし、なんだかとってもオープンであった。

なぜここをパレルモの駅だっておもって降りたんだろう。

到着予定時間がなんとピッタリだったのと
停車駅の順番をスクショしてあったので
次、パレルモだね、と準備はできてはいたものの
まぁ、みんなが降りるし
旅慣れしてる風ドイツ人カップルも降りたので
私たちもつられて降りたのだった。

降りてみると、きっと誰もがキョロキョロする
南口、北口みたいなのがあって
そのへんは感で進んで行った。

マルサーラ行きのバスを確認しようと
地元民らしい人に訊ねた。「あっちだよ。」
出口は正解だった。

ホームの真横にあったんだけど壁があって見えなかった。
でも人が流れていってたので気になる出口でもあった。

ここはパレルモのバスターミナルみたいで
チケット屋さんがいっぱいあった。

駅の側にバスターミナルもあると便利。
他州の大きい土地だと、駅から離れていることがある。
フィレンツェやローマの場合、この旅で知るわけだ。

今回ご招待してくれた友情報に従って
Salemiというバス会社のチケットを購入した。
このバス会社は、シチリアではとってもメジャーな
老舗会社なのだそうだ。長距離も扱っている。

「ちなみに、駅のあたり気をつけてね。」
まぁわかっているだろうとは思うけど、みたいな笑い付きで
地元民情報も加わっていた。

駅の辺りはパレルモに限らず
いろんな人が往き来したり待ち合わせするところなので
どこでも毎度緊張する。
できるものなら長居は避けたいゾーンだ。
スーツケースなんか引っ張ってる日本人なんか見たら
一番の標的だと、20年30年在住してても
イタリア語が話せたって、今回もピリピリした
この気持ちをシェアしようとおもう。

列車の切符はパレルモまでを購入した。
長距離を移動するには列車でいいのだけれど
列車って結局のところ線路がないところには
当たり前だけど列車は走らないので
小さな街々、村々には
やっぱりどうしてもバス移動なのである。

マルサーラにだって駅はあるけれど
パレルモからの本数は少ないし、5時間近くかかる。
バスであれば、本数がぐんと増え2時間半で着く。
「アナタの選択は正しい。」と何人かの人たちに言われた。

私たちが乗ったマルサーラ行きのバスは
空港をはしごしているようだった。
私も青少年もぐらんぐらん眠りこけていたので
がらんとした大地が薄目に入ってきたぐらいで
空港あたりの車窓は覚えていない。悔しいけれど。

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トラーパニの空港を過ぎたあたりで電話がなって目が覚めた。
友からだった。「今どこ?」 

ちょうどいいタイミングで起こされ
それからの車窓ったら、結局この滞在で夕日に近い時間に
Salineサリーネ(塩田)が見れたのはこの時だけだったはずだ。

そう、トラーパニからマルサーラ一帯の海沿いは
塩田で有名だ。シチリアの塩である。

時期や過程にもよるが
塩田に生まれるピンク色の小さな海老が
ピンクのグラデーションをつくったり
その小エビを食べにフラミンゴが集まってきたり
とにかくインスタ映えしまくる場所なのである。

あぁ、もういつとは言いません、90年代
日本からはるばる来た友と
塩田に行こう!とわざわざトラーパニに行った
若かれし頃。

だーれもいない塩田の、細い通路のような畦道を
ロマンティックに歩いた思い出は忘れられない。

当然フツーにネットもない時代だから
SNSで紹介する場もない。
ただただ自己満足で全部の出来事が自分のモノ。

旅行記だけはつけていたのに
そのノートが見つからない。
フイルムの写真と私の記憶だけが思い出なのだ。

そんな友との思い出がわんさか蘇ってきた。
あの時旅したところをもう一度歩くってのも悪くない。
新しいところを発見することも楽しいけれど
ん十年も経って再現できたことは
ある意味、生きていることに感謝したり
その旅だけではない、今まで心の中で支えてきてくれた友たちのことを
想い出させてくれたり、振り返ってみたり。
日々の暮らしではなかなかできない気持ちを
このSalineで、実は駆け足なんだけど長く浸れた感覚が嬉しかった。

横を見ると、思春期青少年はまだぐらんぐらん眠りこけている。
起こしても起きないので、一人で車窓と思い出を楽しむことにした。

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今やSaline一帯は観光地化していて、勝手には入れない。
ましてや、夕日にアペリティフをしたり
Apericenaアペリチェーナ(アペリティフ兼ディナー)が
できるところがいくつもあっての変わり様に驚いた。

