夫と水を汲みに行った。
ヴィンチの山、Montalbanoモンタルバーノの麓
山からの湧き水だから清い無の味だ。
その辺に暮らす人々は、この水と繋がっている。
そして通りがかりやこうやってわざわざ足を運んで
汲みに来る人でにぎわうこともある。
たまに久しぶりの人に出会って話し込んだりもする。
たまに行列をつくって知らない人と話したりもする。
たまに蛇口が突然便利に改造してあったりもする。
たまに煉瓦の一部を椅子代わりに置いてあったりもする。
たまに汚しちゃった人がいてそのまま行っちゃった人もいる。
たまに壁にメッセージが書いてあることもある。
怒ったメッセージがあると次行くと消えていて
感謝とお願いメッセージがあるとずっと残っていたりする。
そんなヴィンチの山の水汲み場は
小さな小さな社交場なのだ。
いつもは孤独に夫が逆に息抜きで独りで来る。
ちょっと前までは少年が一緒にくっついていったり
家族総出の時は私と少年は散歩をした。
もうあの頃の少年は青少年となりついてこない。
今日は夫婦で出かけ、夫がいつものように水を汲み
私は、独りで散歩をした。
一晩では全然足りなかった。
友は新生活をするために段取りをしていた。
独りで決断をしながら進めていた。
きっと怖いこともあるだろう。
でもそんなことを見せないしそんな話もしない。
私が勝手に想像しているだけだ。
慈愛なる友の表面に見せないところが好きだった。
そういうところを一番真似したかったところだ。
慈愛なる友の知ってる限りの人生を振り返っても
未来を想像しても、計画してできることではない。
次から次から舞い起こる状況にあわせて
大きな決心を何度もしている。
一番は自分のため、二番は子のため。
彼女の生きざまと彼女が見守る子どもの生きざまは
彼女のことが大好きで真似をしたくても
いろいろ教えてくれていろいろ話したけれど
私や息子や夫に同じことをやらせても
結果は違うことが意図も簡単に想像ができる。
これを改めて人生というのではないだろうかとおもった。
私の人生を振り返っても夫の人生を振り返っても
波瀾万丈な人生には代わりがない。
その波瀾万丈な人生に、もがく私たちが滑稽にみえると
私は落ち込んでしまう。
人が真似できない人生を歩んでいるのだ!とおもうと
笑みが溢れ落ちるぐらいやる気になる。
そうだ、真似のできない人生を歩むのだ。
答えは自分にしか出せない人生を歩むのだ。
気がついてみれば状況ってあとから生まれてきて
それを普通といわれる社会に近づけるよう努力する
が、判断とか決心なんだと気がついた。
そこに人の気持ちと人の人生があって
自分だけではないから複雑になるのだ。
水を汲みに行った小さな社交場は
私の家にもおもえてきた。
☆
新年明けましておめでとうございます。
みなさまの一年が
健やかで穏やかに過ごせますよう
ヴィンチの丘よりお祈り申し上げます。
2022年もどうぞよろしくお願いいたします!
引き続きお付き合いくださいね。
☆こちらの記事もどうぞ☆
『雲の上に la gradazione dell'aria』
『ヴィンチの地平線 Orizzonte』
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Grazie di aver visitato!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
今週も素敵な一週間をお過ごしください。
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