んで、アペリ?! ソレ、いいね!って思うじゃん。
一応、夕日をめがけて行くんだけど
シチリアの時の流れに任せていると、間に合わないのであるw

滞在期間毎日Salineの夕日タイムが気になる。
時の流れもそうだけど、私たちがいた期間
まんまとシロッコ期間にぶちあたり
夕日どころかマットなグレーかかった空が広がっていたのであった。

夕日は諦め、日中のSaline見学と
遠浅で向こうの島(個人所有のIsola Longa)にも
歩いて行ける体験を、駆け足でしたのであった。

つづく。

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近頃、ヴィンチの保存食品会社の生産部門の工場内で
私は汗だくになりながら働いていた。

瓶詰するための殺菌や圧迫させるための蒸気と熱でムンムンしている。

仲間たちは、暑い暑いとぼやくし
年金退職に近い人たちは、早く辞めたいと耳が痛くなるほど嘆く。

私は、ついこの間まで太陽の下で歩き回っていた。
そして、またブドウの収穫に精を出すつもりだ。

いつの頃からか、暑いのはやっぱり体が重くなるけれど
汗をかくことがあまり気にならない。
額に汗が流れていても、鼻の下が汗で粒々していても
体中汗びっしょりでも、臭くても
作業中は、あんまり気にならないのだ。
むしろ汗をかくことはいいことだぐらいおもっている。

工場内は、騒音と共にだるい暑さでシャキッとしない。
そんな中、眠くなるような退屈な作業もあれば
私は一人駆け回っていたりする作業もあった。

どの作業も簡単だけど、どの仕事も機転というのは必要だ。
暑いからとウダウダしていられない。
必要としてくれるのならば、どんな作業でも
はやく覚えてはやく自分一人で動きたかった。
だから暑さにかまう気持ちはうまれなかったのかもしれない。

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仕事が終わる夕方は、大地も風も太陽も一番暑い時間なんじゃないか
メラメラモワモワと、スクーターで走っていても
ちっとも気持ちがよくないほどシャキッとしない。

家は10時半ごろ全部窓は閉めるよう、留守番の青少年に言っている。
だから帰宅する頃は窓は閉まっていて熱風を遮断しているので
ひんやりとはしなくても、外気温との差は感じる。
大きな窓が一つでも全開しているだけで
その差は出るので、疲れていてもわーわー青少年に文句をいう。

暑いけれど、ここで冷房なんかいれたら、もっと暑いだろうと思う。
というか、そこから動けなくなるだろうし
つけっぱなしになるだろう。体を甘やかしてはいけない。

というわけで、家にいる時は
どちらかというとじっとしていることが多い家族である。

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しかし、休みは週末だけだ。
暑かろうが、とっととやらねば洋ナシは痛んでしまう。

ごっそり収穫した小さな洋ナシPera Cosciaを猛暑中天日干ししたり
今回は、コッチョリーノの大きな土鍋さんでジャムつくりを
3回立て続けにこしらえた。

ハチミツ500gの瓶が20個ぐらいできた。
このサイズで保存しておくと
ジャムをのせたタルトをつくるとき、ちょうどいい量なのである。

簡単に洗って、荒く皮をむいて、種をとって
レモン汁をかけて砂糖はスプーン10杯約200gを加えて
攪拌機など使わず煮込むだけ。

私は大きく実が残っている方がデザート感があって好きなので
自然に崩れていくことを待つ。

水分が多いので、蒸発してねっとりするまで
結構な時間がかかったもんだ。

ガスをつけっぱなしの熱がこもらないように
うるさいけど換気扇はマックスに。。。

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タルトに使わないときは
こうやってヨーグルトの汁を切ったギリシャヨーグルトに合わせて
こってり食べるのが好き。

ヨーグルトの汁はホエイで
プロテインなどの栄養分があるので捨てない。
使い方は様々あって、固そうなお肉を柔らかくするために漬けこんだり
肉の料理にお酒のところをホエイを使ったり私はしている。

ピッツァの生地つくりにビール酵母を使うとき
水の代わりにホエイを使うと発酵を促す効果があるので
そこにも使っていたな。

この暑さでオーブン料理は控えていて
自家製ピッツァはしてない。
夏野菜をトッピングしたいのに残念。

それでもジャムつくりは暑くたって
コトコト煮込むのである。
ねっとりしてきたときの嬉しさといったら。

はやくオーブンが使える涼しさになったら
ジャム入りタルトをつくって食べたい。
ジャムつくりの根気なんか忘れて
あっという間になくなる美味しさ。
涼しくなるのが待ち遠しい。。。

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今日の一曲。





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猛暑、激暑、酷暑、極暑、災暑...
どの言い方があっているのだろう。。。
そんなものはどうでもいい
暑い、暑い、とにかく暑いのだ!

夜というのか夕方というのか、まだ日は落ちてない20時頃
セントラルヒーティングのデジタル気温計は
日陰35℃をさしていた。。。

その気温計の日陰31℃になったら
家中の窓を全開するようにしているのだが
20時過ぎても窓が開けられない。。。

そろそろ開けないと、息が詰まってくる。
なるべく火を使わない料理をしたって
においはだんだん充満してくる。
北側だけそろそろ開けることにした。

で、夕飯を食べるときには、暑かろうが窓を全開にして
外で食べてる気分だけ味わう。
西日にサロンや庭があるデメリットは
なんと、真夏なのである。。。

友を呼んでの会食は、夕日から夜にかかって涼しくなるが
家族の夕飯にかかる時間は、15分だ。
庭があって藤棚があってよしずもあるしテーブルも椅子もあるが
今年は、いまだかつて外で食べていない。
暑いのと、夕日の頃は蚊が飛び回るからだ。

我が家は、大きな窓をいくつも、良いのか悪いのか西側につくった。
家の中にいたって、なんとなくテラス気分は味わえる。
サンセットテラス。。。

その夕日を眺めながらの食事をしていたある日
落ちていく太陽は燃えるように赤く
霧のような煙の中に浮かんでいた。

全国ネットでも州ネットでもニュースで確認したところ
トスカーナでも住宅に近い大きな山火事があった煙が
風で北トスカーナを覆っていた。

我が家の近所でも、きっとタバコのポイ捨てであろう道路脇が
野暮火事で黒くなっている箇所が点々とある。
消防車のサイレンも頻繁だ。

ヒトへも節水中なのだから火を消す水こそ節水したい。
こう干ばつで草木が乾燥してきて燃えやすいこと
良いのか悪いのか風はあって、火が飛びやすいので
とにかく私たちの行動をまず気をつけること
と消防隊員は静かに話す。
摩擦など自然発火もありえるので注意しましょう
ということだったが、狂った放火魔にも目を見張らしたいところだ。

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この暑さは、2003年以来とニュースでもあちこち耳にする。
私は、20年以上イタリアに在住するが
2003年以上だとおもう。
だって5月からずーっとだ!
んで、今のところまだ猛暑は終わる気配がない。
少しでも雨が降ってくれれば。。。

2003年の猛暑の記憶があるのは
7月に口頭試験(外国人用)の普通運転免許を取るってんで
あの頃は二人暮らし用のアパートを探している最中で
夫の実家の夫が過ごした子ども部屋に転がり込んで
3ヶ月ベットの上で猛烈に毎日毎日そして一日中
ずーっと勉強していたものだった。

夫は仕事に行っていて、私は閉じこもって勉強するが
義母が、隣の夫の弟の部屋の窓を開けたり
各階にあるトイレ付シャワールームを掃除しに来たり
というわけで、毎日ある時間になると顔を出し
姑と嫁のおしゃべりがはじまるのである。

そこでよく義母の生まれ育ったバジリカータ州の山奥の生活
もし家を建て直すとしたら...の夢の話
今は亡き義父の愚痴
を聞いていた。ときには3時間越えのときもあった。

義母は外出をしない人であった。
でもおしゃべりをしだすと止まらない。
嬉しそうだったし、私も山の生活の話は
想像をしながら聞け、まるで映画か本の中のようで
勉強の息抜きをしながらも楽しく聞いていた。

きっと、息子以上にいろいろ話をしてくれたかもしれない。
親子って、そうそう話をしたりしないものね。

あの時、おしゃべりができてよかった。
今義母は、山の方のプライベートのグループ施設で
なんというのだろう...仲間とケアの方たちと暮らしている。

そう、その夫が過ごした子ども部屋は3階の西側にあって
午前中涼しいので義母は用を済ませに来ていたのだ。

午後、お昼ご飯の後ぐらいから猛烈に暑くなる。
シャッター風の雨戸を下して、窓は開けっ放しにしていたが
それがいけない...まだ若かった...
熱風が充満する中、私は汗だくになりながら
午前中勉強できなかったことにちょっと後悔もしながら
過ごしていた2003年の夏なのである。

久々のマニュアル車に緊張プラス猛暑で、手のひらは汗でびっしょりだ。
タクシードライバーのように白い軍手を買ってきてはめて
後ろのガラスに P と手描きのA4サイズの紙を貼って
練習していたのをよく覚えている。
Pとは、Provaプローヴァ この場合 練習中 の意。

ちなみに、その当時のイタリアでの普通運転免許取得の話をすると
年によっては、日本の免許書をイタリアの免許書に交換もできたそうだが
私は、ときどき日本に帰国したかったし
そのときには、身分証明書としても使いたかったので
実際のところどうなっていたのかわからないが
日本の免許書は失いたくなかった。

それまで毎回の帰国で国際免許を発行してもらっていたが
一年ごとの更新であったりとそれはそれで面倒だったし
移住の意思がかたくなってきていたので
イタリアだって身分証明書としても扱われる普通運転免許書を
取得することにしたのである。

交換制度は2003年にはないものの
外国人は、百問三択していくペーパー試験ではなく
口頭試験で、イタリア語だけれども自分が言えるレベルで
答えていく方法であった。
しかも一人ずつ呼ばれて試験をするのではなく
そのときは、アフリカ人の男性と一緒だった。

アフリカ人の方も私並みのイタリア語だったと記憶する。
でも、私ほど用意してなかったのだろう。
間違いが多かった。

私はなにしろ日本人なので(!)暗記の仕方がニッポン人流だ。
口頭試験なのに、問題集やテキスト本をほぼ丸暗記している。
あ といわれたら い とすぐ返せるのである。

2,3問出して答えるスピードと正解力があれば
5問ぐらいで終わる。
間違ったり迷ったり悩んだりしていると
チャンスをくれているかのように何度も質問される。
が、そのアフリカ人の男性であった。

彼が合格したかどうかはわからなかったが
口頭試験の次は、実技試験だ。
個人で応募しているので
個人でブレーキが両座席にある専用の車を手配して
それで試験をしてもらうのである。
当時、その専用車のレンタル費用は80ユーロだった。
よく覚えている。ちょうどリラからユーロに変わった頃あたりで
なんだか忘れられない。

この普通免許は、125㏄までのバイクや普通自動車が運転できる。
更新は、10年ごとの誕生日。
簡単な目の検査と質問診察、目当てのお金を払って、おわり。
免許センターとか警察での更新ではなく
自動車学校とかでの更新だから、値段もまちまち?!
あぁイタリアよ。

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私は家からスクーターで15分のところに今勤務している。

朝、丘の上はうっすらピンク空で満月が涼しい顔で浮かんでたりする。
さらに朝顔みたいに涼しい時間に涼しそうな色で咲くチコリが満開だ。
スクーターだからけっこう分厚いジャケットを着なければ寒いほどだし
視界からも涼しくなる要素がいっぱいあるのである。

帰りは、熱が大地からモワモワと体に当たり
絵を描くならオレンジ色に塗りつぶしたくなる暑さだ。
早朝と午後で20度差はありそうなほど。

何度もいうが、午後、猛烈に暑いが、風は吹く。
だから乾燥しているので
アジアのような30℃で汗が噴き出す蒸し暑さはない。

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そうだ、7月といえば、小さな洋ナシPera Cosciaの季節だ。
ちょっと緑の内に食べると
さっぱりしていて日本の梨風味だと私はおもう。
熟してくると塩系のものとマッチする甘さが増して
噛み応えも柔らかく、その塩系の例えばチーズなんかの邪魔にならない。

管理しているオリーブ畑の中にあるナシの樹を見に行くと
わんさか成っている!
これは、はじめての出来なのではないだろうか。
実は大きくて豊作だ。

農業士養成講座でじつは果樹も習っているが
ブドウやオリーブほどではなく
それでも、実が成る芽と枝を教わった。

冬の剪定のときに、上へ向いている徒長枝を除去し
下へ垂れさがろうとしている枝を残した。

下へ垂れさがるということは熟そうとしている枝なんだそう。
だから確実に実はなる。
実のなる枝はオリーブのように3年ぐらいかかる。
それは芽をみればわかる。
そのへんは、リンゴと同じで、同じ剪定でよいのだそうだ。

日の当たりの良い実は、赤くまでなっているが
裏を見るとまだ緑だったりする。
全体的に緑なので、それでも薄黄色がかったものを選んで
洗ってそのままスライスして、干した。

イタリアのレシピには
スライスして茶色くなるのが嫌だったら
レモン汁をかけるのも一つの手段だそうだ。

しかし、レモンのすっぱさがやっぱりうつっているので
それはもう好みの判断であろう。

一日天日干ししただけで、もうカリカリで小さくなっていた!
翌日の極暑の午後もう数時間干したけど
干せば干すほど固くなるので、この猛暑には
あとは、家の中でそのままザルの上で
つまみ食いをしながら乾燥させて瓶の中で保存。

噛んでいる内に甘味が出てきておいしい!

ドライにするメリットは、保存だけでなく
ビタミンやミネラルが生よりぐんと上昇することだ。
まさしくも歳を取るにつれて必要な成分。

オーブンや乾燥機でやる方法ももちろんあるけれども
この猛暑、激暑、酷暑、極暑、災暑にやらない手はない。

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今日の一曲。





Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。




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